2001年の竹林整備プロジェクト活動報告

  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001. 9.12「無題」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001. 9.18「チロシン」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001. 9.25「高齢出産の子、かぐや姫」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001.10.02「仲秋の名月」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001.10.09「現代わらしべ考」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001.10.16「美しい竹林のなかに重要書類が・・・」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001.10.23「秋」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001.10.30「明るい感じ」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001.11.13「藁の匂い」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001.11.24「筆者交替の提案」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001.11.30「幼い異性関係」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001.12.10「お医者さんごっこの社会関係」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001.12.10「長岡京市のビオトープ」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001.12.16「自分からは好きだと言い出せない」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001.12.19「無題」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001.12.26「いい年をお迎えください」
  ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2001.12.29「番外篇――初夢」

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「無題」

 2001.9.12 杉谷保憲

 

今年初めての整備作業

参加者   杉谷、佃、堀、松尾、古澤      立命館大学 : 志茂、高木
集合9時30分

<下草刈と伐採と施肥と年号記入>
山裾の部分で上記の作業をした。
台風ははずれて、関東、東北地方に去った。
青空に巻雲がのぞいて、まだ汗をかく。
久々のせいか皆活発な作業ぶり。冷えたお茶と凍ったタオルが気持ちいい。
整備作業が終ったのは全域の4分の1ぐらい。刈り取った草や間引いた竹を燃やす。
11時半に作業は終えた。

焚き火をかこんで四方山話
昨夜のアメリカにおける同時テロ、引継ぎで鍵を配る(子どもPJから竹林PJに金を提供して道具購入に充てたことやタケノコ発送業務は一体誰がしたと思っているのか!・・・引継ぎについての憤懣)。
一転して、ホリが一丁欲しいねェ、あれは高価よ、どこかの家の納屋で不要品になっているのはないだろうか、竹をゆさぶって先を折るのにいい時期は3日間しかないそうだよ。
ある地主から聞いた話が披露された。
田んぼは秋に収入があるが、竹薮は春に収入がある。春にはいろいろ出費することが多く、年2回収入の竹藪地主は他から羨ましがられたものだという。
「農業経済史だなあ・・・」
焚き火が燃え尽きるまで話をつないでいるが、話題が尽きることは無さそうだ。
あぁビールが飲みたいと声があがった。シメシメと思った私の喉にゴクリ音が響いたが、すぐ自重発言が出て、ゴクリは伸びきった竹のこずえに消えた。
去年初めて竹林に入ったとき、その爽やかさに新鮮な驚きがあった。あの記憶がよみがえった。身体が滅菌空気に包まれている。積み上げた竹に背をもたれていると枝のしなりがいいクッションになる。竹林のなかの焚き火を囲んで仲間同士がしゃべりあうのは癒し行為そのものだ。
13時散会。
18時25分、焚き火あとにかけた土に触れ、火のチェックをしたが異常なし。

課題――ノコギリの刃を更新すること。境界の確認が必要か?藁を購入の要。

次は18日(火)9時半。

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・チロシン」

 2001.9.18 杉谷、古澤

下草刈りと伐採作業

参加者   杉谷、南井、佃、古澤

集合9時30分
9時30分に堀さんが現れて、今日は用があるので竹薮には入れません、すみませんとだけ言って出かけていった。別に参加、不参加を事前に連絡するきまりも無いのだが、彼女は律儀な性格なのだろう。
参加した4人はバラバラで伐採を始めた。
前回はしゃべりながら作業したが、一人ひとりが孤立して作業するのはどうもまずい。情報が伝わっていない。
佃さんが指を怪我した。
しかし薬の準備がない。ここまでは私も知っていたが、堀さんに、古澤さんが携帯電話で薬を頼んだという。
すると堀さんが車で薬を運んでまた来たそうだ。そのことは知らなかった。怪我が軽いからよかったものの・・・。
快晴。
竹との格闘の時間が1時間半にもなると、ノコギリを持つよりタオルを持つ回数が頻繁になる。
作業開始時に南井さんが蚊除けの薬を噴霧してくれたが、古澤さんがその上に蚊とり線香を腰につけてくれた。二重の防備はうんと効果がある。
森と違って竹林には鳥や小動物が極めて少ない。
竹には花が(原則として)咲かない。従って実がならない。
竹という植物には蜜も果実もないのである。だから小鳥すら寄り付かない。
森には妖精がいる。竹林には何がいるのか?
竹林には蚊しかいないのか?
いやいや、森よりはるかに魅力的である。
それはかぐや姫がいるからである。そうだ。かぐや姫を傷つけてはならない。
思い出したように、竹の節のすぐ下をゆっくり丁寧にノコギリを当てる。
先週切った、竹の切り口を調べたが、期待したものを見つけられない。
切り口に白い物質が噴き出していることがある。
チロシンといわれる化学物質だ。
この
チロシンはある条件下におくと発光すると新聞記事にあった。(余りにこの記事に興味をひかれたので、私は今年の年賀状に記した。)
チロシンが発光した部分にかぐや姫はいたのだろうか?
チロシンはどういう条件にすると光を放つのか?
チロシンが今日は見つからない。
竹林はかぐや姫を匿っている。
古澤さんが今日もまた冷凍オシボリを配給してくれ、冷えたお茶をくれた。
お陰でどうやら妄想から覚めたようだ。
けれどもかぐや姫は何処へ匿われたままである。
南井さんがナタで竹串をつくり、古澤さんがお手製のお菓子を串にさし、焚き火であぶった。アチチッと言いながらお菓子を頬張ると、口の中でじわっと甘味を広げる。
穀物の甘味だ。昔の味だ。
次回は来週9月25日(火)9時半から。
選挙戦たけなわで参加者が少ないと予想されます。ご家族、友人をお誘い下されば、なお楽しい作業になるでしょう。

