2004年の竹林友の会活動報告-2

 

 

 

        「新しい竹林開設のお知らせ」  2004. 7.30  

           杉爺の竹林日記 ・・・  2004. 8.  5 「2004.08.05.の記録」

        ■ 杉爺の竹林日記 ・・・  2004. 8.11 「冷たい炎暑」

        ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 8.18 「健康とはなにか」

         ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 8.21  「金メダル」

        ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 8.28  美しい竹林への思い

         ■ 杉爺の竹林日記 ・・・  2004. 9. 4  「平均寿命」

         ■ 杉爺の竹林日記 ・・・  2004. 9.11  「オドロキ・モモノキ・竹林の記」

         ■ 杉爺の竹林日記 ・・・  2004. 9.18  「ニューフェース」

         ■ 杉爺の竹林日記 ・・・  2004. 9.25  「執念」

        ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 10. 2  「居待ち月

         ■ 杉爺の竹林日記 ・・・  2004. 10. 6  「ためいき

    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・  2004. 10. 16おばあさま

         ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 10. 20 「茶会の企画」

         ■ $$$竹林日記$$ ・・・ 2004. 10. 23 懐かしい声

    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 11. 4   「つれづれなるままに」

         ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 11. 6   「文明と匂い」

        ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 11.10  「ユンボの予定日が決まった」

    ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 11.13   「ポンコツ車」

        ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 11.20   「NPOとユンボと竹取物語」

         ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 11.24   「ユンボ道」

         ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 11.27   「第二幕が上がる」

         ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 12. 4    「渡り鳥」

        ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 12. 11  「純林の美」

        ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 12. 18  「新しい籔」

        ■ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2004. 12. 25  「終い竹林」

 

 

 

 

 

  「新しい竹林開設のお知らせ」

 2004. 7. 30 杉谷保憲

 

皆様 
これまでの竹林が高速道路用地に予定され、買収が始まります。その代替地を探しておりましたが、8月1日付けで契約が成立します。新しいスタートです。

8月5日(木)9時30分からお祓いし、作業開始です。この日は午前中で終了します。是非ご参加ください。

これが初日ですが、以降は毎週水・土曜となります。
現在、竹が密生していますので、タケノコがとれるような竹林にする目途がたつまでは週2日もやむを得ません。ただしご都合のつかない方はこれまでどおり週1回で結構です。
いずれにしてもまで、まず、この夏は伐採の大作業となります。

8月5日、遠隔地の方は阪急長岡天神駅9時に杉谷が出迎えますので、あらかじめご連絡ください。
場所は阪急バス「光風台」停留所から婦人会館の反対側を徒歩2分。
連絡 杉谷075−955−6300または090−5169−1054

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「2004.08.05.の記録」

 2004. 8. 5 杉谷保憲

 参道は坂道である。ゆっくり登る。赤い鳥居をたくさんくぐって登る。身体が朱に染まり始めたところに稲荷の祠がある。こじんまりと鎮座ましましている。
参詣の人を見かけることはないが、丁寧に清掃されているから地元の氏子たちに大切に守られているのだろう。長法稲荷である。由緒もこれから勉強しなければ・・・この奥には古墳が2基あるという。それもこれから勉強しなければ・・・。

 長法稲荷の隣接地がこれから私たちが「農」を展開する場所、いまは鬱蒼とした竹やぶである。周囲はみな竹竹・・・。昨夜の台風が残した雨に竹葉はみずみずしく輝いている。その中に8人に男女が額(ぬか)ずいている。記念すべきときだ。名を記しておこう。
  高田、野本、窪田、橋本、杉谷(以上男)。川路、鎌田、西村(以上女)。
見受けたところ「老」、「やや老」が居並ぶ。
「若」はいない。若くないのが有利なのは、こんな時にすぐに敬虔な雰囲気がつくれることである。拍手(かしわで)の音が竹に吸い込まれていった。

 

 私たちは今年6月に奥海印寺の作業場竹林を地主さんに返した。その竹林が高速道路用地の買収対象とされたからである。そこで2年働いた人もおれば、4年働いた人もいる。誰もみな、農具を納めたときには言いようのない淋しさを味わった。これからどうなるだろう?借りられる竹やぶが果たしてあるのだろうか?

 メンバーには地元で生まれ育った人はいない。みんな新市民だから、こんな時には弱い。しかし対策を立てるのは新市民、杉谷の役目。たまたま知り合いの木村氏が農業委員であることをたよりに、長岡京市の農業委員会に話を持ち込んだ。農業委員会はボランティア市民に放置竹林の斡旋をした経験はないが、努力してみようという。しかし一筋縄ではいかない。税の減免措置適用農地とか山間部で駐車用地がないなどなど。
ひとつの候補地が浮かんでは消えた。

  右から左へと運ぶ話ではないことはわかっていたが、メンバーからは、まだか?まだ決まらないの?とせっつかれる。ボランティア活動だから作業が無くてもなんでもないはずと考えるのは適当でない。メンバーは身体を動かす機会を失って淋しいのだ。杉谷はもし農業委員会の斡旋が不調のときに備えて、数人の詳しそうな人に相談した。それぞれに知恵をいただいた。

  ところが農業委員会 藤下事務局長の大車輪の活躍が始まった。彼はある朝、8時半に我が家に来て、候補竹林を案内してくれたし、またある夜は9時に地主さんと話し合いの機会をつくってくれた。地主さんは上林さんという。そして8月1日から竹林で作業ができる態勢にこぎつけてくれた。

  8月5日(水)9時半。みんな集まった。嬉しそうな顔、顔。
世間では高齢者問題が騒がれるが、こんなに嬉しそうな表情をする高齢者たちをご存知だろうか?
密生する竹の伐採が始まった。長い間、手は入っていない。まず枯れた竹を切り出している。
地面はぬかるんでいる。足元が滑りやすい。
藤下さんは境界を定めたり、注意事項を説明している。
京都新聞の女性記者栗山さんが竹林の中を身軽に動いて、メンバーにカメラを向けている。

 私たちはこれまでに<タケノコづくりの京都農法>は大まかに身につけている。だから今日は小学校の入学式とは思わないが、高校の入学式の日というところだろうか。
農の伝統技術を継承していきたい。そして「農」の上に新しい文化を創りたい。その文化とは・・・。私は栗山さんに説明している。お得意の夢物語である。すべては今日から始まる。

 台風は昨夜の内に温帯性低気圧に変わった。朝から湿度が高い。汗が流れ落ちる。
今日という日の作業に参加できなかった南井友の会公認会計士、中村教授は残念ないであろうなァ。

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「冷たい炎暑」

 2004. 8. 11 杉谷保憲

竹林日記「冷たい炎暑」2004.08.11(水)

参加者 杉谷、高田、野本、窪田。(以上 年齢順) 川路、鎌田、西村。

  7時50分加藤さん宅へ軽トラを借りに行く。今日の仕事のメインは杉谷宅前に一時的に置かれている物置(農具などが収納されているロッカー)を竹林の中に移設することである。

  軽トラは8時に待機。8時半にスタッフが集合し、物置の解体を始める。そこへ女性陣が駆けつけ、中身を整理する。物置のなかには肥料袋から蚊取り線香までつめこまれている。財産が増えたものだ。結局3回かかっで運んだ。

  新しい竹林では男性3人が組み立て作業、女性3人と杉谷は枯れ竹の処理作業。組み立ても時間がかかったが、枯れ竹の整理も30本ぐらいしかできない。のこぎりで枯れ竹を切る。電動のこぎりは危ないので使わない方針。枯れ竹はすでに割れていて、のこぎりの動きが鈍い。ナタで小枝を払う。見る見るうちに小枝の山ができる。

