2010年(前半) 竹の学校 活動報告

   杉爺の竹林日記  ・・・  「みどり児の竹」  2010. 6. 30
   杉爺の竹林日記  ・・・  「雨に濡れる竹」  2010. 6. 27
   杉爺の竹林日記  ・・・  「竹の学校二期目のスタート」  2010. 6. 23
   杉爺の竹林日記  ・・・  「平成22年度 総会」  2010. 6. 19
   $$$竹林日記 $$  ・・・  「古竹の間伐はじまる」  2010. 6. 16
   $$$竹林日記 $$  ・・・  「流れる汗を拭きながらの作業」  2010. 6. 12
   $$$竹林日記 $$  ・・・  「もしNPO法人でなかったら」   2010. 6.  9
   杉爺の竹林日記  ・・・  竹は乙訓で学ぶ」  2010. 6.  5
   杉爺の竹林日記  ・・・  「芽が出てくる」  2010. 5. 29
   杉爺の竹林日記  ・・・  「総会への地ならし」  2010. 5. 25
   杉爺の竹林日記  ・・・  「竹の二酸化炭素吸収力」  2010. 5. 22
   杉爺の竹林日記  ・・・  「竹の学校の基礎固め」  2010. 5. 19
   杉爺の竹林日記  ・・・  「アイヌ」  2010. 5. 15
   $$$竹林日記 $$  ・・・  「参加者総がかりの間伐―C竹林」  2010 .5. 12
   $$$竹林日記 $$  ・・・  「竹の学校の事務室」  2010. 5.  8
   $$$竹林日記 $$  ・・・  「タケノコの掘り納め」  2010. 5.  5
   $$$竹林日記 $$  ・・・  「長法稲荷のツツジの満開とタケノコ掘り」  2010. 5.  1
   杉爺の竹林日記  ・・・  「竹の秋は?」  2010. 4. 28
   杉爺の竹林日記  ・・・  「タケノコの品質」  2010. 4. 26
   $$$竹林日記 $$  ・・・  竹の学校 ファミリーデー」  2010. 4. 25
   $$$竹林日記 $$  ・・・  「にぎやかなタケノコ堀り」  2010. 4. 24
   $$$竹林日記 $$  ・・・  「タケノコ畑で茹でタケノコを作る」  2010. 4. 21
   杉爺の竹林日記  ・・・  「ジャンボタケノコはなぜ?」  2010. 4. 19
   杉爺の竹林日記  ・・・  「日記というもの」  2010. 4. 17
   杉爺の竹林日記  ・・・  「怪我」  2010. 4. 14
   杉爺の竹林日記  ・・・  「ボランティアではないのだ」  2010. 4. 12
   杉爺の竹林日記  ・・・  「武鹿悦子詩集」  2010. 4. 10
   杉爺の竹林日記  ・・・  25日をお忘れなく  2010. 4.  7
   杉爺の竹林日記  ・・・  「サクラ」  2010. 4.  5
   杉爺の竹林日記  ・・・  「薬用タケノコ」  2010. 4.  3
   杉爺の竹林日記  ・・・  「3月は去る」  2010. 3. 31
   杉爺の竹林日記  ・・・  「ヨーガと釈迦」  2010. 3. 29
   杉爺の竹林日記  ・・・  「竹に感情がある」  2010. 3. 27
   杉爺の竹林日記  ・・・  「タケノコ畑というもの」  2010. 3. 22
   杉爺の竹林日記  ・・・  「京都竹カフェの一年」  2010. 3. 20
   杉爺の竹林日記  ・・・  「たけのこ人工栽培」  2010. 3. 17
   杉爺の竹林日記  ・・・  「また春が来た」  2010. 3. 13
   杉爺の竹林日記  ・・・  「春はいつから」  2010. 3.  3
   $$$竹林日記 $$  ・・・  「受動喫煙と排気ガス」  2010. 2. 24
   $$$竹林日記 $$  ・・・  「竹の小柴垣」  2010. 2. 20
   $$$竹林日記 $$  ・・・  「焼却炉の火入式」  2010. 2. 17
   杉爺の竹林日記  ・・・  「明日は元旦」  2010. 2. 13
   $$$竹林日記 $$  ・・・  「雨の中の窯運び」  2010. 2. 10
   $$$竹林日記 $$  ・・・  「雪中の筍の初物」  2010. 2.  6
   杉爺の竹林日記  ・・・  「節分」  2010. 2.  3
   杉爺の竹林日記  ・・・  「雨が足りない」  2010. 1. 30
   杉爺の竹林日記  ・・・  「上田弘一郎著『タケノコ』」  2010. 1. 27
   杉爺の竹林日記  ・・・  「冬の集会」  2010. 1. 23
   杉爺の竹林日記  ・・・  「火縄」  2010. 1. 20
   杉爺の竹林日記  ・・・  「タケノコを擦る」  2010. 1. 16
   杉爺の竹林日記  ・・・  「人は死んだらどうなるのか」  2010. 1. 13
   杉爺の竹林日記  ・・・  「賀正」  2010. 1.  9

 


 

 

  ✲杉爺の竹林日記 ・・・「みどり児の竹」

 2010. 6. 30  杉谷保憲

 

竹林日記「みどり児の竹」2010・06・30(水)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、西村、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内。多田。塚崎。

今、今年竹が匂うように美しい。

タケノコの成長を保護していた皮は剥がれ落ちて、竹はすでに二十メートルにも伸びた。その皮(稈鞘)は根元に数枚残っているだけである。

稈は節がまだ白く、全体に薄い粉をふいている。その肌はみどりだ。

竹の写真集はたくさんあるが、この状態のものは見たことがない。

人間の赤ちゃんに“みどりご”という表現がある。それはどこから来た言葉か知らないが、今年竹はみどり児で、成長の最中にある。

タケノコが全て成長し終わるころ、梅雨明けと同時に地下茎が伸びはじめる。その頃が施肥の時期となる。

今日の作業は稲荷社近くの古竹の伐採。社殿などを傷つけないようにロープを使って、数人がかりで倒している。一方では新しい小屋作りが進行している。雑草の処理も進んでいる。

蒸し暑い。梅雨という雨期は竹にとって快適な気候のようだ。水分をたっぷり吸収して、竹稈のなかに蓄えている。

藤下勝作さんが竹林コンサートの日に空き地を貸してくれることを快諾してくれた。これで10月16日の輪郭がまとまってきた。

今日で今年も半分が過ぎることになるから、これから秋の行事に本格的に取り組まなければならない。

杉谷 保憲

 


 

 

  ✲杉爺の竹林日記 ・・・「雨に濡れる竹」

 2010. 6. 27  杉谷保憲

 

竹林日記「雨に濡れる竹」2010・06・27(日)雨

23日(水)、26日(土)は雨のため作業は中止した。今日も雨、梅雨が本格化した。作業のない日には竹林日記も発信しないのが通常であるが、竹について去来するものがしきりなので、パソコンに向かった。

中国が通貨「元」を固定から変動に変えた。これはどんな影響をもたらすだろうか?

元が値上がりすれば、中国の産品は高くなり中国からの輸出がいまほどの勢いはなくなるだろう。中国産タケノコ(水煮)が日本の市場を席巻してきたが、この現象は少し落ち着くことになるだろう。この機会にわれわれのタケノコが正当に評価されることを望んでいる。

昨今の新聞が報じているように、中国の農産物が農薬汚染に犯されている。輸出には不十分ながらも検査がある。それより以前の問題として自国民の健康を守らなければならないだろうに。

21日(月)に三条商店会に出かけて、そこの七夕祭りに竹を提供することを打ち合わせした。今後は世良田さんが中心になって進行させる。

23日(水)は雨の中、博国屋(ひろくにや)が竹の骨壷を持ってきた。地下茎を細工してペンダントとして使い、いつも死者とともにありたい(手元供養という)気持を形にしたものである。網谷さんが竹細工として対応してくれる。

24日(木)は小椋さんと京都府立大に行った。府立大には府民から研究テーマを募集する制度があり、それに“竹の二酸化炭素吸収について”の研究を応募したら採用された。はじめても説明会に40人ほどの人が集まり、竹の利活用にかんするいろんな意見が陳かいされた。

25日(金)は光明寺に出かけた。岡田、松井、須貝さんと一緒に、竹林コンサートに声明(しょうみょう)をお願いするため青年僧二人と話した。光明寺は西山浄土宗総本山であり、組織への配慮をしながらも面白い会話であった。若さとはトラワレルものが少ないことだ。愉快な気分になった。

私は宗教を苦手にしている。ただしそのなかでは、仏教の教えは私に比較的共感をもたらす。なぜなら仏教(神道もそうであるが)は自然から離れていないからである。

芸術や宗教が、頭に中でこねくり回すだけのものになっているのには疑問を感じている。自然があるからこそ生きているのであって、自然と離れてしまい、頭だけで悩みを解決しようとする姿勢に疑問を抱く。

26日(土)はコンサートの司会、藤村幸司さんたちが下見に来た。あいにくの雨である。昼食を共にすることにした。

過去3回のコンサートはそれなりに成功しているが、今年から新しい形、コンサートを中心にした“竹まつり”的になるだろうと、そんな話をした。昼間からビールを飲んだ。

朦朧として帰宅したところに稲岡さんがきて、TV番組『アインシュタインの眼―竹に秘められたミラクルパワー』をパソコンで見られるようにしてくれた。この番組はとてもよかったので、小椋さんに録画してもらっていたもので、これについては「竹の学校」のパンフレット(改訂版)に記しておいた。竹林コンサートの音が如何にいいかが理解できる。

今日18時45分~数度目の再放送がある。

今朝の京都新聞朝刊一面をみて、二日酔いが吹っ飛んだ。

古今東西の書籍に通暁している権威、松岡正剛氏が毎日1冊ずつ365冊を紹介するコラムに、拙著『京たけのこが教えてくれた』がとり上げられている。

竹稈が雨に濡れている。“艶っぽい”というと色ではピンクか黄色を思うが、竹が濡れるとみどりが艶っぽく映る。竹の油性が水分を弾き返すからであろうか。

                                                                                                                                       杉谷 保憲


 

 

  ✲杉爺の竹林日記 ・・・「竹の学校二期目のスタート」

 2010. 6. 23  杉谷保憲

 

竹林日記「竹の学校二期目のスタート」2010・06・23(水)雨

雨なので作業はできなかったが、「こらさ」で理事会を開いた。

参加者 杉谷、野本、小椋、世良田。網谷を招いて竹について参考意見を聞いた。

6月19日(土)の総会をもって、NPO法人の二期目がスタートした。

第一回理事会で要望が出たのは、業務をできるだけ多くの人に分担してもらいたい、次期には女性理事の登用の二点であった。

業務分担案が今日の第二回理事会ではさっそく検討された。

労務・たけのこ栽培担当 野本。
会計・竹祭り(竹林コンサートと一連の行事)担当、府立大での研究 小椋。
管理担当(会員管理、契約など)七夕祭り 世良田。
広報・HP担当  稲岡。

分担について、以下の会員各氏に了解をえたいとの希望があった。

野本→勤労動態記録(山本)。頒布、愛筍会(川路、原)。
小椋→コンサート(須貝)。ツアー(多田)。マーケット(網谷)。
伐採の先頭に立ちたいとの希望(世良田)。
七夕祭り(三条会商店街)のイヴェント説明(世良田)。
竹7本8月3日(火)搬入、8月10日(水)撤去
 ただしたけをの鮮度を保つ方法の実験が必要(調査―網谷)
役員改選に伴ない定款を変更し法務局に届け出(世良田)。

ともあれ二期目は全員野球の体制で進めていきたい。NPO法人竹の学校は定款やパンフレットで目的・性格を明示しているが、そのための地ならしは大体終えた。今期にはそれらが目鼻立ちくっきりとみせることになるだろう。

そして若い力がなにものにもとらわれず伸びていってもらいたい。

                                                                                                                                       杉谷 保憲

 


 

 

  ✲杉爺の竹林日記 ・・・「平成22年度 総会」

 2010. 6. 19  杉谷保憲

 

竹林日記「平成22年度 総会」2010・06・19(土)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、松本、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内、稲岡(利)、網谷。尾崎、大西、稲岡(喜)、原。
           島田、須貝。

  NPO法人竹の学校は設立して2年が経った。年一度の総会は錦織議長の手綱捌きが鮮やかで、議事はスムーズに進んだ。これらはいずれ議事録として残されるだろうから、ここでは触れない。

  理事選挙の結果によって新執行部が発足したことだけを記しておく。

任期 平成22年6月―24年5月

 理事長 杉谷
 理事(会計)小椋 
 理事(管理)世良 
 理事(労務)野本
 理事(広報・HP)稲岡
 監事 竹内、錦織

その場で開いた初めての理事会ではこれまでに見られなかった意見が出た。一つは次期には女性理事を誕生させたい。他の一つは理事に仕事を集中させないように、業務分担を広くしたい、と。もっともな意見であると思う。

私から10月16日の竹林コンサートの構想について22年度事業計画の中で触れた。添付の通りであるが、大風呂敷であるのでどこまで実現できるか、現在は見通しがつかない。

