2006年(前半)の竹林友の会活動報告

 

 


      $$$竹林日記$$ ・・・  2006. 5. 31 「芯止め」
       杉爺の竹林日記 ・・・  2006. 5. 27 第一枝が出ない
       杉爺の竹林日記 ・・・  2006. 5. 20  同志社大学
       杉爺の竹林日記 ・・・  2006. 5. 13  空白の十日に
         $$$竹林日記$$ ・・・  2006. 5.  6 「掘り納め」
       杉爺の竹林日記 ・・・  2006. 5.  3  ジャンボ
       杉爺の竹林日記 ・・・  2006. 4. 29 長岡天神
        杉爺の竹林日記 ・・・  2006. 4. 27 齢七筍にあまる人
        杉爺の竹林日記 ・・・  2006. 4. 22 春昼
       杉爺の竹林日記 ・・・  2006. 4. 19 のどかな春はいずこへ
      
 杉爺の竹林日記 ・・・  2006. 4. 15 タケノコから食糧自給を思う
                                        
ホリを使ったタケノコの掘り方 動画
      
 杉爺の竹林日記 ・・・  2006. 4. 8  大失態
      
 杉爺の竹林日記 ・・・  2006. 4. 5  錆落とし
      
 杉爺の竹林日記 ・・・  2006. 4.  1 スウェーデン
       杉爺の竹林日記 ・・・  2006. 3. 25 ‘06初堀り
       杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 3. 18 かがり火
       杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 3. 11 モウソウ学習
       ★ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 3.  4  掘り鍬
       杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 2. 25 堂々?の備品
       杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 2. 18 考古学ファン
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 2. 11 生涯学習の初日
       ★ 杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 2. 4 参道になにを植えるの?
                       ・・・  2006. 2. 5  山村さんからのメール
                 ・・・ 
2006. 2. 5  原さんからの手紙
 
       杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 1.28 水資源の涵養
      杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 1.21 「藪の中にて」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 1.18 「仕事始めに初物」
       杉爺の竹林日記 ・・・ 2006. 1. 1 「年があらたまって」

 

 

 

 

 

 

 

 

  $$$竹林日記$$ ・・・「芯止め」

 2006. 5. 31 高田 豊

 

 

 

竹林日記「芯止め」2006.05・31(土)曇り時々晴れ

参加者  塚崎、高田、野本、荒木、錦織。

  今年は、竹林の春の風景が例年と少し異なる。タケノコの幹はズン胴のままで、はるかに見上げるほどに 成長しているが、そのどこからも、枝になる分枝が見当たらないものが多い。しかも、これらの幹はかなり堅く 丈夫になっており、先端部をうまく共振させて、揺れの振幅が大きくなるように、うまく揺さぶっても、いたずらに、しなるばかりであり、先端は折れ落ちてくれない。 晴天不足のため、若竹は日光を求めて先へ先へと幹を伸ばすからなのであろうか。

  今日は、2-3日好天が続くのを待って、芯止め作業のための臨時作業日である。揺さぶっても、先が落ちないものには、竹の中ほど3-4メートルのところまで、輪を付けたロープを持ち上げ架けて、ローブの他端を引っ張り、揺さぶる方法をとる。  野本さんと下名で作業しているうちに、 塚崎
錦織さんが到着、草取り作業を始める。こちらの方は、まるで男の井戸端会議宜しく、阪神タイガースのことなど話題が弾む。

  やがて医者通いを終えた荒木さんも、作業に加わった。 本日の成果は、芯止めが約20本、草取り完了が0.5反といったところか。それに、輪が抜けなくなり、ぶら下がったままロープが一本

                                                            高田記

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・第一枝が出ない

 2006. 5. 27  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「第一枝が出ない」2006.05・27(土)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、荒木、稲岡夫妻、錦織。

      土曜日が雨続きで作業が流れていた。今日も長期予報は雨であったが、幸か不幸か当たらなかったので皆が晴々した表情で集った。

    野本さんは先週2度も竹林に来たという。新竹が成長している状態の観察である。
5〜6メートルに伸びている今頃は、中ほどでタケノコの皮がはがれて、初めての枝がでるときである。その第一枝がでたとき、両手で稈(かん)を揺すると、竹の先端部分が折れて落ちる。これを芯止めという。芯止めをすると、竹の成長が止まり、エネルギーは地下茎に廻り、来年のタケノコ(地下茎の芽)になるとされている。

      野本さんは芯止めの時期を探るために観察しているのだが、今年はまだ一本の竹にも枝が出ない。おかしいなとしきりにぼやいている。

    気象庁は昨日、例年にくらべて今年は日照時間が不足していると発表した。それをうけてTVニュースはえんどう豆がペチャンコ姿になっている映像やきゅうりが縮こまっている畑の模様を流していた。

     新竹の第一枝がでないのは、日照時間不足と関係があるのではなかろうかと、素人たちがワイワイしゃべった。

     農業というのは自然と全く重なって一体のものだ。工業との違いが鮮やかだと思う。
その工業が地下水を吸い上げ過ぎて、水資源が枯渇の危機にある。

      また森林や竹林が人手不足のために放置されると荒れてしまい、雨水が流れ去り、舗装道路などを走り、結局地下水にならない。これも水資源はますます痩せている。

    長岡京市竹林友の会はタケノコ作りの伝統技術の継承をうたっている。そのための放置竹林の整備作業はタケノコ作りの第一段階であるが、実はこれが地下水の確保にも役立っている。そのため水資源涵養の助成金は今年も貰った。

   来週水曜31日は第一枝が出るかもしれない。もし出るとなるとこの日だけが芯止めのできる日となる。作業の可能性もあるので、連絡にご注意を。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・同志社大学

 2006. 5. 20  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「同志社大学」2006・05・20(土)雨のち晴れ

参加者 塚崎、高田、野本、窪田、荒木、錦織(会員候補)。

   昨日夕方、高田さんとバスの中でばったり。
高田「明日は小雨でも竹林に入りたいものですね。」
杉谷「作業日が一回抜けると体がうずうずしますね。」先週は雨で休日となり、物足りないのである。

      今朝は5時に目が覚め、天候観望。予報は午前中雨、午後曇りであるが、今日もはずれるようだ。遠足やゴルフでもないのに、こんなに天気予報を気にするのは竹林作業があるからなのだが。

今朝の空は明るい。メンバー諸氏にメールを発信した。
<天気は良さそうだから出動しましょう。>

   8時50分、竹林へ出かけようとすると横殴りの驟雨に変わっている。あわててアマ合羽を探していると、野本さんから電話である。
「今、竹林です。この雨では作業は続けられません。来た人は6人ですが、引き上げます。小枝が出た竹は一本だけ、これだけは芯止めをしました。」
皆さん、すみませんでした。判断ミスでした。

    10時ごろにはまた日が射して一面に明るさが戻ってきた。しかし風は強い。黄色い竹の枯れ葉が舞う。タケノコが終わるとただちに“竹の秋”となる。

     午後、京田辺の同志社大学キャンパスの「竹の高度利用研究センター」での研究発表会に出かける。3人の講師だが、竹の分子構造や竹の繊維のことなどチンプンカンプンである。
発表会は途中失礼して構内を散策する。 広大な敷地の緑の中に低層の建物が並ぶ。 なにかアメリカの大学キャンパスを歩いているような感じである。(留学したことはない。取材でワシントンDCとロサンゼルスの大学を見ただけ。)
今、日本の大学はこんなにいい環境になったのだろうか?

   伐採竹の利用法がなくどこでも焼却処理している。もったいないことだが、竹炭づくり、竹酢液づくりは採算がとれないので、あまり活発ではない。(竹炭による水質浄化は環境保全に役立つ。しかし資金を出すところがない。)
なんとか伐採竹の利用を研究してほしいと思い、出かけてみたが理解ができないのは悲しいことだ。大学の雰囲気を味わったことで一日が終わった。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・空白の十日に

 2006. 5. 13  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「空白の十日に」2006・05・13(土)雨

      朝9時前に荒木さんから電話がある。「雨だが今日は作業をするかどうか?メールを出したが返事がないので・・・。」
皆さんは、この雨では作業なし、休みを決め込んでおられる。しかし真面目な荒木さんは連絡がなければ、作業は普通にとお考えであろう。

    私も急に心配になってきた。近頃新入会員も多いことだし、誰か竹林に来て困惑されている人がいないとも限らない。出かけてみよう。

    竹林は雨に濡れて落ち着いた風景。先週は休んだので10日ぶりに眺めた。タケノコが伸びている。前回は地上2〜3センチだった可愛いタケノコが今朝は4〜5メートルの高さ、見上げるばかりである。稈は太く、すでに一部竹皮ははがれかかっている。力強い。

   先週の土曜日には私は東京で葬儀に参列してきた。友人は享年59歳。13年も年下である。自殺であった。
彼が52歳で会社を起こすとき意見を求められ、私は激励した。その後は年賀状など慣習的な連絡をする程度だった。けれども慕ってくれていたので、なにかあれば必ず相談があると思い込んでいた。その報に衝撃をうけた。

