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87 竹林日記   「竹あそび準備のあと始末」 

 2014.10.08(水) 山本 律

 

竹林日記  「竹あそび準備のあと始末」  2014・10・08(水) 快晴

 参加者 A竹林 : 荒木、稲岡、稲岡(喜)、窪田、澤、高橋、塚崎、野本、山本。
      コラサ : 梶原、世良田。                     [11名]



 抜けるような空とはこういう空をいうのかと思うほど雲ひとつない澄んだ青空である。しかも風がななくて、 朝のうちは肌寒かったが、日が高くなるにつれて汗も出ない爽やかな天気になった。これこそ秋日和。


 世良田さんと梶原さんはコラサ、私(山本)はA竹林で竹の焼却に入ったが、それ以外のメンバーは竹あそびの 竹の伐り出しで出た竹枝のあと始末と処理、サバエ刈に入った。一方では高橋、稲岡(喜)さんが11月の環境フェアのお土産にカエデの鉢植を青竹で作っている。

 電動鋸の音も動力運搬車の音もせず、静かでのどかな竹林である。こんな環境で仕事ができるのは幸せだ。


 秋に関連して、近ごろの野菜について思うことを書く──パソコンだから「書く」というのはおかしいが。
 八百屋にはいろんな野菜が出ている。ほうれん草、せり、ねぎ、人参、トマト、キュウリ…
 野菜にはそれぞれその野菜独特の香り、味、くどさがあるものだが最近の野菜はそうした特徴がなくなって、どれもみな、あっさりというか おだやかというか、わるくいえばおいしさがなくなった。

 昔のほうれん草は茎が赤くて、独特の香りとクセがあって、子供のころは食べるのがいやな野菜だった。
 ねぎや人参もそうである。ねぎのあの匂いとぬるぬるした粘液、人参の匂いと甘み、どれもできたら食べたく ない匂いと味だった。いまのねぎのあっさりしていること。人参は甘くも匂いもなく、赤いだけある。
 せりは、いまは畠で栽培しているから独特の香りがなくなって、背ばかり高くなってしまった。昔は、せりは田圃のあぜに自生している、野菜というより「草」で、ヒルの卵がついているから気をつけて十分に洗え、と言われたものである。しかし、あの香りとほのかな苦味は、せりでないと味わえない風味だった。

 トマトというのは臭くて酸っぱい、キュウリは苦い、ということを知っている人がいるだろうか。
 葉っぱをつけたままの大根や蕪を見ることはほとんどなくなった。大根の葉を、かつおぶしと醤油で煮たのは子供のころからの好物である。あれでご飯を食べると、まさに「ご飯が進む君」である。ゴボウのきんぴら、また然り。
 野菜ではないが、イナゴの佃煮は子供のころの蛋白源だった。いまでも売っていれば買って食べる。ただし、食べるのは私だけだが。よけいな昔話はこれでおしまい。


                   山 本 律


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【本日の竹林風景】 ~Inaoka

 竹あそびの準備も出来て、お天気も良く余裕の一日でした。週末は(金)(土)(日)の3日間連続で竹あそびに対応します。会員の皆様、よろしくお願いします。

・久しぶりの山本さんの竹の焼却風景
・間伐竹から切り出した竹行燈の材料
・チェンソーを清掃中の荒木さん

・こらさ竹林からお帰りの世良田さん

・間伐材から切り出したアンガルン用
材料です。倉庫に溜まってきました(涙)
・稲藁の仮置き用床板の準備です。西と中央入口付近の2ヶ所です。


〔花壇の花たちです〕
・間もなく咲きそうなツワブキ(石蕗)
・野紺菊
・杜鵑草(ホトトギス)

・量産中のお土産用の紅葉の鉢植え

〔おまけです〕
・皆既月食中の写真ですが、ただのデジカメではご覧の通り・・・


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