2011年(前半) 竹の学校 活動報告

 50 傘寿の 竹林独り言  ・・・  「梅雨は明けたのではないか」「総会」   2011.06.29(水)
 49 傘寿の 竹林独り言  ・・・  「梅雨明け間近」   2011.06.25(土)
 48 傘寿の 竹林独り言  ・・・  「真夏日の夏至」   2011.06.22(水)
 47 傘寿の 竹林独り言  ・・・  「"サバエ"のいわれ」   2011.06.15(水)
 46 傘寿の 竹林独り言  ・・・  「農閑期の竹林」   2011.06.08(水)
 45 傘寿の 竹林独り言  ・・・  「竹が水を吸い上げる音」   2011.06.04(土)
 44 傘寿の 竹林独り言  ・・・  「梅雨の水無月」   2011.06.01(水)
 43 傘寿の 竹林独り言  ・・・  「長閑な竹林」   2011.05.25(水)
 42 傘寿の 竹林独り言  ・・・  「長閑な竹林」   2011.05.21(土)
 41 傘寿の 竹林独り言  ・・・  「幼児の筍掘り」   2011.05.17(火)
 40 傘寿の 竹林独り言  ・・・  「筍掘りの後始末」   2011.05.14(土)
 39  $$$竹林日記 $$  ・・・  「筍の掘り納め」   2011.05.09(月)
 38  $$$竹林日記 $$  ・・・  「ファミリーサービスデー」   2011.05.07(土)
 37  $$$竹林日記 $$  ・・・  「年に一度の試み」   2011.05.04(水)
 36  $$$竹林日記 $$  ・・・  「新たな試み―角竹造り」   2011.05.02(月)
 35  $$$竹林日記 $$  ・・・  「ひたすら筍掘り」   2011.04.30(土)
 34  $$$竹林日記 $$  ・・・  「初めての夏日」   2011.04.27(水)
 33  $$$竹林日記 $$  ・・・  「掘っても掘っても出る筍」   2011.04.25(月)
 32 管理人の竹林日記  ・・・  「雨中の筍」   2011.04.23(土)
 31  $$$竹林日記 $$  ・・・  「筍掘りに追われる その2」   2011.04.20(水)
 30  $$$竹林日記 $$  ・・・  「筍掘りに追われる」   2011.04.18(月)
 29  $$$竹林日記 $$  ・・・  「筍の盛り― もしかして いまがピーク?」   2011.04.16(土)
 28  $$$竹林日記 $$  ・・・  「ようやく筍の本番・新規入会2名」   2011.04.13(水)
 27  管理人の竹林日記  ・・・  「自動車のCO2削減」   2011.04.09(土)
 26  $$$竹林日記 $$  ・・・  「ようやく並みの筍」   2011.04.06(水)
 25  $$$竹林日記 $$  ・・・  「鶯の初啼きと花冷えと(2)」   2011.04.03(日)
 24  $$$竹林日記 $$  ・・・  「鶯の初啼きと花冷えと(1)」   2011.04.02(土)
 23  $$$竹林日記 $$  ・・・  「タケノコの不作」   2011.03.30(水)
 22  $$$竹林日記 $$  ・・・  「タケノコの育ち方が気になる」   2011.03.26(土)
 21  $$$竹林日記 $$  ・・・  「2度目の初掘り」   2011.03.23(水)
 20  $$$竹林日記 $$  ・・・  「初物のタケノコ」   2011.03.19(土)
 19  $$$竹林日記 $$  ・・・  「タケノコが動きはじめた」   2011.03.16(水)
 18  $$$竹林日記 $$  ・・・  「杉谷さんのこと 東北大地震のこと」   2011.03.12(土)
 17  $$$竹林日記 $$  ・・・  「新規加入 林哲郎さんを紹介」   2011.03.09(水)
 16 杉爺の竹林日記  ・・・  「潮目が変わる」   2011.03.05(土)
 15  $$$竹林日記 $$  ・・・  「『お水取』の寒さ」   2011.03.02(水)
 14 杉爺の竹林日記  ・・・  「竹めし」   2011.02.26(土)
 13  $$$竹林日記 $$  ・・・  「たけのこの値段」   2011.02.23(水)
 12 杉爺の竹林日記  ・・・  「シイタケ園」   2011.02.19(土)
 11  $$$竹林日記 $$  ・・・  「長閑の一語に尽きる」   2011.02.16(水)
 10 杉爺の竹林日記  ・・・  「予報の大ハズレ」   2011.02.12(土)
 09  $$$竹林日記 $$  ・・・  「タケノコまでの、のんびりした作業日」   2011.02.09(水)
 08 杉爺の竹林日記  ・・・  「タケノコが文化になるとき」   2011.02.05(土)
 07  $$$竹林日記 $$  ・・・  「長閑な竹林」   2011.02.02(水)
 06 杉爺の竹林日記  ・・・  「小石拾い」   2011.01.29(土)
 05  $$$竹林日記 $$  ・・・  「柴垣の風情」   2011.01.26(水)
 04  $$$竹林日記 $$  ・・・  「大寒にしては穏やかな竹林」   2011.01.22(土)
 03  $$$竹林日記 $$  ・・・  「本格的な作業開始」   2011.01.19(水)
 02  $$$竹林日記 $$  ・・・  「小正月・どんど焼の新年会」   2011.01.15(土)
 01  $$$竹林日記 $$  ・・・  「仕事始めの筍初掘り」   2011.01.12(水)
 
 


 

 

50 傘寿の 竹林独り言 ・・・ 「梅雨は明けたのではないか」「総会」 

2011.06.29 山本  律

 

 傘寿の 竹林独り言 「梅雨は明けたのではないか」 2011・06・29 (水) 晴

 参加者 : 山本、高田、松本、野本、窪田、錦織、濱上、世良田、荒木、竹内、多田、林。 [12名]

 
 ただ暑いだけでなく、その上に「蒸」がつく。しかも風がない。天気図を見ると日本列島は太平洋高気圧にすっぽりと覆われて、梅雨前線とおぼしきものは朝鮮半島の中ほどまで上っている。気象庁は慎重を踏んで様子を見ているのだろうが、この暑さは梅雨が明けたとみてよいのではないか。


 この蒸暑さの中で、先日来の一輪車と土運車の車庫の屋根葺きと、導水管のつなぎ替えが続いている。車庫の屋根は竹で葺くのかと思っていたらシートで覆っている。そして、シートだけではみぐさいからといって竹の竿で押えている。(関西では「みぐさい」と言うが、東北では「みくさい」と言う。私は米沢の生れ育ちの母親の影響で「夕方」を「ゆうかた」と書いて、ペケをつけられた。小学校2年のときである。ついでに言うと、五十嵐は「いからし」、小田切は「おたぎり」、須藤は「すとう」、根津は「ねつ」である。)

 多田さんがひょっこり顔を見せた。しいたけの育ち具合を見に来たという。しいたけは、本体が出るまでに、「ゴムたけ」という黒い弾力のある芽のようなものが出るという。それが出たら間違いなく「しいたけ」が育つ。誘われて私も見に行った。点々と、ゴムたけが出ている。多田さんは「雨が降らへんから、ときどき水を補給してやらんと…」と言った。竹林は筍ばかりではない。しいたけの面倒も見てやらねばならない。


 かねて申し入れのあった竹炭作りは、7月6日(水)竹材の運び入れ、9日(土)火入れ、と決った。
 火入れはともかくとして、竹材の運び入れは全員総がかりでやる。


 あす6月30日は「夏越の祓」である。本来は旧暦六月の晦日に宮中で行われる、暑気払いの行事である。旧暦六月の晦日は、現在の7月の終り(今年は7月30日)である。

 冬の間に囲っておいた雪を、この日に宮中に運んで、あまづら(甘葛)の汁をかけて食べて暑気払いをしたという。

 京都市北区の氷室という集落の奥に、氷室跡という大きな窪地がある、夏越の祓のとき、ここから宮中に雪を運んだという。7月の終りといえば、その年の最高気温が出る時期である。そんな暑いさなかに山の中に囲っておいた雪に「あまづら」の汁をかけて食べるなんて、当時の貴族は、いまでは想像もできない贅沢をしていたのである。その夏越の祓の雪を真似て庶民が作ったのが、いまの「みなづき」である。

 「みなづき」が白くて三角形をしているのは、夏越の祓の雪に見立てたのではないかと、これは私の勝手な想像である。いまなら南極の氷を運ぶほうが簡単ではないか。北半球の夏は南極の冬だから。


                               山 本 律



【総会の報告】 6/30追記

余計な無駄口ばかり叩いて、肝心のことを忘れていました。
お詫びして追加させていただきます。


 NPO法人 竹の学校 第4回通常総会終了の報告

 平成23年6月26日(日) 10時15分より バンビオ1号館 6階 生涯学習教室「配膳調理室」においてNPO法人竹の学校第4回通常総会を開催した。(以下敬称略)


 司会窪田征明により、正会員35名中 出席19名、委任状提出13名、欠席3名、参加率91.4%にて総会は成立の旨報告があり、議長に山本律を選出して議事に入った。


入院中の杉谷保憲理事長の代理として野本鉚二理事が挨拶。
議事録署名人として、野本鉚二、世良田芳弘、竹内優夫の3名を選出。

第1号議案 平成22年度事業報告、決算報告(附監査報告 錦織努監事)
第2号議案 平成23年度事業計画案、収支予算案

以上2議案とも全員異議なく承認、可決
 
11時15分すべての議事終了。議長が閉会を宣言。


文字で書くと、いかにも堅苦しいですが、終始なごやかな空気の中で議事が進められました。

以上報告します。


                           山 本 律


 


 

 

49 傘寿の 竹林独り言 ・・・ 「梅雨明け間近」 

2011.06.25 山本  律

 

傘寿の 竹林独り言「梅雨明け間近」 2011・06・25 「土」 晴

参加者 : 山本、高田、松本、野本、錦織、濱上、世良田、荒木、竹内、林、(小椋)。伊藤、安田。 [12名]


 昨日今日の空の晴具合と暑さは、梅雨明けも間近を思わせる。だが梅雨前線が、まだ北陸から東北地方にかけて居座っているから、あれが南下してくると梅雨に戻る可能性はある。しかし梅雨明けが近いことは間違いなさそうである。真夏日を超して猛暑日(35℃以上)になるのか…と思うとうんざりする。今年の夏は暑いらしいから、まんざら杞憂とばかりいえない。事実栃木県で、すでに38℃を超える猛暑になっている。


 この暑さの中で、先日来続けている一輪車とエンジン付土運車の車庫造りが進んでいる。今日は屋根の軒組がほぼ完了した。式はしないが「棟上げ」である。あとは屋根を葺けば完了までこぎつけた。

 一方で高田さんが、一人黙々と水道管の延長作業をしている。これも最終部分の接続を終れば完了する。


 竹林作業が終ったあと 「こらさ」で明日の総会資料を製本した。小椋さんが風邪を引いたらしくてマスクをかけて咳ををしながら製本している。

 あす26日は NPO法人 竹の学校の定例総会である。

          時 間  10時15分~11時15分


          場 所  JR長岡京駅 西口 バンビオ 生涯学習室

 万障繰合わせて多数ご出席下さい


                                           山 本  律


 
 


 

 

48 傘寿の 竹林独り言 ・・・ 「真夏日の夏至」 

2011.06.22 山本  律

 

傘寿の 竹林独り言 「真夏日の夏至」 2011・06・22 (水) うす日ともうす曇ともつかぬ中途半端の空模様

参加者 : 山本、高田、松本、野本、窪田、錦織、濱上、世良田、荒木、竹内、林、塚崎。 [12名]

 

 今日が夏至。一年中で一番日が長い。冬至のときにも書いたが、夏至も日出時刻が一番早くて日没時刻が一番遅いわけではないらしい。地球が23°半傾いている関係で、日出が夏至よりも早くて、そして日没が夏至より遅い日がある。荒木さんが「また日出と日没の時刻を調べてみよう」と言った。冬至のときも調べて下さった。

 梅雨の最中だから仕方ないが、雨の降らない夏至は珍しい。たいていは雨が降っているか、雨でなくても曇っていて、日が一番長いという実感がない。

 しかも、今日は真夏日になりそうだという予報である。実は昨日も真夏日で、ゆうべは毛布1枚で寝たが、その毛布が暑苦しくてそれも外して寝たのだが、今度は何となく肌寒くて、夜中に目が覚めた。暑いから言うのではないが、私は冬のほうが性に合っている。(14時50分現在、戸外の温度計は31.0℃)



 ひと言書き漏らしていたことを思い出した。

 前回の竹林日記に 「さばえというのは乙訓独特の言葉ではなかろうか」と書いたが、荒木さんが 「Yahooの辞書に、筍のあとに出る細い竹、と出ている」と教えてくれた。

 ということは、「さばえ」は乙訓だけでなく、全国的に通用する言葉だったのである。

 荒木さん、ありがとうございました。 


                             山本 律


 


 

 

47 傘寿の 竹林独り言 ・・・ 「"サバエ"のいわれ」 

2011.06.15 山本  律

 

傘寿の 竹林独り言「"サバエ"のいわれ」 2011・06・15 (水) うす曇

参加者 : 山本、高田、松本、窪田、錦織、濱上、世良田、荒木、小椋、竹内、林、塚崎。 [12名]


 梅雨だから当り前といえばそれまでだが、それにしてもよく降った。今日は一週間ぶりの竹林作業である。

 花壇を抜けて竹林に入って、まず気がついたのは、サバエのはびこりようだった。特に、以前は資材倉庫と作業場所だったあたりの生え方がすごい。ほかのところも生えていないことはないが、ここが際立っている。

 何はさておいてサバエ刈にとりかかった。


 筍が終ったいまの時期に出てくる、この竹とも笹ともつかないものを、なぜサバエというのか。わからない言葉が出てくると、私はまず広辞苑を見る。広辞苑でもわからないときは大言海を見る。竹に関する「さばえ」は、広辞苑にも大言海にも出ていない。しかし、ヒントになりそうな説明はある。

 広辞苑の「さばえ」の項は「さばえ」五月蠅 陰暦五月頃のむらがり騒ぐ蠅 とある。
 大言海は「さばえ」の見出しはなく、「さは」の項に「さは」 多く、たくさん とある。そういえば、たくさんを、古くは「さはに」と言った。
 いまでも、五月蠅と書いて「うるさい」と読ませる。広辞苑と大言海を重ねあわすと 「うるさいほどたくさん」という意味が見えてきそうである。竹林のサバエは、まさにうるさいほどたくさん生える。
 
 調べたわけではないから、はっきりとは言えないが、サバエというのはこの時期に出る竹とも笹ともつかぬ
ものを指す乙訓独特の言葉ではなかろうか。ご存知の方があればご教示いただけるとありがたい。

                                                山 本  律

 


 

 

46 傘寿の 竹林独り言 ・・・ 「農閑期の竹林」 

2011.06.08 山本  律

 

 傘寿の 竹林独り言「農閑期の竹林」 2011・06・08 (水) 晴

 参加者 : 山本、松本、野本、窪田、錦織、濱上、世良田、竹内、林、嶋谷(公)、塚崎。 [11名]


 朝起きたときは道が濡れていて、水溜りにぽつぽつと雨が落ちていたが、8時ごろは曇ってはいるが雲が高くて愛宕山がはっきり見えた。私は愛宕山の雲のかかり方で天気具合を予想する。愛宕に雲がかかっているときは、晴れていても天気が崩れる。反対に、いくら曇っていても愛宕が見えたら雨にはならない。今朝がそれだった。