      実は私にも経験がある。長崎から帰って大阪で会社をつくった。ものは作れ、ある程度の販売もできるが、資金繰りは苦しかった。そこへ甘いことを言う人が現れる。
普通に状態ならそんなことには乗るわけはないのだが、苦しいときには正常な判断はできない。だまされる・・・判断を誤る・・・執着を断てない・・・
へとへとになる・・・

    私には、事情を知って必死になって止めたり、防衛してくれた人がいたので、辛うじて生き延びてきた。そのころを思い出すと今でも胃に苦汁が流れだす。金策に敗れた彼の葬儀に私は涙が止まらなかった。

   10日目の竹林は、新竹の節にでる白い粉と皮がはがれて現れた青が、雨に打たれ続けている。それが私に、生きていることと死ぬことが裏腹であることの不思議さを思わせる。
                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  $$$竹林日記$$ ・・・掘り納め

 2006. 5.  6 高田 豊

 

 

 

竹林日記「掘り納め」2006・05・06晴れ

参加者 山本、塚崎、高田、野本、窪田、早川、荒木。鎌田、尾崎、川路。
     会員参加希望者1名、 ゲスト 5+1名


    今日は、いつも明るくて周囲を和ませ(髪のことではありません)、かつ、存在感にあふれた会長の顔が見えないので、竹林全体が淋しく感じる。ご不幸があり、急遽、東京行きのためである。替わりに会長ご夫人と娘さんご夫婦とお孫さん2人がゲストだ。  

 

 

 

 

     タケノコは前回の掘り残しのの他は、 新しく出てきたものは少なく、 それらは、やや小ぶりで良い形のものが少ない。どうやら、今日が今年の掘り納めであるらしい。という訳で、もう、水曜日は休もうということになった。

   
古竹が堆積した溝の中で、カブトムシの幼虫が発見され、子供の歓声が竹林に響く。鎌田さんが、またたく間に4匹を探し出し、それをお孫さんが大切そうに持ち帰る。

    
休憩時間に総会の場所・日程など話し合った。  新規入会の人は要領が判りにくかったと思うが、 古参メンバーの意見の多くは、今年の総会は日帰りの日程でとのことであった。日取りは、平日を避けて6月24日(土)にという意見であつた。なお、宿泊付きの総会は、隔年開催で良いという意見。
 
   
過去に、 竹林の四季の写真を、秋、冬と撮り集めて来た。 春は、  お稲荷さんの山桜の写真に加えて、 タケノコがニョッキと生育した写真が、今日初めて撮れた。川路さんも、カメラを構えて竹林の春を写している。さて、夏はどうしたら季節感が判かる絵に出来るかは、未知数であるが、四季の分が揃ったらホームページにアップすることにしよう。

作業日は来週から土曜日のみで、次回は13日(土)。

                                                        今回は高田記

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・ジャンボ

 2006. 5. 3  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「ジャンボ」2006・05・03晴れ

参加者 塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、荒木、早川、稲岡夫妻。
            ゲスト 4人

      早くも5月に入った。八十八夜はこの頃ではなかったか?いや、もう過ぎたのかなあ。古沢さんたちや南井夫人は来る。しばし亡き南井さんの話をする。 

 

 

 

 

   今日もジャンボタケノコがよくとれる。一本で5キロのものすらあるから異常に思う。そんなのを抱えて帰途の車に近づいた。
すると稲荷神社の入り口右の竹林のおじいさんが私を見て声をかけてくる。
「今年はまあまあでんな・・・」
「はい はい。去年は不作に泣きましたから、それを思うと有り難いです。ところで なんでこんな太くて長いタケノコになるんですか?ジャンボが多いですよ。」
「それは、畑が若いからでっしゃろ。まだ(耕作は)2年でっしゃろ?私は27歳からこの畑をつくりましたが、50年かかっています。はじめは道より畑が低かったのですよ。今は道より1メーター50は地が上ってますわな。」
「50年間に毎年、藁を敷き、その上に土を盛って、2メーターに盛り上げたというわけですね。」
「そうでんねん。 5年藁敷き、土もりをすると、 タケノコ畑も一人前、そうすると、 細くまっすぐなのが出てきますワ。」

 

 

 

 

     家で湯がいてみたが、ジャンボは肉が黄色である。近頃は肉の白いものを食べつけているので、つい不満になる。しかし賞味の夕食はこれからである。
いいものが摂れるのは6日(土)が最後かと思う。今年のフィナーレに幸いあれ!

     阪神―巨人のTVが始まるので、心ここにあらず。阪神がんばれ!
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・長岡天神

 2006. 4. 29  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「長岡天神」2006・04・29晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、窪田、早川、荒木。鎌田、尾崎、川路。
           ゲスト 3名

     ゲストのうちの一人は古澤さんである。初期の「まちづくり市民懇談会」のメンバーであり、彼女も竹林PJに加わっていた。その後「わくわく自遊クラブ」という子どもの能力を伸ばすプロジェクトを開発して、全国から注目を浴びている。「まちづくり市民懇談会」は(今も名称は残っているが)「長岡京市竹林友の会」など4つに分かれてそれぞれまちづくり活動をつづけている。  

 

       先回に市民グループを引率して来訪した堀さんもそうであるが、この古い友人たちが来てくれるのはとてもうれしい。今も信頼の絆でつながっていると思う。

 タケノコ畑として我々の竹林を見ると、足りない点が目に付く。今日は土がすでに乾いて、ひび割れが走っている。まだ敷き藁や土入れが不足していることを表している。一人前のタケノコ畑になるにはまだ数年はかかりそうだ。
よその畑はこれから最盛期を迎えるのに、我々の畑はもう終わりのようだ。そしてタケノコは根が深くなってジャンボが多い。なにか荒々しい。数はそんなに多くないのに60キロも採れた。
      帰途、長岡天神社に入った。昭和41年刊「竹の風土記」にはこう書かれている。その昔、ここにはお寺があった。

 


  西山に閑居していた菅原道真は幼い在原業平を可愛がり、この境内で詩歌管弦の遊びをしていた。  道真は大宰府に流される折、長岡のお寺を思い出し、ここに駕籠を止めた。そして東小路祐房に「わが魂 長くこの地に留まるべし」と言った。道真の死去後に、祐房によってお寺の場所に天神社が建立されたとする。

   このまちではタケノコ祭りがはじまり、タケノコを求める人がひきも切らない。  西山の奥深い竹林にも繰り出して、掘りたてのものを求めていく。
そして天神の参道のキリシマツツジは色づいてきた。  まもなく深紅に変わり、八条ケ池に映える。赤い週間がくる。

 

      作業日は来週から元の通りに返し、3日(水)、6日(土)で。
                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・齢七筍にあまる人

 2006. 4. 27  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「齢七筍にあまる人」2006・04・27(木)曇り

参加者 塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、荒木、稲岡夫妻、早川。原。
            ゲスト 四季の会4名とその関係者4名

     また天気予報が狂ってしまった。雨の予報であったが、それも二転三転。今日は遠来の客なので掘らずに帰ってもらうのは辛いなあと悩んでいた。
朝、起きてみると雨。しかし山すそが明るい。 7時半には雨もあがった。  春の天気はこんなに難しかったのかなあ?

     普段、この欄ではタケノコと書いている。植物名はカタカナ表記の原則に従っているからである。しかしここだけは筍と書く。
「筍」という漢字は、竹が旬(しゅん)=最もよい=の状態だから成り立っているのだろうか?

   また「旬(じゅん)」は太陽が10回廻ることを示し10日間のことをいう。今でも一ヶ月を上旬、中旬、下旬に分けている。
旬はときに10年を表すこともある。例えば、齢(よわい)七旬に余る・・・と使えば、70余歳の人をいう。

  今日はそんな“七旬に余る人たち”が集った。私の高校の同級生4人が出雲からタケノコ掘りにきた。そしてその関係者つまり親戚、縁者が4人集った。

   私を含めて同級生5人は昨夜からしゃべり続けている。そしてタケノコ掘りを終えて拙宅でタケノコ料理を囲んでまたしゃべり続けた。

 

 

 
    こんなときには老いを忘れている。 還暦の行事で集ったことはあったが、そのときそれを祝う気など無かった。先年、古希も過ぎたけど、現代は“古来稀なり”という表現はとても使えない高齢化社会である。平均寿命は男性79年、女性84年なのだ。 だれひとり腰が痛いだの、医者通いとか言わない。これから喜寿(77歳)も米寿(88歳)もクリアしそうな勢いだ。

   とはいっても会話の端々には経験がもたらす人生の智恵が伺えるし、老いを感じないにしても命に限りがあることを認識している様子が伝わる。
人生が長くなった。その分、難しくなったことも多い。人間関係も年金も・・・。

  この時間を喜び楽しむことができれば、高齢化社会はいいものであろうが、そうでなければ人間はわざわざ科学を進歩発展させて苦しみの種を蒔いたことになる。

竹林友の会がはつらつとしてあるのはそこにその扉の鍵があるからだろう。

                                                       from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・春昼

 2006. 4. 22  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「春昼」2006・04・22(土)うす曇

  参加者 塚崎、杉谷、野本、稲岡夫妻、早川。 鎌田、川路、尾崎、原、池田、濱村、水口。
         「歩いて探そう まちのお宝」Uの10名(?)