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快晴。竹の隙間から見える秋空は、高く美しい。
しゃべりの楽しさを忘れて、それぞれが作業に没頭してしまった。
のこぎりの音だけが響く竹林に、「南井さん、マッチある?」「佃さん、マッチ持ってる?」と、古澤の声が大きく響いた。
二人は、「いやあ、タバコ吸わへんしなあ」「あ〜あ、堀さんなら気が利いてるし、なんでも持って来てるんだけどなあ。仕方ない、燃やすのはあきらめようか・・・。」
焚き火大好きの古澤は、残念でならない。
「ミィ〜ン、ミンミンミン、ミィ〜ン・・・」
えっ、まさか・・・。なんで今頃、ミンミン蝉が鳴くの?
けれど、空耳ではなかった。10回ほど鳴くと、蝉はどこかへ飛んでいった。
こんな時期に仲間は見つかるのかしら?
季節はずれの蝉はもの哀しい。
10時過ぎに佃さんが指を怪我した。
しまった!なんにも持ってきてないよ〜。こういうときにはやっぱり堀さんや。
即ケイタイ。
まもなく、(たぶん5分後)堀さんが「佃さ〜ん、救急箱持ってきましたよー」とやってきた。佃さんはきっと、なんでこんなにタイミングよく・・・と思ったでしょう。
堀さんは、救急箱と一緒に、蚊取り線香とマッチを持ってきてくれた。さすが、「気配りの堀さん」だね。
佃さんの怪我が軽くてよかった。救急箱は常備すべし!
マッチが届いたおかげで、古澤はさっそく焚き火にとりかかった。
体じゅうにたかっていたやぶ蚊が、いつのまにかいなくなる。火の効果は絶大だね。
「焼き芋食べたいなあ・・・」食欲の秋、古澤の大好きな季節がやってきた。
もうすぐきんもくせいの香りが、まちのあちこちから漂うんだ。。。うれしい!
10時半、「休憩しましょ」と声かける。かき氷を食べながら雑談。
無口な南井さんが、とつとつと、山歩きの話や向日市の竹の道の話を始めた。
焚き火を囲み、ほっこりするひとときだった。
眼下のエコ農園では、市職員の男性4人が整地に精を出していた。
機械ではなく、鍬で。。。汗びっしょり。上半身裸、小麦色がまぶしかった。

                                                                      from 古澤登美代

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・高齢出産の子、かぐや姫」

 2001.9.25 杉谷保憲

間伐作業

参加者   杉谷、南井、佃

快晴の日、秋の爽やかな風に伐採作業の汗は心地よい。
タケノコの最もおいしい食べ方は朝どれのものをサシミにする――これは定説と思っていた。実際この味はタケノコ好きの人に絶賛される。
さるスナックでそんな話で盛り上がっていたら、客のなかにタケノコ農家の人がいて、彼が言うのには、取れたてのタケノコをその場で銀紙に包んで蒸し焼きにするのが極め付き、これは農家に人もその時期は忙しくて食べるチャンスがないとのことだ。
実際にまちこんでやってみたが確かにうまい。
しかしタケノコを取るその場で蒸し焼きを作ることはタケノコ掘りができる条件がある人にしか機会がない。誰でもできることではないのだ。
ワイドショウで、タケノコ料理の真骨頂は蒸し焼きだと紹介した上に、タケノコに含まれるチロシンは栄養価が高く、精力増進作用があると説明していた。
「竹取物語」のお爺さんとお婆さん夫婦は毎日タケノコを食べていたので、エネルギーに満ちて子宝に恵まれた。
今でいう高齢出産である。当時はいい年令になってから子どもができることは恥ずかしいこと。
夫婦は一計を案じて、その子かぐや姫は竹から生まれたことにしたのである。
これはかぐや姫伝説のなかの新説である。
南井さんご夫妻も佃さんご夫妻もまちこんタケノコを食べて、まだまだ頑張ってください。

次回は10月2日(火)9時半から。引き続き伐採作業の予定。 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 「仲秋の名月」

 2001.10.02 杉谷

 

下草刈りと伐採作業

参加者   杉谷、佃

9時半、伐採を始める。
今日は2人なので竹林のなかに人の気配が薄い。タケノコ農家の作業を見ていると、3〜4人か夫婦ふたりかいずれにしても複数である。近頃、田んぼや畑仕事はひとり作業が多いのに、竹林作業はひとりということはまず無い。ひとりでは竹の気に押されてしまう。
昨日から市議選が始まり、この竹林にも宣伝カーの声が入る。竹にこだまして候補者の氏名は判然としない。普通なら騒音としてしかとらえないが、今度の選挙にはまちこんから二人も立候補したので、そのせいもあって聞き耳をたててみる。今日は宣伝カーの声も整備作業の後押しをしてくれる。
昨夜は大雨が降った。今朝も西山が白く煙って小雨が残ったので、佃さんは長靴を履いてきた。私はズック靴、シマッタと思ったが我々の竹林は傾斜地、雨はすっかり流れていて歩きづらくはない。
昨日は旧暦8月15日、仲秋の名月。夜は雨で月を眺めることはできなかったが、かぐや姫が月に帰った夜である。あのお話はこうだ。3ヶ月で成人になったかぐや姫は(竹も3ヶ月で伸びきってしまう。)たくさんの有力な若者から結婚の申し込みをうけた。しかし彼女は彼らにそれぞれ無理難題を与えて、結局その課題ができないことを理由に全部断った。そして満月の夜がきたらお爺さん、お婆さんとお別れすると告白する。かぐや姫を手放したくないお爺さん、お婆さんは家を兵隊に取り巻いてもらい防衛していたが、名月の晩、月光部隊が降下してきて瞬時にかぐや姫をさらっていったのである。
かぐや姫は日本の寓話、ウサギが餅をついている世界に帰ったとは思えない。中国の月には宮殿があることになっているから、かぐや姫は宮殿に住んだと考えるのが自然だろう。竹取物語にも中国の影響があるのだろう。
次回は10月9日(火)9時半から。もう少し人の気配が欲しいです。 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「現代わらしべ考」 ・・

 2001.10.09 杉谷保憲

 

