2007年(前半)の竹林友の会活動報告

 



        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 6. 30 「諸行無常の響き」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 6. 27  「今年もキヌガサタケが」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 6. 23 「カストロと竹林のこまごま」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 6. 16 「幸福の尺度」
      杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 6.  9  「老いの日々を」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 6.  6  「田植え」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 6.  2  「林住期(りんじゅうき)」
         杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 5. 26 「イナバウアー」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 5. 19 「青時雨(あおしぐれ)」
         杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 5. 12 「竹林入るべからず」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 5.  9  ど根性タケノコ
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 5.  5  「蛍の光」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 5.  3  「環境探検隊」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 4. 30 「惜春」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 4. 28 「水資源と動物」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 4. 25 「禅」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 4. 23 「民芸品」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 4. 21 「禁煙」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 4. 19 「伊藤長崎市長」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 4. 18 「尺八の音に鶯も猿も」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 4. 14 「時間」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 4. 11 「危ういまでの緊張感」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 4.  9 「気品」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 4.  7 「豊満」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 4.  4 「旬」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 4.  2 「黄砂」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 3. 31 「年輪」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 3. 28 「神戸空港」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 3. 24 「竹一本」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 3. 21 「越前竹人形」
        $$$竹林日記$$ ・・・ 2007. 3. 17 石垣島・西表島帰り
              
杉爺の竹林日記・・・                  「100%男」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 3. 14 「花壇幻想とコンサートの夢」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 3. 13 「間伐材エキストラ」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 3. 10  「間伐材」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 3.  7 「環境ボランティア」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 3.  3 「ひな祭り」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 2. 28  「軽自動車」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 2. 24 「春の対策会議」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 2. 21 「ボランティアの哀しみ」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 2. 17 「三つの倉庫と三つの提案」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 2. 14  「合唱フェア」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 2. 10 「花咲爺さん」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 2.  7   「美化作業」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 2.  5  「朱色」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 1. 31   「土入れを終えて」
     杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 1. 27 「川柳」
         杉爺の竹林日記 ・・・  2007. 1. 24 「パジャマ」
         杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 1. 20  「豊作か不作か」
         杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 1. 13 「NHKの経営姿勢
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 1. 17  年賀状
         杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 1. 10  「初場所」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2007. 1.  1 「2007年のはじめに」

 


 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「諸行無常の響き」

 2007. 6. 30 杉谷保憲

 

竹林日記「諸行無常の響き」2007・06・30(土)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、熊谷、野本、窪田、錦織、小椋、稲岡。

    さて明日から7月に入る。夏だ。一昨日の夜の暑さには閉口した。窓を少し開けておいたが、竹林をわたる風が冷えてきたのは明け方3時だった。これからどんな暑さになるのだろうか?
そして平成19年も半分が終った。いやはや・・・。

    竹林内のあちこちにキヌガサタケが開いて、みんなの心を楽しませてくれた。

   今日はゲストが多かった。商工会が七夕の竹を取りに来て10本運んだ。
長岡京市都市開発kk島田社長の来訪。島田さんは家業が島田農園、最高級の塚原タケノコ畑の所有者である。教えられることが多かった。
市役所の中村環境政策推進課長、p-フロント木村社長と竹林コンサートの打ち合わせ。
作業が草取りと施肥。私は鍬も鎌ももつ余裕がなかった。

 

 
    私たちにとって初めての経験である二つの事業が控えていて、この7月、8月はその準備期間となる。
そのひとつは長岡京市竹林友の会を「NPO竹の学校」に衣替えさせること、そして二つ目は10月20日(土)に「第一回竹林コンサート」を開催することである。
これら周囲の関係者のお力を借りて、これから車輪が回り始める。軋みながらも回るだろう。

    そのなかの「第一回竹林コンサート」については舞台づくりなどハードの形が見えてきたが、 ソフト面はまだまだである。その企画内容について書いていきながら竹林コンサートを固めていこう。

   竹林コンサート その1.平家物語と光明寺
去年の秋ごろ、高田さんと私は竹林に金森昭憲氏を迎えた。金森氏は京都嵯峨、清涼寺にて琵琶説教師をする僧侶である。
いま竹林コンサートと呼んでいるが、この時点では「竹林で琵琶を聴く会」を企画していた。

  わが竹林友の会は現在地で5年を迎える。この会の立ち上げに三つの目的を挙げた。一つは「放置され荒廃した竹林の整備」である。

   二つは整備した竹林を「かつてのタケノコばたけに戻し、タケノコ栽培の伝統技術を継承していく」ことである。
そして三つ目に「竹文化の創造」を掲げた。

    前記の二つはどうやら5年でその姿をみせてきたが、竹文化の創造はようやく体制が整い、「竹林で琵琶を聴く会」として小さく生んでいこうという狙いであった。

     ところがワイワイガヤガヤやっているうちに企画は膨らんで、たくさんの出演者が並ぶ 「竹林コンサート “京(みやこ)の抒情”」になった。こうなると企画の土台をしっかりさせておかないといびつなものができる危険がある。そこで今後数回にわけて企画の点検してみようと思う。

   琵琶という楽器の音はもうほとんど耳にする機会がない。流行りの音楽はどこでもいつでも聴くことができる。しかしこの竹林ではもう接することの少ない伝統的なものを知る機会をつくりたいという思いがあった。

    琵琶は雅楽とともに唐から移入してきたものである。薩摩琵琶、筑前琵琶などとして残っているものもある。金森氏は筑前琵琶である。一般には平家琵琶(へいけびわ)が有名で、雅楽の琵琶を小ぶりにしたものである。
平家琵琶の伴奏で語るのを平曲という。

    語る内容は戦いの中での人間のやさしさなど感動的な内容である。平安末期から鎌倉にかけて戦乱は続いた。民衆は文字が読めないが、盲目の法師が弾き語りをする物語に心をはずませ、その情念に陶酔したのだ。こうして語られる日本語の美しさは能・狂言に受け継がれ、日本文化の伝統的下地となっている。

  楽器としても、貴族的雅楽の大編成から尺八や琵琶が民衆のなかに入っていったように思われる。(これは私の空想である。音楽史家に確かめたわけではない。)

  その平家琵琶もいまや聴く機会はまずない。ラフカディオ・ハーンの「怪談―耳なし芳一」も平曲であったが、いまは昔であろう。

 しかし “祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり”
中学か高校か忘れたが、教科書に「平家物語」が所載され、その最初の部分を暗記させられたものだ。「平家物語」には平氏一門が滅びゆくさまが描かれていて、その語りは聴くひとの琴線にふれる。

  いま私の散歩コースに光明寺がある。この光明寺の創建の事情が「平家物語」にあると思う。史実かどうかわからないが次のような話である。登場人物は二人だけ。以下、記憶をたどって意訳を試みる。
栄華を極めた平氏一門。それを源氏の勢力が追い詰める。平清盛の姻戚に平敦盛(たいらのあつもり)がいた。敦盛は弱冠16歳、しかし平氏の一軍を従えて、一の谷の戦いに臨んだ。

一方、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)坂東武蔵の荒武者、この一の谷の一戦で名を上げようとする。勇猛果敢だが人情にもろい。

 “一の谷の戦さ敗れ 討たれし 平家の公達(きんだち)哀れ
  暁寒し 須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛“    (小学唱歌)

