2005年の竹林友の会活動報告

 

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005.12. 24 「賀状制作」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005.12. 21 「年の暮れ」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005.12. 17 「忘年・忘却」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005.12. 10 「太陽の丘」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・  2005. 12.  3 「タケノコ作りの教材」

                                                                 付) 講演要旨 「素人が京タケノコ栽培にとりくんだ。が・・・」 

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005. 11. 30 「わが竹林はひろーい」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005. 11. 26 「農繁期」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005. 11. 23 「新嘗」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・    2005. 11. 19 「この世は捨てたものではない」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005. 11. 12 「鳥インフルエンザ」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005. 10. 22 竹林は乱雑か整然か

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005. 10. 16 「眼鏡の行方―番外編」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005. 10. 15 「眼鏡の行方」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005. 10. 8  「雨は流れ去るだけ」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005. 10. 1  「軍歌 戦友」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005. 9. 24  「お詫びに長文を」

                                                               付) かぐや姫誕生異聞  

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・   2005. 9. 17  「日記の書き忘れ

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・  2005. 9. 10   「汗が噴き出す日」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 9.  3   「竹林整備研修

           ■ $$$竹林日記$$ ・・・  2005. 8 .27 チェンソー」

           ■ 杉爺の竹林日記  ・・・  2005. 7 .30   「契約

         ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 7. 23  「ありがとう、藤下さん U」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 7.  9   「さよなら南井さん」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 6.  26  「平成17年度総会」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 6.  25   「お礼肥え」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・  2005. 6.  18 「モンブラン」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 5.  28 「びわとハチク」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 5.  21 「宝くじ」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 5.  7  「この一年」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 4. 30  「有難う、藤下さん」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 4. 23  「44キロ」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 4. 16  「ゴーデンウィークは?」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 4. 13   「巨人軍ベンチ」 

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・  2005. 4. 9   「やっとこの日が来たが・・・」

           ■ $$$竹林日記$$ ・・・  2005. 4. 6    「初焼タケノコ」

           ■ $$$竹林日記$$ ・・・  2005. 4. 2    春はお寝坊

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 3. 26   「春まだ浅き」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 3. 19   「対決

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 3. 12   「安眠枕」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 3.  5   「ピントが確かめられない」

          ■ 杉爺の竹林日記 ・・・  2005. 2. 26  「粉雪の中の5人」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 2. 12 「斑竹を切る」 

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 2.  5   「大詰め」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 1. 29 「女学生の手」

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・  2005. 1. 22  「喜悲こもごも

           ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2005. 1. 19  「物置が二つに」

      ■ 杉爺の竹林日記 ・・・  2005. 1. 15 「ガラクタ資産家」

             杉爺の竹林日記 ・・・  2005. 1.  8   15円か45円 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「賀状制作」

 2005.12. 24 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「賀状制作」2005・12・24(土)曇りときどき小雪

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田。

      一昨日22日朝の吹雪はすごかった。凍りついた坂道で滑り転んだ。怪我はしなかった。まだ若さが残っていると思う反面、実は危なかったと意識した。命を落としていても不思議ではなかった。

   バスは定刻過ぎても来ない。仕方なく横殴りの吹雪をまともに受けて歩き始める。
一面真っ白な長岡公園の広場に二人の人影。
ひとりは犬を遊ばせている。投げられたボールを犬が追いかける。ほのぼのとした風景だ。
もうひとりはカメラを肩にかけた人。木々が雪をかぶっている風景をじっと見ている。

    カメラマンさん、こんな写真をつくってもらえないか。

        生死みな ひとりで向かふ 冬木立       倉橋 羊村

    この数年、私の年賀状は竹についての文と写真である。
今年も一週間前に竹林に入って写真を撮った。それを並べて考えるが、うまく構成できない。結局、二枚を合成することにした。モデルは荒木さんと窪田さん、遠景に野本さん。
やっとそこまではこぎつけたが、プリントがうまくいかない。途中でインクが消えたり、色が変わったりするのだ。パソコン技術が無いのが悔しい。こんな状態なので、予定枚数を刷れないかもしれない。
もしお届けできないときはお許しのほどを。

    今日は今年最後の作業日。粉雪がちらついた。ホワイトクリスマスというのか。
冬至が過ぎたので、これから日一日と昼が長くなる。そう思うと、先が明るい感じになる。

      今年の春は不作で辛い思いをした。しかしそれにもめげず、一年よく働いた。私たちには、来春タケノコが元気よく出てきてくれるのが一番の願いだ。
それぞれに、過ぎ行く年にいろんな思いがあるだろう。

    今晩も冷えてきた。
どうぞいいお年を。そして元気でまた会えますように。
                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「年の暮れ」

 2005.12. 21 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「年の暮れ」2005・12・21(水)曇り、無風。

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田。

      「ご無礼しました。」
「よく呑みましたねえ。」
お互いに頭をかきながら、お早うございますの次にはこんな言葉が並ぶ。17日(土)の忘年会の有様を念頭にした挨拶である。

      家に帰ったら、領収書が2枚出てきたという窪田さんの話、眼鏡は内ポケットに入っていたという杉谷の話など、いずれも紛失騒ぎをした失敗の後日談である。

    今日は枯れ竹の焼却のため、焚き火が二つできた。
上の方で焚き火をしている高田さんを、遠く下の方から眺めていると、その姿は大きな炎につつまれたり、炎の中から黒く浮かび上がったりする。
赤と黒。絵画のテーマになりそうに思う。

   バンブーベンチでは野本さんが根詰めて竹細工をしている。のこぎり、ナタ、ナイフを巧みに使う。竹のお猪口や竹の料理皿ができる。休憩時間になると山部さんも参加してつくる。ご両人とも器用だ。
結局20個のお猪口が出来た。野本さんは一体どこへ運び込むのか?出来上がりをまとめて足取りも軽く去っていった。

    年の暮れに、仕事帰りの商人が風呂敷包みを脇に、小料理屋に小走りに向かう、江戸・明治の風景を見るようだ。

     埋火(うづみび)のごとき憶ひ(おもい)も年の夜       伊藤 雪女
                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 後刻、橋本敬良さんよりメールで

      青竹の背中まるめて火をつなぐ                    凡

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「忘年・忘却」

 2005.12. 17 杉谷保憲

 

 

竹林日記「忘年・忘却」2005・12・17(土)晴れ

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。鎌田、川路、尾崎、原。

    雪情報もあったが、晴天の下に今年の土入れ作業は終了した。ユンボで掘り起こした山が5つあったが全部消えた。竹林が柔らかい土に覆われて、暖かい風景に変わった。

    早く終わったので、女性陣は「おばんざい由紀」での宴会準備にはいる。すべてがとんとんと運び、13時から忘年会の予定であったが集合も早い。宴会に気合が入っている。

     いや、もう楽しげである。湯気の上がる鍋、多種のおでん、酒もバライエティがある。最長老山部さんは席を動こうともせず、手製の青竹のぐい飲みチョコをひたすら傾けている。

     ヘビースモーカーの高田さんはバーカウンターの端に移動して、紫煙をあげている。来年は煙と共に税金も上がるという。

 

 

 

 

 

 
    あとの8人はあっちに動いたり、こっちに来たり、それぞれが談論風発している。缶ビールと自然薯を持ち込んだ野本さん、孫と住む家をつくると楽しげに語る荒木さん。やかましいので、女性たちが何をしゃべっているのか聞こえない。

       隣にいた川路さんが小生の携帯電話と眼鏡をまとめて、テーブルの一隅に置いてくれている。冷静なんだ。「帰るまでは、私がちゃんと観ておきますからね。」

       お開きの時間。支払いとなって窪田さんがべそをかいている。集めたお金が無くなったと言う。持参の袋をひっくり返すが見当たらないようだ。他の人も探すのを手伝う。どこにも移動していないので、探しようが無い。およそ15分後、やっと発見した。支払いを済ますと彼の表情に明るさが戻ってきた。ところが今度はさっき貰ったばかりの領収書が無いと言い出す。もう酔っ払ってしまって前後不覚だ。

     小生も足元が危ない。タクシーを呼んでもらった。
家に帰ると受験生が泊まりに来ている。一緒に食事をしようとするが、もうなにもうけつけない。では夕刊を。    
あれ?眼鏡が無い。携帯電話は持って帰っているのに???。

     アワテテ「おばんざい」に電話する。
「見当たりませんよ。明日は営業しますからまたどうぞ。」
記憶を呼び戻そう。アッ!川路さんはいつ帰ったのだろう?
眼鏡を持って帰ったのだろうか?まさか。
窪田さんは失せ物が見つかってよかったね。

   来週の水・土は都合のつく人が集りましょう。伐採です。

来年は1月21日(土)が仕事始めです。
f                                                                                                                         rom 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「太陽の丘」

 2005.12. 10 杉谷保憲

 

 

竹林日記「太陽の丘」2005・12・10(土)晴れ

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。鎌田、川路、尾崎、濱村。

   土入れが随分はかどった。水曜日に“乙女の丘”の土入れが終わっている。ここは土を運び上げる作業だから大変だったと思う。今日、土曜日は、少し残っていた“中央”が終了し、“東の丘”が半分ほどできた。

      ユンボで掘り出した土量は足りないと私は思ったが、ユンボの多貝さんの目はさすがである。竹林の広さと土は結果的に適量のようだ。

    今日はいつもと違うことが二つあった。
一つはホカホカの松阪牛饅頭が差し入れられたこと、これは大阪の岸本千枝子さんから、竹林の皆さんへ送られたもので、岸本さんは松阪牛肉まんを流行らせたいと考えている。感謝。
もう一つは橋本氏が顔を出してくれたことである。久しぶりだなあ。
というわけで休憩時間はリッチな気分。

   南側の竹林から木漏れ日が差し込んでくるロマンスベンチで、山部長老と荒木若年寄が話している。
「お稲荷さんを中心にライトアップすれば観光地になりますね。」
「竹林の周りを竹垣で囲むといいな。」
お腹が満ちていると夢っぽい。

   「あの南側の竹の伐採はうまく計画しなければならんな。」
「もっと太陽光が入るようにですね。」
「伐採一年目はタケノコが出ないとすれば、思い切って空間をつくるか。」
「あっち側は太陽光がほしい場所。そうだ。太陽の丘という名前はどうでしょう。」
こうして南側の丘陵は荒木若年寄の発想により「太陽の丘」となった。

  この竹林4000uは、西側は「乙女の丘」と南側は「太陽の丘」と名前がついた。残るは中央の平原と東側の丘の命名である。中央は竹林作業の発祥の地であり、東側は稲荷社に近いし、ツィンビル(2つの物置)の本部機能がある。
いい名前をつけてください。

  杉谷は昨夜も生涯学習推進委員会に出席しました。
5小校区の生涯学習「タケノコ掘り・料理に集い」は1月に希望者を募り、2,3月に整備作業に参加して、4月のタケノコ掘りと料理教室(婦人会館)を企画しています。長岡京市竹林友の会は協賛と指導です。
                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「タケノコ作りの教材」

 2005.12. 3 杉谷保憲

 

 竹林日記「タケノコ作りの教材」2005・12・03(土)晴れ

参加者 山部、杉谷、高田、窪田、荒木。川路、鎌田、尾崎。

    今日は野本さんの欠席。なにか珍しい出来事のような感じがする。

  昨夜、第五小学校校区の生涯学習推進委員会が開かれた。地元の名産、京タケノコの栽培学習をしたいとのことで、杉谷が説明役を求められて出席した。竹林友の会は生涯学習の教材になるかどうか、3名の委員が参加し、可能性を検討したいと結論がでた。
その3名、佐藤明氏、梅野真正氏、小倉佐助氏が参加された。山部さんの指導下で、南部丘陵の伐採作業をされた。


 
    レギュラーメンバーから野本さんが不在、その代わりに3名の新入りだから、差し引き2名が増えているだけなのに、なんとなく大人数で働いている気分である。

作業は乙女の丘の土入れが4分の1、中央が3分の2のできである。南丘陵の伐採がどれほど進んだのか、目視では分かりにくい。

   タケノコの子どもが盛んに発見される。ランランラン・・・。

忘年会 12月17日13時から  おばんざい由紀  会費500円

 


← この日見つけたタケノコの子ども


 

10月に、大阪の産業関係者の会SAMでタケノコ作りについて講演した。その要旨が届いた。いささか面映い箇所もあるが、SAM会報用の原稿を転載しておく。タケノコ作りの教材・ガイドにもなろう

SAM大阪10月例会記録

日時:2005年10月11日(火)13:10−15:30
場所:堂島新藤田ビル14F産能大セミナールーム

タイトル「素人が京タケノコ栽培にとりくんだ。が・・・」

講師:(財)近畿警察官友の会 専務理事
        長岡京市竹林友の会 会長           杉谷 保憲 氏

T・挨拶 椋田支部長

  杉谷さんは現役時代には読売TVで「11PM」や「鳥人間コンテスト」など高視聴率番組の初代プロデューサーとして知られています。あるいは海外特別番組も制作してこられた。アメリカ、ソ連(当時)での仕事も面白いが、中国の文化財に強く、兵馬俑の番組や兵馬俑の大阪城での展覧会開催も手がけられました。特に、日本軍が改ざんしたと疑われた好太王碑を、中国政府・人民解放軍・考古学会を説得し、初めて映像にしたことは、東アジア歴史学会や古代史ファンを驚かせるホームランでした。後年は長崎国際テレビを立ち上げ、専務取締役をされました。

   さるところでお近づきになり、これまでのTVの裏話を話していただけないかとお願いしたら、「TVのことも面白いですが、退職後、長岡京市でタケノコ作りにいそしんでいるので、その方の話が・・・」というわけで来ていただいた。ご自分では素人だと言われるが、実にタケノコに詳しいので驚いている。ご清聴ください。