下草刈りと伐採作業

参加者   杉谷、南井、佃 、古澤

9時20分に着くと南井、佃両氏は既に腰に蚊取り線香を着装して焚き火を燃やしている。佃さんの腰にはノコギリ用の鞘が新調されている。南井さんは前からノコギリを厚紙の鞘に収めて腰につけていたから,見慣れてはいたが、佃さんも同じスタイルになりすっかりプロの姿である。しかし佃さんの鞘はお菓子箱の厚紙で不器用に作られているのが可笑しい。
なぜか今日の焚き火は勢いがある。火にはじける爆裂音が竹林にこだまする。
このところ同じ場所で同じ作業が続く。今日はこれまでに伐採した竹材がそこらに散乱しているのを整理して橋を作ったりした。竹林が整理された。
そんな時に古澤さんが現れた。選挙活動で疲労が重なっているだろうに身軽に動く。
カモシカのように飛躍するような歩き方、まるで女子高校生がキャンプ生活で薪を集めているかのように見える。彼女にくらべると私の動きは足の裏に吸盤がついているみたい。
今やっている伐採作業が終ったら、次に施肥をし、最後に藁を敷く。この藁が頭を抱えさせる問題になるなど夢にも思わなかった。
堀さんが「私は今、選挙の真っ最中、藁のことをよく調べておいて下さい」と電話してきた。堀さんは端的な表現を得意としている。無駄というものがお嫌いなのだろう。堀さんを相手にすると、俊敏な女教師の指示を聞くのろまの生徒のような関係になる。
「ハイハイわかりました。」けれどもすぐには取り掛からない。
私は農協(今はJAというのだ。私は新しい言葉になじめない。面積もアールより反とか畝とかが解りやすい。)に電話する。そこで分かったことは次ぎの通りである藁は国産のものはまず手に入らない。輸入物である。これが1コンポ1300円。1反(10アール)に30コンポを敷くとすれば3万9千円かかる。我々の竹林は総面積3反ぐらいとすれば、全体に藁を敷き詰めることはとてもできない。
農協の人が電話の向こうで素人に教え諭すように言った。「藁代だけではすまんでっしゃろ。まだ肥料代もあるしそれに人件費を計算にいれると、たけのこ代金ではとても引き合わしません。」
その昔、藁に経済価値はなかった。そんな藁のたった1本が幸運を呼んでついに大金持ちの王子を創ったのだが、現代の藁はそのものがすでに黄金である。
ポン パーンと威勢よくはじける焚き火が脳裏に映っている。選挙が終わって既に3日経つ。出馬した2人の顔を見ないので、どうも気分は盛り上がらない。 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「美しい竹林のなかに重要書類が・・・」

 2001.10.16 杉谷保憲

下草刈りと伐採作業

参加者   杉谷、南井、佃       (立命大)志茂、今村

大きいトラックが到着した。
何事ならむと見ていると、立命の志茂君、今村君が藪をあがってきた。
彼らの車である。
昨夜のメールによると、今日は学生たちの応援があるとのこと。知ってはいたが現実に援軍の顔をみるとほっとする。
今の藪には先週までに切り出した竹がそのまま放置されている。
老体3人での作業は竹を切るだけは調子いいが、それを運び出すのに難儀をする。
竹が密生していて、互いに枝がからまってしまい、切った竹が倒れてくれない。それを引っ張りだすには力が要る。というわけであちこちに竹が散乱していた。
それに若い2人が挑戦してくれ、つぎつぎと片付け、お昼までには竹林はすっかり美しく整った。
昨夜はもうひとつ竹林関係の知らせがあった。それは古澤さんから自身の不参加の連絡。彼女が藪に入らないのは珍しいこと。彼女はノコギリの替え刃を持ってくる予定だったが、堀さんに代わるという。
また明日は竹を欲しいと言う人が来るとも言った。
その堀さんが替え刃をもってやってきた。彼女は数時間まえまで熱があったのがありありと分かる。喉が痛そうで声がかすれてうわずっている。そんな声で堀さんが提案した。“藁を敷くのは値段が張るから、草を刈って敷いたらどうでしょう”と。
なるほど。
そこで古澤さんに提案ですが、枯草作りのために皆でお花畑の草刈をしませんか?
一石二鳥をねらって・・・。
そうこうしているうちに小泉造園の小泉さんが2人の男性を従えてやってきた。
細めの竹を20本ほど欲しいという。
この竹は水垂の浄水場の近くでビオトープ造園に使うという。水の流れをつくり、石や竹を沈めておくと竹の穴の中に小動物が住み始め、つぎつぎに動植物が住み、やがて自然の環境を回復させることができる――そんな構想のもとで作業中とのこと。
現地を見学したいとお願いした。
整備作業は12時終了。
2人の学生はトラックで去って行った。
書類を藪のなかに残したまま。書類は大切な頼まれものなのに。


来週の作業も火曜日9時半からです。

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「秋」

 2001.10.23 杉谷保憲

 

 

下草刈りと伐採作業

参加者   杉谷、南井、佃 、古澤

昨日の雨は地面を湿っぽくしている。
足元に気をつけながら歩く。殊に竹橋は滑りやすく、渡る前に一呼吸する。
今朝見たメールのなかに、同級生が台所で転んで骨折したとの知らせがあった。
何かが確実に近づいているとわが身を振り返る。
竹林のなかは作業が進んで、切り出された竹の山があちこちに見られる。雨はその積み上げられた竹の埃を洗い落とし、竹が生えていた時よりも鮮やかに竹肌をみせている。それは植物の単なる緑ではない。艶やかなみどりだ。まみどりという色彩表現がある。
空が青く抜けて、風がゆっくり吹く。
古沢さんが焚き火をかきまぜながら「ああ、いい気持ち・・・」火に映えて頬が赤い。
暑くもない、寒くもない。
ここには菊も紅葉もないが、まみどりが小柄な古澤さんを染めて、湿った地面が彼女の声を吸い込んだ。
休憩時間に焼きいもができた。
古澤さんは、南井さんにまちこんホームページの呼び出し方を教えている。
南井さんはうなずいているが、うなずき方は操作を理解したというより、孫の話を聞いている風。

佃さんは正義漢だ。「不正には告訴もあるよ」咳き込んで話す。不明朗を糾弾する学生の純なものを失っていない。竹のまっすぐな姿。そういえば彼は入会の自己紹介で、まだ学生だと書いていたことを思い出した。