例えば、銭太鼓に「踊り」を加えたいがプロならともかく素人では無理だとこれまで私は思っていた。しかし説明している最中に、原さんからドジョウすくい踊りのできる人を知っているとの発言があった。

空想に近い案であるが、みんなの知恵を集めれば、案外広く展開するのかもしれない。

近頃“協働”が盛んになってきたから、各所の力を合わせたい。

                                                                                                                                            理事長 杉谷

 


 

 

 $$$竹林日記 $$ ・・・「古竹の間伐はじまる」

2010 6. 16 山 本  律

 

竹林日記 「古竹の間伐はじまる」 2010・06・16(水) 曇ときどき晴

参加者 : 竹林―西村、松本、竹内、吉田   こらさ―山本、杉谷、高田、野本、世良田、小椋

 きのうのメールでは 「明日は雨だから竹林作業は休み」だったが、あさ起きると薄日が差していた。
こらさグループは、19日の総会打合せ、決定事項の確認と意見調整。10時半ごろ、こらさを退出。


 竹林に戻ってみると、鋸で竹を切る音が聞える。やがて ばりばり、ばさばさ…という音とともに竹が倒れた。今年の間伐第一号である。


 雨さえ降っていなければ、いくら休みだとわかっていても竹林に出てくる人がいてくださる。ボランティアのボランティアたるゆえんであろう。


 給料目当てではこうはいかない。ありがとうございます。

                                                                                                                                        山 本 律

 


 

 

 $$$竹林日記 $$ ・・・「流れる汗を拭きながらの作業」

2010 6. 12 山 本  律

 

竹林日記  「流れる汗を拭きながらの作業」 2010・06・12(土) 晴

参加者 : 山本、高田、野本、窪田、錦織、世良田、辻井、小椋、竹内、稲岡、吉田、松本、澤。 川路、大西、高橋、原、              辻井ひで子、伊藤。 塚崎、てくてく村山。
 
 土曜日ということもあって、今日は参加者21人の大所帯である。結構なことだが、それにしても暑い。6月の中旬といえば普通ならとっくに梅雨に入っている時期だが、それらしい様子もない。天気予報では、あすの日曜日あたりから雨になる、というが、私の家の近くを流れる七ツ谷川は田の水引きのために、からからに涸れている。
 
 今日の作業は物置小屋の増築と、竹皮集めと焼却、花活け造りの三つ。前回の竹林日記で「物品倉庫の屋根の葺き替え」と書いたが、今日見ると、屋根の葺き替えどころか小屋の増築だった。いままでの小屋の、ほぼ倍近い大きさになる。

   
太い柱(竹竿)を立てて番線で結いつけて、棟上げとまではいわないが屋根を組んで竹の枝で葺けば、立派な広い小屋になる。流れる汗を拭きながら作業をする人たちのまめさと器用さにはほとほと感心する。
 
 竹の皮は、昔は生ものを包む包装材料だったが、いまはせいぜい鯖寿司を包むぐらいしか使いみちがない。竹の皮の草履も、いまではまったく見かけなくなった。山のように集った竹皮を、むざむざと燃やしてしまうのは惜しい気がするが、といって何に利用するかあてがない。

 また竹炭窯を焼却炉として夏場に使うのははじめてで、その焼却温度の高さには驚くというより閉口した。ほとんどを松本さんと、てくてくの村山君がやってくれたが、ご苦労さまでした。まだ二た山ほど残っているしこれからも集りそうなので、しばらく暑さではない熱さとの戦いが続く。
 
 花活け造りは、下絵の模様を描いた紙を張った上を、線に沿ってドリルや小刀ややすりで削ってゆく。
「わしみたいな短気もんにはできん仕事やなあ」と誰かが言った。穴をひとつあけるのに三日ぐらいかかることもあるという。確かに短気者には無理かもしれないし、    あれだけ神経を使えば、途中で休憩を取らないとできばえに響きそうな気がする。指導役の澤さんが「売り物にはしない」といわれるのもわかる気がする。

                                                                 山 本 律

 


 

 

 $$$竹林日記 $$ ・・・「もしNPO法人でなかったら」

2010 6. 9 山 本  律

 

竹林日記 「もしNPO法人でなかったら」 2010・06・09(水) 晴

参加者 : 山本、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内、吉田。
      塚崎。
 
 タケノコが終ると、物品小屋の屋根修理、竹の皮集め、今年の竹の年号書きなど、皆どことなく長閑に仕事をしている。

 この間から気がついていることだが、年号の中で、05、06、07が極端に少ない。
書き漏らしがあるのかとも思うが、それにしても少ない。少なすぎる。
 それに較べると08、09がやたらに多い。竹林の状況、筍の生え方に、何か変化があるのだろうか。
 
 今日(6月9日)の京都新聞洛西面に、杉谷理事長のエッセイが載っている。
それによると、この年号には重要な意味が出てきそうだ、とある。いまのところは、まだ足元が暗くて歩けない状態、つまりまだ研究が進んでいない、ある意味で手探りの段階だというが、孟宗竹は筍を採るだけで、竹竿には経済価値がないとみられていたのが、今後の研究次第では経済性が生れる可能性があるという。
 
  いまの私たちの竹林がそうした面で注目されるためには、公共性というか社会性を持つ必要がある。単なるタケノコ畑で終らせてはならない。法人化したために煩雑な事務作業が増えたが、将来のためには必要な作業と考えねばなるまい。                                                                                                                                               山 本 律

 


 

 

  ✲杉爺の竹林日記 ・・・「竹は乙訓で学ぶ」

 2010. 6. 5  杉谷保憲

 

 竹林日記「竹は乙訓で学ぶ」2010・06・05(土)晴れ

参加者 山本、杉谷、野本、窪田、澤、世良田、竹内、稲岡、吉田、 川路、尾崎、高橋、原

 竹構造の物置を建築する人たち、竹林内を清掃する人、竹に年号を記入したり、伐採竹に印をつける人、そして竹工芸の澤さんについて女性たちが鉈、かんなを使っている

 うららかな日和である。
竹の学校はたけのこ作りという基本工程を学び終え、新しい局面を迎えるところのようだ。今はその準備運動にみえる。

 モウソウチクが中国から移されてきて、この乙訓の地でたけのこ畑として定着した。
もう一方で、竹を使った茶室建築が花を咲かせたのも乙訓である。大山崎駅前の「待庵」は千利休が作った唯一の茶室だといわれ、そこには竹が知的に使われている。

 竹の学校がそんな高度の文化を目指すことは無理だと思うが、澤先生とその弟子たちの意気込みは並々ならぬもの。

 10月16日(土)の竹林コンサートでは竹の利活用品の展示場設置が検討されている。音楽だけではなく、竹についての情報センターの役目を果すことになるかもしれない。
                                                                杉谷 保憲

 


 

 

  ✲杉爺の竹林日記 ・・・「芽が出てくる」

 2010. 5. 29  杉谷保憲

 

林日記「芽が出てくる」2010・05・29(土)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、野本、松本、窪田、小椋、竹内、稲岡、澤、辻井。川路、尾崎、高橋(治)。塚崎。

  総会を前に会員に意向を確かめたところ、療養中の早川さんと熊谷さんから退会の申し入れがあった。その一方で入会(伊藤由紀子さん=旧姓安田)申し込みもあり、この月末は少し異動がある。

 古澤さんが久々に入山してきた。地域協働を研究している京都府立大の大毛さんを案内して。この女子学生は話し込むうちに、「私も竹林コンサートのスタッフになりたい」と言い出した。ミイラとりがミイラになるのか?いや新芽と考えよう。

  山本さんが今年竹に「10」と記入作業をしている。10とは2010年を表している。 「竹の学校」A竹林の竹にはすべて誕生年が記されてる。これはまもなく始まる京都府立大の「放置竹林整備にための竹材活用の研究」に役に立つ大きな芽である。

  研究の大枠は次のように考えられる。
放置竹林において1年生~5年生竹だけ残し、ほかは伐採作業をする。するとタケノコを生む光合成の盛んな(つまりCO2吸収の強力な)竹林がうまれる。

  これはやがてカーボンオフセットの認証対象になり、そのような整備竹林にはお金が入ってくる。(そのお金で伐採作業はプロとしてやることになるだろう。)


  伐採竹は新しい方式の窯で、強い竹炭をつくり、キレートマリーン(新製品)にして水質浄化につかう。(水問題は今後大きくなる。)

  こうして経済性を与えれば、放置竹林対策を強力に進めることができるだろう・・・。今後、この研究をリポートしたい。

   澤さんが竹の行灯を製作してきた。たまたま新パンフレットの校正にきていたオフィスサンの山口社長の目に留まり、パンフレットの表紙に使ってみたらと言う。その数点をコラサの事務室に持ち込んで、小椋さんが撮影した。

  あちこちに芽が伸びだしている。それぞれに期待したい。
                                                                                                                                             杉谷 保憲

 
 


 

 

  ✲杉爺の竹林日記 ・・・「総会への地ならし」

 2010. 5. 25  杉谷保憲

 

竹林日記「総会への地ならし」2010・05.25 (水)曇りのち小雨

参加者 山本、杉谷、高田、西村、松本、野本、世良田、小椋、竹内。塚崎。

   伐採大好きという西村さんが久しぶりに登場してきた。タケノコ騒ぎが収まるのを待っていたかのようだ。さっそくB竹林で心ゆくまで切っている。

   6月19日(土)9時半~11時半はNPO竹の学校の総会である。
2年が過ぎて役員改選である。大方の会員が選挙で選ぼうという意見であったので、選挙人・被選挙人、投票の仕方など面倒な取り決めが必要になった。

  竹の学校には会員名簿がある。NPOは希望者の入会を断れない。そのために入会したけれども、年会費を納めない人、作業に参加しない人が名簿に名を連ねている。これでは選挙人名簿にならない。

  不在投票はあるのか、委任状はどうするか、召集状、役務分担、議事次第、報告事項づくり、会場設営など七面倒な労力が要る。

 企業の時にはなんでもなくこなしていたことが、ボランティアではその作業が楽ではない。総会への地ならしはまだ続く。
  京都TVから連絡があって、来週から17時50分~5分ベルトで5日間放送するという。
                                                                                                                                            杉谷 保憲

 


 

 

  ✲杉爺の竹林日記 ・・・「竹の二酸化炭素吸収力」

 2010. 5. 22  杉谷保憲

 

竹林日記「竹の二酸化炭素吸収力」2010・05・22(土)晴れ

参加者 杉谷、高田、野本、(早川)、松本、小椋、竹内、稲岡、網谷。川路、尾崎、大西、原、稲岡(喜)、多田。塚崎。

  暑くなってきた。
竹の葉が再び散っている。今年は5月6日に散り始めたが、寒さがぶり返したせいなのか、一度は止まっていた。その落葉の再開である。藪蚊の発生も再開した。

  今日は肥料袋の整頓や“先とめ”作業。先とめは普通、竹稈をゆすって先端を折り落とすが、私たちが高齢になって力がなくなったので、竹稈にロープをむすんでゆらした。

  久々に顔を出した人がいる。
早川俊博さんは骨を痛めて力仕事ができなくなったといっていた。
伊藤由紀子(旧姓安田)さんは焼酎を携えて入山し、作業を手伝った。

   京都商工会議所から、第一回京都七夕祭りに協力依頼が来た。打ち合わせは6月1日(火)19時~。ご都合のつく方はご一緒にでかけてほしい。

   京都府立大学から平成22年度地域貢献型特別研究に「竹林拡大の解決のための科学的実践的学際研究」に取りかかる旨の通知がきた。

   これは京都竹カフェにおいて、 “タケノコ畑は二酸化炭素の吸収に力があるだろう”と私が主張していたことを、竹カフェが京都府立大の地域研究に提案・応募していたものである。

  二酸化炭素の吸収力は植物の種類によって違いがある。京都議定書では竹についてはカウントされなかった。それは多分、竹林面積がきわめて少ないからであろうと推察される。

  植物は若木であれば吸収力は強い。老木はほとんど力はなく、枯れ木は逆に二酸化炭素を放出する。だから森林は若くなければならず、植林しなければならない。面積だけでは計算できないし、植樹の経費を考えなければならない。

   竹の場合はどうだろうか?
タケノコ畑は1年生~6年生までの竹のみで構成されている。6年生以上の竹はタケノコを生まないので伐採されている。だから光合成の最も盛んな竹、つまり二酸化炭素を吸収する力に満ちた竹林である。

   その上、タケノコは自然に出てくるから、植林の手間(経費)がかからない。
竹の学校には、タケノコ畑と疎伐(枯れ竹を伐採)竹林があり、周囲には放置竹林が無数にある。
竹の二酸化炭素吸収の研究には最適の条件にあると思う。
                                                                                                                                            杉谷 保憲

 


 

 

  ✲杉爺の竹林日記 ・・・「竹の学校の基礎固め」

 2010. 5. 19  杉谷保憲

 

竹林日記「竹の学校の基礎固め」2010・05・19(水)曇りのち雨

参加者 山本、杉谷、高田、野本、世良田、竹内、吉田、松本。塚崎。

      ほとんどの人がタケノコ採取の後を整理する作業に携わり、高田さんは道普請をする。竹林がきれいになっていく。11時過ぎには雨になったので、早めに引き揚げた。

    竹の学校のパンフが少なくなった。パンフレットは色がきれいと評価されて(サポセンの古澤さんの話)、よく捌ける。そこで改訂版を作ることにして、原稿を竹内さん経由で印刷屋へ。未来志向型のレヴェルになった。やや難しいかなあ?

