2003年の竹林整備プロジェクト活動報告
竹林友の会に改称

 


    ■ 杉爺の竹林日記・・・ 2003. 1.11「冬眠ミミズ」
    ■ 杉爺の竹林日記・・・ 2003. 1.25「感謝」
     
 
    ■ 杉爺の竹林日記・・・ 2003. 9.13「日記復活」
    ■ $$$竹林日記$$・・・ 2003. 9.20「阪神優勝」
    ■ 杉爺の竹林日記・・・ 2003.10.04「蜘蛛」
    ■ $$$竹林日記$$・・・ 2003.10.18「古畳とカブトムシ」
    ■ 杉爺の竹林日記・・・ 2002.10.25「歳月が語るもの」
    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2003.11. 1「山百合」
    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2003.11. 8「竹材クッキング」
    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2003.11.15「藁敷き完了」
    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2003.11.22「起こさんといてえなあ」
    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2003.12. 6「三種の神器」
    ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2003.12.13「「大笑い」
    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2003.12.23「よいお年を」
    ■ $$$地主さん訪問記$$$・・2004. 8. 9「奥五さんむかしばなし聞き書き」

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「冬眠ミミズ」

 2003.1.11 杉谷保憲

 参加者 杉谷、高田、野本、橋本。窪田、川路、原、鎌田、漆谷、尾崎。

 先週に続いて今日も竹林は活気づいている。弁当をひろげている間にも、竹について、たけのこについての質問がつづく。応援隊5名は竹林への興味・関心がつよく、勉強会の雰囲気である。
藁は午前中に敷き終わった。そして午後も土入れ作業を続行したが、ついに終了にならなかった。
一昨年は土入れ終了が1月7日であった。11名が吹雪のなかで働いた。昨年は1月13日であった。学生を含めて10名が参加して午後も働き、やっと終了にこぎつけている。しかしこの両年は下段のみであった。
それと比較すると、今年は上段にも土入れを試みたので、作業は遅れている。何故かなあと考えてみるが、上段の左部分だけでも下段全体より広い。土を運んだ作業実感である。
吹き上がる汗を拭いている手間も惜しい。ケイリョウさんは今日も人気者、彼は一輪車を一回運転すると、そのたびに巨体を地面に横にするが、荒い息をする間にもへらずぐちは休まない。その口撃に応えて、婦人たちはケイリョウ車には特別扱い、土を山盛りに載せる。竹林は虫も冬眠している。花もない。だから鳥も来ない。市長選の宣伝カーが竹林の葉をゆするだけである。
ところがスコップの先にミミズが引っかかった。ミミズは動かない。婦人が再びスコップをとりあげ、ミミズをころがして再び土をかぶせた。
宣伝カーが候補者名をがなりたてた。明日新しい市長が決まるのである。この町は冬眠から覚めるのだろうか?

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「感謝」

 2003.1.25 杉谷保憲

参加者 杉谷、高田、橋本。窪田、川路、鎌田、尾崎、原。橋本佳治、弥生。

曇り空から時折雨が落ちてくるが濡れるほどではない。じっとしていると寒さを感じ
るが、作業が休む間もなく続くので汗がにじむ。
土入れが果たして今日で終るのか?誰の胸にも重いものがある。ユンボで作った土は
先週までに使い果たしてすでに無く、今日は斜面を削って土を作りながら撒いてい
く。高田さんがツルハシをふるって土つくりを、婦人たちが運ぶ。橋本さんが運ばれ
た土を藁の上にならしていく。

 

 

斜面を削っていると妄想が湧く。酸性の火山灰が土壌になって、そこに竹が生育して
いるのだが、こんなところから石器はでないものだろうか?酸性土だから人骨などは
残らないが、石器なら・・・もし旧石器を発見したら大騒ぎだろうなァ・・・昔の考
古少年は見果てぬ夢を追う。見上げると斜面の上には窪田さんがひとり黙々と土作りと土撒きをしている。