     なお今後の予定として、11月は桜井会員の紹介で、陶磁器に関するお話を聞くことになっている。12月は忘年会シーズンなので、自由な会合をと思っています。

   また7月の大森氏および9月の国吉先生の講話については、前者は中国への長期出張、後者は原稿はできているがこれから添削に出すところなので、今日はお渡しできません。

では杉谷先生どうぞよろしく。


U・講演要旨

   農業の経験もない素人がタケノコづくりを始め、5年も取り組んでいます。そのことを通して今日的な問題に触れたいと思います。

    私はTVの世界にいましたので大阪が仕事場となり、府下や、のちには出向先の長崎市に住んでいました。
退職するにあたって、関西で“終の棲家(ついのすみか)”をつくろうとあちこち探しました。偶然、長岡京市で竹林に夕日が当たっている情景に出会い、衝動的に決めました。住んでみると、竹林の隣接地というのは、美しい風景ではありますが、蚊がすさまじいしヤモリはいるしゲジゲジはでるは・・・田舎が色濃く、野生的な面もあります。

   長岡京市はタケノコの名産地です。ここでできるタケノコは京タケノコといい、特別視されています。
毎日が日曜日ですから、来る日も来る日もタケノコづくりの農作業を見ていました。そして自分もやりたくなりました。まずタケノコ畑を借りることですが、これは先祖伝来のものであり素人の参入はできません。では、ボランティアで参加したいといっても、地元の地主さんや有力者は、転入してきた新市民は栽培技術も無いし、タケノコ畑を荒らすことになると思っています。農地は農家でなければ取得できません。また、一般に“在所(ざいしょ)の者”という言葉が生きていて、やんわり新市民と区別されています。

     その一方で、農家では若い人がサラリーマンとして都市へ出て、家には高齢者と子どもがいるだけです。京タケノコづくりは、米づくりと違って機械化ができません。そのため大変な労力が必要で、しかも竹林つまりタケノコ畑は一年中手入れが必要です。少子・高齢化の家族構成では米作りはもちろんですが、タケノコづくりもその労働量をこなすことは到底できません。

   京タケノコはそのように人手がかかっているものですから、高価にならざるをえません。しかし市場にはもっと暖かい地方、たとえば四国、九州のものが早くでます。ところが、これらも最近は苦戦しています。なぜなら中国から輸入されるタケノコが安価で、しかも一年中出回っていますので。

   味や安全性や鮮度を別にして、値段だけみれば市場では京タケノコはまったく太刀打ちできません。けれども輸入物は生産の場でどんな肥料が使われているか、運送にどんな防腐剤がかけられているか、消費者は見ることができませんから、値段だけで判断するのは危険を感じます。
味については後ほど説明します。

    その結果、京タケノコは市場性を失い、タケノコづくりは衰退しつつあります。タケノコ専業農家は乙訓全体で一、二軒になったとも聞きました。

    竹林に手入れができず放置状態になりますと、竹は密生し、2年も経てば、昼なお暗い竹やぶとなってしまいます。ここから生態系の問題が生じます。密生した竹は地下茎を横に延ばしていきます。その力は強く、隣接地に生えている松や椎などの樹木を根から枯らしてしまいます。スギやヒノキは人間のために植えられたもの、つまり植林されていますが、これらを枯らすので林業を圧迫します。

   竹はほかの植物と違って3ヶ月で高さ5〜8メートルに成長し、森林に竹が侵食すると、竹は覆いかぶさり樹木は日陰になり、生育が止まり、どちらにしてもやがて木々は枯れていきます。

   繁殖力が強いので、竹の侵食の懸念のあるときは早く竹林整備をしなければなりません。
天王山という有名な山がJRや阪急の京阪間にあります。かつては麓にタケノコ畑がありました。それが先ほどの事情で放置されました。今、天王山の麓から山頂まで3分の2は籔になって、竹に覆われてしまいました。ボランティアが入って懸命に伐採作業に取り組んでいますが、なかなか追いつきません。

   さて京タケノコのつくり方に移りましょう。それは京都式軟化栽培法と呼ばれています。
    タケノコは春のものです。タケノコを掘り出した跡に肥料を入れます。油粕で、これをお礼肥えと呼んで、2回または3回やる施肥の第1回目です。

   地上に出たタケノコは親竹として残すもの以外は伐採します。親竹は来年のタケノコのためのものです。竹は空洞なので、伐採は簡単そうにみえますが、竹は背が高く、上空で枝がほかの竹と交錯していて倒すのは容易ではありません。伐採は竹林の中を人が両手を広げて歩いても指が届かない間隔で行います。そのぐらいの間隔がないと、太陽光がタケノコの出る地面に届かないからです。

    タケノコが3,4メートルに伸びたところで、下から幹をゆすります。すると先端が折れて落ちてきます。これを芯止めといい、こうすると竹は上に伸びず、地下茎にエネルギーが回るそうです。京都のタケノコ畑は竹の長さが4,5メートルで止まっている一見奇妙な光景ですが、これが本式のところと見てよいでしょう。

下草とりは夏の仕事です。

さて重労働の秋です・

     タケノコは生長しても、1年目はタケノコを生みません。2年目からタケノコを出し、そして7年目でタケノコを生まなくなります。したがって7年経った竹を切ります。そしてまた肥料を撒きます。伐採と施肥は秋の仕事です。
晩秋になると田んぼで藁ができますので、タケノコ畑一面に藁を敷き詰めます。

   そして藁の上に土をかぶせます。土を掘り起こし一輪車で運ぶのですが、これが重労働です。
藁については、農家には前々から約束があって、この田んぼの藁はあちらの竹林へ運ぶと決まっています。私たちボランティアの新市民は藁を手に入れるのは容易ではありません。藁がないので韓国から輸入するのですが、今年は鳥インフルエンザの恐れで、輸入禁止になりました。結局、牧草を買いました。

   こうした土壌作りを5年繰り返すと1人前のタケノコ畑になるといわれます。この土壌は藁と土が交互に積まれていますから、フワフワの軟らかいものです。

   春、4月後半から5月のゴールデンウィークにかけて、いよいよタケノコが出ます。
京タケノコとは地上に頭を出す前、つまり地中にある状態で掘り出すものをいいます。土壌が軟らかいので、タケノコが頭を出す前には割れ目ができます。あるいは足の裏に当たる感覚があります。それをホリと呼ばれる鍬(大きな鎌の形です)で、地中から掘り出しますが、熟練の要る技です。

     この作業は早朝、つまり太陽が出る前にするのがいいとされ、朝掘りといいます。大切なことは、タケノコを直射日光に当てないことです。タケノコは太陽光に当たると皮がこげ茶色になり、身は黄色みを帯びています。しかし地中にあるときは、皮は薄茶色で肉は白い状態です。これが大地のエネルギーを吸収して、甘味があり柔らかいもの、つまり京タケノコです。

   タケノコの一番美味しい料理法は、この地中の状態のときに、周りの土を除けて、そこに炭を入れ、焼くことだと地元の青年が教えてくれました。これは“地獄焼き”というのだそうですが、焼いた跡にはもうタケノコが生えることは無いそうです。こんな残酷なことをしなくても、掘り出して、ホイールで巻いて、焼いて食べるもの美味しいものです。サシミにしてワサビ醤油で食べるのも薄い甘味があって、歯触りもいいと思います。エグミもありませんから、糠も要らないわけです。もっともこんな料理ができるのは、掘り出してから一日、二日の間でしょうから、現地がやりやすいでしょう。

   タケノコはモウソウチクが美味いかハチク(淡竹)が美味いか、好みもありますからなんとも言えません。

  京タケノコは伝統技術の上に成り立っています。このつくりかたは四国でも九州でも学習されたが定着したところがあるのかどうか。難しいようです。

   ここにのみ残っているので、この技術を絶やしては困る、われわれが継承していかなければならないとのボランティアの声は、多く人の協力をえて、市の農業委員会などを動かしました。

   竹林を借りるのもいろいろ問題があります。農政や税制のことがあり、この間の紆余曲折は省きます。結果、私たちは現在4反(4000平方メートル)を市民農園のよう形で借りています。市としても竹林をボランティアに斡旋するのは始めてのことで、私たちが放置竹林の整備や伝統技術の継承、あるいは水資源の涵養に成果をあげるのかどうか注目しています。

  「竹取物語」のかぐや姫は3ヶ月で成長します。竹は3ヶ月で成長してしまいますから、作者(不詳)は竹の性質をよく知っていることを示しています。竹が光っていたので切ってみたら、かぐや姫が居たと誰でも覚えていると思います。事実、竹は光ることも考えられます。竹にはチロシンというたんぱく質が含まれているので、チロシンが光を出します。その実験もありますし、タケノコが光っている写真を掲載している学術論文もあります。ただし、このかぐや姫の場合、チロシンによって光ったかどうかは解りません。
<翁(おきな)が竹を切ったら中からかぐや姫がでてきた>とは皆さんが絵本の知識によっているだけで、「切った」とは書かれていません。

    「竹取物語」を改めて読んでみますと、かぐや姫は月から地球に流刑されています。その贖罪がなって月の世界に帰っていきます。かぐや姫は月でどんな罪を犯したのでしょうか?

     もう一つの問題。月の住人であった人が地球で生まれ変わり、かぐや姫になります。つまり輪廻転生です。チベットにはダライラマという生まれ変わる仕組みがありますが、日本ではどうでしょう?
そんなわけで「竹取物語」はまだなぞの多い古典です。

     私たちボランティア・グループは放置竹林の整備に努め、居住環境をよくしようと努力していました。それは結果としてタケノコ作りにもなりました。
ところが最近になって、新聞で小さな記事に目がとまりました。それは<竹林が拡大するのは竹林放置のせいもあろうが、地球温暖化がもたらしているものである>というものです。それまで竹林の繁殖は労働力不足の結果だと思い込んで、われわれ高齢者の力を合わせればいくらかは改善できると、竹林整備に取り組んできました。ところが、実はもっと大きい問題だというのです。

   考えてみると、日本のモウソウチクは江戸時代に中国から輸入されたのが始まりです。モウソウチクは原産地が亜熱帯・熱帯とされています。温帯でこれまで静かにして生きてきたものが、温暖化の影響をうけて“本家帰り”をしたのでしょうか。モウソウチクが活発に活動し始めたのです。

     またモウソウチクの北限は岩手県・秋田県あるいは青森県といわれています。が、もう北海道でも生育しているかもしれません。調べる必要があります。

     あまりの問題の大きさに呆然としています。もしそうであれば、小手先の対策では解決できません。“ボランティアの志”程度ではとても及びません。

   私は山陰で生まれ育ちました。子どものころは積雪もありました。竹の繁殖など誰も言いませんでした。ところが今は、雪もほとんど降りません。そして行政は竹の伐採のために予算を組む始末です。西日本では同様な県が多いと思います。

    そもそも「温暖化」とは当たり障りがない言葉ですね。ぬくぬくとして悪くない印象を受けます。この表現では危機の認識が高まりません。地球温暖化ではなく、「地球高温化」と言い代えるべきだという人もいます。

    私たちにとって趣味・楽しみごとで終わるべきタケノコづくりは、伝統技術の継承どころではなく、
<子孫にどんな地球環境を残すか>という現代の先鋭な問題と変ってしまいました。一介の市井の人がいまや地球の未来を考えざるを得ないように思われます。これは単にタケノコのことではなく、人間と自然の関わり合いのあらゆる場面に現れてくる大問題でしょう。

この猛威を前に、立ちすくんでいるというのが正直なところです。


V・自由討論


D:タケノコに栄養はあるのか?

杉:私たちが戦後に習った教科書には、タケノコは食物繊維ばかりで栄養はないと書かれ、また食物繊維は体に何の役にも立たないとされていた。しかし現代の食品科学では栄養も豊富とされ、なお繊維は体内で消化されず、排泄されるので、同時に老廃物も出してくれ、有用なものとされている。

便通がよくなると同時に美肌効果も指摘される。

しかし精力も強いようだ。食べ過ぎると顔にブツブツができる。中国の昔話にこんなのがある。杖をついた老人たちが竹林に集まってタケノコを食べた。その帰り道、彼らは杖を忘れて帰宅した。


D:竹林は地震に強いか?

杉:京都大学防災研究所の河田恵昭教授によると、竹の生育には水が必要で、竹の生えているところに
  は水があり、それは地下水脈を断層が切っているので、地上に池などができているという。地震が
  おこる可能性のある地盤なのだろう。

  地震が起こったときには竹やぶに逃げ込めと子どものころに教わったが、本当かどうか知らない。
  地下茎は10センチか15センチか下を横に這っている。いくらか地盤の強化に役立っているのだ
  ろうが、それにしても?

  また西日本には天王山のほかにも竹やぶに覆われた山は多い。竹は根(地下茎)が浅いので、大雨
  のときに地すべりを起こす危険性があると思う。いずれも専門家の意見を求められたい。


E:私は農機具メーカーに勤務していたが、森林問題には関心をもっていた。使ったものの後始末をし
  ないことが、今日の環境問題を引き起こすことにもなっている。

A:アメリカの環境対策には不明瞭な点が多い。

E:男山八幡宮には竹やぶが多い。北側の石清水八幡宮にはエジソンが使った電球のフィラメントがあ る。

杉:男山は竹やぶであったが、その南一帯が宅地開発された。これと洛西ニュータウンでの開発によっ
  て、京都府下の竹やぶは大変減少した。

  またこのあたりは三川合流といって、木津川、宇治川、桂川が一つになって淀川になる。三つの川
  の水温の差によって霧がよく発生したが、近頃は温暖化の影響か霧が出なくなった。


C:先刻、青竹の使い道が無いと聞いたが、建築方面ではあるように思うが?

B:子どものころには竹馬とかいろいろと竹を使った遊具があったが・・・

杉:竹を建築現場で見かけるのは東南アジアに多い。日本はかつてそんな使い方があったが、今は足場
  は鉄パイプになっている。子どもたちの遊び道具も多種多様になり、竹馬も竹とんぼも見かけるこ
  とは少ない。竹を必ず使うのは茶道の世界ぐらいか。青竹を砕いて肥料にするなどの試みは行われ
  ているが。


F:高級タケノコは一般市民の食卓には上がらないのか?