  女性はもろもろの用意がいい。水、アメなどはいつものことながら、今日は炎暑に備えて氷嚢もある。首筋に当ててもらう。「ヒャー!冷たい!」

  氷嚢は気持ちいいが、口からでた言葉は悪態だった。「○○さんの心みたい。」   途端に野次が飛ぶ。「冗談は危ないよ。今日、女性はナタを持っているから」この野次で思い出した。

  先日イスラム社会の講演を聞いた。講師は留学していたときの経験を話した。そこでは共同体の掟に背いた者を裁くのはシャリア(イスラム法)で、検事も弁護士もいなく、判事がすべてを兼ね即決する。金曜日12時ごろになるとジュマーという集まりがあり人々はお祈りをし、囚人を取り囲む。強盗殺人で死刑判決が出た者は首を前に突き出させられる。ナタのような半月刀をそこにピタッとあて、頚動脈を一瞬にして切る・・・。
猛烈な暑さも吹っ飛んでしまった。

  11時半、作業終了。新しく設置された物置を通り道から見上げる。ちゃっちなロッカーだと思っていたが、仰角でみると、それはまるで殿堂である。

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「健康とはなにか」

 2004. 8. 18 杉谷保憲

 

 

竹林日記「健康とはなにか」2004.08.18.(水)

参加者 杉谷、高田、南井、野本、窪田。(年齢順)

  昨夜は当地も激しい雨だった。四国の南部を台風が通り、洪水を起こしていた。今朝は晴れたが蒸し暑い。脱水症状とまではいかないにしても、服は汗で水浸しである。

  自分でもちこんだお茶のペットボトルを地面に置いた。ところがいざ飲もうとしたがどこにおいたのか見つけられない。お茶の色と地面の色とが同じで、見分けがつかないのである。結局、窪田さんのペットボトルを一本分けてもらった。(私は早引きしたけれど、窪田さんにお礼も言わずに帰った。有難うございました。)

 男5人全員60歳以上となると、病気が共通の話題となる。前立腺肥大症の悩みや対策。一番高齢の者が自らの経験を語る羽目になる。

 話題は移っていくが、しかし似たようなもので、今度は大腸検査のわずらわしさについて。南井さんの話は直近の経験談だ。南井さんはしばしば入院してポリープ切除手術を受けている。まるで年中行事のようである。病気と友達づきあいをしているということか。手遅れにならないようにいわば上手に病院を使っているのだ。そして退院するとすぐに竹林に駆けつける。

 健康とは何だという命題はむずかしい議論になる。もし健康を病気ではない状態とすれば、高齢者にまるで病気を持たない人はいないと言っても言い過ぎではない。健康人はいないことになる。

 ところがこの竹林友の会のメンバーにはそんな健康人が一人存在する。高田さんだ。子どものころから病気らしい病気をしたことがないという。稀少動物!そのための努力は大変だと思う。とても真似はできない。

 私は南井派である。現に病名をたくさん持った肉体なので、医者の知恵をうまく借りて、病気と共存し、“健康に”働き、寿命をまっとうしたいと希望しているのだが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「金メダル」

 2004. 8. 21 杉谷保憲

竹林日記「金メダル」2004.08.21.

参加者 山部、杉谷、高田、南井、野本、窪田、(安田)。 川路、鎌田、西村、尾崎。

  昨夜、電話があった山辺さんと「光風台」バス停で待ち合わせた。うちそろって竹林に入ったのは9時過ぎであった。竹林ではすでに作業が進んでいた。珍しく安田さんの顔が見える。安田さんが残すべきオヤダケの選定をしていたのである。

  あらためて皆さんが集まった。新人の紹介である。先日、
京都新聞に掲載された私たちの竹林についての記事に反応した人が、今日は下見がてらに参加されたのである。本人の自己紹介を記録しておこう。

  
山部さん。大山崎で竹林ボランテァに参加したことがある。また浄土谷のコスモス畑で汗を流した。パソコンも携帯電話も持たない。機械は苦手で、ただ汗をかくことが大好きだ・・・。

 さて今日も作業がはじまる。枯れ竹の処理の続きである。

 野本さんがつと寄ってきて、耳元でささやいた。「よかったですね。新入りがあって。」
杉谷「京都新聞にでたのに、(応募してきたのは)たった一人ですよ。」
野本「ひとり?金メダル・・・。」

 野本さんはじめ皆の胸のうちには、今の人手ではこの新しい竹林の整備作業はなかなかはかどらないだろうとの心配があった。竹林はそれほど荒れて、人数が要る。

 杉谷も同じ思いだが、新聞に出たからたくさんのボランテァ希望者が現れるだろうと期待して待っていた。しかし反応があったのはたった一人なのである。

金メダル?何のこと?
オリンピックがたけなわの今だから、つい口から出たという単純のことではない。

 野本さんは人も知る“働き者”。そんな働き者が見たら、初めて会った人でもそのちょっとした動きでどのぐらい働く人か判る。

 山部さんは73歳という。70歳の杉谷よりはるかに敏捷で、エネルギッシュである。(アタリマエと誰かが言って
いる。)背は高く、肩幅は広く、胸は厚く、オリンピック的に言えば“柔道無差別級”が高齢化したといってもよい。竹林整備作業にとっては金メダルなのである。大歓迎。

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・美しい竹林への思い

 2004. 8.28 高田 豊

竹林日記「美しい竹林への思い」2004.08.28

参加者: 川路、尾崎、鎌田、西村、山部、野本、窪田、高田

 

  今日は台風の影響か時折強めの風があり、天候が不安定。 しかし、野本さんは枯竹を燃すべく、早速準備に掛かる。先日燃やした後にかけた表土を取り除くと、赤々とした燃え残りが現れる。折角、野本さんは消炭を持ち帰ろうと、器用に自製した背負子まで持ち込んでいたのに、これでは熱くて運び出すことも出来ずに残念。

  今日は杉谷さんは島根に帰郷中なので不在。残りの8人全員が、9時までには揃い、黙々と東側部分の古竹の片付けをする。誰も骨惜しみするものはいない。汗だくで泥にまみれて、ただひたすら働く。

 休憩時間に、ご婦人方が持ってきた西瓜やぶどうを頬張りながら、少し、竹林らしくなってきたとか、随分明るくなったとかとかの話になった。20年(?)放置された竹林を、一刻もはやく美しい竹林に、その結果として、良いタケノコが出る竹林に再生することを望む、熱意を誰しもが強く持っている。

 

8月5日の作業開始から、努力の結果として整備が進んでゆく竹林のありさまを、記録に留めようと、デジカメに収めているが、今日で3回目の撮影になった。ただし、今日はデジカメのフォーカスを新聞の接写状態に固定しているのを忘れて、写してしまったため、ピンボケの失敗作になってしまった。ヤレヤレ呆けてきたのかナア。

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「平均寿命」

 2004. 9. 4 杉谷保憲

竹林日記「平均寿命」2004.09.04.(土)

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田。(年齢順)

  5人は思い思いの仕事をする。全体で何をしなければならないかは皆よく理解しているから、作業内容の指示が必要ということはない。バラバラで仕事をするから目立たないが、少しずつ竹林の様相が変わってきている。一言で言えばきれいになっていっている。

  杉谷は今年生えた竹に年号を書き印した。04と。つまり「2004年生まれの竹」という意味である。竹は6年から7年まではタケノコを生むが、それ以上はダメになるという。だから7年または8年経った竹は切ることになる。
2004年生まれの竹は2010年か2011年には切られてしまうことだろう。