橋本さんの弟さんも弥生さんも応援に現れた。
高田さんはコック役もこなす。単身赴任時代のノウハウを見事に生かした。その豚汁は逸品、昼はみんなが舌鼓を打った。

予定時刻はきたがまだ藁が見えている。
杉谷が婦人たちに言う。「すみません、時間延長をお願いできませんか・・・」
婦人たちが声を揃えて笑う。「残業だよう〜」

やがて何とか格好がついた。大雑把な土入れとは承知だがで作業は終了する。
「ショウサン、ショウサン」橋本さんが叫んでいる。何のことかと思ったら、婦人たちの力でようやく終了に持ち込むことが出来たので、賞賛したいとの意味である。実際、2回にわたって竹林にきてくれた川路愛子さん、鎌田重代さん、尾崎百合子さん、原道子さんたちの働きがなければ、今年の土入れはどうなったことだろう!
お陰様で終りました。感謝。

 

 

 

 

 

 

たけのこ掘りのビジター

 

竹林でのこどもたち

 

 

 

 

 

 

 

 

竹林友の会総会でのスナップ(6月)

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「日記復活」

 2003.9.13 杉谷保憲

 9時半に竹林に入ると、高田さんの姿だけ。高田さんがひとり言みたいに言った。
「今日は野本さんがお休み、窪田さんも無理でしょうね。」窪田さんは野本さんの車に同乗してくるから、野本さんがお休みであれば窪田さんも難しい。休むことの殆ど無い野本さんが来ないと、お母さんがいない夕食時みたい。
「では今日は二人きりですか?」
「そうなりますかね。」
 もう少し、間引きの伐採しておこうと二人は竹の密生場所、「百合が丘」で作業する。蚊の群れが過ぎ行く夏を惜しんでか、シャツの隙間を狙ってくる。蚊も大型化している。風が竹のこずえを揺すっている。真夏ほどではないが、それでも汗が流れ止むことが無い。
 10時半、いつものように休憩。ペットボトルのお茶を飲む。ゴクリ。橋本さんが現れる。作業する気はないらしく、足にはツッカケをはいている。彼は陽気に次々と話題を転がす。“飲み会をやりましょう”“高田さんの顔が引き締まった”・・・そしてもうひと転がりしてしまった。
「竹林日記を復活させましょう。昔のものを読んでいると、いろんな思いがします。
今日、杉谷さんがアップしてくれたら、来週から僕と高田さんが続きますから・・・。」
 今日は焚き火をつくらなかった。だから火の始末の心配はなかったが、高田さんが「残り火は無いでしょうね。」と念を押すように、燃えかすの焼け土を蹴上げた。煙が上がったと見えたが、灰だった。「高田さん!日記、大丈夫でしょうね!」灰かぐらの向こうの高田さんの表情は見えなかった。

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「阪神優勝」

 2003.9.20 高田 豊

 今日はメンバー5人が集まり、久しぶりに賑やかであった。
竹林に相性が良いのが虎、阪神優勝から、ほぼ一週間経っていても話題がそれに集まる。
 もともとの虎キチは杉谷さんと窪田さん、にわか虎キチが南井さん、野本さん、高田であるが、敬良さん提案の祝賀会には皆が賛成。敬良さん、余韻が冷めない内に、日本シリーズ前にアレンジ頼みます。
 竹林で飲み会の話ばかりしているではない。涼しくなって作業も本格化した。本日は2ヶ所で廃竹を大量に燃したり、橋の新設をしたり、下草をむしったりの敷き藁を入れるための前作業がはかどった。
 廃竹をチップ状に粉砕して、肥料にするために(高価にて販売されている由)、移動粉砕車のアイデアを杉谷さんが考え出した。木質系バイオマス発電にも同様な装置が必要であり、けだし名案であろう。NEDOの補助金(H15年度はバイオマス発電関係が増額)でも取って、移動粉砕車が作れたらたらと思う。

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「蜘蛛」

 2003.10.04 杉谷保憲

 

参加者:杉谷、南井、高田、野本、窪田(年齢順)。尾崎、鎌田、西村、川路。(同級生なので年齢順ではなく、念を押すようですが体重順でもありません。)
 秋。
 竹林の空気も澄み渡っている。今年は伐採もかなり思い切ってしたので、廃竹もたくさん出た。今日でその焼却処理が終る予定。その他に下草を引くのと畳の解体作業とをする。腐りかけた畳をばらして藁の代わりに使用する予定なので、この作業を担当した鎌田、西村組は汚れ仕事であった。竹林での仕事に汚れ作業は普通ないが、初参加の西村さんは驚いたのかもしれない。
 竹林のなかに竹と竹との間隔が2〜3メートルもあるところがあちこちにできた。その広いところに蜘蛛が巣を張っている。蜘蛛は竹から竹へと飛んで糸をかけ、やがて網状の巣をつくる。間隔の広い場所は蛾などの格好の通り道、蜘蛛は今年できた通り道を早速に猟場にしている。そして蜘蛛は網の真中で下向きに獲物を待っている。頭
を下にしても血が上らないのだろう。
 秋は蜘蛛の活動の季節だ。