  竹林コンサートの準備にかかる。本番は10月16日(土)13時~

  今回は2部構成。
1部は竹林での癒しと健康増進――10分間体操と15分の笑い。これについての医師会の協力は今回は間に合いそうにない。

  2部はコンサート ――テーマは「祈り」
その準備に岡田美智代先生と演出家松井さんが動き始めている。

  今回の新機軸。コンサートのほかに、竹についての漢詩、写真展と竹工芸の展示をする。
漢詩や写真は作家たちが全面的な協力をしてくれる。

 竹工芸については、会員が製作中の竹行灯(あんどん)や網谷新会員の作品を並べる予定。手近なものとしては、松本会員の竹箒や足ふみ竹など。

  内外からもっとたくさんの作品を求めたい。
そしてこれらの作品は商品としたい。売るのは初めてであるが、そろそろ経済的な自立を試みたい。(これまでどおりに、プレゼントとして竹林からの贈り物も作ってください。)

  事務室が出来た。きれいな溜まり場である。
今日午後に、竹の学校の資料を長岡京市立多世代交流ふれあいセンターの2Fに運び込んだ。山本さん、世良田さんと私。

  6月からNPOをとして3年目に入る。竹の学校は手堅く基礎を固めつつある。
                                                                                                                                             杉谷 保憲

 


 

 

  ✲杉爺の竹林日記 ・・・「アイヌ」

 2010. 5. 15  杉谷保憲

 

 竹林日記「アイヌ」2010・05・15(土)曇り

参加者 杉谷、高田、野本、窪田、松本、錦織、(世良田)、澤、小椋、稲岡、辻井、網谷。川路、尾崎、原。塚崎、てくてく。

  暑くもなく寒くもない絶好の作業日より。遅れて出ているタケノコの処理と伐採。
今年はまだ発筍は続く。おかしなことに炭で固められた黒い作業道にシロコがでて、野本さんと川路さんが掘り出すのに気を使っている。

  コンサート会場予定の畑では伐採が行われる。松本さん、澤さん、網谷さんが古竹に取り掛かる。松本さんは絶え間なく口を動かしながら作業なので周囲が明るくなる。重い伐採竹を運搬する網谷さんの若さが爆発する。壮観。

  私は、長い間「竹林日記」から遠ざかっていた。その間、山本さんが執筆していたので楽をしていた。
タケノコシーズンが終ったら、北海道に行こうと計画していた。

1)       3人の孫に会う。
2)       アイヌ部落の訪問。
3)       シベリア関係の古本を探す。

孫たちとは楽しい時間であった。

   2)はかつて訪れた白老(しらおい)のアイヌコタンではなく、阿寒湖畔のアイヌコタンを目指した。ここも2度目である。
現役の頃、海外取材でまわった国々で、主目的の取材が終るとしばしば少数民族を訪ねていた。アメリカではアメリカインデアン、オーストラリアではアボリジン、タイではミャオ、中国では雲南省、貴州省でたくさん、黒龍江省では満族、そしてロシアではブリャートモンゴルやウデヘなど。

その経験は眠っていて、そのまま20年以上が経った。

  退職後、環境問題として竹にたずさわるようになってから、自然と人間の関係を考えるようになった。すると、おぼろげなあるイメージが立ち上がった。
これまで出会った少数民族はみんな自然を崇拝しているという事実。

   私のこれまでのアイヌ部落訪問はアイヌを差別問題や観光として知っていたに過ぎなかった。
狩猟民族としてのアイヌは自然を尊敬して、自然に抱かれて生活している。
私は阿寒湖までひとりで運転して来た甲斐があったと、湖畔に咲くエゾサクラに満足していた。

  ついでに書き加えておきたい。シベリア関係は私の趣味、これも20数年続いている。北海道にはこの関係の古本があるので、おカネは乏しいものの、漁った。

     北海道には竹がないのでその関係の古本は期待していなかったが、あったのである。ある学術書はあまりに高価で手が出せなかったが、収穫もあった。

ともあれ120点の北海道旅行であった。
                                                                                                                                            杉谷 保憲

 


 

 

 $$$竹林日記 $$ ・・・「参加者総がかりの間伐―C竹林」

2010 .5. 12 山 本  律

 

竹林日記 「参加者総がかりの間伐―C竹林」 2010・05・12 (水) 晴、風が冷たい

 参加者 : 山本、高田、西村、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、吉田、松本。稲岡(喜)。塚崎。
 
   空は明るく晴れているが風が冷たくて、まず焚火をして体を温めないと仕事をするのがおっくうだ。
誰かが「よう温めてやらんとエンジンがかからへん」と言った。だが、おとといと昨日の雨で燃料の竹が濡れていて、うまく燃え上がらない。何度も火をつけなおして、やっとエンジンが温まった。

  何度も、「タケノコ掘りは、きょうで終り」と言いながら、みごとなタケノコが次々と掘り出される。しかし、姿は立派だが見るからに硬そうな、もはやタケノコではなく、若竹といったほうがよいようなのが多い。それでも丹念に選り分けて大きな袋に詰めて帰る人が何人かいた。わたしも先日、ややそれに近いのをもらって帰ったが、けっこう軟らかくておいしくいただけた。
 
 C竹林で間伐作業が始った。しばらくすると西村さんが、「ロープはどこにある」、「はしごないか」と戻ってきた。現場に行ってみると、いまにも倒れそうな竹が、このまま切り倒すと鳥居にぶつかりそうに傾いている。鳥居のほうに倒れないように、はしごで傾いた竹を支える一方で、4、5人がかりでロープでひっぱりながら鋸で切り目を入れると、うまい具合に鳥居と反対の方向に倒れた。20メートル以上はあるおそらく100kgではきかない重さの竹である。

  
「やれやれ、うまいこといった。竹を切り倒すいうて鳥居を倒してみい、何を言われるかわからへんで…」
長法寺の氏神とあっては、1本の竹の間伐にも並でない慎重さが求められる。
                                                                                                                                        
   山 本 律
 

 


 

 

 $$$竹林日記 $$ ・・・竹の学校の事務室

2010 .05. 08 山 本  律

 

竹林日記 竹の学校の事務室 2010・05・08(土) 晴

参加者 : 山本、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、辻井、小椋、竹内、松本、澤。
      川路、尾崎、原。塚崎、村山(てくてく)。
 
 前回(5/5)の竹林日記に、きょうでタケノコの掘り納めと書いたが、きょう来てみると、まだ葉先の黄色いタケノコが何本か顔を出していた。

   
久保田さんが 「ええのがあったら2、3本ほしい」と言っている、というのでそれを掘り起しているうちに、ほかの人もまだ十分食べられそうなのを掘ってきた。しかし多くは鍬で根元から切り倒した。筍とすれば精一杯生きているわけで、かわいそうだしもったいない気もするが、切らずに残せば元の竹薮に戻るから仕方ない。人間のエゴを感じる。

 10時ごろ、TBSが竹林作業の撮影に来た。杉谷会長から、竹の学校の趣旨、目的や、向いの放置竹林の説明を聞いたり、タケノコ掘りの様子などを収録して行った。

 そのあと休憩をはさんで理事会が開かれた。会員の選挙権、被選挙権資格、総会の開催、今年の竹林コンサートの概略などについて意見を交わした。詳細は、追って杉谷会長から説明がある。

 理事会の延長として、こんど竹の学校が借りることになった長岡京市立多世代交流ふれあいセンター 「こらさ」の事務室の使い勝手の検分をした。竹の学校のスペースが2人分なのを見て、「これだけか…」といった顔をされたが、会議室や印刷機、コピー機を見て「これなら使えそうだ」と納得された様子だった。中には手持ちの資料を持ちこんで早速ロッカーに収納する人もいた。「使っているうちにいろいろ問題が出るやろうけど、そのとき考えることにしよう」が大方の結論だった。

 いままでなら、どんな資料があるのかも、どこにあるのかもわからないし、いちいち杉谷会長のお宅まで出向くこともなくなるわけで、こういうスペースは、なくてはならないと思う。  
                                                                                                                      
            山 本 律

 


  

 

 $$$竹林日記 $$ ・・・タケノコの掘り納め

2010. 5. 5   山 本  律

 

竹林日記 「タケノコの掘り納め」 2010・05・05 (水) 晴・うす曇
 
参加者 : 山本、高田、野本、世良田、小椋、稲岡、網谷。多田(親子4人)。塚崎。
 
  昨日あたりから優勢な高気圧圏内に入って、半袖でも汗ばむほど暖かい、というより暑いといったほうがよい。
 タケノコ掘りが一段落してホッとしたのか、きょうはいつもより参加者が少ない。私も朝寝坊をして、いつものバスに乗り遅れて竹林まで歩いた。おかげで竹林に入るまでにたっぷり汗をかいた。

    
タケノコ掘りが一段落したといっても、おとといの月曜日の作業が抜けたせいもあってほうぼうに黒くなったタケノコが頭を出している。中には、まだ穂先の黄色いのも混じっている。これはと思うのを掘り上げると、捨てるに忍びないような見事なタケノコだった。もちろん多くは掘り取ってしまわないと始末に困るしろものである。

  
多田さんとご子息の美鳳(いいお)君が形のよいきれいなのを何本か掘り上げた。しかし、次の土曜日は理事会だから今日が掘り納めになると思う。

 4月24日に入会の網谷さんが顔を見せた。竹の工芸品を作っておられるらしくて、水琴窟の水杓に興味を持たれた。きっと何かヒントを得られたのだと思う。「こういうものがあるのか…」                                                                                                                                                 山 本 律

 
 

 


  

 

 $$$竹林日記 $$ ・・・長法稲荷のツツジの満開とタケノコ掘り

2010. 5. 1    山 本  律

 

竹林日記 「長法稲荷のツツジの満開とタケノコ掘り」 2010・05・01 晴

参加者 : 山本、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内、稲岡、松本、澤(4/17入会)。稲岡(喜)。塚崎
      ダイハツ 6名、切明さんご夫妻(深草の竹林の持ち主)

 
 前回(4/28・水) 「タケノコ掘りは今度の土曜日で終りやろか、来週の月曜日も出んならんのやろか」という話になった。土曜日のタケノコの出かたを見た上で…、ということになったが、その土曜日、つまり今日のタケノコの出かたは、引き取り手を探さねばならないほどの量だった。

  
しかも、目印の竹串がまだほうぼうに残っている上に、串もさしてないタケノコがあちこちに真っ黒な頭を出している。月曜も出て掘ったほうが

  
よいだろうが、月曜まで掘らずにいればもっと大きくなって、缶詰用にするならともかく、とてもこのままでは食べられないということになって、タケノコ掘りは今日で終った。来週からは水曜と土曜の週2回、通常の体制に戻る。


 杉谷さんのいわく 「毎年タケノコ掘りの最終日は長法稲荷のツツジが真っ赤に咲いているころなのに、今年はツツジの盛りにまだこんなにタケノコが出る。どういう加減だろう」

 そういえば、今年はサクラも開花から満開まで過去に例を見ないほど日数が長いという。それでいて青森県は、やっと蕾がふくらみはじめたところだという。かねがね気づいていることだが、稚内でサクラが咲くと沖縄が梅雨に入る。今年はどうだろう。
 

 来週の土曜日5月8日に理事会を開く予定にしている。晴なら竹林の集合場所で行うが、雨のときは今度竹の学校が事務室を借りることになった「多世代交流ふれあいセンター(愛称こらさ)」で行う。しかし、ちょうどよい機会だから事務室の使い勝手を検分するために晴れていても「こらさ」で開くことも考えられる。事務室のある市民活動オフィスフロアには会議室があるから、かえって都合がよいかもしれない。

 ただしこれは私(山本)がそう思っているだけで、杉谷会長の判断を待つことにする。            山 本 律

 前回の竹林日記の参加者に 「ダットサン 4名」とあるのは 「ダイハツ 4名」の誤りです。
 私の無知をさらけ出したようなことでお恥ずかしい次第です。お詫びして訂正します。

 


 

 

  ✲杉爺の竹林日記 ・・・「竹の秋は?」

 2010. 4. 28  杉谷保憲

 

林日記「竹の秋は?」2010・04・28(水)晴れ

参加者 山本、杉谷、野本、世良田、小椋、竹内。塚崎。

  タケノコが終わりに近づく頃だが、昨日の雨でまだかなり顔を見せる。

  タケノコ終了と足並みを揃えるように、「竹の秋」が始まるはずだが、まだ枯れ葉が散る状態にはならない。

  去年、タケノコが終ったのが5月9日であった。その頃は“全山が枯れ葉に包まれる”景色であった。今年は果たしてこの情景が現出するであろうか?