竹林に敷き詰める藁。ずーと気にかかっているが、藁の値段が高いので、購入の決心がつかない。
また新しい案がでてきた。
洛西ニュータウンで街路樹のイチョウの葉っぱを集めようというものだ。それならタダだし、住民にも喜ばれるという。ある寒い朝、往来の車に気を配りながら、落ち葉を掃き集めている自分の姿が目に浮かんだ。
一陣の風が吹いて黄色い葉っぱが四方に吹き飛ばされて、それを追ってよろついている姿を。

立命の学生さん、竹林に来て下さい。
君たちがいないと文章が湿っぽくなってしまうよ。
時代祭りは昨日が雨で今日に延びたからそっちに行ったのかな?いやいや、本業の勉学にいそしんでるに違いない。

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「明るい感じ」

 2001.10.30 杉谷保憲

 

 

下草刈りと伐採作業

参加者   杉谷、南井、佃 、古澤、堀

「久しぶりに来たら(伐採が)進んでいますね。」
堀さんの明るい声が竹林をつきぬけた。
「少しずつですけどね。」
「いや、日が当ってるじゃないですか」
なるほど木漏れ日が地面を明るくしている。遅々としている作業でも積み重ねられて、整備は確実に進んでいるのだ。
そういえば市農政課のタケノコ講習で教えてもらったなかに“竹の密生度は、地面に日が少し当たるぐらいがタケノコの発生によい”とあった。この講習はとても役に立つと佃さんが参加者に力説している。藁の入れ方、土のかけ方など早くも先生役。
私は同じ講義を聞きながら、直接役に立つ事柄よりサイドの経験話が記憶に残る。
例えば焚き火は、朝に火をつけると夕べには消えるが、午後に火をつけては駄目。
また竹林のなかの樹木は早く成長する。なぜなら竹にやる肥やしを吸収しているから・・・などなど。
今日は北側斜面で火をおこした。
南井さんが新聞紙をまるめてライターで種火をつくり枯れ竹に移す。根気よくくりかえす。
古澤さんも堀さんも焚き火管理がうまい。程よく燃やし、程よい時間に燃え尽きさせる加減がある。
焚き火に夢中になる人はやきもち妬き屋だということだったかな?なんだったかな?
焚き火に土をかけた。
埋れ火がしばし残る。
あの淡い恋は遠くなってしまった。
それでもふっと埋れ火によみがえってくる。
決して消えてはいない。
あの恋について書き残しておこうか、いや誰も関心をもってくれまい。
このままにしておこう。

この数ヶ月間、懸案になっていた件が落着する見通しになり、胸のつかえがとれた気分。
明るい感じというのかやれやれという感じか。
このところ天気予報が外れっぱなしで、今日も雨の心配をしていたのに、穏やかな日の光。だから、マ、明るい感じとしよう。
先回、ノコギリの刃を換えたのに私はもう2枚も歯こぼれをつくった。
よく仕事をしたものだと密かに自分を褒めていたがどうもそれは逆である。力まかせに(力のない人がこんな表現をするのは可笑しいナ)ノコギリを扱うので歯こぼれができるのだ。
下手な証拠であることが他人の切り株を見ていて判った。
だけど、マ、いいとしよう。

次回は11月6日(火)9時半からです。参加者が多いと作業が明るくなります。
 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「藁の匂い」

 2001.11.13 杉谷保憲

藁を束ね竹林まで運ぶ作業

参加者   杉谷、南井、佃 、佃れい子、古澤、堀

先週火曜日は雨のため作業を休んだ。
だからメンバーが会うのは久しぶりかと思ったが、その間にガラシャ祭りがありそれぞれ楽しんでいたようでモーニングチャットは活発。
昨晩連絡しあって、今日は長法寺小学校生徒の農作業、脱穀の現場に行き、藁をもらうことにした。
藁を束ね、竹林まで運ぶのが作業である。
小学生たちと古澤、堀さんはペチャペチャおしゃべりしている。
「街中がっこうプロジェクト」の知り合いであろうか?
広い田んぼのなかのこと、先生の目も届かない。
長い間懸案であった藁が手に入るので、竹林整備の先が見えるようになり気分が明るい。ところが農作業の現場、上長法寺から奥海印寺の竹林まで藁をどうして運ぶか?
昨夜の段階で、佃さんが自分の車を持ってくるが車が小さいので・・・ということであった。堀さんが、加藤さんの車を借りる手配をすると言っていたが手配できたかどうか結果を知らないままである。さてどうしたものか?
現場で協議していると、南井さんの車が使えること、加藤さんの車は午後3時半頃から借りられることが判った。
南井さんの車は有難いが、加藤さんの車が午後では人繰りがつかない。
結局、南井車、佃車、杉谷車の3台が藁を積んで走った。
しかし用途の違う車種だからたくさんの藁が積めない。杉谷車のごときは乗用車だから後部座席とトランクにいっぱい積み込んでも大した量にならない。
それぞれ3往復して正午になった。
本日の作業はこれまで・・・と思ったが、南井さんは仕事のきりのいいところまで、自分一人でもやるという勢いである。
南井さんが働いて、杉谷、佃が帰るというわけにはいかない。
うーうん、空腹の虫が低音で唸った。
地獄にほとけ。
佃れい子さんの差し入れの柿がカンフル剤になり、元気がでてもうヒト働き。
作業が終ったのは2時。
南井さんがいつもの柔和な声でいった。
「案外はやく終わりましたね」
南井さんはお腹の空かない人だろうか?言われて自分のお腹を触ってみると空腹感はどこかへ消えていた。
竹林には藁の山ができた。
農村出身の人は判ってもらえるはずだが、藁の匂いは甘い。その匂いはどう言えばいいのだろう?
果物が熟した甘さではない。調味料の甘さでもない。
もちろん香水がつくりだす甘さではない。
藁の匂いには身内の者同士が感じとる柔らかな安心できる甘さがある。
華やかではないからこそ、心に沁みる幸せ――そんなものである。
少年の頃、田んぼに積み上げられた藁の山を崩してみたことがある。するとこおろぎが出てくる。そのこおろぎを手のひらにそっと入れる。手のひらがこそばゆい。
こおろぎは藁の甘さと暖かさのなかではゆっくりしていたのだろうが、人の手の中は落ち着かないのだ。藁のなかへ返してやりながら、その中にもぐりこんで居眠りできるこおろぎは最高の果報者だと思った。
少年の日も村の暮らしも遠くなった。

