2006年(後半)の竹林友の会活動報告

 

 


        $$$竹林日記$$ ・・・ 2006. 12. 23 仕事納め
         $$$竹林日記$$ ・・・ 2006. 12. 20 苦戦
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 12. 16 「ポインセチア
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 12. 13 「創立のあとさき
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 12. 9  「雨合羽の作業
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 12.  2 「裏をみせ表をみせて
         $$$竹林日記$$ ・・・  2006. 11. 29松江土産
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 11. 22 「私たちの仕事とは
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 11. 18 「うれしい一日
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 11. 15 「高齢者心理
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 11. 11 「私たちの集団
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 11.  8  「組織というより集団
        $$$竹林日記$$ ・・・  2006. 11. 4  「久しぶり」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 11.  1 「蛇の卵か?
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 10. 31 「試験前夜
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 10. 28 「タケノコ債券
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 10. 21 「うなじがかゆい
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 10.14 「循環型社会
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 10. 7  「ゲド戦記

        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 9. 30  「新幹線の車窓
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 9. 23  「蛙
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 9. 9   「新段階へ
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 9. 2   「大きな秋
         杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 8. 26  「タケノコは清浄野菜
         杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 8. 19  「日本熊森協会
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 8.  5  満2年
         杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 7.  29 ナメクジ王者
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 7.  22 弾薬庫
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 7.  15 網笠美人
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 7.  8  ワラをも掴む
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 7.  1  隠居仕事
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 6. 24 平成18年度総会
         杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 6. 17 砂漠と旱魃防止
         杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 6. 10 鎌田さん、待っています! 
      $$$竹林日記$$ ・・・  2006. 6.  3 「異国の牧草の香り」
                                            若竹の先端落し(芯止め)動画(その一)(その二)

 

 

 

 

 

 

 

 

  $$$竹林日記$$ ・・・仕事納め

 2006. 12. 23 高田 豊

 

竹林日記「仕事納め」2006・12・23 晴れ

参加者 山部、山本、塚崎、杉谷、高田、早川、窪田、錦織、荒木、小椋、稲岡。

  朝、竹林に近づくと、長法稲荷神社から焚き火の煙が上がっている。氏子さん達が大勢で神社のまわりの大掃除である。我々も負けじと、土入れに取り組む。

  
いつも早く、竹林に現れる杉谷会長の姿が、まだ見えない。荒木さんが電話すると、20日のお葬式の際に風邪を貰った由、それでも竹林に向かう途中だそうだ。島根県産の春雨をお土産に戴く。

    作業はいつもの通りに始まった。暫くして、山部さんが 「少しだけ仕事をさせてください」 といいながら姿を見せた。  一輪車満杯の土を積んで、何度も急斜面を駆け登る。高齢と思えぬ強靭な体力に何時もながら感心する。

   土入れ作業の残りは年明けに持ち越し、世間一般より少し早く、今日でご用納めになった。

 

 

  $$$竹林日記$$ ・・・苦戦

 2006. 12. 20 高田 豊

 

竹林日記「苦戦」2006・12・20 曇り晴れ

 参加者 山本、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、吉田、稲岡夫人。

  先日の忘年会で大いに呑んだ話から、先ずスタート。皆、元気である。

   
作業は、前日までの雨で、土が湿っていて、一輪車に積むまでに一苦労。  山本さんも、古竹に火を付けるのに大苦戦。 頼まれた竹林日記を、思い出し出し書くのに、また往生する。

  
平日なので、稲岡さんは会社にご出勤。代わりにご夫人が竹林にご出動、頼りになり有難いことだ。

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「ポインセチア

 2006. 12. 16  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「ポインセチア」2006・12・16晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、尾崎、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、稲岡、吉田、高橋、原。

   竹林日記は作業したその日に書いてしまうことを原則としている。しかしほんの数回だけは翌日に書いたことがある。今回も翌日となった。その理由は後に述べる。

   今日は多事。TV撮影班とそれをアテンドする市役所・高野竹工・乙訓自然を守る会の関係者たち、それとは別に20名ほどの子どもたちが入山してくる。それに付き添うお母さんたち。ほかに孫についてきたお爺さん、卒論の調べでやってきた大学生、年末の挨拶に来たシンパ、入会希望者たち。
竹林は日頃と違い華やかである。

 

 

 

 

 

 


 

 

  会員の動きは?
子どもたちに竹の生態、タケノコのことをわかりやすく説明するのは早川さん、一輪車を運転して土入れの指導する野本さん、荒木さん。女子小学生は焼き芋づくり・・・。やがて子どもたちが竹を切ってお茶碗をたくさんつくった。お母さんたちがつくったブタ汁がそれに盛られ、歓声のなかでのパーティが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   会員は作業後「おばんざい由紀」で忘年会である。錦織さんが会費を集めているが、6人分を集金したところで集計したら、もう金額が合わない。(30分後には判明したが。)彼は元銀行員であるからお金勘定には慣れているはずだからと、15名はさっさとさかずきを上げた。
持ち込み自由だから、日本酒、焼酎、缶ビールが山ほどあった。それぞれに気炎を上げていたが、何の話がでたのか、内容は記憶に無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
    いつの間にか6時半である。6時間椅子にかけているわけだ。酔眼で人数を確かめると、居残っているのは6人である。
皆の顔はポインセチアのような紅い、そして体は風も無いのに揺れている。

    ポインセチアは明治時代に移入され、「猩々木(しょうじょうぼく)」と和名が付けられたそうな。猩々とは体中が赤い毛で覆われた猿(=想像上の動物)のことで、お酒が大好きという。
私もよく呑んだ。そのせいで竹林日記が翌日回しになった次第である。
                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「創立のあとさき

 2006. 12. 13  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「創立のあとさき」2006・12・13(水)曇りのち雨

参加者 山本、杉谷、高田、早川、野本、窪田、荒木、小椋、吉田。稲岡喜。

  どんよりした空の下に10名が集った。土入れ作業が遅れているのを気にして出かけたのであろう。天気予報は“のち雨”であったが早くも10時にはポツリポツリと降りだした。 野本さんが終了を宣し、1時間で引き揚げた。

   いま荒木さんが京都府への補助金申請書を作成している。そのためにこの会の創立時のことを、杉谷に思い出してほしいと頼まれたが、もう記憶に頼るわけにいかず、日記をひっくり返した。
今日は「長岡京市竹林友の会」前史を記しておこう。荒木さん、申請書には要領よくしかも簡単に記してほしい。

  私が長岡京市まちづくり市民懇談会の竹林部会に参加したのは2000年(平成12年)の12月1日のことである。場所は奥海印寺で、竹林の持ち主は藤井さんである。

   入会した途端、もめごとを聞かされた。もめごとの内容はプライバシーに触れるから書くわけにはいかないが、思想信条というレベルの問題ではなかった。新年宴会の費用が不明朗とか、ホームページを誰がつくるかとか、そのほか雑多な問題が起こるたびごとに、脱退するしないなど過激な意見が飛び交った。この間の事情の一部は高田さんや野本さんの記憶のなかに沈んでいることだろう。 私は6年分の日記を調べながら、あれこれ思い出して驚いた。

   2001年(平成13年)7月25日杉谷が竹林部会長になっている。この年から森林組合(市農政課共催か)の「たけのこ講習会」が開催され、私も受講した。「竹林日記」は9月からつくり始めている。高田さん、野本さんが加入したのはこの年である。

  2002年の夏にはまちこんの解散と竹林部会の独立が提案されている。しかし急速な展開を避けて準備に半年をかけ、2003年(平成15年)2月23日に八条茶屋で会議を開き、「長岡京市竹林友の会」を結成したと記憶している。

奥海印寺の竹林が高速道用地になったため立ち退かざるを得ず。現在地 長法寺濁池谷12−1(2115u)および12−2(1990u)に移ったのは2005年8月(平成17年)のことである。
                                                      from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「雨合羽の作業

 2006. 12. 9  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「雨合羽の作業」2006・12・09小雨のち曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、荒木、小椋、稲岡夫妻。

   起床してみると、予報どおりの小雨。6時半には作業を諦めた。
7時半、NHKにもその旨連絡をしたところ、インターネット情報によると長岡京市域は10時には雨が上がるという。
それを聞いて、悩みが始まった。NHKはやって欲しいのだ。電話の向うにその願いが見えるよう。結局、子どもたちの参加は止めて、会員だけが集ることにした。

   竹林には雨の中、市役所の関係者をはじめたくさんの人が来たのには驚いた。
雨は上がった。9時半に撮影が始まり、10時半には終わった。
私たちも今日は11時に作業を終了した。

 

 

 

 

 
    傘をさして竹林に入ったことは初めてであるが、会員が雨合羽を着て作業したのも初めてのこと。雨に洗われた紅葉がまことに美しい。高田さんがひとり楽しんでいる。
疲れた。気疲れである。昼食にビールを飲まざるをえない

   放送は昼のニュースの関西版である。
結局、野本さんと私が映っているだけという簡単な内容である。(放送されると知人からの電話が続く。)
当方からもちかけたことではないので文句は言えないが、これでは物足りない。来年5月に素材を足して、あらためて再編集し作品にするらしいが、ああすればいいのにと思うのは、昔取った杵柄すなわち老害になるのだろうか?