杉:初物の京タケノコが出荷されると一般のもの(10,20センチ地上にでたもの)より4、5倍ぐ
  らい値段が高い。だからどうしても営業用になる。しかし時期を少しずらせば、安くなって町でも
  「朝掘りタケノコ」を売っている。

  その際にも店頭で、折角の朝掘りタケノコが陽光に当たっているようでは何にもならない。なにか
  で覆いをしているような店を見つけてください。


C:竹の花を知っておられるか?

杉:去年京都で咲いたとかと聞いたが・・・。60年に一度咲くとか、花が咲いたら竹が枯れるとか言
  われるが、花は見に行ったが、そのために枯れたという竹を見たことは無い。ほんとうかどうか知
  らない。


F:お話の中にかぐや姫がでてきたが、講師の造詣の深さには感心した。「竹取物語」の研究も面白い
  のではないかと思いつつ聞いた。

杉:中国の長江沿岸のチベット族居住地に「斑竹姑娘(クーニャン)」という「竹取物語」とよく似た
  口承文芸があるという。かぐや姫は求婚する男性たちに難問を出し、それに回答できないと結婚な
  いという。結局誰とも結婚しなかった。チベット族の話はこれと同じだそうだ。

  これについては「竹取物語」はもともとそのあたりにあった話が日本に入ってきたという説もある
  が、いやあれは戦時中に日本兵が現地人に教えたのだ、その証拠にはそこだけで周辺にはそんな話
  がまったく無いという説とか。今後の研究が待たれる。


A:貴重なお話をありがとうございました。こちらの演題のつけ方がかるかったためか、今日は少人数
  の会になり、先生には申し訳ありませんでした。

  これで本日の会は終わります。

                                                                                                                         from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「わが竹林はひろーい」

 2005. 11. 30  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「わが竹林はひろーい」2005・11・30(水)晴れ

参加者 杉谷、高田、野本、窪田、荒木。

  朝8時45分に到着。一番早いだろうと思ったが、既に4人は作業に入っていた。
土を運ぶのは重労働である。10時には既に2回目の休憩となった。作業中は口もきけないから、反面、休憩時間は話題が豊富になる。笑いさんざめくが、荒木さんは最も若いせいか、話の内容に気おされている。

  中央平原の土入れは4分の1が終わったところだが、傾斜地の厄介なところは片付いた。
畳の移動作業、乙女の丘への道が急坂だったので、これの勾配を緩やかにする作業などどれも少しずつ前進した。
  それにしても、広いなあ。この面積(4000平方メートル)は今年の仕事としては手に余るかもね。
稲荷社の紅葉が少し色づいた。もみじの紅と鳥居の紅とのまじわりは土曜日が楽しみである。

  忘年会について、男性陣は12月17日(土)の昼を希望しているが、女性陣はどんな都合だろう?

                                                       from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「農繁期」

 2005. 11. 26  杉谷保憲

 

竹林日記「農繁期」2005.11.26(土)晴れ

参加者 山部、杉谷、高田、野本、荒木。鎌田、安田。

     光明寺では昨夜からライトアップで紅葉を見せている。その観光のために今日は、バス、自家用車、人で道が混んでいる。われわれの竹林の長法稲荷はまだ紅葉しない。近いところなのになぜ紅葉の時期に差ができるのだろう?

    竹林には土の小山が五つできている。そのうちの二つが乙女の丘にある。今日はその一つが姿を消した。土の量から見れば五分の一進んだわけだが、広さから見れば全体の十分の一に土が盛られた感じである。
女性二人は甲斐甲斐しく、一輪車を操る。山部さんは相変わらず単独の作業を好み、傾斜地に土を入れる。力強い姿、とても最高齢とは見えない。
肥料散布も同時進行。野本さんは土入れ作業中に油粕を買いに走る。

    東の丘では、畳の解体作業がはじまった。畳は埃の発生源、高田さんは白くなってしまった。
今日は解体をやめて、来週、マスクを掛けて作業しましょうよと奨めるが、高田さんは

     「いやぁ、埃もインフルエンザ菌も私の肺に入れば、強烈なニコチンにやられてしまいますよ。エッヘヘヘ。」と動じない。誇り高き男だ。

   その隣で、荒木さんが持参のお茶でウガイをしている。まるであてつけているように、喉を大きく鳴らしている。ガラガラガラ・・・。
われわれの農繁期だ。
                                                                                                                         from 杉谷 保憲

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「新嘗」

 2005. 11. 23  杉谷保憲

 

竹林日記「新嘗」2005・11・23(水)祝日 快晴

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。

      この数日、青空が広がっていたが、風は冷たかった。そのため急に紅葉が色づいたといわれた。
今日は蒼天。

      まだ伐採ができていない南側の籔は曇りの日は暗い。そこに日光が通る。それほど晴れている。風はなく気温も高い。紅葉の行楽には絶好であろう。
そのなかで6人は牧草撒きを完了させ、施肥(卵)をし、土入れを少し行なった。

     休憩時、高田さんが先週、大山(だいせん)、蒜山(ひるぜん)に登って、天候と苦闘した話をした。
「帰り道、山陰から山陽へ、バスがトンネルをひとつ抜けるごとに天気がよくなりますね。あの天候のなかで、杉谷さんはいつまで暮らしていたのですか?」
「生まれて以後高校卒業まで。弁当を忘れても傘を忘れるなといわれていました。」
「湯原温泉(岡山県)は露天風呂でした。入ってきました。」

   このテーマが火をつけた。温泉学の薀蓄を傾けるのは、野本さんと荒木さん。湯治場には脱衣場はないとか、炊事場での自炊生活とか。
やがて当然のように話題は露天風呂から混浴へ。

     山陰、あの冬が寒かった土地、私が幼い頃は雪も多かった。今はほとんど雪が積もることはないという。
11月23日といえば新嘗祭(にいなめさい)という名の祭日であった。この日、天皇がその年にとれた新米を食べる日であった。実際は山陰でも10月中旬には米を収穫していたので、新米は新嘗祭よりもっと早い時期に食卓にでた。それは水分の多い、豊かな味があった。しかし天皇陛下より早く新米を口にするのはなんとなくはばかれた雰囲気もあった。

      戦後は新嘗祭が勤労感謝の日と装いを変えたので、新米に感謝するという思いはなくなり、今は労働から離れて行楽に出る日という感じがする。
この日は持っていた「農」や「食」の臭いが消えてしまった。

    その山陰地方が竹に悩むことなど考えられなかったが、今はモウソウ竹が異常繁殖している。
地球温暖化である。
                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「この世は捨てたものではない」

 2005. 11. 19  杉谷保憲

 

竹林日記「この世は捨てたものではない」2005・11・19(土)曇り

参加者 山部、杉谷、野本、窪田。安田。

    今日は5人、やや淋しい日。牧草は撒き終わり、枯れ竹の焼却も進んだ。
作業日が雨にならなければいいが、11月、12月は天候が不安定だから安心はできない。

   この1年半、竹林友の会にとっては変化に富んだ時間であった。奥海印寺の竹林を4年かけて整備し、やっと一人前のタケノコ畑になったと思っていたが、高速道建設用地になったので立ち退かざるを得なかった。その場所を、先日、野本さん、窪田さんは見てきたそうだ。既に1年半の放置で暗い藪になってしまっているという。

   去年の春は、次に活動できる放置竹林を求めて、交渉に走り回った。市農業委員会(木村委員長)の尽力でようやく8月に2反の籔が借りられた。駐車ができ、水道がある場所は極めて少ない。ボランティア活動に資するのは長岡京市としては初めての試みである。
そして1年後の今年8月には、農政課藤下さんの斡旋が効を奏して、もう2反を借りられた。われわれ友の会にとっては適正な広さとなったと思う。所有者には感謝したい。

    しかし今春のタケノコの不作はこたえた。整備の初年度はタケノコが生えないといわれて覚悟はしていたものの、これほど徹底して収穫がないのには音を上げた。この畑のタケノコを食べたのは荒木さん(新入生歓迎のしるしで)だけといってもよいだろう。

   もう一つ、不作によって困り果てたのは懐ろに寒風が吹いたことである。スッカンピン。ところが、ある晩、市の企画で杉谷が講演し、そのときにお金に困窮していると話したら、市役所の人たちが助成金の申請を奨めてくれた。皆で書類をつくった。市役所の人たちが親身になってくれたお陰で、お金がいただけた。とりあえず助かった。(しかしまだ足りない。)
 
     京都新聞がコラムを提供してくれた。なんでもよいから随想を、と言われたが竹林に特化して駄文を書いている。これはPRになるようだ。市長が2度会ってくれて、その上、西山森林整備推進協議会のメンバーにしてくれた。この会議では、竹林友の会の活動はしばしば注目される。

    新しい長法稲荷の竹林にはロッカー2個、スコップ、鍬、ノコギリ、消火道具など揃ってきた。ようやく順風が吹くかと思ったが、11月初旬になってワラが入手不能とわかった。これを聞いた安田由紀子さんの活動が始まる。ワラはありませんか?と農作業をしている人に聞きまわったという話には頭が下がった。結果は今秋の間には合わなかったが、来年から複数のルートに依頼することによって齟齬が起こらないようにできる。難題のワラにめどがつきそうだ。

   今日、第五小学校校区の生涯学習委員会の役員(市会議員)から作業応援の申し入れがあった。生涯学習委員は杉谷もやったことがあって、親しい人ばかりだ。12月2日夜に打ち合わせをしてみる。生涯学習という労働力によって、友の会の人手不足を解消できるかもしれない。

    この1年半、たくさんの方々のお力添えによって、竹林友の会は山道・坂道を乗り越えてきた。なんとか生きのびてきた。ありがたいことだ。この世は捨てたものではないとつくづく思う。
                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「鳥インフルエンザ」

 2005. 11. 12  杉谷保憲

 

竹林日記「鳥インフルエンザ」2005.11.12(土)曇り

参加者 山部、杉谷、野本、窪田、荒木。鎌田、川路、尾崎、原、安田。

    枯れ竹の伐採が相当進んでいる。けれども11月いっぱいでも終了しないかもしれない。それほどに枯れ竹が多い。そのあとに青竹の伐採をしなければならないから、放置竹林の大まかな整備だけでも大変なことだ。

    今日はユンボが入った。予定日より一週間おくれである。(農協民営化論も生まれる。)2時間半の作業で、土の山が五つできた。

    今年はワラの手当てがうまくいかなかった。韓国からの輸入品でもよいからワラがほしいと言ったが、ワラは鳥インフルエンザの危険が考えられるので、目下、輸入は止められているという。結局、代替のもの(草)を農協(経済連)に依頼している。

    来年はワラの手当てを小野さんだけでなく複数にしなければならないと痛感する。
                                                                                                                        from 杉谷 保憲

                              ユンボの作業の様子 ( 動画 : 3.19MB )

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・竹林は乱雑か整然か

 2005. 10. 22  杉谷保憲

 

竹林日記「竹林は乱雑か整然か」2005・10・22(土)曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。鎌田、川路。

  今日も伐採と枯れ竹の焼却。去年と比べても遅れ気味の作業なので皆、黙々と籔に取り組んでいる。これだけ荒れていると、整備もそう簡単ではない。

   竹林といえば嵯峨野周辺の、整然と竹が立ち並ぶ様に美を感じる人が多いと思う。あの景色は凛として、人の精神に訴えかける何ものかがある。

   
西山一体のタケノコ畑もワラが敷き詰められ、竹林の見通しが広がると、  箱庭の手触りを感じ、絵心が湧く。

  
けれどもモウソウ竹の原産地、東南アジアでの風景は今、私たちが格闘している竹薮と同じである。籔というものは乱雑極まりないものだ。タイ国のチェンライに象の調教を撮影したことがあった。その道すがらに竹薮を見たという記憶がある。青竹が密生し、枯れ竹が思い思いの方角に倒れている。壮絶な乱雑さであった。

   
何気なくこれも自然だと見過ごしたが、今、私たちは30年放置されていた籔を人工美に作り変えようとしているのである。タケノコも竹の美も人工なのだ。

  
いやいや、それどころではない。竹に感じるものは土地土地の人々によって(民族によって)イメージはちがうのである。

  
休憩時には日本シリーズ<ロッテ対タイガース>が話題。しかし初戦はタイガースの不利が取りざたされている。どう展開するか?