     今日も竹林は賑わっている。太ったタケノコの陳列に笑顔が並ぶ。
そのなかには久々の人、池田さんや水口さんの姿もある。  水口さんは、こんな大きなタケノコを入れるほどの大きさの鍋がないと独りごとを言っている。

    一方、高田さん、窪田さん、荒木さんの姿が見えない。ほとんど欠席しない3人なので、一抹の寂しさがある。
なかでも高田さんはお嬢さんの結婚式に上京中である。   あのチェーンスモーカーは花嫁の隣の席で、 タバコを我慢できるだろうか? 高田さんは枯れ竹の焚き火をつくる名人であり、その傍から離れない。

   高田さんを評して竹林での会話。
「高田さんは焚き火が好きだね。」
「いや、あそこではタバコが自由に吸えるからなんだ。」
娘の結婚には父親は淋しがると言い伝えられているが、今も昔も変わらないだろうか?

    百花咲きそろい、「春」という響きにはときめく明るさがあるが、満ちている形がやがて欠けていく危うさを感じるときでもある。

     
「春昼(しんちゅう)の絵皿より蝶いでて舞へ 」     朝倉 和江

   いよいよ最盛期、来週は25日(火)、27日(木)、29日(土)が作業日。
                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・のどかな春はいずこへ

 2006. 4. 19  杉谷保憲

 

 

竹林日記「のどかな春はいずこへ」2006・04・26(水)曇り

参加者 塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、荒木、早川。鎌田。
           ゲスト 歩いて探そう まちのお宝11名。

      「歩いて探そう まちのお宝」11名は堀芙美子さん、柳沼宣裕さんに率いられて竹林にやってきた。市民一行なのだが、竹林に入るのは初めてのようで、活発に質問がでる。
リーダーの堀さんは竹林整備の揺籃期にともに働いた仲間である。あれは6年前、西も東もわからずただ一生懸命に働いた。奥海印寺の竹林でのボランティア活動であった。

        その後、堀さんは「長岡いっぱいあそぼうかい」PJや「歩いて探そう まちのお宝」PJなどを立ち上げて、独立していった。
前者は子どもたちとふるさとの遊び作りをしているように思われるし、後者は新市民に地元をよく知ってもらう努力をしていると見える。ともに地元に生きることを意識している意義のある活動だ。

 

 

 

 

 

 

 


    今日、集団のなかの堀さんを見ていると、「歩いていること」について明確に意識をもたせるようにしていた。漫然とした見学にならないように努めている。
集団を統率する指揮も見事である。
一行はタケノコを掘り、竹の伐採も経験し、焼きタケノコも頬張って帰った。去り難かったようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

   今日は東の竹林に老夫婦、西の竹林に藤下さん夫婦がともにタケノコ掘りに入った。
異口同音に「今年はタケノコの“出”が遅い」と言う。この先祖伝来の2箇所と比べると私たちの竹林は“出”が早いし、タケノコが太い。どういうわけなのか?

    近頃お客さんが多いので、準備やガイドや後始末で気ぜわしい。会員同士の会話もそこそこにという有様。
のどかな春を楽しむ余裕がない。

    前回も今回も収穫総量を計っていない。

   今週2日(土)は普通通り、来週は27日(木)なのでよろしく。
                                                                                                                      from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・タケノコから食糧自給を思う

 2006. 4. 15  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「タケノコから食糧自給を思う」2006・04・15(土)曇り

参加者 (山本、塚崎、)杉谷、高田、野本、窪田、(稲岡夫妻、)早川。
       生涯学習13名、石原夫妻。(  )内はカウントがダブル可能性あり。

    近頃の天気予報は精度があがって“よく当たる“と思っていたが、今朝のようなでたらめもある。昨日午後の予報では、15日6時―12時の降水確率60%で、昨夜の予報ではそれが80%にあがった。

  これでは今日の生涯学習の皆さんのタケノコ掘りは無理。しかし中止連絡は当日朝7時と決めてあったので、5時半に起床し中止体制をとろうとした。しかし何ごともない空である。6時30分前後に小ぬか雨がほんの少し降った。濡れるほどでもない。
気象のために、人工衛星の情報がふんだんにあると思われるのになんと言う体たらくだろうか。

    朝8時。竹林には珍しい賑やかさ。20名を越える笑い声が流れ、タケノコの品評、掘り具合のうまさの褒め合いそして掘り手の若さへの賛辞が飛び交う。

    11時。婦人教育会館ではタケノコ料理。テーブルには、「タケノコご飯」「若竹汁」「若竹煮」の3点がならぶ。うまい。美味しくできている。
それもそのはず、乙訓地域生活研究グループによる調理指導、つまり研究をつんでいる方たちによる調理を生涯学習生さんたちがお手伝いしたものである。

    もう一度、お皿の中を眺めると、ご飯、タケノコ、わかめや調味料も全て国産品である。これにはうれしくなった。近頃、100%国産品で構成されている献立は珍しい。

 

   たけのこごはん、若竹汁、若竹煮のレシピ
         (乙訓地域生活改善グループ作成)

 


     生涯学習と輸入食品について、12日付け京都新聞洛西版「竹想譜」に書いた。読んでおられない方はホームページ「長岡京市竹林友の会」をご参照あれ。

   日本人の食事に輸入食品が大量に使われるようになって、いま日本の食糧自給率が41%にさがっている。(これはカロリーから推計している数字である。)食卓に国産食品は少なくなり、日本人だけの食べ物、納豆すらその大豆は輸入品だ。
自給率はフランス130%、アメリカ119%だが日本は先進国では最低であるという。

   戦後、日本の朝食は<パン、バター、ハムエッグ、牛乳、サラダ>というアメリカスタイルに変わった。それまでは、 <ごはん、味噌汁、魚の干物、おひたし> といったものであった。パン式朝食の食糧自給率は15%、  ごはん式の自給率は85%である。
この変化の仕掛けはアメリカの小麦業者であると、日本政府内のある学者は指摘している。

    第二次大戦末期、業者たちはアメリカ小麦の販路拡張をアメリカ政府に働きかけ、敗戦後の日本人の食生活を変える政策をとらせたという。
なんということだろう?

  

 

  

 

    私たちはアメリカ風の食事が栄養もあり文化的だと思い込んでいたのに!60年前から周到にアメリカ市場の作戦が進行していたのである。

   今さら“ごはん食”に帰れなく、“パン食”を止められないのであれば、国産小麦のパンを選んだ方が安全であるとその論文は説き、その上、外国の開放型倉庫にはどうしても虫が侵入するので殺虫剤を使うことになるからと結んでいた。

いやはや・・・。

  先日取材に来てくれた「カガリ火」の掲載誌(書店にはない)が送られてきた。インタビューには高田、野本さんが登場し、写真には山本、荒木さんも写っているが、全体は私の70歳台に焦点がある、気はずかしいもの。雑誌は高田さんに渡してホームページに所載してもらうことにとどめたい。

12時過ぎに昼食会が終わる。生涯学習の過程も終了である。
                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

  ホリを使ったタケノコの掘り方 動画   講師 : 野本さん

 

 

 

 

 


                    前編                                 後編

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・大失態

 2006. 4. 8  杉谷保憲

 

 

竹林日記「大失態」2006・04・08(土)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、早川、荒木、(安田)。
       川路、鎌田、尾崎、原、安田。

ゲスト 「一と百の会」17名と堀さん、加藤さんたち

      「一と百の会」とは奇抜な名称の会だが、低い山、非名所などをたずねている関西のハイキング同好会である。いやウォーキングの会というべきなのか?

     脚が一回転する間に、舌は百回転しているという賑やかな歩き方なのでこの名がついた。17名の訪問によって、竹林の中が歓声・喚声・喊声で満ちた。タケノコたちも驚いて頭をもたげたようだ。
「京タケノコを掘ることができるなんて!」とゲストから稀少なチャンスに賛辞をいただいた。今晩はタケノコの新鮮度にも満足してもらえたことだろう。

    今日は長岡天神の桜並木は満開である。この桜の下と違って、竹林のなかで食を楽しむという行事は寡聞にして知らない。だからこそ初めてバーベキューを試みた。
昨日までの準備は釜の設置から肉など材料の仕入れまで周到で万全であった。今朝からの会員各氏は獅子奮迅の働きであった。堀さんたち三人が竹林友の会のやり方を見学に来ている。

    私は昨夜寝つきが悪かった。「火の心配」が「食への期待」をはるかに越えた。普通の作業時には、枯れ竹を焼却する焚き火を熾している。その焚き火よりバーベキューの火ははるかに小さい。それにもかかわらず心配が大きくなる。
なぜだろう?焚き火はヴェテランが付いているから安心なのだろうか?取り越し苦労の性分からくるものか?