 

 

 

 

 


   来週の水曜日は土入れ作業だけ。土曜日はYTVの撮影(子どもたちの土入れ作業参加)と忘年会である。忘年会は12時開始予定。車を運転して来ないようにご注意。
                                                                                                                         from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「裏をみせ表をみせて

 2006. 12. 2  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「裏をみせ表をみせて」2006・12・02(土)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、錦織、荒木、吉田。 川路、鎌田、原、高橋。

     今日は賑やかだが窪田さんの姿が見えない。休むことの少ない人なので気にかかる。  土入れをする人、柵を作る人思い思いに働いている。

   NHK京都が9日(土)に撮影する。その打ち合わせが今日あったが、竹林整備のどこに焦点を当てるかまだはっきりしない。

    その9日には、松尾さんが20名の子どもを引率して、土入れ作業の実習する。NHKはそれを聞いて、これも取材したいという。また範囲が広がって話が茫漠としてきた。

    松尾さんに電話して、NHK取材の話をしたら、彼女は竹林でブタ汁を作って子どもに食べさせたいと言い出した。こりゃ大変。
ともかく松尾さん自身が水曜日に来て打ち合わせをすることを要請した。

 

 

 

 


     長法稲荷の参道には朱の鳥居が連なる。その朱も美しいが、その上に紅葉がかぶさって朱の競演。幽玄は日本独特の美だ。
うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ

   良寛和尚は死の床で詠んだという。禅僧は妻帯しない。しかし彼の枕もとには貞心尼がいた。
<表はもちろん心の奥底まであなたに見せて、私は散っていくよ>と。他にも解釈があるかもしれない。
近年、紅葉が遅くなっているが、来週は見ごろだろう。現代の良寛さんはなんと詠むか。
                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  $$$竹林日記$$ ・・・松江土産

 2006. 11. 29 高田 豊

 

 

 

竹林日記「松江土産」2006・11・29(水)晴れ

 参加者  山部、山本、塚崎、杉谷、高田、早川、荒木。

      竹林の朝、何時もなら車が止まっている場所に、今日は一台もない。日を間違えたかと錯覚しつつ、稲荷神社の近くまで来ると、荒木さんの参道を掃く音が響いている。
「今日は多分、少人数ですよ」と、荒木さんの予想である。

 

 

   暫くして、塚崎さん、手製レーキー2本を肩にした早川さんが現れる。このレーキーは檜製の、学校の運動場やお寺の庭で見かける種のものであるが、なかなかの出来栄えである。写真を撮ったがピンボケでこれは失敗。
              (右の写真は撮りなおしたもの)
 
      
早い時間に 休憩の呼び声が掛かる。降りて行くと、今日は休みと予告があった杉谷さんの、にこやかな顔。松江土産の「八雲○○」を全員で頂く。昨夜半に、車で帰着された由。

 

 


  
今日の作業は 前回の続きであるが、先が見えないことには変わりがない。しかし、機械力のない我々でも、たとえ少しずつでも、土入れを進めれば、と楽観する。                                                            (高田記)

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「私たちの仕事とは

 2006. 11. 22  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「私たちの仕事とは」2006・11・22(水)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋。

     水曜としては参加人数が多かった。だから作業ははかどりワラ敷きがほぼ終了した。来る土曜には土入れが始められる。
9時から11時半までの作業に2回の休憩があるのも当会ならではのこと。

 

 

  一回目の休憩時の名優は塚崎さん。森羅万象を俎上にあげ、少し毒味も盛った批評が特徴である。そういう超高度からの議論をした直後に倫理ススレスレに低空飛行をするのもうまい。

     ニ回目の主役は荒木さん。この竹林のあちこちに青竹の柵をめぐらし、美しい仕事場にしたいという。「観光農園のようにして入山料300円を500円に」という。(市の観光竹林は1000円だと新聞にあった。)すると一方からカネのためにするのは如何か?と声が出る。

 

 

    私も竹林の美化には賛成である。柵づくり、花壇づくりには荒木プランの推進に期待している。けれどもカネにまつわる部分は長岡京市竹林友の会の基本に関わるところであるから慎重であってほしい。

  肥料・ワラ・道具・ユンボ代に金がかかる。しかしお金儲けのために観光農園にするのであれば、ボランティア精神にもとるだろう。もっとも“観光”が(もともとの意味の光=文明すなわち<観光とは美しいもの、文明を観るという意味>)であればあれば異議ないが。

  私もお金が不足する現状に頭を悩ませている。そのうえ竹林の借用面積が2倍になったので、去年と比較して2倍のタケノコができたらどうしよう?と考え続けている。地元のタケノコ専業家の邪魔をしないようにインターネットで売りさばく方法を高田さんに相談した。
しかし今は反省している。

  放置竹林を整備する副産物としてタケノコ生産ができる。そして私たちは京タケノコとして伝統栽培技術を身につけ、一流の産物を生み出すことができる。

  ここで立場を確立しなければならない。
タケノコを市場に出荷したりインターネットにまかせては、普通の経済至上主義となんら変わりは無い。
ボランティアとしては、生産物を <金儲けのもの> にするのではなく、消費者に手渡し、この地のタケノコを<すばらしいもの>として知ってもらうことが大切なことではないのか!

  また生産現場で人々がタケノコを掘り出し、 その過程で会話を重ねたり、 喜びを分かち合うことを大事にすべきではないのか!これは専業家の竹林ではありえないことであるから。 

  こうしたことが現代のささくれだってしまった人間関係を立て直すことに寄与するのではないか。心を通い合わせることもない市民同士をつなぐきっかけにならないか。
しかしお金は大きい意味をもっている。この会にもある程度の資金が必要だ。

   まだ竹林での文化活動もしたい。一年働いたら慰労会もしたい。その費用もほしい。そのための最小限のお金はほしいのだ。
それにもかかわらず市場主義に流されない方向で“思い”を追うことが考えられないだろうか。空想と笑わないでほしい。

  休憩時に荒木さんは金儲けをやろうと発言したのではない。時間もなかった。私が長い間考えていたことが荒木発言に触発されただけである。
あらためて会員諸氏のご意見をいただきたい。
                                                          杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「うれしい一日

 2006. 11. 18  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「うれしい一日」2006・11・18(土)曇り

参加者 山部、山本、塚崎、杉谷、早川、野本、窪田、錦織、安田、小椋。 高橋。

   山部さんとは久しぶりの対面である。


  山部「どうもなかなか時間がうまくとれんようになりました。これから竹林には来たり来なかったりになります。」


  杉谷「ご家庭に変化があったのですか?」


  山部「家族がいろいろ忙しくなり、私もそれにつられて時間が不定期になりましたんや。
        そやから別の日にひとりで竹林にきて、一輪車で泥の一杯でも運ばしてもらいたいんですわ。」


  杉谷「お気持ちはうれしいけど、 もし怪我でもあったらひとりではどうにもなりません。 ご都合がついたときに           竹林にきてください

     山部さんが半年振りに参加された先々週の土曜に、私は高野山に行っていて参加できなかったので、上記は久闊の挨拶。山部さんは竹林に入れば力いっぱい作業をする人であるが、家庭は力だけでは動かない。  家族関係での長老の智恵が発揮されているようだ。  それにしてもこの竹林の最長老が “ひとりででも竹林に来て作業したい”とはナカセルネェ。

   今日は高橋冶女(もとめ)さんが初登場である。山本さんが緊張して紹介する。
山本さんは「中世文学を読む会」を主宰している。高橋さんはそこのメンバーである。私もその会のメンバーだから「竹林友の会」と「中世文学を読む会」とは3人が共通することになった。

    今日は女性陣がたまたまみんな不参加だったので、高橋さんも心細かったのではないかと思うが、窪田さんから作業手順を教わり早速ワラ敷きに入った。

     藤下さんがやってきて、 私たちの竹林を褒め上げる。 あの荒れ放題の竹薮を短期間によくここまでできたものだと。私たちはまだ竹林整備はこころざし半ばだと思っているが、ほめられて悪い気はしない。