 最近その私なりの天気予報がむずかしくなった。第二外環状道路(にそと)の橋脚ができて、愛宕山が見えなくなったのである。しかも「にそと」が阪急の線路をオーバークロスする場所なので橋脚が無茶苦茶に大きくて高い。あれが完成した暁には、35年続いた天気予報ができなくなる。西山の自然を守るというのは、何だったのか。


 きょうは土運び一輪車の「車庫」造り、竹林の溝造りで作業終り。


 「独り言」だから思いつくままを書く。またしても朝日新聞である。

 ドイツが2022年までに原発を全廃すると決めた。日本は中部電力の浜岡原発を停めただけで、あとどうするか決っていない。というより決められないでいる。ドイツも日本も、先の戦争で敗戦の苦汁を舐めた国である。

 それが、一方は異国(日本)の失敗で原発の全廃を決め、日本は、たった一箇所の原発を停めただけである。この違いはどこから来るのか。何が違うのか。

 しかもドイツ(というよりヨーロッパ大陸)は地震にはおよそ縁のない国(地域)である。その上、ドイツだけでなくヨーロッパ各国は隣国の電力を融通しあえるシステムを持っている。日本は内閣総理大臣の言葉尻をとらえて、「ペテン師」呼ばわりするだけで、国の将来を真剣に考える気配がない。内閣総理大臣の肩書きがほしいだけの政治家しかいないのか。

 ただ、朝日新聞は、国が抱える宿題を、国民が我がものとして、それぞれが「行き先」を決めて頑張るところが日本人らしいと、日本人の節電に対する姿勢、努力を評価している。日本という国は、政治家よりも国民のほうがしっかりしているのかもしれない。


        山 本 律


 


 

 

45 傘寿の 竹林独り言 ・・・ 「竹が水を吸い上げる音」 

2011.06.04 山本  律

 

 傘寿の 竹林独り言 「竹が水を吸い上げる音」 2011・06・04 (土) 晴

 参加者 : 山本、松本、野本、澤、辻井、濱上、荒木、小椋、竹内、稲岡、辻井(ひ)、林、塚崎。 [13名]


 晴れてはいるが遠望がきかない。まわりりの景色が、ぼんやりとかすんでいる。季節外れの黄砂だろうか。

 春霞は実は黄砂だと聞いたことがあるが、梅雨どきの黄砂は聞いたことがない。

 6月は竹林の、いわば農閑期である。筍が終って、新竹の先止めも済んで、土運び用の一輪車の保管場所を作ったり、サバエの刈り取りをしたり、新竹に年号を入れたり、言ってみれば、こういうときでないとできないことをしている。

 澤さんが久しぶりに顔を見せた。色が白くなったとも思えず、やせた様子もなく(ご本人は「むくんでるのかもしれません」と言うが)元気そうである。


 きょうの独り言は何を書こうかと思案していたら、朝日新聞の夕刊に面白いことが書いてあった。借用する。京都市東山区に広がる高台寺山国有林の話である。

 木の幹に聴診器をあてると、水の流れるようなささやきが鼓膜に響く。

 案内役の京都森林インストラクター会会長の篠部幸雄さんが言った

 「実は、水はそんなに速くは上がらないんです。実際は葉や枝、根などを通じて、木が周囲の音を集めているのではないかと言われています。木が全身で聴いている音といってもいい」

 梢が風に揺れると、確かにひとの鼓動のような音に変わった。

 緑の集音器。そんな豊かなイメージは、自然に対する日本人の美意識の表れだ。


 本文はさらに続くが、これを読んで、竹は水を吸い上げる音がする、といわれることを思い出した。もっとも私は耳も老齢化して聞えないが。

 竹は木と違って、水を吸い上げる量が桁違いに多い。はっきり覚えていないが、竹は一昼夜に70ℓから80ℓの水を吸い上げるという。その証拠に、筍や若竹のこずえ(竹は"こずえ"とはいわないが)を見ると、水のしずくがきらきらと光っている。そして、まわりの土が湿っている。あれを見ると、ひょっとしたら竹は水を吸い上げる音が聞えるのかもしれないと思う。

 竹林というのは、ほかではできない貴重な体験ができる。


               山 本 律


 【本日の作業風景】

・ミーティング風景です                 
・一輪車保管場所の基礎工事です
・竹工芸の先生が作品を作って
 帰ってきました

 


 

 

44 傘寿の 竹林独り言 ・・・ 「梅雨の水無月」 

2011.06.01 山本  律

 

 傘寿の 竹林独り言 「梅雨の水無月」 2011・06・01 (水) 雨

 参加者 : 多分「0」


朝起きたときは、あやしげな空模様だが雨は降っていなかった。7時ごろ外に出ると頬にぽつっと水滴がついた。

TVの京都府南部の天気予報は「午前中は雨が降ったりやんだり、午後は降水確率80%」と出ている。


 今日は作業は無理だ、と諦めた。この天気で竹林に入った人は、よもやおられまいと思う。


 きょうから6月。水無月。この梅雨どきに、なんで水のない月やねとはかねがね思っていたが、広辞苑で調べてみた。

 「みなづき」は、古くは「みなつき」と澄んで呼ばれたという。そして「水の月」の意味だとも。水の月ならわかる。六月は、まさに「水の月」である。

 古代には「雨」という言葉はなく、雨も川もすべて「水」だった。五月雨(さみだれ)は、稲の神「さ」が水を垂らす、の意味だと聞いたことがある。

 そういわれて見ると、水無瀬も水のない瀬ではなく、水の瀬(浅い川)である。

 この歳になっても、いろいろ勉強することがある。              


    山 本 律


【追伸】会員 各位

 竹林日記を作って送信する直前に、10時から「コラサ」で総会準備の打合せをする、との連絡が入った。

 私は理事ではないが竹林日記の執筆担当なので、記事にする情報があるかと思って「コラサ」に出向いた。

 野本、小椋、世良田、竹内の四氏が来ておられた。

 後日開催通知をお送りしますが、開催日時と場所だけお知らせします。     


   
開催日時 2011(平成23)年6月26日 (日)  午前10時~ (午前中で終る予定)

      場所 JR長岡京駅口 バンビオ 中央学習センター



 朝の竹林日記に、「この天気で竹林に入った人はおられまい」と書いたが、林哲郎さんが来ておられた。

 「雨でも運動のために入った。誰も来ないので、版画に使うバレン用の竹皮を数枚拾って帰った」と、メールが入っていた。

 従って参加者は(1)である。


    山 本 律


  【C竹林のキヌガサダケ】~5/28(土)に出たばかりのキヌガサダケを小椋さんが見つけました。Inaoka

・写真は3本ですが、他にも2本
 出ていました。少しずつ成長に
 差があって面白いです

・スカートがちょっとだけ出た
 ミチョロ状態です
・左の物より少しスカートが伸
 びています
・さらにスカートが伸びています。
 見慣れたキヌガサダケには
 もう一息です


                                            

【管理人より】~本年5月までのHPへのアクセス数です。 Inaoka

        1月   2月   3月   4月   5月  累計 

アクセス数 337   396   554   735   604  2626  
 
 


 

 

43 傘寿の 竹林独り言 ・・・ 「長閑な竹林」 

2011.05.25 山本  律

 

 傘寿の 竹林独り言「長閑な竹林」 2011・05・25 (水) 晴

参加者 : 山本、松本、野本、濱上、荒木、竹内、稲岡(喜)、多田ご夫妻、林、塚崎  [11名]


 標題は先週の土曜日と同じだが、空気の肌ざわりというか爽やかさが先週とまるで違う。今日はむし暑くもなく程よい風もあって、文字どおりの五月晴れである。ホトトギスも啼いていないし初鰹も食べていないが

  目には青葉 山 ほとぎす 初鰹 の句が浮んでくる。

 筍も掘り終って、差し当って急ぎの作業もなく、作業用器材倉庫の整理・片づけ、今年の若竹の年号入れなど、みなのんびりと思い思いの仕事をしている。


 きょうの独り言は何を書こうかと考えながら、ふと思いついた。

 日本語には、語尾が「...やか」で終る形容詞がたくさんある。本文のはじめの部分にある「爽やか」も、その一つである。

 アホかといわれそうだが、思いつくままを書き並べてみる。

 あざやか、あでやか、おだやか、かろやか、きらびやか、こまやか、ささやか、さわやか、しとやか、しのびやか、しめやか、すこやか、すみやか、たおやか、つややか、なごやか、にぎやか、はなやか、まろやか、ゆるやか まだりそうな気がするが、ここらでやめておく。

 いずれ折をみて並べてみたい言葉に「...り」がある。

 あっさり、うっかり、おっとりの類である。これは後ろに動詞が続くから、分類上は副詞である。以前、面白半分に拾い出したことがあるが、「やか」とはくらべものにならないほどたくさんある。

 もうええかげんにせえ。  はいわかりました、もうやめます。


             山 本 律


 


 

 

42 傘寿の 竹林独り言 ・・・ 「長閑な竹林」 

2011.05.21 山本  律

 

 傘寿の 竹林独り言「長閑な竹林」 2011・05・21 (土) 晴

参加者 : 山本、川路、尾崎、松本、野本、窪田、錦織、辻井、濱上、荒木、大西、竹内、稲岡、吉田、
      高橋、稲岡(喜)、林、塚崎、伊藤。 [19名]


 穏やかな天気だが風がなくて、むしっ としていて、何もしなくても額に汗がにじみ出てくる。

 筍はすでに峠を越したが、それでもところどころ頭を出している。乙女の丘の筍は品質がいいので、掘り取って捨てるに忍びない。10人近い人が筍掘りをしている。

 吉田さんが久しぶりに顔をみせた。「半年ぶりです」と言う。

 名前を確認していないが屈強の男性数人が先止めにかかった。少し時期が早いせいか、先止めよりかなり下から折れる竹がある。それでも乙女の丘、太陽の丘、C竹林の先止めが完了した。


 次の水曜から新竹に「11」と年号を書き入れる作業がはじまる。目印は、根元を覆っている竹皮の袴と、竿の表面の白い粉である。年号を書き入れるときはこの粉を拭取らないと字が書けない。

 今年の「11」は直線だけだから書きやすいが、一昨年の「09」、一昨々年の「08」は手こずった。ゴチックの数字を書くには筆順がある。〇を書けばよいというものではない。特に「8」はややこしい。「そんなもん、どうでもええやんか」と言う人がいるが、私の性分というのか趣味というのか、筆順どおりに書かないと気が済まない。

 いかにも仕事をしているらしく見えるが、半分遊び気分で、新竹に1本1本数字を書き入れて行く。


 この間の日曜日、美山町の「かやぶきの里」に行ってきた。

 何分にも不便な場所で、一般の交通機関(山陰線とかバスなど)ではどうやって行けばよいか見当もつかずにいたが、大阪の池田市にいる小学校時代の友人が自分の車で連れて行ってくれた。

 ちょうど田植どきで、それこそ早乙女が赤い袴に菅笠姿で田植をしていた。

 「かやぶきの里」もよかったが、それよりも、水のうまさだった。山小屋風のホテルがあって、そこの食堂で昼飯を食べたのだが、出された水をひと口飲んで「これはちがう」と気がついた。

 ウエェイトレスに「これは由良川の水か」と聞くと「由良川の水のままではありませんけど、由良川に流れこむ谷から水を引いて漉しています」との答だった。

 私が長岡京市に住みはじめたころ、長岡京市の上水道はすべて井戸水だった。「長岡の水はおいしい」と評判だった。いまは亀岡市の上流の保津川の水だが、保津川の源流と由良川の源流は、佐々里峠を挟んだ隣り合わせである。保津川の水も、佐々里峠で飲めば美山町の水と同じ味がするはずである。

 都会というのは便利だが味気ない。


     山 本 律


 
 【本日の作業風景】

・ミーティング風景です                         
・ワーイ、タケノコだ~い
・虎ロープで先止め作業中です
 
・長法稲荷参道と花壇の清掃です
・花壇のお客様です
・東北震災地に送った松本さん手作りの
 竹箒の写真です

【運搬車の修理】~エアクリーナの蓋の爪が折れて、縛り付けていたので、T型留め金具を改造して取り付けました Inaoka
・SUSの金具で、ワンタッチ脱着OK
・運搬車にケースを取り付けた状態
・カバーを付けてバッチリです
 
 


 

 

41 傘寿の 竹林独り言 ・・・ 「幼児の筍掘り」 

2011.05.17 山本  律

 

 傘寿の 竹林独り言 「幼児の筍掘り」 2011・05・17 (火) 晴

参加者 : 山本、塚崎、高田、野本、窪田、錦織、濱上、世良田、荒木、小椋、林(哲)、竹内、稲岡(喜)、多田 [14名]

ゲスト : NPO法人 くらいあんとroom さくらんぼ 2歳幼児15名 ・保護者(母親) 15名 計30名


 本来は18日(水)が作業日だが、上記幼児団体の筍掘りの予約が今日なので作業日を振替えた。従って土曜日まで作業がない。

 幼児の筍掘りといっても幼児が掘るわけではない。といって保護者である母親が「ホリ」を扱うわけでもない。筍のまわりりの土をツルハシで掘り起すのがせいぜいである。

 それでも、筍はどういうふうに土の中で育つのか、どうやって掘り出すのかは、実際を見ないことには想像も理理解もできない。思いがけない深さから筍が掘り出されるのを見てお母さん方は驚きと感嘆の声を上げていた。地下茎と筍の関係も筍の根がホリで切られるのを見て理解された。

 そして思いのほかの重労働に、認識を新たにされたようだった。

 申込を受けた時点では形のよい筍らしい筍は、ほぼ掘り尽された状況だったので、「筍はもう間に合わない」と伝えてあったが、乙女の丘には、幸いにかなりたくさんの形のよい筍が残っていたので、参加者には筍掘りを堪能していただけたのではないかと思う。


 話は変るが、今度の大震災で原発が甚大な被害を被った。

 それに伴って現在稼動中の原発も停止のやむなきに至って、この夏の電力需給がピンチに陥り、節電が当面最大の問題になっている。

 先日の朝日新聞の「天声人語」に、こんなことが書かれていた。

 「昔は、夏といえばステテコにシャツ一枚、窓という窓を開け放して、打ち水と団扇で暑さを凌いでいた。
  今日では、夏は家も車も窓を閉め切ってクーラーで室内を冷やして、熱気を外部に撒き散らしている。
  これを改めないことには電力の需給に支障を生じることは確実である」

 元の文章はもっと名文だが、大略こうした意味内容だった。

 そういえば、かつて「消費は美徳だ」という言葉がはやった。私が勤めていた病院でもエアコンの設定温度が夏が25℃、冬が28℃だった。「逆とちがうか」と言っても耳を籍す者は誰もいなかった。すべて原発のせいだとは言わないが、こういう自然に逆らう生活環境を可能にした最大のエネルギー源が原発である。

 いまさら何を言うてんね、とせせら笑っても、このままでは「堪え難きを堪え、忍び難きを忍ぶ」生活が待受けていることだけは確実である。覚悟しておきましょう。

              
    山 本 律


【本日のゲスト】
・いつになくにぎやかな竹林となりました

 
 


 

 

40 傘寿の 竹林独り言 ・・・ 「筍掘りの後始末」 

2011.05.14 山本  律

 