  敗れた平氏の軍勢は沖にいる船へと落ち延びていく。 そのなかに萌黄の鎧(よろい)に鍬形うったる兜 (かぶと)の緒をしめた若武者がいる。一見して一軍の将の姿。
それを見つけた熊谷次郎直実は「敵に後ろを見せるとは見苦しきかな。返さしたまえ。」
呼びとめられては逃げられぬ。二人は波打ち際でくんずほぐれつ。しかし敦盛は百戦錬磨の熊谷に押さえられた。熊谷が若武者の兜をひきはがして眺めると、なんとわが子と同じ年頃で、上品な顔立ち。

 「そなたはいかなるお方にござりまする?その命をお助け致そう。」
 「名前は申さぬ。早くこの首をとれ。」

毅然たる若武者の言葉に、熊谷は太刀も上げられない。

  そうこうしているうちに源氏の大軍勢が近づく。熊谷はこの少年をひと手にかけるのならいっそ自分で始末しようと刀を振った。
ああ、武士に生まれなかったならば、このような公達の命を奪う悲劇を演ずることもなかろうに、武門の定めに涙涙・・・。若武者の鎧を解いてみると、一本の笛がある。城の中なれば管弦に打ち興ずる身分高き人なりとまた涙。
(子どもの頃つまり戦後、ラジオでこの物語を聞いた覚えがある。ただしそれは平曲であったか講談であったか定かではない。)

  長岡京市の粟生(あお)は法然上人が比叡山を下りて、初めて浄土宗を説いた場所だ。 情けに篤い熊谷次郎直実は法然に帰依して、蓮生坊と名乗り、壇ノ浦の戦いの13年後に光明寺を建立したという。

 “驕れるもの久しからず ただ春の夜の夢の如し
  たけき者も遂にはほろびぬ ひとえに風の前の塵に同じ“  (平家物語)

  さて金森昭憲氏とこれからうちあわせして、琵琶をどう演出していくか検討したい。
                                                          杉谷 保憲

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「今年もキヌガサタケが」

 2007. 6. 27 杉谷保憲

 

竹林日記「今年もキヌガサタケが」2007・06・27(水)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋。

  今日は肥料がトラックで入荷するので、 それを小屋へ運び上げる作業のため出動である。20キロの袋を30個ほどみんなで担ぎ上げた。

  一汗かいて、休憩時間にはいると、報告事項はそこそこに談論風発、とても高齢者の集まりとは思えない。山本さんが“近頃の高齢者は鳥の鳴き声も知らない。”と論難し、ホーホケキョ、テッペンカケタカといろいろ鳴きわけを実演してみせる。
都市暮らしが長くなると、自然から遠ざかっていくのはやむをえない。
  今年もキヌガサタケが5本も姿を見せた。私は昨日の朝9時45分に見に来た。去年のものより大きく、貴婦人が完全な装いをしていて、キノコの女王といわれるあでやかさであった。私は去年初めて見たので、この竹林日記に興奮気味に書いたのを覚えている。

 

  荒木さんが今年の発生地域をロープで囲った。2箇所である。7月初旬までにまだ出てくる可能性がある。キヌガサタケはモウソウ竹林に発生するが、竹林をきれいにしすぎると、胞子が定着しにくいかもしれない。早川さん、どうすればよいか研究してほしい。

  そこから稲荷社に向かう途中の花壇には紫陽花が花をつけた。今春10本植えて、6本が赤、青と咲いた。酸性土壌では青になり、アルカリ土壌では赤花になるという。アジサイを売り物にするお寺も多い。アジサイ名所も全国にある。


  江戸時代、長崎にいたシーボルトがアジサイの学名に「オタクサ」と命名した。それは彼の愛人おたきさんに因んだものだという。アジサイの花は華やかでありながら花影があり楚々とした風情である。おたきさんはそんな女性であったようだ。

  かつて薄暗かった参道は景色が一変して色とりどりになった。今後は季節の変化が楽しめることだろう。

  30日(土)は引き続き草引き作業。見学者・ゲストも多い予定
                                                          杉谷 保憲

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「カストロと竹林のこまごま」

 2007. 6. 23 杉谷保憲

 

竹林日記「カストロと竹林のこまごま」2007・06・23(土)曇り

参加者 杉谷、高田、早川、熊谷、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、稲岡夫妻。

    作業を終えて午後は大阪で映画を観た。シネマヌーボーという九条の小さな映画館。
「コマンダンテ」 アメリカ・ハリウッドの “社会派監督” ストーンがキューバのカストロにインタヴューした作品である。
  カストロはゲバラとの別れやキューバへのミサイル持ち込みでフルシチョフとケネディとの対決の内幕を語り、 ストーンに異性関係を問い詰められて婉曲に答えさせられるなど、迫真的でかつ興味深かった。

   キューバ国がアメリカの流す情報のような国ではないことを描いているので、アメリカでは上映禁止になっているそうだ。(アメリカのように懐の深い国が上映禁止とはおかしいと思うが。)

   情報にはバイアスがかけられたり、意図的に偏向させられることがあるので要注意である。
イラク戦争をめぐるアメリカ発のもの、チェチェン紛争を報道するロシアのもの・・・鬼畜米英を教え込んだ日本軍の情報・・・権力側は意図的に流す。これが世論を作ることがあり、情報の扱いは慎重でなければならない。一面、危険なものである。

    アメリカはカストロを独裁者と罵って、世界にキューバ像を流してきたが、ストーン監督はインタヴューだけでその虚構を崩して見せた。「コマンダンテ」ではキューバ民衆が“司令官 !”と呼んでカストロに握手を求めてくる。作り物ではない暖かさが画面にある。

   思わず北朝鮮からの映像を思い出した。 北朝鮮の情報はとぼしい。 いつも金正日だ。その金正日と息子・金正男は下腹が出ているが、二人以外の被写体はみな痩身である。その上、指導者が大衆と交歓している姿は見たことがない。いつもオカミトとシモベの映像だ。

  「コマンダンテ」はわずか30〜40人の観客であった。しかし字幕が終っても容易に立ち上がろうとしなかった。私も竹林作業後なので眠くなるのかと心配したが、睡魔が近寄れないほど感動していた。
来週は「もがりの森」の上映。カンヌのグランプリ作品の日本作品なのにこんな映画館で・・・。

連絡事項

建設中のユンボ道

 
  そのほか以下に竹林のこまごましたこと。

1・いつの日記のことか忘れてしまったが、
  “山林に占める竹林の面積は全国平均1%であるがこの地方は8%である。だからこの地方の人が竹問題に    取り組まなくてはほかに誰が取り組んでくれるだろうか!”と書いた。
   「この地方」と曖昧にしたのはそのデータが、京都府のもののように思ったが、判然としなかったからである。    昨日、市役所に行き、長岡京市では竹林の占める面積は山林の20%であることがわかった。

2・放置されて荒廃した竹林は鹿児島県がもっとも広い。ここでは竹林整備が長岡京市にくらべると遅れている。    鹿児島県はボランティアが大都市近郊ほど多くないので、整備が立ち遅れてしまう。ただすべてが山林になっ    ているのでボランティアが集りさえすれば、その後はやり易い。

