竹の学校Top へ戻る
 List Back  Next 


 

67 竹林日記   「梅雨が明けるとセミが鳴きはじめる」 

 2014.07.23(水) 山本 律

 

竹林日記  「梅雨が明けるとセミが鳴きはじめる」  2014・07・23(水) 晴

 参加者:稲岡、稲岡(喜)、梶原、窪田、小林、世良田、辻井、野本、山本。 [9名]



 雨が降る上に蒸暑いために、この間から窪田さんがバスを利用するようになった。いままで一人で乗っていたバスに話し相手ができて楽しくなった。
 長岡天神のバス停でバスを待っていると窪田さんが「セミが鳴いてるな」と言った。最近私は聴力が衰えてセミも街の雑音も同じ音に聞えていたが、言われてみると、このシャーという音は、セミである。そのつもりで聞くと、どうやらニイニイゼミらしい。
 光風台でバスを降りて、長法稲荷の坂を上がっていると、違ったセミの音が聞えた。さっきより音が大きい。これはアブラゼミだ。
「もう少ししたらクマゼミが鳴きはじめるな。クマゼミはやかましいほど音が大きくて、聞いたらすぐわかる。
 それが過ぎたらツクツクボウシや。あれが鳴くと、秋やと思う」
 そんなことを言いながら竹の学校の竹林に入るとセミの音が聞こえなくてシーンとしている。竹林というのは音のしない世界だ。


 今日も梶原、小林、世良田の3人がコラサ竹林に入った。かなり荒れた竹林のように聞いているが、私(山本)は入ったことがない。どんな荒れようなのか一度入ってみようと思うが、竹の焼却をはじめると目を離すわけにいかない。あいつはいつもあそこで何をしてんのやと思う人もいるかしれないが、これが私の仕事なのである。

 それにしても静かである。人影一つ見えず、物音一つしない。休憩で集ったとき聞いてみた。
「ものすごう静かやけど、みな どこで何してはんの」
「あそこで草むしりしてんね」
 と指さしたのは、コンサート会場跡だった。なるほど、それでは人影も見えず、音もしないわけだ。



 またしても、くだらない話を一つ。

 人にものを贈るとき
「くだらないものですが」
 と言う。
 考えてみると、これは東日本の言葉である。
 というのは、くだらなものというのは、下りもの、つまり京都、大阪など、いわゆる関西地方の産物ではないことを意味する。江戸の人間は京都や大阪、つまり上方の品物に憧れているのである。
「上方から下ってきたものではない、地場産ですが」の意味である。
 こいうとき上方(関西)では「つまらないものですが」あるいは「お口よごしですが」などと言う。
 東京(江戸)は、文化的には「いなか」である。洗練されたところがない。


                   山 本 律


=================================================
【本日の竹林風景】 ~Inaoka

 今日も暑い中、こらさ竹林の整備と、長法寺竹林も整備と草刈りが続いています。こらさ竹林組は汗だくで帰ってきます。長法寺竹林は木陰に囲まれた中での作業で、恵まれていると感じます。

 かなりやぶ蚊の攻撃が激しくなって来ました。今日の作業ズボンのGパンの上からでも刺されます。最後の片付けで蚊取り線香を消してから肌の出ている所は大変です。年寄りの血なんかまずいです~ョ。

・こらさ竹林組の出発風景です
・長法寺組も休憩風景です

・花壇のアジサイの剪定と竹林に撒かれた剪定屑です

TOP     List Back  Next