 傘寿の 竹林独り言 「筍掘りの後始末」 2011・05・14 (土) 晴

参加者 : 山本、塚崎、高田、松本、野本、窪田、錦織、辻井、濱上、世良田、荒木、小椋、竹内、稲岡、

      高橋、林(哲)、嶋谷(公) [17名]


 梅雨を思わせる雨が上ったと思ったら、昨日は黄砂。きょうは抜けるような、とはいかないが青空に雲が流れて、爽やかな風が吹いている。五月晴れといってもよい天気だが、「さつき」というのは、イネを育てる「さ」という神が、人が住む里(さと)に降りてきている季節を言う。それで梅雨を「さみだれ」という。「さ」が水を垂らすの意味であり、「さつきばれ」は梅雨の晴れ間をいう。

 ついでに言うと、「さおとめ」は、「さ」が降りている間、「さ」に仕える未婚の女性のことであり、「さなえ」は「さ」に捧げる稲の苗をいう。この捧げるも「さ」に関係があるし、授かるも酒(さけ)も「さ」に関係がある。

 イネを育てる存在をなぜ「さ」と言ったのか分らないが、それが今に至るまで2千年も活き続けているというのは、何とも奥の深い言葉である。いま我々が使っている言葉で2千年後もなお使われる言葉があるだろうか。


 この雨でどれぐらい筍が出ているか半分は興味、半分は心配で竹林に入った。思ったほど丈は伸びていないが雨後の筍と言うとおり、数が増えている。ここにも、あそこにも、というほど、ほうぼうに頭を出している。

 しかし色は黒いし硬そうだし、どう見ても食べておいしいとは思えない。もったいないが鋸で切り倒すことにした。色は黒いし硬そうだといっても、筍は筍である。つくだ煮にでもすれば食べられるかもしれないが、なんといっても量が多い。多すぎる。もったいないと思いながら、しばらくこの作業が続きそうである。


 お知らせを一つ。

 来週は18日(水)の作業日を 17日(火曜日)に振り替えます。お間違えのないよう、ご注意下さい。

 保育園の児童が、団体で竹林の見学にきます。筍掘りが希望だったそうですが、間に合いませんでした。


 それともう一つ。

 杉谷さんが竹林日記を書かれるとき、「杉爺の竹林日記」という表題を使っておられた。私(山本)も、何か表題をつけたら、と言う方がおられるので、思いつくままに、なんやこれは、といわれそうな、ヘンな表題をつけてみた。

意味はわかっていただけると思う。                      


      山 本 律


 【本日の作業風景】

・タケノコ掘りも終わり、暖かくて、ゆったりした時間が流れている雰囲気です

・四角い竹造りチャレンジ中。タケノコがある最後のチャンスで頑張ってます。

・大型タケノコは大鍋で!
・エコツアーのお礼肥え用バケツの手入れです

 ・椎茸です
 
 【竹林の風景】~親竹になるタケノコがぐんぐん伸びてます
・伐採竹を割って伸びる若竹(タケノコ)
          
・竹林コンサートのステージ跡です
・シロコ畑の親竹の候補生達です 


 
 


 

 

39 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「筍の掘り納め」 

2011.05.09 山本  律

 

 竹林日記 「筍の掘り納め」 2011・05・09 (月) 晴

参加者 : 野本、窪田、錦織、世良田、竹内。塚崎。 [6名] (番外 山本)


 きょうは希望者が掘りたいだけ掘る、という設定の日である。

 私(山本)は、参加者が0ということはあり得ないから、何人ぐらい出てくこられるか参加者の人数を知りたくて9時半ごろ、のこのこと顔を出しただけで、作業は何もしていない。


 竹内さんが今年の新竹の先を指差して

「もうあれだけ濡れてます。根元も、まわりが湿ってます。ほかのところはからからに乾いているのに」

 と言った。

 言われてみると、まだ皮をかぶったままの穂先が、きらきらと光っている。これがけ雨が降らないのにどこから水を吸い上げているのかと思う。そういえば、竹は24時間に70ℓか80ℓの水を吸い上げると聞いたことがある。何千本とも知れないひげの塊りのようなあの根が周囲の水を吸い上げるのである。


 それとあらためて気がつくと、ついこの間まで文字どおりたけのこだったものが、4~5m近くまで伸びている。この植物を、なぜ「たけ」というのかを、大言海で調べたことを思い出した。大言海には「長け(タケ)生フル義、成長ノ早キニツキテ名アルカ」と出ている。背丈、身の丈の「丈」と同じ言葉である。

 ついでにつけ加えておくと、竹はイネ科の植物だという。

 竹というのは不思議な植物である。

 明日から2、3日雨が続くという。今日が事実上の筍の掘り納めになりそうである。お疲れさまでした。


              山 本 律


 


 

 

38 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「ファミリーサービスデー」 

2011.05.07 山本  律

 

 竹林日記 「ファミリーサービスデー」 2011・05・07 (土) 晴

参加者 : 山本、野本、窪田、辻井、濱上、荒木、林(哲)。川路、尾崎、稲岡(喜)。林(重)。てくてく村山。

ファミリー : 山本、尾崎、稲岡、てくてく猪早。 [16名]


 暦の上ではもう夏である。おととい(4日・水)もそうだったが、今朝の挨拶も 

「おはようございます、暑いですね」だった。

 きょうは「ファミリーサービスデー」。これはなぜかカタカナ言葉のほうがしっくりする。日本語(正確には漢語)でうまく表現するのはむずかしい。「家族招待日」なんて言ってもピンと来ない。


 筍は相かわらずほうぼうで頭を出している。しかもこの時期の筍は、深いところから時間をかけて頭を出すから、いくら掘ってもホリが地下茎に届かない。折角のみごとな筍も多くは切腹して、無残な姿で出てくる。意地を張って地下茎を掘り当てて根を切って掘り出しても、深いから長いことは長いが細くてふくよかさがない。

 私が頼りない腰つきで長い時間をかけて掘り起こすのを見て女房が

「筍てこんな手間をかけて掘るんやねえ、わたしたちは食べることしか考えへんけど」
 と言った。その意味で、こうした筍掘りの作業を見せるのもファミリーサービスかもしれない。恩に着せるつもりは毛頭ないが、筍を見て、これが地中から掘り出される状景を思い出してくれたらそれでよい。


 来週の月曜日(9日)は、希望者だけが竹林に入る。まだ筍はたくさん出ているから、これと思う筍が掘れたら、自由にお持ち帰りください。


                         山 本 律

                                                           ・記念写真です(池田さんのご提供です)


【管理人より】
 雨でエコツアーに来られなかった「ダイハツを美しくする会」のTさんにご注文のタケノコをお送りしたところ、きれいな葉書を頂きました。

 箱を開けたとたんに、「これは書かなくちゃ」と思われたそうです。

 余りにやさしい絵でしたので、載せさせて頂きました。来年こそエコツアーにぜひ来てください。   Inaoka
 


 

 

37 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「年に一度の試み」 

2011.05.04 山本  律

 

 竹林日記 「年に一度の試み」 2011・05・04 (水) 晴

参加者 : 山本、高田、松本、野本、窪田、錦織、濱上、世良田、荒木、小椋。尾崎、大西、高橋、原。塚崎、林(重)。 [16名]


 きょうの陽気は暖かさを通り越して暑い。筍を掘っていると額を汗が流れる。

 あさって6日は立夏。暦の上では夏。といっても日本ではこのあとに、梅雨という鬱陶しいが稲作に欠かすことのできない雨季が控えている。この雨と暑さがないと、私たちは米の飯が食えない。

 しかし今年は東日本を襲った大津波で岩手、宮城、福島3県の太平洋側の田が一面の泥と海水に浸っている。今年だけでなく、このあと何年かは満足に米が食べられないかもしれない。


 新たな試みとして今年から始めた角竹造りが、休憩のとき話題になった。

 角竹に関する情報はインターネットで検索するといくつか出てくるらしいが、肝心の造り方は製作者の秘密情報なのか書かれていないという。失敗を覚悟の上で試行錯誤を積み重ねる以外に方法はない。

「そやけど失敗したいうて造りなおすのは来年になるなあ。筍は年に一回しか出えへんしなあ」

 これに対して

「失敗と考えたらいかん。思うたものができんでも、それを使って何を造るか、何ができるかを考えたらええのや」

 という意見が出た。

 角竹を造るのが目的であることは確かだが、その過程でできたものが思いがけない造形だったりする可能性は十分あり得る。四角が菱形だったり平行四辺形だったり不規則な形だったりしても、それを生かす柔軟な思考が大事である。サントリーの佐治敬三さんではないが「やってみなはれ」である。失敗を恐れるのではなく、失敗と考えないことである。


         山 本 律


 


 

 

36 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「新たな試み―角竹造り」 

2011.05.02 山本  律

 

 竹林日記 「新たな試み―角竹造り」 2011・05・02 (月) 晴 黄砂

参加者 : 山本、松本、野本、窪田、錦織、荒木、竹内、稲岡。稲岡(喜)、川路、原。塚崎。 [12名]


 雲はないが空が白くて山がかすんでいる。黄砂である。

 きょうが八十八夜、立春から88日。

<夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が繁る あれに見えるは茶摘じゃないか あかね襷に菅の笠>

 という歌があって、それに合わせて女の子が手をたたいていた。「きょう日の子はそんな歌を聞いても実感が湧かんやろな」と荒木さん。


 城陽市の農協で新茶の初せりがあった。例年は4月に行われるが、今年は冬の寒さのために生育が遅れて、15年ぶりに5月の初せりになったという。筍も今年は生育が遅れている。茶と同じである。茶は発芽が遅れたが、生育は順調だという。筍も同じである。連休いっぱいは出続けるだろう。


 昨年は4月25日がファミリーサービスデーだったが、

    今年は5月7日の土曜日をファミリーサービスデーにしよう

 と決った。ご家族連れでお越しください。

 はじめての試みとして、四角い竹「角竹」を造ってみようということになった。竹は生えたあと太さが変らないからどの時期に竿を板で囲えばよいのか、ともかく若竹を囲ってみようと、脚立に上って板で囲った。

 最初の一回で成功するかどうか心もとないが、試行錯誤を重ねるうちに、「できた!」ということになるだろう。サントリーの先代社長佐治敬三氏は「やってみなはれ」が口癖だったと聞く。失敗のない成功はない、という。


 私の個人的な都合で発行が翌日にずれこみました。申しわけありません。    


      山 本 律


  【本日の注目タケノコ】~大きなシロコです!!乙女の丘から出ました。46cmもありました。
  【久しぶりの会員のホリ風景~その3】                
 【四角い竹の試作開始です】
        ~L型の木型で矯正するようですが・・・

 
 【おまけ】~5/1の長岡天満宮のキリシマツツジと藤棚です。連休と見ごろが一致しました!
      
 【管理人より】~本年度のアクセス数です。 Inaoka

        1月   2月   3月   4月   累計  

アクセス数 337   396   554   735   2022   

 


 

 

35 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「ひたすら筍掘り」 

2011.04.30 山本  律

 

 竹林日記 「ひたすら筍掘り」 2011・04・30 (土) うす曇 一時小雨

参加者 : 山本、高田、松本、野本、窪田、錦織、辻井、濱上、世良田、荒木、小椋、竹内、稲岡、林。
      向井、川路、尾崎、大西、稲岡(喜)、原、嶋谷(公)。塚崎。 [22名]

ゲスト  : ダイハツファミリー[大4名]


 この筍の出方を見ると不作とはいえない。この竹林の特徴ともいえる、抱えるほどの大筍もたくさん出ているし、予約注文を受けたものもすべてこなすことができた。しかも掘りきれずに顔を出してしまった筍がまだかなりある。

 それと、これは今年だけのことではないが、竹林コンサートの会場になる竹林は地下茎の密度が高い。地下茎が邪魔をしてうまく掘り出せない筍がいたるところにあるし、隣り合わせの別の地下茎から出た筍が一箇所から2本掘り出されることは珍しくない。私たちは「ふたご」と言っているが、一つの節から2本出ているのではないから正確には「ふたご」ではない。しかし見たところはふたごである。

 去年だったか一昨年だったか、稲岡喜美子さんが太さが10㎝以上もある筍を3本一度に掘り出したことがある。今年たまたま私がここに入ってそれを思い出した。


 雑談というか不思議な話を一つ。

 宮城県の南部に名取という市がある。名取市には仙台空港があるが、ここに閖上(ゆりあげ)という地域がある。閖上という地名は、東日本大震災の津波で大きな被害が出たことで知られるようになった。この「閖」という字は、日本中でここだけ、ということは世界中でここでしか使わない漢字らしい。

 日本には、辻、峠、畑、榊、辷など、日本で作られた漢字(国字)がたくさんあるが、「閖」はもちろん国字である。そしてこの字ができた由来が面白いというか変っている。

 「ゆりあげ」という地名は平安時代からあったというが、漢字はなかった。江戸時代に入って、仙台藩主の伊達なんとか(名前を忘れた)という殿様が、菩提寺の門から波の寄せる浜を眺めて、「あそこはなんというところか」と家来に尋ねたという。家来が「ゆりあげ浜にございます」と答えたところ、「どういう漢字を書くのか」との仰せ。

 「漢字はございません」と申し上げると藩主は、「寺の門から見える浜だから、門に水を書いて閖上とせよ」と。

 ホンマかいなと思う、うそのような話だが、名取市のホームページには、そう書いてあるらしい。だから日本中はもちろん、世界中でもこの字は名取市閖上でしか使わない、通用しない漢字らしい。


   山 本 律


 【本日のゲストのエコツアー風景】
 ~ダイハツファミリーの皆さんです

  たくさん掘ってたくさん買って頂きました

【シイタケ園からの収穫】
 今週の雨で、たくさん収穫できました!