  それにくらべて長岡京市の竹林には山林と農地があり、農地に指定されているところは税制上の優遇措置が   ある。農家は自分で竹林整備をするから税の特典を得ている。
  しかし実際には高齢化などで整備ができないので、放置されてしまっている。こういう竹林は法規上ボランティ   アに整備を依頼することはできない。ボランティアに依頼するのであれば税の優遇措置を返上しなけければな   らないのである。

  こういう事情で長岡京市内の竹林は荒廃が広がっている。

  鹿児島県は新幹線の開業と平成20年からNHK大河ドラマ「篤姫」のスタートを期して景観政策として竹林整   備に乗り出すという。

3・竹林ボランティア団体は静岡県が最も多く23あり、2位が京都府で18ある。

4・ホリ鍬(京都府南部で使われているタケノコ掘り専用の鍬。大きな鎌のような形をしている。)を鍛冶屋に修    繕にだした。鋼部分を焼いて叩くのであるが、できあがりは12月になるという。
  「なぜそんなに時間がかかるの?」と聞いたら、上野鉄工所の奥さんは「この時期になってはもう火を熾すの   が暑いのでやりたくない。それに主人もトシですわ。」
  私がホリを注文したとき年齢を尋ねたら、主人は私より一歳若かったのに・・・。
  かつて四軒あった鍛冶屋ももうここしか残っていない。

5・今年もキヌガサダケがでた。4本も。しかし傘はすでにしぼんでいた。昨日が美しい姿であったろう。私は昨    日竹林に入ったのに気づかなかった。
   去年は7月7日に発生しているからこれから期待できるかもしれない。

6・来週27日(水)は臨時作業日。肥料入荷のため運搬。ご出動を乞う。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「幸福の尺度」

 2007. 6.  16 杉谷保憲

 

竹林日記「幸福の尺度」2007・06・16(土)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、早川、野本、窪田、小椋、稲岡。高橋、稲岡(喜)。

    池には睡蓮が白い花をひろげ、家々の軒先には花がとりどりに咲き乱れている。竹林はひと月前には黄色の葉に染まっていたが、今は緑の葉をそろえている。今年つくった花壇に紫陽花が三つ咲いた。うれしいことである。
ここは駅から歩いて20分、バス停からは30秒の距離であるが、そんな近いところなのに緑が豊富だ。梅雨の間の晴は心地よい。

   今日の作業はユンボ道づくり、花壇整備と竹林内の小笹狩り。
それに七夕用の竹を切り出す相談、 竹炭用の竹を提供する手はず、 ホリ鍬の修繕、 地域活性化助成金の 申請手続き、ワラを提供してくれる農家があるという耳寄りな話など。

   この一年、私の心がとらわれているブータン国のことを書いておきたい。
ブータンはヒマラヤの南にあり、ネパールの隣の国である。
この国は王政であり鎖国していた。中国とインドと両大国に挟まれて、舵取りは微妙なようだ。数年前から開国し、ようやく外国人旅行客が入国できる。外国文化の流入を制限して、グローバリズムに抗している。

    また環境保全・伝統文化の保護に努めている。 発電所建設をすることによって鶴が飛来しなくなるのなら、国民は電気を我慢するといった姿勢だという。
そのなかで王様は自分の権限を年々少しずつ国民に譲渡しているという。珍しいことだ。
そしてこの国は、GNP(国民総生産)やGDP(国内総生産)は経済指標としては認めるが、先進国のようにGNPが大きいほど国家や国民が豊かであるとは考えない。

  つまり、
恋人にセーターを編んでプレゼントしてもGNPには入らないが、お店でセーターを購入してプレゼントすればGNPに加えられる。老人を家族で介護してもGNPには関係ないが、ホームヘルパーを頼めばGNPに加算される。
先進国はGNPを豊かさの指標とするけれども、ブータンでは家族労働のような金銭で計算できないものにこそ人間の幸福があると考えている。

  幸福 = 財 / 欲望     という方程式である。

   すなわち欲望を少なくすれば幸福は増すというわけだ。金持ちになることと幸福とは関係ないどころか、むしろ欲望の肥大化が問題であると指摘している。
禅が教える「足ることを知る」と同じようだ。

    この国についてのTVや新聞記事は少ない。私はブータンに行ったことはない。
作業が終ってから、中央公民館で、諸外国の話のついでにブータンについて話したら、集った人の反応は大きかった。環境問題やグローバリズムに関心をもたれるようになっている。

    平和を求めて戦争をするとか、幸福をめざしてお金に執着する現代人の姿に、自問しかつ疑いを抱くようになってきたように思われる。

   ブータンはこれからどんな変化をみせるか?
果たして理念どおりに進めるのか?
先進国の虚妄を打ち破れるのか?
                                                                                                                                杉谷 保憲

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「老いの日々を」

 2007. 6.  9 杉谷保憲

 

竹林日記「老いの日々を」2007・06・09(土)曇りときどき雨

参加者 山本、杉谷、高田、早川、熊谷、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、稲岡、吉田。川路、尾崎、稲岡(喜)、原。

   高槻「がんこ」にて、11時半から14時半まで総会。よくしゃべり、よく呑み、よく食べた。総会では一年のまとめと次期の計画を検討した。事業計画(NPO竹の学校)と予算が主たる議題。

    終ってから、みんながそれぞれ自分の話をした。作業のときにはできない、自分のたどってきた道の紹介が意外に面白い。サラリーマンも平坦な歩みではない。たどってきた道程も人生経験も飾るところなく話できる定年後というものは、なかなか乙なものである。こんな人は老いをまっすぐに受け止める力を持っていると思う。

   乳幼児期は多分なにも思わずに、歩く・話す力がつくのだろう。続いての思春期は身体的能力も思考能力もめざましく拡大するが、心はそれに追いついていがない。私などは小説を読んでいて、性描写のところさしかかると、そのところを繰り返し読んだものだ。大人というものはどんなことかわからず、不安な時を過ごす。一方、力がつくだけに生意気になる。


 

 

 
    壮年期は力は備わっているが、人生のトータルなイメージがつくりにくい。家庭を持っても子どもができても、社会の枠内に収まっておれば何となるだろうと、自分をほかに預けている。またそうしなければとても自己責任ですべてを処理することはできない。

   定年後から人生本番となる。経済社会から切り離されると、経済社会の経歴はそんなに役立つものではない。いよいよ自己と真摯に向かわざるをえない。残された時間をどう使うかは大問題となる。

あれこれと希望・計画はあるが、実はその裏で老化が進む。アンチ エージングと称して人は老いと戦う。いくばくかの老化速度を落とす効果はあるだろうが、若返ることはありえない。

   そして幼児期・青年期を通じて自ずと蓄えた力が老年期になって落ちてくる。ただし老年期は思春期と違って、人生のトータルが見えてきているので、 力が落ちても、 少しずつ諦めることによってバランスを保とうとする。老年期には淋しさがつきまとう。大切なことだ。それが分からなくて、威張っている人はつまらない。

  竹林友の会は
  共同で仕事ができるところ、
  合意で動くので命令がないところ

お金のやり取りがないので、作業量も計らないし疑心暗鬼もないところだった。
その上に自分が興味をもつことに取り組んで、 そのことが社会貢献になれば、 そんなやりがいのあることはほかにないだろう。

  幼児期にかぐや姫の話を聞いて、竹はどうした光るのか?を実験してみたり、茶道という日本文化のひとつは竹で組み立てられているが、竹がなぜ日本文化をつくることになったのか?とかを考証してみたり・・・。