昨年同様、11月、12月は週2回(水、土)に拡大して作業の促進を図ることにする。またユンボを土曜日に来てもらうよう農協に依頼した。

  
午後、市役所の藤下さんと亀岡の「バンブーフエスチバル2005」に行った。竹製品の展示、竹楽器の演奏、竹をめぐる問題のシンポジュームがあった。主催者の狙いが総花的で、竹の問題に切実さが感じられなく、焦点がぼやけていた。
                                                                   
from 杉谷 保憲

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「眼鏡の行方―番外編」

 2005. 10. 16  杉谷保憲

 

竹林日記「眼鏡の行方―番外編」2005.10.16(日)晴れ

     昨日の午前、竹林で作業中に眼鏡を紛失した。午後、少し雨が小降りになったところをねらって、野本さんの応援をうけて探しに行った。しかし見つからなかった。

昨日の竹林日記の顛末を記しておこう。

    今朝は妻の出動である。竹林に入ると、妻は竹林整備が進んでいることをほめて、やおら昨日の作業、枯れ竹の伐採場所に立った。
そして10秒・・・「あったよ。」と冷静な一声である。

     どうやら汗をぬぐうために、眼鏡をはずして切り株におき、そのまま掛けなかったようである。眼鏡は切り株から地面に落ちていた。昨日は雨で地面は暗く、発見できなかった。
「今後は眼鏡に紐をつけましょう。ウチはお金がありませんから(また買うには)・・・」と一言。

      去年の同じ事件についての竹林日記はタイトルを「執念」とつけた。妻が眼鏡を探し当てるまで30分はかかったと記憶している。今年はまるで探し物に霊感が働くように思える。
あっという間に発見された。

       35年ぐらい昔の仕事話だが、世界中からナマ放送でのワイドショウ企画を練っていたことがあった。時の上司から、世界中のTV局の中継放送能力を調べ、かつ日本人向きネタを探すよう指令を受けた。ネタ探しの一つに超能力者を見つけ出すことがあった。当時ユリ・ゲラーが有名であったから、彼を凌ぐ人を探し当てたかった。

   ロンドン(イギリス)でネラさんというお婆さんの家に行ったときは驚かされた。彼女が差し示してくれた名刺は警視庁の刑事二人のものだった。  東芝3億円事件の捜査が難航している時期に訪ねてきたとネラさんは言った。

     アムステルダム(オランダ)でも超能力者を探した。田舎に大変有名な老人がいるというので面会に行くことにした。田舎駅で通訳の人が待っていてくれる約束だ。汽車で3時間あまりかかる。車内放送があるのだけれども、オランダ語だけだから何を放送しているか全くわからない。駅名も判断できない。車窓から見えるのは雪しぐれだけ、心細いのなんの。
なんとか件の老人の家にたどりついた。ところが彼の家は電話が休みなしに鳴る。通訳さんが、老人にかかる電話の応答を解説してくれる。
「昨夜から娘が帰宅していない。どこにいるのか?」
「今、家にむかって歩いている。あまりガミガミ言わない方がいい。」

次またベルが鳴る。
「今朝から眼鏡がない。どこに置いただろうか?」
「○○部屋のタンスの上にあるよ。よく見なさい。」

ともあれ、
私の眼鏡も発見されました。
お騒がせしました。
                                                                                                                         from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「眼鏡の行方」

 2005. 10. 15  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「眼鏡の行方」2005.10.15(土)雨

参加者 杉谷、高田、野本、荒木。鎌田、川路、原。

      先週の土曜は雨が降ったり止んだりであったが、今日は神通力も通じず、止むことはなかった。そんな中、7人がずぶぬれになって作業をした。他の竹林はワラ敷きが終わっている。それに比べると私たちは随分遅れているが、新しい整備作業なのでやむをえない。
雨は強くなりそうで、11時には終了した。

       帰り際に眼鏡をかけていない自分に気が付いた。眼鏡をはずして汗をぬぐって、そのままどこかに忘れたらしい。けれども雨脚も強く、地面がすべるので、とりあえず探すのは諦めて帰宅した。
午後1時、雨が止んだ。野本さんの助けをえて、再び竹林に入った。心当たりを探すが、眼鏡は発見できなかった。

     あれはいつのことだったか?竹林友の会のホームページを開いてみる。あった。
去年の9月25日の竹林日記に、竹林のなかで眼鏡を紛失し、その日の午後に探しに出かけて、ついに発見した記事がある。(高田さんのホームページ作成のおかげでこんなときに助かる。)

    丁度1年後に同じことをやっているのだ。老化は佳境に入っている。
そして去年は発見できたが、今年は目下わからない。実は昨夜はおバンザイ由紀で飲んで、カウンターの目の前に置いた携帯電話を忘れて帰宅している。つまり老化は確実に進行しているのだろう。

眼鏡といい携帯電話といい身近のものである。そんなものの行方が判らなくなるとは!
                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「雨は流れ去るだけ」

 2005. 10. 8  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「雨は流れ去るだけ」2005・10・08(土)雨

参加者 杉谷、高田、野本、荒木。

    今日の雨は前々から予報されていた。朝、Eメールを開いてみると川路さんから、「今日は雨のためお休み」とある。相談ではなく連絡・宣言である。
「竹あそび」が順延されるぐらいだから、この小雨は昼にはもっときつくなるかもしれない。
7時半、野本さんに「どうです。今日は?(無理かなァという意味をこめて)」と電話した。「燃やすのにいい天候ですね・・・」との返事。この人も仕事中毒だ。続いて高田さん、荒木さんに連絡すると、雨なにするものぞという感じの応答である。
 
       小降りの雨の中だが古竹はよく燃える。炎が高く上がる。ちょっと危ないなと思うとき、雨が強くなり、うまく炎を抑えてくれる。また燃やしたいなと思うときに、雨は小降りになる。こんなことが2,3度繰り返された。まるで今年、タイガースの試合がうまく運んだ様子と似ている。(焚き火をタイガースはなんの関係も無い!窪田さんは阪神百貨店まで“優勝記念の焼酎”を買いに行ったそうだ。ついでに阪神××の株を買い占めたら?)

     こんな竹薮のなかにも市会議員選挙の声が届く。絶叫調の声が・・・。今日が最後なのだ。

     山のなかで、焚き火用にもう一つ穴を掘っていた野本さんが、皆に声をかけた。誘われて見に上がる。
野本さんは籔に空間をつくり、土を掘っている。ところが濡れた腐葉土(落ち葉)をとり除くと、その下の土はまるで乾いている。3日前に雨が降ったにもかかわらず土に濡れた痕跡はない。つまり雨は落ち葉の上をすべり流れてしまっている。
これでは地下に水が行かないし、地下水ができない。放置竹林では地下水が涵養されないという話は真実だ。

    ついでに記しておきたい。
西山森林整備構想(案)ができた。竹林部会は議論百出したが、市側がまとめた案文は私の主張がほぼその通りに採用されている。この地の常識だから当然であるが。(肥培という言葉は初めてだ。



美しく趣き深い西山の竹林を保全育成する計画」(案)

    西山の竹林産業は、長岡京市の伝統産業であり誇りうる地場産業です。孟宗畑では、
京都式軟化栽培法による肥培管理が行われ、京のブランド野菜の一つである京タケノコ
が 生産されてきました。また、日本建築に使われるちく竹材の生産も伝統技術を継承し
つつ 行われてきました。
 
   しかし生活様式の変化等にともない、あるいは後継者不足に陥り、一部の地域では竹林
が放置され荒廃化が進みだしています。この放置竹林を市民ボランティアの力を借りて
伐採します。

   この事業は、西山の保水力を高め、可能な区域では京都式軟化栽培法を継承発展させ
 ます。さらに竹産業の発展および美林としての景観を復活させることにもなります。

   除間伐や竹材の利活用をどのようにするかは、多くの方途が提案され、研究中ですが、西山の竹林整備を推進するにふさわしい方途、装置づくりをいたします。                                                                        
以上

                                                           
杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「軍歌 戦友」

 2005. 10. 1  杉谷保憲

 

 

竹林日記「軍歌 戦友」2005・10・01(土)晴れ

参加者 杉谷、高田。安田。

   明日は特に予定はないという晩はゆっくりとお酒を友にする。月もススキも眺めなかったけれども、昔をそぞろ思っていた。

    日露戦争の時に作られた「戦友」は14番まで全部かつては宙に歌えた。あのなかに「しっかりせよと抱き起こし、仮包帯も弾のなか」という一節があった。あれは軍律違反であったそうだ。戦友といえども負傷兵にかかわっていてはいけないと定められていたそうだ。

     「戦友」は軍歌の部類になかにいれられている。けれども反戦歌といえないにしても厭戦歌であろう。
全歌詞を思い出してみようと鼻歌でツカエツカエながら家路をたどった。
家では高田さんから電話があったという。また10時ごろ電話がくるとのこと。

    8番の「時計ばかりがコチコチと 動いているのも情けなや」のところは大声で、そして14番まで完唱したところに電話がきた。

    「タイガースの祝勝会でしたか?(鼻歌の余韻がわかるのだろうか?)
あのう、明日、竹林作業はお休みの予定になっていますが、体がナマリますので働きたいのですが・・・」
「ははっー」
「どうですか、ふたりで。」
(ご機嫌がよくなっている。軍歌のせいだ。)
「じゃあ、やりましょうか。」

    朝、山部さんに電話して誘ったが、今日はほかに予定を入れたという返事。ほんとに二人で作業を始めた。そこへ安田由紀子さんが来た。都合三人の戦友が働いた。暑いので蚊が多い。蚊取り線香は一本だけ残って いた。それが燃えつくした11時頃仕事を終えた。

                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「お詫びに長文を」

 2005. 9. 24  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「お詫びに長文を」2005・09・24(土)晴れ、   風強し。
参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。(青島)

  子どもの頃、夏休みの日記を書き忘れ、あとでまとめて書いたものだった。この竹林日記もどういうわけか17日分を書き忘れ、24日にみなさんに指摘された。日記開始以来、初めてのことである。お詫びに2回分まとめて長い長い文となった。
     なお24日には広島大学の4年生 青島さんが論文作成のために体験学習をした。

                                                from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  かぐや姫誕生異聞                                                                                                                                                    杉谷保憲

<竹は光ったか?>

     長年手入れがされていない竹林は竹が密生してしまって、それを整備するのはまず間伐から始めなければならない。伸びた竹と竹は上空で互いに小枝がからみあっているので、根元を切っても上の枝を離すのは容易なことではない。それに竹は空洞なのに、古いモウソウ竹は肉が厚くて、見た目より重い。伐採後を観察していると、二三日後に白い液をふきだしている切り株がある。すべての切り株に出るわけではない。若い竹のほうが出やすいという説もある。この白い液はチロシンというたんぱく質の一種、タケノコを切り開くと白い粉末があるが、これと同じものだ。このチロシンが発光することは一部の人には知られている。

      竹取の翁(おきな)が光っている竹を見つけて、そこにかぐや姫を発見したのだが、あれはチロシンの発光だろうか?白く固まって蝋状になったチロシンを持ち帰って発光を待つ。農芸化学の先生に教えを乞う。夏、暗い場所にナマ魚を置いておくと光ることがあるが、それもチロシンが原因だとのこと。しかし化学実験は素人にはさっぱりである。

     文献を探すことにする。浜松医科大の桜井孝司先生の業績にもあるようだが、分かりやすかったのは『ケミルミネッセンス』大澤善次郎著だった。大澤先生は群馬大学名誉教授で高分子科学が専攻である。   この本はチロシンが微弱な光を発する仕組みを解いて、なんとタケノコが発光している写真を掲載している。

     ふーむ。翁が光を見たとすれば、それは薄ぼんやりした光だから、識別できたのは闇夜であるはず。それも夏か暖かい季節であろう。


<翁は竹を切ったのか?>

      そして翁はその光る竹を切った・・・そこにかぐや姫が・・・。
国文学者の声。「待ってくれ。竹取物語を丁寧に読んでくれ。翁は竹を切ってはいないぞ。光っているところに近づいてみたら竹筒の中にかぐや姫が居たとしか言えないよ。」あわてて竹取物語を取り出して読む。その通り、切ったとは書かれていない。念のため川端康成訳の「竹取物語」も点検する。やはり切ったとは翻訳していない。

     あれッ?切っていない?待てよ。チロシンは竹を切らないと出ない。その竹には傷があったのだろうか?それとも切らなくても発光するのだろうか?

     竹を切ったらその中に赤ちゃんを発見!―私の知識は絵本から得たものだ。今度は図書館に走って絵本を見る。二点あったがいずれも竹の切り株が光り輝いて、その上に赤ちゃんが描かれている。

      その竹とはどんな竹だろう?モウソウ竹なら、その中に嬰児が入る大きさもありうるかもしれない。しかし「竹取物語」が書かれた平安時代にはモウソウチクはまだ日本に輸入されていないはず。   そうであれば日本古来のマダケだろうか?

      かぐや姫誕生の一コマだけでも空想が楽しい。モウソウ竹林の妄想だろう。


<高齢出産だったのか?>

    戦後すぐの教科書には、タケノコは繊維質のみで栄養価はないとあったと私には記憶がある。しかし現在の食品栄養学では栄養価が高いと評価されている。変わらないのは、食物繊維が多く便秘を解消すること、これはタケノコを食べた人は誰でも体験していることで、タケノコ食品は美肌効果が期待でき、精が強い。食べ過ぎるとニキビができたりするのはそのせいであろう。

       笑い話だが、杖をついた老人たちが集まって竹薮でタケノコを食べたが、その帰り道に彼らは杖を忘れて歩いていたという。それほど旬のタケノコは元気の素である。

       さて、かぐや姫はどんな誕生をしたのか。

   竹取物語の翁(おきな)夫婦は竹籠をつくることを職としていた貧乏人であった。タケノコをよく食べる環境だったので、精力は満足すべき状態であったろう。平安時代には高齢出産は大変恥ずかしいことであった。この夫婦は高齢になってようやく子どもを授かったが、世間体をはばかって赤ちゃんを竹薮に置いた。そして後に、思い直してまた引き取ったのだろう。

    この空想はいくらなんでも無理というもんだ。


<私は誰ですか?>

      赤ちゃんは高貴なお方の血をひく娘であった。しかし隠さなければならない事情があった。そのやんごとなきお方は子に恵まれない翁夫婦に言い含め、竹薮に赤ちゃんを置き、見つけやすいように灯りを目印にした。高貴な方は赤ちゃんが引き取られたことを確認して、数日後に竹薮にたっぷりお金を置いた。やはり目印は灯りである。そのお金をもらって、翁夫婦はかぐや姫の養育に何の心配もなかった。それどころか大富豪になったのである。

        この推理が現実的に思える。

      竹取物語によれば、爺はかぐや姫に,貴女は神か仏の生まれ変わりだと直接に言う。また求婚する身分の高い5人の青年たちに対しても,かぐや姫は自分の娘ではないから皆さんの要望には応えられないと説明する。

      私はTV局で残留孤児のドキュメンタリー番組を作ったことがある。日本が敗戦したとき、中国東北部では日本人集団が日本に向かって逃避行をする。母たちは乳飲み子を抱いて歩くが、やがて力尽きてわが子を中国人に預ける。孤児は成長して、自分は日本人であると育ての親から聞くのだが、もはや生みの親の名前もわからず、もちろん自分の誕生日もわからない。

     かぐや姫は悩む。自分の出生は秘密にされている。一体、私は誰ですか?

