902.nippon.com 2025年05月26日
    認知症でも「自分は変わらないぞ」と戦う84歳:その元気の源とは

5/26(月) 11:26配信 

竹を切ってベンチを作る、東京都町田市で
筆者撮影(撮影=持田 譲二(ニッポンドットコム))



竹製ベンチは4月、ミニコンサートの観客席に
提供:高橋祐司氏(写真提供=高橋祐司)



作業中の岡本さん(右) 筆者撮影(撮影
=持田 譲二(ニッポンドットコム))
高齢化とともに急増する認知症の人々。その多くは家と介護施設を往復する生活になりがちだ。東京都町田市では、そんな日常から抜け出し、毎週1回、竹林で労働に汗を流しているグループがある。楽しい体験を共にすることで仲間ができ、前向きに生きる力を得ている。

1時間で竹製ベンチが完成

人口43万人のベッドタウン、町田市は市街地を離れると、山林が広がる。2月中旬の朝、その一角の竹林に20人近くの男女が市内各所から集まってきた。その多くが軽い認知症の高齢者だ。たき火を囲んで互いに言葉を交わしていると、リーダーの松本礼子さん(一般社団法人「Dフレンズ町田」(※1)代表理事)が「今日はベンチを作りましょうか」と声を掛けた。

作業が始まった。高さ20メートル近くもある竹をのこぎりで切り倒す人。枝をはらい、ベンチの長さに合わせて切る人。地面に2本1組のくいを2組打ち付ける人。くいの間に竹を並べて縄できつく縛り付ける人──。「あ、そこ切りすぎだよ!」などと声が飛び交うなか、整然と分業が進み、わずか1時間で青々とした竹製ベンチが2脚出来上がった。座り心地は上々だ。

仕事を終えると、大鍋のうどんをみんなですする。「この辺で安い輸入米が買える店はないかな」。メンバーの一言で話に花が咲く。完成したベンチは2カ月後の4月半ば、「竹林コンサート」の観客席となった。夏には竹を使って流しそうめんの会を開く予定だ。

竹林での活動は年に1回程度の「イベント」ではなく、毎週木曜日と定期的に行われ、参加者の生活サイクルに組み込まれている。声を掛け合い仕事に汗を流し、ごく普通に会話している姿を見ていると、一体どこが認知症なのか、はた目にはよく分からない。認知症になると、何もできなくなるというのは勝手な思い込みにすぎない。

(※1) Dは「認知症」の英訳語dementiaの略

発症から17年たっても

メンバーの1人で人気者の「岡ちゃん」こと岡本寛治さん(84)は普段、デイサービスを受けるため自宅から介護施設へ通っている。「ここは施設とは全然、違うよ。山があるし、自分の好きなことをやって、おいしいうどんで腹いっぱいにもなる」と話す岡本さんにとって、仲間との大切な交流の場でもある。

「(認知症だからといって)妙に大事にされても困る。お互いに思うことを言い合い、肌と肌で付き合うから、びしびし伝わってくるんだ」

現役時代は大企業で広告や宣伝を手掛けるグラフィックデザイナーとして活躍していたが、2008年に発症。「長生きしていれば、誰でもぼけてくるよ。それぐらいの軽い気持ちで受け止めて、ぶつかっていかないと、自分の存在が消えてしまうんじゃないか。その恐怖と戦っているのよ。自分は変わらんぞって」

時々、勘違いや物忘れがあるものの、言葉の端々からは強い意志と、84歳とは思えない前向きさが感じられる。発症後17年間もの長期にわたり、意欲的に生きてこれたのは本人の資質とともに、「竹林の会」の存在や、やりたいようにさせてもらえる家族の包容力が大きいという。

会社員生活を辞めた今でも「岡本デザイン室 クリエイティブ・ディレクター」と記された名刺を持ち、部下8人の事務所を率いる。「竹林の会」の木曜日を除き、岡本さんはデイサービスを受けた後、事務所に向かうことがある。

仲間同士で支え合う

竹林での活動が始まったのは2018年。認知症の人々の居場所作りをサポートする「Dフレンズ町田」を率いる松本さんは当時、認知症当事者から「体を動かしたい」「働きたい」という声をたびたび耳にするようになった。そこで市有地の竹林を借りてプロジェクトを始めた。開催回数(雨天の日を除く)は7年間で300回近くを数える。そこには技術指導する農家の高橋祐司さんや、うどんを振る舞う青木瑠璃さんらボランティアの支えがあった。

