2004年の竹林友の会活動報告-1

 

 

 

    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 1.10 「年頭に」
    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 1.24 「人は見かけか?」
    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 1.17 「アイヌ展」
    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 1.31 「土入れ作業完了」
    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 2. 7 「おまけの一日」
    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 2.14 「春はかくれんぼ」
    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 2.21 「わたしたち竹煙香がします」
    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 2.28 「千客万来」
    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 3. 3 「いよいよ春が・・・」
    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 3.10 「初堀りの儀」
    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 3.13 「似ても似つかぬもの」

    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 3.16 「まちづくりって多様です」

    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 3.23 「16連のたけのこ

    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 3.25 「今ははしりどす」

    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 3.27 「心の豊作」

    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 3.30 「はるの雨にいっぷく」

    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 4. 1 タケノコにも雌雄があるってほんとう

    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 4. 3 「笑」

    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 4. 6 「われら若衆」

    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 4. 8 「無題」

    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 4.10 「ホントデスカ」

    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 4.13 われらがSpirit

    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 4.15 たけのこ掘りの一日

    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 4.17 「憤怒する地面」

    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 4.20 「未来に向かって」

    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 4.22 ああ、もったいない

    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 4.24 きぬぎぬの別れ

    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 5.22 「一年を振りかえって

      

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「年頭に」

 2004. 1.10 杉谷保憲

竹林日記「年頭に」2004.01.10(土)曇り
 参加者 杉谷、高田、野本、窪田、中村、橋本。川路、漆谷、尾崎、西村、鎌田、原、安田。

 この竹林日記は当初、杉谷がひとりで(いっとき古澤さんの文もあった。)書いていたが、面倒に思ってしばらく休んでいた。ところが橋本氏の提案で、竹林日記が無いと淋しいし、案外資料価値もあり、面白いと言ってくれる人もいるので、再開してくれとの提案があった。やむなく去年から高田、橋本両氏と3人持ち回りで再び書き出した。
 ところで「今日書くのは誰?」と小生が尋ねると、高田「私はこの間、書いたばっかりと思いますね」と。そうだ。高田さんは去年の最終日を書いてい

た。橋本「仕事始めの日だから杉谷さんでないと・・・」するりと身をかわして、うまく逃げられた。

 今日は南井さんが欠席だが、レギュラーメンバーはほぼ顔をそろえた。作業は上段の土入れ。さすが13名の労働力は大きい。年末の最終日と比べると、大幅にはかどる。しかし相変わらずの力仕事、曇り日だが汗が流れる。

 “年頭”らしいことは書けそうにない。ネントウをパソコンに入れると、「念頭」と変換してくれる。ふふーん、今、念頭にあるものは・・・?やっぱり酒の話だ。この日のハイライトは作業終了後の昼食会(新年パーティ)である。

 場所は安田さんのお店。ここはバーカウンターに12人が並ぶと満員状態。それに対して、安田さんひとりが飲み物、食べ物のサービスをする。「お屠蘇」に金粉いりの日本酒が出た。そして「おでん」に「おにぎり」である。
少しアルコールが回ると、カウンターの内側に入って、安田さんを手助けする人たちがいる。それがサマになっているので、「お店をやったら・・・」と声がかかる。あちこちに笑い声があがる。2〜3人のかたまりでどんな話しがされているのか分からないが、和気藹々の盛り上がりとなる。
 この雰囲気はあまり予想しなかったことなので、嬉しくなってしまった。小生は隣に座った西村さんに、タケノコ堀りがどんなに楽しいかと説明している。
「ナスビやトマトも1年に1回採る。同じように1年1回のタケノコ掘りだけど、それは比べものにならないほど魅力がある。」
 彼女はまだ掘った経験はない。周りの人たちはたとえ1度だけの経験にしても先輩。小生にしても3回を経験しただけである。「そうだ、そうだ」と合いの手が入って、笑いが続く。

  酒が利いてパソコンに向かって居眠りしてしまった。もう晩酌もできず、そのまま熟睡におよんだ。そしてここからは翌11日に書いている。昼食会の続き。

 皆が一言づつ立ち上がって自己紹介した。全員のスピーチを紹介することはできないが、窪田さんがボランティアとしての竹林作業の楽しさをお話した。ボランティアという言葉を久しぶりに耳にした。新鮮に聞こえた。

 私たちの竹林作業は何だろう?
力仕事だから労働ではあるが、労働の対価である報酬がないから経済学がいう労働ではない。ただ働いているのである。
 では遊びなのか?勝ち負けを決めるゲームではない。しかし気持ちのよさという点では遊び的なものに満ちている。良寛さんが手まりをついて楽しんでいるようなところがある。
 ボランティアというと献身的に他に尽くすというイメージがある。竹林作業には竹林保全という側面もあり、無報酬でもあり、確かにボランティアといってもよい。ただ、高邁な精神を発揚しているかといわれると、ちょっと気恥ずかしい。
一言ではなかなか表現がむずかしい仕事だ。
 「タケノコ作りを基本に於いて農をやり、竹林保全という環境問題に取り組み、もしお金がたまったら?竹工芸や竹の芸能についての国際交流をやりたい・・」そんな集団の構成員について、無理にまとめて言えというなら「竹を愛し、竹林浴を楽しみ、利(マネーゲーム)を追わず、互いの束縛感を減らし、和を尊び、身体を動かすことを好む」こんな想いが他の人びとにも広がり、後輩に伝わっていけば嬉しいなと思っている人の集まりだ。

  仕事始めのパーティは笑い始めでもあった。2004年は、よく働き、竹林から元気をもらい、よく笑いましょう!
こんな場所を提供していただいた安田さん、有り難うございました。
皆さん、酒は抜けましたか?

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「アイヌ展」

 2004. 1.17 杉谷保憲

竹林日記「アイヌ展」 2004・1・17(土)  参加者 なし

 今日は雪。朝6時に起きて戸外の状況を見る。曇り空の夜明け。ヤレヤレ、昨夜からの心配は消えて、今日は作業が始められると思い、食事にとりかる。ところがその頃から、戸外は静かに静かに白く染め上げられて
いく。見るみるうちに白銀の世界。作業中止連絡を終え、朝刊を読み、さて今日はなにをしよう?

 一番急がれることは民博の「アイヌからのメッセ−ジ」展(2月15日まで)を観ることである。雪に注意しながら運転した。万博会場跡地の駐車場は困りものである。東駐車場に誘導され、料金1200円を払うと、案内人が 「民博まで15分ほど歩いてください」という。腹立たしい思いで歩いた。

 初めはアメリカの西部征服時の少数民族アメリカ・インディアンに興味を抱いたのがきっかけだった。そしてロシアのシベリア少数民族について関心が移り、遂にはそれが日本の少数民族アイヌにまで行き着いた。
関西でアイヌについての展覧会はめったにない。腹が立っても我慢。雪が小雨に変わったなかを歩いた。
おや?立て看板に「本日は入場料無料」をある。腹立ちはやや収まった。

 来てよかったなあと思ったのは、民博の食堂にアイヌ料理があったことである。北海道で幾度もアイヌの観光ショウを見たのに、料理を食べていなかった。昼食代(チェップ=アイヌ語で魚類= セット)1200円。
献立の中味を記しておく。
 ラトゥシペ=サケの切り身汁。中に大根、牛蒡、きざみネギ、ジャガイモ、こんにゃく。いわばケンチン汁である。
 チポルシト=イナキビ団子の上にイクラが載せてある。
 シプシケプめし=白御飯に昆布とヒラ豆
 漬物
うまい!