     美貌も智脳も財産もこの辛酸を解決してはくれない。

      かぐや姫の身の上を日本人孤児と重ねて、私は落涙した。しかし涙が乾いてみると、なにか違う。しっくりしない。かぐや姫は自分が月から来た者であることを知っていたのだ。だから男たちの求婚には応じなかったし、帝(みかど)の求愛も断っているのだ。


<かぐや姫の前世>

     月世界の使者が翁と媼(おうな)と会う。使者は二人に対して、かぐや姫と素直に別れてくれと説得する。そのときのセリフをまとめればこんな風だ。

       「かぐや姫は月世界で罪を犯したので、地球に降ろし竹薮に潜ませた。いろいろ考えたが、善良なのに貧しい翁の暮らしが良くなるようにと彼女を差し向けた。翁は裕福になり、昔と様変わりしている。月日が経ちかぐや姫は罪の償いも終った。だから迎にきた・・・」

     かぐや姫は前世でどんな罪を犯したのだろうか?彼女が地球上でおこなったことは二つだけだ。一つ目は翁の家を大金持ちにしたこと、二つ目は言い寄る男どもを寄せ付けなかったことだ。これで償いができたのであれば、かぐや姫は月世界での行為は金の不始末か、色欲に溺れたのか?

     伐採作業の休憩時間。

「かぐや姫誕生について、竹取物語に即して読めばこうなる・・・」
「それでは人間世界と同じことだ。姫のイメージが壊れてしまう。ああ嫌だイヤだ。」

     男たちは肩を落として竹薮に入っていった。竹を切る作業を続けるために。

                                                                                                                           from 杉谷 保憲

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「日記の書き忘れ」

 2005. 9. 17  杉谷保憲

 

 

竹林日記「日記の書き忘れ」2005・09・17(土)晴れ
参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。川路、尾崎、原、濱村、安田。

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「汗が噴き出す日」

 2005. 9. 10  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「汗が噴き出す日」2005.09.10(土)晴れのち曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。鎌田、川路、尾崎、安田。

     朝から蒸し暑い。それも並みの蒸し暑さではない。坂を少し登るだけで汗がふき上がる。
台風が去り、秋晴れになると期待していたが、爽やかさは全く無い。
とんでもない日だ。

    それにしてはみんな元気、阪神タイガースの話題に夢中だ。
とりわけ窪田さんはこのチームに詳しい。

    尾崎さんは試合の放送はTVとラジオの両方で対応するという。3日前の対中日戦、延長で阪神が勝った試合はもう一度TV・ラジオを見聞きしたい、あのチーフコーチ退場劇は岡田監督をかばった行為だと解説されて、私もなるほどと思った。

    荒木さんもラジオ派のようだ。ラジオを聴く方が興奮すると実体験を披露する。
高田さんは巨人が今年は弱いので、今はTVも視ないという。視聴率が落ちるのは止むをえない、と冷静だ。
高田さんを除いて他の人は阪神ファンだから、星野SDが巨人に移る話には否定的だが、杉谷だけは星野氏の巨人入りに賛成である。巨人がもっと強くないと、読売系の会社の視聴率が落ちて、後輩たちが四苦八苦しているのが辛い。

    阪神問題ではないが、山部さんの剛毅なことがわかったし、野本さんが毒舌家であることもわかった。わかった理由には触れないで置こう。今日は竹林日記に向かっていて、ワードの打ち直しがつづく。こころの動揺。

    人生にはいろいろなことが起こる。みんな楽しげに別れたあとに、パトカーの姿がみえた。
ほんとに汗が噴き出す日だ。
                                                                                                                           from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「竹林整備研修」

 2005. 9. 3  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「竹林整備研修」2005・09・03(土)晴れ、蒸し暑い

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。鎌田、川路、原、安田。
    西山森林整備推進協議会から5名。京都新聞栗山記者。

    西山森林整備推進協議会には里山部会、竹林部会、環境教育部会と基盤整備部会がある。  そのなかの竹林部会の面々が研修に来た。論客型や黙々型がそれぞれに枯れ竹の伐採に参加してくれた。 この研修の経験を市内の放置竹林の整備に生かしていこうという狙いだ。

 

 

 

 

 

 

 

    しかし解決すべき問題は多い。
放置竹林といっても地目が山林になっているものもあれば畑もある。

貸し出してよい竹林 (納税をしているかなど) がどこにあるか?
あったとしても車が入れるか?水の便はどうか?

地主の管理下にあるべきか?ボランティアが自主的に作業できるのか?

ボランティアは果たして集るのか?

サントリーの助成金を利用する企画だから、水資源の保全が目的になる。タケノコ栽培をしたいボランティアたちはどうするだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

       竹林友の会とは性格が異なるし、われわれのこの場所は特別に好条件が整っているので、ここでの研修がどの 程度西山森林整備協議会の役に立つか、 一考を要するであろう。

   9月に入って最初の集り。
新しく購入した(21万円分)備品の紹介、財務の 事情(ワラ代が足りない)を話し合ったり、昔の窯を見たり多事であった。

    9月26日(月)に藤下さんの籔で、新しい竹炭窯のデモンストレーションがあります。詳細は藤下さんまで。

                                             from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・チェンソー

 2005. 8. 27 高田 豊

竹林日記「チェンソー」 05.08.27(土)曇り

参加者 山路、野本、窪田、荒木、高田

今日はお盆休み明けの初日とて、参加メンバーは少な目。
水基金の交付金で購入した農機具類を野本さんが荷解きする。中でも目立つのが小型チェンソー。  早速ガソリンを注入し、野本さんが近くにある竹で試運転する。そこそこの太さの竹であったが、30秒経つか否かの間に切り終える。さすが文明の利器だ。
 続いて荒木さんも手馴れた手つきで、切断に挑む。

暑さと蚊に悩まされながらも、作業は上段の枯れ竹切り。切っても切っても、まだまだ次の枯れ竹といったところであるが、上段の密集した竹々の間から、少しづつ空が望めるようになってきたようだ。


 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「契約」

 2005. 7.  30 杉谷保憲

竹林日記「契約」  2005・07・30(土) 曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。

    窪田さんが久しぶりに姿を見せた。まだ痛々しい歩き方であるが、それでも伐採作業に入る。今日は枯れ竹を切り出す。これまでもやっている作業だが、新しく契約ができたから、なんとなく胸を張って入る感じだ。蒸し暑いので水分の補給が頻繁に必要なことから、休憩が多い。 冗談も活発に飛ぶ。

    「60を過ぎると直りが遅いですわ」
「そんなことをいったらワシャ働けんことになるはずやが・・・」
二人の年齢差は10歳ある。(参加者名表記は年齢順)

    その間に、地主さんに納金し、8月1日付けで向う1年の契約書を交わしてきた。これまでの貯金通帳は850円の残高を引き出して廃止し、新しくつくる予定。

    なんとなく常識的にもっていたイメージが書物によって覆された。――樹木は幹が太いと葉をたくさんつけるが、竹は稈(かん・幹にあたる)が太いと、小枝や葉が幹の太さとの割合では少なくなる。稈の太い竹がいいタケノコを生むわけではない。――中肉・中背がよいということか。なるほど。

    8月の作業日程27日(土)から始まります。女性軍と杉谷は9月から参加します。

                                                                                                                            from 杉谷 保憲

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「ありがとう、藤下さん U」

 2005. 7.  23 杉谷保憲

 

 

竹林日記「ありがとう、藤下さん U」2005.07・23(土)晴れ

参加者 山路、杉谷、高田、野本、濱村。

    作業は下草刈りと枯れ竹の処理。そこへ予告なしに、市役所の藤下さんが現れた。「竹林の残り半分を借りることに地主さんの許可がでました。」という。予想もしなかった話である。

    「オオーイ、みんな集ってください。」私の声に皆がのそのそと山から下りてきた。
藤下さんは交渉の経過を丁寧に説明してくれた。みんなの顔に笑みが浮かぶ。藤下さんは「これで杉谷さんに 叱られなくて済みます。」と結んだ。

    実は7月7日、市の水資源保全の会合が終わるときに、私は同席の藤下さんに、竹林の残り半分の借用に ついて再度交渉をお願いしておいた。これについては地主さんの説得が必要で、私ではどうにもならないので、藤下さんに前から依頼してあった。しかしこんなに早く事が運ぶとは夢にも思わなかった。

    藤下さん、貴方とは去年の今頃からつきあいが始まった。奥海印寺の竹林を返し、われわれ ボランティア・  グループは次の竹林探しに思案投げ首をしていた。そのとき貴方は市農業委員会の意向を踏まえ農政課として積極姿勢に転じて、放置竹林の斡旋に努力してくれた。

    構想の半分の面積ではあったが借りられた。竹林作業を再開して1年が経過し、われわれの作業も地元の 方々から評価をえ、市側にも認められてきた。そして構想どおりの面積(現在の2倍)を地主さんがついに許可してくれた。

    長岡京市竹林友の会活動のきっかけからここまで藤下さんの陰からの支えは大きい。
そしてまた、今年4月30日、引きこもりの青年たちが、タケノコ掘りに来た。われわれの竹林は整備初年であり、なおかつ不作の年と重なり、タケノコは採れなかった。それを見ていた藤下さんは、自分の竹林のタケノコを掘らせてくれた。引きこもりの人たちも満足して帰っていった。

     その日、私は竹林日記に「ありがとう、藤下さん」を書いた。度重なるご好意に今日は「そのU」を書いたが 全く感謝に堪えない。

    来週7月30日(土)の作業。面積の拡大にともない、道具の購入や8月の休日決定の立案を野本さんにお願いします。窪田さん、足の怪我を早く治してください。そして借用料の支払いなどお金の手当てをお願いします。

                                                                                                                            from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「さよなら南井さん」

 2005. 7.  9 杉谷保憲

 

 

竹林日記「さよなら南井さん」2005・07・09(土)曇りのち小雨

参加者 山部、杉谷、野本、荒木。

     南井さんの思い出話からスタートした。
 ヒノキの枕をつくって、皆にくれたりした優しい人柄だった。経理の専門家だけあってすべてにきちんとしていたが、ドジな憎めないところもあった。車で竹林にやってきて、車のキーを失った。シャツのポケットにキーを入れ、そのシャツを竹林に脱いで、そのことを忘れてしまったというのが原因であった。事情が分かった数日後、南井 さんははにかんだような表情で説明していた。なんとも初々しい。少年の清らかな心を残していたと思う。

    葬儀には間に合わなかったが、野本さんと杉谷が4日(月)にお宅に弔問に伺った。奥様のお話に、祭壇の 温顔の遺影に、山好きの活動が彷彿とされ、仲良し夫婦の在りし日が偲ばれた。

    南井さん、竹林友の会もお世話になりました。あなたのお姿を見るといつも心が温かくなりました。ありがとうございました。

    作業は肥料撒き。穴を掘って肥料を入れる丁寧なやり方である。今日で終了した。
松尾さんが来て、笹などを持ち帰った。子どもたちに<化けものあそび>をさせるという。笹はその小道具だそうだ。「バケモノならやってあげるよ。素顔で役に立つよ。」そんな野太い声援に送られて松尾さんは山を降りていった。

    ポツリ ポツリと雨が落ちてくる。
来週はお休みにします。

                                                                                                                            from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「平成17年度総会」

 2005. 6.  26 杉谷保憲

 

 

竹林日記「平成17年度総会」2005・06・26(日)

参加者 杉谷、高田、野本、荒木。鎌田、川路、尾崎、原。

    総会は湖西荘で開かれた。
一般報告は借地契約事情と再契約の件、竹林整備に対する市側の取り組みについての質疑。

    会計報告と助成金の前渡しについて。

    今年度の人事は <会長> 杉谷、<副会長> 高田、<会計> 窪田、<総務・労務> 野本・荒木。

    窪田さんと橋本さんからアルコールの差し入れがあった。会議・宿泊した湖西荘の印象は非常によかった。好評につき、来年度総会開催場所について荒木さんのご努力を期待する声が高かった。

    夜のカラオケ企画と翌日の山登りは取りやめになった。有志で行った竹生島、余呉湖の周遊は大いに満足した。

                                                                                                                            from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「お礼肥え」

 2005. 6.  25 杉谷保憲

竹林日記「お礼肥え」2005・06・25(土)蒸し暑い日

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木、(安田)。

     安田由夫さんがタケノコ(マダケ)を持って来てくれた。20本ぐらいもあろうか。皆で分けいただいて持ち帰った。安田さんのおかげで今年はハチクもマダケも食べられた。それぞれ味に違いがあるが、モウソウの風味が忘れられない。

     業は施肥であるが、山部さんが習ってきた方式でやった。穴を掘って肥料を入れるのである。この方式は肥料が雨に流されることはないから完璧な施肥だが、労働ははげしい。それなのに山部さんの穴掘りの早いこと。竹林一面に手早く穴が開けられていく。彼と比べることはとても出来ない私のスピードの鈍さ。高田さんが穴に肥料を入れるのだが、穴掘りはたちまち追いつかれてしまう。野本さんが今日もしばしば休憩を作ってくれるので大いに感謝。夏の労働はこんな風にするものなのだ。

    山部さんによると、お礼肥えはこのやり方でやり、秋の施肥は直播きだという。
明日の琵琶湖西岸での総会の打ち合わせなどして11時に散会。

                                                                                                                            from 杉谷 保憲

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「モンブラン」

 2005. 6.  18 杉谷保憲

 

竹林日記「モンブラン」2005・06・17(土)晴れ

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。濱村。(安田)

     作業は南側竹林の枯れ竹の処理。各人それぞれに切り出し、運び、焼却をする。さして重労働ではないが、頻繁に休憩の声がかかる。野本さんが言う。休み休みに働かないと脱水症状になりかねないから。
休憩をとるたびに笑い声が上がっているが、2度目か3度目の休憩には、笑いが歎声になった。