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「古畳とカブトムシ」

 2002.10.18 高田 豊

 このところの晴天続きのせいか、夏の間、悩まされ続けた蚊もいなくなり、暑からず寒からず、快適な作業シーズンになった。
 1年間、竹林のメインの通路に置いていた古畳の解体が、土曜日4回掛かって完了した。この間の10月4日には新参加の西村さんらの女性陣が古畳の中に産み付けられたカブトムシの幼虫を数百匹発見し、キャーツと大きな悲鳴を上げた。次の11日には早速、窪田さんのお孫さんが幼虫採取に来て持ち帰った。これだけ多くの幼虫をカブトムシに育てるのは大変だろうナァ。
 カブトムシが竹林で育つとは初耳であるが、これも自然の生態系を人が狂わせた結果であろうか。とあれ、古畳は良き敷き藁兼堆肥として、入り口近くの竹林に収まった。
 古畳が塞いでいたユンボの通り道が開通し、土を取る所の古竹も燃してしまったので、いよいよ、来春に向けての敷き藁、肥料入れ、土入れの段取りの時期が迫ってきた。このための資金は12万円程度か。

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「歳月が語るもの」

 2003.10.25 杉谷保憲

 参加者 杉谷、高田、野本、窪田とその孫。川路、荒木、鎌田、原。

 孫が興奮してカブトムシの幼虫を集めている。積み上げられた畳をめくると腐った部分に白い幼虫が3匹、5匹といる。それを孫は次々と拾って袋に入れていく。荒木さんと鎌田さんは幼虫を気持ち悪いと言って、作業を下草刈に変えていった。川路さんと原さんは自分で白い虫を手づかみしている。平気そう。虫愛ずる姫君なのだ。「ボク、ちゃんと育てるのよ。」と言いながら、孫と一緒にはしゃいでいる。
 今日の作業は畳の解体と下草刈と肥料の運搬が主なもの。
 去年の日記には10月26日の項に「ワラを入手できた。ワラを敷く前段として肥料を播いた。」と記している。今年は遅れているわけだ。それにメンバーがすっかり替わってしまっていることに気が付いた。1年という時間は思いのほか大きい。
 私は今年が高校卒業して50年。振り返って自分がやってきたことの半世紀を考えてみる。生涯の行動の軌跡を決めたのは自分の力や意志は半分もないと思う。大半が周囲の人たちの力によっている。私を造ったものは運命と呼ぶほどではないにしても、自分を越えたものであった。私の軌跡は私が作る。そう考えていたが結果はそうなら
なかった。自己実現という言葉にとらわれてきたが、結局このアメリカ流の考え方は私には不具合なものだった。
残された時間はせめて自分流ということを大切にしようと思う。

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「山百合」

 2003.11 1 橋本 敬良


 久しぶりの竹林作業、風が空が緑が・・うまい。あさ一番から土を掘るバックホーンと冬の間敷いておくワラが到着した。メンバーは杉谷・高田・野本・窪田・橋本の5名のみ。
 バックホーンの運転手山本さん曰く「これだけの面積だったら10数名の人数は必要だねえ」 思い巡らすと今までいろんなメンバーがここには居た。
 まちこんの女性や子どもたちの華やかな笑い声、学生たちの熱い汗・・・・今ではどこにも見受けられない。時は冷たく過ぎてゆく。
 杉谷さんと窪ちゃんは肥料の運搬と散布を黙々と行っている。豊さんと鉚ちゃんと敬良は45個の円柱状のワラを、背負ったり抱えたりして道から斜面を登り竹林に運んでいる。みんな寡黙だ。重労働である。運んでは休みまた作業を続ける。
 いまでも60歳以上の夫婦が二人っきりで竹林作業をされていると聞く。このような伝統的重作業によって乙訓のたけのこが造りだされていることを、立候補している候補者やこの地の政治家はどれだけ理解しこれからのたけのこ農業を考えているのだろうか。
 竹林整備作業を「農業」ととらえ、まちづくりとは異質のように考える人が居る。農業経済問題見ずしてなにが「まちづくり」かと考える。
 途中で休憩が入った。持参の水やお茶を飲みながら話が弾むみんな笑顔が輝いている、本気で笑いこころから楽しんでいる。ここはわたしたちにとては人生の楽園だ。
 山百合が少群生しているところの土をけずることになったおとこたちは移転地をすでに決め、一本ずつていねいに掘り返した。
 来週はこの「竹やぶ」でまちこんの行事があるらしい。休むことにしよう。