 
  【本日の変わった形のタケノコ】~地下茎に邪魔されても一生懸命伸びてきた頑張り屋さんです
↓掘り出したらこの通り! 
↓掘り出しても、やはり玉ねぎ! 
↓変形タケノコもお鍋に入りました 白い~


 


 

 

34 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「初めての夏日」 

2011.04.27 山本  律

 

 竹林日記「初めての夏日」 2011・04・27 (水) 晴

 参加者 : 山本、松本、野本、窪田、錦織、濱上、世良田、荒木、小椋、竹内、林(哲)。池田、高橋、稲岡(喜)。塚崎。 [15名]


 きょうは朝から雨の予報だったが雨は降らず、ほとんど雲もない。しかし蒸し暑い。上着を脱いでスポーツシャツ一枚で筍を掘ったが、額を汗が流れた。夕刊に「今年初の夏日、26.4℃」と出ていた。


 このところ天気が不安定である。梅雨の走りを思わせる。昔は梅雨を五月雨(さみだれ)といった。ただし、ここでいう「五月」は、いまの6月だから時期が合わないが、本州の南のほうに停滞している前線が、やがて梅雨前線になりそうな気がする。稚内で桜が咲くと沖縄は梅雨に入るという。


 ついでに言うと、さみだれの「さ」は神を意味する。稲を育てるために、この季節に神が降らせる雨が「さみだれ」である。(「みだれ」は水垂れ)。さつき、さなえ、さおとめ、みな稲を育てる神にかかわる言葉である。弥生時代の言葉であろう。


 本当なら昨日のうちに書く竹林日記が今日(4/28)になったのは、昨日の夜、同志社の「寒梅館」で催されたアムネスティ・インターナショナル設立50周年記念のチェロコンサートを聴きに行ったからである。

 出演者はチェコの ヴラダン・コチというチェリスト。チェコ・スロバキア(当時)のプラハ室内オペラの首席チェリストとして活躍中、チェコ・スロバキア国家とソビエト連邦に忠誠を誓う書類へのサインを拒否したために投獄された人である。アムネスティは彼を「良心の囚人」と認め、世界中の会員から釈放を求める手紙が送られて89年に釈放が実現したという。

 もっとも、私はそんなこととは関係なく、ヴラダン・コチという人も知らず、ただチェロコンサートが聴きたかっただけである。歳をとったせいと、若いときの結核治療の後遺症で音感がボケているにも拘わらず、生のチェロの音色はすばらしかった。


         山 本 律


 


 

 

33 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「掘っても掘っても出る筍」 

2011.04.25 山本  律

 

 竹林日記 「掘っても掘っても出る筍」 2011・04・25 (月) 小雨後曇

参加者: 山本、高田、松本、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内、澤、林。川路、稲岡(喜)、原。塚崎。[15名]

ゲスト : 松井 様


 バスを待っていると横なぐりの雨が降り出した。しかし向うの空が明るいから通り雨だと思って、バスを待った。長法稲荷の入り口の竹林でも、藤下さんが家族中で筍掘りをしておられて、私を見て「雨が降ってきましたなあ」と声をかけられた。「通り雨ですやろ、本降りにはならんと思いますよ」と挨拶をして竹林に入った。思ったとおり、間もなく雨はやんだ。予報では、今日は降水確率0である。幸いに作業中は雨は降らなかった。


 8時ごろから竹内さんが竹林を見回って頭の出かかった筍に串を立てておいて下さった。この前もそうだったが、中一日おいただけの二日目に、こんなにたくさんの筍が頭を出しているのは驚きというほかない。

 しかし、これでも予定していた収穫量には程遠いという。そういえば大きな筍は少なくて、総体に小ぶりである。予約を受けた出荷量をこなすにはとても足りそうにないという。今年は育ちが遅いと同時に不作である。


 久しぶりに澤さんが奥様同伴で顔を見せた。日に当らないために色が白くなって、点滴栄養で口から食べないので少し痩せました、と言われた。そういわれると、以前から見ると頬がこけている。しかし歩きぶりを見ていると、これが手術をした病人かと思うほどしっかりした足取りである。焦らず無理をせず、しっかり養生して、また竹林に出てきてください。


         山 本 律


 


 

 

32 管理人の竹林日記 ・・・ 「雨中の筍」 

2011.04.23 稲岡  利春

 

 竹林日記 「雨中の筍」 2011・04・23 (土) 雨

 参加者 : 窪田、錦織、松本、野本、辻井、濱上、世良田、小椋、竹内、林(哲)、塚崎、稲岡。
       尾崎、大西、稲岡(喜)、辻井(ひ)、嶋谷(公)。 [17名]

 ゲスト : 雨天中止(ダイハツを美しくする会の皆様)


 今日は朝から雨でした。当然中止のはずですが、小雨でしたので、いつの間にか17名も参集しました。おじいさん達(私も含みますが・・・)は今日のゲストを楽しみにしていましたが、残念ながらエコツアーはお休みとなってしまいました。4年間でエコツアーの雨は初めてです。ダイハツを美しくする会の美しい皆様、来年も来て頂けると良いのですが。


 「雨後の筍」ならぬ「雨中の筍」でしたが、タケノコが勢いよくあちこちにポコポコ出ていました。といっても朝掘りタケノコ、トサカの部分しか地表に出ていないので、ポコポコとは良い表現ではないですね。

 竹林コンサートの会場に使用される東の広場にも、タケノコの目印の竹串がたくさん立ってます。毎年、肥料と藁と土を入れている努力のせいでしょうか、コンサートの観客(約300人)に踏み固めれているのに、たくさん出てくるのには感激します。

 久しぶりに十分な供給量が確保でき、タケノコのランクを決める(値決め)野本さんは、忙しくて申し訳ありませんでしたが、会員の皆様はにっこりでした。


 今日も、山本さんがお休みでしたので、またも管理人に竹林日記が回ってきました。「小学生の頃から作文が苦手なので、技術系を選んだくらいだのに、もういやだ」と言ったのですが、「短いのでええんや、書いて」と言われて、引き受けてしまいました。今回は、自動車の話はなしです。年末の東京モーターショーのころに、無理してもう一度は書くつもりです。

 話は変わりますが、新ホームページへの訪問回数が昨年10月の300件/月から少しずつ増え、今年3月には550件/月となり、今月は今日現在で、もう先月の件数を越えました。タケノコの季節がらかも知れませんが、週2~3回のホームページ更新の努力のせいだと嬉しいですね。


[追記]来週4/25(月)は作業日です。


     稲岡 利春

 
  【久しぶりの会員のホリ風景~その2】 写真では良くわかりませんが雨の中で頑張ってます
 ↓竹林コンサート開催場所にもタケノコが・・・(竹串を目印にしています)
↓この方がタケノコのランク付けをします
 


 

 

31 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「筍掘りに追われる その2」 

2011.04.20 山本  律

 

 竹林日記 「筍掘りに追われる その2」 (水) 曇・小雨

参加者 : 山本、高田、松本、野本、窪田、錦織、辻井、濱上、世良田、荒木、竹内、林(哲)。
      川路、高橋、原。塚崎。 [16名]

ゲスト : 松崎 様


 きょうの竹林日記は前回(月曜)と同じ書き出しだが、ちょっと違う。前回は「午後から雨」だったが、きょうは9時ごろまで雨で、以後は晴の予報だった。だのに作業中ずっと「降るとも見えず春の雨」という小学唱歌そのままの空模様だった。だが、ゆうべの雨で、きっと筍が出ている、と思われたのか水曜日にしては参加者が多かった。

 事実そのとおり中一日置いただけなのに一面に竹串が立っている。しかも掘ってみると、たった二日でこんなに育つのか、と思うほど大きな筍だった。去年はたしか4月25日が筍の掘り納めということで、ファミリーサビスデーだったと記憶する。私の家内が真っ黒な筍を抱えている写真がある。しかしこの調子では今年の筍の掘り納めは5月の連休ごろになりそうな気がする。

 今年は筍が不作だと思っていたが、不作ではなく出足が遅かっただけで、その分、後ろにずれこんでいるのかもしれない。


 余談だが、あまり大きすぎて引取手のない筍を荒木さんが持って帰った。3.5kgと聞いた。去年も引取手のないほど大きな筍を2本、私がもらって帰って、家内の知り合いのイタリアレストランに持ちこんだ。イタリア料理に筍は使わないが、レストランだけに抱きかかえるほどの大鍋があるので調理には事欠かない。従業員が分けて持って帰ったらしい。それ以来、私の顔を見ると「筍の山本さん」という。「私の顔が筍に見えるんとちがうか」と茶化しておいた。


         山 本 律


 


 

 

30 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「筍掘りに追われる」 

2011.04.18 山本  律

 

  竹林日記 「筍掘りに追われる」 2011・04・18 (月) 曇

 参加者 :山本、高田、野本、窪田、錦織、世良田、荒木、竹内。稲岡(喜)。塚崎。 [10名]


 今日は今年になってはじめての月曜日の筍掘り。予報では午後から雨ということだったが、それらしい気配もなく作業ができた。

 朝、作業服姿でバスを待っていると、ご近所の人が私を見て「きょうも籔に入らりますの」 と聞いた。

「そうです。タケノコは待ってくれません」

「そうですねえ。ご苦労様です」

 この方に今日掘った筍を茹でて差し上げようと思う。老齢のご夫婦二人だけの所帯なので茹でて差し上げると大そう喜んでくださる。


 竹林に入ると、おとといの土曜日に掘りつくしたと思っていた場所に何本も竹串が立っている。私より先に入った人が立てたのである。筍は待ってくれないことをまさに実感した。きょう入っていなかったら、筍が伸びすぎていたはずである。

 今日に始ったことではないが、筍の傾き具合を見て見当をつけてホリの刃をうまく根に当てたときの手ごたえは、何ともいえない快さである。気が急くあまりにこじ上げると必ず失敗する。焦らずに刃を当てて、手ごたえがなくなるまでホリを差しこんでいるうちに、筍が自分から倒れてくれる。一丁上り。

 しかし筍掘りは、そんな生易しい作業ではない。息は切れるは腰は痛くなるは、といって途中で放り出すわけにはいかない。辛抱と苦痛との戦い…といえば大げさに過ぎようか。だがそれだけに両手で抱えるほどの筍が掘れたときの、やったあという満足感、達成感はひとしおである。


 野本さんの発案で今日掘った筍を杉谷さんにお見舞いをかねて持って行くことになった。だが、奥様にそれをお伝えしたところ、今日手術をされるということがわかった。ご本人はもとよりだが、奥様のお気持はいかほどかと存じ上げる。


 偶然のことから、生年月日がすべて同じ、という人がメンバーにいることが分った。名前は言うなよ、とのことなので、あえて名は伏せる。ただし血液型まで同じではなさそうである。

   
    山 本 律


 


 

 

29 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「筍の盛り― もしかして いまがピーク?」 

2011.04.16 山本  律

 

  竹林日記 「筍の盛り― もしかして いまがピーク?」 2011・04・16 (土) 晴

 参加者 : 山本、高田、松本、野本、辻井、濱上、世良田、荒木、小椋、竹内、稲岡、林(哲)、嶋谷。
       川路、尾崎、大西、高橋、稲岡(喜)、原、辻井(ひ)、嶋谷(公)。塚崎、伊藤。 [23名]

 ゲスト 島津製作所OB会 11名


 朝のうちは、雲が低く垂れこめていながら薄日が射すおかしな空模様だったが、そのうちに青空が広がって、汗ばむほどの陽気になった。

 きょうは竹の学校のメンバーが23名と大勢が参加した上に、島津製作所OB会の11名が加わって、賑やかな筍掘りになった。


 8時半ごろ私(山本)が竹林に着いたときすでに野本さんは乙女の丘で筍を掘っていた。かと思うと竹内さんは竹林コンサート会場跡で筍が出ている箇所に串を立てていた。数えるのが煩わしいほどたくさんの串だった。

 一昨日の京都新聞が、中央市場で今年初の筍の競りがあったと報じていた。昨年の夏の猛暑と冬の寒さで生育が遅れ、競りの開始が1週間遅く、平年より小ぶり、とある。前回(13日)の竹林日記に、「今年は育ちが遅れているのかもしれない」と書いたが、間違いではなかったようである。

 しかし今日採れた筍は小ぶりが多いことは確かだが、1本で1kgを超す大物がたくさんあった。

 それよりもっと驚いたのは13日の水曜から今日までの三日間にこれほど多数の筍が一挙に出たことである。

「きょうあたりがピークとちがうか。ひょっとしたら、せいぜい4月いっぱいで今年は筍が終るんとちがうか」

 という声が出たが、きょうの出方を見るとそんな気がしないでもない。出方が遅くて、出たと思うと一挙に出てあっという間に終ってしまう…。


 午後、所用で京都市内に出たついでに、デパートの野菜売場を覗いてみた。きょう私たちが掘った筍でいえば中程度のもの5本が3,000円で出ていた。産地は「京都産」とあるだけで地名は書いてなかった。しかし京都産というからには、乙訓産であることは間違いないと思う。


                山 本 律


 Subject: 竹林日記 追加  2011・04・17 (日)


  竹の学校の皆さま

 昨日の竹林日記に、大事なことを書き漏らしていました。

    明日18日の月曜日も作業をします。都合のつく方は出てください。
    筍のあの出方を見ると水曜まで待っていられません。
    予報では明日は天気が崩れるらしいですが、午前中はもちそうです。  


 山 本 律


【本日のゲストのエコツアー風景】 島津製作所のOB会の皆様です。

 【久しぶりの会員のホリ風景】 
 
↓タケノコの頒布の準備中です。
 
 


 

 

28 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「ようやく筍の本番・新規入会2名」 

2011.04.13 山本  律

 

  竹林日記 「ようやく筍の本番・新規入会2名」 2011・04・13 (水) 晴

 参加者 : 山本、高田、松本、野本、窪田、辻井、濱上、荒木、
       小椋、竹内、林(哲)、嶋谷。川路、稲岡(喜)、嶋谷(公)。塚崎、林(重)。 [17名]


 先週の土曜日からきざしはあったらしいが、今日の筍の採れ具合は、ようやく本番を迎えた感じである。どこへ出しても恥かしくないみごとな筍が掘り出された。ただ残念なことに、そういうのは数が少ない。多くは例年にくらべてやや小ぶりである。それでも全体の数は一週間前から見ると、こんなにたくさん…、と思うほど採れた。今年は不作というより育ちが遅れているのかもしれない。


 きょうから新しいメンバーが2人ふえた。嶋谷強さん、公子さんご夫妻。
 先日のKBSの取材のとき竹林に来られて、小椋さんに入会の申込をされたという。公子さんは竹工芸に興味をもたれたらしくて、辻井さんにいろいろ訊ねておられた。

 お歳は聞いてないが、定年後ぶらぶらしているのがいやで、KBSの取材を見て竹林整備への参加を思いついたとのことだった。私たちにすれば働き盛りのメンバーが増えて喜ばしい。


 松本さんは被災地支援用の竹箒50本を造り終ったという。

 残念なことに、現地に需要があることはわかっていても、いまは日々の生活に直接必要な消費物資の支援に追われて、そこまで手が回らないのが現状らしい。いずれそのうちに、役に立つときが来るに違いないから、それまで竹の学校で保管すれば、と思う。


                           山 本 律


 


 

 

27 管理人の竹林日記 ・・・ 「自動車のCO2削減」 

2011.04.09 稲岡  利春

 

  管理人の竹林日記 「自動車のCO2削減」 2011・04・09 (土) 晴

 参加者:小椋、野本、錦織、世良田、荒木、竹内、松本、林、塚崎、稲岡、
      向井、川路、原、尾崎、高橋、稲岡(喜)、 [16名]

 ゲスト: 一と百の会[大4 小2名]


 昨日の雨と、気温の上昇のせいか、初めて収穫日らしい感じになりました。泥まみれになりながらも、約20kgのタケノコの収穫があり、今季初のエコツアーの方々にも、1kg/1人お分け出来たようで、一安心です。

 向井さんが久しぶりに顔を出されましたが、用事があったのか、いつものゆで卵のお土産だけを置いて、すぐに帰られました。せっかくのタケノコのシーズンですので、また来て欲しいです。

 ミーティングの結果です。今日はテーマが重く、長い議論となりました。

・B竹林の件は、里山ネットと地権者との交渉が不成立となったため、再び、竹の学校で管理する予定。早急に今年の契約に行く必要あり。ただし、B竹林での仕事(利用)内容は別途、相談する。

・竹まつり・竹林コンサートの開催の件は、残念ですが今年は辞退。4回も続けてきたが、理事長の力なくしては無理の判断。

・4/16(来週)のエコツアー  田中さん(17名)、島津製作所(13名) の計30名だが、タケノコ無くても可とのことで、全員受け入れる。

・4/23(再来週)のエコツアー ダイハツ(8名)、予定通り受け入れる。

・第8回「竹の環(わ)プロジェクト」春編 筍掘り・竹林間伐ボランティア
 4/23(土)10:00~14:30 京大桂キャンバス内竹林 興味のある方は下記WEBページにどうぞ。
 http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news4/2010/110423_3.htm