また藤下さんは参道がきれいになって町内が喜んでいるとも言う。これは聞いていて素直によかったと思う。

  そんなこんなでうれしい一日となった。夜は雨となる。私は今日も竹の切り株に傷をつけた。竹は腐りにくいので傷をつけるのだ。この雨で切り株の腐食が進行してくれればいいのだが。
                                                                                                                         from 杉谷 保憲


 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「高齢者心理

 2006. 11. 15  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「高齢者心理」2006・11・15(水)晴れ

参加者 山本、杉谷、早川、野本、窪田、錦織、荒木。

   高田さんが入院されたのでお見舞いはどうするかの相談をした。高田さんは短期入院なので、特にお見舞いはしないと7人は一決した。
しかしこの会は一般論として考え方を作っておいたほうがよいというわけで、意見がでた。これまでは葬儀出席の経験があるだけで、会員の入院などは経験がなかった。
身近なことなので皆が発言したが、
  「入院の見舞いはしない。」
  「“お別れ”と分かっているときはお見舞いする。」
  「葬儀には参列する。」
でほぼ意見は一致した。

   その過程でいろんな意見があった。いわく
  「病気見舞いをすることになると、この会はお見舞いの連続になるだろう。」
  「病人の立場になると次々と見舞い客が現れるのは疲れるだけだ。」
  「高齢者は消耗した顔を見てもらいたくないものだ。」
高笑あり、苦笑あり、実感をこめて高齢者が高齢者の気持ちを討議した。

   結局は高齢者だからといって特別の心理状態があるわけではなく、性格、病状、環境にもよるだろうが、残された時間が少ない者にたいして、周囲が特に配慮しなければならないことはないと分かった。通常の人間としての心遣いでよいとの結論に、ホッとした気分であった。

    竹林の七賢人は足取りもしっかりと山を降りていったが、 この議論はまだ体が動く人たちが導き出していることであるとも思った。
                                                                                                                         from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「私たちの集団

 2006. 11. 11  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「私たちの集団」2006・11・11(土)ときに小雨

参加者 塚崎、杉谷、野本、稲岡。

    3時半、雷鳴と雨の音で目が覚めた。 昨日、 天気予報によって川路さんたちに竹林に来ないほうがいいと連絡しておいた。当たったなあと思った。しかし7時には雨もあがり竹林作業ができそうである。
高田さんが入院した。

     前回、長岡京市竹林友の会は組織というより集団であると書いた。 このことについてもう少し書いておきたい。
どこにでも居るものだが、口を開けば<会社が悪い、行政が悪い>という人が居る。実際、会社や行政が悪いこともある。しかしこの集団にはそんなことを言う人が居ない。
ここの構成員は、できることはまず自分でやってみようとする人たちである。目立ちたがり屋、でしゃばり屋がいない。ここの人たちは骨惜しみをしないし、裏表がないし、手を抜かない。

    どこにでも居るものがここには居ない。 最初からこうであったわけではないが、 活動を続けているうちにこういう構成員になった。不思議である。
(この人たちは企業のなかでも良質のサラリーマンであったろう。その意味では、戦後教育にはいいものがある。そして日本の企業は立派な財産をつくっている。こんな人たちを定年退職後にゴルフや個人の趣味に埋没させてしまうのは国家としての損失ではないのか?
いや個人の領域に侵入してはならない。自戒。)

      こうした人たちは作業内容と作業時間を一通り知ったら、 あとは自分の仕事を自分でつくる。 自分のポジションを自分で見つけるのだ。これも不思議に思う。
企業は収益をめぐって他との競争がある。ボランティア活動には競争がない。だから競争用組織がいらない。組織に付きまとう組織悪がないのである。
いや、甘すぎるのだろうか?
今度ボランティ活動の報告会があるので、こんな考えを述べてみよう。
                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「組織というより集団

 2006. 11.  8  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「組織というより集団」2006・11・08(水)快晴

参加者 山本、杉谷、高田、早川、野本、窪田、荒木、錦織、小椋。

    昨日、今日と青空がひろがる。この空の下で昨日は異変が起こった。
当地は激しい風が吹き荒れ、竹林がしなり、竹葉が舞った。竹の地下茎が揺れて、タケノコの芽が危ないと思った。
北海道ではその程度ではなかった。サロマでは大きな竜巻が起こり、工事事務所二階で打ち合わせしていた人々が建物とともに巻きあげられ、叩きつけられた。死亡したのは9名にのぼる。自然の力の強大さを知ることとなった。

   今日は新人の登場である。小椋(コムク)氏61歳。野球の審判員。顔は日に焼け、体は引き締まり俊敏そうである。この会ではヤングである。
この長岡京市竹林友の会はユニークな団体だ。

    NPOではない。NPOにすると事務量が増えるだけとメンバーに反対論が多く組織作りをしない。(私だけがNPO賛成なのだが。)しかし組織としての役職はつくっている。この役職は相互の連絡をするのに役立てるだけのもので、上意下達式の機能はあまり無い。それなのに作業は整然と行われ、なんの齟齬もきたさない。
この団体は「組織」というより「集団」というところであり、竹林整備の20名〜30名のボランティア活動には動きやすいチームになっている。

    「来るものは拒まず、 去るものは追わず」  式で会員の管理・運営をしてきた。新入会員はうれしい。 しかしもっとうれしいのは再加入というのか“出戻り”である。先月には2年ぶりに復帰した人、今月には半年振りに帰ってきた人がいた。いろんな事情があり一時休んでも、都合がうまくつけば再び参加される姿には、こんな「集団」の方がいいと感じられているからと思う。

   今日はガラシャ祭り前夜祭の野外オペラに使う竹灯篭をつくる人たちが竹林内で働いていた。その姿を見ていて、私も創作活動にふと郷愁を覚えた。

                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

  $$$竹林日記$$ ・・・「久しぶり」

 2006. 11. 4 高田 豊

 

竹林日記「久しぶり」2006・11・04日(土)晴れ

参加者 山本、山部、塚崎、高田、野本、窪田、荒木、錦織、稲岡夫妻、柳沼。

  ユンボ作業のため、乱れてしまった竹林の秩序を、どこから回復しようかと、案じながら竹林に向かった。
野本さんは、竹の根っこで塞がれてしまった通路の回復、西南隅に切り残した竹の伐採、燃やし場所の穴掘りから始めようという。

  
通路の大きな竹の根5−6株は、4人ががりで、野本さん持参のバールを使って、溝に落とし込み、通路が確保された。


 新入りの小椋さんは現れなかったが、そのかわりに、
「ヤァ」と元気な声を響かせて、山部さんが現れた。何ヶ月振りだろうか。 「また作業させて下さい」と、勿論大歓迎。早速、切り残した竹の伐採に参加して頂く。

 
竹林の各所に散らばった竹の枝葉を纏めて肥料の醸成場に。一輪車のタイヤ空気入れと油差し。ワラ束の運び上げ。上側の燃やし場では古竹の焼却開始など、一部の秩序が整然となり、すこしだけ、元に戻った一日であった。
                          (高田記)

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「蛇の卵か?

 2006. 11.  1  杉谷保憲

 

竹林日記「蛇の卵か?」2006・11.01(水)晴れ

参加者 杉谷、高田、早川、野本、窪田、荒木。

   ユンボがエンジンの音高く働いている。土を掘りだすのだが、今年切った竹の株はまだ根を張っているので掘り起こすのに苦戦している。9時に始まって16時半に終わった。竹林の風景はかなり変わった。次回参加する方たちは目を見張るだろう。

   乙女の丘で野本さんが秘密を見せるように、土の中から白い丸いものを竹の棒で引き出してくる。7,8個もある。とっさに「蛇の卵」と私はつぶやいた。しかし彼は蛇の卵ならもっと小さいはずという。そこへ早川さんが現れた。
「これはキノコですよ。あとで調べておきますよ。」

   早川さんは夜に電話してきた。 「あの白いキノコはオニフスベといい、もっと大きく十数センチになります。竹林にでることが多いようです。」

          オニフスベ


  このキノコやユンボの動きを私はカメラに収めたが、残念ながらメールに載せる技術がない。のちほどホームページ「長岡京市竹林友の会」には高田さんの技術で登場するだろう。
今日で冬の作業の準備が完了した。これからワラ敷き、土入れの重労働が待っている。

   昨日の仕事と今日の終日の労働に疲労困憊し、15時半にはへばった。
太陽の丘に座り込んだ。稲荷社の赤い鳥居やうず高く積まれたワラの山、土入れのために掘り出された土の山・・・眺望佳である。眺めているうちに居眠りした。

    帰宅して、腰痛のための膏薬をはがし、ゆっくり湯船に浸る。するとまたもや居眠り。しかしこの疲れは心地よい。

                                         太陽の丘(上段の竹林)に初めて入ったユンボ

11月4日、私は参加できません。高田さん、竹林日記をお願いします。よろしく。
                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「試験前夜