帰途、雪はどこにも見られない。大山崎インターチェンジを初めて利用した。なんと便利なことか!近い!早い!行きのことをすっかり忘れて、帰途の車のなかは鼻歌だった。

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「人は見かけか?」

 2004. 1.24 杉谷保憲

竹林日記「人は見かけか?」2004・1・24(土)

参加者 杉谷、野本。漆谷、鎌田、尾崎、川路、西村、原、安田。

 今日は男性陣に休みが多い。メールで欠席の理由をいただいたが、(別に理由は必要とされていない)高田さんが小学校の同窓会で福岡へ、窪田さんがお孫さんのお宮参り。なんとも甘いような、酸っぱいような60歳台ではある。

 野本さんは竹で弓矢を製作するという。依頼主の松尾さんが姿を見せ、しきりに竹林を眺め回している。その広さに驚いている。彼女が作業している頃と比べれば3倍位広がっているからなのだ。

 作業後、野本さんを残して女性6名と杉谷は京都芸大へ。中村教授退任記念展はシャープなものだった。展示物には椅子が多い。紙製の椅子は誰にとっても初めてなのだろう。坐り心地を確かめている。ご専門はプロダクト・デザインだが、しかし作品のことは二の次。

 「中村先生は私より一つ年下だヨ。」
「竹林で一緒に作業していると、普通のおっさんだけど、ほんとはエライねんな。」
「立派な業績ね。人は見かけによらんわ。」
「料理が上手だってね。」
「先生の別荘に行きたいわ。」

土入れ作業はきつかった。けれども体力にはまだ余裕があるのだろう。帰りの電車のなかはカシマシイ。

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「土入れ作業完了」

 2004. 1.31 高田 豊

竹林日記「土入れ作業完了」2003・1・31

参加者 杉谷、南井、野本、窪田、高田、漆谷、蒲田、尾崎、川路、西村

 本日は久方ぶりに暖かいまずまずの天気。9時少し前に竹林に着くと、もう、杉谷さん、野本さん、窪田さんが一輪車を押して作業中。先週は、福岡の同窓会に出席のため休んでいたが、土入れは北側の一角と南側の土が薄い部分の補修を残すのみになっていた。10時には10人全員が揃い、残りを一気呵成の作業。
 昼頃には、杉谷リーダの「まさか、今日土入れが終わるとは思わなかった」との言のごとく、予想以上に早く、竹林全体の土入れを終えた。
 約3反(?)の竹林全体の手入れを決めてから半年、なんとか順調に作業が進んだのは、熱意あるウーマンパワーのお陰というのが、男どもの一致した感想である。

 今年は、たけのこが豊作というのが通説だが、それを裏付けるように、土盛りの中から、1kg近いたけのこを5本、窪田さんと川路さんが見付けた。よって、今年始めてホリが出動するところとなった。掘り上げた5本を女性陣が「右から何番目」というように、めくら籤で分配する有様が、皆、幼い頃に帰ったように楽しげであった。先週
の小学校の同窓会も、男たちが過去を引きずっているのに対して、女性たちが屈託なく、今を楽しんでいる様子なのが思い出された。
 最近、ワイフが古文書研究会に参加して読んでいる「飛賀山論争」によると、江戸時代には、近くの山林は3村の共同所有であり、特に竹は建築材料や副食品などに重宝されていただけに、山林の共同作業の進め方については、とかく議論が多かったようである。近くの放置されていた竹林で、今冬、数ヶ所で手入れが始まったのを見かけるのは好ましいことである。

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「おまけの一日」

 2004. 2. 7 高田 豊

竹林日記「おまけの一日」2004. 2. 7

参加者 野本、窪田、高田、由紀さん

 今日は公式には作業休みの日。朝、誰もいないのを半分覚悟して、先週剪定したキウイの切りくずを竹林に運んでいくと、野本さんと窪田さんが土の薄いところを補修していた。東隣りの地主さんの竹林にもユンボとキャタピラ付きの運搬車で3人ががりで土入れをしている。流石に機動力、見る見るうちに覆土が入っていく。この運搬車がとても欲しい。その後、久しぶりに竹切りを3人で行う。

 しばらくして、おばんざいの安田ママが登場。新年会の人数をママさんが勘違いして安く請求していたので、差額の4000円を支払う。ママさんには竹運びと火守りをお願いする。ママは竹の花入れ?を店に置きたい由にて、野本さんが2個手早に作って差し上げたところ、大喜びで持ち帰った。

 来週は、まちこん竹林にも竹製ベンチを作ることにするか?

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「春はかくれんぼ」

 2004. 2.14 橋本敬良

竹林日記 2004・2・14 はれ(午後は春一番が吹きました)

参加者:杉谷・高田・野本・窪田・由紀子はん・橋本

 目が覚めると晴れだ!!すこし霧がかかっているような・・むかしは霧の朝がもっと頻繁にあったと記憶している小学校への通学路がもっともっと秘密でいっぱいだった。追憶か。
 野本さんと高田さんが竹林に竹と木材で長いすを作っている。今まで休み時間には、パイプ椅子や切った竹にすわり歓談していたがこれからは丈夫な椅子に腰掛けられる、敬良なら4人は座れる強度と長さを持った竹林にぴったりの椅子が設置された。

 窪田さんと土入れの補修をしながら話した「バレンタインのチョコよりーOHをもらう方がうれしいですね」って。由紀子さんがチョコと芋を持ってきてくれていた、焼き芋が上手くできるかなあと子どものようなひとみで火の番をしている彼女ももうこの竹林の常連になった。

 人はいろんな状況で自分自身を使い分ける。会社でのすがたと家庭でのすがた、また超プライベートな場でのすがたは演じようが無意識であろうが多くの場合異なっている。わたしの場合会社人であったころよく言われたことの一つが「笑顔が冷たい」であった。
いまの生活で、子どもたちや仲間とのつながりまた自然や気持ちとの交流のなかで面白さの質の違い、悲しさの深さの違いを実感している。このような生き方ができてしあわせに思っている。

 杉谷さんの風邪が長引いている、声がすこしおかしい「この年ですからこれで普通ですよ」とみんなを笑わせている・・お大事に。竹のベンチに座っているとまだまだおしりが冷たい
 春はもうすこしかくれんぼのようである。

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「わたしたち竹煙香がします」

 2004. 2.21 橋本敬良

竹林日記 2004・2・21 春陽の午前

参加者:高田・野本・窪田・橋本

 季節の移ろいをあらわす二十四節気の「気」と七十二候(しちじゅうにこう)の「候」とで『気候』が出来たと聞
く。雨水が済んでから気温の高い日がつづき本日作業時には19℃もあった。冬の服装は暑すぎる今日この
頃である。

 竹林にはいま目覚め前の静かな時間が流れている、今年のたけのこは豊作が見込まれるのでどこかにその兆しがあるかと見て回ったがまだ早すぎるようである。4人の男たちはそれぞれ今の時期やりたい作業をもくもくと行っている。窪ちゃんは西のはたけで竹の伐採、鉚ちゃんは南で伐採、豊さんはその中間で伐採と焼却をしている。いつもどうり竹を焼く煙のかおりが快い、作業をして家へ帰るとからだ中から煙香がするらしい。

 朽ちてきたタタミをひっくり返すと黒い虫がへばりついて寝ていた、冬眠中それとも・・・。市民活動においても年間を通じてその活動を維持・継続・発展させるためには思いのほか多額の資金が必要である、行政や団体からの支援がある活動でも今の時代活動費には汲々としている。