  毎月一度は医者に診てもらうことにしている。諸病の管理をしてもらうのである。昨日がその日だった。
医者が言うことには
「杉谷さん、こんなに酒量が続けば長生きはできませんよ。」
「どのぐらいまで生きていけるのでしょうか?」
「まあ、男性の平均寿命までが精一杯かも。」
「男性の平均寿命とは何歳ですか?」
「男性は78歳。」

  私の命は平均寿命でよいと考えている。特に長生きしなければならないこともない。そしてあと2週間で71歳になる。

  すると今、04と書いている竹が切られる時、私も一緒にこの世から去ることになるのだ。
竹の表皮に墨汁が一筋、長く長くしたたり流れた。

  先日、また京都新聞が扱ってくれた。今度は私個人のことだった。もう何年もの間、便りもしない鞍馬山の知人から電話があったのには驚いた。そしてこの記事を読んだ
KBSラジオから出演依頼があった。9日(木)午前10時15分から15分間、竹についてしゃべることになる

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「オドロキ・モモノキ・竹林の記」

 2004. 9. 11 杉谷保憲

竹林日記「オドロキ・モモノキ・竹林の記」2004.09.11.(土)

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、池部、(橋本)。年齢順。
    鎌田、川路、西村、尾崎。

  今日はにぎやかだ。
橋本さんが案内してきた池部さんも加わったから一層活気づいた。池部さんは大将軍からだ。遠いから無理かなあと思っていたが、長岡天神駅で会ったときは、遠征の疲れも見せず、さわやかな表情だった。

  休憩時の自己紹介で、彼は62歳のお茶と陶芸の専門家と分かった。

  これからの竹林の活動はタケノコづくりだけにとどまらず、いよいよ念願の文化活動も始められるかもしれない。楽しみだ
   池部道慶氏

    来週から参加予定の西尾さんが竹炭製品を持ち込んだ。これはただの竹炭ではない。チクノキューブと名づけられた精巧な竹炭工芸品である。インターネットで販売を試みるという。成功を祈る。
  杉谷は2,3ヶ月前から左手に神経痛ようのものを感じていたが、今日は腰痛が出てきた。だからこのところ無理をすまいと、今年竹に年号を記入する仕事だけをしていた。休憩時間に山部さんに腰痛の話を持ちかけると、彼は腰痛に豊富な(?)体験人であることが分かった。若い老人(?)にはこの気持ちがなかなか通じない。
山部さんの参加で病気の話は通じやすい。

 

   驚いてしまった。帰宅してみると伝言が二、三ある。四条畷の65歳の女性が竹林で働きたいと申し入れしている。遠距離なのでいかがなものかと説得調で話するが、いっかな聞き入れてもらえない。
「ラジオの話でさわやかさが伝わってきましたから・・・」「同年代の婦人が居られるなら心強いですわ」
“分かりました。来週18日(土)8時半に長岡京駅にお出迎えいたします。”

  もっと驚いたこと!なんと竹林地主から竹林の手入れの依頼がきた。「下海印寺にある200坪弱の平地の竹林をお願いします」というのだ。

  私たちは竹林再生の専門家に見られている!返答に窮した。“エエッと一週間後に連絡いたします。”野本さんや山部さんは近所です。検討してみてください。

杉谷は来週水曜日は休み、土曜日は参加します。

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「ニューフェース」

   2004. 09. 18  杉谷保憲

竹林日記「ニューフェース」2004.09.18(土)曇りのち雨

参加者 杉谷、高田、野本、窪田。(年齢順)  川路、鎌田、西村、尾崎、濱村。(年齢順)

  朝、迎えに出ようとしたとき、川路さんから電話があった。
「電車に乗り遅れたので、先に行ってください。」
鎌田、西村、尾崎さんの3人に乗ってもらい、彼女たちを竹林に運び終えたら、もう一度駅に引き返して川路さんを迎えようと心に決めて、3人と車の方へ歩いた。
すると彼女たちの後ろから別の声。「おはようございます。濱村です。」

  振り返ってみると見覚えのある女性がいる。ああ、そうだ。先日、高校の同窓生の有志が「月見の宴」を開いた。あの時に会った人だ。

  確かに「土曜日の9時に長岡天神駅に着いておられれば、私が迎えに出ていますから竹林に案内しますよ。」と言った記憶が残っている。しかしほんとに来てくれる人がいるとは信じていなかった。
「よく分かりましたね。」
「いや、後姿ですぐ杉谷さんと分かりました。」

  “後姿”にはこんなワケがある。「月見の宴」は地下の宴会場であった。その晩が名月なのかどうか参会者は誰も知らない。酒と親睦があれば、地下でも全くかまわない会であった。宴たけなわになり、突然の指名で、私(最年長)は挨拶しなければならなかった。

  咄嗟に思いついて、テーブルから紙ナプキンをとった。それで顔・頭を覆い、壇上に立ち、マイクをとった。
人々は何事が起こるかと盃を休め、静かになった。
「4期の杉谷です。」シーンとしている。
そしてゆっくり紙ナプキンを降ろした。やっと禿頭と顔が全部現れた。
「今宵は満月です。」
広い会場は爆笑した。

  その件があって、濱村さんは“うしろすがた”と言ったのだろう。コラッ!

  4人の婦人と竹林に着いた。それから15分後に川路さんが着いた。電車ひとつ遅くれたらバスの便の回数も少ないから、そんなに早く着けるはずがない。おかしいなぁ?
「あッ、タクシーで来たの?」
川路さんは目で肯いた。いやはや、そんなに勤務時間を厳守しなければならない仕事ではないのに・・・。迎えの必要はなかった。

  例によって、竹林では新人の自己紹介がある。
「私は19期の濱村と申します。京大病院の眼科にいます。」
“19期”には男性たちは何のことか分からない。「出雲高校の後輩なんですよ。」解説つきのデビューであったが、彼女の周りはいつも人が寄っている。

  それぞれが病気のことか病院のことかを聞くのだろう。皆にとって心強いニューフェースが現れたものだ。
濱村さんは私が左手を回しているシグサを目ざとく見つけていた。
「肩が痛いのですか。ヘビースモーカーにはそんな症状の人がいますよ。」
「今は禁煙していますが、6年前までは一日60本でした。」
「私、呼吸器科に15年いました。喫煙の影響で肩に痛みがある人がいますよ。胸のレントゲン写真を撮っておかれたほうが安心ですよ。」
「ハイ ハイ」たちまち自分が患者になってしまっている。情けない。
この話は高田さんに振ろう。彼の喫煙は相当ヘビーだ。

  病気ついでに思い出した。原 道子さんは手術が無事終わって、いまは療養中と聞いている。体力を回復されたら、再び竹林に姿を現してほしいものだ。これまでは原さんがメンバーのなかで一番若かったが、今日はもっと若いニューフェースの登場であった。

  竹林は見た目にはさほど変化なないが、一月ぶりに藤下さんが来て「きれいになりましたねェ」と感心していた。彼はバーべキューの方法、元旦早朝の長法稲荷の神事について教えてくれた。いろいろ楽しくなりそうだ。

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「執念」

   2004. 09. 25  杉谷保憲

 竹林日記「執念」2004.09.25(土)曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、吉田。 鎌田、西村、尾崎。

   湿度の高い日である。曇り空なのにじっとしていても汗がにじむ。見慣れないスタイルの単車にヘルメットを被った人が来た。軽々と山道を登ってくる。通いなれた道という感じである。ははぁ、彼が吉田さんだな。私は初対面だが、すでに数回は参加されているはずだ。