 

 ■ 杉爺の竹林日記  ・・・「竹材クッキング」

 2003.11. 8 杉谷保憲

 参加者 杉谷、野本、窪田。鎌田、川路、尾崎、西村、原、由紀。

 初顔見参。おばんざい由紀さんの姿がある。夜にてきぱきと働く姿そのまま、昼も黙々としかも手早く草を引く。橋本氏がしきりに勧誘していたが、ようやくのお出ましである。
 下草をとりながらワラを敷いていく作業が実に鮮やかに進行する。この風景はどこかで見たことがあると思ったら、鎌田、川路、尾崎、原さんたちは丁度一年前に竹林作業に参加して、初仕事がワラ敷きだったという。今日、彼女たちが言う。
 「今年は土があちこちに掘り起こしてありますね。」一年経つと、もう作業内容や作業手順が頭に入っているらしい。たいしたもんだ。

 東コーナーで「わくわく」の親と子たちが竹材で食事をつくっている。飯盒も鍋もお椀も持ち込まず、一切を竹材でまかなおうというわけである。見学していると松尾さん、古澤さんが大車輪で働いているが、苦戦である。しかし時間は大幅に遅れたものの、何とかシメジ御飯も炊けたし、豚汁や茶碗蒸もできた。
当方6人がこの昼食をいただいたが、美味しかったこと。シメジ御飯にオコゲができていたが、これもまたいい味がした。

 

 ■ $$$竹林日記$$$ ・・・「藁敷き完了」

 2003.11.15 高田 豊

 竹林の朝は気温10度。作業開始とともに体が暖まる。今日は杉谷さんはご夫婦とも体調不良の由にてお休み。南井、野本、窪田、中村、橋本と高田の6名で、残りの肥料やりと藁敷き作業がはかどる。53束あった藁ロールがみるみる無くなり、3反歩(?)の竹林の全体に藁を敷き終えた。
 藁は少々不足であったものの、全面に敷けたのは、まちこんが竹林整備に着手して以来、最初のこと。例年、作業進捗が、近くのプロ農家より1ヶ月遅れであったのが、ほぼ同じ作業ペースに追いついたのも始めてのことである。

  中村先生は久しぶりのご登場にも関わらず、20kg近い藁ロールを軽々と担いで黙々と斜面を登る。橋本さんも衆議院選挙が終わり、フル時間の参加。よくとおる彼の声が竹林全体に響いている。

 話は変わるが、今年の竹林整備の支出は、ユンボ代を除いて終って、残金が15万あまり。ユンボの費用を支払った後でも、まちこんの共通費は、今年は大した支出がないとの理由で免除して貰えそうなので、約10万円を繰り越すことが出来そう。会計担当としてはホッとする次第。

 さて、来週からはいよいよ土入れ作業が本格化する。

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「起こさんといてえなあ」

 2003.11.22 橋本 敬良


 竹林の健人;杉谷・南井・高田・窪田・野本・橋本

 11月と言うのに、暑かったり寒かったりで光明寺のもみじも緑のままでよいのやら黄色くなったらよいのやら赤面しております。
 竹林整備は今日から本格的に「土いれ」作業が始まりました。バックホーンで掻きだしてもらった土をシャベルで一輪車に入れ斜面を下って3反の竹林に撒きます。
 これまでに肥料入れ、ワラ敷きがおわり、その上に土を被せて来年生えてくるたけのこに養分と眠りを与えるのです。
 杉谷さんは気管支炎がまだ治らずゼーゼー言いながらも笑顔いっぱい。ペアを組んだ鉚ちゃんは曰く「遊牧民」のように黙々と作業をしています。
 盛り土の中から冬眠中のカエルが窪っちゃんにより掘り返されました。
「だれやねん!!起こすのは。寝てるのに起こさんといてえなあ」
 彼は(彼女?)敬良の手によって新たな眠りの場を与えられました。
竹林の「火守人」は南井さんと豊さん。主に青竹ですのですぐに火が消えそうになります、作業の合間を見ては竹の向きを変えたり風を送ったり、もっ大変です。
 休憩時間の話題は、白内障の手術をするかどうかや竹でベンチを作ろうよの提案で騒がしいこと・・・。
土入れはまだ全体の1割も進んでいません、年内の作業はあと4回ほど、来週は大阪からpowerfullおねえさん方が応援に来ていただけるそうです。