 まちこんにしても長岡京市竹林友の会にしても活動費は全額自分たちだけで捻出している、その分独自性や自由度が高められる利点は多いが反面旧来の団体や集団からは「変わったひとたち」とみられることもある、
自分たちの思いや活動を伝えるツールとして今新しいホームページが高田さんと松尾さんを中心として立ち上げられようとしている、アドレスが決まればみなさんにUpしますので今しばらくお待ちください。
 いま、久しぶりに雨が降ってきた 虫も木も土たちもおいしい水をいっぱい含んでもうしばらくおやすみくださ
い。

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「千客万来」

  2004. 2.28 高田 豊

竹林日記「千客万来」2004. 2.28
参加者 野本、高田、午後からまちこんメンバー多数

 本日は野本さんと二人だけ淋しさ。杉谷さんと橋本さんは目黒区のお客さんの対応の方に廻っている。窪田さんは旅行中の由。
 いつものように廃竹を燃やしていると、突然、制服姿の4人が現れた。消防局の中川さんらであった。何でも近くのマンションから通報があり、毎週、業者が竹林に来て何かを燃やしているとの電話があった由。事情を話すと納得し、注意事項を言って帰っていった。市の条例によると、燃やす場合は、住宅地か森林かを問わず、消防局にその都度、通報することになっているそうだ。

 暫くすると、今度は別の制服の3人が。今度は警察の来訪。消防が出動すると警察も自動的に来なければならない由。図らずも都合7人のお客さんの来訪であったが、頼もしいやら呆れるやら。

 午後は目黒区よりの10人のお客さん。焼きたけのこでご接待するのは時期尚早と、焼き芋を準備していたが、お客さんと一緒に古沢さんが現れると、なんと都合30本もたけの子を発見。流石、たけの子犬のニックネームに値する。
 急遽、焼きたけのこを開始。松尾さんが自宅に醤油、わさび、包丁など取りに帰り、3本の焼きたけの子を賞味いただいた。東京暮らし2年間の経験からすると、狭い東京では桜が咲いた時、大通りの狭間の公園に、ゴザを敷いて酒盛りするのが、自然の中で季節感を味わう、数少ない機会だったと思う。お客さん中のかなりが初めて賞味の由。京都訪問の印象と聞かれたら焼きたけの子だけではないかと古沢さんが言うほどの大好評であった。後で、残った焼きたけの子を口にしたが、ほの甘く、懐かしい味で、はなはだ美味であった。

とあれ、多忙だった一日が過ぎた。

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「いよいよ春が・・・」

 2004. 3. 3 杉谷保憲

 

 

竹林日記番外篇」2004・3・3 杉谷、野本、窪田。

 2月28日、目黒区社会教育環形者10名が見学にきたとき、案内役の古澤さんがタケノコをたくさん発見した。高田さんが少し掘り出し、松尾さんがあわてて家に帰り、包丁や醤油をもちこんで、すばやく焼きタケノコパーティをした。その話は先に高田さんの竹林日記にある通りである。

 今日はひな祭り。
タケノコの顔出しは例年より一月は早いので、野本さんと窪田さんがチェックしようと竹林に入った。気温の低い日が続き、タケノコはまだ太ってはいない。しかし数は多い。豊作と囁かれているのは本当のようだ。

 野本さんが番外地(お分かりと思いますが手入れのしてないところ)から掘り出して「お初ですよ」と私にくれた。大急ぎで家に帰る。家内がそのタケノコを料理した。自然のものだから、包丁が入らないほど皮はかたいし、身もしっかりしている。味は少々エグミがある。でも歯ごたえがあっていいという人も多かろう。
家内が言う。「毎年手塩にかけている場所のタケノコはシラコなので、この番外地ものとは味も違うということをあらためて知りました。」

 私は白内障の手術(眼内レンズ移植術)を受けている。先週は左眼、今日は右眼である。竹林から引揚げ、不安を抱えながら病院へ。しかし無事に終ってみれば、手術日にこうしてもうパソコンを扱っているのが不思議に思えてくる。
 鼻は高校生のとき、蓄膿に悩まされた。歯は度重なる修繕で、金鉱みたい。耳は老人性難聴のため補聴器のお世話になって、そうして眼の修理をした。次はどこか?脳の修繕か?

 さて、目黒区のみなさんに竹林の仕事を説明をしたのだが、手持ちの時間が8分しかなかったのには困った。そこで言い足りなかったことも含めて再録しておきたい。高田さんの日記(2月26日分)の前半部分である。

 皆様 

 本日は竹林整備プロジェクト(以下 竹林PJ)をご覧いただき有り難うございました。説明が充分でなかったように思いますが、雰囲気をわかっていただけたら、それだけで喜びます。

 竹林PJは里山の生態系保護をひとつの目的にしています。孟宗竹は人手が入らずほっとくと、猛烈に繁殖し周囲の樹林を枯らし、竹林が広がります。この地は高齢化によって、働き手がなく、生態系の変化に困っています。放置竹林の整備(間伐など)は喫緊の問題でした。
 同時に、この地のタケノコ栽培がすたれるのを見かねて、栽培方法や掘り技術についての伝統の継承を図ることにしました。
 中国産タケノコが安価で、タケノコ市場は様変わりしています。しかし私たちが販売にタッチするのは難しいし、このPJはボランティア活動ですので、自ずから限界があります。

 メンバーは新市民です。つまりこの仲間には、3代も続いてここに住んでいる人はいません。そして男は定年退職組、女は山仕事・農作業に興味をもっている人たちです。
 京都タケノコとか山城(あるいは乙訓)タケノコと呼ばれるこの地方の作り方は大変手間がかかっていて、労働も一年中やるのが普通です。一緒に仕事をするのが楽しいので、毎週土曜午前を当てていますが、ボランティア活動ですから、共同作業の進め方にはモットーがあります。

   「やりたい人は思いっきりやろう。やらない人は、やりたい人の足をひっぱらない。やる人はやらない人を責めない。」

 私たちはまだ4年の経験しかありませんので、あまり大きなことは言えません。けれども、もしこれらがうまく運び、無理なく資金ができた暁には、東南アジア(ヴェトナムなど)の山岳民族の子どもたちを招いて、彼らからバンブーダンスを習いたいと思っています。異文化が接触すると、そこに新しい文化・芸能が誕生することがありますから。
 もっともこれは夢です。これの実現のためにカネ儲けに力をそそぐということはしたくありません。大切なことは自分たちが竹林と土に囲まれて、今、人生に感謝することができるかどうかです。

 竹林のなかでは、今すぐにでも、できることはたくさんあります。竹工芸品の製作、新・民話の創作、竹取物語の新知見、かぐやひめの発光実験、竹材による家庭菜園用の肥料の発明、バンブーダンス場・瞑想の場づくり・・・竹林に入っていると、いろんなことが楽しめそうです。
 もっとも実際にやっているのは、タケノコの刺身、焼きタケノコ、青竹の猪口で酒を・・・あまり褒められませんね。

 有志を募っています。面白くやりませんか。ご見学の説明になったような、なっていないような気がしますが、なにとぞ意のあるところをお汲み取りください。

 

 

 

 

 

 

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「初堀りの儀」

 2004. 3.10 橋本 敬良

 

 

2004・3・10(水)  快晴
参加者:杉谷・高田・野本・窪田・西村・漆谷・原・弥生・橋本

 弥生三月かすみたなびく竹林に、二人三人などして心に裃をまといたけのこの初掘りに勤しむ姿あり。嗚呼春陽の候ついに来たれリ。

 

 

 古澤さんや堀さん松尾さんが見つけて旗を立てておいてくれたたけのこを本日やっと掘ることが出来ました。1本掘り出すごとにあちこちから歓声と笑い声が聞こえてきます。掘り出す主役はやはり野本さん、ホリを使っての作業には絶えず数人の女性が取り巻いています。教えを受けて原さん・漆谷さん・西村さんが挑戦していますがこのシーズン中には上手く使えるようになるでしょう・・かねえ。