  今度は「NPO法人 竹の学校」と取り組んでみたい。
みんなの賛成を得た。
今度は全員の力を合わせる場面とそれぞれの持ち味を生かす場面とがある。
大らかにやりたい。
うまくいかなかったとしても、なにも損はない。お金も名誉も傷つかない。
集った人たちの老いの日々が充実しておれば、それでいいのだから。

(昼酒がまだ残っている文章だなあ。)
                                                          杉谷 保憲

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「田植え」

 2007. 6.  6 杉谷保憲

 

竹林日記「田植え」2007・06・06(水)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、早川、熊谷、野本、窪田、錦織、荒木。稲岡(喜)。

     タケノコシーズンが過ぎて、作業日が土曜だけになっているが、今日は特別に集った。6月9日(土)の総会は食事会も含むので、時間がたりないと思われる。今日は議案書の予習をするためである。
ところがユンボを通す道づくりの予算をどのぐらい見積もるかを検討しているうちに、実地検証をしてみると妙案が生まれそうになってきた。実りある予習。

    今日、私が話したことは、列島の森林のなかで竹林が占める平均は1%であるが、この地方では8%である。竹に関する限り、ほかの地方よりはまず私たちが取り組まなければならないという趣旨だった。

    田植えが盛んだ。田植え車がエンジン音をあげて水田を動き回っている。独りで作業を進めている。
かつての田植えはきつい労働であった。苗代から苗束を水田に運び、筋目をつけられた水田に、腰をかがめて早苗を植えていった。かがみこむ姿勢を続けるので腰が痛くなる。一人ではうまくいかないので家族総出でいっせいにしたものだ。

    昔話を続ける。田植えが終っても水不足に悩まされたものだ。
梅雨だから雨が降るときはいいのだが、空梅雨ともなれば水騒動が起こる。水田というものは、水を上流の田から下流の田んぼへ流し、次々と潤していくようにできている。雨が少ないと、いつ雨が降るか当てにできないので、上流の田は次の田んぼには流そうとしない。そこで上流と下流との間に争いが起こる。
そんな記憶で今の田んぼを眺めると、現代農業は水問題を解決しているようだ。

    田植えが終ると水田は青々とする。これは今も昔も変わりないが、今のほうが整然と苗が植えられている。機械のお陰だろう。
しかしツバメの飛ぶ姿はかつてとは比べものにならないほど少ない。これからでるはずのトンボもカエルもホタルも少ないだろうと予想が立つ。進歩とか発展の裏側で犠牲になるものが気にかかる。
                                                                                                                                杉谷 保憲

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「林住期(りんじゅうき)」

 2007. 6.  2 杉谷保憲

 

竹林日記「林住期(りんじゅうき)」2007・06・02(土)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、早川、熊谷、野本、窪田、錦織、小椋。稲岡(喜)、高橋、(高田夫人)。

    今春生まれたタケノコはいま10メートルぐらいには伸びている。 タケノコ時代の皮はすべて落ち、 根元に 一枚だけしがみついている。竹桿の色はあさみどりで、節はまだ白く乳幼児を思わせる。

   竹肌の細かく毛羽立ってような粉を拭きとって、そこに墨汁で“07”と年号を記入する。今年の竹は8年経った2015年には伐採することになろう。良質のタケノコを産むために。

    毎年同じことを繰り返すのが自然の摂理である。釈迦のいう輪廻である。古代インドでは人生を四つの時期にわけて考えていたようだ。私は高校生のとき、世界史の副読本で知った。

「学生期(がくしょうき)」
「家住期(かじゅうき)」
「林住期(りんじゅうき)」
「遊行期(ゆぎょうき)」

   五木寛之氏が『林住期』を出版したのでそれを読んでみた。五木氏は現代日本にあわせて、林住期を50歳から75歳として、その時期の暮らし方、人生態度を記している。

    よくある書物に、“定年後”ものがある。いわく年金での暮らし方、外国での暮らし方、ゲートボールやゴルフ社交のあり方、ボランティア活動と社会貢献、夫婦の絆・・・これはそんな定年ものではない。

    『林住期』の内容のひとつに、「腹式呼吸」を奨めている。このあたりが五木氏の非凡さが現れるところだ。
声楽(カラオケも)や吹奏をする人にとっては大切にされている呼吸法だ。しかし意識して練習しないと身につかない。

    竹林にいると深呼吸にいい環境だと思うけれども、 案外やらない。 竹林の空気をいっぱいに吸い込んで、よりよく元気に林住期を送りたいものだ。青竹で竹のベンチをつくることもできる。毎回3分ずつでもその上に寝そべって、腹式呼吸をしたら如何だろう。

    インドを旅することは人生に大きな影響があるとよくいう。私もそうだった。生きることに、ショック的な根源的な衝撃を受けた。それ以来、輪廻を思うことが多い。(ただし転生については理解ができないが。)そして進歩思想に疑いを抱くようになった。

   竹林では今日もそれぞれが思い思いの仕事をしている。花壇で作業する人、ヤマゴボウを採る人、竹を伐採して運ぶ人、肥料作りをする人・・・爽やかな風を受けて。
                                                                                                                                 杉谷 保憲

 
 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「イナバウアー」

 2007. 5. 26 杉谷保憲

 

 

 

 竹林日記「イナバウアー」2007・05・26(土)晴れ

参加者 杉谷、高田、早川、熊谷、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、稲岡夫妻。

    芯止めの作業。今日はこれが難航した。
タケノコが伸びて、幹に枝が一、二本でたところで、その幹を揺すると、竹の先端部分が折れる。これを芯止めという。今週の初めごろが適期であったが、今日は枝がすでに十本以上でている。作業日を通常体制(週一回土曜日だけ)に戻したために適期を見逃してしまったのだ。

   もうどんなに揺すっても先端は折れない。
仕方がないので十メートルほど伸びた竹の半ばにロープを結わえ、下からそのロープをひっぱたり、緩めたりしていく。すると竹の先端は激しく前後に揺れる。

   竹の上部四分の一がイナバウアーの演技のように反ったり前に傾いたりする。竹はしなやかである。イナバウアーを繰り返していくとようやく先端部が折れる。苦心の結果、折れて落ちると歓声があがる。
これは時期遅れのときのやり方として友の会方式であろう。

    芯止めをすると竹の成長力は削がれて、そのエネルギーが地下茎にまわり、タケノコつくりに好影響をあたえるという。誰の発明かわからない。葉野菜の栽培法、盆栽づくりなどの智恵が移転されたのかもしれない。

   の地方では芯止めとサバエ狩りをこまめにしなければ、いいタケノコはとれないといわれる。今後は草引きもはじまる。京都式軟化栽培は丁寧である。

    こうして8割の芯止めができた。私はサバエ(細い竹)を切り倒しておいた。
今日はもう暑い。蚊はいないが日陰が恋しい。今夏はどんな暑さになるのか心配である。

    一方で、6月9日(土)の総会を控え、議案書づくりも進んでいる。 総会の時間が短いので、6月6日(水)を臨時作業日とし議案書をあらかじめ配布・検討することにした。
                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「青時雨(あおしぐれ)」

 2007. 5. 19 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「青時雨(あおしぐれ)」2007・05・19(土)曇り