  「親竹はタケノコを発生するために二年に一回、葉変りする・・・・二、四年の偶数年で葉変りし・・・三、五年目の奇数年目にタケノコをたくさん発生させる。なかでも三年目の発生力が最も高く、ついで五年目の竹となる。しかし五年目の竹の  地下茎は七年以上となっており、これは終ると・・・伐竹する。」

 上記は野中重之『タケノコ』(農文協)から引用した。

ま た、徳地直子(京都大フィールド科学教育研究センター准教授)が今年2月ごろ長岡京市のバンビオで講演された際に、竹の落葉の周期性(2年)について指摘されている。タケノコの表年(豊作年)と関係するかもしれない。

  われわれの竹林では、親竹の発生年が記されて管理されている。

  これからの10日間を注視したい。落葉のするのは何年生の竹であろうか?

 タケノコ終了のころになると新年度(6月~)の準備にとりかかる。決算、総会、竹林コンサート助成金申請に加えて、今年は長岡京市立多世代交流ふれあいセンター利用のこと(5月1日から)などである。

                                                                                                                                            杉谷 保憲

 

 


  

 

  ✲杉爺の竹林日記 ・・・「タケノコの品質」

 2010. 4. 26  杉谷保憲

 

竹林日記「タケノコの品質」2010 04,26(月)晴れ

参加者 山本、杉谷、野本、窪田、松本、錦織、世良田、竹内。塚崎。

 アイスランドの海底火山の爆発は地球のボディを冷やしたそうだ。そのせいか今日はやや温度が上がったが、肌寒い日が続く。

 山本さんが日記を二度(パソコンの故障により後の方はまだ発信されていない)と稲岡さんが昨日の家族感謝デーのことを書いてくれたので、私は久々になった。

 稲岡さんの記事にあった通り、昨日はシロコが数本採れた。現場でナマを齧ってみた。歯ざわりは梨で、味が甘い。それを湯がいて、稲岡夫人が持参してくれた。今日の昼食に私はそのシロコを食べた。初めてである。サラサラと食べられる。なるほど絶品、最高級といわれるのが理解できる。(キロ当たり8千円だそうだ。)

 3月末ごろに採れた、普通のタケノコが余りに良質のものであったので(写真は拙著『京たけのこが教えてくれた』の裏表紙にある)、なぜわれわれの竹林でこんな高級品が採れるようになったのか、不思議に思い書物を調べ続けていた。
その上にシロコの収穫である。

 学者の著作ではなく、農事試験場研究者の著作のなかにその理由を見つけた。

 普通、タケノコ畑は南斜面がよいといわれる。タケノコを早く収穫するためのはその通りであり、九州・四国ではこれを利用している。しかし品質でいうならば、水持ちのよい粘土で石ころがないところによいタケノコが産出すると論文は指摘する。これは京都の乙訓地方、北九州市合馬が適している。

 論文は更にいう。シロコは粘土質で石ころがなく、そして北斜面の畑にでやすいと。同じ粘土でも、南斜面と北斜面とでは水持ちが違い、北斜面がいいというのだ。
(論文はシロ粘土について、劣性遺伝については触れていない。)

 われわれの竹林はすべてゆるい北斜面である。今年のタケノコはとても質がよくなった。そこへシロコの出現である。
 まだ石ころが多いので不完全であるが、石ころ除去をすれば、高品質のタケノコ畑に生まれ変わるかもしれない。
今年で8年である。年期も影響するだろうけれども、この地球の冷え込みも作用しているのではなかろうか。

                                                                杉谷 保憲

 

 


  

 

 $$$竹林日記 $$ ・・・竹の学校 ファミリーデー

2010. 4. 25    稲岡利春

 

竹林日記 「竹の学校 ファミリーデー」 2010・04・25(日) 晴 暖かい

参加者 : 竹の学校 会員&ファミリー 約30名

  今日は、年に一度の竹の学校のファミリーデーということで、会員とそのファミリーで最高の天気にも恵まれ、タケノコ堀りを楽しみました。久しぶりに参加された方も多く、にぎやかな1日になりました。今年は早くからタケノコの収穫が始まったため、この日で最後だろうという予想で企画されましたが、今日も大漁で、例年と同じく5月の連休迄、続くことになりそうです。月曜も予定通りタケノコの収穫をするという事で、3日連続の作業となり、うれしい?悲鳴です。

 
 白子を掘ったと言うことで、杉谷理事長より代理の要請で、今日の「竹林日記」は日本語の苦手な稲岡が作成しています。ゴルフのホールインワンでもないのに、それはないでしょうと思いましたが・・・。

 白子ってどのくらい白いのか、白子のお値打ちは?ネットで調べてみました



 上左が通信販売の白子の写真です。こんなのなら、皆さん掘ってるじゃないですか!
 上右の
写真の今日の白子の白いこと!

   

 右は、通信販売の白子の中位のお値段のカタロクです。8000円/kg位でしょうか。

どうも今日のは本当の白子らしいです。「プロが管理した竹林でしか生まれない」とありましたが、100本に1本あるか無いかの確率ともありますので、地質や育て方の問題ではなく、世の中に美女が生まれる確立位ではないのかなと勝手に想像してしまいました。

 お値打ちも理解できたところで、お味の方に入ります。

 私も竹林整備に参加して5年目ですが、見るのも、掘るのも初めてです。理事長も食べたことがないということでしたので、スライスして、そのまま生で皆さんと一緒に頂いてみました。


 皆さんの感想は甘い、梨みたいといろいろありましたが、本当はやわらかく、まったくエグみのないタケノコでした。
 






特に【極上朝掘り白子京たけのこ】は、それぞれの山から少ししか取れない貴重な一品です。
(100本に1本あるか無いかの確率とも言われています。)
目で見て驚くほどの白さ。食べるとその甘さにも驚かされます
【日本一と呼ばれる「朝掘り京たけのこ" 白子"」をお客様のもとへ!!】
【送料無料】店頭では入手困難!
 ネット限定☆【極上朝掘り京たけのこ 白子】
 籠タイプ 約2kg(1~8本入り)16,300円 税込、送料込

 本当の白子の味は、プロが料理した京タケノコ料理ということなのかも知れませんが、我が家でゆがいて料理した結果を後日お知らせしたいと思います。
 西山の自然を守る、長岡京のタケノコ栽培の伝承、竹文化の創造のため、自分たちで食べるタケノコも掘って買うボランティア活動へのご褒美の日でした。

                                                      稲岡利春

 
 

      


     

 

 $$$竹林日記 $$ ・・・にぎやかなタケノコ掘り

2010. 4. 24    山 本  律

 

 竹林日記 「にぎやかなタケノコ掘り」 2010・04・24(土) 雨⇔晴

参加者 : 山本、(杉谷)、高田、野本、窪田、世良田、小椋、竹内、稲岡、松本。
      川路、尾崎、池田、稲岡(喜)、大西。塚崎、諸橋。新入会 網谷さん  (杉谷さんは「多世代交流ふれあいセンタ               ー(こらさ)」開所式に出席のため、竹林には入られたがタケノコ掘りはしておられない。)
      ダイハツ 4名。オムロン 3名。向日市のご家族 2名(子ども2名同伴)。
      日本語研修の外人4名( アメリカ、台湾、中国、ロシア、インド各1名 )付き添い3名。

 今日は、天気予報では一日じゅう晴マークで、降水確率0%なのに、朝から雨が降ったかと思うと雲間から陽射しがもれたりして、おかしな天気具合である。


 雨後の筍というが、前々回の月曜日、前回の水曜日に続いて、今日も抱きかかえるようなタケノコが大量に採れた。その中で稲岡さんが、みごとなシロコを掘り出した。この竹林でシロコが出るのは稀だが、それにしてもこんなシロコは、はじめてである。


 引取り手がないほど太いタケノコが大量に出たり、いままでにないみごとなシロコが出るのは今年の天候のせいだろうか。それとも私たちが竹林整備に精を出したからだろうか。
 
 日本語の研修に来ている外国の青年男女が、タケノコ掘りの実習にやってきた。


 台湾、中国から来た人はともかく、アメリカ、インド、ロシアから来た人たちは、タケノコどころか竹そのものが想像もつかない植物であろう。

まして土の中に埋っている竹の幼生を、異様な形をした道具「ホリ」を使って取り出す作業は、まさに珍しい以上の体験だったにちがいない。

それでも、竹の学校の「先生」がたの指導と協力で、かなり見事なタケノコを何本か掘り出した。

 次は、このタケノコをどうやって調理するかである。これは小椋さんが図解した印刷物を一人一人に配って丁寧に教えた。この人たちは食事をすべて自分で作っているという。日本語が必ずしも十分でないこの人たちのために付き添ってきた日本人の女性は、通訳に苦心されたことと思う。

 向日市からこられたご家族は、小学校1年の坊やがタケノコ掘りをしたいとせがむので、タケノコなら向日市よりも長岡京だと思って長岡京市役所に相談したらここを紹介されたという。隣町とはいえ、よその市役所に相談されるとは熱心な方がおられるものである。                                                                                                                                                                                     山 本  律

 
     ダイハツを美しくする会の皆さんです。
 

 


 

 

 $$$竹林日記 $$ ・・・タケノコ畑で茹でタケノコを作る

2010. 4. 21     山 本  律

 

竹林日記 「タケノコ畑で茹でタケノコを作る」 2010・04・21(水) 晴 暖かい

参加者 : 山本、高田、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内、吉田、松本。
      原、多田(いいねちゃん)。塚崎   ビジター 澤田さんご家族3名

 おとといが晴れてきのうが雨、そしてきょうが晴れ。と思うと明日からまた雨、そして土曜日が晴れ。まるで我々の作業に天気が合わせてくれているみたいである。

 さて今度の日曜日、ホームサービスデーはどうなるか。この調子だと天気のほうが我々に合わせてくれるかもしれない。

 竹濤庵の脇で雨ざらしになっていた鉄の大鍋を小椋さんがおろしてきた。
「タケノコが大きすぎて家では茹でられないから、この鍋で茹でて帰るのだ」という。

  
私はこんな大鍋が、なぜここにあるのかわからなかったが、もしかすると、タケノコを茹でるための鍋だったのか。ということは、かつてはここでタケノコを茹でていたのであろう。

 やがて、おとといほどのジャンボタケノコではないが、両手で抱えるほどのタケノコが
次々と運ばれてきた。小椋さんはそれを鍋に入れて茹でにかかった。

 鍋が大きくて水がたくさん入る上にタケノコが太いので、なかなか湯が煮立たない。時間は計らなかったが、たっぷり30分以上は茹でたと思う。

 ぺろぺろとむけた、どこか透明感のある「ひめかわ」を松本さんが口に入れて「甘い」と言った。いま掘り出したタケノコをその場で茹でて 「甘い」という。
 こういうのを「ぜいたく」 というのであろう。ぜにかねばかりがぜいたくではない。
                                                                                               山 本  律

 

 


 

 

  ✲杉爺の竹林日記 ・・・「ジャンボタケノコはなぜ?」

 2010. 4. 19  杉谷保憲

 

竹林日記「ジャンボタケノコはなぜ?」2010・04・19(月)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、野本、窪田、松本、錦織、世良田、竹内、吉田。多田。塚崎。

 今日も精力的に掘ったが、かなり残ったようだ。しかもジャンボタケノコが多い。
ジャンボはなぜ出るのか?

  太いタケには太い地下茎があり、そこから太いタケノコが出る。細いタケから細いタケノコが出る。ジャンボタケノコは太いタケからでるのである。
京都大柴田教授の説として、放置竹林でタケが密生すると、タケはストレスを感じで、強いタケが栄養を過大に吸収して太いタケができ、そしてタケノコがジャンボになるという。(人間社会のようだ)

 ただしこれはネットで読んだので信憑性は保証しがたい。ご本人に直接聞くつもりだけれども、今のところ機会がない。
拙著『京たけのこが教えてくれた』(P15)ではこの説を紹介した。

  もうひとつの説を見つけた。
野中重之氏(福岡県森林技術センター)は『タケノコ』(農文協)で、ジャンボは地形的要因によるという。「親タケは、谷あい部に近い適潤で有機物の多い北向き急斜面で大きくなる・・・」と記している。

  この野中説はわれわれの竹林で言えば、ベンチ南側の場所がそっくりである。確かに、先週も今日もここでは1メートル四方に10本以上のジャンボが採れた。

   しかしジャンボタケノコはわれわれの竹林ではいたるところからでる。特定の場所に限ることはできない。
部分的には柴田説も野中説も当っているが、全部を説明できていない。

  今後もジャンボタケノコの発生を注意深く見ていきたい。

                                                                                                                                               杉谷 保憲

 

  


 

 

  ✲杉爺の竹林日記 ・・・「日記というもの」 

 20 10. 4. 17  杉谷保憲

 

竹林日記「日記というもの」2010・04・17(土)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、野本、松本、世良田、小椋、竹内、稲岡、吉田、辻井。川路、尾崎、池田、原、大西、多田。             塚崎。

  この日もタケノコが猛烈でた。たくさんの会員が出動したが掘りきれない。ほかの竹林を眺めていると、豊作であるというけれども、われわれの竹林ほど出ているようには見えない。なぜなのか?解明したほうがよい。

 もうひとつ、なぜなのか、考えるべきことがある。

10時前後の休憩時間におかしいことが起こった。理事会で多世代交流センターと契約することが決まったと報告したら、その報告は竹林日記に書いてないと指摘があった。(悪気ではない)

  この竹林日記は長岡京市竹林友の会が発足してしばらくした後、私が個人的なメモとしてつくったものである。だから「日記」としている。そのうち、作業参加者名を記したり連絡事項を書いたりするようになった。作業日誌の趣きも加わって便利になったこともある。

  しかし原則は個人的な感想を述べる場にしているから、理事会の議事録代わりとするには無理がある。また参加者の人数も不正確なときがある。

  またメールをしない会員には届かない。そのことが気になって、NPOになってから、竹林日記をコピーして閲覧するようにロッカーに置いたが、誰も関心を示さなかったので、私は3ヶ月ほどで止めた。

  そんなわけで便利に使うのはいいけれども、なんにでも使えることにはならないように思う。一番いいのは休憩時間の報告をきちんと掌握することである。

 こうした組織上の問題はたくさんあり、私がすべて処理するのは無理がある。気がついた人がそれぞれに手をだして、解決する方がボランティア団体としては望ましい。

  ある団体ではガンジガラメノ管理体制をつくった。参加者が規約に違反しているとして諍いになってしまった。
といっても、われわれのように余りにゆるい形はもう限界かもしれない。そう感じた人は新しいやり方を提案してほしい。全員野球がのぞましい。

 報告風に書くならば、今年の竹林コンサートについては私に一任ということになった。演出家松井さんが来たので相談を始めた。

                                                                                                                                            杉谷 保憲

 
初めは集中しているのは判りますが、小さかったのに掘り進めると・・・下に続く

こんなに大量、しかも大型6.2kg!!
 