 2006. 10. 31  杉谷保憲

 

竹林日記「試験前夜」2006・10・31(火)晴れ

参加者 塚崎、杉谷、高田、早川、野本、荒木、錦織。

  10月の最終日というのにこの暖かさ。晴れ上がり、風も無く、汗ばむ。明日はユンボが竹林に入り、土を掘り起こす。そのための準備を終えておかねばならないので、今日はエキストラの日である。
試験日の前夜、追われるように勉強する気分である。勉強をサボっていたのではない。出題範囲が広すぎるのである。

   枯れ竹を横にして積み上げられている山が10くらいあった。去年のものもある。このところこれを燃やし続けている。今日もそのうち2つの山を焼却した。しかしまだ5つの山が見える。この2年間に数千本の竹を伐採したのだ。しかもなお今日も伐採は続いている。
休憩時間。普段は冗談ばかりの人たちなのだが、このところの役所仕事のいい加減さに皆、舌鋒が鋭くなる。

  大阪市、京都市、奈良市の同和行政のでたらめさ。数年間に数日出勤してすます職員など。
高校履修科目のごまかしを知らない教育委員会の管理能力のなさ。
虐待を指摘する市民の連絡に知らぬ顔をする児童相談所。
・・・ああ!きりが無い。

  そのなかで荒木さんが孤軍奮闘の発言、講座の成果を報告し作業上で怪我をしないように呼びかける。

秋は行事が多い。この数日、私のかかわったもので心に残ったこと。

   10月28日の学習会=根室沖でロシア警備艇による銃撃事件。坂下船長をしらべると、個人情報の関係上伝えられない実相がある。
   10月29日の散策=浄瑠璃時で秘仏・吉祥天女像の公開に偶然に出会えた。
   10月30日の鑑賞=ロシア映画「ワーニャ伯父さん」。愛と孤独を描くチエホフの傑作を観た。
   11月3日は法隆寺近くの知的障害者施設にボランティア活動としていく予定。
                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「タケノコ債券

 2006. 10. 28  杉谷保憲

 

竹林日記「タケノコ債券」2006・10・28(土)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、窪田、錦織、吉田、稲岡。川路、尾崎、原。 
           (荒木氏は今日もボランティア講習会)

    今日はワラがトラックで100束到着。これを竹林内に担ぎ上げる仕事。
その最中に農協の多貝氏が顔を出して「11月1日にユンボを持って来るからな。」という。
それならば、まずユンボが動けるようにしておかなければならない。ユンボが通る道はあらかたつけてある。しかし土を掘り起こす場所はまだきちんとされてはいない。

      その場所のひとつには枯れ竹が積み上げられているので 、これを焼却しなければならない。    焚き火が2箇所でつくられ炎があがる。
また別の場所にはまだ竹が生えたままである。この土とり予定地の竹を除去しなければならない。これも2班に手分けして懸命の伐採。

 伐採地の後処理もしなければならない。枯れ枝処理の地味な仕事続く。
   しかし作業半ばで時間が切れた。ユンボの日 (11月1日) までに作業を終えなければならないので、10月31日に都合のつく人たちが出動することに決めた。

    うれしいことに水道が本部まで伸びた。高田さんの労作である。焚き火を消すのにバケツで水を運んでいた労力を大幅に減じてくれる。焚き火の消火作業は今日からはホースでできる。

    今日、ワラ代を支払いしたら赤字になった。

        給水端         入水端

今後、肥料の購入、水道設備の支払いが起こる。この財政問題を切り抜けるためにタケノコ債権を発行せざるをえない。3000円×30=9万円の債権発行である。タケノコの現物で返済に充てる。  各位のご協力を乞う。 会員以外の方に債権を購入してもらうこともいいことである。   シンパを増やす意味でも考慮したい。

     今年は竹林面積を2倍に広げたので、なにかと費用もかかり労働量も多い。けれどもこれを乗り越えたら、この竹林の広さは大いに楽しめることだろう。
                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「うなじがかゆい

 2006. 10. 21  杉谷保憲

 

竹林日記「うなじがかゆい」2006・10・21日(土)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、吉田、稲岡夫妻。尾崎、川路。
          (荒木さんはこの日、ボランティア講習会に当会の代表として出席。)

    竹林にはワラが積み上げられ、庭木の剪定くずが撒かれている。去年の風景とは違って、今年は豊かな感じをうける。この上に来週はワラが百束も届くはずである。これが敷き詰められれば、いい竹林への基礎ができる。
 しかしワラ代、肥料代の支払いが難しい。財政的には5〜6万円が不足するが、これをめぐっていろんな意見がでる。タケノコ債の発行案もある。

   この1週間、私は首の後ろがわ、うなじがかゆかった。
かゆい原因を枕に蚤がいるのではと疑ったが、 大きい斑点なので蚤ではない。  やがてかゆみは治ったが、今日竹林に来てその原因がわかった。稲岡さん、錦織さん、吉田さんが葉っぱを担ぎ上げている風景を見て気がついたのである。
先週、私も同じ作業をした。その剪定くずのなかに毛虫がいたのだ。その毛虫が作業帽子の縁(ふち)を這ったのにちがいない。

    その発見話をしたら高田さんも同様の経験をしていた。そして剪定された青葉を仔細に見ると、ゲジゲジが這い回っている。竹林には昆虫、小動物がいないから、平素、警戒することがなかった。

    タケノコ作りにワラや剪定くずを敷き、そのうえに土をかぶせるという農法を考え出したこの地方の先達には感心する。私は中国とタイ国で竹林を見たことがある。(タケノコ畑として見たのではないが。)いずれも放置竹林の軽い状態であった。当地のように間伐され、ワラが敷かれ、土が盛られた竹林ではない。

  モウソウ竹は中国江南から移植された。それが日本ではこのように手が加えられ発達し、すばらしいタケノコを生産する。
産業技術も同様である。欧米のものを日本が取り入れ、原地をはるかに凌ぐ製品をつくりあげる。
日本人の特徴がここにも見られる。

     それと同時に、文化とは異文化と交わることによって新しいものを創ることがわかる。かゆみが勉強させてくれた。

日本シリーズ 中日―日ハム 中日1勝。
                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「循環型社会

 2006. 10. 14  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「循環型社会」2006・10・14(土)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、早川、野本、窪田、荒木、錦織、吉田、柳沼。川路、尾崎、原。

   剪定屑の散布、竹の伐採、下草処理、土台つくり・水道工事、焚き火、伐採竹の整理・・・それぞれが目の前の仕事に取り組んだ。
休憩時には指令がでた。

 1・作業が遅れているので、11月から週2回(水、土)の作業日とする。
 2・新しい補助金制度は地主に大きな負担(種類上)をかけるので、杉谷が了解を取れるかどうか。感じとして   は無理。
 3・柳沼氏の水害調査に協力する。

  柳沼宣裕氏(京都精華大学大学院)は当地の水害の歴史を調査している。
この50年は水害がなかったが、それまでは頻繁に水害・旱魃など水問題に悩まされていた。住民の災害への意識はすっかり希薄になっているので、その調査にまず取り組んでいる。彼は言う。

  「名所となってる○は土砂崩れに危ない。◇の堤防は脆弱だ。」と。
集中豪雨、旱魃など気象が激しい変化を見せるようになり、災害も大型化する傾向にある。この地区も例外ではないだろう。地球温暖化のせいだとする説もある。彼はこうして市内各地をまわる。そして私たちの竹林を見回して言う。

  「植木の剪定ででた屑を、ワラの代わりに竹林に撒くのはいい方法だ。 まだワラが不足しているようだが、来年は市内○○地区の農家にワラをもらうように働きかけましょう。
農家の人たちは、 竹林整備しているのはタケノコをつくっていると思っているけれども、 地下水位を下げないように努力していることを知らない。 杉谷さん、 農家に稲作と水のことをわかってもらい、そこのワラを竹林に敷けば、それこそ循環型の社会ですよ。」

  循環型社会とは廃棄物を出さない社会システムのこと、ゼロエミッションともいう。剪定くずはまさにそうだ。またワラをもらうのには農家との話し合いがもっと必要だ。学者の話はその通りだが、ボランティア活動にかかるエネルギーも並みのことではない。

女性陣、半年振りの再登場の日であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「ゲド戦記

 2006. 10. 7  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「ゲド戦記」2006・10・07。曇りときどき小雨。

参加者 塚崎、杉谷、高田、荒木、錦織、吉田、稲岡。
ゲスト 柳沼、学生(京都精華大学)。

     なんとか雨をまぬがれた。そんな天候のもとで、太陽の丘(上段)にユンボ道つくりをした。まだ道が出来上がったわけではないが、間伐後の竹林に日が差し込む。ここは幾度と無く竹を切ったのに、地面に木漏れ日があたるのは今日が初めてだ。