参加者 塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋。濱村、高橋、水口。

    明け方は雷鳴を伴う強い雨。今朝は天気の激変に目が覚めた。しかし空模様が落ち着いて、竹林に入ってみるともう地面も竹幹も乾いている。雨しずくが竹幹を滴り落ちる様が風流に思える。

    珍しいことに濱村さんと水口加奈さんとが現れた。「本業が忙しくてシーズンに入山できなったのです。タケノコはもうありませんか?」
野本さん、窪田さんが探してくれる。 隣の竹林のおじさんも持ってきてくれる。 なんとか二人が持ち帰る本数がそろった。


  加奈さんは一年以上も竹林をお休みしたという。大学病院の人手不足は深刻だと昨日の新聞が報じていた。加奈さんは神経内科に替わったのと、 新人指導の仕事も加わり、タケノコのことを気にしながらも入山は無理だったという。
   「そんな状態なら連絡すれば送ったのに・・・」というと、
濱村さんの返事。「いや、自分で掘らなければ美味しくないのです。」
ほんとうにそうだ。

     町でタケノコを買っても、朝掘りタケノコなら同じことだと思うのに、自分で掘ったものには、大地との約束事  -これは自然と一緒につくった作品なのだ-−があるような気がする。農というものはそういうものかもしれない。

    伐採というのは7,8メートルもあろうかという大きな竹を切ることである。 音を立てて倒れるときは奥山の森林にいる気分になる。
しかしタケノコを掘っているときは、菜園で仕事をしているのとさほど変わらない。

  竹林は住居地と奥山の間をつなぐ里山なのだ。里山は人が暮らすために手入れしてきた場所である。雑木林も竹林も里山は至るところで荒れている。経済性が乏しくなり人々は手入れをしなくなった。奥山にも問題が山積しているが、里山を救わなければ人間の暮らしや感覚に影響がでるのだが・・・。

   一陣の風が吹き抜けた。梢の向うの空が灰色に変わった。大粒の雨が落ち始めた。こどもの日にタケノコにくくりつけたおもちゃの鯉のぼりが中空で舞い始めた。みんながテントの下に集って空を仰いだ。

  「青時雨」というのはこのことなんだ。木々が若葉に萌える頃、雨にぬれて雫がしたたる様をいう。しかしこの言葉は樹の場合より、竹の場合にもっとぴったりする。
竹の若葉に降りかかる雨は陰影をつくり、青い竹幹を走り落ちる水の速さが時雨の強さを見せてくれる。

  生暖かい風に吹かれ、雨に閉じ込められて、人々は足場を踏みしめながら竹林を下りた。
竹の間にタケノコが伸びて、茶褐色の皮がめくれている。竹林は一年のうちで一番変化が見えるときだ。

 総会の議案書づくりは錦織さん、荒木さん、小椋さん。21日14時集合で。
                                                         杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「竹林入るべからず」

 2007. 5. 12 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「竹林入るべからず」2007・05・12(土)晴れ

参加者 塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、稲岡、吉田。

    伐採が本格化した。いまどきの竹はノコギリを当てると水が滲み、切ると竹の中に水が溜まっている。竹はそれほど水分を蓄えている。

   今日は汗ばむ天気だ。竹林には蝶が舞い、蜂が飛ぶ。
当地の竹林には大抵「竹林入るべからず」の立て札がある。中には「罰金○○円を課す」という品のないものもある。いずれにしても竹林の所有者は他人が立ち入ることを拒んである。私ははじめ何故だろうと思っていたが、放置竹林整備作業をやりだしてこの意味が理解できた。

     伐採後、肥料を撒き、藁を敷き、土をかぶせる・・・土壌を柔らかくしているので、そこへ人が入り、踏むことによって、土を硬くしてしまい、土壌が台無しになるからである。

     ところが今年はじめて現出した光景がある。  あちこちの竹林に、  一昨日、昨日、今日と幼稚園児たちが入っている。いつも森閑としている竹林が賑やかである。

   どうやらタケノコ収穫が終って、 今の時期なら幼児であれば問題ないとされたのだろう。 野外学習だから  スケッチブックを広げる子どもたちが多いけれども、走り回る子どもと先生の叱声、サバエを掘り、それをまた挿し木にして遊ぶ子・・・。

    竹林の所有者たちが環境教育のために開放したのであろう。そのこと自体は遅ればせながら英断である。

    私たちの竹林は設立当初から開放してきた。それは市民に、竹の生態や竹林の抱えている諸問題に理解を深めてもらいたいという意図を持っていたからである。  親子でタケノコ掘りをする行事も今や恒例となって いる。

   しかし、柔らかい土壌が踏み固められてしまう欠点があるのには変わりない。 そこで今年は竹林内に板の通路をつくった。尾瀬沼などにある“遊歩道”である。京都府から助成金をもらってつくったが、まだ竹林全体の三分の一しかできていない。しかし効果がある。

    幼稚園児に限らず市民に環境教育を進めることはいいことだ。もっとたくさんの所有者が板の遊歩道を作って、竹林の開放に努力してほしい。
そうすれば美しい竹林に無粋な看板を出すこともないであろうに。

     総会は6月9日(土)11時30分〜「がんこ」阪急高槻市駅3分。
                                                                                                                               
杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・ど根性タケノコ

 2007. 5.  9 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「ど根性タケノコ」2007・05・09(水)晴れ 真夏日

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木。
 
  モウソウ竹のタケノコの収穫が終った。
その間一ヶ月有余、ゲストを迎え、放置竹林の説明や水資源涵養のこと、竹・タケノコの生態や京都式軟化栽培の話を続けた。

   環境意識の覚醒にはどれほどのことがあったか・・・それは長い先のこととしても、ゲストたちがタケノコ掘りを喜んでくれたことや焼きタケノコやバーベキューをともに楽しんだことは心豊かな日々であった。

    今日から間伐を始めたが、休憩時間が長めになっている。集った顔々には“祭り”の後の虚脱感があるのだ。特に塚崎さんと錦織さんは「今日は力が入らない」と同じことをつぶやく。 入試や大きな試験を終えた人が陥る五月病という状態だ。 二人とも初年兵だから、 一年の緊張が解けたのであろう。

 

 

 

 

 
    掘り出したタケノコを整形する机の下に、 机を支えるコンクリートブロックが置いてある。その地面から、大きなタケノコが伸びている。 タケノコはコンクリートを押し上げて、 机をも動かしている。高田さん、野本さんが「ど根性タケノコ」と命名した。もちろん“ど根性ダイコン”のもじりである。太く長いタケノコはコンクリートブロックの重さに押されて、曲がっている。成長する力がものすごい。野本さんは苦心の末に掘りあげた。これが今年最後のタケノコとなった。

      もう一方では、窪田さんと荒木さんが竹の落ち葉を掃き集めている。雨水が落ち葉の上を流れ去ってしまわないように、地面をむき出して地下水になるようにする作業である。その落ち葉が横縞模様にまとめられて、トラの縞を描いているのだ。阪神タイガースの8連敗を悲しんでのことだ。

    福田平八郎(日本画家)は花鳥画で有名であるが、タケノコの作品もよく知られている。その華麗さと色が私の好みではないので、実際に観たことはなかった。
しかし丁度今、平安神宮の前の京都国立近代美術館で「福田平八郎展」があるので、タケノコ目当てに出かけた。

 

 

  

 

 