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「筆者交替の提案」

 2001.11.24 杉谷保憲

 

 

 

 

 

藁を束ね竹林まで運ぶ作業

参加者   杉谷、佃 、古澤、堀、松尾

9時、加藤さん宅で軽トラックを借りる。
フロアシフトのギアチェンジの運転は40年振りだから、走り出せてもなにか怖い。
田んぼから藁(先週、運び切れなかったもの)を積んでみたものの何度もダルマの入れ方をテストして、ゆっくりゆっくりと走った。
藁は貴重品。
今年は堀さんが手配に成功したが、竹林の三分の一に敷くほどの量であった。それでもとても有難く、丁寧に薄めに敷いている(来週もこの仕事が続く)。
松尾さんが来年は別にもう一箇所もらえるところを探してくれた。
作業は溜まった竹を燃やすこと。
これには佃さんと古澤さんが二箇所で威勢よく煙を上げている。
堀さんが伐採に取り組む。華奢な体つきだが、見かけによらず力持ちだ。ノコギリの使い方も素人の域を脱している。
「竹林日記」を読み返してみる。
内容はいつも老残の有様を書いていて明るく無い。
文体にも飛躍が見られず、なにか肩がこる感じする。
変化をつけようと考えてみたが、いっそのこと筆者を替えたほうが確かだと思う。
竹林整備プロジェクトには幸い広報の古澤、松尾さんがいる。
毎週の作業に参加できるのは古沢さん。
新年から気分を新たにすべく筆者交替を申し入れたら、こころよく引き受けてもらった。
2002年からは古澤さんの趣向で楽しい文が読めるでしょう。
乞うご期待。

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「幼い異性関係」

 2001.11.30 杉谷保憲

 

 

 

藁を束ね竹林まで運ぶ作業

参加者   杉谷、佃 、橋本、古澤、堀、山本昌平、今村仁

橋本さんが顔をみせてくれた。
彼は子どもたちとはよく遊んでいるが、竹林には久々の登場だ。
常連が帰ってきたので、またみんなの中に元気のもとができたよう。
山岳地帯北部拠点では古澤さん、堀さんが貼りついている。そこから黄色い声が飛んだ。「力を貸してくださーい」
山本君、今村君が竹林のなかを走った。
他の男性はゆっくり追う。
焼却炉の鉄クズの移動だ。足元のしっかりしている二人のパワーが発揮されている。
佃さんが広い竹林のなかにクラスターを数箇所つくっている。
表層を焼け土だけの場所、落ち葉だけの場所、笹だけの場所などと設定して、それぞれタケノコの発生との関係を調査・実験するという。
それぞれに名前をつけるつもりだ。
まさかカブールとかカンダハルとかにはならないだろうが・・・。
この植物生態学あるいは植物発生学研究はどんなハクシ論文にまとまることやら。
その場所にはテープが張られているのでご注意のほどを。
私はワラシキを続けて腰が痛くなったので、転進して虎ロープで境界線を明確化した。今後どんな人たちに応援を求めても作業しやすくするために。
雲も無い。
風も無い。
藁に日の光が当たり、柔らかな明るさと柔らかな陰を描き出す。
敷き終わった部分がかなり広がり、視界が清く美しい。
人はいつから異性を意識するのだろうか。
その時期の早い人は脳の発達がよいからだろうか?
それとも色情の予告だろうか?
私が誕生したとき母はお乳が出なかったそうだ。近所に同じ頃生まれた女の子がいて、その母親はその子と私を同時に授乳させたと後年よく話してくれた。
私にはその記憶がなく、おばさんの大きい胸にしがみついている乳児の姿を想像していた。
その女の子とは小学校入学までいつも一緒に遊んでいた。
遊び相手はほかに2〜3人いたが、そんな仲間でお医者さんごっこをしたこともかすかに覚えている。そのお医者さんごっこは誰とでもしたわけではなくパートナーはその子に限られていて、かつ人目につかない場所を選んでいていたから特定の関係という意識は働いている。
しかし恋というほどのことではない。
異性への興味、異性との違いに関心をもったことは事実といえるようだ。
ところが・・・。

次回12月4日(火)は佃さんと杉谷とが休みます。
竹林PJの皆さんよろしくお願いします。竹林日記もお願いします。

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「お医者さんごっこの社会関係」

 2001.12.10 杉谷保憲

 

 