 

 


 

 

  ✲ 杉爺の竹林日記 ・・・「怪我」

 20 10. 4. 14  杉谷保憲

 

竹林日記「怪我」2010・04・14(水)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、野本、窪田、松本、錦織、世良田、竹内。稲岡(喜)多田。塚崎。

  多田さんの娘、いい音ちゃん(4歳)がタケノコ掘りをして、額にツルハシの先を当ててしまった。顔に流血し、痛いと泣いた。ベンチに横になって、血が止まるのを待つ。やがてパパも現れた。いい音ちゃんは元気を取りもどした。

   子どもが道具を扱うには慎重であらねばならない。昔の子どものことを考えるとあまり規制をするのも考えものだが、やはり予想できないことが起こり、今日ではそのことに対して管理責任をとらなければならない。子どもが安全に自然と親しむには“時代の違い”を認識することも大切だ。

  拙著『京たけのこが教えてくれた ――放置竹林の喜怒哀楽』(京都新聞出版センター)が刷り上った。
今日、会員には贈呈した。

  この10年間の取り組みを描いた。かつての事々を思い出す人や、あるいは竹の学校の歴史を点検する人がいることだろう。
私は書いたことによってまた一層考えさせられることが増えてきた。
書店にならぶのは4月28日である。

 タケノコが猛烈にでてくる。ジャンボタケノコが多くなった。例年なら4月末の現象である。今年はタケノコが早く出てきたから、早くジャンボ化(深くからでる)し、早く終るのだろうか?
午後も作業をする会員がいる。多忙を極めている。

エコツァーは朝倉会、ピロティ、朝日新聞など。

 昨日、竹の学校がABCTVで放送された(そうだ)。24日(土)の朝日新聞夕刊にも掲載される。

                                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 


 

 

  ✲ 杉爺の竹林日記 ・・・「ボランティアではないのだ」

 20 10. 4. 12   杉谷保憲

 

竹林日記「ボランティアではないのだ」2010・04・12(月)雨

参加者 杉谷。塚崎、安田。

  朝5時半。細かい雨が降っている。天気予報によると、長岡京市は微雨とあるので、作業実施の判断は難しかった

  拙宅の周りの竹林では、雨の中、三組がタケノコを掘っている。

  この三組のうちの二軒は天神通りでタケノコ専門店を開いているし、残りの一軒は市役所の通りで野菜の店を出している。

 6時、忙しくホリ鍬をあやつり働く人に声をかけた。

  私「この雨では地面を痛めるのではないですか?」
  雨の中で作業をすれば、やわらかくしてある土壌がグシャグシャになり、タケノコに悪影響を及ぼすのではないかと私は心配した。しかしこのひと言がホリの手を止めさせた。

  口々に意見が出た。
  「そやけど、それは4月の初めまでに言うセリフや。中旬になればそんなこと言っておれん。」
  「タケノコは今がカキイレドキ。今、掘らんとけば竹になるだけや。」
  「どの店も予約がいっぱい、これから十日間が勝負やん。一年をこの時期にかけとるんや。」
  「畑が傷んだら、夏に直せばいいんやさかいに。」

  われわれはボランティアとは違うのだと言われているような気がした。
  私はタケノコ掘り作業の中止連絡を出さなかった。

  10時から30分ほどは雨が止んだ。今日の入山者ゴラク会4名と朝日新聞カメラマンには適当に掘ってもらった。

  タケノコは芽をのぞかせたまま、たくさん残っている。

                                                                                                                                            杉谷 保憲

 

 


 

 

  ✲ 杉爺の竹林日記 ・・・「武鹿悦子詩集」

 20 10. 4.  10   杉谷保憲

 

竹林日記「武鹿悦子詩集」2010・04・10(土)快晴

参加者 杉谷、高田、野本、窪田、松本、錦織、世良田、小椋、竹内、稲岡、辻井。川路、尾崎、稲岡(喜)、原。塚崎、             安田、林。

  今日は千客万来、エコツァーには徳義会の少年たち、アヴローラ、ピロティ乙訓、オムロンを愛する会その他。

 好天に恵まれてタケノコは皆を楽しませてくれた。

 そのほかに朝日新聞と朝日放送の取材陣、これはメディアミックスという新しい試みで、新聞の夕刊とテレビ番組が連動するという。盛んに取材していたが、応対してくれたのは安田さんである。

 朝日新聞の記者が女流詩人を連れてきた。その名を武鹿悦子(ぶしかえつこ)さんという。

小 学校の教科書に彼女の詩が載っている。詩集『たけのこ ぐんぐん!』をいただいた。一人で読むのはもったいない

 たけのこ ぐん!
 たけのこが
   ぐん!
せのびして
つちをわったよ

 あたまに きらり
 つゆをのせている
 あさのおほしさんに
 もらったのかな

 たけのこ のびろ
     ぐん!


 今日の竹林の状況そのものである。

 この詩集のあとがきを読むと、作者は1928年生まれとある。とてもそんな年齢だとは思えない。目がキラキラして、身のこなしも軽やかである。心が若々しいと体も若いようだ。

                                                                                                                                             杉谷 保憲

 

 


 

 

  ✲ 杉爺の竹林日記 ・・・25日をお忘れなく

 20 10. 4.  7 杉谷保憲

 

竹林日記「」25日をお忘れなく2010・04・07(水)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、野本、窪田、松本、錦織、世良田、小椋、竹内。原、多田。塚崎。

 
気温が定まらない。昨日は暖かく薄着したが、今日は少し肌寒い。

  
ジャンボに近いものが多い。4月後半なら大型でもおかしくないが、今の時期は普通の大きさでありたい。ジャンボ級タ ケノコは掘り出すのに苦労する。

 
新居浜市から電話があって、「竹林をよくする会」を立ち上げたので、NPO法人「竹の学校」を見学したいといってきた。7月24日(土)バスで15人がくる。
放置竹林を整備する実践的なことを知りたいだろうから、できるだけ多くの会員が交流してほしい。

 
拙著『京タケノコが教えてくれた ――放置竹林の喜怒哀楽』(京都新聞出版センター、1575円)は4月28日に書店に  出ることになった。

放置竹林問題、ボランティア、タケノコと京タケノコ、そして竹取物語異聞などを書いた。

   本日の京都新聞(洛西版)にはシロコについて書いたので、京都新聞を読まない人のために、このメールに添付しておく。 

今年のタケノコは終わりが早そうだという人がいる。別に根拠のある話ではないが、今シーズンの最後は4月25日(日)と設定し、家族を招待して、一年を自由に働いたことに感謝する日とした。

竹の里から  「タケノコ一本一万円也」

タケノコが最盛期に入っている。一本、二百円のものもあるが、その一方で一万円のものもある。安いものは芽が地上に出て、濃い緑になったタケノコで、他地方産である。しかし一万円のタケノコは何から何まで違う。まずそれを説明したい。

これは京タケノコのなかでもシロコと呼ばれるものである。

京タケノコとは何だろうか?乙訓地方の粘土質の土壌から産れるもので、特有の栽培法=間伐(タケの間隔)、施肥、ワラ敷き、客土(土入れ)、先とめなど手数をかけたものである。そしてタケノコの収穫は、早朝に、芽が地上にでないうちに掘り出す。
この栽培・採取法は西山丘陵すなわち国道九号線沿いの大枝塚原から大山崎までの約10キロの竹林で行われている。乙訓産タケノコであるが、普通は長岡産、物集女(もずめ)産、塚原産など産地を冠して呼んでいる。これらは柔らかくて、水分がありかつ風味がある。それで充分おいしいのだが、そのなかでも特においしい味といわれるのがシロコである。
シロコはどうしてできるのだろか?

乙訓地方の粘土質土壌は赤味がかっている。その粘土からもシロコはでるが、地表から一メートルほど下にやゝ白い粘土層があり、その“赤土の中でもネバ土の白粘土”を竹林に客土する。するとそこからシロコが出やすい。シロコはモウソウチクの劣性遺伝、肉が白く、根元の赤い斑点がピンク色で、これが京タケノコの最高級品である。これは西京区大枝塚原地区が得意とするところであるが、いつでも出るというわけではなく、土壌の条件を整えても三分の一も出ない。

シロコはどこで手に入るだろうか?

四月一日、錦市場(四条通りの一筋北、寺町から高倉まで)を訪ねてみた。ここには野菜専門の店が数軒ある。九州産、四国産タケノコは片隅に追いやられ、店頭には京タケノコが幅を利かす。値段も跳ね上がり一キロ、三千円~四千円が主流だ。

シロコは店の奥に置いている。「一キロいくらですか」私の質問に対して店の人は「タケノコは顔・姿があり、キロ単位の値段はなんともいえません。」なるほどと思った。私もタケノコを掘っていると形が気になるから、この話を理解できる。さらに言う。「腰の張り具合もありますし・・・」彼も京タケノコに魅せられているようだ。

寺町三条に特選品ばかりを並べるT店がある。二キロばかりのタケノコ三本を化粧籠に入れたものに三万円と正札がついている。そんなタケノコのオンパレードだ。

私は一本一万円のタケノコを買う勇気はない。来年はなんとかしてシロコを栽培したい。

 

 


 

 

  ✲ 杉爺の竹林日記 ・・・「サクラ」

 20 10. 4.  5 杉谷保憲

                                                                                                                        

竹林日記「サクラ」2010・04・05(月)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、野本、窪田、松本、錦織、世良田、竹内。稲岡(喜)。 塚崎。

  松本敏雄さん(昭和16年生)が入会手続きをした。友禅染を生業にしていたという。貴重な技術を持っている。
入会する人はタケノコに興味を抱くのが普通であるが、彼は竹の枝で箒をつくったり、竹林の清掃や伐採竹の焼却に熱心である。

  そして口を開けば「有難うございます」という言葉が出てくる。
どこか私たちと違う存在である。

  世間の話題は満開のサクラである。
日本の古典で「花」と言えばサクラである。なぜこれほど愛される花であろうか。
軍国日本の頃はサクラの散るときが美しいと言われた。軍人の戦死を讃えるためであり、しばしば軍歌に歌われ、私はいまもたくさん覚えている。

  散るときの美しさもあるが、私にはそのことが主体だとは思えない。
やはり咲いている姿が美しいし、咲き誇っている時間が短い。

  すなわち生きていることの短さを意識して、その上で今、哀しいまでの想いで咲いている(=生きている)のが、日本人の琴線に触れるのだと考える。

  日本人の人生観であり、死生観である。
だから日本では花といえばサクラとされるのだろう。

                                                                                                                                           杉谷 保憲

 

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・薬用タケノコ」

 2010. 4.  3  杉谷保憲

 

竹林日記「薬用タケノコ」2010・04・03(土)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、世良田、竹内、稲岡、吉田、辻井。川路、尾崎、大西。塚崎、安田、林、松井、てくてく。

 晴れ上がった。その割には肌寒い。昨日まで小雨の日が続いたので、今日はタケノコがたくさん顔を出していた。
 エコツァーは一と百の会と長崎からの3名。

 タケノコ掘りは何度か経験している人たちなので、きれいに掘りあげる。今年のタケノコは姿がいい。
 竹の薬効について世間ではあまり話題にはならないので、私はいつも不思議に思っている。たとえば竹酢液を風呂に 少し溶かしておけば、アトピー性疾患に効果があるのに、実用化されないことを不満に思っている。