   この絵(添付)は古い竹や若い竹やタケノコが描かれている。竹の節をみると一重だからモウソウであろう。(モウソウ竹以外は皆二重である。)枯れ竹もあるのでタケノコ畑ではないだろう。つまり老若の竹を並べているのだ。

   そのなかで一本のタケノコが若さを際立たせて、妙に艶っぽいのである。普通、生長中のタケノコに力は感じるが、ここのものには不気味なまでのなまめかしさがある。

  また構図が大胆である。上下を思い切りカットして、そのことによってタケノコを強調してみせる。この絵には竹の葉もなければ遠景もない。

    翌日から、私は竹林のタケノコをつくづくと眺めるようになった。福田平八郎に強烈なパンチを食わされた。そして不思議なことに、現実のタケノコがあの絵のよう艶っぽく見え、“ど根性タケノコ”がお化粧しているようにも見えるのである。
福田は大分県の生まれで、京都で絵を学んだ。大分、京都、ともに竹の産地である。
 
    今日は昨日に続いて真夏日となった。地球温暖化のせいかどうかわからないが、もしこのまま温暖化が続くと、21世紀中葉には地球上に水不足が起こり難民が発生し、水を求めて戦争が始まるという予言がある。

   今後、私たちの“水資源涵養”の作業は一層、意義深くなろう。
   来週から土曜日だけの作業となる。なお6月9日(土)に総会を予定いるので、万障繰り合わせてください。
                                                                                                                            杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「蛍の光」

 2007. 5.  5 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「蛍の光」2007・05・05(土)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、錦織、荒木、稲岡、吉田。高橋。

   天気予報が雨であったが、昨日になって変更され晴天となる。
松尾さん、古澤さんという古い友人が、8組の親子を引率して入山してくる。両親は30歳代のようだ。

    古澤さんが“昔取った杵柄”か、 タケノコの割れ目を見つけてくれる。  かつて彼女はタケノコ犬と呼ばれていたが、地中のタケノコの存在を鼻で嗅ぎ分けるよう。

 

 

 

 

 

 
   
 早川さんが紙芝居仕立てで、名調子のタケノコ説明を終えると、全員が山に散らばる。
スタッフ全員は早くから来て、古竹を運び込んだり、テーブルや農具など準備万端を整え、待ってましたとばかりにタケノコ掘りの指導に当たる。

   小学生たちは喜びが素直に顔や声にでる。掘りあげたあとの“お礼肥”もきちんとできる。

    荒木さんが大声をあげて盛り上げ、高田さんがタケノコを手際よく処理し、それを錦織さんがお母さんたちに大サービスをしている。親たちもエビス顔である。

      地球温暖化のせいか、 タケノコの時節が早くなっている。  モウソウタケノコは 7,8年前にはゴールデンウィークがピーク時であったが、この数年は終りの時期になってしまった。
正直な話、今日の収穫物はすでに優良品が少ないが、市民が竹林に入れることはまずできないことだから、ここでタケノコ掘りを経験することは貴重である。体験学習に興奮するのも当たり前だ。

   焼き薯、焼きタケノコパーテイに移った。 歓喜は続く。 焼きタケノコはみんな初めてのようだ。 それはそうだろう。竹林がなければこんなことはできない。竹の食器を持ち帰りたいと、子どもたちはきれいに洗ってバッグに詰め込んでいた。
皆で写真を撮った。

 

 

 

 

 
   こどもの日。
玩具の鯉のぼりを芽が出たばかりのタケノコに貼り付けた。タケノコはわずか3ヶ月で成長しきるが、この鯉のぼりは夏空高く泳ぐだろうか?
  「来年もこの行事をやってください」
  「ぼく、土入れを今年も手伝いに来たい」
  「夏休みに鯉のぼりを見に来ます」

    11時半、お別れの言葉が飛び交う。
  「また来てね」「竹林を大切にしましょう」
“蛍の光”を歌ったら、このシーンにぴったりだなあと思えた。私たちにとってもタケノコの今年の宴が幕を閉じる。
山を降りていく子どもたちの後ろ姿に、竹の葉が舞い落ちる。吹雪のようでもあり、櫻の花びらのようでもある。

来週の作業は9日(水)です。
                                                                                                                                杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「環境探検隊」

 2007. 5.  3 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「環境探検隊」2007・05・03(木)快晴

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、熊谷、野本、錦織、荒木、小椋、稲岡。

   西山森林整備推進協議会主催「西山ファミリー環境探検隊」の親子7組が竹林に入った。市役所、自然保護団体などの付き添いがあるので30名を越すゲストである。
    婦人教育会館での竹林一般についての話(杉谷)のあと、  現地に移って竹の生態・タケノコの掘り方の話  (早川)があり、いっせいに掘り始めた。

 

 

 

 

 
  友の会のメンバーに指導を受けている間は唸り声ばかりであったが、 やがて広い竹林(1500坪)の随所で子どもたちの歓声が上がってくる。そしてタケノコ掘りの難しさ、面白さの夢中になっている。
昨日の雨のせいか、心配していたよりはたくさん掘り出した。
作業終了は11時半。

 

 

 

 

 
  これから昼食である。友の会メンバーの獅子奮迅の作業によって、すでに焼きタケノコは出来上がっていて、竹のベンチに座る子どもたちの前には、竹の皿が並べられ、次々と焼きタケノコが盛られていく。

     隣の竹林は藤下さんである。彼は掘り鍬4丁を持参し作業がスムーズに運べるようにし、その上大きな籠 いっぱいのタケノコを皆にくれた。
そのお陰でゲストに満足してもらえたと思う。

 

 

 

 

 
   いまの子どもたちは幸せだ。 5月の少しきつく感じる日差しを受けて、 竹林は子どもたちの天下である。   “自然を守る会”のおじさんが竹林にいる昆虫を捕まえて、説明をしてくれるのに目を輝かせている。

    私は昭和の一桁である。 小学生のころは戦時色に塗りこめられていた。 男たちは戦場に立ち、女たちは銃後の暮らしを支えた。子どもたちがのびのびと生活できる条件はなかった。

    今日竹林にいるこの子どもたちが、今後の日本を背負っていくだろう。そのとき戦争をしなければならない国であってはならない。 人類にとって戦争は無くなることはないだろうが、 少なくともそれを自分からは起こさない国にしておきたい。
どの戦争も正義をかざして始める。しかしそれがいつもいかさまの理屈であることもまた証明されている。

   今、たくさんの理由の元に日本は曲がり角を曲がろうとしている。


    タケノコ収穫期は終りそうです。臨時編成は5月5日を最後にして、来週から作業日は 水・土 の 2回に戻ります。
                                                                                                                             杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「惜春」

 2007. 4. 30 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「惜春」2007・04・30(月)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、熊谷、野本、錦織、荒木、稲岡夫妻。

    タケノコ掘りの傍ら別の作業も続いている。 それは枯れ竹を集めること、 青竹でベンチや食器を造ること、ヒノキ材で椅子を造ること、テーブルを造ること・・・。

   これらはいずれも5月3日(木)に行われる行事、親子20名の<竹とタケノコの学習>に備えて、焼きタケノコをつくり食べてもらうための作業である。 


 

 

 

 