    高田「2週間ほど留守をしますので竹林を休みます。」
皆「ほう?」口にはしないが、なぜ?と聞いている。
高田「ちょっと、モンブランに行ってきますので・・・」
皆がいっせいに高田さんに憧れのまなざしを送っている。誰と?奥さんは?登るの? 口々に訊ねる。
モンブランといえば山だが、この名前は山というよりは私にとっては西洋文化の代名詞だ。山の泥臭さがない。

    メンバーの汗臭い雰囲気のなかに、高田さんひとりが天上から降り立ってきた。軍手が白手袋に変わった。 作業着は燕尾服に見える。葉巻を口にして、輝いている貴公子の姿だ。

私は思い出した。
同名の万年筆が高価なので、遂に手にしたことがなかった無念を。
高田さん、近頃の飛行機は事故が多いよ。気をつけてね。

     来週は肥料を撒くことを決めて散会、11時半。
                                                                                                                             from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「びわとハチク」

 2005. 5.  28 杉谷保憲

 

 

竹林日記「びわとハチク」2005.05.28(土)晴れ

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。(安田)。

    朝、早速この1週間の出来事を報告する。地主さんとの再契約の件、(振込み期限、範囲拡大と道路側の竹伐採問題)および助成金の許可の件。

    タケノコづくりが実は山林の整備であり、水資源の保全であった・・・この評価にはなにか面ばゆい心地であるが、ともあれこの活動が社会に認められてきた証明だ。素直に慶びましょう。

    お祝いは長崎の茂木びわパーティである。肉厚で品のある味。食べ終わった種をみんながそのあたりに蒔いた。来年から4月にタケノコが採れ、5月にはびわが採れるという計画的行動?である。秋の産物マツタケの話題もあった。
竹林の白昼夢。

     そんなところへ安田さんが現れた。ハチクをたくさん抱えている。今採ってきたと、みんなに分けてくれた。私が「午後、女性群に会う予定」というと、男たちは貰ったハチクを再分配して「ご婦人たちにも食べてもらってください。」と預けられた。ハチクの運搬は重い業務であった。

    鎌田、川路、原さんが喜んだのことをお伝えしておく。そして6月の総会に原さんが参加を表明、そのことを高田さんにお伝えしておく。

郵政私営化の一日。

    原さん。今、高田さんから返事あり。すでに満室にて無理とのこと。残念。

                                                                                                                             from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「宝くじ」

 2005. 5.  21 杉谷保憲

 

 

竹林日記「宝くじ」2005.05.21(土)晴れ

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。

    五月晴れとは今日のこと。竹林のなかは清浄な空気に満ちている。高みに小鳥の声がする。地面に草が生えようとしている。整備された竹林は生き物を呼ぶようになった。
今日の作業は・・・?

    古畳の移動、落ち葉の掃き寄せ、焚き火、根起こし・・・それぞれに意味のある作業だが、それを眺めて高田さんが笑った。「みんな体を動かしたくてうずうず、仕事を作っているのですよ。」

    荒木さんが芯止めをした。親竹3本の先端がいずれもうまく折れて落ちた。杉谷が年号を書き入れた。これもたった3本。今の時期の仕事としては物足りない。

    野本、窪田さんから南側の竹林の借用はまだかと催促される。地主さんとの交渉が決まらないと夏場のまとまった仕事がつくれない。交渉を急がなくては・・・。

   「荒木さん、貴方は宝くじを宣伝する人とよく似ていますね。」
「所ジョージでしょう?孫が言いますねん。所ジョージがTV画面にでると、アッじいちゃんだぁ。」
「貴方は長法稲荷に座っていてくれませんか。宝くじを買う人が参拝にきて、お賽銭をあげてくれますよ。」
「それはいい案だ。今年は売り上げが無かったから、それでなんとか・・・。」
哄笑を竹林に残して11時半に引きあげた。

                                                                                                                            from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「この一年」

 2005. 5.  7 杉谷保憲

 

 

竹林日記「この一年」2005・05・07(土)晴れ

    今日はお休みになりました。昨日の雨と打って変わり、快晴です。しかし作業のしようがありません。あちこちに電話で中止連絡したのですが、濱村さんが出動準備中のようでした。

    一昨日、南井さんから電話をいただきました。 「静脈瘤破裂で入院中、しかし連休なので一時在宅している」  元気なお声でありましたが、驚きました。

   竹林友の会の今年度の総会を6月26日(日)、27日(月)の一泊で湖北で行う提案(初日は会議、二日目は山登り=希望者のみ)をしたところ4名から参加の申し入れがありました。ほかの方たちもお返事をお願いします。高田さん、料金など詳しいことを教えてください。

   さてお休みになった今日は「竹林と私」の一年を振り返って、遠方の知人に出す手紙をつくりました。ご参考までに発信します。
                                                                                                                              from 杉谷 保憲


作品2

   万緑のゴールデンウィークが終わりました。いかがお過ごしだったでしょうか。今、「竹の秋」といわれる落葉の時節、タケノコが終わると同時に葉が散ります。竹の落葉は1年に6,7回もありますが、いつもより赤茶けた色に見えます。

   乙訓(おとくに)地方はタケノコの名産地です。私はこの地に住んで8年になりますが、そのうちの5年はタケノコ作りに打ち込んでいます。 ボランティアグループとして薮を借りて作業しています。 先祖伝来の農事に新住民が入り込むケースはそれまでありませんでした。

   これは一般に“放置竹林の整備作業”と言われています。

   天王山はすでに竹で3分の2を覆われ、周辺の里山もモウソウ竹の繁殖によって周辺の植物が枯らされています。竹の間伐が必用です。

  また地下水が美味しいといわれウィスキーの醸造所がある地ですが、その地下水が枯渇してきました。竹の落ち葉が長年の間に堆積すると、その上を雨水が流れてしまいます。それを地中に浸透させて地下水になるように図ります。

   前者は<生態系の維持>であり、後者は<水資源の保全>になります。

   これらの作業が結果としてタケノコ栽培につながっていきます。作業の日々はホーページ「長岡京市竹林友の会」に竹林日記として綴っていますのでご覧ください。

  これまではゴールデンウィークがタケノコの収穫の最盛期にあたり忙しい日々でした。ところが――。

  この地のタケノコ作りは特異なもので大変に手がかかっています。転入して来てしばらく観察して、私は驚いてしまいました。

   一年中、土壌の手入れをします。竹の伐採、下草刈り、施肥、ワラ敷き、土をかぶせるなどと続き、かなりの重労働もあります。これを5年続けると一人前の孟宗畑(もうそうばた)になるといわれ、 そこからは柔らかいタケノコが採れます。

   そしてタケノコは地上に芽を出す前に掘り出します。地中にあるときは黄ばんだ皮で、白い肉は水分たっぷりで甘みがあります。地上にでると太陽光にあたり、皮が茶色になり黄色い肉に変化しエグミがでます。それを避けるために早朝に掘ります。
「朝掘り」と呼んでいます。掘り鍬の使い方も伝統的な技術です。こうしてつくられたタケノコは味もひときわ違います。

   この地のタケノコ作りは他地方では見られないものですが、京野菜のひとつとして括っただけでは 特徴がつかめません。京都には伝統工芸があり、焼き物や漆器や木工芸の優れた実用の作品があります。伝統工芸に対比するものとして、京タケノコ作りは「伝統農芸」と呼んだ方が理解をしやすいと思っています。この新語を定着させたいものでます。

   ところが5年間精出して働いた竹林(孟宗畑)が高速道用地となり、立ち退かざるを得ませんでした。そして去年は新しく竹薮を借りて、一から間伐などの整備作業をしました。30年も人手が入らない場所でしたので、竹が密生してとても苦労でした。

  竹林整備の一年目はタケノコが出ないと言われています。その通りで、今年はまったくといっていいほどタケノコが採れませんでした。理解はしていたものの、現実を見て落胆したことも事実です。
そのため今年は私のタケノコ作品をお目にかけることはできませんでした。

   仕方がありませんので京都新聞の地方版の作品で代用させてください。駄文でありますが、新市民 (転入の新住民)の目でこの地の伝統を見ていこうとするもので、2ヶ月に1度の掲載となっています。

  来年以降、ご来駕の折には、本物?の作品をご賞味いただけるかと思います。私は竹林整備をすることによって、ようやくこの地に根が生えてきたようです。
竹林大好きの翁(おきな)となりました。これからも竹に囲まれて暮らします。

  お元気でお暮らしのほどを祈ります。

  
2005・05・08
                                                    長岡京市天神2−21−54  杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「有難う、藤下さん」

 2005. 4. 30 杉谷保憲

 

 

竹林日記「有難う、藤下さん」2005・04・30(土)晴れ

参加者 杉谷、高田、野本、窪田、荒木。杉谷の孫、八尾、堺、大阪から4人。

    落ち葉が厚くなってきた。5歳の男児、3歳の女児が転びながら遊んでいる。落ち葉に足がすべるのだ。竹の葉は滑りやすいのだろう。雨のとき、雨は落ち葉を滑り、下に流れる。雨水は地下に沁み込まない。

     京都の西山は水がおいしいところとされ、水のためにここへ引っ越してきたと言う人もいる。 ここは地下水がいいのが自慢の地方であった。

    地下水に加えて、もう一つ、この地方は三川が合流している地形が特徴である。つまり桂川、宇治川、木津川が一つになって淀川になる。このときそれぞれに水温差があり、そのため霧が発生する。これがウィスキー醸造にいいといわれた。しかし温暖化現象か、近頃は霧もめっきり減った。

    今、西山一帯は地下水が枯渇してきている。それを改善しようと長岡京市は「地下水保全活動助成金」を設けている。竹林に水を留まらせること、それは落ち葉を取り除くか、落ち葉の上に土をかぶせて水が逃げてしまわないようにすることだ。わが竹林友の会は立派に水資源保全の活動をしていたのである。

    助成金申請書ができあがった。全く非の打ちどころの無い文書ができあがった。野本、窪田さんはこの文書を提出すべく自信満々の様子だ。(これ以上は書かないでおく。)

    下の道からわれらの竹林を見上げる。 その崖状のところで笹ゆりが群生しているのを野本さんが見つけた。  「奥海印寺にも自生していましたね。我々が竹を切るまでは陽が当たらなかったから、生きてこれたのでしょうが・・・」 しかしお楽しみスポットが現れたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
   八尾の泉女史がひきこもり症の人たちとやってきた。タケノコ掘りにである。5人のメンバーが手伝うけれども肝心のタケノコが少ないのはどうにもならない。 隣の竹林の持ち主、藤下さんがこの状景を見かねたのだろう 、3分ほど離れた別のご自分の竹林でタケノコを掘らせてくれた。藤下さんは「もう佃煮にするようなものしか残って
いませんが」と遠慮勝ちであったが、なんと最高級品がまだ掘れた。 しかもたくさん。 ゲストたちが喜んだことは もちろんであったが、我々メンバーも内心ほっとしたことであった。

    藤下さん、有難うございました。

    もう一言。会則によると総会を6月に開くことになっています。三菱の寮の場合、日・月の一泊で申し込みとなります。6月26日(日)、27日(月)で提案します。皆さんご都合がつきますか?お伺いいたします。

                                                                                                                              from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「44キロ」

 2005. 4. 23 杉谷保憲

 

 

竹林日記「44キロ」2005・04・23晴れ

参加者 杉谷、高田、野本、窪田、荒木。川路、鎌田、尾崎。

    竹林に到着した女性たちは「今日は着替えをしないでおこうか・・・」と囁き合っている。竹林では作業着に着替えをするのが習慣で、更衣室(?)まで出来ているのにもかかわらず、こんな話が交わされるのは、この数週間、タケノコが出ないので、作業着をつけても掘ることはなかったからである。

    それから1時間半後、女性たちの哄笑が続いている。鎌田さんと尾崎さんは連発銃。「うれしいィ」「大きいわねェ」 「家内が喜びますヮ」とやたらにカナイを連発するのは荒木さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   広いヒロイ(意味深い表現)竹林で、採れた取れた。大きな太いタケノコが次々掘り出される。30本以上だろう。窪田さんが計量したところ合計で44キログラムである。
野本さんが収穫物を全員に分ける。

   一番重くて美味しそうなタケノコは川路さんに。「帰ったら早速に料理しよう。そして明日の登山グループに自慢して分けてあげよう。」
高田さんもご機嫌。 「今度の総会は一泊で比良の三菱電機の寮でやりませんか。 翌日山登りも出来るし・・・。  杉谷さんはちょっと無理かな・・・」
ワッハッハッ・・・竹林に楽しげな声がまだ続いている。
 
                                                                                                                            
  from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「ゴーデンウィークは?」

 2005. 4. 16 杉谷保憲

 

 

竹林日記「ゴーデンウィークは?」2005.04.16(土)晴れ

参加者 杉谷、野本、窪田。鎌田、川路、尾崎。ゲスト 辻母娘

    車が竹林に到着する寸前に高田さんに会った。彼は朝早く竹林の様子を見ての帰り道だ。今日は三菱電機の卒業生会なので竹林作業は不参加のはず。
彼は車に向かって大きな声で叫んだ。「今日はたくさん出ていますよ。」もちろんタケノコのことである。
しかし車内の3人の女性からすかさず声があがった。「ほんまかいな?」

     半信半疑で竹林に入る。すでに野本、窪田さんが頭を下げてタケノコを探している。その姿にタケノコが出ているとは感じられない。結局6人はいつものダジャレを言うことも無く、竹林のなかをうろついた。
辻さんの娘(小4)にホリの使い方を教え、5,6本掘りあげた。それだけだった。

     恒例のタケノコパーティは11時半から開始。談論風発留まるところを知らず。アルコールが入ったのでやっと元気づいた。「来週こそ」と幾度言ってきたことか!