    荒木さんに公的文書を預けた。 補助金がでる新制度ができたので、その提出書類である。 いい制度ではあるが、面倒な手続きが必要だ。官庁というものは落ち度の無いような書類を要求するが、現場にしてみればもっとシンプルにできないものかといいたくなる。ともあれこの書類は各位に回されるはずである。

    昨日10月6日は陰暦8月15日に当たる。仲秋の名月。かぐや姫はこのとき月の世界に去っていく。かぐや姫が別れにあたって述べる言葉は「月の世界の住人は不老であるが、しかし喜怒哀楽の感情の無いところである。」
昨日は雨続きで、月は見られるはずが無いと思われたが、夜になって中空に満月が輝いた。

   奨める人があって、昨日は映画「ゲド戦記」を観た。環境問題あるいは国際情勢を冷静に眺め、かつ人間の心の闇を凝視する。私が漠然と感じていたことを明確に表現する作者、監督の姿勢に感銘を受けた。
美しい画面であった。満月のシーンも2度あったし、満天の星も画面に広がった。哲学の世界をスリルとファンタジーで描いた。傑作であった。

    私は先月、環境問題で極東ロシアに行った。そこの村で、手に届きそうな星の輝きを眺めてきた。そのせいか「ゲド戦記」の隅々まで食い入るように観た。

   私たちの世界はこの100年間、経済を最優先のものとしてきた。しかしそれはとうとう行き詰まった。いまや経済をつくるならば、まず環境を整えなくてはならなくなっている。環境を優先させなければ、生きとしいけるもの全てが滅びの道を歩むことになる。

   私たちの竹林整備はちっぽけな行為であるが、地下水の涵養や里山の保全に一定の役割を果たしている。「ゲド戦記」に励まされた。
                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「新幹線の車窓

 2006. 9. 30  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「新幹線の車窓」2006・09・30(土)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、荒木、錦織、吉田、稲岡夫妻、濱村。

    今朝も8時集合。(もっとも荒木、杉谷は軽トラを借りるために7時半から活動開始。)
向日市体育館近くの田んぼのワラを貰いに行く。 先週南丹市に行ったが、それの五分の一ほどの量であり 、かつ軽トラを稲岡さんも用意したので2台そろい、作業は一時間と少しで終わった。
ワラ集めを皆、手馴れた仕事のように振舞うが、若いとは言えない体ばかりなのでスローモーションを見るようである。

    近くを新幹線が走る。あの車窓から見たらこの作業はどんな風に映るのだろうか?人数が多いので、多分、囚人の作業風景かもしれない。

 

 

 


 


そんなことを想像していたら、みんなにやや遅れて稲岡夫人がやってきた。
「私は田んぼの正確な場所を知らず見当をつけて来たが、 すぐ判りました。 車を走らせていたら、異様な姿の集団が田んぼのなかで声高にしゃべっているものですから・・・。」
なるほど普通の農作業の仕事ぶりではない。囚人よりは自由な人たちの証拠だ。

   近代技術の粋である新幹線と原始的な田んぼのワラ集めとは両極端の取り合わせである。しかし現代にとってはその重要さではともに双璧であろう。

   今年のワラの集めはほぼ終わった。 竹林に帰って また竹を伐採した。   こんどはユンボ道を作るためで ある。
そこへ吉田さんが現れた。 「定年になったらまた帰ってきます」と言って、 一時去って行った。2年ぶり、強力なメンバーの再加入である。

11時散会。

  阪神―中日は一勝一敗。コメントはしないことにしよう。
                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「蛙

 2006. 9. 23  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「蛙」2006・09・23(土、秋分の日)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、荒木、錦織、稲岡夫妻。

   朝7時半に集合したのは11名であった。
今日の作業は南丹市の田んぼへワラを貰いに行くことである。4台の自家用車と1台のトラックをつらねた。   田んぼのワラを取りにいったことは5年前に一度あるが、 そのときと違ってこのたびは堂々の陣容での遠征である。

 

 

 


 2反歩の広さなので当初一日がかりの作業を予想していたが、好天の元ではかどった。トラックが2往復して、昼過ぎには終了した。だから京都新聞の記者が来たときにはほぼ作業が終わっていた。取材のために、積み上げたワラ束をもう一度田んぼに戻して、やり直して写真に収めてもらった。

 


  田んぼに置かれたワラを束ねていると、小さな蛙がワラの下から飛び出してくる。おびただしい数である。なかに大きな蛙が一匹出てきた。早川さんの見立てではこれは食用蛙。 多分冬眠しようとワラの中にもぐりこんでいたのだろう。

南丹市の田んぼには蛙のほかに、青サギもいて彫刻のように佇んでいる。空にはトンビも舞っている。

 

 


 私は先週、極東ロシアの少数民族の中に入って、大型野生動物― ヒョウやトラ− の絶滅の危機を勉強してきた。その記憶が生々しいので、ここで小動物の健在な姿を見てホッとする。

 メダカなどの小さな生き物が姿を消していくと、続いて中型の動物が滅び、やがて大型野生動物が絶滅する。その次は人間の番になるだろう。

  来年も南丹市で蛙が見られるといい。そんな祈りのようなものが心の中を去来した。

 
肩に来て 人懐かしや 赤蜻蛉      夏目漱石

                                                       from 杉谷 保憲
先週は雨のため中止したという。

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「新段階へ

 2006. 9. 9  杉谷保憲

 

竹林日記「新段階へ」2006・09・09(土)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、早川、荒木、錦織、稲岡。

    9月7日、ユンボの都合がついたとの連絡が農協からあり、急遽、野本、荒木、杉谷が対応した。
ユンボは植木の剪定屑置き場と花壇用地をつくってくれた。

    ユンボ(バックフォーというのが正しいが使い慣れている会社名をつかう。) は力強い。半日で、夢に描いた地形をつくってくれた。

   水資源の涵養という我々の姿勢も評価されることだろう。  放置竹林の整備も大切な使命である。
京タケノコという名品をつくる仕事も誇らしい。

   そのうえに環境の美化のために花壇ができるのもうれしい。
次は竹林のなかに舞台を作りたい。(来年のことになろう。)
里山が住民に愛される場所となってほしい。  ともあれ新段階への一歩である。

    今日はユンボの工事跡を仕上げる作業である。
一斑は道から竹林に上がる階段作り、 もう一斑はユンボが掘り起こした竹の切り株を移動させる作業。ともに力が要る。もう一班の高齢者組は古竹の焼却。

    今日取り決めたこと。
 その1・ワラの引き取り行きは23日(土)に決行。7時半集合。トラックの交渉などは後日に。
 その2・ボランティア養成講座の出席は荒木さん。
 その3・高田さんは水道を近くまで引く案をもっている。お金は無いけれども是非とりかかって欲しい。
 その4・加藤さんが香港で購入してきたキヌガサタケの干物は稲岡さんが貰う。
          スープにつくってみて、その味を報告する。
 その5・来週は野本、杉谷は休むので、皆様よろしく。

                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「大きな秋

 2006. 9. 2  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「大きな秋」2006・09・02(土)晴れ

参加者 塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、早川、荒木、錦織、稲岡。

   竹林内では伐採竹の搬出、伐採など思い思いの作業をしている。9名となると休憩時間が賑やかだが、今日は問題が目白押しで、時間はその処理に費やされた。

  1・植木の剪定屑を受け入れるための場所を整地する。 (できれば花壇づくり、舞台づくりのための整地も)
   農協にユンボを依頼しているが、ここは民間企業と違い、てきぱきとことが運ばない。
   けれども農協と民間業者との間にユンボの作業料金に開きがあり、慎重な判断がのぞまれると結論。      (8月31日午後、農協交渉 杉谷・荒木)

   2・タケノコ収穫終了時にイヴェントの企画。念願の竹林文化の創造である。  その第一弾が来春に「竹林で       琵琶を聴く会」としてお目見えする。京都の琵琶法師と元 東映ニューフェースの二人を企画書で披露した。   メンバーにはニューフェースの写真が引っ張りだこであった。(8月31日午前、杉谷・高田で下検分)

   3・今年5月に小学生20名と大人の同伴者の環境教育団体を受け入れること。
  (8月29日、西山森林整備推進協議会の環境教育部会に杉谷が出席)

   4・ワラの取得に南丹市の田んぼまでトラックで行く件。日時、参加者、トラックの借り入れ(稲岡さんに智恵が       ある)などの実行責任者を野本さんと決める。(特に農家との連絡をきちんと)

   5・助成金による物品購入は責任者を野本さんとする。

   6・上記のための費用のほかに、肥料代、土入れ用ユンボ代、タケノコ箱代など総計21万円が必要でなるが、    手もち金は15万円しかない。さて・・・?