竹林作業はお休みでした

2月4日(火)は作業日だったが、殆どの人が都合わるくお休みとなりました。
今日5日の朝、加藤さんに軽トラックを借りて、大畑さんの家に行き落ち葉をいただきました。
袋詰のクヌギの葉っぱを10数袋、山に放り上げておいて、ついでに竹林を眺めてみると、知らないうちに竹の柵が作られていました。佃さんの作業でしょうか、有難いことです。
先週、お医者さんごっこを書いてのち、幼児体験を思い出すことはどのぐらい出来るものかと意識的に過去をかすかな糸でたぐってみました。
なんと63〜4年前のことがあれこれと現れてくるのです。
私は小地主の家に生まれました。
田んぼは一部を自家で耕作し、残りを小作に出していた程度で、大地主とは天と地ほどの開きがありました。
戦前のことを語るときには時代背景をきちんと書かなければ誤解のもとになりますが今は端折ります。
耕作しなければなりませんから、小作人の誰かがいつも私の家に来ていました。
屋敷の面積は300坪ぐらい(広いほうではありません)。
建物も母屋、離れ、作業小屋のほかに別棟の便所と灰小屋がありました。
その便所の建物と灰小屋(かまどの灰を貯めておいて肥料として使うための建物・内壁はセメント)の間に幅1メートルぐらい、長さ4メートルほどの空間がありました。
それが子どもたちの絶好の遊び場です。
便所前の手水のそばに南天があり、冬に雪をかぶって赤い実を見せるのが瞼に映ってきました。
また一本の大きな銀木犀があり、晩春の宵その薫りが一面に広がります。
それも思い出しました。
小屋と小屋の間に筵を吊るして目隠しにし、ござを敷いて女の子が横になります。
頭のそばに湯のみ茶碗がひとつ。それが全て。
お医者さんの私は患者の額に手を当てるだけです。
もう少し街の近くの子どもたちなら聴診器ぐらい持ったでしょうが――。
性については隠避なものと子ども心にも思っています。
ほかに男の子と女の子が一緒にいました。女の子は看護婦さんの役でしたが、男の子は何の役であったか、もう思い出せません。
遊びが終り、ふと筵を外そうとすると、そこに麦わら帽子が架けてありました。
驚きました。
誰かが「見ていた」という印でしょう。
悪いことが露見したときのバツの悪さに心が萎えます。
見たのは小作人の若者に違いありませんが、何日が過ぎても誰も何にも言いません。地主の子どもの素行は口外してはいけないのでしょう。
子どもたちの遊び仲間にも農村社会の上下関係が反映していました。
同じような身分のもの同士が仲間で遊ぶのは問題ないのですが、そうでない場合は家柄の上下が即ち子どもの遊び関係の上下であります。
地主の男子を中心とした遊び仲間社会ができていました。
私はたまたま年長でもあり小山の大将です。
医者は村の超特権階級、男は女に対して特権者です。
そんな社会関係の中の遊びが、性をちょっぴり意識した“お医者さんごっこ”でした。
社会の複雑な関係が子どもの遊びにもかなり色濃く反映されていたことに今も不思議に思います。
しかしこんなこともありました。
私が松江の親戚に泊まって、翌日帰宅し、いつものように近所の子たちと遊ぼうとするのですが誰も見あたりません。みんな何処に居るだろうと探します。
かすかな声を頼りに一軒の小作人の家でやっと見つけ出します。
しかし子どもたちは私に振り向きのせず、いや私が来たのが分かっても、一瞥もくれず遊び続けています。
私は悟らざるを得ません。
大人の社会では、小作人は地主との主従関係だけで、小作人同士のお互いの横のつながりは無いように見せています。ところが小作人の間は地下茎でつながっており、こんなときに子どもの態度に現れてくるのです。
表面からは見えないもの、むしろ隠された何ものかなのです。
地下茎のことは誰にも言えません。
そして私に強い寂寥感が迫ってきます。

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「長岡京市のビオトープ」

 2001.12.10 杉谷保憲

番外編

竹林で働いていると、数人の青年が元気よく登ってきた。
事前に連絡があった造園業のメンバーだなあと思っていると、口髭を伸ばしたひとりが近づいてきた。造園会社の社長さんだ。
細めの竹を数十本ほしいという。
竹林には孟宗の太い竹は多いが細いものは探さなければならない。
青年社長はこれらの竹をビオトープに使うという。
ビオトープ?
外来語に小首を傾げていたら、ドイツ語で、生物(バイオ)の生息空間だと説明してくれた。つまり空き地に水を流し池か沼のようにして、トンボやメダカが住める場所をつくるのだという。
「金持ちは自宅に池をつくると鯉を放します。鯉は目には美しいですが、フなどを好んで食べ、蚊を食べません。蚊を食べるのはメダカです。自然の食物連鎖に必要なのはメダカなんです。」
ヘーッと思った。
なるほどとも思った。
庭づくりは金持ちのもの。それを業とする造園会社は金持ちばかりが相手だろう。金持ちを探すことが社長さんの仕事と思っていたが、この青年社長は自然を回復させることに情熱を抱いている。
「ビオトープづくりの資格を持っている人は京都府下でまだ二人しかいません。
今度、長岡京市勝竜寺樋ノ口町の洛西浄化センターで、ビオトープをつくりますから見に来て下さい」この青年社長は小泉昭男と名のった。
浄化センターの屋上公園に行った。
ここで計画されているビオトープは京都府のモデル事業である。
名前はエコアップガーデン。またもカタカナである。
青い目のメダカや金髪の昆虫がいるみたい。
池づくりの工事は始まったばかりで、とりたてて紹介することも無いが、私たちの竹材も水のなかに沈められて水生の動植物の棲家になるという。
使われる予定の材料が面白い。
伐採竹、竹炭、間伐材、古タイヤ、廃ボート、ビール工場からでた汚泥、ウィスキーの廃樽・・・流す水は下水道処理水。
再利用のもののオンパレード、安価な制作費がねらいの一つという。
材料のなかで私の目を惹いたのは竹材をチップに加工して、観察用道路の舗装に使う計画だ。アスファルトに代わって竹チップが使える場所ができればいいね。
歩くのが楽しいだろう。
ビオトープはあちこちの学校の校庭につくられている。
この試みもある成果を結ぶだろうが、もっと大規模のものをつくるのはどうだろう。
例えば休耕田になっている棚田を利用して、自然と共生する環境をつくる。
やがてそこには雑草が生い茂り、トンボ、チョウ、昆虫、小鳥がきて、水中にはメダカやオタマジャクシが見られるようになる。(観察のために人工施設は必要である。)
ビオトープは規模の大小によって、出現するものに大きな違いが出てくると思う。
そして市民の絶好の学習と憩いの場所ができることだろう。

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「自分からは好きだと言い出せない」

 2001.12.16 杉谷保憲

古竹の焼却と竹林のワラ敷き

参加者  杉谷、南井、佃、橋本、古澤、堀、今村
竹林は久しぶりに賑わった。
7人も集まったのだから人の声がどこかにある。
作業は東西2箇所で古竹の焼却と下段竹林のワラ敷きであった。
ワラ敷きの合間に落ち葉の運搬も入った。これは古澤さんの町内の落ち葉を南井、橋本さんが運び込んだものだ。
下段竹林では縦、横にワラを敷き、ほぼタケノコ農家がつくるタケノコ畑並みの風景になった。
「あ〜ら、きれいね。」通りがかりの古澤さんが黄色い声を流した。
ワラを敷きながらこの声が聞こえる範囲にいたのは橋本、イマジン、杉谷の3人。
橋本さんは「ほんと!幸せですね。」とすぐに反応した。
イマジンは黙って腰をかがめて作業を続けている。言葉にすると多分「同級生ぐらいの女性が褒めてくれると嬉しいのになア」だろう。
杉谷は思った。“古澤さんは子ども相手の仕事をしているだけあるなァ。褒められれば嬉しくなってまた働くから。“
ところで竹林は実際、美しくなった。
薄い冬の日が光を落す。
竹葉の影はワラに吸い込まれて一層薄くなる。
竹とワラ。
竹は1年中ほとんど変わらない色である。ワラは既に生物の役目を終り、固定した淡い茶色をしばらく見せる。両者の間を日の光がつないで、一瞬、一瞬が微妙な変化をつくりだす。
油絵でいえば、モネの睡蓮の連作を思わせる。
水という無生物と睡蓮との間に光が変化をつける様と同じ関係だ。
この水と睡蓮の一瞬、一瞬が微妙に違うから、モネは連作に連作を重ねたのだろう。

