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59 竹林日記   「曇りばかりで雨の降らない梅雨」 

 2014.06.28(土) 山本 律

 

竹林日記  「曇りばかりで雨の降らない梅雨」  2014・06・28(土) 曇→小雨

 参加者:荒木、稲岡、梶原、野本、林、山本。 [6名]

 ビジター : 大阪府堺市のボランティア 3人 (男性2人、女性1人)



 朝起きたとき道が濡れていて、木の葉に水滴がついていた。新聞を取りに出ると雨粒がぽつりと額に落ちた。これはヤバい竹林作業は無理かもしれないと思って、パソコンを開けて「今日は作業を休みます」と打ち込んで思いなおした。新聞の天気予報は「午前中曇り」 だめもとで竹林に出てみようと、念のため傘を持って出た。

 竹林に着くと梶原さんのライトバンが停まっている。やっぱり来る人は来るのだ、と思ったが、倉庫は施錠されている。しかし、誰がつけたのか焼却炉にはすでに火が入っていた。そのうちに次々と人が出てきて、参加者は上記のとおりとなった。


 今朝の京都新聞「凡語」に、こんなことが書いてあった。
 幕末の薩摩藩に「郷中(ごじゅう)」という教育組織があって、その組織で子供の教育に当る15~25歳の若者を「二才(にせ)」と言ったという。
 これを読んでふと思った。青二才という言葉はここから出たのではないか。
 一方、戦争中私が疎開していた山形では、親しい友人を「にさ」と言った。私はこれを聞いたとき「兄さん」のことかと思ったが、「にさ」には尊敬の意味はなく、むしろさげすみ、あるいは相手を半ば馬鹿にしたときに使う言葉だった。「にさはこんなこともしゃね(知らない)のか」のような使い方をする。
 しかし共通するのは、薩摩藩の「二才」も一般に使われる青二才も山形の「にさ」も、相手が若者だという点である。鹿児島と山形では離れすぎている感じはあるが、同じ日本語として、いつの時代かに原点になる言葉があって、場所と時代の違いからこうした言葉、ないし使い方に変ったのではないかという気がしてならない。


                   山 本 律


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【本日の竹林風景】 ~Inaoka

 早朝の雨と雨の気配のため、寂しい登校メンバーとなりました。
 余裕の無いところに、2週間前に来た大阪から社会人ボランティアが来られました。竹材を取りに来るということでしたが、半割りや穴あけまで応援することに・・・。若者が楽しく取り組んでいるのに水を差す訳にもいかず、梶原さんがご指導というより手を出して応援していました。

・山本さんのいつもの焼却作業です
・ウドの木の庭(新呼称?)で最後の
 お礼肥えです
・梶原さんが真竹でアンガルンの原理モデルを準備しています。感謝!!

・今日のお客様と梶原さんです。神戸のイベントに使うとのこと。
 製作しているものは今日はお見せしないようにしました。完成風景や様子が届けば嬉しいのですが・・・。

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