  吉田 勇さんは現役の消防署員である。身のこなしが軽い。挨拶をかわすと私は早速に尋ねた。「あの単車はどこの製品ですか?」
「東南アジアで組み立てた日本製品です。ラブという名です。日本に数台しかないはずです。」

  ふーん、凝り性ある。なるほど一途な人柄なのだろう、彼の瞳は汚れない。身に埃がついていない。定年を前にしている人とは到底思えない。

   竹林に伐採竹を集めに来たのは林 義信さんだ。竹炭などをやっている人である。積み上げられた竹材の半分、50本ほどをトラックに積んで行った。

   北隣の竹林で老夫婦が働いていた。人柄のよさがにじみでている。
「皆さん、どこの人で?」
「実は隣の竹林をお借りしました。よろしくお願いします。ところであの藪は何時ごろから手入れがしてないのですか?」
  お爺さんは視線を遠くへ投げた。「そうじゃ、あの家の先代が戦死されて以来、人手がなくてそのままでのォ。」視線が私に帰ってきた。「55年以上にはなるなぁー。」ちゃんと計算が合う。今年は敗戦後59年目である。

  作業終了後、女性たちをいつものように車で駅に送っていった。「さよなら」と言って額に手を当てたら、メガネをしていない。どこに置いたのだろう?あわてて引き返して竹林のなかを歩いてみた。無い。無い。

  昼ごはん時も気はそぞろ。野本さんに電話して、私のメガネを見ませんでしたかと尋ねたが、知らないという答え。
それを聞いていた妻が言う。「もう一度竹林に行きましょう。私も探します。」 同じところをまた歩いた。やはり無い。無い。「もう帰ろうよ。」
「あった。ありました。」妻の決然たる語調である。
「メガネさん!私が探しに来ました。一緒に帰りましょう!姿を見せてください。」
メガネは竹の切り株の下にあったという。執念。
                                                                                                                             from 杉谷 保憲

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「居待ち月」

   2004. 10. 2  杉谷保憲

竹林日記「居待ち月」2004.10.02(土)曇りときどき小雨

参加者 山部、杉谷、高田、加藤。 鎌田、川路、西村、尾崎、濱村、水口。(ともに年齢順)

  小雨だが作業は始まった。9月29日(水)が台風のため働けなかったので、小雨で9月28日(水)の作業日が雨であったため、今日は体を動かそうという思いが皆にある。

 珍しく野本、窪田氏が不参加、ともにお孫さんの運動会とか。先週土曜日は川路さんがお孫さんの運動会だった。わがメンバーがお祖父さんやお祖母さんとなってグランドで応援したり、お弁当を広げたりしている風景は想像しにくい。ここでは現役そのものだから。けど、みんなそんな年齢なのだ。

 竹林作業は健康管理を含んでいるので、電動ノコギリは使わず、人力ノコギリでしぼり出す汗を楽しんでいる。だからいつもはねじり鉢巻に地下足袋とやや原始的な姿ばかりだが、今日は文明の利器が竹林に持ち込まれた。高田さんがパソコンを開いたのである。どれどれと覗き込む。

 タイトルは池部さんの書で始まる。芸術的なムードでタケノコの写真、作業の風景、竹林日記とページがつづく。今後が楽しみなツールだ。もっと写真を撮っておかなければ。

 今日の特筆大書は二人の若者が現れたことだ。男性は加藤 匠という。年齢は聞き忘れたが口ひげが立派だ。女性は水口 果奈。24歳とみずから申告した。濱村さんが私の娘ですと紹介したのだが、そうであっても不思議ではない年齢差だ。果奈ちゃんはよく動くし愛らしい。

 鎌田、川路、西村、尾崎のみなさんもきっとこんな時があったんでしょうね。このメンバー構成は老・壮・青と理想的だ。ただちょっと「壮」のお休み期間が長びいていますね。

 さて今、夜9時ですがまだ月が出ません。
「中秋の名月」は台風の影響で見られませんでしたが、「十六夜の月」はあかず眺めました。昨夜は「立待ち月」、今夜は「居待ち月」が出るはずです。しかし月の出の時間はどんどん遅くなります。明晩は「寝待ち月」、次は「更け待ち月」となりますが、月を待つには体力が足りません。

 満月に向かうときには特に名前がつけられていませんが、充るものが欠けていくさまには寂寥を感じるのでしょうか、たくさんの名前、それも心模様を表す名前がつけられていますね。

若い二人が参加してくれたせいでしょうか、今宵の私はそんなことを想っています。
                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「ためいき」

   2004. 10.  6  杉谷保憲

竹林日記「ためいき」2004.10.06(水)曇り

参加者 杉谷、高田、窪田、吉田。(年齢順)
ゲスト 安田、林。長岡京市役所 藤下ほか1名。

  朝は小雨を落とした雲が通り過ぎたが、すぐに曇り空で安定した。

  今朝の
京都新聞(洛西版)の竹の音欄に私の随筆「焚き火」が掲載されたので、見回りにきた安田さんや竹を引き取りにきた林さんから話題にされた。藤下さんは「市農政課のPRになるので大変よろしい。」と我田引水である。

  京都新聞の担当者は2ヶ月に1回の割合での掲載、内容は自由だと言う。書きたいことごとがあるのでいろいろ考えたが、ローカル版の特徴を生かし、この地のことに徹しようと決めた。つまり竹のことが中心になるだろう。

高田さんが制作にとりかかっているホームページも楽しい画面にしよう。

  皆さん、記録しておきたいと思われる写真、面白い写真があればご提供のほどを。もうしばらくするとURLが決まり公表できるようだ。

  今日、訪れた人たちはそれぞれに竹林の批評をしてくれた。安田さん「(伐採は)まだまだでんなぁ。もう半分を切らなぁあかんなぁ。」
林さん「今年はこんなもんで、また来年切りなはれ。一度には出来しません。」
藤下さん「明るーなって近所の人も喜んでおられますねん。藪仕事は大変ですねェ。竹は重うスから、体に気をつけられてェ。」

 今日もずい分切ったつもりだが、こんな感想を述べられると、覚悟はしているものの思わずため息が出てしまう。
                                                                                                                             from 杉谷 保憲

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・おばあさま

   2004. 10. 16  杉谷保憲

竹林日記「おばあさま」2004.10.16(土)快晴

参加者 山部、杉谷、野本、窪田、吉田。(年齢順)   鎌田、川路、尾崎、濱村、水口。(年齢順)

   高田さんがお休みなので、焚き火の係りは濱村さんが務める。窪みを作っていると穴の底から三日前の火種がでてくる。このところ乾燥しているせいだろう。濱村さんは黙々と仕事を進めるタイプと見受けた。彼女は多分周囲の人から信頼されているだろう。焚き火に野本さんもそれとなく気を配っているが、濱村さんは危なげなくやって
いる。

   休憩時、鎌田、川路、尾崎さんたちが水口さんの若さをうらやましそうに喋っている。三人の結論は「孫と言ってもおかしくない差だものねぇ」であった。

   二度目の休憩時、鎌田さんは皆にチョコレートを配っていた。もちろん水口果奈さんにも手渡していた。
杉谷「果奈ちゃん、お礼を言いなさいよ。ありがとう、おばあさま。と」水口さんはエエッと言い、鎌田さんはきつく私をにらんだ。私は論理的に話をしたのだが・・・