さて先々週からの“幼い恋ごころ”を続けよう。
小学校1年生は男女一緒に教室に並んだが、2年生以後は戦時体制になり、別々のクラスになった。
私は神主さんの娘が好きだった。
しかし当時は好きだということを相手に伝えることは不可能のこと。
私は小学校の彼女の下駄箱を密かに掃除するのだった。
しかし彼女がそれに気づいた兆候はない。
私は思った。どうして彼女は自分の下駄入れだけがきれいになっていることに気づかないのだろう?
いや、気づかれなくてもいい。いつか判ってくれるときが来ればいいことだから。
誰にも知られない“想い”であったはずなのに、学校の便所の壁に落書きをされた。
相合傘の下に、「和尚さんと象さん」と書かれている。
私のあだ名は和尚さん、彼女のあだ名は象さん。
私は風貌からつけられたが、彼女のあだ名は神社に象の彫りものが飾ってあったからだろう。
私は落書きを消さなかった。消えそうに無かったからほっておいたらいつか消えていた。
あの頃は男も女も、自分から相手に好きだと言い出すことは出来なかった。
それは大変難しいことであったから、それを「告白」という今や大時代な言葉を使った。
女から言うことは男から言うより難しい。
そして男にとってもそれを言い出すのは大仕事。男にもできれば相手に言ってもらいたいのだ。それほど荷が重い難事業である。
私は結局なにも言わずに終っている。
今はどうであろうか?
戦後教育のなかで、男女平等で育った人たちはそんなことは安々と乗り越えているだろうか?
男女共同参画の社会ではどうなるであろう?
今、街のなかでも電車のなかでも中学生男女が手をつないでいる。この人たちにとってはなんでもないことなのだろうか?
私は男女の間に体の違いがあるかぎり、当然心にも違いがあると考えている。
脳の働きにそれぞれ特徴があるのだ。
恋のときにその違いの壁を乗り越えようともがく。
ことに初恋は――。
時代が変わってもそのことに変わりはないはずなのに、理解できないことが増えてきた。

作業が終ってから海印寺農協に行った。
ユンボが入る日は(担当者は長考の挙句、)16日(日)になるだろうと決めてくれた。
ただし時間は前日に電話でとも・・・。 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「無題」

 2001.12.19 杉谷保憲

竹林のワラ敷き

−−−「午前の部」2001.12.18(火)−−−
参加者  杉谷、南井、古澤、堀、今村仁、野本
南北の拠点では煙が上がっている。
私が現場に到着したのは9時15分だったが、北には堀さん、南には南井さんが既に火をおこしている。作業はワラの移動、落ち葉の移動から始まり、ユンボの道をつくることが主なこと。
昨夜遅く農協から電話があった。
今日の午後にユンボを入れることが行きますという。農協の対応は日時に関しては曖昧というか大雑把というか、これまで返事がなかったり、約束を何の連絡も無く破ったり、前近代的なやり方を濃厚に保持している。
古澤さん、堀さんが早や引きしたあとに新人が登場した。
数日前電話をしてくれた野本さんである。
「まちこんニュースレター」を見たので・・・との話であった。
野本鉚司(60)開田。野本さんの名前はリュウジと読む。
野本さんとイマジンで橋づくりにとりかかった。
野本さんは仕事が丁寧だ。橋が架かり、ついでユンボ道に残る竹株の撤去を二人がかりで挑戦したが、竹株は強く根を張っていて難業である。30分はかかったろう。その過程でノコギリを求めたところ小屋の中に一丁も無い。盗難であろうか?
12時半終了。

−−−「午後の部」−−−
参加者 杉谷、佃
13時半、農協の人が現れる。
第一声が「明日の午前にしましょうか?」なのだ。
「とんでもない。今日お願いします。」
彼が携帯電話で連絡すると、ユンボ操作の人は今日やろうと言っている。一体どうなっているか?推察のしようもない。
ユンボと言うのはオカシイ。
この掘削車にはkubotaと記されている。ユンボもメーカー名だ。
英語はバックホーンと言うのだそうだ。バックホーンは力強い。
午前に竹株一個を処理するのに30分かかったのにこの機械にかかると3分で済む。頼りがいが感じられ、なおかつ繊細に動く。
佃さんは竹に抱きついた姿勢で作業を眺めている。眺めるというより熱い眼差しを送っている。少年の心が戻ってきているに違いない。
バックホーンは魅力的。
竹林は晩くなると寒い。
“後ろ向きの角”は鈍い金属音を響かせながら16時半まで働いて帰っていった。

来週12月25日(火)は今年最後の作業日、またひとり新人の登場となるかも。
作業は竹株の穴あけ、ワラ、落ち葉敷き、肥料まき、そして土入れです。
土入れは重労働ですので少しだけにしましょうね。
1月13日(日)は竹林事始にしたいと思います。
全員のご参加をお願いします。