    しかし今年は連休(ゴールデンウィーク)にタケノコの最盛期を迎えるかもしれないという説もある。今はそれに希望を託したい。
未来をいつも明るくするようにするのはオカシナ話だが・・・。

    今頃、高田、荒木ご両人もアルコールでやっと元気付けているかもしれない。

                                                                                                                             from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「巨人軍ベンチ」

 2005. 4. 13 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「巨人軍ベンチ」2005・04・13(晴れ)

参加者 杉谷、高田、南井、野本、窪田、荒木。

    昨夜の阪神―巨人戦は雨の中の甲子園でスタートした。試合は4回まで1対1の緊迫した内容であったが、   5回ウラに阪神は4点をとり、その後も得点を重ね、結局8対1の大差で阪神が勝った。5回ウラからカメラは巨人軍ベンチをしばしば覗く。監督は絶え間なく頭をひねっているし、選手たちはうつむき加減である。テレビ放送は途中で終了したが、試合が終わる頃には雨があがったようだ。
私は試合内容に満足して今日のタケノコ掘りを思った。当地も雨が止んでいた。
 

 

     今朝、8時半には荒木さんの姿がある。皆さんも出動が早い。むろんタケノコを期待してのことである。しかし 見つからない。この竹林のタケノコはシャイなのか?6人の男性に見つめられて姿を現せないのだろうか?

   結局、今日の収穫は全部で5本。うちまともなものは3本で、残り2本はひょろひょろの長いものである。前回の9日より成績が悪い。

     手持ち無沙汰。焚き火をしてお互いにダベル。  メンバーの近況、補助金のうちあわせ、・・・今年の タケノコは ゴールデンウィークに出るだろうという説 まで飛び出した。

    しかし所詮タケノコが無ければ意気はあがらない。昨夜の巨人軍ベンチの模様とそっくりになった。

    10時過ぎには終了。5本全部を私がいただいた。帰途、竹林の道を歩いてみたら、たくさん顔を出しているところもある。我々の竹林のようではない。

 


     5本を家内に手渡すと、タケノコに付いている泥がドブの臭いと言う。我々の竹林は土がまだ本格的竹林の  ものではないのだろう。竹林整備の初年度はこんなところにも問題があるようだ。

                                                                                                                           from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「やっとこの日が来たが・・・」

 2005. 4. 9 杉谷保憲

 

 

竹林日記「やっとこの日が来たが・・・」2005・04・09(土)快晴

参加者 杉谷、高田、野本、窪田、荒木、安田。鎌田、川路、長沢、濱村、水口。

    この10日間ほど、今年はタケノコが不作だという話ばかりが続く。しかしもう4月も中旬。去年は一日おきに掘っていた時期である。今年は初掘りを試みては空振りが続く。野本さんが言う。これまでのは初掘りではなく試し掘りだったと。強弁して笑うのだが、なんとなく力が無い。


 

 

 

    そんなこんなでイライラが募ったが、今日はすばらしく晴れ上がった。事実上の初掘りと期待を胸に集まった。
しかし集合したのがレギュラーメンバーだけでよかった。不作情報に恐れをなして申し込みのあったゲストはすべて断った。結果として、素人(?)に失望を与えなくてすんだ。


    写真を見てほしい。2反という広い竹林で、今日の全収穫量はわずかにこれだけであった。重量のメモリが読めますか?
ベテランは意気が上がらぬ。浮かぬ顔をしている。タケノコ掘り初体験の人は嘆きにつつまれている光景を見て、狐につつまれたような風である。


    隣の藤下さん夫妻も不作に体をもてあまして、早々に引きあげて行った。私たちも10時半に終了した。これまでの年々で作業を1時間かそこらで終了したのは初めてのことだろう。

 


竹林整備の初年度はタケノコが出ないといわれるが、それと不作の年が重なって、初掘りの収穫は総量でこれだけしかない

 

     タケノコは漢字で筍と書く。タケカンムリに旬である。旬は1ヶ月を上旬、中旬、下旬と分けて表現するように、  10日間の意味である。タケノコは出はじめて10日間、つまり桜が咲いている間が良質の意味であろう。これからがタケノコの旬である。

   今日の収穫物は地主さん、病気療養中の西村さん、初参加の女性3人に分けた。長法稲荷はこの様子を静かに眺めていた。ご利益は来週にありそうな気がする。サクラも満開が続いてほしい。
                                                                                                                             from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この竹林のタケノコは容姿端麗。

 

 採れたてはナマが美味しい。

 

 

 

 

 

 

 

ナマで食う人を見て、驚く新入り。

 

地中から出る前のタケノコを探し当てるのは難しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

こわごわと周りの土を除きます。

 

 

 

 

2人が息を合わせないと、タケノコは毀れますョ。

 

うまく掘りあげマシタ。

 

 

 

 

 

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「初焼タケノコ」

 2005. 4. 6 

 

参加: 南井、野本、荒木、高田

 

 

 

 

 

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・春はお寝坊

 2005. 4. 2 高田 豊

竹林日記「春はお寝坊」 2005・04・02 晴れたり曇ったり

参加
: 野本、窪田、荒木、尾崎、高田
 
   
今日こそは初掘りと意気込んで竹林に出かけた。竹林に着いてみると、窪田さんらが、すでに竹林中タケノコを探索し終えたところで、「今日も駄目です」と聞かされてガッカリ。野本さんは、焼きタケノコの用意をしてきたが、肝心のタケノコがなく、これもガッカリ。まわりの竹林にも人影がなく閑散としている。

   
こちらも、常連の杉谷さんも山部さんも欠席である。女性陣も尾崎さん只一人。尾崎さんは、来週は来られないので、今日来たとのこと。タケノコを持ち帰ろうと期待していただろうに。

   
仕方なく、先週までの続きの作業で、上段の古竹の片付けと暫定トイレの設営を行う。
野本さんから、の初掘り日を6日(水)にしようとの提案あり。天気予報だと雨のあとなので、今度こそ確実にタケノコに出遭えるものとの見込んで。もう、そろそろ予想が当たっても良いだろう。                                                  (高田記)

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「春まだ浅き」

 2005. 3. 26 杉谷保憲

 

 

 竹林日記「春まだ浅き」2005・03・26曇り

参加者 山部、杉谷、南井、野本、窪田、荒木、安田。鎌田、川路、尾崎、安田。(長沢夫妻)。

    近隣の竹林には人影がない。しかし我々の竹林では、皆が下を向いて歩き回っている。離れて眺めていると、このシルエットは虚ろな風景だ。うつ病患者(実際には知らないが)の徘徊と見間違う。

 

 

   彼らはタケノコが顔を出す前の地割れを見つけようとしているのである。普通なら歓声や奇声を伴なうのだが、今日は無言の時間が流れている。

    「あかんなァ」「寒いもんなァ」誰もタケノコ探しをする人はなくなり、作業は枯れ竹の処理に移ってしまった。焚き火は勢いよく炎をあげはじめた。
 
   一昨日は雪が降った。昨日も冷たい風が吹いた。今年の春は遅い。

 

 

 

 

 

     休憩時間に、窪田さんが昨年、一昨年のタケノコ掘りのメモを読み上げてくれた。それによるとタケノコが採れた時期が去年と比べると一ヶ月遅れている。(もっとも場所は違うのだが。)去年の豊作がうらやましい。初参加の長沢夫妻が同情の表情で眺めている。
 

    そんな中でひとり「うれしいわ」を連発していたのは安田夫人だ。モウソウチクの大型花器ができたのである。彼女自身が作ったのだろうか?野本さんの技術指導もあるかもしれない。作品に力強さがある。

 

 

   それでも執拗に探していた人がある。「あった!」野太い声を上げたのは山部さんだ。ぞろぞろと集まってきた。手入れをしてないところに、細いタケノコが震えている。みんなの品定めが終わると、山部さんが講習会で習ったホリの使い方を披露した。巧いものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

      今日は結局、細いのが2本採れた。誰が持ち帰るのか? 「南井さんの快気祝いだ。」意見が一致した。

     春はゆっくりしている。我々もゆっくりしよう。楽しみを来週にまた来週に。

 (川路、鎌田、杉谷は4月2日欠席します。)
                                                                                                                          from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「対決」

 2005. 3. 19 杉谷保憲

 

 

竹林日記「対決」2005・03・19(土)曇り時々晴れ。

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。

    昨日の午後は冷たい北風が吹いた。ふるえあがった。初掘りを今日19日に予定したのだが、北向き斜面の竹林はこの寒風にまともにさらされ、タケノコも首を引っ込めてしまったようだ。寒さに驚いて、昨夜のうちに初掘り中止の連絡をした。だから今日は女性軍も現れなかった。
初掘りのための準備はOK.

    掘り鍬が持ち込まれ、タケノコ発送用の荷札が準備され、タケノコの土割れに立てる目印サオも60本が整えられた。山部さんにいたっては掘り鍬の使い方の講習に出席する手はずも整えたのである。
北側下の竹林では 主人が現れて、掘りはじめたようだ

さて我が竹林は?
目を皿にして地面を探すけれども、目印のサオを立てるようなひび割れは全く発見できない。一筋の割れ目も無い。やがて隣の主人も引き揚げて行った。主人の籠の中を見ないように務めた。

    では今日は何の作業をしたのか?
高田さんは野戦用トイレづくり、野本さんはいつもの竹の焼却。そして山部、窪田、荒木さんは南側の竹林の枯れ竹を切り出した。タケノコの気配ないので、南側の枯れ竹を間引いて少しでも日当たりを良くしたいという涙ぐましい努力である。

 

 

   京都新聞洛西総局井上さんが来た。杉谷が応対して話しているが、風に冷たさがあり体が冷える。

  今日は初掘りが出来なかった。では来週土曜はできるのか? 意見は二つに割れた。杉谷は26日(土)はタケノコが出ると言い、野本、窪田さんはその一週間先、つまり4月2日になるだろうと言う。
初掘り予想をめぐって意見の対立である。果たしてどちらが当たるのか?

タケノコたちよ!早く出てきなさい!
                                                                           from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「安眠枕」

 2005. 3. 12 杉谷保憲

 

 

竹林日記「安眠枕」2005・03・12(土)曇り、時に小粒の雨。

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木、(南井)。安田。

    伐採が少し、竹の焼却、根株割り・・・大きな仕事は無いが仕上げ前のこまごまとした作業が続く。なかでも物置小屋の整理――タケノコの梱包箱の数を調べていると、いよいよだなあと何か高まりが胸に湧く。無粋な男たちにも春がくる。
 

 

 

   打ち合わせ会。販売のやり方、値段の設定、発送手順、入山希望の取り扱いなどを昨年の方法を下敷きにして検討する。責任者 野本、窪田。見習い 山部、荒木。予想売上げ額は去年の半分程度か。

    山部さんが農政課主催のタケノコ講習に参加するいう。73歳からこの探究心。プロを目指すつもりらしい。力持ちに知識がつけば、鬼に金棒だ。


   先週は小さなタケノコを荒木さんが持ち帰った。その報告。
「あの3本は家でタケノコご飯にしました。サシミにもしました。吸い物にもしました。

僕は家内に言いました。これは先輩たちが、

もうすぐ春ですねェちょいと準備してみませんかァ      

 

 

初物だからシンマイの荒木が持って返れと言ってくれたんだよ。」
すると家内が有り難いわねェと言い、美味しいと喜んでくれました。お蔭様です。」

  それを聞いて、周りの男たちは口々言いました。
「うらやましいなァ。奥さんにほめられる男はここには他に誰も居ないもの・・・」
やさしい妻をもつ荒木さんを男たちは賞賛しました。いや荒木さんは見かけによらず苦労人かもしれない。
本日唯一の女性、安田さんははにかむような笑顔でそんな男たちを眺めていた。

    終了時間になって南井さんが現れた。腸を患ってまた病院のお世話になったそうだ。まだ歩行姿勢が完全ではないようだが、顔艶はとてもいい。「あかるくなりましたね」と3ヶ月ぶりに眺めた竹林の感想。そしてビニール袋のなかから枕を取り出す。
「ヒノキ枕をつくったので使ってください。安眠できると思います。」
皆が有り難く戴いた。

    荒木さんといい、南井さんといい、シアワセのつくり方をよく知っている。
私はこの枕で初掘りの夢でも見たい。

                                                                                                                             from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「ピントが確かめられない」

 2005. 3.  5 杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「ピントが確かめられない」2005・03・05(土)曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。

    雪の予報だった。雪景色を撮るために高田さんはカメラを持参したが雪は降らなかった。そしてカメラには別のものが撮影された。それな何なのか?