 

 

 

 

 

 窪田さんと杉谷さんはつるはしで掘っています。まだまだ小ぶりですが中には300gほどの立派なたけのこも数本ありました。高田さんは定位置で火守り役、今日は作業前に消防署に連絡も入れて準備はOKです。
 弥生ちゃんが醤油とわさびを用意してくれたので焼きたけのこもしました。小さめのたけのこをホイルで包みたき火の中に掘りこみます焼けたら半分に切り中身をさいころ目に切って醤油とわさびをかけてガブリ・・・、

 

 まちこん=長岡京市竹林友の会 オリジナルの食べ方で、地元の人はこのような食べ方はしません。もっとお上品に食されます。
 焼きたけのこの香を聴き、シャリとした食感を楽しむと、もうあたりははる はる はる です。もしあなたが竹林へ来られて、この焼きたけのこを食されたなら この自然 この環境を持続的に発展させることの大切さを実感されると確信します。わたしたちが竹林整備を行っている間に一度現地(京都府長岡京市奥海印寺)へ来てください。

 

 

 

 

 

 

 まもなく本格的に堀と発送作業がはじまります、毎年
この時期を待って注文していただいている全国の皆さん、
もうすぐ春が食せますよ!!
 今年からは目黒の皆さんにも買っていただけるとか・・
発送体制が整いしだい連絡を入れますので今しばらく
お待ちください。
   初ものを食べてまた寿命が延びてしまった。
 橋本 敬良 でした。

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「似ても似つかぬもの」

 2004. 3.13 杉谷保憲

参加者 杉谷、高田、野本、窪田、橋本。

午前10時から今年のタケノコ掘りについて協議。拙宅に5人が集まる。

決定事項
@ 掘る作業の責任者は野本氏、最盛期には火曜、木曜、土曜の午前を原則とする。
  天候などで変更があるときは野本氏から発信する。
A 受注、発送は橋本氏が責任者、ユーパックで11時半発送とする。
B 会計の責任者は高田氏、代金の振込み、受け取りなど。
C 入山料は一人300円、竹林友の会メンバーが責任をもって徴収する。

 会合は一時間で終了し、竹林に入る。しかしどうも前評判ほどの成長ではないようだ。まだ太っていない。高田、橋本さん、杉谷は引揚げたが、野本,窪田さんが昼過ぎまで粘ったようだ。

 高田さん製作による竹林友の会のホームページを拝見した。みんなの楽しげな写真を見ていたら、いつの間にか竹林日記に移っていく。小生が書いた日記には「杉爺の」と冠がついている。折角だから今後これをいただくことにする。

 今日の参加者は5人であったが、メンバーには南井さん、中村さんがいる。7人である。7人、7人・・・。
前から気になっていたが「竹林の七賢」とは何なのだろう?本を開いてみた。中国の3世紀の哲人たちが、竹林のなかで清談をしているのだ。七人はそれぞれ個性豊かで、世俗から超然としている。
我々7人とは似ても似つかぬ。その中でも南井さんと窪田さんは顔を眺めていると、賢人の絵のようなところもある。南井さんは今、四国の札所を回っている最中だから、賢人にやや近い。しかし他の5人は顔が脂ぎっていて、とても賢人には遠い。

 これで疑問の一つは判ったが、もう一つ。清談をするのに、なぜ竹林の中がいいのだろう?
3世紀の中国の竹林にも、蚊がいっぱいいただろうに。

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「まちづくりって多様です」

 2004. 3.16 橋本 敬良

3月16日(火) はれ
参加者:野本・高田・窪田・由紀子・橋本

 竹林整備は毎週土曜日であるが、たけのこシーズンは火・木・土にも堀に行き発送を行うように努めることにした。本日はその火曜日である。

 たけのこの注文を受けるMAILが市民活動家や市民団体により転送され、外注分としては昨年を上回る量の注文がきている。全員で頑張って掘り出し なるべく早くお送りしたいものである。

 今年のたけのこは見た目が「いまいち」である、皮や根の一部が黒く変色している。土の混ざり具合が悪いのか肥料の量に問題があるのか気温と雨のせいなのか・・・原因が不明である。
しかし そう しかしである「実はわたし脱ぐとすごいの」状態が発生している、皮を剥いて水に浸けると表面が白く輝いている見る角度によっては銀色である!!なんと神々しいお姿か・・・。味には自信をもてそうである。

 竹林を借り受けた当初は、この放置された竹林を整備しつつ子どもたちにも入山させ あそびや自然体験を通して教育や養育の現場として「長岡京市のまちづくり活動」を実践しょうとする場であった。実際本年度も子どもたちがこの竹林で生活体験をおこなった、子どもたちや親やスタッフの歓声が竹林中に心地よく流れていた。竹林に吹く風や光の中で、地元の人でさえなかなか体験できない竹林浴を楽しめるのも「まちこん竹林」ならではである。

 市民団体といえども時代の流れの中でその活動に変化が起こるのは、むしろ自然であるとわたしは考える。5年前に考えたまちづくりとこれからのまちづくりが同一であるはずがない。支援していただける一般市民を含めた、ゆるやかな個人連合体としての「まちこん」がこれからの市民活動の方向をサジェストしているとわたしは考える。みなさまのご理解とご支援をお願いします。

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「16連のたけのこ」

 2004. 3.23 高田 豊

出席者: 南井、野本、窪田、橋本、高田

昨日の寒さも和らいだ今日はまあまあの好天である。
いつものように、野本さん、窪田さんが今日は竹林上段に絞って、タケノコに旗立て、みるみるうちに40本くらいの赤旗が立つ。高田の戦果はわずかに1本であった。
上段のある狭い範囲に、まとめて10本の旗がある。ここを掘りはじめた野本さんが皆を呼び寄せる。何と、ひとつの竹の根の両側にタケノコが見事にギッシリ16本も並んでいた。

 

野球のチームはもちろん、サッカーでも11人あればチームができる。16人1チームのスポーツがあったかなあ。思い当たらない。栄養不良にならないかなど考えるまもなく、ありがたく、全部掘り上がった。めったにない事とて、橋本さんがカメラを取りに帰り撮影。(添付写真:橋本さん撮影)
本日も25kg以上の収量で、今年の累計が初めて100kgを超えた。今日から郵便局が集荷に来てくれ、いよいよ本格的シーズンを迎える。

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「今ははしりどす」

 2004. 3.25 橋本 敬良

2004年3月25日   はれ
参加者;野本・高田・窪田・弥生・橋本  早朝に杉谷さん。

 昨年の初掘りは3月29日で収穫量は7Kgであったと記録にある、今年の初掘りは3月10日で昨年以上の収穫があった。
早い分たけのこは小ぶりである、コブシ大(100〜200g)以下がほとんどだ。時期になるとこの長岡京市内でも露店や家の軒先でたけのこが販売される、初掘りからしばらくの間は市民の口には届かない価格で販売され、主として京都市内の料亭や高級食材店で消費される。市内に露店が出るのは来月になってからだろう。

 乙訓地区のたけのこ販売専門店に行ってみた 500g前後のたけのこが並ぶ中 あった!!さすが専門店1Kgの大きさのたけのこを売っている値段がわからない、聞いてみた・・・「1本 7,000円」地元でこの価格で
ある!これから段々価格は下がってくるが、それにしても・・・はしり か。この先を書く気がしない、話題を変えよう。。。

 長岡京市竹林友の会には「ほり」が2本しかない、たけのこ専門家はこの「ほり」でいとも簡単に掘り起こす、形態は1mほどの木の柄にシラサギのくちばしのような形の金属が付いており先端はV字型で鋭い刃になっている、これで地下茎から たけのこを切断するのである。
 昨年この「ほり」を使いこなせるのは野本さんと松尾さんだけであった。しかし今年は窪田さんも高田さんも上手く使いこなしている、来年はもう2本購入したいものだ、そして杉○さんも橋○も・・・うまくなればなあ!!