   今日は稲荷神社側の竹がたくさん切られた。奥のほうと合わせれば40本以上は伐採されただろう。相当の進捗度だ。

   蒼天、陽は真上だ。しかしまだ、われらの竹林の表土にはこぼれ日が届かない。

                                                                                                                   from 杉谷 保憲

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「茶会の企画」

   2004. 10. 20  杉谷保憲

 竹林日記「茶会の企画」2004.10.20(水)雨

参加者 杉谷、高田、池部、橋本。

  秋雨は朝小降りになったもののついに止まなかった。そのうち台風の雨に変わり、激しさは増してきた。

  池部さんは秋が大忙しの人、前々から今日だけはほかの仕事を入れずに、竹林作業に備えていた。しかし無情の雨である。野本さんはお孫さんと約束があり、お任せしますとのことだったので、上記4人が喫茶TENJINに集まった。

  高田さんはパソコンを持ち込んでいた。竹林友の会のホームページを皆で見た。大変手間
がかかっている。労作。

  池部さんから野点の企画3案(大規模、中規模、小規模)の提出があった。それぞれ絵にしてある。面白い企画だが手が回るかどうかを皆が心配した。

  結論だけ記しておくと、小規模案を採用する、つまり関係者だけが参加して、野点というものを一度経験することにした。時は11月23日(火)祝日。

  散会してからが忙しかった。

  まず市役所に藤下さんを訪ねて協力を要請した。つづいて地主さんに電話で了解を得た。長法稲荷の信徒総代、山本氏宅を訪問し、その日(23日)社務所のトイレを貸していただけないかと打診した。多分大丈夫だが明日に返事するとのことだった。再び市役所にとってかえし、商工課でしょうぎ、もうせん、紅白幕、机、椅子の借用許可を取った。(許可書は杉谷が持っています。)

  こうして茶会以外の外堀は埋めたが、これからはもっと大変だろう。
みなさん、よろしくお願いします。

  タイトルは「かぐや姫茶会」案が有力だが、ちょっと陳腐な気もする。これもいい案
をだしてください。

 

 

 ■ $$$竹林日記$$ ・・・懐かしい声

 2004. 10.23 高田 豊

竹林日記「懐かしい声」041023(土)

参加者: 川路、尾崎、西村、濱村、古沢、松尾、山辺、南井、野本、窪田、高田

台風が過ぎた後の晴天続きのさわやかな天気。蚊もいなくなった。

 台風の吹き返しが強かったので、竹林の様子が気になっていたが、果たして、かなりの荒れようであった。吹かれて根こそぎ斜めになった竹が数本。上段の枯れ竹も倒れている。まず、お稲荷さんの鳥居に倒れかかる危険がある竹から、ロープで引っ張りながら切り倒す。

 未だ、鬱蒼とした西側の竹林の竹を切っていると、突然「おはようございます」と懐かしい声。目の前に現れたのは古沢さんだ。ホームページのURLを送っていた返信に「近く竹林に行きます」とあったが、こんなに早く来てくれるとは。続いて松尾さんも登場。お二人は、まちこん竹林の最初からのメンバーである。まちこん竹林も、最初はこのように荒れた竹林であったとか。

 手馴れたもので両人は、古竹をどんどん運んでは燃している。ちなみに、勢い良く竹を燃やす人のランキングを野本さんが付けていた。一番は吉田さん、古沢さんの燃やし方も大変豪快である。二番手といったところか。積みあがった古竹の多くが片付いた。高田は三位に甘んじよう。

 休憩時間にたこ焼きを全員でほお張る。火で暖め直したたこ焼きは、とても美味である。尾崎さんからは、銀杏を焼いて呉れと頼まれ、火に埋める。ところが、それを忘れてしまい、気が付いた時には丸こげの銀杏炭が出来上がっていた。尾崎さんゴメンなさい。

 一ヶ月ぶりであろうか、竹林整備の進行状況を記す写真を撮った。85日の写真と較べると、竹の間から空がのぞいている。さあ、もう一息頑張ろう。

上)竹林東側の半分       下)竹林西側の半分

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「つれづれなるままに」

   2004. 11. 4  杉谷保憲

 竹林日記「つれづれなるままに」2004.11.04(木)晴れ

   今日の日付けの竹林日記が配信されるとは誰も予想してはおられないでしょう。
実は昨日の文化の日、法隆寺近くの知的障害者施設でボランテァをして、そこで昼・夜と痛飲し宿泊しました。

今朝、家内の運転で帰宅し、酒気を抜くべく散歩しました。このところ土曜作業日が雨続きのため中止であったり、水曜作業日が参加できなく、心のどこかに満たされないものがありました。足は自然に長法稲荷に向きます。

  入り口に老夫婦が働いていました。前に会った方です。その会話から二・三記しておきます。
10数年前、この地区で放火があり、稲荷神社や入り口の小屋(老夫婦の所有)が燃えました。神社は建て替えられましたが、小屋は半焼だったので修理して使っています。(なるほど屋根裏には黒ずんだ焦げ跡が見えます。)
近頃はタケノコ泥棒にやられます。私たち夫婦はもう朝掘りする元気はないので、昼ごろに来るとすでに何者かに掘られています。(兄さんも気いつけなはれや・・・)

  竹林に入りました。三本の竹を組んで、湯カンを吊るす装置がつくられていました。池部さんと高田さんの制作でしょう。この場所について私の意見を述べさせてください。(高田注: 池部さんと野本さんの製作です)

 打ち合わせ時には私もこの辺でよいと思っていましたが、その後、市役所で幔幕を借りる過程で考えが変わりました。茶会の場所をできるだけ小屋に近づけて設定してくださいませんか。
朱の鳥居を背景にして、小屋を幔幕で包みます。そしてトイレが近いという場所が望ましい。お茶の味覚はどこでも同じですが、視覚(写真効果)も大切と気づきました。

 もう一点、名称です。これも打ち合わせ時には「かぐや姫茶会」に私は特に異を唱えませんでしたが、どうもあとあとのことを考えると本格的名称がよいと思います。そこで『竹濤茶会』(ちくとうちゃかい)を提案します。濤は波という意味です。ある作家にこの話をしましたら、「近頃の人にはやや難しい言葉だが、ふさわしいね。」といってくれました。

10日(水)の打ち合わせにこれらについて決めましょう。私は6日(土)、10日(水)には参加します。

                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「文明と匂い」

   2004. 11. 6  杉谷保憲

竹林日記「文明と匂い」2004.11.06(土)晴れ

参加者 杉谷、高田、窪田。鎌田、西村、安田。(年齢順)小西。

  野本さんが足を負傷したという。今日は参加者が少ない。窪田さんが力持ちの吉田さんの不参加をしきりに嘆いている。

  小西さん(73歳)が来られ、細い竹がほしいというので引き取ってもらった。太い竹を引き取る林さんは今、繁忙期で取りに来ることができないようだ。

  今日はワラが入荷した。少ない人数で運び込むのは容易でない。頑張って運んだ。しかしワラの総量が足りそうにない。もう一回同じ量を購入した方がよさそうだ。

  ワラを担いでいると懐かしい匂いがする。私は農村で生まれ、育ったせいだろう、ワラの暖かい匂いが少年時代を呼び起こして、リラックスしてくれる。
 

 

   回遊魚の鮭が、生まれた川に数年たっても帰ってくるのは、産卵した川の臭いを覚えているからだだというが、それは別に不思議なことではない。私の鼻は60年前を記憶しているのだ。
自然にはすべてのものに大なり小なり臭いがある。花や果物はもちろん、落ち葉にすら匂いがある。

  かつての家庭にはいろいろな臭いがあった。台所には料理の、漬物桶の、ご飯が吹上げるときの匂いがあった。便所にはアンモニアの臭いがした。井戸水と川の水は匂いが違っていた。人間には体臭がある。