 
    枯れ竹を燃やしていた山本さんが今日は “作業のシメ” をすると言い出した。  シメは焚き火を完全に消し、水道の元栓を締め、3つの物置に施錠することである。最長老がシメるのは初めてのことなので、大丈夫だろうかと内心危ぶんでいると、野本さんが「私が夕方、視に来ます」という。この声に安心して11時に下山した。
山本さんは午後2時に駅前で妙齢の2人の女性と会う約束があるので、その時間にあわせるために待機しなければならない。だからシメをするのである。人騒がせなデートではあるが、お楽しみあらんことを。

    タケノコの皮に繊毛が目立つようになった。 春が進むと、タケノコは地中深くにはえて地上に顔を出すから、掘りにくい。そして竹の葉が散り始める。これを季語では「竹の秋」という。
今週いっぱいで、我われのモウソウばたけの収穫は終わりを告げるだろう。次はハチクにタケノコがでる順番になる。

   俳句では「筍」は夏の季語で、春に出るものは「春の筍」と区別して言う。なんという日本人の繊細な季節感であることよ。

    
春筍の 地下一尺に あらんとす    相生垣 瓜人

   宴が続いたタケノコ掘りもあと3日と5日だけ。
   つい先日まで寒い思いもしたのに、もう春が過ぎていく。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「水資源と動物」

 2007. 4. 28 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「水資源と動物」2007・04・28(土)曇りのち晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、熊谷、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、稲岡。川路、尾崎、高橋、原。

   今日のお客様は高校生の留学生たち。  大阪のあるロータリークラブが、 日本人生徒を外国のロータリー クラブに推薦し、外国のロータリークラブが推薦してきた生徒を受け入れる。今、日本の高校に在学する外国人生と、これから外国に留学する日本人生徒 計8名が入山した。

   高校生も喜んだが、タケノコ指導する 山本さん、 早川さん、 荒木さん、 稲岡さんの面々は相好を崩して話をしている。おじさんたちは若さをふりまく男女に惹きこまれているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
    今日は水資源涵養事業の助成金の申請書類が野本さんの手元でできあがった。 今度で3年連続になる。これがなかったら我われの竹林整備作業はこんなに順調に運べなかったであろう。関係各位のご支援に感謝する。

    稲荷社にはキツネが神様の使者になっている。天神社にはウシが、春日大社にはシカが神様の使いである。コマイヌも同様であろう。狼を崇めたり、蛇の信仰もある。架空の動物である龍神もいる。龍は干天に雨を呼ぶ。温泉の神様でもある。龍は水を大切にすることを教えて、水資源の涵養に大きな働きをするのだろう。

   どうも動物の扱い方は日本人の生き方と関係があったように思われる。暮らしに役立つ農業とか里山利用に関係して、動物が人々に畏敬の念を抱かせたようだ。

   西洋では、動物はハンティングの対象であり、野獣は害を及ぼすので人間と対立するとされた。そんな動物を棲ませる森は魔女の住むところで、伐採して魔女退治をしていった。

   西洋と日本は大きな違いがあることは明らかである。

  アジアはどうなっているのだろう?インドで街頭を白い牛が闊歩する姿をまず思い浮かべる。これは神の使いとして神聖視されている。しかしタイの象、東南アジア諸国の水牛、中国での牛や馬・・・については、人間が動物とどう接しているかよく分からない。

    少なくとも日本人は動物たちと仲良くして、神と人間との間をとりもつ存在としてきた。そして動物が棲息する森に斧を入れることを慎重にし、自然を人間が利用しようとするときには地鎮祭が必要だった。
戦後はアメリカの影響下で、 これらをひっくるめてアニミズムとレッテルを貼って迷信としてきた。  今、環境が破局的な事態になってみると、日本人の森や動物すなわち自然とのかかわり方を再評価するべき時であろう。

  本日、水資源涵養の助成を申請するにあたり、隣接する長法稲荷社の狐から連想が広がってしまった。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「禅」

 2007. 4. 25 杉谷保憲

 

 

 

 竹林日記「禅」2007・04・25(水)降ったり止んだり

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、稲岡(喜)。

      また天気のことを話さなければならない。 一昨日の予報によると、 今日は「雨」であった。昨日の予報では「曇り」であった。結果は、朝は曇りで9時には小雨、その後はときどき小雨が通り過ぎるという、二つの予報を足して2で割るような天候であった。

    ジャンボタケノコがたくさん採れる。“掘り時”を見逃していたのであろうが、これほど大きいと貰い手がない。味はちっとも変わらないのに、ジャンボは入れるほど大きい鍋がないという理由とか、見栄えがわるいのである。
もったいないことだ。

尺八――その3.

     そんなことを知らなかったのかといわれそうだが、 深い編み笠をかぶって尺八を吹いて門付けする虚無僧 (こむそう)、あれは「吹禅(すいぜん)」という禅の修業のひとつであるという。禅修業は座ってする「座禅」だけではない。虚無僧はお経を読まない。尺八がお経の代わりであるという。時代劇を全く見ない私は無知だったのである。

   尺八を習い始めたいきさつについてはすでに書いた。 私は尺八についてほとんど知識もなかったが、 その先生が琴古流(きんこりゅう)であることを知ったのは後のことである。

    流派は最も大きいのが都山流(とざんりゅう)、 琴古流はそれに比べると小さいが古い。都山流は教え方や譜面が近代的であるという。琴古流は虚無僧の曲の流れを汲んでいると先生に解説された。
それを聞いて私は喜んだ。

     絵画の世界でいえば、明治時代に洋画が日本に入ってきて、世界共通の技法なので全盛を誇っているが、日本画は劣勢とはいえ伝統美を代表しているのとよく似ていると思った。
私は日本画を好んでいるし、また日本を知りたいと常日頃思っているから、劣勢でも苦にならない。

  先生はいろんなテープやCDを貸してくれるし、また琴古流の演奏を聞かせてくれる。すると音痴の私でも流派による演奏の違いがだんだん分かってくる。
  都山流は洋楽と同じように華麗な”音楽”である。それに比べると琴古流は内面に深く入ろうとする。その姿勢が違う。

   そこまで分かった頃、先生が「これは虚無僧の曲を生かしたものです。」と普化宗(ふけしゅう)の西村虚空のCDを貸してくれた。

   これを聞いてみると、琴古流すら流麗なものと聴こえてくる。おおもとの虚無僧の曲は、自然のなかの人間を音にしているものといっていい。虚飾を払い、身を自然にゆだねている感がある。

  音楽は歌い上げるところがある。
短歌は歌い上げるが、俳句は淡々と描写する。けれども、俳句はそのことによって言葉以上の世界を表現するのと似ている。
虚無僧の曲は歌い上げない。それでいて心をゆさぶるのである。

  禅の道とはそんなものであるのか。
                                                                                                                                 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「民芸品」

 2007. 4. 23 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「民芸品」2007・04・23(月)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、熊谷、野本、窪田、錦織、荒木。

 

 

   一昨日の土曜日、残すところなく掘ったと思ったのに、今朝もタケノコがたくさん出ている。昨夜の雨のせいだろうか?雨後のタケノコという言葉があるから。

    今日のゲストのひとり副島さんは日本でただ一人のマトリョーシカ絵付け作家である。ロシアからマトリョーシカ(白樺の入れ子人形)の素材を輸入して、それに彼女が絵を描いていく。インターネットで検索すると作品がでるそうだ。

 

 