「認知症だと社会でないがしろにされることが多いけれど、ここは伸び伸びと素でいられる場。身体を動かし、自分らしさを維持することが症状の悪化を防ぎます」と松本さんは言う。

また同じ境遇の人同士が心を開いて支え合う意味合いも大きい。

施設でも知り合いはできるが、「デイサービスの時間帯は介護者からサポートを受けて過ごしています。知り合いと自由に出掛けることはできず、ほぼ管理されている」(松本さん)。介護職の仕事量は膨大なため、認知症当事者の心のケアまで手が回らないとの声も聞かれる。こうしたことから、施設のケアマネジャーの判断で、「竹林の会」への参加が勧められることもあるという。

当事者には家族にも言えない悩みがあり、自分の症状と向き合い孤独でもある。施設と家を往復するだけではなく、「何でも話せる仲間を作るのはとても大切なこと」と、母親の介護経験がある脳科学者の恩蔵絢子さんは指摘する。

「苦しいのは自分だけではない」
実際、「何でも話せる仲間」のおかげで、絶望の淵から立ち直った人がいる。

鈴元太郎さん(仮名)はある日、突然記憶が抜け、頭の中が霧に包まれたようになり歩けなくなった。認知症と判明してからは寡黙になり、自宅にひきこもっていた。だが、本心は違った。「友達が欲しい」。心の底から絞り出すような声を聞いた家族が、人づてに松本さんに相談。

「竹林の会」とは別ルートで松本さんが仲介し、鈴元さんは友人を得た。相手の人は犬と散歩中に突然、どこにいるか分からなくなり、公衆電話から家族に助けを求めた経験があった。

「苦しいのは自分だけではない。分かり合える人がいるのはありがたい。あのままひきこもっていたら、駄目になっていたと思う」。鈴元さんは今では見違えるように張りのある声で、こう語る。

基本法と現実のギャップ


認知症への理解や啓発のために開かれる「まちだDサミット」は、
毎年多くの参加者を集めて盛況だ
Dフレンズ町田の松本さんらの地道な活動と表裏一体の関係にあるのが行政の存在だ。2040年に高齢者の2割が認知症になると見込む町田市は、「認知症とともに生きるまちづくり」を掲げる。市は「Dフレンズ町田以外にも認知症の方々に寄り添う活動が数多くあり、どれも活発。そういう素地があるから、いろいろ施策を展開できる」という。

松本さんも「市は私たちへの委託事業など資金面で支えてくれたり、イベントを開催してくれたりする大事なパートナー」と話す。草の根的な活動と行政が二人三脚で歩む町田市は、先進的なケースだろう。

だが、全国の自治体でも同じように環境が整っているわけではない。町づくりを担う地域の人々の協力が欠かせないのに加えて、行政の在り方が問われている。日本医療政策機構のシニアマネージャー、栗田駿一郎氏は「行政は何よりもまず認知症当事者が何を望んでいるのかを知ることが大事」と話す。

こうした当事者や家族の声を吸い上げるアンテナが、各自治体の高齢者支援・相談窓口の「地域包括支援センター」だ。同センターには自治体直営もあれば、民間に業務委託している場合もある。「委託型だと、自治体によっては丸投げしてしまい、せっかく包括支援センターに集まった情報を共有できていないことがある。『うちの街には認知症の人がいないんですよ』と真顔で話す自治体関係者もいる」と、栗田氏は打ち明ける。

政府は2024年、認知症基本法を施行し、「認知症の人が希望を持って生きられる社会」を打ち出している。「基本法の方向性と現実との乖離(かいり)はまだ大きく、認知症になったら何もできなくなるという固定観念が社会には根強い」と同氏は指摘する。高齢化が加速するなかで、「待ったなし」の対応が迫られている。

【Profile
持田 譲二(ニッポンドットコム)
ニッポンドットコム編集部。時事通信で静岡支局・本社経済部・ロンドン支局の各記者のほか、経済部デスクを務めた。ブルームバーグを経て、2019年2月より現職。趣味はSUP(スタンドアップパドルボード)と減量、ラーメン食べ歩き。

5/26(月) 11:26配信 nippon.com