  しかし文明社会は無臭をよしとしている。食べ物は臭みの強いものは警戒される。ニンニク、ラッキョウは食後に臭い消しにガムを口にする。台所は換気扇を回して臭気を除く。便所は水洗にして防臭剤を置く。人々は消臭に神経質になっている。

  しかし無臭では納得できないのであろう。気持ちのよい匂いだけをほしがり、香料を振りかけたり、撒いたりする。石鹸などは最たるものだ。体臭は香水によって中和され、その上、匂いを撒き散らしている。

  近年、おかしな経験を二つした。一つはわが家でマツタケ料理が出たときのことである。私の嗅覚はすでに衰えているけれども、マツタケの匂いが人工のものであることをききわけていた。加工食品にはほとんど香料が使われているという。しかし香料はよくできていても、自然の匂いと人工の匂いとは明らかに違いがある。

  もう一つは鼻の話である。4年間、長岡京市以外にはほとんど出ずにいて、その後大阪に毎日通い始めた。大阪に着くと鼻汁が流れ出して止まらない。ティッシュペパーの消費がすごい量となる。怪訝に思って耳鼻科に行った。医師はさほど問診もせず「清浄な空気のところから排ガスの多いところに出たからです。」という。ガソリンそのものには臭いがあるが消されている。無臭とは恐ろしいものである。

  動物園は臭いから行きたくないと言う小学生が増えているそうだ。文明がどこか道を間違えている。今日、ワラが自然を思い出させてくれた。

 

   このワラが近頃なかなか手に入らない。休耕田が増えワラが少ない。農作業の機械化によって細かく裁断されている。それでワラが足りなく、韓国から輸入ものもあるという。

  他の竹林はすでにワラを敷き終わっているところが多い。私たちも霜が降りる前に終えたいのだが・・・。

  最初に「ワラの匂い」とタイトルにつけましたが、ふと以前書いたような気がして調べてみたら、2001年11月13日の竹林日記にありました。ちょっと大げさですが冒頭のタイトルに変えました。

                                                                                                                           from 杉谷 保憲

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「ユンボの予定日が決まった」

   2004. 11.10 杉谷保憲

竹林日記「ユンボの予定日が決まった」2004.11.10(水)晴れ

参加者 山部、杉谷、高田、南井、窪田、吉田。(池部)(橋本)

   小野氏に、先日土曜日に続いて今朝もワラを運んでもらった。先日の量では足りないことが解かったので追加注文した分である。今日、ワラの小さな山をつくって、竹林全体に配置してみたが、まだ十分の量とはいえない。

   この竹林は長い間、放置されていたので、地下茎が地表に露出している。これらをカヴァーするならまだまだワラが必要だが、そうワラを購入もできない。後は土を厚めに積んでいくことになろう。

   池部さんを中心にお茶会の打ち合わせをした。彼は冒頭に「先週ここで実験してみたが、竹林の中はどこも傾斜していて、平面がない。これでは茶会は不可能であると結論した。」と発言。当人の意向なので特に議論もなく<茶会は取りやめ>となった。

   池部さんは本日をもって退会を申し出、退席した。橋本氏は体調不良を押して参加したが、前後して退席した。

   事件が起こった。作業終了時、南井さんが車のキーを見失った。落としたのかもしれないというので竹林の中を探したが見当たらない。結局、杉谷が南井さんをご自宅に送った。杉谷は先般めがねを落とした。南井さんはどこから見ても慎重なタイプに見えるので、こんな事態は想像しにくいのだが、やはり・・・。

  午後、農協にユンボのお願い。
たまたまユンボを扱う多貝さんがいたので、話はとんとんと。

11月27日(土)8時半開始、午後も続行。

11月28日(日)前日雨天のときはこの日に実施。

   「放置竹林だったのでたくさんの竹を伐採した。切り株が多すぎるのでユンボで掘り起こしてほしい」と頼んだ。
しかし多貝氏の答えは「そんなに多ければユンボでやると全体の地下茎を傷つけてしまう。一本一本、人力で掘り起こすか、切り株の上に土をたくさん積んで腐るのを待つかどちらかにしたほうがよい」だった。

   ユンボにむけて仕事が大量にあります。ご参加を願います。
また23日(祝)にお茶会にかえてバーベキューパーティ(松尾グループも参加?)
をするかどうか皆さんのご意見をください。

                                                                                                                         from 杉谷 保憲

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「ポンコツ車」

   2004. 11.13 杉谷保憲

竹林日記「ポンコツ車」2004・11・13(土)曇り

参加者 杉谷、高田、野本、窪田。鎌田、川路、濱村、水口。(年令順)

   竹の伐採、伐採竹の焼却、根株処理、ユンボの道つくり作業が進む。目立たないが着実な竹林整備である。
休憩時に顔をそろえると、皆一人前の農夫、農婦の姿に見える。

   11月23日の行事予定をすべて取り消しと決めた。ユンボ作業の日に備えて全エネルギーを整備一点に注ごうとなった。

   野本さんが復帰してきた。頑健を絵に描いたような体つきであったが、ツッカケをはいて走って、アキレス腱を痛めた。まだ足が完全回復ではないのに、竹林で上り下りするのは危険がある。

   窪田さんの強い体は「歩け歩け方針」で維持・強化されている。どんな日でも1時間半は歩くという。体が締まっている。

   高田さんは先天性病気知らず症候群である。平素の節制・鍛錬もあろうが、風邪もひかないとは人間離れしている。

   女性陣はいずれも健康そう。鎌田、川路さんは山を歩きの会を作って楽しんでいるのがよいのだろう。濱村、水口さんは周辺に医者を配しているから当分問題ない。

   杉谷はポンコツ車だ。高齢(71歳)になるにつれて解かってきたことがある。人間の体は古くなって痛んだからといって、新車に替えるわけにはいかない。痛んだところを修理しながら運転能力を何とか維持している状態である。
   しかしその修繕費がだんだん大きくなることはあまりよく認識していなかった。これは経済的に大きな負担となる。アタリマエのことだがその身になって初めて身に沁みて気がついた。

   二日前から声が涸れていた。それでも毎晩酒(焼酎のお湯わりならイイやと。)を相当量飲んだ。
今朝は少し声が出るので、竹林に入った。熱があるわけではないので平気であった。しかし働くと汗をかく。その汗が冷えてくる。なにか怪しげな感じがする。

   11時10分、ついに脱落、帰宅した。車庫入れで車の後部と塀に一部を傷つけた。午後の予定、明日の予定を断って、寝た。寝た。5時間。
いま起き上がってパソコンに向かっている。熱は無い。大丈夫。

                                                                                                                            from 杉谷 保憲

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「NPOとユンボと竹取物語」

   2004. 11.20 杉谷保憲

林日記「NPOとユンボと竹取物語」2004・11・20曇り

参加者 山部、杉谷、高田、南井、野本、窪田、吉田。安田。(古澤、松尾)

   古澤、松尾さんが竹を2本持ち帰った。ワクワク自遊クラブで子どもたちにノコギリの使い方を練習させるという。
彼女たちのワクワク自遊クラブは今秋にNPO法人になった。

   NPOの資格をとることが私たち竹林のグループにとって、いいのかどうか?前々から話をしてはいるが、明確な結論をえていない。来年は非営利法人(実は私は非営利法人と公益法人との違いも知らないのだが)についての法改正があるので、そのときには考えなければと思っている。
法人格を取得するのは世間から信用される要素であることは理解できるが、帳簿づくりなどにエネルギーをとられるのはいやなことなので。