 タケノコを食べていると健康状態がよくなるのに、これも評価されない。タケノコが便通をうながすのは誰でも経験があ るはずだ。
 私は毎朝、二個の玉子焼きを食べることを幸せに思っている。二個は多すぎる。コレステロールが溜るので避けなけ  ればいけないことは誰でも知っている。そのため私はいつも上の目蓋に脂肪の塊のようなものが出来ている。

 三月末から4月にかけて、私はタケノコをいろんな料理で体内に入れる。するとどうであろう。1週間もすると、コレステロ ールのかたまりは目蓋から消えるのである。
 タケノコが健康に役立つことはサプリメントの役割どころではない。薬事法には取り上げられないが、まさに薬効である。
 
  うまくて、安くて、身になるタケノコ。春は私にとって健康増進のときである。

                                                                                                                                             杉谷 保憲

 

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・3月は去る

 2010. 3. 31  杉谷保憲

 

竹林日記「3月は去る」2010・03・31(水)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内。稲岡(喜)、原。塚崎、松本。

   休憩時間に理事会を開いた。多世代交流センターの件。

  保育所のあき順を待機している児童たち10人ばかりが入山した。タケノコを探して、見つけては大声で知らせてくれた。   昼の弁当をのぞくと、手の込んだ内容だ。お母さんたちの努力が偲ばれる。そしておにぎりを3つも頬張る幼児、旺盛な    食慾。力いっぱい遊んだのだろう。

 入会希望の松本さんは竹箒を作ってきた。かつての庭の清掃には欠かせなかった道具であったが、いまは見ることもな  くなったので、なつかしかった

  3月は終った。大相撲はバルトの大関昇進があり、プロ野球はタイガースの好スタートである。

  昼はサクラの開花を見たが、夜は満月であった。おぼろである。

  その昔、サクラは入学式に咲いていた。今はその頃は散ってしまっているようだ。このまま気候変動が進めば、卒業式  にサクラが咲くようになるかもしれない。

                                                                                                                                            杉谷 保憲

 
 

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・ヨーガと釈迦

 2010. 3. 29  杉谷保憲

 

竹林日記「ヨーガと釈迦」2010・03・29(月)曇り

   参加者  山本、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、世良田、竹内、稲岡、吉田、辻井、(松本)。塚崎、林、安田。

   今日の天気は春の椿事だ。  
朝4時、雨が降っていた。あわててインターネットの天気予報を調べると、9時から晴れマーク。9時にABCの取材班が到着した。私が「貴女は晴れ女ですね。」と本田ディレクターに挨拶するとうれしそうに笑った。

  しかし撮影が終る頃に、霙が降り一面白くなった。そんななか、“晴れ女”は一生懸命に仕事をこなす。その熱心さには感服した。今日の撮影の放送(6ch)は4月13日(火)19時45分だそうだ。

  エコツァーは地元長岡京市のヨーガグループ11名と子どもたちである。
私は冒頭に環境問題を説明し、ついでにヨーガについて話した。

  お釈迦様は悟りを開いて仏教をつくった。その仏教が出来る前に、インドにはヨーガをやるヒンズー教があった。釈迦はヨーガをやりながら座禅していたと思われる。

インドには竹がたくさんある。釈迦は第一号の寺院を開く。それを竹林精舎という。(よく知られている祇園精舎は三番目の寺院である。)竹林はそれほど精神生活に適している・・・。

  この人たちは掘る作業を丁寧にする。時間はかかったが、ずぶの素人が掘ったとは思えないできばえである。伝統的なヨーガをすると、なにごとにも丁寧になることは疑いない。

「初めてタケノコを掘ったわ。この町に20年も住んでいるのに。」

「竹林にはどこでも“入るべからず”と看板があるものね。地元にこんなところがあるなんて!」

 楽しい、楽しいと連発する。

  こんな声を耳にしながら、団体を結成した時のことを思い出した。

  竹林に素人が入って土壌を痛めたら、一年の作業が台無しになる。しかし環境問題を市民に知ってもらうためにはそのタケノコ畑に誘導した方がよい。

ではどうするべきか?

   板の遊歩道をつくって、その上を歩けば、土壌を固めてしまうことはあるまい。

さて、板を買うカネがない。

 市役所を口説いた。そして助成金をもらってきた。

 それが今、このように稔っている。市役所の皆さん、ありがとう。

                                                                                                                                             杉谷 保憲

 

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・竹に感情がある

 2010. 3. 27  杉谷保憲

 

 竹林日記「竹に感情がある」2010・03・27(土)晴れ

参加者  山本、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内、稲岡、吉田、辻井。川路、尾崎、大西、稲岡(喜)、             原。安田、林。

  久しぶりに晴れた。ただ気温はさほどに上がらない。
けれども、雨のため前回は掘らなかったので、かなりの収穫があった。

  タケノコの品質がいい。

   放置竹林整備をはじめたとき、地元の人たちがタケノコ畑にするには最低5年はかかると助言をしてくれた。それが8年目になった。
もうどこに出しても恥ずかしくない品質になった。特にベンチ側ではシロコに近いものが採れる。

   『植物は気づいている』クリーヴ・バクスター(日本教文社)を読んでいる。植物が人間の感情を感じていることを研究している。葉っぱにウソ発見器をつないだことが始まりとなって、いまでは事実であることが証明されてきた。

  この種の研究は植物学界から長い間認められなかったが、古くから世界のあちこちで散発的に論文が出ていたそうだ。

  竹も人間の行動に感応しているかもしれない。人間が近づいてきて、タケノコを掘ることを予知しているが、竹はそれを拒否しているわけではない。タケノコを全部育てるのは無理だと理解しているから。

  タケノコと地下茎は“へその緒”だけでつながっている。へその緒をきれいに切り離してやることが大切である。その技術の巧拙が竹を痛めなくて、かつ竹に納得してもらうことになる。

  その点、ホリ鍬はよくできている。
  そして・・・
  掘りあげたら、その穴に肥料を入れ、御礼をするというのも、自然の理にかなっている。

  竹―自然に感謝するという昔からの素朴な感性は合理性があるようだ

                                                                                                                                           杉谷 保憲

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・タケノコ畑というもの

 2010. 3. 22  杉谷保憲

 

竹林日記「タケノコ畑というもの」2010・03・22(月、休日)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、世良田、竹内、吉田。多田。塚崎。

   昨日午前は日本列島が黄砂に覆われた。黄砂は帯状に流れるのが普通なので、
これほど広範囲に広がって来ることは珍しい。太陽が白くなるほどだった。

   北京ではよく黄砂に出会った。道行く人たちはネッカチーフ状のものをかぶっていた。そうしなければ髪に砂が溜る。

   近頃の黄砂には工場から排出された物質が含まれているという。大気汚染である。量が多くなると、動物や植物に有害になる。

  今日もタケノコがたくさんとれた。姿もいいし味もよい。

  A竹林はタケノコ畑として、間伐はもちろん、ワラシキや客土や施肥をしている。

  しかし隣のC竹林は放置竹林を間伐しただけである。ここにもタケノコは生える。

  しかし量的にはタケノコ畑の五十分の一程度であろう。それよりも姿かたちに違いがあり、瑞々しい。C竹林にでるタケノコは痩せていて、いかにも硬そうである。

  タケノコ畑は労力と経費がかかっているが、その効果は明瞭である。
この栽培法(京都式軟化栽培)を開発してきた乙訓地方の先人たちに敬意を表したい。

                                                                                                                                           杉谷 保憲

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・京都竹カフェの一年

 2010. 3. 20  杉谷保憲

 

竹林日記「京都竹カフェの一年」2010・03・20(土)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、野本、窪田、稲岡、吉田。川路、尾崎、稲岡(喜)、原、大西。塚崎、安田。

   「花疲れ」という言葉があるそうだ。私は知らなかったが、その意味は、温かい日と寒い日が気まぐれに訪れて、疲れた気分になるということだそうだ。

どうもタケノコが“花疲れ”をしたようだ。先週はたくさん出たのに、「今日はあまりお目にかかれません」と言う声がする。

  今年、入会した大西さんは感激したの気分一杯のメールをくれた。 ――タケノコを持ち帰って料理しました。掘りたて京タケノコのおいしさに驚嘆し、メールをする次第です。タケノコ掘り初めての経験でしたが、このやわらかさ、風味も初めてです。

  たくさんの人が、遠くからも一年中、長岡京市まで作業に通っているわけが納得できました――

  今日の竹林日記は実は翌日に書いている。前回は酔っ払いの状態でパソコンに向かった。あとで読み返したら、文意が通っていないところがある。それに懲りて、昨夜はアルコールが胃に大量に入っていたので、そのまま寝て、今、朝早く起きだして昨日のことを記している。

京都竹カフェの全体会議が同志社大で行われた。竹カフェ創設後一年のまとめである。竹の学校からは山本さんが参加して熱心に聞いていた。

  たくさんの報告があった。話題提供も、竹炭を畑にすきこみ野菜栽培する実験や竹炭のドロ団子(キレートマリーン)で水質浄化する実験などもあった。

  私が注目したのは藤井透氏(同志社大理工学部教授)の質疑応答のなかの発言 ――竹繊維の工業的活用の研究を続けてきた。経済的な面からみると望みを持つことが難しい。 ――という述懐である。

  竹カフェは放置竹林対策を念頭に置いて活動してきた。
その竹カフェのなかで、私は「竹炭以外の利活用分科会」のリーダーを努めてきたが、全く同感であった。

                                                                                                                                            杉谷 保憲

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・たけのこ人工栽培

 2010. 3. 17  杉谷保憲

 

竹林日記「たけのこ人工栽培」2010・03・17(水)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、西村、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内、吉田、辻井。多田。

  朝日放送の番組下見があった。来週の撮影という。

 竹の学校の存在は近頃マスメディアの知るところとなり、朝日新聞(大阪)やNHK(東京)からの電話取材も続いている。
両者ともねらうところがユニークである。

 朝日新聞はタケノコが成長するときに音を出すのではないだろうかと考え、それを竹の学校で実証できないかと持ちかけてきた。
NHKは竹林セラピーの可能性を探ってきた。
両者とも面白い着眼点である。

  それに比べれば、来週の朝日放送の撮影は地域の風物の紹介である
上海万博では野菜の人工栽培が日本の農業技術の目玉となるだろう。

農業の工業化が進んでも、タケノコは大きい図体なので、温室栽培をするわけにはいかず、いつまでも旬の食品の位置をキープすると私は考えていた。

  しかしどうも雲行きが怪しい。アグロテクノロジーは竹を小さくしてタケノコを生む技術を開発するかもしれないと空想する。

 A竹林では、今日もタケノコがよく収穫できた。

 その一方で、B竹林ではわき目も振らずに、枯れ竹の焼却が進んでいる。放置竹林整備の真骨頂である。
竹の学校は伝統保持に脇目も振らない。

 京都府庁の地域力再生助成金の説明会がバンビオであった。

                                                                                                                                             杉谷 保憲

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・また春が来た

 2010. 3. 13  杉谷保憲

 

竹林日記「また春が来た」2010・03・13(土)曇り

参加者 山本、杉谷、野本、窪田、錦織、世良田、竹内、稲岡、吉田、辻井。尾崎。塚崎。

   集まった12名の頬はゆるんで、笑い声がいつもより高い。

  タケノコが出ているのだ。今日は事実上の初掘りである。ただし一昨日雨のなかで数名がタケノコを掘ったので、初掘りの今年の記録は10日としなければならない。

   例年より10日も早い。気温はそんなに上がってはいないが、3月初旬に雨が多かったせいだと思う。

   例年であれば4月に入ってからの予定の「(月・水・土)タケノコ掘り」体制を来週から組むことに決めた。皆さん、月曜出勤を忘れないで!

   エコツァーは土曜日の申し込みが多く、すでに満杯。しかし月・水にはまだ余裕がある。調整役の小椋さんは頭が痛いだろう。

  現場でのタケノコ販売の責任者を決めた。
 (月・水は錦織さんと竹内さん)、(土は原さん)が現金と書類を経理担当の世良田さんに渡す。

3月初旬に雨が多かったせいだと思う。世良多さんは竹の学校の運営費が稼げるのかどうか、心配そうである。

  会員個人の買取りは野本さんが調整する。
「愛筍会」については川路さんの手があいたら相談する。

  今日はシイタケもたくさん採れた。原木栽培はとても気持ちのいいものだ。

  天候がこの調子なら、今年はサクラも早いだろう。
また春が来た。
 うれしいような、その反面、うれしくないような思いもある。

 来週土曜日(20日13時30分~)竹の現状について考える集会「竹カフェ全体会」が今出川の同志社大寒梅館である。私も竹の二酸化炭素吸収について報告する。
竹の学校の皆さんの参加を望む。

                                                                                                                                          杉谷 保憲

 
 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・春はいつから

 2010. 3. 3  杉谷保憲

 

竹林日記「春はいつから」2010・03・03曇り

参加者 杉谷、高田、西村、野本、窪田、世良田、小椋、竹内、辻井。多田。塚崎。

  3月になった。私もやっと少し自由な時間ができたので、竹林作業に復帰した。

タケノコが数本出ていた。

今日は雛祭り。私の近所の農家には、雛祭りにあわせてタケノコを出荷しているところがある。
しかし、私たちの竹林は例年、3月中旬、下旬に初ホリするので、こんなに早くタケノコを見るとは!