      竹林友の会は4つの目的を掲げている。水資源の涵養、放置竹林の整備、京タケノコ栽培の伝統技術の継承、竹文化の創造。
これらの目的からみて「食の楽しみ」は“遊び”部分が過ぎるのかもしれない。心配の根本はここにある。

     例えば、心身に障害を持つ人たちを竹林に入れるときなどは、日常の鬱屈が晴れるだろうから、その場の  “火と食”も意義深い。
また雪の降りしきる中で土入れ作業をしたとき、熱いブタ汁に元気づけられたことは忘れられない。そんなときは積極的にやった方がいい。
けれども作業時以外に火を扱うことはなにかはばかられる。やりすぎたのか?反省しきりで寝苦しい。

      今回のバーベキューは全てうまく運んだし好評も得た。(肉はあまりおいしくなかったが。)実際に早川さんの飛び入りの「竹」の講義もあり、質疑が飛び交い、本当に楽しかった。
無事に終わって、本当にほっとした。

    そうだ。川路さんが「記事を書かなければならないので、急いで写真を現像してほしい」と言っていた。さあて最後の御勤めの現像だ。
カメラの蓋を開けるとフィルムはがない。カラである。ギョッ、ギョッ・・・。

     だからいつまでもフィルムがもつなぁと思って、代えのフィルムをポケットのなかで掴んでいた記憶がある。
どうしよう・・・?どうにもならない。

   皆さま、申し訳ない。川路様、昨夜からのなにか変な思いはこれだったのだ。大失態。お許しください。陳謝、平伏。

   タケノコ27.2キロ。   終了12時半。
                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・錆落とし

 2006. 4. 5  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「錆落とし」2006・04・05(水)雨

参加者 杉谷、野本、窪田。川路、原。

      今日の雨は予報通りで、雨量も相当なものである。昨日のうちに、予定の二組のゲストにはお断りした。 そして朝7時、メンバーにも本日の中止を連絡した。やれやれと再び寝入った。と、電話。時計を見ると10時を過ぎている。

   川路さんからだ。
「今、長岡天神の駅にいる。8日のバーベキューの準備に来た。据えつけてもらった鉄釜の錆を落としたい。雨はそのうち上るでしょう。」
驚いて驟雨の中を迎えにでた。確かに天気予報は午後には曇りとあったが――。その道中に野本さんに電話連絡をする。

    雨の中、川路さんと原さんは洗剤を使って大きい釜をこする。ほぼ20回ぐらい洗ったところでようやく錆の色は消えた。

そして午後1時半ごろ、やっと雨は止んだ。応援に野本さんと窪田さんが駆けつける。
初めてのバーベキュー企画が進行する。川路さんの指示は矢継ぎ早、

「野本さん、ビールの仕入れをお願いします。」
「杉谷さん、当日朝、ホリをもう2本借りてきてください。」
肉はだれそれ、炭はだれそれ・・・。

    窪田さんが地中のタケノコの位置に印の割り竹をさしている。まだ小さいので掘らずにこのままにしておく。大きくなったものだけ5キロを掘り出した。

午後2時半散会。

中止と連絡したので、参加できなかったメンバーには、こんな事情があったことをお詫び方々ご報告する。
                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・スウェーデン

 2006. 4. 1  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「スウェーデン」2006・04・01 曇り

参加者 山部、塚崎、杉谷、高田、野本、荒木。鎌田、尾崎、川路、原、安田。
 ゲスト  鳥居、藤下、スウェーデン人4名。

     一昨日、私は長浜(琵琶湖東岸)に行った。一面の雪景色だった。北陸高速道木之本から先は<チェーン装着>の指示があった。風も烈しく冷たい。

    今日は少し暖かくなった。タケノコの収穫は12.5キロだった。

   ゲストのスウェーデン人について記しておきたい。二組の夫婦である。このうちアンナ シャーリン女史が私の知り合いである。
初対面は昭和40年、私が11PMという深夜番組にかかわったときであった。TV番組を記憶する人は少ないと思うが、彼女は木崎国嘉さん(当時・大阪日赤内科部長)と軽妙な会話を交わして人気のコーナーをつくっていたから、参加者の中にご存知の人もあった。

芸名アンナ ルーセン。


 

 

 

 

 

 


   その頃のあるとき、彼女から私は抗議を受けた。日本人はスウェーデンをフリーセックスの国だと思っているようだが、フリーセックスが誰とでも性交しているという意味であれば、スウェーデンではそんなことはなく、それは全く間違っている。番組を通じてその誤解を正してほしい――と。

そしてこうも言った。性を隠避な存在にしてはいけない、男女の違いを正確に知って、性差による不平等な社会をなくさなければいけないでしょう と。
私は返事に窮した。

    当時の日本ではスウェーデンをそう思っていたことは事実だし、企画もそれを下敷きにしている。     しかしスウェーデンを訪問した経験から、  実態は少し違うようだとも私は内心思っていた。  ただ正確な認識は無かった。プロデューサーとして、どこかに視聴率ほしさのおもねりがあり、あさましい心根が恥じられた。

   もうひとつ、今日ではアタリマエのことであるが、タレントあるいは女性が堂々と抗議する姿が新鮮に映った。やはり日本社会の内実は遅れていると気付かざるをえなかった。このことも私に深く刻み込まれた。

    以来40年の交流が続いている。その間日本では、性についてあるいは男女共同参画について意識は変わった。その後にも私はスウェーデンを家族で訪問して、いろいろ考えさせられた。

    スウェーデンが社会保障においても人の心の健全さにおいても、優れた努力を積んでいることは知られている。その意味ではアメリカや日本を凌駕する社会である。

   アメリカは貧富の差が激しい格差社会となったし、世界のトップの座を占め続けるために、資源収奪、グローバリズム経済で他国の社会システムを痛めつけている。うまくいかなければ戦争さえしかけている。不健康である。

     そして日本はそれに追従する。江戸時代の比喩で、アメリカを幕府とし、それに対して日本は親藩の位置にいるとの評があるが、当たっていると思う。
スウェーデンにも難しい問題があるようだが、少なくとも健康な社会を目指していることは解かる。

      二組の夫婦は日本旅行の機会に私たちの竹林に立ち寄った。タケノコ掘りは日本人もできないのに・・・と喜んだ。案内した柳谷観音では、珍しいことに山伏の行が見られた。長岡天神では梅花が残っていて、桜はまだつぼみであった。

 

 

 

 

   竹林では早川さん提供のツツジ4株が植えられた。また釜が据えられた。
イメージがひとつひとつ形を整える。

                                                                                                                         from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・‘06初堀り

 2006. 3. 25  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「‘06初堀り」2006・03・25(土)晴れ

参加者 山部、山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、荒木、早川、稲岡。
       鎌田、尾崎、安田、濱村、稲岡。

    一点の雲もない朝である。
いつものように、女性ボランティア鎌田さん、尾崎さんを駅に出迎えた。今日は竹林への途中、上野鉄工所によるつもりである。


  車中の会話。

  「野鍛冶という言葉を知っている?」
  「鍛冶屋さんは子どもの頃に近所にあったけど・・・」
  「その鍛冶屋さんを今は鉄工所と言っているけれども。鍛冶屋には刀鍛冶や馬蹄をつくる鍛冶屋がいて、野鍛    冶というのは農具や包丁など生活の道具をつくる鍛冶屋さん。乙訓にたった一軒残っている野鍛冶、上野さ    んにホリの制作を注文したわけ。」
  「私たちの世代は5歳も離れると、もう知っていることが違ってくるのね。」
新調のホリを長法稲荷に運んで、数人が今年の豊作を祈った。

    うれしいことに、今朝の竹林にはすでに20本ほどの旗が立っている。早速おニューのホリで、初掘りの儀式だ。野本さんがタケノコの周りの土をはがして、ホリを当てる場所を示す。  そこへ私がホリを突き刺すが、タケノ コはびくともしない。やむをえず、野本さんがホリで掘りあげて、もう一度地面に戻して、そこで私がうまく掘ったがごとくに演出する。

 

 

 

 


情けないような晴れがましいような・・・。これを高田さんがパチリと写す。

   初掘りの今日は(1次11キロ+2次3キロ)計14キロの収穫だった。古い会員は相好を崩して喜んだ。去年の不作の辛さが身に沁みていたからである。
 

 

 

 

 

     前回、山本さんを友の会の最長老と書いたがそれを訂正しなければならない。
  「山部さん、昭和6年生まれの山本さんが入会されたけど、どちらが年上ですか?」
  「昭和6年と昭和5年と較べると、5年の方が上でしょう。」というわけで、参加者上位は山部(5年)、山本(6年)、塚崎(7年)、杉谷(8年)の順。

