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31 竹林日記   「今年初めてのエコツアー」 

 2014.04.12(土) 山本 律

 

竹林日記  「今年初めてのエコツアー」  2014・04・12(土) 晴

 参加者:荒木、池田、稲岡、稲岡(喜)、大西、尾崎、梶原、川路、窪田、小椋、澤、
      世良田、竹内、塚崎、錦織、野本、原、山本。 [18名]

 来訪者:ダイハツたけのこレディースA  畑さん、武田さん(稲岡さんのかつての部下)  合計 20名



 朝のうちは肌寒かったが、日が高くなるにつれて気温が上がって、みなジャンパーを脱いで、汗を拭きながら筍を掘っている。ついこの間は、冬の再来かと思うほど寒かったが、今日は温度計は見ていないが20℃は確実に超えている。20℃を超えると夏日である。4月も半ばだからこんな陽気があっても不思議はないともいえるが、今年は気候がおかしい。地球の温暖化のせいだろうか。



 竹林じゅうに竹串が立っている。今年は筍が豊作だというがこの竹串の立ちようを見ると豊作は間違いない。外部に送る分と参加者が受け取る分を合わせると大ざっぱに言って1トン近く筍を掘り出していることになる。これは竹の学校の竹林が1トン近く軽くなっていることを意味する。竹林が軽くなるなんて考えたこともないが事実である。

 これは竹の焼却にも言える。いままで竹林に生えていた竹を燃やして灰にすれば竹林は間違いなく軽くなる。ほかのメンバーは筍を掘って竹林を軽くしているが、私(山本)は竹を燃やして竹林を軽くしている。
 放置竹林を整備するというのは、竹林を軽くすることなのだ。



 またしても竹林整備と関係のないことを書く。
 いまから60年以上昔のことだが、敗戦直前には日々の食事にもこと欠くようになって、雑炊の配給というのがあった。米粒が入っているのかどうかもわからないどろどろしたものを貰うため、鍋を持って行列を作った。
 家まで持って帰るのが待てなくて、歩きながらすすりこむ者もいた。
 そんな雑炊は、学校へは持って行けないから、脱脂とうもろこしを煮たものを弁当箱に入れて持って行った。箸では食べられなくて、弁当箱の隅に掻き寄せて啜りこむようにして食べた。

 その一方で、主として権力と結びついた軍人の中には、米の飯と肉を食っていた連中もいたらしい。
 そして言うのが「ほしがりません 勝つまでは」だった。
 しかも、本来は日本の将来を背負わねばならない若者を、片っ端から死に追いやって。
 国民をそんな目にあわせておきながら、本当に勝つと思っていたのか。ある意味で、戦争に負けて幸いだったといってよい。

 いまの政治家は戦争を知らない者ばかりである。


                   山 本 律


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【本日の竹林風景】 ~Inaoka

 今日は今年初めてのエコツアーの受け入れです。と言っても私の勤めていた会社の同僚のお嬢さん達です。エコツアーは2008年から、竹の学校の経済状況を改善するため、竹林維持に協力頂くために始めました。その最初のエコツアー客なのです。私がもっとお爺さんになっても来続けてくれると良いのですが。

 竹林のほうは週3日登校になっても、たけのこを掘り尽くせなくなってきました。収穫ピークが近いようです。頑張って掘るしかありません。

 今日は土曜日なので、ミーティングで理事改選とNPO法人について、女性たちにも意見を頂きました。理事もNPOも現状で良いということで有り難いのですが、これでは永久理事になってしまいます。継続してミーティングで意見を伺っていきますのでよろしくお願いします。


・休憩タイムのミーティングです。随分暖かくなってきました。
・乙女の丘のホリ風景です

・太陽の丘のホリ風景です
・太陽の丘の6つ子のたけのこです


・一気に6つ子を掘るホリ名人です

・たけのこレディースのお嬢さん達です
・いつもの記念写真です

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