 最近弥生ちゃんが10時過ぎから発送の手伝いに来てくれる、彼女が来ると場の雰囲気が和らぐ、先日も弥生ちゃんが階段を登ってくるのを見つけた杉谷さんが「あ、やよいちゃんダ」とつぶやくのを私は間違いなく聴いた。
全員「仙人」の域に達すにはまだまだのようである。

。。。。。。。。。。。。おねがい。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
まちこん竹林近郊の方で、使わない古いテーブル(足の高さ約70cm)をお持ちの方「寄付してくださいませんか」。掘ったたけのこの根や皮を切る作業用に1台はあるのですが、1m×1mほどの盤のテーブルがもう1台あればもっと作業が楽なのです。取りに行きますので連絡して下さい。
 連絡先 橋本 090−1965−1102 よろしくお願いします。

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「心の豊作」

 2004. 3.27 杉谷保憲

竹林日記「心の豊作」 2004.03.27.
参加者 杉谷、高田、野本、窪田、橋本。橋本夫人やよい、橋本弟。川路、鎌田、西村、尾崎。

快晴。
 今日は11名が竹林に散らばっている。タケノコ掘り戦線にも模様がある。あっちには収穫に笑いさんざめく数人。こっちにはプロ並みの技術で次々と掘り続ける姿。そのまた向こうにはタケノコの芽を探して、地面に目を凝らす人。細身の婦人が皆と離れてシコシコと掘っている。独りが好きだと彼女の背中が語っている。

 川路さんがタケノコを金網カゴいっぱいに入れて運んできた。農産物を抱く農婦の姿。いつでもどこでもこれは豊かな風景だ。
「そんな重いものをカヨワイ女性に持たせてはならぬ」
男の沽券にかかわるとばかりに、私は彼女からそのカゴを受け取った。ヨイショ。片手でカゴを持つ。重い。タケノコが2〜3本こぼれ落ちる。カゴを両手に持ち替えて、踏ん張る。それでも足元がふらつく。
高田さんが見下ろして言う。「イヤイヤ。杉谷さんより川路さんの方がたくましい。ハッハッ・・・」
川路さんも笑った。彼女の力のある笑声が私の背中を押してくれて、よろめきながら下って行く。

 橋本さんは皆が持ち込むタケノコを、美しく整形し、発送の荷造りをする。それをやよい夫人が手伝う。
「やよいちゃんは去年も手伝ったのかな?」
「ウウン 今年初めてよ」
「今年はどうして?」
やよいちゃんは亭主のそばで微笑むだけ。彼女は誘導尋問にひっかからず、ただひたすら亭主の手助けをしている。竹林の焚き火よりも熱いものが橋本夫妻に流れている。

 11名のほかの人びとはどうしているのかな?南井聖人は今日も四国の霊場だろうか、中村先生は「わが師の恩」の歌声に包まれているのだろうか。

 この一年、それぞれに働き、それぞれにこころを耕してきた。そして今、この平穏、この心のプロスペリティ(豊かさ)。もっとたくさんの人に来てもらいたい。傷ついた人にこそ貴重な場所だ。そして平和を崩してはならない。硝煙が上がるかの地にもこの安心を分けてあげたい。

 タケノコよ。豊作よ。心から感謝します。

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「はるの雨に いっぷく」

 2004. 3.30 橋本 敬良

 

竹林日記 「はるの雨に いっぷく」
2004年3月30日     くもり→あめ
参加者:野本・窪田・ちょっとだけ橋本・杉谷・川路・西村・原

 本日は火曜日の作業日、前日の天気予報では朝から雨とのことで作業責任者の野本さんから次の人に「作業明日は中止します」の連絡が廻っていた。作業に関する緊急連絡網が決めてあってそれに従って、次のメンバーに情報を伝達するようになっているが最終の人までうまく届かないないのがこの種の連絡網である。

 

 朝6時雨が降っていない。緊急の出荷が発生し杉谷さんから早朝掘りの要請が廻る、雨が降るまでに掘ろうと野本さんと窪田さんが朝7時過ぎから急きょ出動した、8時過ぎに橋本も現地へ軽トラに寄付していただいた作業用テーブルを積んで到着、すでに掘り出されたたけのこの外皮をめくり 根を切断し形を整えて杉谷さんに渡した。橋本はそれで帰ったが作業は雨が降り出した11時ごろまで続いたのだろう。

 晴耕雨読の生活が最近実感できる、まちこん竹林は傾斜地で雨や雪が降ると足元が不安定になるので作業が出来なくなる。そんな時は家に帰って普段手が付けられない講義用の資料を作ったり、原稿を書くようにしている。
何か損をしたような いや 得をしたような時間である。今日がそれだ!。1週間の予定が天候により変動するなんて思ってもいなかった、以前は。経済性を中心に置いた生活をしていた数年前とは、比べようが無いほどこころの平安、人生の喜びが私のまわりには「在る」。
 もう櫻が咲きはじめている、日曜日には仲間と恒例のお花見がある。この雨で筍 (いい漢字ですね、旬の草なんですね)も櫻もたっぷりと春の雨水を含みますます私たちに季節の喜びを与えてくれることだろう。
杉爺の言葉を借りよう・・・

自然の営みに こころより感謝します。

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・タケノコにも雌雄があるってほんとう

 2004. 4..1 高田 豊

2004. 4. 1  晴
出席者;  原、西村、高田、南井、野本、窪田、橋本

 「雨後のタケノコ」とのイディオムがある通り、昨日の雨のあと暖かくなったので、多くのタケノコが出ていることは十分予想された。はたして、発送担当の橋本さんが嬉しい悲鳴をあげるほど、過去最高の70kgの収穫であり、ゆうパックも16箱が発送できた。これで累計も優に320kgを突破した。あとの経理処理にも大変時間を取られ
る。というわけで、竹林日記が短いことの言い訳に。

 原さんが掘りながら、最近見た新聞記事の話をしている。タケノコにもオスとメスの性別があり、メスはふっくらとした形であり、先端の緑色が薄く色白だそうだ。なんだか、人間と同じようであり、オスが美しい鳥などの世界とは逆であるようだ。橋本さんが掘りあげたタケノコは、角度にして120度ほど腰を曲げ、頭を垂れ、お辞
儀をしているような可愛らしい形である。橋本さんは、これを「お雛様タケノコ」と名付けた。さて、タケノコのメスとオスのいづれが美味なのかなあ。  (高田記)

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「笑」

 2004. 4. 3 杉谷保憲

竹林日記 2004.04.03
参加者 杉谷、高田、野本、窪田、橋本。鎌田、尾崎、川路、西村、竹内、橋本やよい。

 豊作のせいか人柄のせいか、タケノコを掘る人たちにイライラしている表情はない。タケノコがどっさりとれているせいであろう、どの顔もふくよかである。笑いがある。

 古都・長岡京を掘っていたら排水溝が見つかったことがあった。1200年前のものである。排水溝には竹が使われていたが、これはマダケであったので、この時代にはモウソウチクはまだ日本に入っていなかったとみられている。
 長岡京の前の平城京では竹簡(ちくかん)がたくさん出土している。これには文字が書かれていた。紙が発明される前には、竹を割ってその内側が紙の役割をしていたのである。もちろん長岡京のお役所も竹簡に戸籍などを書いていただろう。