・来週も4/11(月)はお休み(活動なし)


 今日は、山本さんが欠席ということで、HPの管理人に「竹林日記」が回ってきました。定年のスイス旅行の番外編の日記から、2年ぶりです。前回も堅い話で、自動車のCO2削減の面からドイツとスイスで見て感じたことを書いて、「環境保全のため、あれをしてはいけないとか、禁止ばかり考えず、両立できる方法を常に最新技術で対応していくと言う方向はどうでしょうか。自動車もやめるのではなく、次世代燃料車に代わって行くのですから。」と書かせて頂きました。

 自動車のCO2削減には電気の力が必要という考えは変わっていませんが、CO2排出量がガソリン車の1/2~1/3のP-HVやEVは電気で充電が必要です。困ったことにこの条件は、火力発電よりも原発に多くの電気を頼っている現状の事情にあります。石油燃料を燃やさないクリーンな発電所が必要なのです。

 そこに今回の福島の原発被害です。何十年もの安全運転の実績を吹き飛ばす、もろく危険な原発のイメージが出来上がってしまいました。こちらの専門ではないので、最新の原発なら安全ニーズに答えられるのか、やはり原子力は人間の手に負えないのかは分かりませんが、当分の間は古い原発の廃炉や、新設が後退することになるのでしょう。

 当然、発電所のCO2排出量は増加しますし、自動車のP-HVやEVのCO2削減効果も、目減りしていきます。地球温暖化問題(CO2削減)に加え、石油資源枯渇の面からも、脱石油技術の革新が必要ですが、自分に出来ることは自動車のことしかありません。残り時間は少ないですが、自動車の未来(P-HVやEV)への取り組みを続けていくつもりです。


     稲岡 利春


 
 本日の一番の大物はこの竹林コンサート
 開催場所!から出ました
 
 お客様のため、今日も屋根の修理を
 続ける荒木さん
 
 一と百の会の皆さんと収穫したタケノコ
 顔がほころびます
 


 

 

26 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「ようやく並みの筍」 

2011.04.06 山本  律

 

  竹林日記 「ようやく並みの筍」 2011・04・06 (水) 晴

 参加者 : 山本、高田、野本、窪田、錦織、辻井、濱上、世良田、荒木、竹内、林。稲岡(喜)、多田(+2)。
       塚崎、林重利。 [15名]


 きょうは暖かかった。朝のうちは風が少し冷たかったが、日が高くなるにつれて気温が上って、昼過ぎには21℃まで上った。20℃を超すと夏日である。一昨日から快晴が続いている。見渡す限り雲ひとつない、気象用語でいう「雲量0」である。そして空気が乾燥している。

 この気温のせいか筍がようやく育ちはじめた。一本だけだが、太さ10cm以上長さ30cmほど、重さが1㎏を超す、市場に出しても恥かしくない筍が採れた。金曜日には雨が降るというから、今度の土曜日はどんな筍が採れるか楽しみだ。


 枚方の林重利さんが久しぶりに顔を見せた。長らく体調を崩しておられたらしくて、体力を取り戻すために竹林に出てきたという。見たところは元気そうである。


 申しわけありませんが、9日の土曜日は竹林を休みます。どなたか竹林日記の執筆をお願いします。


   山 本 律


 


 

 

25 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「鶯の初啼きと花冷えと(2)」 

2011.04.03 山本  律

 

  竹林日記 「鶯の初啼きと花冷えと(2)」 2011・04・03(日)  晴

 参加者 : 山本、松本、野本、窪田、錦織、世良田、荒木、小椋、竹内。高橋。 [10名]


 本来は今日は作業日ではないが、KBSが取材に来るというので上記の10名が竹林に入った。

 11時からの取材だったがスタッフが来たのは11時半に近かった。小椋さんの案内と説明で竹林内を撮影して回って、竹箒に興味を持った様子だった。素材から完成品までの各段階の実物を見て、松本さんから造り方の手順を聞いて、ここで実際に造ってほしいと言ったが、そんなに簡単に作れるものではないと聞いて、取材担当の若い女性がペンチで針金を捩りすぎて捩じ切っただけで終った。そんなことで1時間の予定が2時間近くかかって取材を終えた。

 4月25日(月) の21時20分から、KBS京都 「京都ふらり」で放映される。どんな場面が映っているか楽しみである。


 今日も何本か筍を掘ったが、その結果、明日(月曜日)の作業は休みにしようということになった。今後の予定は筍の育ち方を見て決める。それにしても今年の筍の不作は異常である。私(山本)の家の周囲にも、たけのこ畑がいくつかあるが、人が入っているのを見たことがない。諦めているのだろうか。


      山 本 律


 


 

 

24 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「鶯の初啼きと花冷えと(1)」 

2011.04.02 山本  律

 

  竹林日記 「鶯の初啼きと花冷えと(1)」 2011・04・02(土)  晴

 参加者 : 山本、高田、松本、野本、窪田、錦織、辻井、荒木、小椋、竹内、林。向井、川路、尾崎、大西、高橋。
       塚崎。伊藤。てくてく村山。 [19名]


 今年はじめて鶯の声を聞いた。

 「春は名のみの風の寒さや 籔の鶯歌を思えど 時にあらずと声も立てず」という歌があるが、昨日から4月、桜もチラホラ咲き出して、鶯も時が来た、と思ったのだろう。


 きょう掘り出したタケノコは、ようやく筍らしい姿かたちになった。それでも例年にくらべると小さいし、何よりも数が少ない。先週の土曜日(3月26日)、4月から月曜日も作業日にしようと決めたが、この調子では4月4日の月曜は果して出てきた甲斐があるほど筍が育っているかどうか心もとない。明日KBSの取材があるから、そのとき様子を見ようということになった。ほとんどのメンバーは筍掘りを諦めて、明日の取材に備えて竹林の整理をした。おかげで竹林がすっきりした。



      山 本 律

 


 

 

23 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「タケノコの不作」 

2011.03.30 山本  律

 

  竹林日記 「タケノコの不作」 2011・03・30 (水) 晴

 参加者 : 山本、高田、松本、野本、窪田、錦織、濱上、世良田、竹内、林。塚崎。 [11名]


 以前から水曜日は参加者が少ないが、筍の育ちが遅れていることもあって、きょうは「常勤者」ばかりだった。ほとんど全員が筍掘りをしたが、思うような収穫には程遠い。野本さんが 「例年の5分の1やな」という。


 錦市場の八百屋に「長岡京産」と書いた筍が出ていた。いま私たちが掘っている筍と、ほとんど同じ大きさで、1本800円から1,000円である。

 「今年は不作やな」と言うと 「去年は夏から秋にものすごう雨が少なかったし大きならへんね」との返事だった。雨後の筍というが、筍が育ってからの雨も大事だが、それよりも芽が出るときの雨の量が、筍の大きさと収穫量に大きく影響するらしい。一昨年と昨年の、8月から10月ごろの京都の雨量を調べてみよう。


 大震災の被災地に竹箒を送りたい、という話を市役所にしたところ、今日「緑の協会」が受け取りに来た。松本さんが手作りの竹箒20本を渡した。いくらあってもよいらしいが「こっちの材料にも限度があるし」と松本さん。そういいながら箒の柄にする竿竹を30本近く持って帰った。

 被災された人たちは毎日の生活用品がまず何よりも必要で、まだ掃き掃除をするゆとりはないが、復旧作業は箒が必需品だという。あの見渡す限りの瓦礫の山を見ているとよくわかる。


 11時ごろKBSから、4月3日の取材の相談と下見に来た。

 今年の筍はこのとおりの作柄だし、それに筍掘りはどこでもやっているから、「竹の学校」だけがやっていること、竹の学校しかしていないことを取材してほしいと要望しておいた。

 当日の11時ごろから12時ごろまで取材するという。日曜日だが、都合のつく人は出ていただけると幸いである。


          山 本 律


 


 

 

22 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「タケノコの育ち方が気になる」 

2011.03.26 山本  律

 

 竹林日記 「タケノコの育ち方が気になる」 2011・03・26 (土) 晴

 参加者 : 山本、高田、松本、野本、窪田、錦織、辻井、濱上、荒木、小椋、竹内、林。尾崎、大西、稲岡(喜)、
       原。塚崎。てくてく村山。 [18名]


 今日も大半の人がホリやツルハシを持って竹林に入ったが、期待したほどの収穫はなかった。大小とりまぜて20本、7.5kg。色や形はともかくとして数が少ないし何よりも小さい。前回当らなかった人を優先してアミダくじで11人に分けた。前回当った私もまたいただいた。

 今夜の拙宅の献立が「おでん」だったので、昼のうちに茹でて、おでんの種に加えた。いつものとおりの茹でかたなのに、なに、これは…、と思うほど硬かった。あんな形のよい、シロコといってもよい見かけなのに、今年のタケノコの出来具合はおかしい。

 といってもタケノコが育っていることは間違いないので、4月から週3回、月・水・土曜を作業日とすることにした。

 4月4日が第1回の月曜日である。お心づもりをお願いします。


 今日と明日の2日間、同志社寒梅館で京都府主催の「竹まつり」が催されている。

 竹林作業が終って家に戻ったあと寒梅館に行った。

 寒梅館ははじめてではないが、竹の学校が出品している竹行灯の展示場所が、すぐにはわからない奥のほうに出品されていた。
やっと見つけて行くと稲岡さん夫妻がおられた。案内のチラシに「寒梅館1Fロビーパブリックスペース和室など」とあるが、作品の展示場所の表示がない上に、奥まっているせいか参観者が少なくて、ひっそりしていた。杉谷さんがおられたらきっと注文をつけられたと思う。


 話は変るが、水曜日にいただいた筍ご飯。

 あれは会員の女性が作ったとばかり思っていたが、杉谷さんの奥様が作って、竹林まで届けてくださったと知った。

 ここに私の迂闊さをお詫びすると同時に、杉谷さんの心遣いと、奥様にお手間をおかけしたことに、あらためてお礼申し上げます。ごちそうさまでした。おいしうございました。


    山 本 律


【竹フォーラムへの出品作品と応援団?】

 3/26(土)は、主役の製作・出品リーダーの澤さんが体調を崩され、奥さんと息子さんにお手伝いを頂いての展示となりました。竹の学校からは世良田さんと稲岡が朝一番から対応、午後から美女軍団(原さん・尾崎さん・川路さん・大西さん・稲岡)と林さんと山本夫妻が応援にかけつけてくれました。

 3/27(日)も澤さんの奥さんと息子さんのお世話になりました。竹の学校からは竹内さんが朝一番から対応、辻井夫妻・松本さん・濱上さんと妹さん・小椋さん達も応援に来られました。

 静かな環境でお客様は少なかったですが、行灯の出来栄えをお褒め頂いたり、行灯の製作をぜひやってみたいという方や、竹の学校の活動に関心を持って頂けた方達とお話ができて有意義でした。Inaoka 

 


 

 

21 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「2度目の初掘り」 

2011.03.23 山本  律

 

  竹林日記 「2度目の初掘り」 2011・03・23 (水) 晴

 参加者 : 山本、松本、野本、窪田、錦織、澤、辻井、濱上、世良田、荒木、竹内、林。
       川路、稲岡(喜)、原、多田(+1)。塚崎。 [17名]


 先週の19日(土曜日)の初掘りで掘り出した3本を、杉谷さんに差し上げたところ、杉谷さんが「これは皆さんで食べてください」と言って私たちに下さった。

 女性会員がそれで筍ご飯を作って、きょう私たちがいただいた。ほのかな甘味のある、実においしい筍ご飯だった。
 杉谷さんのお心遣いが嬉しい。ありがとうございました。ただ一つ杉谷さんと一緒に味わえないのが残念である。


 19日の初掘りは、いわばためし掘りで、今日が実際の「初掘り」である。大小取り混ぜて24本、ほぼ6.5kgの収穫。

 一番大きいのが、ほぼ0.8kg、小ぶりのもので0.4から0.3kgといったところである。それをアミダくじで14人に分けた。小さなのは1人2本づつ(一部は3本)分配した。初物ということで、大小問わず一人500円。竹内さんが1番を引いて、私(山本)は中ぐらいのものが当たった。家に帰って早速茹でて、いま茹汁に浸っている。

 明日これを薄味で炊いてかつおぶしをかけて、「じきたけ」にしていただく。私は数ある筍料理の中で「じきたけ」がいちばん好きだ。

少し小ぶりですが、初堀りタケノコ群です。おいしそ~!

 昨年3月22日の竹林日記には「今日もタケノコがたくさんとれた。姿もいいし味もよい」とある。今年は筍の生育が遅れているようだ。誰かが「筍にも裏年があるんやろか、鹿児島も今年は裏年で筍が取れへんらしい」と言った。この様子では乙訓も裏年かもしれない。


 話は変るが、最近ニュージーランドで地震があって、日本人にも多数の死者が出た。一方国内では霧島山の新燃岳が噴火して、これもたくさんの死者、行方不明者が出ている。

 これらの被災者のご家族は、いまも悲嘆と失意のなかで今度の東日本大震災を他人事とは思えなくておられることであろう。


 もう一つ、長岡京市の市庁舎の屋上に半旗が掲げられている。東日本大震災の死者に対する弔意である。


  山 本 律


 


 

 

20 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「初物のタケノコ」 

2011.03.19 山本  律

 

  竹林日記 「初物のタケノコ」 2011・03・19 (土) 晴

 参加者 : 山本、高田、松本、野本、窪田、錦織、澤、辻井、世良田、荒木、小椋、稲岡、林。尾崎、大西、高橋、稲岡(喜)、
       辻井(ひで)。塚崎。てくてく村山。 [20名]


 タケノコを掘ってみようということになった。まだあまり大きくなっていないから、とりあえず3本。これを杉谷さんに見せよう。

 デパートの野菜売り場に「塚原産」と書いて20㎝ほどの筍が1本550円(だったと思う)で出ている。もっと大きいのは値札がついていない。きっと1000円はするのではないか。塚原産というだけに、どれもみなシロコである。しかし、いまの季節なら我々の竹林でも肌の白いタケノコが出ると思う。乙訓なのだから。


 松本さんが「被災地でも掃き掃除はするやろうから竹箒を造って送ろうと思う」と言う。そして「竹箒なんか笑われへんやろか」とも。「笑う人なんかおらん。掃き掃除ができるいうて喜ばはるぐらいや。竹箒なんて見たことない人のほうが多いと思うわ」

 京都から竹箒を送る...。すばらしい思いつきである。

 早速松本さんをはじめ何人かが、山積みになった竹枝の中から箒に適した枝の選び出しにかかった。

 箒にできる枝は青くても枯れていてもだめだという。「若すぎても歳をとりすぎてもあかんのやなあ」とまぜ返す男がいた。私である。

 束ねた竹枝を見て松本さんは「これだけあったら30本はできる」と言った。松本さんなら、ていねいな作りの竹箒に違いない。

 家に帰って、長岡京市に竹箒を被災地に運ぶシステムというか手段があるのかと気がついた。市役所に電話で確かめようとして、きょうは土曜日だ、明日は日曜日で、月曜は春分の日、3連休だ。火曜日まで待たねばならない。火曜日に市役所の対応を聞いて、水曜に竹林に行って市役所の方針を伝えることにしよう。「送れます」ならいいが、もし「無理です」ならどうするか。