私はよく錦市場を訪れる。今週月曜日(3月1日)には九州産、四国産のタケノコが並んでいた。


「京都産はいつ頃になりますか?」
「そやねェ。3月25日頃でっしゃろ。」

私も同感だったのに、今年の春は早い。

  シイタケもよく取れた。数日前の雨はタケノコにもシイタケにもいい影響を与えたようだ。今年は豊作になりそうだ。

  昨日、京都府では地域力再生の助成金をまた3年間続けると発表した。
会合に出席すると、京都府内の女性たちが地域力の助成金を活用して、それぞれの地域を盛り上げている。古代京都ではなく、現代京都の息吹が感じられた。

                                                                                                                                             杉谷 保憲

 

  


 

 $$$竹林日記 $$ ・・・受動喫煙と排気ガス

2010. 2. 24  山 本  律

 

竹林日記 「受動喫煙と排気ガス」 2010・02・24(水) 朝靄→晴れ

参加者 : 山本、杉谷、高田、西村、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内、吉田。多田、(いいね)。
 
 朝のうちは濃い靄がかかっていて山が見えなかったが、9時過ぎころから穏やかな青空になった。春といえば誰しもサクラの季節を思い浮べるが、2月になるといかにも春を思わせる日がある。春近しという感じである。昨日今日がそれである。3月のほうが雨が多くて肌寒い日が多い。日本はこうして季節が移ってゆく。

 山に靄がかかるのを見て春を感じ、風鈴が風で揺れるのを見て秋を感じる…。こんな季節の移ろいを味わえる国は日本だけではなかろうか。
 
 今日はさしあたっての作業がないので、皆のんびりと思い思いの仕事をしている。 ということで、今日は竹林と関係のないことを書いてみる。
 
 最近「受動喫煙」がブームになっている。自分はタバコを吸わないのに人のタバコの煙で健康を害するという。タバコの煙、匂いがいやだ、と言う人は確かにいると思う。
だが、そのために健康をどう損ねたかは、あまり聞かない。自分がタバコを吸うからこんな身勝手なことを言うのか、とも思うが、考えてみると、車の排気ガスのほうが、量からいっても、ガスに含まれる有害物質からいっても、タバコの煙より影響が大きいと思う。だのに「受動排気ガス」という言葉は聞いたことがない。
 ある人から聞いた話だが

   「京大の医者と話をしていて、その医者が『タバコを吸って健康を損ねるのは若いうちだ、あなたの歳でタバコを吸ってその元気なら折角の楽しみを捨てることはないよ』と言われてホッとした」
それを聞いた私も救われた思いがした。
 
 里見 弴という作家がいた。九十六歳で亡くなるまで盃とタバコを手から離さなかったという。私も盃とタバコは縁が切れない。96歳まで生きたい、生きようとは思わないが里見弴のような生き方は羨ましいと思う。
 タバコを吸わない人ゴメンナサイ。                                                                            山 本  律

 


  

 

 $$$竹林日記 $$ ・・・竹の小柴垣

2010. 2. 20  山 本  律

 

竹林日記 「竹の小柴垣」 2010・02・20(土) 晴れ

参加者 : 山本、高田、野本、世良田、辻井、小椋、竹内、稲岡、吉田。
      川路、尾崎、原。塚崎、てくてく山村。
 
 2月も下旬となると、めっきり春めいてくる。今日は風もなく空が明るくて、いかにも春近しを思わせる。
珍しく吉田さんが顔を見せた。

 水曜日に据えつけた焼却炉で古竹を燃やした。だが前回ほどうまく燃えない。炉温まるまでに案外時間がかかることに気がついた。いったん炉が温まるとあとは何の手間も要らない。前回も書いたが燃やすものの補充に追われる。

 入口の小柴垣に、半分に割った竹がかぶせられた。前回見たときも、いい趣きだ、と思ったが、割り竹を載せるといっそう趣きが増す。
 誰かが 「きれいな女性を立たせたら祇園の料亭みたいやんか」と呟いた。

 小学校の同級生仲間が“いざよい会”というグループを作っているのでエコツアーを紹介した。幹事との話で「4月12日の月曜に」とまで話が決って、杉谷さんに報告して杉谷さんも「月曜日のエントリーははじめてです、ぜひ…」と言って下さっていたのに、いざ蓋を開けてみると、ほとんど全員が不参加で、折角の計画がオジャンになった。
その理由がなんと
「ほとんどが女性で、朝9時30分に阪急長岡天神駅集合は早すぎる。主人の朝食の準備ができない」
だった。

 私の同級生だから、年齢はみな78歳である。そのご主人なら、80歳前後だろうとは思うが、それにしても、主人の朝食の準備ができないからエコツアーに参加できないはなかろう。ちなみに私自身は、自分の朝食は自分で準備する。

 それを聞いた近所の奥さんが「それは筍を調理するのがいやなんですよ。わたしもあれはかないません。女は自分で調理をせずに食べたいんですよ」

と言われた。―‐なるほどそういうものか、と思った。
 そういえば団体ツアーの参加者の多くは女性である。         
                                                                                                                                               山 本  律

 


 

 

 $$$竹林日記 $$ ・・・焼却炉の火入式

2010. 2. 17  山 本  律

 

竹林日記 「焼却炉の火入式」 2010・02・17(水) 晴れ
参加者 : 山本、高田、西村、野本、窪田、錦織、世良田、辻井、小椋、竹内。塚崎。

 けさ8時少し前杉谷さんから 「きょうは休みます。竹林日記をお願いします」
という電話が入った。幸い家を出る直前だったのでよかったが、もう数分おそかったら間に合わないところだった。

 先々週の土曜日、雪の中で筍の初物がとれた日もそうだったが、今朝も冷え込みが厳しくて、水槽もバケツも氷が張っていた。それでも昼近くには、さしもの寒さも緩んで作業が楽になった。 先週の水曜日、8人総がかりで運びおろした古い竹炭窯を組立てた。

 場所は、いままでの焼却場所。ただしここは竹の燃え殻(消炭)が取りきれないほど溜っているので、そこに焼却炉を造るわけにゆかない。そこから少し離れた空き地を掘り下げて炉を組立てた。

 組立てを終って、「火入式をしよう」ということになって、B竹林で竹の伐採をしている高田さん、世良田さん、西村さんの3人以外の8人が、ひと口づつ日本酒を口にした。
誰が用意したのか、ちゃんとお燗のついた温かい酒だった。ほとんど飲み終えたころ
「炉に酒を供えなあかんやんか」と声がかかって、わずかに残っていた酒を焼却炉に振りかけて無事を祈った。生き神のほうが口がいやしい。

 火をつけて燃え上がる焔を前に、一同、炉を囲んで写真を撮った。
割った枯竹と、青い竹を割らずにそのまま炉に入れたが、いままでは竹を横にして燃やしていたのを縦向けにして燃やしたことと、炉の底に火格子が入っているために風がよく通ることもあって、見る見るうちに燃え尽きて、補充に追われるほどだった。

そして縦に入れたせいもあってか、ぼん という節の隔壁が抜ける音がするだけで、竿が割れるときの、あの激しい破裂音がまったくなかった。

 何よりも助かったのが燃え殻の後始末である。焼却炉の中は燃え殻(消炭)がなく灰があるだけなので、焼却が終ったあと水をかける必要がなく蓋をするだけでよい。

 延々とホースを伸ばして水を溜めることも、バケツで水を運ぶことも要らない。「なんでもっと早うにせえへんかったんかなあ」と、皆が異口同音に話し合った

  ただ注意せねばならない点は、一度に多量の竹を投入してはならないことである。かつ、燃え方が激しくて速いから、目を離してはならないことである。

 物を燃やすのだから当然といえば当然だが、この点はいままで以上に注意が必要である。

 それにしても、焼却担当にとって、いままでとは様がわりに作業が楽になりました。ありがとうございました。                                                                       山 本  律

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・明日は元旦

 2010. 2. 13  杉谷保憲

 

竹林日記「明日は元旦」2010・02・13(土)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、野本、世良田、小椋、竹内、辻井。川路、尾崎、池田、原、多田。塚崎。

  竹工芸にメンバーがこんなに熱中するとは予想しなかった。今日も数人が、竹の花瓶づくりに没頭している。
辻井さんの指導がいいのだろうか?

 一人で作業するよりたくさんでする方がやりやすいのであろうか?楽しそうだ。
京都府庁に投書があったことを報告した。無関係の放置竹林を伐採した落ち度は当方にあり、後始末はきちんとしたつもりであったが、残念なことである。

 明日は旧暦の一月一日である。中国で言う“春節”だ。子どもの頃には農事暦があった。それは旧暦でできていた。

 旧暦は中国で古くに、農暦といわれたもので、東アジアの農業に便利であった。しかし戦後の日本では旧暦はすっかり忘れられた。
私はタケノコ栽培に携わるようになってから、子どもの頃を思い出して、旧暦に関心を寄せている。

 お正月に“初春”とか“新春”という言葉を使う。新暦の一月一日に“春”というのは早すぎるが、明日、“新春”というのは季節にぴったりである。昨今の樹木には芽がふいている。

 新暦の一月七日に七草粥を食べようとすれば、材料はスーパーや百貨店で求めなければならないが、旧暦で考えれば、七草=せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろを野山で見つけることも出来よう
七草粥の日は新暦の2月20日である。

                                                          杉谷 保憲

 


 

 

 $$$竹林日記 $$ ・・・雨の中の窯運び

 2010. 2. 10  山 本  律

 

竹林日記 「雨の中の窯運び」 2010・02・10(水) 雨

参加者 : 山本、西村、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内
 
 朝起きたとき、まるで山が見えず、霧がかかっているのかと思ったが、山が見えない
ほど低く雲が垂れこめているのだった。果して雨が降りだした。春雨じゃ濡れてゆこうというには、ちょっと風情がないし、何より作業に雨はじゃまである。

 降ってはやみ降ってはやみする小雨の中を、古くなった竹炭窯をいままで間伐竹を燃やしていた場所に運んで間伐竹を燃やそうということになって、窯の解体と運搬を、8人総がかりでやった。

 ことのおこりは、燃え殻の消火作業に手間がかかるのと、処理に困るほど燃え殻が溜ったことにある。いっそのことここに焼却炉を作って、灰になるまで燃やしきったら、という話から古くなった竹炭窯を持ってくることになった。

 竹炭窯で燃やすぶんには、ドラム缶に水を溜めておかなくてもよいし、バケツで水をかける手間も省けるし、残った灰は畑の肥料になる。多分野本さん、小椋さんあたりの発想であろう。
雨が本降りになったので、全員がテントの下で、筍の目じるしの竹串作りをした。

200本はいるだろう、ということで作りはじめて、100本近くできた。

 去年の竹串が倉庫の屋根の上にたくさん載せてあるが、新しく生える筍にはやはり新しい串がよい。
 
 小柴垣が、竹林の入口に姿を見せはじめた。まだ数メートルだが、これから追々と延ばして行く。

 竹林整備というのは古くなった竹を間伐するだけではない。文字どおり「整備」するのである。竹林を住民の方に身近なものとして感じていただくためにも、環境作りには力を入れたいし、入れねばならない。水琴窟もその一つである。

 単なる筍畑で終らせたくはない。                                                             山 本  律

   


 

 $$$竹林日記 $$ ・・・雪中の筍の初物

 2010. 2. 6  山 本  律

竹林日記「雪中の筍の初物」 2010・02・06(土) 雪

参加者:山本、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、世良田、辻井、小椋、竹内、稲岡。
     稲岡(喜)。塚崎。てくてく村山。
 
 立春を過ぎると時候の挨拶が、寒中から「余寒」に変る。その余寒が今年初めての雪になった。朝8時過ぎに杉谷さんから「今日は雪だから作業を休止しましょう」とメールが入ったが、時すでに遅し、皆さん竹林にご出勤。そういう杉谷さんも作業はされなかったが、出てこられた。てくてくの村山君までが今年初めて顔を見せた。
しかし、さすがにこの寒さとあって、皆、焚火のそばを離れたがらない。

 そのうちに、稲岡喜美子さんが 「ほり」を持ち出した。
「いまごろ ほりなんて何すんね」
「筍が出てるのよ」

 自転車置場にするために道端の空き地を掘り返すと、地面のすぐ下に延びていた地下茎から筍が2本、顔を出していた。1本は小さかったが、もう1本は20㎝ほどの形のよい、きれいな筍だった。この季節になると、四国あたりの早場の筍が出回る。

    
いま掘った筍は、それとくらべても見劣りしない。
「今年は豊作とちゃうか」―‐みな期待に胸をふくらませている。杉谷さんが、何枚か写真を撮った。

 それにしても、きょうは寒い。気温はそれほど低くはないようだが風が強くて冷たい。
いわゆる体感温度が低い。                                                                   山 本  律

 
 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・節分

 2010. 2. 3  杉谷保憲

 