 古来、竹は生活用品(籠、箸、竿・・・)に使われたり、楽器(笛、笙・・・)に使われたり、果ては占いの道具(筮竹・・・)として役に立ったりした。こんな例は数限りがない。竹が文化を創ったといっても過言ではない。だから漢字にタケカンムリがついているものが多い。

 ところが不思議に思うことがある。「笑い」という漢字はなぜタケカンムリなの?笑うことと竹とはどんな関係があるの?竹林で笑っているあなた、その顔は竹とどんな縁があるの?
「夭」を若いと解釈すれば、「竹の下の若いもの」つまり筍を採ることは楽しいことと言う意味なのか?白川静の各種の辞書(漢字の成り立ちの辞典)を見れば判るかもしれない。そのためには図書館に行かなければならない。

 私も調べてみたいが今日は無理。図書館どころではない。なぜなら阪神タイガースが三連勝しそうなので、他のことには手がつかない。三連勝すれば「笑い」が止まらないのである。 (4月4日記)

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「われら若衆」

 2004. 4. 6 橋本 敬良

2004年4月6日 櫻満開の京
参加者:杉谷・高田・野本・窪田・南井夫妻・橋本弥生・川路・西村・鎌田・橋本

 南井さんのパートナーが1年ぶりにまちこん竹林に来られた。前半はたけのこ掘りに汗をかかれていたが途中で発送作業のお手伝いをお願いして最終弥生ちゃんと私3人で作業をおこなった。笑顔が素敵な自立された女性である。

 市民活動に参加する時 (ネンの為に述べておくが、長岡京市竹林友の会は市民団体で活動費もマンパワーも自前で調達し行政や団体・組織から一切援助を受けていない・・私はこのような形態の市民組織しか興味が無い)最近いろんな場で夫婦で参加されているのを見る。ふたりで一対と言うのではなく独立した個人として参加され、たまたま夫婦であると言う形態が多い。当然参加する意識や役割はそれぞれである。

 家庭活動以外で夫婦一緒というのは、まだまだこのクニでは少数だとは言うもののその割合はわたしの知る限り増加しつづけている。

 


 たけのこは今が最盛期と見る。作業を行う午前中で100Kgの収穫があった。朝竹林に来ると鉚ちゃんと窪っちゃんが30cmほどの竹棒に赤と白の旗をつけた目印を掘り出すたけのこの場所に立てる、白は親竹として残し、赤を掘る しかしたけのこは地中に在り地面の割れからたけのこの存在を見つける作業は熟練を要する。今日は赤旗がいっぱい立てられた、掘るのも大変だが皮をむき根を切り発送するのも思いのほか事前準備が必要な手がかかる作業である。

 ウグイスの鳴き声が上手くなった。これまでホーホケキョと鳴けなかった若衆がやっと上達した。この地にも案外早く「竹の秋」がくるかも知れない。
                                                                                          けいりょう 記

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「無題」

 2004. 4. 8 高田 豊

竹林日記 2004.4. 8
参加者: 南井、高田、野本、窪田、橋本夫妻、ゲスト: 酒井さん、田中さん

 昨夜の雨も明け方には上がって、朝から晴れたものの少し肌寒い。竹林近くの温度表示は9度を示している。
 今年初めての竹林のゲストは、橋本さんのビオトープ仲間の酒井さん。酒井さんは独力でタケノコを掘り始めたが、掘り上がったタケノコは根の部分が短い寸足らずのもの。1〜2年前までは皆そうであったように。
 今日は、発送分が少ないとのことで、11時には掘り方を止めたところに、2人目のゲストの田中さんが登場。田中さんは元まちこんのメンバーらしく、松尾さんや古澤さんの名前を懐かしく口にする。結局、お二人のゲストに10Kg以上お買い上げ頂き、タケノコが余らずに済んだ。
 堀上げ量の累計は、今日で600kgをオーバーした。過去のしっかりした統計はない が、おそらく、竹林整備を開始して以来、初めてのことであろう。
 日記を書いている今、TVでイラクで人質になった日本人3人のニュースを流している。在職時代に中近東に数度出張し、約束を全く守らないアラブ人に、腹を立てたことを、ほろ苦く思い起こす。これに較べて、竹林に来る人々の何と好人物であることか。   (高田記)

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「ホントデスカ」

2004. 4.10 杉谷保憲

 

  竹林日記「ホントデスカ」2004.04.10.
参加者 杉爺、高田、野本、窪田、橋本。鎌田、尾崎、川路、橋本弥生。ゲスト高橋夫妻、南井夫人。

 今日も晴天。造幣局(大阪市北区)の「通り抜け」が始まりました。120年前からある行事だそうですが、ここは桜シーズンのしんがりをつとめるので、桜花の見納めとして人々が押しかけます。しかしこんなに早くに桜が咲いてしまうのは初めてのことだそうです。

  われわれの「竹林」もタケノコの出るのが今年は早いですね。去年と比べると3週間も早いと感じます。そして数も多く、今日はタケノコを掘りきれませんでした。
しかしどこでもそうとは限りません。我が家は竹林に囲まれています。ここらは篤農家の手入れがされているもので、平地に広がる竹林です。陽がよく当たっています。しかしこれらの竹林では、タケノコはそれほど早いわけではありません。まだ最盛期に入っていないようです。
 3月の初めの頃だったと思いますが、「竹林」作業をしている時、野本さんが「どうして下段はこんなに早く

 

出るのでしょうね。その上、数が多いですよ」と白旗、赤旗を立てながらつぶやいています。
そのときは、今年は豊作だからと簡単に考えていましたが、先週から今週にかけて異常発生と言ってもいいほどです。野本さんは「このままではタケノコの芽がみんな緑になってしまうから、明日の日曜日も掘りに来る」と言い出しました。つまりタケノコの芽が黄色い状態のとき(太陽に当たる前)に堀り出さなければ美味しくないので、予定外だけれども明日(4月11日)も掘るというわけです。

 「竹林」の下段は北斜面です。太陽に当たる時間が短いからタケノコの生育は遅いと思われます。ところが今、起こっている現象は南斜面やフラットな竹林より、早く芽が出て、しかもたくさんあるのです。
さて、これをどう解釈したらよいのでしょうか?

 私が最初に思ったのは、肥料が多いのだろうという推理でした。タケノコづくりを業としている人たちは採算性を考えた上で肥料の量を決めているが、われわれはどんどん施肥をしている。そのせいではないのか。

 野本さんの出題についてまた考えました。北斜面は雨のあと水分を多量に、長く含むから、それがタケノコの生育によいのではなかろうかと。

 しかしいずれも思いつきの域を出ません。

 我が家で竹林を眺めながら、なぜだろうと話をしていたら、妻がこんなことを言い出しました。「TVの受け売りだけれども、桜の開花は舗装道路のそばが早い。道路に当たる太陽熱の反射が影響していると。」

 どうやらこれは正解に近いように思います。初めの二つも間違いではないにしても、下を走る舗装道路の反射熱が下段竹林を暖めるのでしょう。それがタケノコの豊作と、野本さんを日曜日に働かせる原因をつくっているようです。いや、ホントデスカネ?
                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・われらがSpirit