   下山して山本家に寄り、レンガとブロックを寄贈していただき、竹林に運ぶ。
来週にはこれを使って、釜が設置される予定である。
                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・かがり火

 2006. 3. 18  杉谷保憲

 

 

竹林日記「かがり火」2006・03・18(土)曇りのち小雨

参加者 山本、山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。鎌田、尾崎。

       生涯学習の伐採実習が先週で終わり、  今日は静かな作業日だ。  生涯学習グループの中から山本 律(おさむ)氏が作業に参加された。山本さんは昭和6年生まれとあるから最長老の地位を占めることになろう。

 

 

 

 

 

 

 

   焚き火が3箇所で勢いよく炎を上げているが、あちこちに積み上げられた伐採竹の膨大な量を焼却するのは容易なことではない。

    今日は雑誌「カガリ火」の菅原歓一氏の取材があった。この雑誌の表紙に「地域を学び、地域で遊ぶためのヒューマンネットワークマガジン」とある。町興しや定年帰農の記事が満載されている。取材を終えた菅原氏を車で駅に送った。

   車中、彼は言う。
長岡京市竹林友の会は純粋のボランティア活動でめずらしい存在。今、地方の農民の意識はもっと計算高い。作物の換金性のことばかり考えている。

  一方、政府首脳や都知事(竹中総務大臣や石原知事を指している)は国家予算を地方に渡し過ぎだと考えている。彼らは、大都市の犠牲の上で地方を維持するのは、経済原則に反すると思っている・・・と。

私は嘆いた。
国家運営をマネーの観点だけから考えたり、「農」というものを儲けという視点だけで見る農政は国を危うくする・・・。

   車はあっという間に駅に着いた。どんな記事ができることやら・・・。今日の焚き火も“かがり火”となってほしいものだ。

    休憩時間は臨時の総会となった。

   @    水資源資金の助成の精算。(野本、窪田、杉谷が3月24日に処理予定)
   A    頒布担当を(土)は杉谷、それ以外の曜日は野本、荒木とする。
   B    入会希望者、山本律、早川、小根田勝信、奥西広武、渡辺節郎、神山忠を承認。
   C    4月8日入山の「一と百の会」にバーべキューあり(責任者は川路さん)。レンガとブロックを山本さんが          寄贈、荒木さんの手で設営の予定。
   D    4月15日「生涯学習」のタケノコ掘り実習は8時入山、11時婦人教育会館で料理。これに竹林友の会         の参加者は5名とする。                                                                                              以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・モウソウ学習

 2006. 3. 11  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「モウソウ学習」2006・03・11(土)曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。鎌田、川路、尾崎、原、安田。
                      生涯学習○名(尾崎さん、教えてください。)、入会希望1.

   生涯学習の計画は<竹の伐採5回>と<タケノコ掘りとタケノコ料理>のセットになっている。今日は伐採の5回目だったので伐採作業は一応終了である。毎週土曜日に雨が無かったので順調に運んだ。

   次回は4月15日(土)にタケノコ掘りとタケノコ料理が予定されている。この日は朝8時または8時半から掘り、直ちに婦人教育会館に持ち込み、料理して、食事会となるようだ。まだ決定ではないが、我々も招待をされているので、ご留意のほどを。

     生涯学習の方々の応援をえて、伐採は大幅に進んだ。つい2ヶ月まえまでは太陽の丘一体が闇の中であった。その丘に光が射し込む。光が入れば闇は消える。タケノコ畑としてはこれから仕上げに入るが、一体、何本を切り出したことだろう。

    私は今日3回、太陽の丘を回って、切り株の状態を点検した。奥海印寺のときには切り株にチロシンが滲み出ていたのに、ここでは全く見られない。あの白い液が出ていない?なぜだろうか?私の生涯学習はノッケから躓いた。

     切り株からチロシンが出る、出ないは伐採の季節によるかもしれない。今年は秋にかけてまた伐採をするだろうから、結論はそれまで持ち越しとなろう。
竹取の翁は光った竹を見たというが、竹は発光することがあるのか?(チロシンが光る。)

    かぐや姫がいた竹はマダケかモウソウ竹か?太いモウソウ竹とすると、モウソウ竹が中国から日本に伝来する時期はいつか?
4つの説がある。

    1)       810年ごろ。海印寺寂照院の碑。
    2)       1600年。朝鮮から名古屋に。
    3)       1654年。宇治の万福寺に。
    4)       1736年。琉球経由で薩摩の磯部邸に。

   4)が最有力とされる。

     しかしそうであれば、竹取物語は平安時代に書かれているので、かぐや姫が生まれたのはモウソウ竹ではない。ではマダケか?マダケのなかには赤ちゃんは入れない。

  1)であれば、かぐや姫とモウソウ竹と時代的には矛盾はないが、しかし寂照院の碑には歴史的な根拠があるのか?住民とすれば地元の碑文を信じたいよころだが・・・?

   竹の中には空気があるのか?(少しはある。ただし呼吸に充分ではない。)
最大のなぞは竹取物語の成立事情である。

     中国、長江流域のチベット族に竹取物語とそっくりな物語がある。その名を「斑竹姑娘」ハンチククーニャンという。

    ではその地方から日本に伝来したものか?

   反対論もある。第2次大戦のとき日本兵が現地人に語り聞かせたものが残った結果である。その証拠には周辺のどこにも同類の物語が発見できない。
私もこの説に賛成だったが、最近になって違うように思いはじめている。

   竹取物語の骨子は、月に住んでいたかぐや姫が地球上で暮らし、再び月に帰るという、生まれ変わりの話である。この生まれ変わり=輪廻転生はインドやチベット仏教の特色である。だから竹取物語は――。

    私の生涯学習は妄想のなかである。光が入らない闇のままだ。
                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・掘り鍬

 2006. 3.  4  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「掘り鍬」2006・03・04(土)晴れ。

参加者 山部、杉谷、高田、野本、荒木。鎌田、尾崎。生涯学習9名、入会希望4名。(先週、生涯学習9と記し     たのは私の間違いで、8が正しい。)

  竹林はたくさんの人によって盛んに伐採や竹の焼却が進んいる。
冷えびえした日々が去った。快晴のせいか、話題はいつのまにかタケノコのこと。タケノコ畑にひび割れ。その下には、見えないけどタケノコが・・・。ああ、乙訓の歓喜のときだ。もう一ヶ月でそのときが。

  乙訓で行われるタケノコ掘りには、地下茎を傷つけず、またタケノコも傷つけないようにして、うまく掘りあげる技術がある。そのために鎌と鍬との中間的な姿をした農具「ホリ」が発明されている。これはタケノコ掘り専用の道具で、ほかには使い道がないものである。

  私は2年ほど前、NHKTVで島根県安来市島田のタケノコ掘りを見た。そこではタケノコが地上に出た後に切り出されていた。長い鉄の棒の先に刃がついているものが使われていた。地上のタケノコならそれでいいだろう。

  乙訓では土中のなかのタケノコを掘り出す。そのためには棒状のものではダメで鍬状のものがいいが、鍬でもうまくいかない。鍬(打ち鍬)は振り下ろして、手前に引く。ホリは突き刺して、テコの応用で持ち上げる。
この形のものは乙訓地方だけで使われており、同じ山城の国でも、八幡市や城陽市では使われないという。

   私たちはこの伝統技術の保存・継承を掲げて活動しているから、ホリの扱いにも熟達したいと思った。今、竹林友の会で所持しているホリはかつて農協で購入したもので、出来合いのものである。農協では、ある鍛冶屋さんが店じまいするので安く売り出したもの、と説明していた。

  さて、技術の保存のためには自分のホリを持つのも面白いと思い、たった一軒しか残っていない鍛冶屋さんに連れて行ってもらい、ホリを注文した。

その上野鉄工所で話しを聞いていると驚くことばかりである。初歩的なことであるが、ホリはなんと使い手の身長にあわせて作り、タケノコ畑の土の性質(粘土質の程度、石ころが混じっている土質か、土入れが厚いか薄いか・・・)を勘案して製作するという。

    このあたりではひとりが最低2本をもっているし、どんな農家でも、一戸に5、6本はあるという。なぜならシーズン中に、最低一度は研ぎに出さなければならない、そのときの代えのホリも要るからという。

  私には教科書がある。『京タケノコと鍛冶文化』長岡京市教育委員会編である。。
上野鉄工所から帰って、またこの本を開いた。

  ホリについてその一部を引用すれば、タケノコの初期には短いホリを使い、後になるほど長いものに変えるという。それは時期が遅くなると、タケノコの出る位置が深くなるからという。

 また木の柄と鋼との角度は、鋭角のものは掘りあげるのは楽だが、掘るときに身をかがめなければならないのが難点、一方、鈍角のものは堀り上げにくいが、タケノコの周囲の土をすかしたり、根を切るのには楽、双方それぞれ特徴があるという。

  この部分だけ読んでも驚いてしまったが、まだまだこの本にはタケノコの歴史と文化が詰め込まれている。長岡京市立図書館にも3冊が棚にあるので参考にしてみては。

  一昨日、身障者が付近の山中で行方不明になり、この二日間必死の捜索が続いている。今、サイレンを鳴らす車が走り回っている。発見されたのだろうか?