 

 

   昨日、淡路島に行ってきた。今年二度目である。2月の初めにも洲本や福良に行ったのだが、そのとき元気に一緒だった人が、突然亡くなったので葬儀に出かけた。

   先般、やはり70歳代後半の人が急に亡くなったとの知らせを受けた。この人とは一年前に楽しくお話したのだが。
   葬儀場では、80の坂を越えるのは簡単ではないという声が耳に入った。

    二度の淡路島往復のバスから眺めていると、この島の山々は竹が猛烈に繁殖している。モウソウも目にするがマダケが多い。竹藪が野放図に広がっている。

 

 

 

  モウソウ竹林に人が手入れをしないので、竹は繁殖を重ね、周囲の樹木を枯らしてしまうという。しかしマダケはもともと手入れをしないのに、マダケ籔もモウソウ籔同様にすさまじい繁殖ぶりだ。

   竹の異常繁殖は手入れのことも原因のひとつではあろうが、淡路島の風景をみていると、それは地球温暖化が第一原因ではないだろうかと思う。竹の原産地は亜熱帯である。地球温暖化は竹にとって最も棲みやすい環境をもたらしたのかもしれないのだ。
 
   山部、窪田、荒木の三氏は土入れしていないところで枯れ竹を整備していた。
ワーァ歓声があがった。タケノコの小さいものを三つ掘り出した。初体験の荒木さんが歓ぶ。子どものようなはしゃぎよう。

 

 

 

   どれどれ・・・高田さんがカメラを向けた。

   ところがカメラのピントが合っているかどうか、高田さんはご自分の肉眼のピントが合わない。周りの皆がカメラを覗くが、眼鏡を出したり入れたり、容易なことではない。果たしてきちんと写っているかどうかはホームページで確かめられたい。

   タケノコはとても商品になるような代物ではないが、荒木さんが大事に持ち帰った。

                                                                                                                               rom                                           杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「粉雪の中の5人」

 2005. 2. 26 杉谷保憲

 

 

 

 

竹林日記「粉雪の中の5人」2005・02・26(土)晴れ、一時粉雪

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田。

    空は明るい。しかし竹に背を持たれていると、体中が揺れる。上空には相当強い風が吹いている。
「(竹を)切り過ぎたかなぁ。風が遠慮なく通り過ぎますな。」山部さんがきれいに整備された竹林を眺め回してつぶやいている。これまでやってきた作業に満足の様子だ。

   今日は全員が乙女の丘に張り付いた。伐採は進み、斑点のある竹(老竹)はもうわずかしか残っていない。しかし大量の伐採の結果、切り株は地面を覆っている。このままではタケノコが頭を出しにくい。しかしこの処理は遅々たるものだ。
「もうそろそろタケノコにお目にかかれる頃ですな。」と窪田さん。


    「何十年も放置されていたから、これまではタケノコも出なかったでしょう。今頃、タケノコたちが今年は地表の様子が違うので、出ようかどうするか、迷っているでしょうね。」高田さんが笑った。

   竹林整備の初年度の作業量はキリがないほどある。このまま4月のタケノコシーズンまで休めないかもしれない。

    陽光はきらめくが、粉雪が舞い始めた。竹が鋭い音を発している。

                                                                                                                           from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「斑竹を切る」

 2005. 2. 12 杉谷保憲

竹林日記「斑竹を切る」2005・02.12(土)曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。安田。

   今日も伐採と伐採竹の焼却そして高田さんは階段づくり。作業は乙女の丘に集中している。名前に反して、乙女の丘の地面は一面の切り株で荒々しい。切り株を眺めていると、よくもこれほどに密生できたものだと妙に感心する。来週もこの作業は続く。

   木でも竹でも枯れて倒れてから、細菌がとりつき繁殖して、そのせいで腐っていき、やがて土にかえっていくと思っていた。

   竹を眺めていると、青竹の肌に白い斑点が現れ、やがて枯れて、最後に倒れやがて腐るという連続性があることに気づく。
 命という面から見ると「生」と「死」との間には一線で画されているが、病菌の面ら見ると、その一線は無いようだ。菌は生のときにとりついて徐々に死へ移行し、やがて土に変化させるのだ。病菌の活動は一連の連続性がある。

   背中から肩にかけて筋肉痛があり、あまりに長く続くので整形外科に行った。医師はレントゲン写真を眺めながら「五十肩です。シップをしていると直っていきます。」という。五十肩という言葉になにか言い返そうかと思ったが、医師があまりに自信たっぷりな態度なので七十に変えてくださいとも言えず引き下がった。

   シップでかなり痛みは減ったが、長いこと動かすのは悪化させそうでちょっと心配。
これも徐々に生命力を減じさせる過程かと思い直し、竹の教えに納得している。

                                                                                                                            from 杉谷 保憲

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「大詰め」

 2005. 2.  5 杉谷保憲

 

竹林日記「大詰め」2005/02/05

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。鎌田、川路、尾崎、安田。

   東方面の戦況。乙女の丘は北側が変貌した。山部、窪田、荒木さんたちが精力的に伐採する。急斜面での危険な作業である。空き地ができて明るくなった。

 

   西方面の戦況。高田、野本さんによって物置が二つ並べられた。二つの間の空間に女性軍の手仕事で割り竹が敷かれ、人目につかない場所ができた。更衣室用である。野本さんは奥海印寺のときもそうだったが、ここでもベンチを美しく作り上げた。

  南方面の戦況。伐採竹が次々と女性たちによって運び込まれるので、安田さんは焼却におおわらわ。

 

 

     竹林整備作業の大まかな場面は大詰めを迎えた。これからは穏やかな環境を作り、タケノコがふくらむのをゆっくりと待つことになる。

    遠方からのボランティアの方は3月中はお休みください。(近隣の方はこまごました仕事、収穫に備えてのミーティングなどがあります。)

   長法稲荷の祭礼(2月の初午=2月3日)に参列したのでその報告。
午(うま)の日が今年は節分と重なった。一年でこの頃が最も寒いといわれる。日本海側と東北に大雪が続いているが、この日乙訓地方にも雪しぐれがあった。

 

  いつもは森閑としている長法稲荷の境内に100人を遥かに超す人出である。社殿には野菜、果物、酒が供えられているが、包み紙にくるまれた折り詰めがいくつもある。祝詞が終わるのを待って隣の人に聞くと、それは赤飯や揚げ豆腐など狐の好む料理であり、ホカホカのつくりたてを供えるという。

  稲荷社は天神や八幡をこえる数で、日本の神社の代表的なものだ。今は商売の神さまとして信仰の対象であるがかつては農作物の守り神であったそうだ。
お稲荷さんが明るくなったと参詣に集まった人たちから感謝された。
ぜんざいが用意され、お神酒がふるまわれた。粉雪で真っ白になったわれらが竹林を眺めながら、心も温められたひと時であった。

  京都新聞洛西版の「竹の音」、9日か16日か23日の紙面もご参照のほどを。

                                                                                                                             from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「女学生の手」

 2005. 1. 29 杉谷保憲

 

 

竹林日記「女学生の手」2005・01・29(土)快晴

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。川路、西村、
           
尾崎、濱村、水口。

   新人の登場。定年を迎えたばかりの荒木信輔さん。
 「まだホカホカの湯気が立っています。どうぞよろしく。」
 「パソコンはお持ちですか?」
 「いや。買い換えるつもりですが、故障したままにしています。」
 「竹林の作業も楽しいですが、ホームページも面白いですよ。」

   作業は乙女の丘の土入れ。乙女と元乙女の手によって終了した。
 

 

  休憩!
   待っていたようにNHKへの怒りがでた。制作費の不祥事、政治家への媚へつらいと政治の介入、会長の退任と顧問就任について。
料金支払いの拒否、国営放送廃止論・・・普段おとなしい西村さんも息巻く。彼女はもう一度世直しをしなければならぬと言う。

俺 シアワセだぁ


   今日は大勢居るので皆で写真を撮ることになった。焚き火を背景にする。集合写真は集まるまでに時間がかかる。その間にダジャレ。
 「ああ、残り火なのね。」
 「埋もれ火かな?」
 「いやいや、火遊び。」
 「イッヒッヒッ・・」

精鋭たち

 

   30年ほど前に聞いた話を思い出した。10数巻の国語辞典を編纂した大学者、名前は大抵の人が知っている。その碩学は当時80歳代だった。
地元の短大学長が恐る恐る頭を下げた。
 「まことに不躾なお願いですが、非常勤講師で教壇に立ってもらえないでしょうか?若い学生のために。」
 「若い学生とは?」
 「二十歳ぐらいの女子だけでございます。」
 「引き受けましょう。給料は要りません。ただ教室内をまわりながら学生の手を触るのをお許しください。」
実際に女学生の手に触ったかどうかは知らないが、このウルトラ有名国語学者は1年間短大で講義したという。
この気分が理解できているのは山部、杉谷、高田(年令順)であるようだ。

 

 

切り株は地面スレスレまで

放置竹林。切っても切っても

 

 

 

 

 

 

電動ノコギリは使いません

あー冷たい うまい 本日は晴天なり 働くってうれしい

 

 

                                                                                                                          from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「喜悲こもごも」

 2005. 1. 22 杉谷保憲

竹林日記「喜悲こもごも」2005・01・22(土)曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田。川路、鎌田、尾崎、濱村、平田有佳。

   やはり若い女性が来ると華やいだ雰囲気になる。平田さん(24)が派手な人という意味ではない。若さそのものが華やかなのだろう。大阪育ち、京都在住。黙々と働くタイプ。

   「高田さんは新年会を控えているのに、まず竹林に入ったのは、今日登場する若い女性を見たいからだろう」と野本さんが冷やかした。

   窪田さんは「今日は女性がたくさん来るはずですね。」と期待を単純に口にする。正直だ。

   山部さんはいつもより作業に力がこもっている。竹を引っ張るのに、何度も転んだ。最長老、平田さんとは50歳の開き、張り切りすぎです。今頃、体が痛むのではなかろうか。お見舞いいたします。

   皆うれしそうにしている。他愛無いことだが、いいことだ。そんなわけで乙女の丘の伐採はほぼ終わった。しかし土入れはできなかった。

   夜、地主さんから電話があった。上の段の貸借は当分しないことにするとのこと。やむをえない。その時期がくるまで現状でいくしかない。ボランティア募集も取りやめた。今日は喜んだりがっかりしたりした一日であった。

                                                                                                                           from 杉谷 保憲

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「物置が二つに」

 2005. 1. 19 杉谷保憲

竹林日記「物置が二つに」2005・01・19(水)曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、吉田。安田。

   8時半、安田さんがトラックを運転してきた。安田さんの口利きで物置の中古品が手に入った。「くつろぎや」に置いてあったものである。ほどなく高田、野本、窪田さんが来て、物置の運搬がはじまった。この作業は到着してからが大変であった。ブツが参道を登る。下に丸竹をコロとしてかませ、上が鳥居に当たらないように注意深い運搬である。

   大阪城築城にときの大石を運ぶやりかたも、ピラミッドの石の運搬も同じ原理だろう。  ただしこちらは安田、野本、窪田、高田、杉谷の5人が汗をかいているだけであるが。

   物置が2個になったので、背中を向け合って据えつけ、2つの間を「衣装換えの間」をつくることにする。その作業は来週になろう。

   今日の整備作業は乙女の丘。むさくるしい姿であったが精力的に伐採して、梳ったようにきれいになった。   22日(土)にもう10〜15本程度伐採すれば、乙女たちは土入れができるだろう。

   高田さんと吉田さんとがまだ借りていない上の段から枯れ竹を取り出して、焚き火をはじめた。なんとなく周辺が明るくなってきた。休憩時間も明るい。

   話題はタケノコ。今年は大きな期待は持てないが、来年の収穫は面白そうだと口々に言う。

   高田さんが今年に入ってHPも更新している。その高田さんが今度は後輩を入会させる。60歳という。濱村さんもニェーフェイスを連れてくるはず。原さんも病が癒えてカムバックすると連絡があった。
どうやら人手が揃いそうなので、杉谷は地主さんと次の借地について交渉を始めよう。

  今日は曇りで暖かかったが、明日からは寒くなるという。風邪には気をつけてください。

                                                                                                                         f rom 杉谷 保憲

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「ガラクタ資産家」

 2005. 1. 15 杉谷保憲

竹林日記「ガラクタ資産家」2005・01・15(土)曇りのち小雨

参加者 山部、杉谷、高田、野本。

   昨夜の京都地方の天気予報が雨を告げたので、遠くから来る予定の人たちにはその旨を昨夜のうちに連絡した。
今朝は地元から4名が参加した。天気ははっきりしない。土入れ作業は1時間で終了したが、気にしていた天気はほんの小雨程度で、午前中の予報は外れたというべきだろう。

  来週22日はたくさんの参加が望める。

  残された作業は「乙女の丘」の伐採と土入れ。これを一気に完成させることである。人手に余裕があればロッカー(中古)を運び入れる作業もしたい。なおライトバン(中古の軽自動車)のオメミエもあるかもしれない。
ガラクタ集めではあるが、なんとなく資産家になった気分になれそう。

  2月3日(木)午後2時から長法稲荷神社の初午(はつうま)祭礼が執り行われます。杉谷は参列します。どなたかご一緒に。
窪田さん、お供え(?)3千円の包みをお願いします。御酒はどうするか関係者に訊いておきます。       以上
                                                                                                                          from 杉谷 保憲

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・15円か45円

 2005. 1. 8 杉谷保憲

竹林日記「15円か45円」2005・01・08(晴れ)

参加者 山部、杉谷、高田、窪田。安田由夫。

  
「明けましておめでとうございます。」
  
「おめでとうございます。まあ、青空になりましたね。」
  
「予報と違いましたね。仕事始めには幸先いい天気です。」
  

    「いい話が早速にあります。物置用倉庫の出物があり、       安田さんが無料で斡旋してくださいます。」
  
「それは有り難い。長法稲荷に高田、橋本、杉谷が元       旦0時に初詣したご利益が早くも・・・」
  
「お賽銭は幾らにしたらいいか、知っていますか?」
  
「・・・?」
  
「15円が適当です。充分にご縁がありますように・・・。       少しはりこむと、45円は始終ご縁がありますように
      
・・・欲張りすぎですか。」
  
「ハッハッハッ」

 

 

  

 
  
「安田さんの一輪車の土運びはさすがプロですね。腰を使って運搬していますね。」
  
「こんなにはかどると次の水曜日(12日)の仕事で土入れは終わりそうですね。」

  
「女性部隊は15日土曜日に登場します。初仕事に土入れの仕上げがいいかと思っていたのに、彼女たち
     はまた伐採作業ですか?」
  
「いや、上の壇の土入れは残っていますよ。もっともワラがもうありません。」
  
「22日土曜日には濱村さんが水口果奈ちゃんともう一人を連れて来ますよ。」
  
「うれしそうな顔ですね。若い娘さんでしょうね。」
  
「それは判りませんが・・・。娘さんはいいですねえ。大いに気に入っています。老人になるとこんなことを言
   っても問題視されないからいい。」
  
「では、上の壇は<乙女の丘>と名づけて、乙女や昔の乙女たちに土入れをしてもらいましょうや。」

  
「年賀状で竹林再生のPRしました。うれしいことにいろいろ反響がありました。中村教授からは、たまたま
 
    水曜・土曜が講義の日なので不参加続き・・・とても気にしていますとのことでした。」

  
「今年、南側の籔に手をつけますか?労働力的に果たして大丈夫ですか?若くはありませんよ。去年は
      
けが人も出ましたよ。」
  
「大丈夫。是非!」
  
「やりましょうよ。借用契約してください。」
  
「では体に気をつけて働きましょうね。今年もよろしくお願いします。」