 2004. 4.13 橋本 敬良

竹林日記 「われらがSpirit」  2004年4月13日  あつい脱ごう。

参加者; 野本・窪田・南井しげこ・橋本弥生・橋本佳治・敬良
 ゲスト; 佳治の友人2名・林さん親子・バーバーPAPA三田さん

 杉爺はそうだろう。豊さんも多分。鉚ちゃんは間違いなく。窪っちゃんもいろいろ。南井さんは仙人仲間と。敬良は○。

 み〜んないつも、いろんな所でいろんな人に竹林の話をしている。いわんや今の時期・・・・話す事と言えば、たけのこの他に何がある?顔を真っ赤にし、相手の話しも聞かず、一気に炸裂する一方的トーク・・・政治の話のはずが気が付けばいつのまにか、た・け・の・こ。口説いているはずが気が付けばいつのまにか、た・け・の・こ。文句言いに行って・・・。 風呂に入って・・・。 阪神が勝てば・・・・。

 あ〜あ、この世に、たけのこが無かったらなあ〜   (け)

 最盛期を過ぎようとしている。小ぶりの形が良いものが少ない。1Kgから2Kgの大物が多い、しかし味が落ちると言うのでもない。発送の時、根を切りその部分を薄くスライスして食べてみた。以前のような強烈な渋みは無く、あまい。こんな贅沢なものが食べられるのはこの地ならではであろう。

 昨年1.5Kg物を4Kg詰めの中に入れ家庭用として発送したところ(念のためその時の時価1.5キロ物1本=3,500円)夜、自宅に電話が架かって来て「竹を送ってきた。怒っている。金は支払わない」と言われた、説明しても詭弁としか取られない。
仕方無しに「お金はいりません」と言って切った・・・悲しかった。

 私たちの活動は市民活動である、だからこそ商売以上に品質の安定や購入していただける仲間に信頼してもらわねばならない。手抜きや安易な妥協はしてはならない。理解していただけるよう誠意を持って竹林整備を実践して行こうと思う。
 北陸からも、目黒からも、温かい目が私たちに注がれている。感謝、かんしゃ、の毎日である。

  後日談がある。電話を架けてこられた方からの入金があった、電話を入れてみた。「食べてみたら美味しかったから・・・」この歳になって、久々に涙がうかんだ。
                                   橋本 敬良 記

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・たけのこ掘りの一日

 2004. 4.15 高田 豊

竹林日記「たけのこ掘りの一日」2004. 4.15 きわめて気持ちが良い、晴天。
参加者: 南井夫妻(朝のみ)、野本、窪田、高田

 朝、竹林に行ってみると南井夫妻、野本、窪田さんにより、10本あまりのタケノコが積みあがっていた。何でも7時半から掘りはじめたそうだ。橋本さんが休みで今日の出荷がないため、ゆったり掘り進める。しかし、良いタケノコは少ない。地中深いところから生えた、大きなものが大半で、10日前のように形が整った中振りのタケノコは稀である。他の竹林よりは早く、タケノコのシーズンが終
盤にさしかかったことを感じる。

 

 ここで、タケノコ掘りの一日の作業を振り返って記録に留
めておこう。火、木、土曜日の朝、おおむね9時頃までに都
合が付くメンバーが顔を揃えて作業を開始。窪田さん、野本
さんらは、タケノコの所在を赤いテープを巻いた竹片の旗を
立ててまわる。あとのメンバーは旗にしたがって掘りにかか
る。橋本さんは、掘りあがったタケノコの根を切り落とし、形
を整えると同時に、S、A〜Dのランクに分け、別々のかごに
分ける。発送の段取りをするのも橋本さん。段ボール箱を組
み立て、計量したタケノコを箱入れする。    休憩時間には、
メンバーが買い上げた分のタケノコ代の集金を会計担当の
高田が行う。不慣れなタスクなので家に帰って計算すると、
小銭の辻褄がなかなか合わずに往生する。大体、お金が不
足することが多いが、先日は珍しく、約2000円も余剰金が出
た。しかし、間もなく電話があり、ゆうパックの送料を支払う際
に、おつりを貰いすぎていたことが判明。ナアンダ。

 11時過ぎ頃までに間に合ったタケノコが発送用になる。向日町郵便局が、ゆうパックの集荷に来てくれる。多くの日は、安田さんがはかりとカゴを抱えて竹林に現れる。シーズンを通じて10万円前後しか発生しない送料なのに、他の宅配便は取り合ってくれないサービスぶりに感謝。送料が確定した時点で、請求書を段ボールに挟み込んで梱包。
 昼頃までに、作業を終え帰宅。橋本さんから、その日に発生した、請求額がメールで届く。高田の会計作業はこれからが本番。郵便局に行き、通帳に振り込まれた金額をしらべて、南井さんがExcelで作ってくれた現金出納帳、売上管理表に記帳。これらの帳簿は、タケノコの豊作を反映してか、すでに200行を突破、長いフンドシ状になっている。もうひとつの帳簿は出勤表。これは、働き具合を云々するものではなく、長岡天神駅までの旅費精算のためのもの。もう、そろそろプリントアウトしておこう。パソコンが壊れると、全くお手上げになってしまうから。  (高田記)

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「憤怒する地面」

 2004. 4.17 杉谷保憲

竹林日記「憤怒する地面」2004.04.17.快晴。
参加者 杉爺、高田、野本、窪田。川路、鎌田、尾崎。ゲスト 高橋3名、高橋1名。

 あるわ!あるわ!でてる!でてる!ワイドで竹林を見渡す。タケノコが無数の黒点になって、そばに白旗、赤旗が林立している。初めて見る風景だ。どこか異常な感じがする。その景色に圧されて、男性たちから声がつづく。
「今日は、女性軍は?」「来ないのだろうか?」
声には助けを求める悲鳴が含まれている。野本さんも窪田さんも高田さんも女性たちの姿が見えないので、不安に思っているのだ。今日は3〜4人程度の労働力ではとても太刀打ちできない。援軍がほしい。

 女性たちはいつも前晩までに参加人数をメールで知らせてくる。けれども昨夜はメールが来なかったので、杉爺は駅の出迎えをしなかった。出迎えの無い場合は彼女たちはバスで竹林に来る約束になっている。

9 時15分ごろ。高田さんが「来た。来た。来た。」と叫んでいる。女性たち3人が現われたのだ。いつも物静かな高田さんが声を上ずらせているのはめずらしい。それほど竹林の中が異常な景色である。掘っても掘っても黒点のタケノコの数が減らない。皆が下段で掘っているが11時になってもその作業が終らない。
「向こう(上段)は全然手がついていませんヨ」野本さんもいささか苛立っている。

 今年は豊作というが、これは豊作というより異常作だ。なにか恐ろしいような、不安のような・・・。

 杉爺の家の周りも竹林だが、こんな風景ではない。「よく出ますネ」と会話を交わすが、秩序のあるタケノコの出である。ところがわれわれの竹林におけるタケノコの出かたは数が多く、勢いがある。地面が憤怒しているように感じられる。

 この黒点たちは、来週は地上でいっせいに成長を始めるだろう。まさしくタケノコ軍団の襲来である。一体どう処理したらいいのだろうか。来週は戦いである。

                                                                                                                    from 杉谷 保憲

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「未来に向かって」

 2004. 4.20 橋本 敬良

竹林日記「未来に向かって」  2004・4・20  あさ雨が残っていました。

参加者;高田・野本・窪田・橋本

 『穀雨』 五穀の生育に欠かせない慈雨が降る頃。4月20日頃。昨日は雨だった、まちこん竹林へ出かける頃も小雨がけぶっていた。今日のたけのこは一雨で 1m伸びたような気がする、生命感が漲った季節ではあるが竹林の4健人には気ぜわしない昨今だ。

 掘り出すのではない「たたき切る」のである、あの愛しいたけのこの成長が早い物をツルハシやナタでバサッツ・バサッツと切る。京都の亀岡での鳥インフルエンザ疑惑の鶏の処理も、頭数が多いと普通の人間でも殺戮に無感覚になると府の職員が話していたのを思い出した。