竹林日記「節分」2010・02・03(水)曇り

参加者 杉谷、高田、西村、野本、世良田、竹内。稲岡(喜)。塚崎。

  B竹林では疎伐が終わったが、まだかなりの数の竹が立っている。タケノコ栽培をしようとすれば竹を三分の一に減らさなければならないが、炭を焼くにはこの程度でよいだろう。
伐採竹の焼却作業が続いている。

  A竹林では休憩時に、いろんな構想が陳開された。
野本さんは通路の両側を枯れ竹の枝で垣を作りたいという。
世良田さんはタケノコ畑を拡大するためにロッカー3基を移転させたいという。

  いずれも竹林美化につながっていく案である。2月はタケノコ栽培にとっては農閑期であるが、みんなの熱心さに頭が下がる。

 11時ごろから、雪がちらついてきた。少し寒くなった。
今日は節分である。
天満宮では鬼がでるそうだ。豆まきが楽しめる。参拝してこよう。

                                                                                                                                  杉谷 保憲

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・雨が足りない

 2010. 1. 30  杉谷保憲

 

竹林日記「雨が足りない」2010・01・30(土)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内、稲岡、辻井。川路、尾崎、大西、原。塚崎。


  タケノコ栽培の基本作業は終った。周囲のタケノコ畑も準備を終えて、静まり返っている。
A竹林ではこまごまとした補修に移っている。

  竹工芸は盛んである。五、六人が竹の皮をはぎ、肉の部分を研磨している。「面白いなあ」を連発して、黙々と細工仕事に熱中している。
焼却も続いている。

  B竹林では間伐に取り組んでいるが、積みあげられた伐採竹の焼却も相変わらず、膨大にできる炭を畑に埋め込むのだそうだ。
 また雨水をポリタンクに溜めるための集水装置をつくっている。

  今日も青空が広がり、気温が上がった。この暖かさなら、今年の初筍は早そうだ。
ただ心配なのは雨量が少ないことだ。

  タケノコは水分を好む。
「沼田真博士の実験によると、マダケが一日に吸い上げる水量は4キロになるという。モウソウチクはマダケより葉の数も多く、根の発達もよいのでこれよりもっと必要とするだろう。」(上田弘一郎『タケノコ』農文協より

                                                                                                                               杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・上田弘一郎著『タケノコ』

 2010. 1. 27  杉谷保憲

 

竹林日記「上田弘一郎著『タケノコ』」2010・01・27(水)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、西村、窪田、錦織、世良田、竹内。

  晴れ上がった空、少しの風はあるが温かい。
A竹林では、山本さんがいつものように伐採竹の焼却処理。高田さんは今日もまた掘り起こした根の処理。

 B竹林には西村、窪田、錦織、世良田、竹内さん五人の精鋭?が勢ぞろいしている。間伐がかなり進んで、枯れ竹の姿が少なくなっている。伐採竹の焼却はかなり行われているが、次々と積み上げられているから、今後も大作業となるだろう。放置竹林整備とは物凄いエネルギーを必要とするものだ。

 竹やタケノコについての書物は森林や樹木についての書物にくらべると、量的には比較にならないほど少ない。この数年間に、私は本屋さん、古本屋さんで少ないながらも、手に入るものは出来る限り集めた。
乙訓のタケノコ栽培について調べたかったので、図書館は長岡京市、向日市、京都市西京区は全てあたった。

  しかし見落としはあるものである。
上田弘一郎著『タケノコ』農文協 昭和43年初版はこのたび、はじめて手にした。これはまだタケノコ産業が斜陽化する前の時点で書かれているので、今日からみると楽観的な記述も見られるが、タケノコ栽培についてはこれまで読んできた書物のなかでひと際光っている。

  上田先生(故人、京都大学名誉教授、京都産業大学名誉教授)は竹の研究者として令名が高い。たくさんの著書も残されている。
特にこの『タケノコ』を読んでいると、研究もさることながらタケノコ栽培の実際にも詳しい。まるでご自分もタケノコ農家で経営しているかのようである。

  こんな風である。
農家の増収を図るため、早期の収穫が大切である。そのための実験 ――ビニール袋で竹を巻いてみる。地面の温熱のために電線を張って、その上に土入れをするなど。そして成功しなかった。
面白くてたまらず、半日で読んだ。

                                                                                                                               杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・冬の集会

 2010. 1. 23  杉谷保憲

 


竹林日記「冬の集会」2010・01・23(土)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、世良田、竹内、稲岡
       川路、尾崎、稲岡(喜)、原、多田。

  バンビオ一番館の和室で「NPO法人竹の学校 冬の集会」を開いた。
 議題は

1)       タケノコ掘りエコツァーについて
2)       竹林コンサート
3)       理事、監事の選出方法について

 1)については相当細かい取り決めをした。それに至る議論もさまざまで、各人の考え方が出て、面白かった。議題2)3)はタケノコシーズンが終る頃に決定する予定。
理事会でもなく総会でもない集会にしたのは、フリーに個人の意見を陳開することに重点を置いたためである。

ところで来週1月27日(水)、京都新聞洛西版に掲載用の原稿が早めに出来たの、収録しておく。

  
竹の里から
  「竹葉の一年」

  放置竹林で伐採する、タケノコを栽培する・・・一年中タケの近くにいるのに、タケの葉については見ているようで案外見ていない。去年は意識して見た。

  タケは特徴のある植物なので印象に残る。その最も顕著な例は春に起きる「竹の秋」現象である。タケノコの発生が終わりに近づく4月の末ごろからタケの枯れ葉が舞い始める。“春に枯れ葉”とは意表をつかれるので、 「竹の秋」という季語になっている。この枯れ葉は7回にわたって散ると書物にあったので、数えてみようとしたがうまくいかない。一回目、二回目・・・という区切りがない。晩春から初夏にかけて絶え間なく散っているのである。枯れ葉が枝を離れるのを待っていたように、それまで小さく丸まっていた若葉が開く。死と再生が同時的で、タケは傍目には常緑に見える。枯れ葉の乱舞を眺めていると、タケはタケノコや若竹を成長させるのに精力を使い果たしたのであろうと感懐を抱かせる。

  ところが秋になるとタケの葉が輝きだす。この葉の変化にはなかなか気づかないが、俳句の世界では「竹の春」という。もみじとタケの葉が交じり合っている、陽の当たる場所に立つと、もみじは紅ない色に鮮やかであり、 タケの葉もまた緑色に照り輝いて、“錦(にしき)織りなす”光景になる。

  12月には西山を回って眺めた。放置竹林より嵯峨野の観光竹林や乙訓のタケノコ畑の方が冬日に映えていた。竹葉は油を塗ったような光沢になる。タケは肥料を吸収して、タケノコの成長を支えているのであろう。

  「竹の春」は季語では陰暦8月とされるから、太陽暦では9月から10月にかけての一ヶ月のことだろう。しかしタケの生理から眺めると、竹葉の輝きは秋から冬にかけて長い。この期間、乙訓ではワラを敷き、土をかぶせて周到な作業をする。寒さを防いでもらいながらタケノコは地中で少しずつ太り続ける。しかしまだ幼い。乙訓では雛祭りに掘りだすのが最も早い。

  12月中旬、徳島県阿南市から便りが届いた。それには、タケノコを地中から掘り出して京阪神の料亭へ出荷し始めた、長さ15センチ、重さ200グラムほどの小ぶりものものだとある。

  ほんものの春がそこまで近づいている。いまも竹葉は輝いている


                                                                                                                                杉谷 保憲

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・火縄

 2010. 1. 20  杉谷保憲

 

竹林日記「火縄」2010・01・20(水)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、西村、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内。多田。

   一月とは思えない暖かさ。今週はこんな日が多いと天気予報は伝えている。
A竹林では上段にめぐらした柵が出来上がった。また不要竹の焼却もほぼ終った。
B竹林では伐採作業も進んでいる。
冬の作業はほぼ終った。

 23日(土)は9時15分からバンビオ一番館の和室で「竹の学校 冬の集会」、
春の体制づくりの相談である。

 京都の大晦日は八坂神社の「おけら参り」が風物詩になっている。おけら火を火縄に移して、家庭に持ち帰り、カマドの火をつける。これで元旦のゾウニを作る。京都の新年の始まりである。

  昨日、私は名張市に出かけた。その火縄をつくる作業を見学させてもらった。
マダケの節間の長いものを切って、節と節の間の竹の皮をはぎ、白い肉質部を削って、繊維状になったものを縄をなうになう。
わら縄より竹縄のほうが火持ちがよい。

  この竹の縄は江戸時代には火縄銃の着火に使われていた。火縄銃が使われなくなり、戦後、八坂神社の「おけら火」に使われるようになった。

 竹皮の縄を作る人は現在、4人しか残っていない。根気の要る作業である。
竹繊維の使い方として貴重な文化遺産であるが、名張市小波田の農家の夜なべ仕事である。
                                                           杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・タケノコを擦る

 2010. 1. 16  杉谷保憲

 

  竹林日記「タケノコを擦る」2010・01・16(土)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、世良田、小椋、竹内、稲岡、辻井。
      川路、尾崎、原、大西。塚崎

   A竹林では竹工芸サークルがスタート。先生は辻井さん。生徒たちののみ込みは早く、鉈の使い方もうまい。この調子なら竹の行灯つくりもうまく出来るだろう。
B竹林では伐採竹の焼却。

   23日(土)9時15分からの会合はバンビオ一番館の和室。
「竹の学校 冬の集会」と表示されている。竹林ではないのでお間違いなく

   昨日、竹カッフェで面白いことを聞いた。
タケノコを擦ってお好み焼きにして食べることができるという。
すでに市販しているというのでマーケットで探したが、山芋を擦ってお好み焼きにするものは見つかったが、タケノコは見つからなかった。

  竹の粉を饅頭に入れて食べたことはあるが、すり身は初めて聞いた。タケノコは食品としてもっと多様に利用した方がいい。今後の開発が楽しみである。
                                                                                                                                  杉谷 保憲

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・人は死んだらどうなるのか

 2010. 1. 13  杉谷保憲

 

竹林日記「人は死んだらどうなるのか」2010・01・13(水)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、西村、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内、辻井。稲岡(喜)。

   土入れが終るとメンバーにもホッとした空気が流れる。
一班は傾斜面に竹の手すりをめぐらす。タケノコ掘りに来た人が滑り落ちないようにするのだ。観光農園でもこれほど親切ではないだろう。

   他の一班は焚き火、溜っていた伐採竹の処理である。
今日は面白い便りがきた。(独)森林総合研究所から2月12日13時半~メルパルク京都での講演会「森づくりセミナー」の案内のなかに、林知行さんのエッセイ「人は死んだらどうなるか」が同封されていた。かいつまんで紹介しよう。

   人を火葬すると、人体を構成していた炭素原子は二酸化炭素になって空気中にばらまかれる。植物は二酸化炭素を光合成によって取り入れる。人間は植物を食物として体内に取り入れる。
これが炭素循環の原理である。

   とりもなおさず、人は死んでも輪廻転生していることを表している。
以上は要旨である。エッセイは「科学の話であっても、つきつめていくと、哲学や宗教に行き着く」と結んでいる。

  この封書は京都モデルフォレスト協会から送ってきた。2月12日の講演会には参加しては如何。
もうひとつ、2月1日18時半~、JR長岡京駅となりのサポセンで、地域力再生の説明会がある。ぜひご参加を請う。
                                                                                                                                杉谷 保憲

 


 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・賀正」

  2010. 1. 9 杉谷保憲

 

竹林日記「賀正」2010・01・09(土)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、竹内、稲岡、辻井。塚崎、荒木。川路、尾崎、
           池田、大西、稲岡(喜)、原、多田

  9時きっかり、仕事始めは四方廃拝から始まった。野本さんが先頭で、窪田さんがお神酒を撒く。そしてみんなで拍手を打つ。

「なんと古い儀式を知っているものですね」
「私たちは山歩きをするときに、これをするんです」

  四方拝は平安時代の宮中儀式である。天地、四方を拝して、その年の豊作と無病息災を祈る。私は子どものころ正月に、家族でしていた。

  それが終ると、全員が土入れ作業、予定より早く11時には完了した。驚くべき高齢者パワーを見せつけた。

  その間、密かに竹を割って皿がつくられ、削って箸がつくられたり、おでんが煮込まれたりしている。
各人一品ずつの持ち寄りで、パーティが開催される。野趣があふれる。
「おめでとうございます」が飛び交っている。

   向かいの竹林で作業をしている京都西ワイズメンズクラブの10人も参加して華やかである。
大西栄子さんが来た。彼女は去年の竹林コンサートに観客として参加し、「竹の学校」に入会希望してきた。そのときの感想文には感動した記憶がある。当会には遠くから来る人も珍しくはないとはいえ、大西さんは八尾市の住民である。
酒がまわって哄笑が続いている。

  来週の土曜日、16日から竹工芸クラブがスタートする。リーダーは辻井夫妻、それに参加を希望する人が続々と現れてきた。
23日(土)は午前中に全員で集まり、今年の計画を検討する。
議題はエコツアーの運営の仕方、竹林コンサートについて、役員改選の方法などである。集会場所は未定。

 今年一年の平安を四方八方にお願いしたい。
                                                                                                                                  杉谷 保憲