 ”小さい秋”という言葉は日本の季節の豊かさと日本人の繊細な感覚を表現している。
 竹林が拡大し、事業が増大し、竹林友の会が発足当初から目指していたことの本格的な展開がはじまる。私   たちにとって、この秋は“大きな秋”である。

 見上げれば、うろこ雲が竹のこずえの向うに一面に広がっている。
                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「タケノコは清浄野菜

 2006. 8. 26  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「タケノコは清浄野菜」2006・08・26(土)晴れ

参加者 山本、杉谷、野本、窪田、錦織。

    作業前に荒木さんが手作りのテーブルと椅子を運び込んだ。  寄贈するという。そして自宅改築の後処理のために帰っていった。

   残ったのは5名、久々にこんな少数の参加者である。
窪田さんは、「今日は欠席する人が多いと事前に分かっていたので、作業する人たちに気の毒だから、腰痛を押して出てきた」と泣かせることを言う。確かに参加者が少ないと意気が上がらない。休憩時間の話題は腰痛など老人病のオンパレードである。

   ワラを田んぼから持ち帰るのは稲刈りが終わってからであるが、どうやら9月23日(土曜、祝日)になりそうである。トラックを借りて弁当もちで、八木(南丹市)に行き、ワラを束ねる作業をして持ち帰ることになる。日程が決まったらその日はたくさん参加されるよう予定して欲しい。非公式の話だが、10月は週2回の作業日を設けないと廻らないかもしれないという意見も出た。

   今日、京都新聞の井上さんから、美山(同じ南丹市であるがもっと奥の方)にも八木と同じ条件の農家が見つかったと連絡があった。

    ワラの代用品として今年は植木の剪定屑も用意するが、これには土入れの土の量がワラの場合の2倍必要だとわかった。まだ知らない竹林農事の常識がある。

   春の楽しみ、タケノコの知識。
タケノコは野菜の中で最も清浄性があるといわれる。
第一にタケノコは数十枚の皮に包まれている。裸ではないので酸性雨などに汚染されにくい。
第二に、食用タケノコには養水分を吸う根が少ない。小さなタケノコは地下茎に含まれている養分と親竹から送られる養分とで育つ。いわば親のお乳で育ち、土中の有害な成分を吸収することがない。(「竹と日本人」上田弘一郎著)
                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「日本熊森協会

 2006. 8. 19  杉谷保憲

 

 

 

 竹林日記「日本熊森協会」2006・08・19(土)曇りときの小雨

参加者 塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、稲岡。

     夏休みを終えてニコニコ顔で6人が顔をそろえた。2回の休みの後である。仕事がしたいとそれぞれの顔に書いてある。

    今日の天候は蒸し暑い。台風が九州に大雨をもたらしているようで、その余波か、当地も湿度が高く、ときに小雨が通り過ぎる。
作業は伐採、伐採竹の搬出などだったが、雨模様なので11時で終了。

     昨夜、大阪で時間制限なしという条件の講演を聴いた。聴衆は6人。19時から22時までで講演は終わる。 しかし講演内容に感動して、その輪がひろがり講師をかこんで話し込む人が居残っていた。私は遠路なので帰途についたが、今もその余韻が残っている。

   講演に演題はなかった。
講師は兵庫県の中学校の理科の女教師、森山まり子さん。(50台後半のようで、今は教師を辞めている。)
森山さんはあこがれの教師になり、授業に熱中する。そして兵庫県下にツキノワグマが40頭に減少し、絶滅の道にあることを偶然に知る。

    かつて奥山は広葉樹林であった。しかしその奥山はスギとヒノキの林にされてしまい、そのうえ整備がされ  なくなって、熊は食料が無くなりやむをえず里に下りて食べ物をあさるのである。彼女は、熊は決して人間を襲うことの無い動物だと知る。そして大動物である熊が絶滅すると、小動物も絶滅していくことが分かってくる。
彼女の行動は、熊が村に出てきて困らされる山村の人に怒鳴られる。都会のやつらに何が分かるかと。

    陳情に行った県の林務課では小ばかにされる。林務課は古木を伐採して、そのあとにスギやヒノキを植林 する仕事だと。

   学者は行政と裏でつるんで、補助金や顧問料を当てにする。しばしば自然保護団体に対して、行政に対して二枚舌をつかう。新聞記者は素人の森山さんの訴えより学者の話を大切にしてしまう。不勉強で見抜く力が無い。

   普通の人は、動物は森林に依存して暮らしていると考える。しかし森山さんは奥山で調査して結果、熊が木の皮を剥いだり、枝を折ったりすることによって、いい森林相に変化・成長をすることを発見する。森林も野生動物に依存しているのだ。

     人間が経済のために植林したスギやヒノキではなく、元に戻して昔ながらの広葉樹を育て、花や実を付けさせ、野生動物の食料とし、地下水を得る条件をつくらなければならないことを知る。とうとう環境庁に現状打開を求めに行った。しかし、環境庁は日本の山林の実態が破局的だと知りながら、当面の政策課題ではないと避ける。

    そんななかで、彼女は中学生に励まされながらツキノワグマ保護運動に走る。

    文明が滅んだ事例は歴史上たくさん残されている。そのほとんど過度の森林伐採をして、水資源を枯渇させて、「動物」も「人間という動物」も滅びていく例である。(スギやヒノキやタケは地下水をつくるのには適していない。タケについては私たちが行っている竹林整備が必要である。しかし詳述は別の機会にしよう。)

   しかしついに理解してくれた人が現れた。
一人は当時の兵庫県知事。知事は生態学に詳しかった。その一方、行政のもつ固定観念にも詳しかった。
もう一人は天皇。天皇は代々生物学を専攻している。かつて昭和天皇は、奥山をこんなにスギやヒノキばかりにしていいのかね?と疑問を呈されていた。

     毎年、各県の持ち回りで、陛下の植樹祭がある。それまでスギやヒノキを植えていたが、森山さんや卒業生(教え子)たちの奔走によって、この年の兵庫県から広葉樹に変えられた。皇室の意志は表に出ないようにしてはあったが、それ以後今日まで植樹祭は広葉樹になっている。

   森山まり子さんは日本熊森協会(本部 西宮市)の会長である。クマモリとは変な名前であるが熊が絶滅すれば他の小動物も滅びるから熊によって象徴させたという。
この講演の3時間は、聴いている人は(私も)涙を拭きながらであった。

   実は私が講演を聴きたいと思ったのはこんな背景がある。

   私が環境問題に関心を持つようになったのは竹林友の会を結成してからのことで、まだ6年にしかならない。思うところあって、私は先ごろFoE(Frend of the Earth 地球の友―世界に支部がある環境保護団体)の会員になった。

   そこの企画で9月に極東ロシアの森林に入る。メンバーは6人。ここはアムール豹が棲んでいる。しかし豹は森林伐採によって絶滅に危機にある。(NHKTVで見られた方もあろう。)そこの実態を見学し、木材生産が秩序だてて行われ、動植物の生存に危険がないようにしてもらいたいのである。

     ほかにも目的がある。シベリアから石油パイプラインが敷設される計画があり、日本への輸出口の場所によっては自然破壊につながる恐れがあるので、その恐れの少ないところを選んでほしいとのお願いもある。
今回の旅行はビキン川の一帯で、観光地ではないので宿泊設備はない。少数民族の家にホームステイをしたり、テント暮らしをする計画である。

   そんなわけで事前に文献で調べられることは調べている。
ところが極東ロシアのことは少し分かってきたが、実は日本の森林がどうなっているかを知らないことに気がついた。日本の森林については万巻のデータがあるが、しかし人間の血が通っているものがほしかったのだ。そして森山さんの存在を知ったというわけである。

   森山まり子さんのお話を聞いていて、西山の森林整備(長岡京市)にも大いに参考になった。
また報告できる機会もあると思う。

                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・満2年

 2006. 8.  5  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「満2年」2006.08.05(土)晴れ、そよ風

   今日と来週の土曜日は作業は夏休み。
日記も休むつもりだったが、2年前の8月5日は現在の竹林の作業第一日目であることを思い出したので、少し書いておこうかなと思った次第。

    一昨年の夏は奥海印寺の竹林を手放し、次の場所が見つからず、右往左往していた。幸い8月1日付けで約束ができ、今の長法稲荷社の隣接の放置竹林を確保できた。
その日に居た人たちはお稲荷さんに安全祈願をして初作業にとりかかったのであった。