 震災関係の余談を二つ。

 大阪のたこ焼き業者が、被災地でたこ焼きを作って配ったという。車の前の人だかりが写真に出ていた。

 東北地方の人で、たこ焼きを食べた人は少ないのではないか。はじめて食ったけど旨えもんだなあ。...声が聞えてきそうである。

 そうかと思うと、50万個のサツマイモを被災地でヤキイモにして配る大阪の菓子会社が出てきた。

 たこ焼きといい、ヤキイモといい、なんとも心温まる話である。そしていかにも大阪らしい。東京は、いまそれどころではないかもしれないが、こういう形の心配りは東京にはないような気がする。我利我欲の天罰だ、はともかくとして。


     山 本 律

【初堀風景】作業を止めて、2本のタケノコに注目!我が竹林でもシロコですネ!  【竹枝取り出し】竹箒の材料です。
 


 

 

19 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「タケノコが動きはじめた」 

2011.03.16 山本  律

 

  竹林日記 「タケノコが動きはじめた」 2011・03・16 (水) 晴

 参加者 : 山本、松本、野本、窪田、錦織、辻井、濱上、世良田、荒木、林。稲岡(喜)。塚崎。 [12名]


 今朝は寒かった。昨日までが暖かすぎたせいで余計に寒く感じる。感じるだけでなく、粉雪が風に舞っていた。

余談だが静岡のあたりでは雪のことを風の花というらしい。いかにも暖かい地方の表現である。それはそれとしてまだこの後に「比良の八講」がある。こうしたことを何度か繰り返して春がやってくる。「はぁるよこい はぁやくこい あぁるきはじめた美代ちゃんが 赤い鼻緒のじょじょ履いて おんもに出たいと待っている」という童謡がある。


 今年はじめて何人かが竹串を持って竹林に入った。乙女の丘にも太陽の丘にも何箇所か土の盛り上がっているところがある。だが、収穫するにはまだちょっと早すぎる。土曜日まで待とうか、という声があったが、この寒さでは土曜日になってもそれほど大きくはならない、という結論になった。もうしばらくのお楽しみ。


 杉谷さんが集中治療室(ICU)を出られたという。大勢が押しかけては、患者さんはもちろん病院も迷惑だから、折を見てお見舞いに伺おうと思う。


 東日本大震災の余聞。

 外国から日本に来ていて今度の震災を経験した人は、こういう非常のときの日本人の落着きよう、礼儀正しさに驚き、かつ感嘆している。

 あの激しい揺れの中で一人として慌てふためく人がなく、まず外国人を机の下に避難させて、揺れがおさまると避難所に誘導してくれた。地震にここまで冷静に対処できる国は日本しかない。(インド)

 数百人が広場に避難したが、毛布やビスケットを与えられ、男性は女性を助けていた。3時間後に人がいなくなったとき、ゴミ一つ落ちていなかった。日本人の冷静さに世界が感慨を覚えている。(中国)

 罹災しても日本社会は整然としていて秩序に乱れがない。日本人の忍耐力と回復力は尊い。(アメリカ)

 繁華街で店のガラスというガラスが割れ、商品が手の届く先に見えているのに、誰も盗もうとしない。救援物資を待つ列が長くても奪い合いすら起きない。感心しました。(アメリカ)

 日本では被災地であからさまな便乗値上げが横行しない。水や米が地震前と同じ価格で売られ、しかも人々はがまん強く、店の前に何時間でも列をなして待っている。日本以外ではまず考えられないことです。(アメリカ)


 そういう中で東京都知事の石原慎太郎は 「この津波は天罰だ」と。 被災者の前で言ってみろ、と言いたい。あとでお詫びの談話を発表したらしいが、彼も元はといえば小説家である。言葉にはそれなりの見識を持っているはずである。「覆水盆に還らず」ぐらい知っているだろう。


 余聞をもう一つ。

 宮城県の火葬場の処理能力は一日50体が限度だという。いま分っているだけでも遺体は数千人を超える中で、県は土葬の方法を政府と交渉中だという。何日も遺体を処理せずにはおれないから土葬はやむを得ないと思う。

 新聞でそれを読んで、先の戦争で空襲の被害を受けた町では遺体をどう処理したのだろうと思った。当時私は中学2年だったが、見渡す限りの瓦礫の海を、高熱で熔けた鉛の水道管を金づちでたたいて潰してまわる作業に駆り出された。

 その中で、避難中だったのであろう大きな袋を背に負った婦人の水死体を見た。火葬場はもちろん焼けている。土葬にするにしても、警察も消防も手が回る状況にない。あの水死した婦人の遺体は誰がどうやって処理したのだろう。今度の地震と津波は文字どおりの天災だが、空襲は戦争でなければ絶対に起り得ない事態である。

 思えば戦争というのは、愚挙とも暴挙とも、何とも表現する言葉のない忌まわしい行為である。


  山 本 律

 


 

 

18 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「杉谷さんのこと 東北大地震のこと」 

2011.03.12 山本  律

 

  竹林日記 「杉谷さんのこと 東北大地震のこと」 2011・30・12 (土) 晴

 参加者 : 山本、高田、松本、野本、窪田、錦織、澤、辻井、濱上、世良田、荒木、小椋、竹内、稲岡、林。
       川路、尾崎、池田、大西、高橋、原、多田(+1)。伊藤。 [23名]


 昨日「杉谷さんが脳梗塞で済世会病院に入院された」という電話連絡が入った。私(山本)は自治会の仕事で、12日の土曜は竹林を休むつもりだったが、急遽自治会への出席を取りやめて竹林に行った。

 いま杉谷さんは救急室に入っておられるが、意識は鮮明で会話もできるが、ただ手が動かないのでパソコンが扱えないことを気にしておられるという。しかし私は意識がはっきりしていて、ものが喋れると聞いてほっとした。年齢が年齢だけに回復には時間がかかるだろうが、焦らずゆっくり静養していただきたい。


 杉谷さんもさることながら、東北地方の大津波と地震には驚いた。私が山形にいたころもときどき地震があって、母親は「東北は地震の多いところだ」と言っていたが、真っ黒な泥がものすごい勢いで押し寄せてみるみるうちに田んぼが泥で埋っていく様子をテレビで見て、すさまじいともむごたらしいとも何とも言いようのない気持になった。

 田んぼは一度つぶすと元に戻せない、という。今年はもちろんのことだが、これから先もおそらく米は作れまい。もう一度元の田んぼに戻すには何年かかることか。同じイネ科の竹も、一度竹林を荒廃させると元のような筍畑に戻すのにはたいへんな時間と手間がかかる。近年、米があまると称して稲作をやめた、いわゆる休耕田を方々で見かける。そしてそこにコスモスが植えられている。米がなくなったら我々はコスモスを食うことになるのだろうか。ウサギやヒツジであるまいに。


 話が変るが、本州は日本海側の糸魚川から太平洋側の富士川にわたって「フォッサマグナ」といわれる地溝帯が横切っている。東から太平洋プレートに南からフィリピン海プレートに押されて、元はまっすぐだった本州がここで折れたらしい。この折れ目から富士山が噴火し箱根山ができ、伊豆諸島から小笠原諸島が生れた。富士火山脈といわれる。東北地方特に三陸沖で地震が頻発するのは、いまでも太平洋プレートが本州を押し続けているからである。いずれ起るといわれている東海地震は、フィリピン海プレートのしわざである。

 このフォッサマグナを境にして日本の電力システムが分かれている。東日本は50ヘルツ、西日本は60ヘルツ。今度の地震で福島県の原子力発電所が壊れて東日本の電力が不足しているが、周波数の違いで西日本からの電力供給がうまくいかないという。

 一つの国の中で電力システムが分かれているのは世界中で日本だけである。今度の地震を契機にこのあたりの改革が必要になりそうな気がするが、電力会社の利害関係と政府の弱腰とでうまく収まるかどうか心もとない気もする。

 休耕田にコスモスを植えたり、電力システムが分かれていたり、日本はおかしな国である。


   山 本 律


 


 

 

17 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「新規加入 林哲郎さんを紹介」 

2011.03.09 山本  律

 

  竹林日記 「新規加入 林哲郎さんを紹介」 2011・03・09 (水) 晴

 参加者 : 山本、杉谷、松本、野本、窪田、澤、辻井、濱上、世良田、荒木、竹内、林。多田(+2名)。塚崎。
       [14名]


 お水取が終らんと暖こうならん、とはよく言ったもので、寒いというより冷えこむ。お水取が終っても、3月の末に比良の八講(八荒)といわれる寒い日がある。「比良の八荒、荒れじまい」というが、桜が咲いてからも花冷えがある。梅雨に入っても「梅雨寒」。季節の変化をここまで細かに表現するのは世界中で日本だけであろう。


 きょうから新しい会員が増えた。林哲郎さん。昭和21年9月生れ、野添にお住まい。

 インターネットで長岡京市のNPO法人を検索して「竹の学校」を見つけられた。

 単なる遊びではなく、社会に寄与するボランティア団体であることに着目した、とのことである。林さんのような、私たちの中では若いほうに入る方がメンバーに加わって下さるのは有難いし、嬉しい。

 竹林整備の経験者は私たちの中には一人もいない。すべて試行錯誤の連続で今日に至っている。

 林さんも、見よう見まねで失敗を気にせずに作業を楽しんでください。


 ここ数日の新聞で、かつて沖縄の総領事で現在アメリカ国務省の日本部長の言葉が、批判の的になっている。いわく「沖縄の人々はごまかし、ゆすりの名人」 「沖縄の人々は怠慢でゴーヤも育てられない」等々。

 以前には 「東洋では人の命は安いのです」と言い放った太平洋司令官がいた。

 最近はさすがに言わなくなったみたいだが、かつてアメリカには「WASP(ワスプ)」という言葉があった。白人(W)で、アングロサクソン(AS)で、新教徒(P)であることが純粋のアメリカ人だ、の意味という。

 軍艦の名前にも使われたくらいだから、アメリカではWASPが当然で、それ以外の人種は未開人と理解されていたのであろう。何という、人種偏見も甚だしい差別用語であることか。黒人系のオバマ氏が、大統領になる時代だから、いまでは口にできない言葉と思うが、感覚としては生きているのである。


      山 本 律

 付記 山本は今度の土曜日(12日)は竹林を休みます。竹の焼却は放置しておいて下さい。

 


 

 

16 杉爺の竹林日記 ・・・ 「潮目が変わる」 

2011.03.05 杉谷 保憲

 

 竹林日記「潮目が変わる」2011・03・05(土)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、松本、野本、錦織、澤、濱上、辻井、世良田、小椋、竹内、稲岡、山崎。伊藤、高橋、稲岡(喜)。


それぞれの作業が完成していく。竹枝の垣根ができ、トイレの改築は終った。新しいシイタケ園もできた。


潮目が変わるときが来た。準備が終って、いよいよタケノコシーズンに入る。エコツァーの予約が入る。


ある中学校の総合学習(一学年80名)で、<環境問題としての竹とタケノコ掘り>をしたいという希望が来た。竹の学校だけでは80名も引き受けられないので、市役所に頼んでいろんなNPOに分散学習を斡旋してもらった。

しかし80名という大部隊では数班に分かれても無理である。各所にお世話いただいたが、結局お断りする方向である。


その逆に、NHK文化教室(4月13日予定)は希望者が少なく、苦戦の模様。


京都府地域力体感ツーリズム(4月20日予定)は長岡京市の協力を得て企画が進行中。府のこのセクションは百戦錬磨、どうなるか楽しみである。


これから例年のエコツァーの申し込みがあるだろう。今日の話し合いでは、今年は不作が予想されているので、多くのお客様を受け入れるのは困難かもしれないと声が上がった。また値段を上げざるを得ないだろうとも。


3月26日(土)、27日(日)は竹カフェのイヴェントが同志社大寒梅館で開かれる。主題は放置竹林対策をどうするかにあり、竹炭を一つのキーワードにしている。

竹の学校は竹工芸を出品し、長岡京市からは中村敏男さんの<江戸時代の竹細工をしよう>が出演する。


イヴェントによる啓発活動もいいが、現実に放置竹林を減らすことにもっと力を入れてほしいものである。


杉谷 保憲

  【本日の作業風景】


 
 
 


 

 

15 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「『お水取』の寒さ」 

2011.03.02 山本  律

 

  竹林日記 「『お水取』の寒さ」 2011・03・02 (水) 晴

 参加者 : 山本、杉谷、松本、野本、窪田、錦織、辻井、濱上、世良田、荒木、竹内。川路、原。 [13名]


 昨日から東大寺の二月堂で「修二会」が始った。関西では昔から「お水取」のほうが通りがよい。
といっても、これは関西だけで、昔私(山本)がいた山形では、3月初旬のいまごろは修二会もお水取もあったものではなく、どうかすると猛吹雪で列車が不通になったりする。杉谷さんも「お水取なんて関西だけですよ」とニベもない返事をされる。しかし関西では「お水取が終らんとあったこならん」と、お水取の時期は寒いものとされている。

 そのとおり今朝は寒かった。頬を刺すような冷たい風が吹いて冬の再来を思わせた。しかし竹林の水に氷は張っていない。風は冷たいが気温はそれほど低くはないらしい。だが明日の予想最低気温は0℃、やっぱり。


 先日運びこんだ、しいたけのほだ木の設置というのもおかしいが、運搬が始った。何人かが1本あるいは2本抱えたり肩にかついだりして、太陽の丘のがけ下のしいたけ畑(?)に運び上げている。

 一方で、かねて懸案のトイレの改修が行われている。まわりを割竹で囲って、どこから持ってきたのか、障子を思わせる黒い格子扉が取り付けられた。でも、便器は入っていない。あれだけは新品でないと…。


 午後、京都市内に出る用事があったので、ついでに錦市場の八百屋で筍が出ているかどうか見てまわった。
水曜日は八百屋だけでなく多くの店が休みだった。中に一軒だけ、徳島産の10cm足らずの筍が20本ほど入った袋が2,000円で出ていた。あれでは皮を取り除いたら親指ぐらいの筍しか取れない。

 そう思って寺町三条を上った「とり市」を覗いてみた。やはり、ここもまだ筍は出ていなかった。店の人に聞くと「3月20日から置く予定です」とのことだった。

 3月20日と日にちを言うところを見ると、品質はともかく、すでに筍は出ているみたいである。

 「とり市」は塚原産の超一流の品を置く店である。去年杉谷さんが、1本1万円という筍を見て驚かれたのは、この店である。今年はどんな筍がどんな値段で並ぶことやら。

 いずれにしても今年は筍の出が遅いのではないか。


 竹の学校からのお知らせとお願い

   筍の購入申込は 3月12日(土) までとします。
   1人 1箱(3㎏)をめどにお願いします。



 山 本 律

 


 

 

14 杉爺の竹林日記 ・・・ 「竹めし」 

2011.02.26 杉谷 保憲

 