 焚き火で竹を燃やす。竹の爆裂する音に身を引きながら、生涯学習のリーダー(お世話役?市会議員)尾崎百合子さん(竹林友の会には同姓同名がいる)が感心の顔つきで、しきりに話してくれる。
「生涯学習で竹林整備作業に参加して、今日で4回目になります。市内を歩いていて、竹林が目に入ると、今までと違う見方になってきました。居並ぶ竹を見ただけでも、タケノコつくりのため、先人の智恵が見えるようになりました。」

 そうなのだ。尾崎さんは伐採作業をしただけで、竹と竹との間隔、太陽光との関係、先止めという植物の性質の利用などたくさんのことを学ばれた。
私もまだ7年しか経験がない。それでもこの地方に行われているタケノコ作りの特異性になんども驚かされる。尾崎さんの話のほかに、土壌作りにも先人の工夫は驚くべきものがある。タケノコを「掘る技術」もノウハウが詰まっている。そしてホリの製造も智恵の結晶なのだ。

  ホリを発注してからほぼ一ヶ月経った。そろそろ出来上るころだ。
おニューのホリを抱えて竹林にでかける時はなにか恥ずかしいだろうなあ。
                                                      from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・堂々?の備品

 2006. 2. 25  杉谷保憲

 

 

 

 

 

竹林日記「堂々?の備品」2006.02.25(土)晴れ

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。生涯学習9名、入会希望1。

    立春から20日経った。気がついてみると日脚がのびている。日の暮れが遅くなっているのはすぐ分かるが、夜明けも早い。昨日の朝は早起きしてトリノの女子フィギュアで、荒井静香選手の金メダル演技を見ていた。5時半の戸外はもう明るい。

      今朝は8時半から、野本、窪田、荒木さんたちによって石臼などがわが家から竹林に運び出された。 この2〜3年、わが家で時が来るのを待っていた品物はこれですべて移転した。これらの由来を紹介しておきたい。

 

     現在、竹林の稲荷社入り口に立っている木札(立て看板)は嘉本 粛氏(出雲市)の製作である。嘉本氏は、彼の知人の豆腐屋さんが店じまいするに当たって、  鉄鍋を手に入れてくれ、  それに合わせてステンレスのカマドを作ってくれた。そして4年前に出雲から運搬してくれていた。

     今日、運び込んだ石臼、杵、大しゃもじ、蒸篭(せいろ)などは細田 吉さん(太鼓山)から譲りうけたものである。これらは3年もわが家に保管していたが、今後は竹林での餅つき企画ができるだろう。

    平台2枚は中村氏(伏見区のトランクルーム)からいただいたもの。私が長崎から当地に引っ越してきたときに、書籍があふれて我が家には収納できず、中村倉庫に2年間預けていた。書籍に湿気がこないように敷いていた台であるが、中村氏はその平台を譲ってくださった。これはタケノコを並べるときなどに役立つはずだ。

   ここにそれらの「いわれ」を記して、お礼の代わりにしたい。備品にはこのほかアルミ鍋(かつて豚汁を作ったことがある。)もあり、堂々の陣容になってきた。とはいっても、生涯学習の皆さんが竹林に持ち込まれた組み立てテーブルや椅子の立派さ。これを眺めていると、我々の財産はまだ淋しいものではあるが・・・。

     生涯学習の最終は4月15日(土)または4月29日(土、祝)に予定されているタケノコ料理(婦人教育会館)である。本日、尾崎さんから、この催しに竹林友の会全員を招待したいとお話があった。もっとも、生涯学習全員と協議してから正式になるが・・・とのことであった。
                                                                                                                         from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・考古学ファン

 2006. 2. 18 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「考古学ファン」2006.02.18(土)曇り

参加者 山部、杉谷、高田、窪田、荒木。鎌田、尾崎、川路、原、濱村。
                                                                                   入会希望者3名、生涯学習15名。


    3箇所で焚き火ができた。これまで2箇所で燃やしたことはあるが、フルに稼動させたことは初めてである 。さすが大人数の勢いであるが、しかし終始、火へに気配りが欠かせなかった。


 

 

 

 

  伐採は少しずつ進んでいる。けれどもまだ景観が変わるところまではいかない。
生涯学習の方々にお願いしている箇所のうち、東の窪地は伐採がとまっている。


   慣れないうちは青竹を切り倒すのが“もったいない”ので、たくさん残しがちである。タケノコ畑にするためにはまだ3分の2を切らなければならないだろう。太陽の丘の西奥は竹が密生しているので、作業困難な場所である。しかし根気よく続けられている。

 

 

 

 

 

 

 

 


    生涯学習の梅野さんたちにこの地について教えてもらった。この光風台住宅が開発される前に発掘調査があり、縄文時代の高床式住居の址が発見され見学会が催された。梅野さんはそれに参加されたそうである。さらに光風台の東下の方では、弥生時代の環濠集落があったという。

    私もこの辺に縄文時代の落とし穴(獣を追って穴に落として捕まえる)を発見した話を聞いたことがある。
長岡京時代はいうに及ばず、随分古い時代から発達していた地域のようである。
少し分からないのは、今日では、小さな川がわずか2本あるだけの地域であるので、古代人は水をどうしていたのか?
川の事情が変わったのだろうか。あるいは地下水つまり井戸を掘って水を確保していたのだろうか。

   竹は水を吸う植物であり、竹が繁茂しているところは地下水がある。その地下水は、地下水脈を断層が断ち切り出現するものであることは地震学では知られている事実である。このあたりの地下には西山断層が走っている。だからあちこちに溜め池(自然のものも人工のものも)がある。

  そんなわけで古代から人間が住むのに都合よかったのだろうか。

  この竹林にもひょっとしたら石器が落ちているかもしれない。考古学ファンには楽しい夢である。

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・生涯学習の初日

 2006. 2. 11 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「生涯学習の初日」2006・02・11(土・祝)曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田、荒木。鎌田、尾崎、池田。
                                                         (生涯学習20名と別グループ4名と橋本さんほか2名)

  昨日は初午(はつうま)、長法稲荷は時ならぬ人出であった。私は地主さん、氏子総代の方やらに一度に新年の挨拶ができたので、ご利益だと思っている。今朝の新聞によれば300人が参拝とある。私の目には100人までと映ったのだが、私も眼が霞んできたのかもしれない。

   しかし私より老眼が進行しているのは窪田さんだ。私は「初午の日は今年は10日である」とメールで2度発信したが、彼は8日に参拝して、「誰もいなかった」ぼやいていた。今日についても「五小校区の生涯学習9名の人たちが竹林に入る。」とメールしたのに、彼は「6名と書いてあった。」と言う。
去年より確かに1歳加えたのだよねェ、老眼鏡を作り直さなくちゃ、窪田さん。

   さて今日は朝から大忙し。生涯学習のスケジュール。
 
<婦人教育会館>

  9時〜9時15分       学習の手続きなど
  9時15分〜10時00分   タケノコ作りと竹林の問題の学習

 
<竹林> 10時20分〜11時30分  体験作業

 

 

 

 

 

 


  またまた数字が合わない。

    生涯学習参加者は本日は9名の予定と聞いていたが、婦人教育会館には30名近くの方々が20畳ほどの部屋に所狭しと座っておられる。こんなたくさんの人ではノコギリが足りないなあと心配しながら、話を始めた。

   座学は<地元の名産タケノコはこうしてつくられる=農事こよみ>から<タケノコ経営の破綻の現在とグローバル化による日本農業の悩み>まで短時間に詰め込んだ。

   さて、竹林に移動して人数を数えると、途中退席もあり24人(正確ではない)のようだ。 生涯学習の人が20名、ほかに竹林作業を体験したい“飛込み”の人が4人。

  友の会メンバーの作業手配よろしく、生涯学習の方々には汗の楽しさを知ってもらったようだ。

 

 

 

 

 
 橋本さんが親子(お名前を失念した)と竹細工をしている。実は私も生涯学習において、子どもたちに焚き火の仕方を知ってもらいたかったのだが、下打ち合わせの頃は幼児誘拐・殺人事件がおきていた時期に当たり、推進委員会では子ども参加は見送られたことを思い出していた。

  生涯学習の初日は無事終わった。

  タケノコが一本採れた。初物である。参加されたご婦人に差し上げたら、なんともうれしそうな表情。よかったなあ。

来週から伐採も本格的になる。楽しみながら頑張りましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・参道になにを植えるの?