   来週の土曜日にユンボが入る予定。今日はその準備作業であった。
ユンボは土を掘り起こすのにも便利な機械だが、ユンボのもう一つの特徴である、腕を振り回して土を遠くへ運ぶ能力を、竹林内で発揮させるのがなかなか難しい。生えている竹が邪魔になるからである。今年の場合、来年借りる予定地の土を掘り起こす。だから思い切って周囲の竹を切り開いて、ユンボが腕を振り回すことができる空間(空き地)をつくったらどうだろう。それができれば土の量とともに土置き場の位置がうまくいくはずだ。
24日(水)に検討しよう。

   来年のこと。1月29日(土)19時から市の中央公民館で、私がお話することになった。主催は「環境の都会議」である。チラシをつくるというので、その原稿を書いた。転載しておく。


「竹・タケノコ・竹取物語」

    終の棲家をどこに?と探していて、竹に魅せられて長岡京市に来ました。今7年経ちました。

    はじめの2年間は竹を眺めるだけでしたが、その後タケノコづくりを4年やりました。ところが事情があり、その竹林は立ち退かざるを得なくなりました。そして今年8月にあらためて放置竹林を借りうけました。定年退職者やボランティアの人たちで、竹林整備とタケノコ作りをしています。週1回(今は2回)ゆっくりと働いています。(参加希望者を待っています。)

  まず京都タケノコの栽培方法やこの地方の伝統的な収穫法を学びます。そして物語をつむぐこともあります。

たとえば
  竹のなかにあるチロシンは栄養満点といわれる蛋白質です。かぐや姫は竹が光っていたから発見されましたが、このチロシンはある条件で光ります。でもどんな光りでしたでしょうか?かぐや姫は3ヶ月で成長しますが、それはなぜ?かぐや姫の結婚観は?竹取物語とそっくりなお話がチベット族にあるのはなぜ?


杉谷 保憲

昭和8年 島根県生まれ。大阪外国語大卒。
読売TVで「11PM」「鳥人間コンテスト」など初代プロデューサー。Rケネディ、キング牧師、ヒッチコック監督などのインタヴュー番組や海外取材多数。長崎国際TV専務取締役。現在は(財)近畿警察官友の会専務理事。

著書「好太王碑と高句麗の壁画古墳」「秦の始皇帝と兵馬俑」ほか。

現住所、天神2丁目。

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「ユンボ道」

   2004. 11.24 杉谷保憲

竹林日記「ユンボ道」2004.11.24(水)曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田。

   ユンボ道がついた。ユンボは隣の藤下さんの竹林から入って、南側3箇所、西側1箇所の土を掘り起こしてもらう予定だ。そのための通り道をつくったのである。

   周囲の竹林と比較するならば、我々の竹林はもう半分を伐採しなければならない。今日も20本ぐらいは切ったであろうが、今年はもう労働力的に無理。ともかくユンボが通れる最小限の幅を道に作ったというわけである。

   切り出した竹を下の道路に降ろす作業も見た目よりきつい。竹は空洞でできているから扱いやすいと見えるが、肉の厚い竹は重い。谷をすべり降ろすことはできても、落とした竹を路上で、立てるに苦労する。4メートルの肉厚の竹となると、2人でかからなければ立てかけられないものもある。

  伐採と焼却。
野本さんは足をひきずって作業をつづけているが、休んで完全に治してから参加した
方がよいと思われるが・・・。
高田さんも疲れているようだ。顔にいつもの生気がない。

  山部さんと窪田さんの元気なことには敬服する。両人ともやさしい話し振りなのに、恐ろしいほどのエネルギーを秘めている。

                                                                                                                           from 杉谷 保憲

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「第二幕が上がる」

   2004. 11.27 杉谷保憲

竹林日記「第二幕が上がる」2004.11.27曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、吉田。鎌田、川路、西村。(多貝)。

   ユンボ様 お待ちしていました。
私たちは舞台でいえば、三幕ものの芝居をやっています。

   一幕目の幕が上がると、舞台上は青竹,枯れ竹が散乱する放置竹林でした。30年とも45年ともいわれるほど手が入っていませんでした。地形は起伏に富んでいます。水平なところがありません。広さも二反歩あります。

   その舞台にはノコギリが入れられ、大量の竹が切りだされ、8月から人々が流す汗を吸い込んできました。この4ヶ月間にわたった作業によって今、ようやく整然とした竹林の姿になりました。
こうして舞台の第一幕は終わりました。

  そしてあなた様の登場です。つまり第二幕が上がります。あなた様は土を掘り起こしてくれました。5箇所に土の山がつくられました。第二幕の準備はできました。

 


  12月からは、生まれてくるタケノコの母体を保護する作業が始まります。それは肥料を撒くこと。ワラを敷くこと。土をかぶせること。

  ユンボ様 あなたの雄姿に胸をときめかせていました。
あなたは力強い。しかし力任せでは作業ははかどらないものですね。切り株を一気に掘り起こしにいっても株は動きません。地下茎は深く、幅広く張っています。周囲を少しずつ掘っていったり、株を二つに割ったりして進めていくのが、結局スムーズにことを運ぶことになりますね。

   いつもは静かな竹林にうなり声をあげて、あなた様は動きました。面白く、頼もしく、あなた様が働く姿を見せてもらいました。

 

   山部さんはユンボが動きやすいように、緊急伐採をして空間をつくりだしました。女性3人が切り出された竹を手早く始末していきます。縁の下の力持ちとはこの姿です。

   窪田さんはユンボが動いている最中から、もう肥料を撒きたがっています。気が逸っているというのか、早漏気味というのか。

   野本さんはとうとう早引きし、医者に行きました。彼の足はすでに無理を重ねて痛んでいる印象です。

 

   高田さんはカメラ持参です。今日こそはユンボの活動振りをホームページに飾ろうという意図が見えます。これからジャーナリストになれるかも。

   吉田さんの焚き火の後始末をじっくり拝見しました。消防署出身は再発火しないように、水をかけた上を繰り返し踏み固めます。これまでとは一味違う光景でした。
その吉田さんの姿を横にして、ユンボ様は去って行きました。
ちょうど12時でした。


    第二幕の幕開きの日。それにしても4ヶ月でよくここまで来たものだと感に堪えません。

                                                                                                                             from 杉谷 保憲

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「渡り鳥」

   2004. 12. 4 杉谷保憲

竹林日記「渡り鳥」2004・12・04(土)曇り

参加者 山部、杉谷、高田、窪田(その孫)。鎌田、西村、安田、濱村、水口。

    朝、鎌田、西村さんを駅に迎えにいった。運転しながら眺めていると、天神さんの西側の二つの小さな池(山ノ池下、蓮池)にカモが遊んでいた。20羽はいる。私は今年はじめて見た。多分この2,3日の間に飛来してきたものであろう。カモは北国から飛んできて越冬し、来春2月末まではいるはずだ。

  渡り鳥はどうゆう好みをもっているのか、どう棲み分けるのか?カモはこの小さな池には住むが、もっと広い八条ヶ池には1羽もいない。たった300メートルも離れていないのに。八条ヶ池には人の気配があるからだろうか。
その八条ヶ池にはアオサギは逗留し、彫像のように佇んでいる。

   天気予報は午後から雨。肥料を撒くのは止めた。にもかかわらず仕事は多い。あるは!あるは!切り株の処理、ユンボが掘り起こした根っこの処理、竹の切り出し、切り出した竹を道路に並べること・・・。

   山部さんが切り株を地表すれすれまで切る。うまいものだ。これなら早く腐るだろう。
窪田さんがお孫さんを連れてきたので、その幼児の動きが大人たちの笑いを誘う。楽しそうだ。