 今ごろ竹林の地面深くで たけのこ の子どもたちが生まれているのでしょうか・・・

*今回の竹林日記(竹林作業日ごとにその日の出来事を日記風にメンバーに配信しています)は普段のメンバーだけでなく、国内のたけのこ大好き 友人にも配送しています。
 感想を橋本までお送りいただければ幸いです。


 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「三種の神器」

 2002.12. 6 杉谷保憲


参加者 杉谷、高田、橋本。

 天気予報は雨だったので、作業はできないものと思い、朝寝をこころみたが、年寄ると早々に目が覚め、布団の中にいられない。空がやや明るい。高田さんに電話すると、これから竹林に出かけるところだという。彼にも老化が忍び寄ってきて、早くから起きているのだろうか?
 竹林に着いてみると高田さん一人が働いている。身のこなしがダイナミックである。この姿にとても老いは見えない。早朝に起きているのは彼の場合、老化ではなく、秀才は早起き型だというから、その分野の人かもしれない。
 今日も土入れ作業。スコップ、ツルハシ、一輪車だけが道具だ。繰りかえし土を運びながら、この三種の神器をつくづく眺めた。私が幼い頃、スコップは貴重な農具であった。木鍬もまだあった。運搬具はネコ車だったが、こんな粘ついたところではネコ車は使いにくい。ここであれば多分モッコで運んだことだろう。
 ところが農具が木材から鉄にかわり、使いやすくなり、効率的になった。鉄の利用は農業を発展させ、ついに工業化社会をつくりだした。鉄は近代文明の生みの親なのだ。
 それにしても土入れははかどらない。面積が広がっているので、追加労働日を設定しなければとうてい土入れが終わりそうにない。
 今日はめずらしく黙々として働いていた橋本さんが、スコップにへばりついた泥を落とし始めた。終い支度である。気が付いたら、青空は姿を消していた。ポツポツと雨が落ちてきた。

 来週、12月13日は作業終了後に昼食会をしましょう。応援の5人のかぐや姫も入れて。費用は竹林友の会。場所は橋本さんが探してくれます。お楽しみに。


 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・「大笑い」

 2003.12.13 高田 豊

竹林日記「大笑い」2003.12.13(土)
参加者 杉谷、南井、高田、窪田、橋本、川路、原、尾崎、鎌田

 朝、竹林に行ってみると、いつも早く来て作業を始めている野本さんの姿が見えない。何でも火曜日に竹林で土入れの後、熱と喉をやられる風邪の由。ここ3年、風邪とは縁がない私であり、これには竹林の大気が良いためと思っていたが、もっともっと竹林で働いている野本さんがダウンしたのであれば、折角の仮説も誤りなりしか。

 かぐや姫4名を加えて本日は総勢9人で土入れ作業を継続。木曜日の雨でまだ湿っていて重い土を一輪車4台で運んだが、まだ全体の約15%位の進捗か。せめて年内に下段は完了したいとの杉谷リーダーの意思で年内ギリギリまであと2回頑張ることになった。高田は海外旅行予定のため、今日が年内最終日であり、はなはだ恐縮次第。だからといってお土産は買えそうにないし。

 昼食は年忘れを兼ねて「海の国」に全員集合。かぐや姫に「恋しい何々様」の内容でメールを出し、旦那様に見つからぬようにするにはどうしたら良いかなど柔らかい話題も。これには、パソコンを使用者名とパスワードを分けて複数人が独立して共用するモードをインストール時などに選択しておき、メールアドレスは家族会員ごとに、
別々に取っておけば良いのです。まちこん月例会の連絡事項も、この場で報告した。
 さて、2時半解散する段になって、杉谷さんの下足箱のキーが見当たらず、騒ぎになる。仕方なくマスターキーで開けて貰った後、別れの挨拶のため杉谷さんが帽子をとった際に、キーがポロリと足元に。大笑いした一日でした。