 昔ベトナム 今イラク・・・。

 わたしたち長岡京市竹林友の会の活動の中で、一番華やかな時期が終焉を迎えようとしている。たけのこを手に多くの人の笑い声や歓声が竹林中を駆け回る春がもう過ぎようとしている・・・

 これからは身を屈め下草を刈ったり、不要の竹を伐採して焼却したり蚊や虫にまとわりつかれながら汗を流す夏になり、秋になり竹林中に肥料を撒き、藁を敷き、その上から土をかぶせる冬になる。

 わたしたちは笑いながら、こころに涙しながら一年を通して作業をする。語らなくとも通じるものが在る、いわんや語るをや。

 この地はいつまでも作業を続けられる地では無い、大型道路が開発の名のもと、まちこん竹林を寸断すると聞く。

 竹だけでなくこの地に住む虫や鳥や緑や風や人のこころまで開発優先のまちづくりによって跡形も無く整備される。

しかし わたしたちは 明日から工事が始まると聞いても、今日、竹たちに肥料を与え、施錠を確認して帰路につくだろう。それが わたしたちだ。                                    橋本 敬良 記

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・ああ、もったいない

 2004. 4.22 高田 豊

竹林日記「ああ、もったいない」2004. 4.22

参加者: 野本、南井夫妻、高田

 タケノコシーズンが終わったとして、本日から都合がつく人だけが参加することになった。もともと竹林作業自体が自由参加なので、いつもと変わりないのだが、それにしても人数が少なく、竹林の広さが寂しい。
 野本さんと南井さんご夫妻で残り少ないタケノコを掘り、高田が徒長したタケノコをツルハシを一閃させて切り倒す。50-60本は倒しただろうか。10日くらい前には、いずれも美味しいタケノコであっただろうに。もう少し掘り手があったならば、あわれなゴミにはならなかったであろうに。ああ、勿体ない。
 休憩時間に、昨夜の「ためしてガッテン」でやっていたタケノコの美味しい食べ方が話題になる。時間と日光の関数でタケノコの竹化が進み、ゆがくのは竹化を止めることになると。朝掘りと日覆を掛けることの理屈について、始めて合点が行く。
 チロシンには神経伝達物質であるドーパミンを増加する作用があることが、実験的に確かめられたそうだ。さしづめ、今年は近年になく、タケノコを多く食べたので、少しはボケずに済んだのかなぁ。竹林の仲間の中で、杉谷さんがタケノコ食い競争で間違いなく金メダルである。そうだとすると、時折、皆を楽しくさせた杉谷さんのユーモラスなボケ振りが、今年は無くなってしまうのかなぁ。

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・きぬぎぬの別れ

 2004. 4.24 杉谷保憲

竹林日記「きぬぎぬの別れ」2004.4.24.晴れ
参加者 杉爺、野本、橋本。
    鎌田、川路、尾崎、橋本弥生。 ゲスト 新井夫妻、伊藤一族郎党12名。

 野本さんが9時前に引揚げた。高田さん、窪田さんがお休みである。常連がいないので、それだけ淋しいと予想していた。けれども伊藤さん一族が現われると、子どもたちがタケノコに歓声をあげるので、竹林は満艦飾の雰囲気となる。新井さん夫婦のおしゃれな服装も、百姓姿を見慣れた眼には新鮮だ。
 タケノコは地中で相当に伸びているので、あの丸っこい形はもう無い。仔犬のよな姿が見られない。それでも初めてタケノコ掘りをする人たちは大満足のようだ。計量しながらキロ数に驚ろいたり、タケノコを抱えて、写真に収まる風景がほほえましい。

 11時、掘り方止め。農具の泥を竹箒で落としていると、これが今年のタケノコ掘り最後であることに何かしら感慨が起きる。私は土曜日しか出動できなかったが、今ここに居ない高田、野本、窪田さんたちは1年中竹林で働き、タケノコ堀りのシーズンには週3日の出動を続けた。最終日にたまたま一緒にできなった。

 今朝はよく晴れた。まばゆい陽光のなかを、橋本さんと私は1年の終了を宣言して別れた。
こんな朝の別れは何というのだろう。きぬぎぬの別れか? 五十数年前、高校の国語の時間に教わった「きぬぎぬの別れ」はどんなことだったのかな? 万葉の時代からわが国は「通い婚」であった。男は女のもとに行き、一夜をともにし、朝を迎えれば別れなければならない。それは辛さ・淋しさでもあり、また逢えるときまでのいとおしさでもあった。

 これから私たちはまた営々として竹林の世話を重ねて、来年の出会いを待つ。男と女との間の話ではないので「きぬぎぬの別れ」ほどピタっといかないが、それでも少しは似た情感がある。竹林に愛着が湧き、仔犬のようなタケノコが瞼に浮かぶのだ。私よりも今日来ていない3人の方がこんな感情は強いだろう。
婦人部隊も頑張りましたね。遠隔地をいとわず通っていただいたのも、タケノコの魅力でしょうね。
南井夫人、橋本夫人にも感謝します。お陰で労働が明るくなります。

 5月は作業を休みましょう。そして皆で慰労会をやり、そこで今後の進め方を協議しましょう。
2004年のタケノコさんたち、有難うございました。

                                                        from 杉谷 保憲

以下は、永田さん姉妹の当日の感想文です。

下)永田詩織ちゃんの感想文と絵

右)永田千沙さんの感想文と絵

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「一年を振りかえって」

 2004. 5.22 杉谷保憲

竹林日記「一年を振りかえって」2004.5.22
参加者 杉谷、高田、野本、窪田。(年齢順)

 今日は「作業初め」の日。タケノコシーズンが終って、しばらく作業を休み英気を養っての登場である。これから下草を刈り、肥料を撒き・・・。ところが野本、窪田たちはその間も休まずに“ご出勤”だったという。なんと仕事好きか。

 この一年を振りかえってみる。一口に言って「長岡京市竹林友の会」活動の一年であった。

 この二・三年、まちこんに新規入会者がなく、「まちこん竹林整備PJ」は労働力不足に陥り、土入れ作業は人件費を払ってやらなければならないところまで追い込まれた。

 しかし一昨年、苦悩の中から、まちこんと別の団体「長岡京市竹林友の会」をつくった。そこにボランティアたちが集まった。
 杉谷、高田、橋本たちはまちこんに籍を置いたが、野本は退会して、「友の会」に専念した。そしてこの会には南井、窪田、中村、川路、鎌田、尾崎、西村、原、漆谷などが続々と参加した。それによって竹林の作業は無事遂行できた。窮余の一策というべきか、見事な転進というべきか。

 ところがこうして振りかえってみると、「友の会」が主体で進行してきたので、今度は「まちこん竹林整備PJ」と「竹林友の会」との関係が不明確になっている。南井、窪田も“竹林作業はやりたいがまちこんには入らない”とはっきり言う。ほかの人たちはもちろんそうであろう。つまり「友の会」はまちこんとはっきり一線を画
した新団体である。
 それなら「まちこん竹林整備PJ」は実態は無いのか? 確かに現実の作業には全く関係が無くなっているが、しかし竹林を借りるなど生い立ちの面ではつながっている。

 竹林は間もなく高速道路用地として手放されることになろう。それがいつとは明言できないが、時間の問題である。そのとき、両者の関係は明確になるだろう。両者は並存しているか、両者とも消滅しているか。

 一年を振りかえると、今年はタケノコの大豊作であったが、その裏に、実はまちこんの根本問題がはっきり見てとれる。
                                                     from 杉谷 保憲