 2006. 2. 4 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「参道になにを植えるの?」  2006. 2. 4 (土)  粉雪

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田。川路、鎌田。

      昨夜は節分の豆まきをした。健康を願って炒り豆を食べる。歯がポロリということもあるかと、そろりと一粒、大丈夫。次は歳の数だけ食べなければ・・・歳が歳だから並のことではないと思って、20個までは慎重に数えな がら食べたが、もう面倒になってどんどん食べる。歳の数を越して100粒ぐらいはたべたかも。

     粉雪が降ったり止んだり。 今日の焚き火は一箇所だけ、 担当の翁(おきな)は高田さん。「炎がきれいです  ねぇ。」と作業しながら歎声。その声につられて眺めると、炎が鮮やかな朱色を震わせている。冷気が火を活気 づけるようだ。

      長法稲荷の参道は10本の朱色の鳥居がある。鳥居の隣接に、ユンボが土をえぐり取ったので窪地ができた。参拝する人には、この窪地は竹林のショウウィンドウ的場所になるだろう。そこに何を植えるかが、立春の話題  である。

      もう2,3ヶ月も前からここに植える植物をいろいろ話し合っている。 アジサイを望んでいるのは高田さん、  ユリ派は窪田さん(正しくは野本さん: 編者注)、お茶の木は川路さん・・・もっと候補があったが記憶していない。
決め手は土壌との相性である。

   竹は極酸性土壌を好む。
酸性土壌では野菜は育ちにくい、畑が酸性土壌になっていると石灰をまいて土壌改良をしなければならない。 土壌改良とは酸性土壌を弱酸性か中性に変えることだ。

    子どもの頃のことだが道端から眺めていると、農家の人が畑に白い粉をまいていた。石灰をまいても土の  深いところまですべてが変るわけではないので、毎年のように同じことを繰り返さなければならないと農家の人が言った。だから土壌改良は大変なことだという印象であった。

    そんな60年も前のことを突然思い出したので、竹林の土を少しなめてみた。土にも味があるだろうに、これ  といった特徴がない、 甘味も辛味もない。  土の味とはこんなものか。味では酸性かアルカリ性かはわからな いのか。PH(ペーハー)を調べなければねーェ。非科学的な人間だなーァ。

    日本の土はほとんどが酸性土壌だという。火山灰地も干拓地も酸性土壌であった。野菜栽培は強酸性では  できない。しかしこれを好む植物もある。竹や茶はそうだ。  ツツジ、 シャクナゲ、 アザレア、 アジサイもそうであり、ブルーベリーも好酸性だという。川路さんはこれをすらすらと言った。まるで農学者のように。

    高田さん案のアジサイ、川路さん案の茶は共にアタリである。ユリはこれから調べなければ・・・。私のように  目が弱っている者にはブルーベリーがほしい。

   ところで素人の大胆な疑問。
酸性雨が降れば好酸性植物にはよい影響があるのだろうか?

   さて皆さま、あの窪地には何を植えるの?

     今日は、 伐採をしていると体は汗ばむけれども、 手足の指は冷たい。 作業が終わるまで、切り株の中の  水溜りは凍り付いていた。凍土(?)も溶けなかった。

    お稲荷さんの初午は10日14時です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竹林の皆さま

   竹林日記には時たま反響があります。
今までお伝えしていなかったのですが、できるだけ転送するようにします。
この山村さんは出雲高校の先輩(女性)です。ちょっと褒めすぎの箇所がありますが、まあいいとしましょう。
山村さんはいつかはタケノコ掘りにも来られるでしょう。杉谷


>
「竹林日記」毎回感動しながら読んでいます。土壌を改良し、竹林を育て、筍を待つ楽しさの他に  智慧ある先輩とそれを囲む人々にに多くのことを教えられることの魅力が辛い作業にも関わらず、  皆さんが集まられる訳でしょう

    酸性土と言えば、冬の出雲の田圃で初めて見たのです。刃の長さが50cm幅30cmぐらいの  刃物に柄が付いたものを足で踏んで30cm位の幅で田圃全体に土に切れ目を付けておき、一塊り  が30cm立方ほどの土を鍬で掘り起こし土を裏返す作業です。裏返った土は青ネズミ色で、空気  に触れると良い土に蘇るのだと聞きました。簸川平野の冬の風物詩でした。ご記憶に有りませんか。


   土に味が有るか?とのことですが鑑真が唐招提寺を建てる土地を探している時、土を舐めて「甘い  土だ。ここが良い」と云われたのが訛って「尼ヶ辻」という地名の起こりだというのは有名な話です  ね。その話を思い出しました。


 どんな条件で良い筍が育つか?その疑問から土壌や水質や酸性雨などを考える・・・・・。


 皆様は現代の竹林の七賢
・・・・・。                                     山村

 

 

 

 

皆さま

  
原さんのご主人からお礼状がきました。
文中、関西久徴会とあるのは出雲高校同窓会の関西在住者の集り、村山さんとあるのは山村さんの誤りと思います。

  
原 道子さんが大病を乗り越えて元気になられたことは皆さまご存知の通りです。ご主人ともどもお喜びしましょう。杉谷
 
Subject: 竹林日記に御礼 !

       寒中お見舞申し上げます

 外は身に染入る本当に寒い毎日です。

   
杉谷さまには日頃何かと御親切を戴き誠に有り難うございます。

   
筍山は無論のこと関西久徴会各種行事と御指導お誘いを戴き家内道子は意外に早く元の元気に戻り今では筍山、みかん山、古墳めぐり、ハイキング、銭太鼓、ゼミ、各種ボランチアと毎日なにやら以前よりまして元気に成ってくれました。之ひとえに杉谷さま村山さま、川路さまほか諸先輩のお陰と心から感謝申し上げます。

 御案内頂きます竹林日記も楽しく読まさせて頂いております。それも今ではお送り頂いたその都度(川路さんメール)…道子ファイル…にてコピーし大切なものと成っております。

   
 伺いますとお神酒?お酒がたいそうお好きとか。でもよく貴方さまのお酒にまつわるユーモラスな話題を耳に致します。杉谷さまのお人柄が偲ばれ家内共々微笑ましく幸せをお裾分け戴いております。

 寒さはこれからが本番、寒さもなんのその杉谷さまに負けない様に頑張りたく思います。

風邪など召されませぬ様お気を付け下さいませ。

 右御礼申し上げます。

 二月五日    はら ひでき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・水資源の涵養

 2006. 1.28 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「水資源の涵養」 2006.01.28(土)曇り

参加者 杉谷、高田、窪田、荒木。鎌田、川路、尾崎、池田、安田。

    少し風があるが、伐採作業時にはそれに気づかないほどの緩やかさである。しかし休憩すると、その風が体を冷やす。

 

 

   奈良県王寺から参加した新顔の池田さん、それに久しぶりに奥海印寺の安田さん(男性)も顔をみせ、竹林内には活気があった。もともと竹林のなかで働きたくてたまらない人たちだから、一週間ぶりの作業がお互いにうれしいのだ。それにしても、竹を切る、竹を燃やす・・・
何時果てるともないほどの枯れ竹、青竹の量。

先週、藤下さんから気になることを聞いた。彼は言う。「今年の作柄についてはいろいろ意見がありますが、夏場の雨が少なかったので、不作かもしれないという意見が有力です。」
水・・・農にはこれがキーとなる。

 

 

   長岡京市竹林友の会のホームページを改めて開いた。トップに目的が書かれている。その第一番目が「秩序ある生態系の維持」であり、 「水資源の保全」 である。前者についてはモウソウ竹が他の樹林に侵食するのを防ぐことなので、いまさら解説は不要であろう。後者ついては私たちはいささか消化不良のままである。今日はこれについて知っておこう。
放置竹林にしておくと、なぜ保水力が低下するのだろうか?