竹林日記「竹めし」2011・03・26(土)快晴


参加者 山本、杉谷、高田、松本、野本、錦織、澤、濱上、辻井、小椋、稲岡、山崎。川路、尾崎、大西、稲岡(喜)、原。荒木。


きれいな青空に竹がゆっくり揺れている。春かと思うような天気だ。


竹工芸、シイタケ、竹垣づくり、古竹の焼却作業に混じって、稲岡夫妻が竹めしをつくるという。初めてのことである。


釜は自動車の車輪のホイールを使う。その釜のしたで竹を燃やす。

炊飯器(鍋)--は竹の筒。節間をくりぬき、筒の中にコメと水を入れ、竹の蓋をする。


コメはすでにといである。竹を横にして、下から熱する。竹が焦げ始めた。


いやあ、食べたいなあ。けれど、今日は出かけなければならない。残念だが途中で退席する。それにしても竹めしという楽しみがまた増えた。


今年のタケノコ頒布の総元締めはみなさんの都合がつかず、結局、杉谷が担当することになった。今年で最後だと何度も念を押した。


エコツァーの受け入れ、会員への頒布、計算など仕事が多い。


無私のボランティアではあるけれども、タケノコ頒布だけには個人の願望が表面化する。


会の収入も上げたいし、個人への頒布量も多くしたい。これをうまく捌くのはむずかしい。特定の人が上手くやっていると思われがちである。世話役としては気を使っているが、限りあるタケノコの量なので、全員を満足させることはよほど豊作のときしかない。


しばしば、もっとタケノコがほしいのにという声が上がる。一年中作業をしたのだから、もっと分けてほしい気持は分る。発言するのも悪気ではない。

しかしこれを聞かされるのは辛い。どちらかにひずみが出てくるのである。


杉谷 保憲

 
 【竹めしの出来るまで】Inaoka
←竹筒の切り出し状態

↓フタ(穴あけ)とといだ米と水を入る
  米は1.5合/一本、水はやや多め
※「きりしましぐれ」(長岡京名産)
  ~京都産竹の子に山の幸、山蕗と山椒
    を丹念に炊きあげた高級しぐれ煮

↓フタから「きりしましぐれ」を入れます
   1パックを半分ずつ
↓フタを嵌めて、炭火にかけたところ
 
↓ホィールコンロからおろしたところ
 竹の香ばしい香りと筍ご飯のにおい
↓新聞紙を巻いて、鉈で竹筒を縦に割り
  ます
↓おいしそ~ お見事!
↓得意の竹の食器に取り分けてます
↓お味はいかが? ・・・・・
 
【本日の作業風景】
 いつものミーティングです   竹垣づくり~露天風呂が出来るといいな(本気かも)
竹工芸~放置竹林対策のフェァーの準備

シイタケ園~原木の穴あけ↓と菌打ち→

 


 

 

13 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「たけのこの値段」 

2011.02.23 山本  律

 

  竹林日記 「たけのこの値段」 2011・02・23 (水) 晴


 参加者 : 山本、杉谷、松本、野本、窪田、錦織、澤、濱上、世良田、小椋、竹内。多田(+1)。塚崎。[13名]

       学生カメラマン2人(京都府地域力再生事業「竹カフェ」取材)。


 朝からほとんど全員が、資材倉庫の屋根葺き用の竹材と、作業通路沿いに造る竹垣(竹塀)の割竹作り作業。

竹塀はどんなふうに出来上がるのか、まだわからないが、何となく建仁寺垣を連想する。そのうちに、竹の学校のたけのこ畑は竹林庭園の風情を漂わせた空間になりそうである。一般の農家のたけのこ畑ではこうはいかない。

もっとも、農家のたけのこ畑はここまでする必要はないし、できない。竹の学校だからするし、できるのである。


 京都府地域力再生事業の一環として「竹カフェ」がある。最近のカタカナ言葉には、内容がよくわからないものがあるが、この「カフェ」というのは、計画なり提案を思いつくままに喋りあう、という意味だと理解している。

 近いうちに杉谷会長から案内があるが、この「竹カフェ」が同志社大学寒梅館で、竹に関して催しをするという。

その取材のため、学生アルバイトのカメラマン2人が竹林作業の様子を写真に撮りに来た。


 話は変るが、先日京都の錦市場を歩いた。早場の筍がもう出ているかと思って行ったのだが、どの八百屋にも、筍は出ていなかった。ただ一軒、ふだんは花屋なのだが、この季節になると店の片隅に筍を並べる店がある。

その店にだけ土らしいものが全くついていない、まるで造りもののような筍が、4本づつ笊に入れて並べてあった。

値段は一笊1,000円。1本250円。「これはどこで採れた筍?」と聞くと、「中国」という返事が返ってきた。

 国産ならどこで採れた筍でも4本1,000円、1本250円はあり得ない。造りものかと思うほどきれいに土を落して、多分箱に詰めて航空便で送られてきたのだとは思うが、輸送費から関税から業者の中間利潤もすべてを含めて1本250円で採算の合う農家からの買取価格は、一体いくらなのか。生産農家はいくらの収入を得ているのか。

 間もなく錦市場にも徳島あたりの筍が出回るはずである。そして、やがて乙訓産の筍が店頭に並ぶようになる。

乙訓産の筍には1本10,000円というものもある。しかも生産農家は「採算を考えたら筍は作れません」と言う。

 1本250円で利益が出る筍がある一方で、1本1万円でも採算の合わない筍がある。私たちの竹林で育てた筍はいくらにすれば適正価格なのだろう。今後何度か錦市場に足を運んで乙訓産の筍の値段を調べようと思う。


                                                    山 本 律


 


 

 

12 杉爺の竹林日記 ・・・ 「シイタケ園」 

2011.02.19 杉谷 保憲

 

 竹林日記「シイタケ園」2011・02・19(土)晴れ


参加者 山本、杉谷、松本、野本、窪田、澤、辻井、世良田、小椋、竹内、濱上、稲岡。塚崎、荒木。


春になった。暖かくはないがその中で梅が満開となっている。タケノコには、雨や雪もあったのでちょっと愁眉を開いた。


本隊は8時半集合で、ホダ木をとりに浄土谷に入った。


名簿の上位3人が留守部隊、この年齢の人は竹の焼却や花壇の整備をしながら本隊の帰りを待つ。


11時半過ぎ、トラックが帰還してきたが、重くて坂道を一気には上れない。荷台には50本以上ものコナラが積んである。


シイタケの原木栽培には竹林の中が最も適切な場所といわれる。竹林の湿度が栽培に適しているし、竹の木漏れ日がシイタケの成育によいからだ。

散水など若干の手当てが要るけれども楽しみなことである。

営業用農園には程遠いが、原木50本とはちょっと自慢のシイタケ園になろう。


遠征した塚崎さんはたしか78歳、よく動けるものだと感心する。山の中で、澤さんが気分を悪くしたそうで、予後が心配である。


その澤さんを中心とする竹工芸班にまたお呼びがかかった。


京都竹カフェが同志社大学と共に、放置竹林対策のフェァーを開く。

3月26日(土)、27日(日)に同志社大 寒梅館(今出川)で。竹の学校が製作する行灯を展示したいということである。


今日は遠征があったので、打ち合わせ会ができなかった。

急いで今春のタケノコ掘りエコツァーの受け入れ体制をつくらなければならない。

橘学園中学から申し込みが来ている。生徒80人の竹林学習をしたいそうだ。果たして受け入れが可能かどうか、簡単なことではない。来週は侃々諤々の議論になりそうだ。

杉谷 保憲


 【天王山頂近くでのホダ木運び風景】
顔は笑ってますが、とてもきつかったです。
浄土谷からの山頂へのハイキングコースを
3往復も!

  
  

ホダ木収集場所から長岡京市、京都市
を望む。ここはハイキングコース上です。
 
ホダ木をトラックに積んで、竹林に帰って来ました。今日は、ホダ木を積み上げて
終了です。これだけの本数(多分90本位)の菌打ちも大変そう・・・。
 


 

 

11 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「長閑の一語に尽きる」 

2011.02.16 山本  律

 

 竹林日記 「長閑の一語に尽きる」 2011・02・16 (水) 晴

 参加者 : 山本、野本、窪田、澤、濱上、世良田、荒木、竹内。塚崎。 [9名]


 今朝は寒いというより冷たかった。


 気温が下がると、私(山本)はレイノー症状という奇妙な病気、ではない症状というか現象が出る。

手の指が白くなって感覚がなくなる。「不愉快だろうが命には別状ないから安心してなさい」と医者は言う。

指を湯に漬けるか、火に手をかざすか、首筋に指を差しこんで温めると元に戻る。

今朝は久しぶりにそれになったが、焚火にあたっているうちに忘れてしまった。


 しかしこの冷たさも10時ごろまでで、あとは、風はないし陽射しは暖かいしで、表題のとおりの日和になった。

もしかしたらもう一度くらいは雪が降るほどの寒さが来るかもしれないが、それでも春は日に日に近づいている。

春爛漫の桜のころよりもいまごろの季節のほうが、私は好きである。たとえレイノーになっても…。


 長法稲荷の参道脇の竹が折れて道が塞がっていた。細い竹だったから先日の雪で折れたのかもしれない。


 休憩のとき野本さんから、椎茸のホダ木運びの説明があった。

  ・2月19日(土) 8時30分 竹林集合。

  ・8人の参加を予定。

  ・ホダ木60本の運び出しを目標とする。

  ・後期高齢者の山本以外の人はすべて参加OK。 きょう見えていない人で参加OKの人が2人いる。


   山本は竹林で留守番。   
                 
 山 本 律
 
 


 

 

10 杉爺の竹林日記 ・・・ 「予報の大ハズレ」 

2011.02.12 杉谷 保憲

 

 竹林日記「予報の大ハズレ」2011・02・12(土)晴れ

参加者 山本、杉谷、松本、澤、辻井、世良田、小椋、濱上、竹内、稲岡。伊藤、高橋、辻井(ひ)。荒木。


昨夜、11時、インターネットの天気予報に、「湿雪・みぞれ」とあった。気象用語には湿雪というものがあると初めて知る。それを読んで、「明日の作業はお休み」と一斉連絡をした。


ところが今朝、起きてみると朝焼けが見えて、美しく晴れている。

その一方でTVを見ると、金閣寺の雪景色や奈良の東大寺の鹿が餌を求めて雪野原をさまよう様子が映し出されている。

雪雲が通る道にわずかな違いがあるようだ。


作業中止と発信したものの、気になるので竹林をのぞいた。たくさんの人たちが働いている。


垣根の整備をする人、

竹の土管を埋める人、

トイレの竹塀をつくる人、

休憩場所を整備する人、

シイタケの菌床栽培の床に竹粉を使えないかと実験を試みる人・・・・。


休憩時に、今年のタケノコ掘り体制について検討した。

長い間、杉谷が担当してきたので、新しい総括責任者に小椋さんを。そのもとで各担務を決めて、エコツァーの受け入れ・頒布・愛筍会や道具をチェックすること ――来週土曜日に決定したい。


世良田さんは徳島にタケノコ掘りに行った。徳島は一月からタケノコが出る。今年は豊作だという。


当地では今年は不作だと予想されている。


天気予報が当たらないのは困るが、不作予想は当たらないでほしい。


杉谷 保憲

 
 


 

 

09 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「タケノコまでの、のんびりした作業日」 

2011.02.09 山本  律

 

  竹林日記 「タケノコまでの、のんびりした作業日」 2011・02・09 (水) 曇

 参加者 : 山本、杉谷、野本、窪田、錦織、濱上、竹内。塚崎。 [8名]


昨夜から久しぶりの雨になった。といってもお湿り程度で、本格的な雨ではない。春雨を思わせる雨だった。

 朝起きたとき道は濡れていたが、雨は降っていなかった。雲を見ると南西に流れている。これなら間もなく晴れると思って竹林に出かけた。果して途中で薄日が差してきた。

 少し遅れて杉谷さんが来られた。「朝、雨が降っていたので、きょうは休みましょう、とメールを入れたんですが」
とのことだったが、私はメールを見ずに出てしまった。出てきた人は私と同じ、メールを見ていないか、自分なりの判断で出てきたのであろう。

 雨が降って風が冷たい。しかしこれがふつうである。2月の中旬ならもっと寒くてもおかしくない。

 この雨で筍は喜んでいると思う。ヤレヤレ、やっと水にありついた…、もっと降ってもいいよ。


 人は人で、さしあたって急ぎの仕事がないせいか、思い思いのことをしている。作業道の窪みに土を入れる人、
何に使うのか竹札を何枚も作る人…。

 時間になったのでそれぞれ帰途につく。お疲れさん、と声をかけると、お疲れさんなんていわれたら恥かしいわ、と言う人がいた。

 のんびりした作業日だった。だがもう少しするとタケノコが出はじめる。のんびりできるのはいまぐらいしかない。こんな日があってもよい。あったほうがよい。


 これを書いている途中で、ホダ木の運び出しのことで野本さんから電話が入った。

 運び出しの予定日を 2月19日(土)と一応予定している。しかし天気具合のことがあるから、16日の水曜日に最終的に決めたい。体力と腕力に自信のある方は力を貸してください、とのことだった。

 体力と腕力に自信のある方、よろしくお願いします。

 山 本 律
 
 


 

 

08 杉爺の竹林日記 ・・・ 「タケノコが文化になるとき」 

2011.02.05 杉谷 保憲

 

 竹林日記「タケノコが文化になるとき」2011・02・05(土)曇り


参加者 山本、杉谷、高田、松本、野本、窪田、錦織、澤、辻井、濱上、世良田、小椋、竹内、稲岡。辻井(ひ)、高橋、稲岡(喜)。

 塚崎、荒木、てくてく。


農閑期であるがメンバーは張り切って、美化作業を続けている。


竹の枯れ枝で垣根をつくりそれをめぐらす。タケノコ畑が竹林庭園の景観に変わろうとしている。物置小屋も改装された。トイレもやり直すといっている。農事が一段落しているので、竹工芸も始まった。シイタケの原木栽培は新しいホダ木に変えるという。


京タケノコ作りの集約的作業に自信ができて、文化活動の余裕が生まれたようだ。今年、タケノコ掘りにやってくる人たちは驚くことだろう。これほど美しいタケノコ畑は近郷近在に見たことがない。


地域産業と文化を考えてみた。


お茶は全国の多くの地域で栽培されている。その中で宇治が特別に扱われるのは、京都に存在する茶道の家元との相乗効果が大きい。茶道が農産物を文化にまで高め、美しい茶畑、茶筅などを作る竹林ともなる。


日本酒も同じである。水のよい地域であれば、どこにでも造り酒屋がある。その中で、灘や伏見では、その利益で美術館や博物館をつくる。商品に文化性を持たせて品位を高めている。


同じように、地域の産物を考えてみる。

タケノコは全国どこでも産出する。その中で京タケノコは特別な栽培法でありながら、味の良さは知る人ぞ知る程度である。そして当地にはタケノコの高級料亭があるが、庶民には高嶺の花、値段の話ばかりである。

残念ながら、京タケノコは文化にまで手が届いているとはいえない。


竹の学校で試みられている文化活動(美観、竹林コンサート、竹林セラピーなど)が少しずつ浸透し、竹林文化が創られることによって、当地の竹やタケノコが品位を高めていくはずだ。

杉谷 保憲


 
 


 

 

07 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「長閑な竹林」 

2011.02.02 山本  律

 

  竹林日記 「長閑な竹林」 2011・02・02 (水) 晴

 参加者 : 山本、杉谷、松本、野本、窪田、錦織、濱上、世良田、荒木、小椋、竹内、多田(+1)、伊藤。辻本。 [14名]