   水口さんが久しぶりに現れた。今日はキャッキヤッといったところがなく、なんか大人っぽい。
高田夫人が差し入れをしてくれた。熱々の饅頭に元気がでる。
 

 

 
   長法稲荷が周囲の竹の伐採で明るくなり、浮き上がって映る。今日はとくに、お稲荷さんの朱と楓の紅葉との彩りが配合されて美しい。

   雲が降りてきた。雨がきそうだ。仕事を切り上げなければならない。ふっと整備作業全体の進捗具合が気になってきた。

   カモが再び北国に帰る頃、私たちはまだ土入れをやっているかもしれない。

                                                                                                                              from 杉谷 保憲

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「純林の美」

   2004. 12. 11 杉谷保憲

竹林日記「純林の美」2004・12・11(土)霧のち晴れ

参加者 山部、杉谷、高田、窪田、吉田、橋本。川路、尾崎。

    先週の水曜日に肥料撒きは終わっていた。 私は参加できなかった。ご苦労様です。今日はワラ敷きが終わった。トラック2回分、100束を敷いたわけだが、それでも藤下さん側の高い所に敷くにはワラの量が足りなかった。

   来週からいよいよ土入れが始まる。これは重労働、少人数では意気があがらない。多数の勢いが勇気づける。皆さん、できるだけご都合つけて参加してください。

   吉田さんがワラを敷き詰めた風景に「また趣きが変わりましたね。」と感想を述べた。彼にとっては始めての光景だから、竹林のかもし出す雰囲気が違ったのを感じるのだろう。

   私も長いこと“竹林の景観”について考えているが、まだまとまっていない。今日、吉田さんの発言に触発されて、少し書き置きしたい。

   自然界の森林に多い姿は混交林であり、いろんな種類の樹木が交じり合っている。日本では落葉広葉樹で形作られている。

   一方、白砂青松の松林、北山杉の杉木立、ヒノキ林、竹林など純林もある。純林は大抵、人の手で作られたもののようである。

   私は7年前に竹の純林の美しさに魅せられて、この町に住みついた。そのときから純林の何が美しく感じさせるのか考え続けているが、実はよく分からない。

   私は“青の凛とした風景”“神々しさ=雪が積もったときや夕陽が当たるとき”という表現をする。竹林にも、松林にも、杉林にもある種の厳しさがある。

   吉田さんも普段はそう感じていただろうが、今日一面にワラを敷いた風景に、今までの厳しさが和らいだと思っているのではないか。

   私も今日はそんな風に感じた。

   長岡天神社の隣に天神の森公園がある。ここは混交林である。葉が出るとき、葉が茂るとき、葉が散るときと表情が変わる。私はよく散策するが、この風景も好きである。厳しさがなく、ぬくい感じがする。すべての木々が落葉したときはさびしいが、それはほんの一時のことである。

   竹林が今日は穏やかな表情になった。

                                                                                                                             from 杉谷 保憲

 

 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「新しい籔」

   2004. 12. 18 杉谷保憲

 

 

竹林日記「新しい籔」2004・12・18(土)曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、橋本。川路、鎌田、西村、尾崎。

   今日は土入れ、水曜日から引き続いて、今日も男性陣が大車輪の働き。お稲荷さん側は二日間で終わった。しかし女性陣がとりかかった藤下さん側は広いのと坂がきついので遅々たるもの、まだ5〜6日はかかるだろう。
ともあれ今年も大詰めを迎えた。

   橋本さんが「今日こそはなんとか」と取り組んだ看板が相当の苦労をして、ついに建ちあがった。お稲荷さんに参詣する人たちに読んでもらいたいと鳥居側に向けてある。間に合ってよかった。皆ほっとした。なにしろ夏からの課題だったから。


 

 

 今年はもうひとつ大きな成果があった。ホームページのスタートである。クリックすると「長岡京市竹林友の会」の表紙が麗々しく現れ、会則や竹林日記やメンバーの写真が連なっている。ホームページが無料で制作できたのは大変な功績だ。高田さんの技術と熱意の賜物である。

   今年最大の出来事は奥海印寺の竹林を立ち退かざるをえなかったこと。高速道用地になることは予期していたことであり驚くことはなかったが、4年間の汗がしみこんだ竹林には愛着が残った。同時に次の場所が得られるかどうか、得られなければ「長岡京市竹林友の会」は存続できないだろう、メンバーの心には仕事場が無くなった淋し
さと新しい籔が決まらないかもしれないという不安が胸の中に広がるのはやむをえないことだった。その間の経緯はすでに書いたのでここでは省略する。ともあれ新しい働き場ができたことは今年の大ニュースだ。

   ところがこの籔は並みのものではなかった。踏み込んでみると暗い。
籔に関する言葉がたくさんある。「藪の中」「籔をつつく」「やぶ蛇」「籔にらみ」「籔から棒」「籔医者」・・・この通りで、まったく先が見通せないのである。それを5ヶ月にわたって伐採につとめた。働き甲斐があった。

 

    「おばんざい由紀」で上記10名+由紀さん、計11名の忘年会。
その席で来年の企画をたくさん耳にした。「竹筒茶碗で茶会をやってみよう。」「南側の籔の貸借契約を早くして伐採作業を楽にしよう。」「経理を担当してもよい」と窪田発言・・・

    後は何があったか知らない。不安と歓喜の一年を思い、前後不覚になるまで飲んだ。
今、ところどころ記憶が途切れているのをつなぎ合わせている。


                                                from 杉谷 保憲

     忘年会 さびた機械が 回りだし  (杉爺)
 

 

 ■ 杉爺の竹林日記 ・・・「終い竹林」

   2004. 12. 25 杉谷保憲

竹林日記「終い竹林」2004・12・25曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田。川路、鎌田、尾崎、安田。

    孫(小4)が帯広から一人できたので、私はなにからなにまで2人で同一行動をしている。風呂、就寝はもちろんのこと、キャッチボール、五目並べ・・・竹林にも連れて行く。この子は幼いときから見ているので竹林は珍しくはないが、一般に道産子にはものめずらしいはずだ。竹は北海道には無い。したがってタケノコもない。竹は東南アジアを中心に暖かい地域の植物といわれる。

 

 

    焚き火に安田さんと孫がつきっきりだ。威勢のいい爆竹の音に喚声をあげている。

    今日は周りの竹林に人影が見えて、煙があちこちで上がっている。

    我々の竹林も土入れがすごい勢いで進む。若者顔負けのスコップつかい、そして土を一輪車にてんこ盛りにして運搬するエネルギッシュな姿。

    高田さんがその作業風景をカメラで追っている。このカメラはムーヴィーも可能で音も収録できるという。新年に編集がなされるということだったから、ホームページが待たれる。
 

 

 

 

 土入れ作業動画

 

 その1 [23秒:4.45MB]

 その2 [21秒:4.62MB]

 その3 [22秒:4.98MB]

 その4 [25秒:4.50MB]

 

 

     終い弘法があることは知っていたが、終い天神というのもあると、尾崎さんに教えてもらった。今日は一年の最後、いわば「終い竹林」である。

    今年の会計も閉めた。残金10万余円。これを窪田さんに引き継いでもらう。窪田さん、新年から1〜2年頑張ってください。

    新年の第一回は1月8日(土)です。

    その間に長法稲荷神社の新年の行事があると思いますが、それは近所の者たちで対処しましょう。

    皆さま、お疲れ様でした。今日はクリスマスです。骨休めの暇があればよいのですが。
どうぞよいお年をお迎えください。

                                                                                             from 杉谷保憲

 

    "終い竹林"日の竹林西側の情景

 

             竹林東側の情景