 


  竹が密生すると、林のなかは暗くなり、下草も生えない。そんな竹林には地表すれすれに地下茎がのぞき、雨水も地下茎に沿って流れる。  そのうえ、竹の落ち葉は腐りにくいので堆積してしまい川床状になり、雨水はそこを滑り落ちていく。
(実は私もこの状態を見たことはない。いつか大雨のときに放置竹林に出かけて見ておきたい。)
こうして水は地中に浸透することが少なくなり、竹林の保水能力が低下する。

 

      また放置竹林が荒廃に至ると地下茎が枯死し、やはり根が浮く。これが傾斜地であれば土砂崩壊が起こるという。電車から眺めていても、傾斜地の藪は至る所に見られる。危ないと思う。
平成16年10月、台風23号に伴なう雨によって、竹林が流されたという事態も起こった。

      私たちの竹林は本部の辺りは地下茎が露出しているが、それ以外の場所はまずまずの状態である。中央平原は手入れをしたから良好状態は当然であるが、目下伐採中の太陽の丘も予想よりはいいと思う。多分、借用する前の放置期間はそんなに長くなかったのだろう。

      そんなわけで長岡京市竹林友の会の作業は「水資源の涵養」にも大きな役割を果たしていることを再認識しておきたい。
ところが水資源の元になる雨が少ないとあれば打つ手はない。  力及ばなければ神頼みになる気持ちがよく解かる。

  昨27日(金)の
京都新聞夕刊に当会の記事が掲載された。やがて高田さんによってホームページに収録されるだろう。

2月は元に戻して、土曜日のみの作業とした。

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「藪の中にて」

 2006. 1.21 杉谷保憲

竹林日記「藪の中にて」2006・01・21(土)曇り

参加者 山部、杉谷、高田、野本、窪田。川路、鎌田、尾崎、原、安田。

      昨日の天気予報は人騒がせであった。 21日は未明から雪とある。竹林に雪とは美しい風景であるが、 そんな環境では今年の揃い踏みができない。新年の出鼻をくじかれそうで嘆いたものである。
ところが朝、起きてみると雪も雨もない。穏やかな空である。勇躍してご覧の人たちが出動した。ほぼオール  スターキャストであり、荒木さんは欠席ではあったが、朝早く来て、皆さんに今年の初顔合わせの挨拶をして 籔を降りていった。


     太陽の丘は、藪に枯れ竹がからまってジャングルになっていた。薄暗いので気持ち悪い。このなかで伐採していると、「藪」を使った語句が浮かぶ。
――藪蛇、藪から棒、薮の中(芥川龍之介)。     いずれも暗さがポイントになっていて、成句の気持ちが理解できる。

    枯れ竹を処理し、密生している青竹を50本、60本と切り倒していくと、やがて地面が現れる。これまで地表には太陽光が届いていなかったので、下草など植物はヒョロヒョロしている。長い下積み生活だったのだ。とても切る気になれない。むしろ親しみを感じ、強く育てよと声をかけたくなる。

     こんな薮を竹林に整形し、ワラを敷いたり、肥料を撒いたり、土をかぶせたたりして、京タケノコの畑にしていくのだ。このモウソウ竹のタケノコを天の恵みとしていただくために先人たちは智恵をしぼっている。

    人間がうまくモウソウ竹を制御しないとモウソウは暴走する。今、放置竹林と呼ばれて、西日本ではモウソウの繁殖が問題視されている。この乙訓一帯は25年前には茶畑であったそうだ。(この部分は資料の裏づけが充分でない。)そこにモウソウを植えて以来、この地の酸性土壌が竹に適し、モウソウは繁殖し、今日に至ったものだという。

     京タケノコを含めて京野菜は智恵の塊りだ。いや、はるかさかのぼれば、人間は狩猟・漁労だけに頼らず、雑穀をコメに変え、野草を野菜につくり変え、野生動物を家畜に変え、人間が生き延びるのに役立たせ、暮らしの安定をはかった。それには大変な苦労・工夫・智恵がつぎ込まれたことだろう。

      この農の過程の偉大さを思いながら、肉厚のモウソウ竹を切り倒す。 激しく葉擦れが起こって、 巨竹は  ドサッと倒れる。その一瞬に古代からの「農」の時間を体感した。
枯れた竹の落ち葉に、冬の薄日がまとわりついて戯れている。

     長法稲荷――今年の初午(はつうま)祭礼は2月10日(金)14時から。

ご都合のつく方はよろしく。
                                                                                                                       from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「仕事始めに初物」

 2006. 1.18 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「仕事始めに初物」2006.01.18(水)薄日

参加者 杉谷、高田、野本、窪田、荒木。

     正月休みが長く感じられた。当初は21日(土)が初仕事の予定であったが、腕がなるのか、むずむずするのか、繰上げ出動の呼びかけに5人が集った。松もとれているので、「おめでとうございます」の挨拶は無いが、「今年もよろしく」の声には力が満ちている。

     二つの焼却場で、大量の伐採竹が燃やされる。一つは高田さん、もう一つは野本さん。
野本さんは青竹を燃やしている。ナマの竹はポーンと音がするのに余り爆裂音がでない。見ていると、青竹をわざわざ割っている。音がしないわけだ。
この音を聞いていると、子どもの頃のトンドさん(ドンドとも左義長ともいう)長岡天満宮にはトンド祭りと張り紙があった)を思い出す。

       青竹を束ねて、 そこに書初めや去年の御札を供えて火をつける。やがて火が中心部にまわると、 竹はポーン、ポーンと大きく破裂音を響かせる。燃え滓も跳んでくる。竹葉に火がつくと一気に勢いづいて、周りの空気を炎に巻き込む。
恐ろしい思いをしながら傍に立っていた。60年も前のことだ。

      高田さんは枯れ竹を燃やしている。焼却場の周辺には、枯れ葉のついた枝がうずたかく積まれている。 それを次々と燃やす。枯れ枝の山がなくなった跡に、なんと立派なタケノコが二つ連なって出てきた。地面は  よほど暖かかったのだろう。全身が黄色で、まるで朝掘りのもののような高級品である。(写真はホームページでご覧あれ。)窪田さんと荒木さんが一つずつ分けた。


 

 

 

 

 

 


    「今日の竹林日記のタイトルは“仕事はじめに初物”で決まり!」と荒木さんが叫んだ。「新年の仕事は無事にスタートしました。よかったです。」と窪田さんはぼそりとつぶやいた。年期の入った味。今年はいい年になりそうだ。

     午後、農協にユンボ代金の支払いに行った。ところが女性事務員の要領が悪い。
「お金を受け取ってください。」
「すみません。どうもよく分からないので。担当の安藤さんが急死したものですから・・・」
「エェッ、どうしやはりました?」
「心臓で。家で、朝に分かったそうです。お酒が好きでしたから。」
今年は浮かれていてはいけない。お酒、気をつけよう。
                                                                                                                        from 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「年があらたまって」

 2006. 1. 1 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「年があらたまって」2006・01・01(日)晴れ

   長法稲荷社に向かった。去年は雪が降ったが、今年は暖かい。 暗い道に靴音が響く。口の中には年越しの出雲蕎麦ととろろの味がまだ残っている。出雲蕎麦はふるさとの産物だから、恒例にしている。このとろろは野本さんからいただいた自然薯(じねんじょ)のとろろである。うまい。

   かつて奥海印寺の竹林で、野本さんは自然薯栽培を試みたが、成功したという話はなかったので、これは野本家の自家栽培ものだろう。


  30日にはわが家に自治会の回覧板が来た。生涯学習「筍掘り・筍料理の集い」の募集である。協賛・指導は長岡京市竹林友の会とある。

   5年前、私も生涯学習委員をしたことがある。そのときの一つに、「縄文土器をつくろう」があった。子どもたちと土を捏ねる面白さもあったが、屋外で火を使うことができず、やむなく公民館の電気炉で焼くという“つくりもの”をした。苦い思い出である。そのときの記録は「拝啓 縄文人さま」というリポートに残している。

   今度の「筍掘り・筍料理」はもっと自然にやりたいが、早くも危ぶまれる問題がある。
子どもたちに焚き火の仕方を知ってもらいたいが、近頃、子どもへの悪質な事件が続き 、子どもが竹林に出かけることに一抹の心配がある。参加自体が問題視されているのである 。
残念なことだ。

  長法稲荷には三々五々の人出である。お神酒をいただいていると、除夜の鐘は2,3箇所から聞こえる。 光明寺からは分かるが、他の鐘はどこからのものだろう?

  去年は事件、事故、耐震偽装、軍事、外交・・・社会事象としは倫理に外れることが多かった。
私には、時代がある恐ろしい曲がり角を曲がってしまったように思える。  曲がった先の広場はカネを基準においている世界である。勝ち組と負け組みに仕分けされ、勝ち組はなんでもカネで処理できると信じているし、幸せさえも金で買えると思っている。負け組は心の傷を癒すところがない。

  道徳が緩んだ。電車内でお年寄りに席を譲る人がいない。座席の人は居眠りしているか 、携帯でのメールに熱心である。道徳が弱まると、その流れの中で倫理が崩れる。去年は女児殺しが続いた。今年はもっと
ひどいことが起きそうだ。トラブルの予感がある。

   通学の子どもたちを守る警備もしなければならない。変な世の中になったものだ。毎日が大変だろうが、根底にある道徳・倫理の再構築が不可欠である。

    私たちは<水資源の涵養とタケノコづくりの伝統技術の継承>を掲げて活動している。前者は「自然」であり、後者は自然を利用した「農」である。

   農業生産の世界も今や農業経営として“カネと効率”の洗礼をうけて青息吐息である。しかしどんな事態に立たされても、農には自然というもののリズムがあり、そして生きものを相手にしている営みであることを忘れてはならない。

  現代の経済システムが生命産業を組み敷こうとしても組み敷けないだろう。生命には経済をこえた大きな力があるのだ。気を改めて新しい年を迎えたい。2006年が健全への道を歩むことを祈る。

                                                       from 杉谷 保憲