 昨日あたりから、寒さが少し緩んだ。そろそろ寒が明けるかと思うが、「いや、まだまだ。2月のはじめは寒いで」という人がいる。確かに、このまま春になるとは思えない。前回も言ったが、節分寒波というとおり、節分ごろにはなぜか雪が降る。しかし、春がそこまで来ていることは、これもまた間違いない。「早春賦」という歌はこの季節を歌ったのではないか。「春は名のみの風の寒さや」とか「きょうも昨日も雪の空」とか...。


 土入れ作業は年内にほぼ終ったと思ったが、あらためて見るとほうぼうに下の藁が顔を出しているところがある。

世良田さんが運搬車で乙女の丘のはずれの土を運んでいる。

それと、土に混じって石ころがまだたくさん残っている。しかしこれも、「撒いた土の上は踏んだらあかん」とも言う。

土入れと同時並行で石拾いをすればよかったと気づいた。それやこれや秋の終りから冬先にかけての作業計画をもう少し念入りに立てる必要がありそうである。竹まつりが終ったころには考えておかねばならない。


 一方では柴垣の支柱だろうか、太さ4~5㎝の竹を数メートルおきに打ち込んでいる。この前も言ったが、これはもはや単なる竹林(たけのこ畑)ではなく庭園の趣きである。しかも100%手造りの。


 「竹の学校」のホームページを見たという人が、泉佐野市からはるばるやってこられた。

 辻本州佑(くにすけ)さん。68歳。大阪府南河内郡千早村、凍豆腐の産地の生れだという。

 泉佐野のあたりも放置竹林の乱立で、これをなんとか整備して、たけのこ畑とまではいわなくても、子供たちや市民が楽しめる空間ができないものかとかねがね思っていた、とのことである。

 何分にも遠いところからなので、毎週水曜、土曜というわけにはいかないが、月に1度でも2度でも参加させていただいてよろしいか、とのことだった。私(山本)の一存だったが、「どうぞご都合のよいときにお越しください」と答えておいた。動機や話しぶりからみて、ちゃらんぽらんの人ではなさそうである。

   山 本 律

 


 

 

06 杉爺の竹林日記 ・・・ 「小石拾い」 

2011.01.29 杉谷 保憲

 

竹林日記「小石拾い」2011・01・29(土)晴れ

参加者 杉谷、高田、野本、澤、濱上、辻井、世良田、竹内、稲岡。高橋。


朝は晴れ渡った。日本海側の各地が大雪のなかにあるのに、なにか申し訳ない気持だ。


「まちづくり市民懇談会」の頃から書き始めて、「長岡京市竹林友の会」でも書き、「竹の学校」へと続いた竹林日記である。すでに十年の歴史がある。


ここしばらくの間、山本さんが担当してくださったので喜んでいた。

杉谷「筆の冴えが出てきましたね。このまま続けていただけませんか?」

山本「いや、水曜日と土曜日はシンドイです。週一回なら・・・」

やむをえない。これから水曜日は山本さん、土曜日は小生の担当となる。


作業は土留めや補強、補修など竹林の美化に入る。


私は小石拾いをした。

野菜畑には小石が全くない。当たり前に思うけれども、農家は長いこと拾いだしているのだ。篤農家の竹林は小石がない。しかし一般のタケノコ畑ではそこまでできない。

近所の竹林でおばあさんが小石を拾っている。「先祖さんから代々ズーッと拾ろーたはいりますねん。そいでもまだまだですわ。」確かに、小石は十年や二十年ではなくならないだろうと思えるほど無数にある。


小石は日光を反射するので、京タケノコにはよくない。その上、ホリの刃先を痛める。小石拾い ――伝統工芸はよく知られているが、京タケノコづくりはまさに伝統農芸である。


昔の地主に出合った。「このあたりは場所によっては砂地であり、タケノコにはこまったなあと思っても、また別の場所は粘土質なのです。これはタケノコにいいわいと喜んでも、そんなところに限って小石があります。子どもの頃には小石拾いをやらされました。」


腰をかがめて小石を拾う。粘土が乾燥している。今年は雪も雨も少ないので、土壌に水分がない。竹は水が大好きであるが、これではタケノコが大きくなれない。今ごろタケノコは地中で水を求めていることだろう。

杉谷 保憲

 
 
 ほぼ完成した柴垣の風情!

快調になった運搬車の勇姿。
 
アイドル回転数が低いとのことなので
 来週、気化器の調整予定 (Inaoka)


 

 

05 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「柴垣の風情」 

2011.01.26 山 本  律

 

 竹林日記 「柴垣の風情」 2011・01・26 (水) 晴

 参加者 : 山本、松本、野本、窪田、錦織、澤、濱上、世良田、荒木、小椋、竹内。稲岡(喜)。塚崎。  [13名]


 今日の作業は柴垣造り、作業場の雨漏り修理(樋の作り替え)、資材倉庫の屋根用材の作成と、例によって竹材の焼却。

 柴垣をめぐらせると竹林に風情が出てくる。単なる竹林ではなく、庭園といってよい趣きが生れる。乙女の丘の南側を今日造り終って次は東側を囲うという。

 休憩時間に、来週は一週間冬休みをとって来月の5日から作業を再開せえへんか、という提案があったが、皆やる気満々で、これはご破算になった。

 また、シイタケの榾木(ほたぎ)の入れ替えをしたら…、という話が出た。原木のコナラが置かれている場所や数量は把握しているが、運び出す方法や手間の段取りがついていないのでこれも具体的な話にはならなかった。だが、いずれはせねばならないことである。

 先日の竹林日記に、冬至の日出と日没時刻のことを書いたところ野本さんが「日が暮れるのは、11月20日過ぎごろが一番早い」と教えてくれた。と思うと続けて荒木さんが、冬至の前の日出と日没時刻の調べ方を教えてくれた。
 荒木さんのアドバイスに従って、早速京都の「日出と日没時刻」をウェブで検索すると、京都の日没は11月下旬が一番早かった。
 こんなどうでもよい些細なことを、詳しく知っていて、しかもそれを教えてくれ方がいる…、持つべきものは友人だと思った。

 それと、かねがね疑問に思っていたことは、周囲を山で囲まれた京都のどこに太陽が顔を見せる時刻を日出時刻、どこに沈む時刻を日没時刻とするのかだった。
 これもウェブを見てわかった。実際に太陽が出る時刻、沈む時刻ではなく、京都の緯度と経度から計算した理論上の時刻だった。
「周囲の地形や山によって、各地の日出、日没時刻が異なります」
と断っているのである。

 これはウェブの話ではないが、「向日」という地名の由来である。
これは京都盆地で一番早く太陽が見える場所を意味する古くからの地名である。長岡京が造られる以前、おそらく秦河勝の時代からこのあたりは「向日」と言われていたのではなかろうか。宮崎県が、古くは「日向」だったのと同じではないか。


     山 本 律
 
 


 

 

04 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「大寒にしては穏やかな竹林」 

2011.01.22 山本  律

 

竹林日記 「大寒にしては穏やかな竹林」 2011・01・22 (土)  晴

 参加者 : 山本、杉谷、松本、野本、窪田、錦織、辻井、濱上、世良田、荒木、小椋、竹内、稲岡。
       稲岡(喜)、辻井(ひ)。塚崎。てくてく(村山)、伊藤。   [18名]

 20日が大寒だった。その前ごろから、さすがは寒の入りだ、と思わせる寒さが続いて、この調子だと大寒はどんなことになるかと身構える思いだった。しかしその前日から冬型の気圧配置がゆるみはじめて、いわゆる西高東低の等圧線が間延びのしたゆるやかな線になって、素手でもあまり冷たさを感じない陽気になった。

 だが寒中だけあって、風こそ吹かないもののしっかりと冷たい。それでもきょうの空はどことなく春めいた色をしている。やはり春は間違いなく近づいているのだ。しかし気を許してはならない。立春までまだ2週間ある。立春寒波などという、とんでもない寒さが襲ってくることがある。私が子供のころは、節分は雪が降るものだと思っていた。

 この穏やかさの中で、先日の整備作業計画が動き出した。
 資材置場の屋根の葺き替え用の竹材の切り揃え、土を取って出てきた地下茎の焼却場への運びこみなど。この焼却炉はすばらしい。もともとは竹炭つくりの窯なのだが、窯の底に敷いた鉄のすのこが変形するほどの高温度になる。鉄製のすのこが変形するところをみると1,000℃近い温度になるのであろう。

 それはどうでもよい。それよりあの整備計画を書いて思ったことだが、作業の優先順位、早く手をつけたほうがよいものと、落着いてからしてよいものとの順番を決めねばならない。これを決めるのがまず一番ではないか。皆さんの意見を聞く必要がある。  

     山 本 律
 

焼却釜の中の底を点検する山本さん。
五右衛門風呂に入っているような・・・。
 


 

 

03 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「本格的な作業開始」 

2011.01.19 山本  律

 

竹林日記 「本格的な作業開始」 2011・01・19 (水) 晴

 参加者 : 山本、杉谷、高田、松本、野本、窪田、錦織、世良田、荒木、小椋、竹内。稲岡 喜。塚崎。


 御屠蘇気分も醒めて、きょうから本格的な竹林作業が始った。とはいっても竹林そのものには、さしあたっての仕事はない。しかし竹林の農閑期ともいえるこの時期でないとできない仕事がたくさんある。
 とりあえず二つの用具倉庫に挟まれた作業場の屋根の雨漏りの修理に取りかかった。それと久しぶりの竹材の焼却。

 杉谷さんの指示で野本さんと私(山本)が、竹林内の要整備箇所や要修理箇所などを点検してまわった。ざっと見てまわっただけでも次のような懸案事項、整備箇所が出てきた。

   ・ 土取りで掘起された根株の埋め戻し
   ・ 筍ができなくなって切り倒した竹の切株の整理
   ・ 上記切り倒した竹の焼却
   ・ 各所に放置されたブロックの整理
   ・ 竹林の境界周辺部の土留めの整備改修
   ・ 遊歩道の整備
   ・ トイレの改修
   ・ しいたけの榾木(ほたぎ)の整理、入替(?)
   ・ 資材庫内の整理(不用品の処理)
   ・ 同じく資材庫の屋根の修理(ブルーシートの取替または葺替)

 細かく探せばまだあるかもしれないが、筍シーズンに入るまでにできるだけの整備改修を済ませたい。要はほったらかし、だらしなさをなくすること。日々の作業の都度、整理整頓を心がけることも必要。

 ニュースを一つ
 「ホリ」が1本新たに加わった。街の金物屋で手に入る品ではなく、鍛冶屋が1本1本手で作る。従って半端な値段ではないらしい。 しかしこれがないと乙訓の筍掘りはできない。我々の必需品である。

     山 本 律
 
 


 

 

02 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「小正月・どんど焼の新年会」 

2011.01.15 山 本  律

 

竹林日記 「小正月・どんど焼の新年会」 2011・01・15 (土) 曇

 参加者 : 山本、杉谷、松本、野本、窪田、錦織、澤、辻井、濱上、荒木、小椋、竹内、稲岡。
       向井、川路、尾崎、池田、大西、高橋、原。塚崎。てくてく(村山)。


 きょうは小正月。薮入ともいう。お店(たな)の使用人が休暇をもらって生家に戻ることから出た言葉だという。そして今日で正月が明ける。長法稲荷では正月の注連飾りを焼く「どんど焼」をしていた。地方によっては今日を「鏡開き」とも言う。正月の間、神に供えた鏡餅をきょう食べるからである。私の家では母親が鏡餅でぜんざいを作った。子供たちは硬い鏡餅を食べるのがいやで、ぜんざいばかりを食べた記憶がある。

 私たちの竹の学校では、どんど焼ではなく、焚火を囲んでの新年会が行われた。
 豚肉、白菜、えのきだけ、椎茸、大根、人参を大鍋に入れて昆布出しで煮て、会員の健康と無事息災を祈って一同乾杯。器から盃から箸に至るまで、すべて自家製の竹材。竹の学校は実にすばらしい人材が揃っている。

 それと、前回1月12日の竹林日記で大事なことを書き忘れた。
 仕事始めの「儀式」のことを書き忘れているのである。12日は我々の仕事始めだった。正月休みが終った平日ということもあって参加者は少なかったが、作業に入るに先立って、まず長法稲荷神社に、参加者全員が初詣をしたあと、竹まつりの会場の奥、太陽の丘の奥、乙女の丘の奥、竹林の鬼門に当る竹林の北東隅の四方に、塩、米、酒を撒いて今年の作業の無事を祈った。「今年も筍がたくさん採れますように」と願うメンバーもいた。

 ということで、きょう15日は新年のセレモニー抜きの、いきなり飲んだり食ったりの新年会になったのである。ちなみに、昔は1月1日を「四方拝」といった。宮中では1月1日に四方の神を天皇が拝んだからである。昔は「国民の休日」などという日はなく、すべてが天皇中心の「まつりごと」だった。

     山 本 律
 

いきなり初出パーティーの準備から入りました。

女性陣が収穫した椎茸は竹の学校の
自家製です!

乾杯前から、出来上がってる雰囲気?

 準備完了。乾杯~!

何といっても、この竹燗、竹酒がサイコー。
  昨年、ご機嫌斜めの運搬車の濾過器から、
タンクの錆びカスを取り除きました。
向こうが見えるようになりました。次回はエン
ジン快調のはず!
 年末の応急処置(燃料チューブ内のカスの
み掃除)の続きでした。(Inaoka)

 


 

 

01 $$$竹林日記 $$ ・・・ 「仕事始めの筍初掘り」 

2011.01.12 山本  律

 

竹林日記 「仕事始めの筍初掘り」 2011・01・12 (水) 晴

参加者 : 山本、松本、野本、窪田、錦織、濱上、世良田、荒木、竹内。多田(+1)。塚崎。


遅ればせながら 明けましておめでとうございます。今年も元気で竹林作業を楽しみましょう。

今朝は冷えこみがきつかった。朝7時前に戸外の温度計が -1℃を指していた。竹林の水が凍っている。仕事始めといっても、さしあたって急ぐ仕事がないこともあって、焚火のそばにいる時間のほうが長いような作業日だった。

集合場所に通じる坂道に筍が顔を出していた。誰が差したのか赤い目印のついた竹串が立ててある。去年も、確か2月に入ってからと思うが、稲岡喜美子さんが筍の初ものを掘った。去年の筍もそうだったが、きょう掘った筍も、シロコといってよいほど白い。はしりの筍はみな白いのか。しかし、筍にはちがいないが、食べられそうな見かけはしていない。みな手にとって眺めるだけで持って帰る人はなかった。

かねがね気づいていたが、冬至というのは日照時間が一年中で一番短いというだけで、日出が一番遅くて、日没が一番早いわけではない。ちなみに、冬至(12月22日)は日出が7時1分、日没が16時49分。きょう(1月12日)は7時5分の日出、17時5分の日没である。日出はきょうのほうが遅い。しかし夕方になると日が長くなった…とはっきりわかって、春近しを思わせる。竹林でこの話をすると野本さんが、「日が暮れるのは11月20日過ぎごろが一番早い」と言った。

それを聞いて私の女房が言ったことを思い出した 「いつも父が、冬至十日前がいちばん暗いと言ってた」
迂闊にも冬至前の日出時刻を記録していなかったので、そうだったのか、とあらためて思った。

 パソコンで調べたが、検索の仕方がまずいのか、京都の過去の日出、日没時刻の資料が出てこなかった。京都地方気象台に問い合せてみようと思っている。                


     山 本 律