    2年前の今日、うれしかったのだが、内心は不安いっぱいであった。それなのに近頃はみんな自信に満ちている。手堅い作業を積み重ねたことが自信にもつながるのだろう。

   さてこれからどうなるのか?
竹林はコツコツと続ければ、行く末は人に役立つことになろう。互いの老化だけが心配だ。

    ところで社会はどう変化するのだろう?
ここに日本の科学技術の社会予測がある。ご紹介する。
暑い季節にこんな予測も楽しくていい。

【日経BP社よりの情報提供】

  ■平成進化論より
    ↓↓↓

  <これからの日本に起きる、主なできごと>

  2009−2011年 

   ▼通信速度 100mbps(パソコン並み)の携帯電話
    「スーパー3G」実用化へ
   ▼内部に記憶装置を持たない情報端末
    「シンククライアント」の市場が国内で47万台に拡大
   ▼犬、猫レベルの知能を持つロボットが開発される

  2012−2014年 

   ▼人口過密の大都市圏で、小型電気自動車が普及
   ▼超小型手術ロボットが開発される
   ▼「音声自動翻訳」機能付き携帯電話が発売

  2015−2017年 

   ▼太陽熱給湯器の普及率が70%に
   ▼ロボット運転手タクシーが本格稼働
   ▼週休3日制度が実現

  2018−2020年 

   ▼老化防止の薬が開発され、長寿命化が実現
   ▼一般自動車、完全自動運転に
   ▼感触や香りがある立体映像をテレビが実用化される


                                                                                                                          from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・ナメクジ王者

 2006. 7.  29  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「ナメクジ王者」2006・07・29(土)晴れ午後雨

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、荒木、錦織、稲岡。

    これを書いているときは沛然と雨が降って、涼風が流れている。
けれども午前の作業時は蒸し暑かった。  広い竹林のなかに散開しているので、   人の姿がみえないが9人もいる。けれども人々は休憩時間より早めに、三々五々姿をみせる。暑さにあえぎ、水分補給に出てくるのだ。

    休憩時のスターは塚崎氏。このところの阪神タイガースの戦いぶりをこき下ろす。愛しさ余っての舌鋒だが、気分の発散ができてウケている。今日は休憩時間が待ち遠しかった。

    庭木の剪定屑を置く場所を決めた。竹林には平坦な場所がないので、山地を削る工事が必要だ。かなりの形状変更なので、地主さんの了解をもらった。
このプロジェクトを進める荒木氏は、庭園師との交渉・ユンボの発注など忙しい。

    ワラの手当て、古タタミの入手、その上に剪定屑の受け入れと今年は土壌づくりに万全の備えである。昨年の轍を踏まないようにと二重三重の計画である。

    やはり経験は様々な面で新機軸を生み出そうとしている。野本氏が乙女の丘でひとり黙々と取り組んでいる作業は、廃材竹を利用して肥料を作ってみようとする実験だ。青竹を割ってEMボカシ菌をまぜて土をかぶせると肥料ができるのではなかろうかという。これが成功すればタケノコ畑のつくり方に革命が起こるだろう。

 

 

   乙女の丘にナメクジが這い出した。全長15センチはあろうか、見たことも無いジャンボな姿。二本の角(?)を見せてのそのそと行く。王者の風。

ナメクジが棲める土ができるのか、実験に成功あれ!
 

                                                from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・弾薬庫

 2006. 7.  22  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「弾薬庫」2006・07・22(土)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、荒木、錦織、稲岡。

    日本の広範囲に豪雨がつづき、水害が各地を襲う。死者数も相当である。痛ましい。
当地も久しぶりに雨の無い日だが、竹林はむせ返る。草引きが一段落したので、作業は竹の伐採の再開である。太陽の丘の竹がかなり間引かれた。

    今週、地主さんと次の一年の契約をした。
その折聞いたのだが、この地は太平洋戦争時には弾薬庫が置かれていたという。それほど人里はなれた竹薮であったのだ。家の前の小川にはサワガニがおり、鹿やイノシシは日常的に目にしていたという。ここの長法稲荷はみすぼらしい祠で、その下の洞穴には狐の親子が住んでいたそうだ。

   こんな事実は我々移住してきた者は知る由もないが、土着の人ももう記憶している人がいない。こんなことは長岡京市史には記載されているのだろうか?
地主さんは戦時中に土地を軍に召し上げられたり、戦後には買戻しに苦労したりしたものだから、記憶が鮮明である。

郷土史の学習になった。

    蒸し暑いので休憩時間が待ち遠しかった。休憩のたびにたくさんのことを検討した。荒木さんマターのワラの代用品対策であるが、いずれ実現の運びになろうから、ここでは省略する。

  オールスターゲームの話題に興じながら、11時半終了。
                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・網笠美人

 2006. 7.  15  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「網笠美人」2006・07・15(土)晴れ、夜は雷鳴。
 
参加者 塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、荒木、早川、錦織、稲岡夫妻。
 
   草引きを始めた途端に高田さんがゆっくりと、しかも冷静に何ごとか言う。そして指をさしている。なになに?皆が集る。
 さて、以下は第一発見者の高田さんの記事である。最終にはこのキノコはどうなったであろう?
                                                                                                                          from 杉谷 保憲

  梅雨も終盤にに近づいて、キノコ類も一つのシーズンの終わりを迎えようとしているが、ついに我々の竹林にも、衣笠茸が出現した。

   衣笠茸は写真のように、バレリーナが純白のチュチュを拡げたような、優雅な姿を朝のうちには見せるが、午後には黄ばんでしなびてしまう、短命なキノコである。

 

 

 

 

 

 
  山歩きの途中で、光明寺横やその裏山、鈴ヶ谷近辺の竹林などで群生しているのを、度々見かける。毒キノコでない以上、食べたらどうであろうか? 残念ながら、まわりの人で誰も実際に口にした人はいない。 先日、横浜の聘珍樓(へいちんろう)の取材番組で、安住アナが、珍味として、とろみを付けた衣笠茸と何かの炒め物を食しているのを、見掛けたのみである。また、フランス料理の高級食材と云う人もいる。
 
   衣笠茸は、この貴婦人然とした優雅な姿を、ただ、鑑賞するのが一番であろうか。うまく胞子が残って、また来年も出て欲しいものである。
 
   さて、竹林作業といえば、牧草からこぼれた種子からの草引きは今日で終わり、来週から、竹の間引き作業に入る。
                                                                                                                                    (高田)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・ワラをも掴む

 2006. 7.  8  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「ワラをも掴む」2006・07・08晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、稲岡夫妻

    昨日が七夕であること知っていたが、「竹・タケノコの日」であるとは知らなかった。なんでも竹材業者の会合で決められたそうであるが、 どんな理由があるのだろうか? 七夕には竹に短冊をつけて祝うことから <竹の日>なのだろうか。この数年、竹に入れ揚げている(?)私もこんな日が設定されていことに驚いた。

     今日も草取り。四つんばいの人、ほふく前進の人、地球に顔を擦り付けんばかりの人、多分みんな腰痛を警戒しながらの姿勢だろう。

   去年、ワラが手に入らなかったばかりに、今年は余分な草取り作業が加わった。だから今年はそのワラを求めて早めに手配を始めた。滋賀県の農家、福知山市、南丹市美山の二箇所に当たった。しかし4箇所からははかばかしい返事がもらえなかった。ワラは今、見直されて肥料として利用価値が出ていることがわかった。

    私たちボランティアグループには伝手がない。農事面では新参者なのである。ワラの入手難を市役所で話をしたら、<個人で個々の農家に当たるのは大変だろうから、ワラ探しに協力しましょう>と言ってくれた。

   そして、南丹市八木の農家に可能性がありそうな返事があった。我々がそこの田んぼに出向いて、ワラを束ね、トラックで輸送することが条件のようである。まだ結論には至っていないが、<おぼれるもの藁をも掴ん>で浮上しそうである。
それにしても市役所の協力はありがたい。そしてネットワークを持つことの大切さをつくづくと知った。

     この数日、北朝鮮のミサイル発射は新聞・テレビは華やかに報じている。竹林の休憩時には論議沸騰かと思ったら、こちらは話題にならない。北朝鮮の礼儀の無さは困りものだが、国際法違反でもなく、顔をしかめていることになるのだろうか?

