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16 竹林日記   「タケノコシーズン間近?」 

 2016.03.05 (土) 稲岡利春

 

 竹林日記  「タケノコシーズン間近?」  2016・03・05(土) 晴

参加者 :あいこ、荒木、稲岡、きみこ、窪田、小椋、世良田、高橋、竹内、ちづこ、野本、もとめ 〔計 12名〕



 タケノコシーズン間近を感じさせる優しい日差しの中の作業となりました。
 ようやく一か月ぶりに10名以上の参加者となりました。このくらいになるといろんな作業に分かれても大丈夫です。あと数名の動員が出来れば良いのですが。

 竹炭の大量注文に応じるため、合間を見つけては竹材を準備しています。一回の釜焼きで400kg材料を投入して50~60kg程度しか竹炭が出来ませんので、大量の竹が必要です。燃料としての枯竹も必要ですので、タケノコの季節が終わってから、一気にかかることになります。
 新物置も最後の仕上げになって、思った以上の仕事が増え、時間がかかっているとのこと。多くの人を割くことが出来ませんが頑張って下さいね。
 C竹林の整備も続いています。物置と竹炭の材料の確保と兼ねて、伐採をしています。提供予定の竹枝も増えてきます。かなり、明るくなってきました。
 自然薯は野本さんが、昨年細々と試験栽培をしていましたが、本格的?に取り組むとのことで、今日は自然薯畑を耕していました。成功しないと分け前が・・・。


 どうでも良いお話しですが、少子化の影響で、私の故郷の出身校名が無くなってしまうとのことです。超田舎の話とお思いでしょうが、人口35万人の和歌山市です。和歌山市の真ん中の「伏虎中学校」で、和歌山城の前で市役所と医大の間にありました。今、跡地利用で話題になっています。団塊世代の真ん中の私が中2の時は、18組で880名で全校で2700名のマンモス校でした。運動会が出来る運動場がなく、小さな運動場は対角に走って100m記録走がやっとでした。もともと4つの小学校区が集まった中学でしたが、このうちの3つの小学校と統合され小中一貫校になるとのことです。
 この小学校の一つも私の母校の「本町小学校」です。この学校も当時和歌山一番の繁華街、「ぶらくり丁」というアーケードのある商店街が校区内にある街の小学校でした。全校生徒数は覚えていませんが私の学年は4クラスありました。裕福なお店の子供達が多かったですが、私はそれとは無縁の当時の国鉄官舎のような木造の市営住宅で育ちました。
 何を言いたかったのか忘れてしまいそうですが、中学校も小学校も名前も場所も無くなってしまうということです。すでに育った市営住宅も無くなっていますし、友人と遊んだ場所は、小・中学校とボロ自宅しか思い出せません。中学を卒業後、和歌山市を出てしまいましたので、故郷の想い出の中で、小・中学校の存在の大きさに気付かされたこの頃です。


                   稲岡利春


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【本日の竹林風景】 ~Inaoka

 タケノコシーズン直前の優しい日差しが感じられるでしょうか?

・ホダ木に小さな椎茸が並んでいます
・竹炭用の竹材の準備です。玉切り→菊割り→節取り→結束と続きます。


・久しぶりの休憩風景です

・太陽の差し込んだタケノコさんの出る直前の太陽の丘です。
・自然薯畑の土均しです

・新物置です。ドラム缶が増えています。

・C竹林の伐採作業です。かなり間引かれてきています。

・C竹林(間伐竹林)のタケノコ掘りです
・分配中です。全部で3kg程度です。

【ご近所の風景】

・JR長岡京駅前の河津桜です。超早咲き桜ですね。

・天満宮付近の池の親・子・孫?カメです




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