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「いい年をお迎えください」

 2001.12.26 杉谷保憲

肥料撒きと土入れ

参加者  杉谷、南井、橋本、野本、高田、堀、今村、山本
天気予報ははずれて晴天の朝。
はずれたといっても週間予報が雨であっただけだから、直近になると殆どはずれることは無い。ところが私の予定は大幅にはずれてしまった。その話はあとにして、まず9時30分の時点から始めよう。
私が新人、高田豊さんと到着したときには、橋本さんが肥料の袋に囲まれて人待ち顔。「学生さんが応援に来てくれるのを待っているんです。」
それはそうだ。この肥料を山に上げるのは並みのことではない。若い人に頼まなければ。しかし高田さんは紹介が終るや否や肥料袋を担いで登りだした。
労災保険がついているわけではないから無理なことをしない方がいいのだが・・・高田さんの年齢を聞いておけばよかったのにと悔やむうちに姿は竹林に消えた。
野本さんが架橋工作に専念、堀さんが北極地点で作業して、他は全員が肥料撒きと土入れをした。
予定では土入れを完了するつもりであったが、なんと10%程度の面積しか進まなかった。作業してみると意外に広いのである。
そしてワラが隠れる程度に土を盛るのは相当の量が要るのではかどらない。
去年はワラが無かったので土盛りの量が少なかったのだ。だから新年の作業は残りの土入れから始まることになる。
新年は仕事はじめをいつにするか?
目下は、1月13日(日)にまちこんメンバー全員で作業し、昼のおでんパーティで新春の気勢を上げようという案で話を進めているが、3連休の中日にあたり旅行に出る人もあり、果たしてこの案が実現できるか、佃さんが調整中。

2001年が終ろうとしている。
世界にもまちこんにもいろんなことが起こった。
どれ一つ取り上げてみても多様な考え方があることが判るのだが、私にとってこれまでの人生でさほど意識しなかった事柄がとても大切なことだと教えられた。
その一つは各人には色合いや姿勢に違いがあり、その違いを認め合うことが大切だということ――研究目的や企業目的といった強い合目的的なものの無い集団では、色合いの違いや姿勢の違いを合わせることはたちまち離反につながる――。
統一を図ることは純化につながり原理主義的な動きになりやすい。それは地域活動には最も困る事態をつくる。
もう一つ考えさせられたことは、ボランティア活動というのは予想を越えた哲学的命題を内包していることだ。
私は労働にたいして報酬があることを当然としてきた。
ところが利益を求めない行動を続けるとやがて心に大きな変化をもたらす。
利益とは世俗そのものであって、世俗を離れることによって“ボランティアの喜び”が生まれるという、まるで宗教との接点かと思われることに気づかされた。
この二つの収穫は誰でも知っていることだろうけれども、私にはとても新鮮だった。
その意味でいい一年を送らせてもらった。
佃さん、松尾さんが竹林にちらっと現れて去って行った。
私の竹林日記はこれまで。
数えてみたら17編であった。まちこんの歴史としたらほんのちらっとだったが、新年からのおあとがよろしいようで。

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「番外篇――初夢」

 2001.12.29 杉谷保憲

臨時作業で土入れ

参加者  杉谷、佃、橋本、野本
前回はワラを敷いた部分の10%しか土入れが出来なかった。
このまま越年してはなるまいと堀さんからアッピールがあった。
この件で佃、杉谷は面談し、堀さんの意見は尤もだから無理をしてもやろうと「28日(金)に臨時の作業」を前日にお願いした。
電話連絡の結果は、予想通り既に予定を組んでいる人ばかり。
天気はよい、無風。
佃さんは一輪車の操縦、杉谷は一輪車に土入れ、二人は分担してボソボソと作業を始めた。
やがて野本さんがなんとか都合をつけてやってきた。
現場に入るなり質問が始まる。野本さんは竹とタケノコにとても関心がある。
橋本さんが現れた。話題づくりに長けている人。
佃さんをつかまえて早速あだ名を献じた。「まちこんの大江健三郎」なるほど、顔・めがね・・姿勢が何処となく似ている。
35年ほど前のことだが、ニューヨークの下町の飲み屋で一緒だったことがある。
大江さんは少しどもりがちにしゃべるが、佃さんが早くしゃべろうとする時は似ていると言えなくも無い。
大江さんはあのしゃべり方で英語を話す。
ゆっくりとそしてきちんと。
その上繰返すことによって自分の意見を相手にしっかり分からせる。
これには感嘆した。
下段の竹林は本日の作業の結果、40%まで伸びた。これで越年せざるを得ない。
さて次回は1月8日(火)9時半。
残り60%を頑張りたい。
そして昼を現場で過ごす企画――自分の食べる分ともう一人分を持参すること。
おせち料理の残り物も歓迎。
アルコールも用意するので車の運転にはご注意を。
スコップをもう2本購入の要あり。
「まちこん新年会」については佃、橋本間で意見の一致がみられず、改めて検討か?
我が家のデスク上にはパソコンと竹の筆入れがある。
この大きな筆入れは竹の表皮を剥いで彫刻がほどこしてある。典型的な中国風の絵柄がとても細密に彫ってあるので買い求めたものである。場所は上海の近くの松江。この一帯も竹(孟宗)の産地である。
竹は細工物としてもザルやホーキなど用具としても楽器(笙、シチリキ)としても、古来から親しまれてきた。東南アジアでは山岳民族がバンブーダンスに使っている。
竹は芸術から家具・建材にいたるまで人間の暮らしに溶け込んできた。
そしてその先進地域はアジア大陸である。
ところが竹(タケノコ)を食材にした料理は日本が飛びぬけている。
中華料理もこの点では及ばないだろう。
私たちはいまタケノコのことばかり考えているが、昔からあった竹材についてもう一度考え直したほうがいい。
日本は外国から留学生をたくさん受け入れる国になったが、それも日本に役に立ちそうな国ばかりが選ばれる。
今日の観念で“役に立つ”ことがすなわち日本の未来につながるとは限らない。
思い切ってアジアの山岳民族を留学生に呼んで、竹の芸術を学び、日用品を再生させてみること――それは地域に新しい文化を芽生えさせるかもしれない。
そんな初夢をみるのも面白いだろう。

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竹林整備PJ新年初顔合わせ企画
「土入れ…残り60%やってしまおう&竹やぶ新年会」
1月8日(火)午前9時半〜(雨天中止)

12月28日の土入れ作業で40%クリア。残りの60%を一気にやっちゃいましょう。
作業のあとは、竹やぶの中で、焚き火を囲んでミニ新年会。
アルコールを少々用意します。
各自一品(なんでも可。おせちの残りでも)、持ち寄ってみんなで食べましょう。