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「よいお年を」

 2003.12.23 杉谷保憲


 参加者 杉谷、野本。鎌田、西村、原。

 先の土曜(20日)は雪だった。竹林の風景は美しかったが、作業はできなかった。その代替日として働いた。年内に下段だけでも土入れをしておきたかった。しかし男性群は2人、女性群が3人。この戦力では下段の土入れ
(残り40%の広さ)を終らせるのは無理かと思われた。

 土の山を崩していると、土の中からタケノコがでてきた。
鎌田「これって案外美味しいよ。前に食べたよ。」
西村「どう料理するの?」
小さなタケノコだが、時ならぬものに話題ができる。
鎌田「竹取物語を思ってたんですよ。日本独特のお話ですか?」
杉谷「竹から人間が生まれる話は四川省にもミクロネシアにもあるそうな」
 実は昨日『北のことばフィールド・ノート18の言語と文化』を読んで、その興奮がまだ体内に残っている。シベリアのツングース族の言葉が日本語に似ているという論文であった。
 日本語はどういうプロセスを経てできたのか、全く解明されていない。私はこのツングース語が日本語の祖型であろうと想像していたのだが、なにしろ研究者は少ないので、研究が進まない。ロシア人の研究者ではツングース語と日本語に精通しなければ、そんなことに着眼することすらむづかしい。残念に思っていたところに北海道大学出身の若い学者の論文が目に留まった。昨日は嬉しかった。なおツングースの民話には日本の「因幡の白兎」「鶴女房」「猿蟹合戦」とよく似ているものがあるという。

 今日の作業はそんなことをしゃべっている場合じゃない。今日中にこの広い面積を埋めなければならない。汗が眼に入る。土入れ一輪車に土を満載して斜面を降りるには力が要る。(ブレーキ付きの一輪車が欲しいね)一輪車を操りながら坂を降りる鎌田さん。しかし一輪車とともに転ぶ。危ない。まるでスローモーションヴィデオを見ているよう。
 西村さんは土の山から土を一輪車に移す。この作業も力仕事だ。スコップを等間隔に運ぶさまは力が入っていなくて、まるで熟練者に見える。ヨイトマケの唄を歌いながらでも出来そう。

 顔を怪我した橋本さんが現れる。眼の縁が黒ずんで痛々しい。彼がいる間は会話があった。しかし彼が去ると、野本さんの声のみ。「あと20杯」「あと15杯」。原さんが地ならしをする。地ならしは最終作業だ。ネッカチーフを頭に巻き、農具(何という名前かな?)を休みなく動かす。ミレーの落穂拾いのなかの婦人画だ。10分たち、20分たち、敷き藁の上に土が被されて、原さんが全面に土が播き延べたのは12時45分だった。
 5人の顔に満足感が表われていた。朝、とても無理かと思われた下段の土入れが完了した。達成した気分は何ものにも代えがたい。竹林には冬の日が一杯の光をそそいでいた。
お疲れさまでした。皆様 よいお年お迎えください。

 

 ■ $$$地主さん訪問記$$$「奥五さんむかしばなし聞き書き」

 2004. 8. 9 加藤

 「奥五さんむかしばなし聞き書き」  加藤記(15,8,9)

 15年8月2日、杉谷さんと奥五商店の藤井さんを訪問した折、おじいさんから昔話(70年ほど前)をお聞きしまし
 た。
1) 奥海印寺の竹林は、当時桃の林で、柳谷参詣の人が喜んで通って行った。
2) 柳谷は光明寺や善峰よりずっと繁盛していて、門前の2軒の旅館は良く流行っていた。国鉄の駅は、向日町
  しかなく、皆歩いて参拝した。山で飲んで、帰り道でもふらふらして、踊っているような人もいた。
  柳谷隆盛の名残りはそこここにあり、今、梅ケ丘の交番の横にある千眼講の石灯篭は向日町(五辻)にもあ
  った。
3) 2軒の旅館に醤油樽などを運んだが、牛車を雇った。まだ長岡に2〜3人の牛追いさんがいた。
4) 医者は長法寺の鈴木さんと神足に1軒あった。向日町から医者に来てもらうこともあったが、人力車で来ら
  れた。
5) 奥五の屋号は奥海印寺の五左衛門からきたもので、手広く商売をしていた。