                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・隠居仕事

 2006. 7.  1  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「隠居仕事」2006・07・01  蒸し暑い日

参加者 塚崎、杉谷、高田、野本、荒木、早川、稲岡夫妻。

      今日は電動ノコギリの音も響いたが、草取りが主作業であった。
例年のように、秋にワラを敷けば今ごろ草は生えないが、去年はワラが手に入らなかったので、やむをえず韓国から輸入されるものに頼った。しかし韓国のワラは鳥インフルエンザの影響で輸入ができず、ワラの代わりに輸入牧草を使った。

     肥料としての効果は同じであるが、牧草には他の草の種が混じっており、春になるとそれが芽を出すのが欠点だと購入先の農協に言われていた。しかしほかに方法もないので覚悟の上でこの牧草を竹林に敷いた。いま生長したものを見るとどうやらそのたねは芝だったようだ。
今日は雨上がりだから芝を根こそぎ抜くことができるが、一ヶ月後には根が張ってしまうだろう。

     全員がかがみこんで黙々と草引きにいそしんだ。絶え間なく警句やウィットを発する先輩も今日は顔を土にくっつけんばかりの姿勢を続けている。竹林に静かな時間が流れている。

     私事であるが昨日(6月末日)をもって、大阪通いがお終いとなった。数えてみれば50年の“お勤め”、あと二ヶ月で73歳になる。
50年前の男性ならとっくに隠居である。隠居さんには家庭での威厳もあったし、部落・町内でのご意見番でもあった。隠居仕事は家の中の手仕事であったり、仏事であったり、庭の手入れであったり、孫たちに昔話を伝えることであった。ときには昼寝の自由もあった。

      しかし現代は退職したからといって隠居の身分があるわけではない。高齢者は家族制度に守られるというよりは個人として立っていなければならない。日本の社会もすっかりアメリカ風に変わってしまい、グローバリズムは東洋社会のシキタリを消してしまい、いまやただ高齢の個人である。

   竹林で草を引いていると、時代の変化の激しさに気付かされる。かつての隠居仕事が今はボランティア活動となり、家族や近隣よりもっと広い社会に貢献するようである。社会の高齢化をうまく回転させなければならない。長寿の時間をうまく使わなければならない。退職しても竹林で汗を流し、そよ風を心地よく思うのは幸せというべきなのだろう。
                                                                                                                         from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・平成18年度総会

 2006. 6. 24  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「平成18年度総会」2006・06・24(土)晴れ、
                                                                         がんこ二条苑
参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、荒木、錦織、稲岡。川路、尾崎、原。

     竹林の中と違って京都の街中は暑い。「料亭がんこ」は庭園があるし個室が借りられたで、12名の総会は和気藹々としたなかで進んだ。平素の竹林作業のときはまじめ一方の人が、この日はアルコールと共に別の面も見せることもあり、愉快なひと時であった。 


 

 

 
  この一年の活動資料を眺めているとなかなかの内容に思われる。
放置竹林の整備と水資源の涵養、タケノコの伝統的栽培に対する技術保存と啓発活動の二つの目的をまっすぐに追ってきた姿勢が現れている。
これらが無理なく、楽しく実践されている点が我らの集団の特徴。自画自賛してもよいと思う。

  昨年度の事業報告
 平成17年8月1日  面積2倍となる(2115u+1990u)
          8月27日  備品21万円購入 チェーンソウ初出動
          9月3日   西山森林整備推進協議会が研修に入山
        11月12日 ユンボ作業
       12月17日 忘年会
 平成18年1月18日 仕事はじめ     
                3月25日 初掘り 14キロ
          4月1日  スウェーデンから4名入山
          4月5日  釜など設置
          4月8日  一と百の会 初めてバーべキュー料理を試みる
          4月8日  町のお宝拝見 第一班
                              (放置竹林の学習、竹の伐採とタケノコ掘り)
          4月22日 同 第二班
          4月27日 四季の会
          4月29日 生涯学習(婦人教育会館で座学と入山実習)
                5月6日  掘り納め
                5月30日 芯止め作業
 

 

 

 
    いま思えばこの一覧には、藁しき、肥料散布、土入れなど辛い作業を落としているのは拙かった。詳しく知りたい方はホームページを見てほしい。

     私個人もこの一年に、関係の読書は10冊を超えた。
  竹についての本、
  水資源問題、
  農業の本、
  食品と市場について、
  食文化について、
  植物など、
  竹を扱った文学作品、
たくさんのことを学んだ。この会にかかわったお陰である。

   総会において次の一年の方向が定まったから、長岡京市竹林友の会の活動はいよいよ本格化することだろう。
  総会では「平成17年度」としてきたが、いま去年の資料を見ると、既に17年度とある。この竹林日記ではとりあえず、昨日の総会を「18年度」と表示し、皆さんの意見を聞いてからあらためて定めたい。
                                                                                                                          from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・砂漠と旱魃防止

 2006. 6. 17  杉谷保憲

 

 

 

 

 

 

竹林日記「砂漠と旱魃防止」2006・06・17曇り

参加者 山部、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、荒木、錦織。安田。

      作業日和と言うべきか、汗は流れるが蚊はこない。伐採、竹の焼却、草引きが今日も続く。
安田さんが「この草は外国の芝のようです。根を張ってしまうと始末が悪いから、早く引いてしまいましょう。」と言う。先週も草抜きにとりくんだが、一週間の間にまた生えたらしい。

   ワラの代わりに使った輸入の牧草のなかに潜んでいたものが姿を現したものだ。安田さんの指摘を待つまでも無く、夏までに処理しなければなるまい。時間との戦いになりそうだ。

     来週6月24日は年一回の総会。作業は休んでがんこ二条苑へ。12時から正確にスタートするので早めにお集まりのほどを。できれば議案書は事前にEメールでお届けするつもり。(まだできていない。)

      今日6月17日は「砂漠化および旱魃と闘う世界デー」とある。1994年(平成6)、国連でこれらの防止の条約が成立した日であるという。

   そういえば今年春の黄砂はひどかった。車のフロントガラスに砂が厚く積もった。夏は旱魃の襲来であろうか!
今後のために、子孫のためにも、
私たちも今なにかをしなければならないのだが・・・。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・鎌田さん、待っています!

 2006. 6. 10  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「鎌田さん、待っています!」2006・06・10(土)曇り

参加者 山部、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、荒木、稲岡夫妻、早川、錦織、濱村。(安田、鎌田)

   休憩時間に鎌田さんが竹林に現れた。皮膚病が治りきらないので、竹林メンバーから離れたいとの申し出。確かに脚の皮膚には痣のようなただれの痕がある。
それを見て皆がアアでもないコウでもないと言いはじめたが、京都大学病院の濱村女史の看たてはさすがである。
羽毛の布団や枕を使っていませんか?
鎌田さんは思い当たるところがあるので、一々うなずく。
すると周りがくちばしを入れる。

   濱村さんは毅然としてたしなめる。羽毛が悪いわけではありません。体調が悪くなると、羽毛でもアレルギーを起こすことがあるだけです。しばらくそんな布団や枕を遠ざけてみたらいかがですか・・・。
今度は皆が口をそろえた。
「鎌田さん、よく治してまた来てね。待っていますから。」
彼女が竹林を降りていくのを見送った。

 

 

 

 


   作業は草取り、伐採、竹の焼却、タケノコ発生年の書き入れ 落ち葉清掃など。それぞれが蚊取り線香を腰にぶら下げて。

     この日の作業中に私はまためがねを竹林に置き、その行方が分からなくなってしまった。眼鏡をはずして顔の汗を拭き、そのまま忘れてしまうのであった。実はこれまで2度の前科がある。その顛末について竹林日記に記したことがあり、今度は恥ずかしくて書けない。(翌日、山の神の霊感、執念に頼って探しに入ったが、今度は発見できなかった。)

    さて年一回の総会の準備をしよう。

とき  6月24日(土)12時〜14時 (飲食も含む)

ところ がんこ高瀬川二条苑(ホテルフジタの南 075−223−3456)

議題  役員改選 決算報告 新年度事業計画 会則の改正 入退会について その他(飛び入りの話が舞い込んだ。乞うご期待!)

課題  来年こそは個人負担金を減らすことを図ろう。

                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  $$$竹林日記$$ ・・・「異国の牧草の香り」

 2006. 6. 3 高田 豊

 

 

 

竹林日記「異国の牧草の香り」2006.06・03(土)晴れ

参加者  山本、山部、塚崎、高田、野本、窪田、荒木、稲岡夫妻、錦織。

  今日は一気に人数を増して、残りの芯止め作業。下名はカメラを構えて、この口では説明し難い「芯止め」の有様をムービーに収める。15秒のショットを約30ショットも費やして、中にうまく先端が落ちるさまが、収まったのが僅か3ショットあり、これを後でムービーに編集した。

 

 

若竹の芯止め(その一)

若竹の芯止め(その二)

 

   何月振りだろうか、山部長老が元気な声と共に姿を見せる。 残りの人々と共に、草取りの続きを行う。
敷き藁の代わりに使った、異国の牧場から切り出したという枯れ草からコボれ落ちた種が発芽した若草は、柔らかく艶やかで、ほのかな香りを放つ。根はそれほど深くなく、根こそぎ取れる場合が多い。

  一反以上は草取りが完了しただろうか。 蚊の襲来と共に、竹林はもう、初夏である。

                                                            高田記