    伐採した竹の利用法が少ない。竹炭、花器などを作る程度である。戦前は日用品として暮らしのなかで竹は重宝された。 それを思い起こすと昔日の感がある。 今は伐採竹の大部分は焼却してしまう。 これを利用して、マトリョーシカのような民衆の工芸品ができないものだろうか。

   副島さんには、山本さんがつきっきりでタケノコの掘り方を教えている。その間を縫うようにして早川さんが竹の生態について講義している。メンバーたちは何かを期待している。

    西山一帯で大原野神社から花の寺あたりは名所である。昨日そこらを歩いてみた。大原野神社から花の寺へ抜ける100メートルほどの道の両端は美しい竹林であったが、はなはだしく荒れていた。

花の寺から石段を下りたところ、南東側の竹林も同様に荒れていた。かつて黒竹だけの竹林であったが、そこにマダケが混生して斑模様になってしまったことは知っていたが、昨日見たら、黒竹だけを切り取ってしまい無残な景観を呈していた。

   西山は櫻、紅葉が多いところだが、そのほかに竹林の美も誇っていた。櫻もソメイヨシノを集中的に植え込んで桜花の特徴をつくり出し、紅葉も同様な方法を取って名所に仕立て上げている。

一方の竹林はタケノコ畑として整備されていたころは凛とした光景を見せていたが、人手不足などで放置されると藪になり、いまや西山の美観を損ねている。

    西山の自然景観は危機である。行政も市民も一体となって乗り出さなければ、もはやもとに戻れない状態である。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「禁煙」

 2007. 4. 21 杉谷保憲

 

竹林日記「禁煙」2007・04・21(土)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、野本、窪田、錦織、稲岡夫妻、川路、尾崎、高橋。

   一枚、二枚、ほんのわずかであるが竹の黄色い葉が舞い落ちる。タケノコが終わりに近づくのであろう。これから花々が咲き乱れる春爛漫、しかし竹林は“竹の秋”となる。

   野本さん、窪田さんは企業の同窓会が昨日あって二日酔いで掘るのがままならないとぼやき、高田さん荒木さんは今日が企業時代の同窓会でお休みである。
 

   私も企業時代のエピソードを記しておこう。その前にゲストについて。
今日は長崎からの3人を迎えた。私が長崎にいたときからだから、20年来の友達である。男性はTVディレクターであるが寡黙な人である。女性の一人はその妻で、三菱重工の長崎造船病院に勤めながら集めた職場と疾病のデータを大学院に籍を置いて論文を作成中である。もうひとりの女性は長崎大医学部教授。


   この人たちは旅を愛し、酒を愛し、知を好み、決して奇をてらうことはない。「タケノコのお刺身で呑みたいね」と夜行列車でやってきた。
長崎では忘れられない出来事があった。長崎勤務の最後の年を迎えて、お別れの記念に、カトリック教会のクリスマス イヴのミサに出席することにした。17時半に仕事を終えて、19時半のミサを待たなければならない。

   待ち時間を利用して仕事の人と酒場で合った。少しなら大丈夫と思って、つい酒に手が出た。
教会の会堂は満員の信徒である。その最後部の席で好奇心を抱きながら、お祈りを聞いていた。ミサが終った。信者たちはひとりずつ神父の下で祝福をうけるために前に進む。そして一箇所だけ開かれた出口を去っていった。

     教会内には最後に私ひとりが残った。 すると神父が私に「どうぞこちらにお越しください」と言う。「私は信者ではありませんから」と断ったが、神父は「どうぞどうぞ」と祭壇から去らない。アルコールが気になっていた私は息を殺して、口に手を当てて神父にぬかずいた。神父は聖体拝領の儀式をしてくれた。
汗びっしょりになって教会を後にした。酒を飲んでいたことがばれたかもしれないという思いよりも、そんな態度で神の誠をいただいたことを恥じた。その不届きな行為の自分を責めた。

   これを挽回したい。そのために何かを誓いたい。私はなにをしようかと悩んだ。
45年の喫煙習慣、これまで禁煙を何回も試みたがいつも失敗していた。そうだ。その「禁煙」を神に誓おう。
かつてあれほど困難で、結局失敗ばかりしていた禁煙。その夜、ポケットの中のタバコ箱を捨てた。
今度も果たして続くだろうか?
 ところが禁煙は苦もなくできた。そして10年が経つ。

  長崎は美しいところだ。多くの人がこの街を讃える。私も同様である。私は浦上に住んでいた。近くにある二つの場所、そのひとつの浦上天主堂には禁煙で救われ、もうひとつの長崎大病院ではガンの摘出手術で救われた。

 前回の竹林日記で、本山市長と書いたのは本島市長の間違いでした。(訂正済)

 5月2日(水)は作業日を変更して5月3日(木)とします。
 口頭では正しき、メールでは間違いを書いたようです。(訂正済)
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「伊藤長崎市長」

 2007. 4. 19 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「伊藤長崎市長」2007・04・19(木)晴れ

参加者 塚崎、杉谷、高田、熊谷、野本、窪田、錦織、荒木。

   昨日に引き続き竹林に入った。タケノコはピークを迎えている。掘らずにそのまま成長させれば、切り倒してしまうことになるので、もったいないと臨時の出動である。
タケノコはこれから急速に下り坂になるはずなので、会員のうちであまり顔を見せない人は早く入山してほしい.

    先週、現場では連絡したことを繰り返しになるが記しておく。
5月2日(水)は作業日ではなく翌3日(木)になる。市の親子竹林学習会のため。この日は10時半から12時まで親子が竹林にいる予定。(市環境政策課長中村氏と環境の都作り会議加藤氏が担当)

    さて伊藤長崎市長が市長選の最中に銃弾を浴び殺された。この報をTVで知った最初は、政治的な背景があるのかを思った。本島元市長が狙撃された前例があったからである。しかし市への苦情の結果の凶行と聞いて、あまりのことで怒り心頭である。

   私は長崎に10年いた。伊藤さんと10数回会った。本島さんと会うとすぐ口喧嘩になったが、伊藤さんは話をきちんと聞いてくれたし、まっとうに考える人だった。市長になってはじめのころはすべてに慎重であったが、やがて被爆問題に関してはアメリカ政府に対しても、日本政府にもまっすぐに抗議の意見を述べた。被爆に対して、<広島の怒り、長崎の祈り>と言われるが、それはマスコミの言葉遊びであり、
伊藤さんは平和に対して真摯で、そこらの政治家とは違っていた。

   こんな事態を招いてしまった長崎県警は襟を正してほしい。
前例がありながら、それも選挙の遊説中は危険と隣合わせであることを警察は充分承知していたはずである。

   選挙という政治のなかで最も民意が表現されるときに、こんな卑劣な人間が愚か極まりないことをする。口惜しいというか情けないというか。
惜しい人物を失った。謹んでご冥福を祈る。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「尺八の音に鶯も猿も」

 2007. 4. 18 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「尺八の音に鶯も猿も」2007・04・18(水)曇り

参加者 中村、塚崎、杉谷、高田、熊谷、野本、窪田、錦織、荒木、吉田、稲岡(喜)。

   でるわ、でるわ。タケノコのジャンボが・・・。“今年度の最高の収穫”という声もある。一昨日が雨のため作業をしなかったせいもあるだろうが、その量の多さに作業時間を一時間延長したが掘りきれなかった。明日も臨時に掘ることになった。

     不作の声が多いのに、われらが竹林はどういう現象なのだろう。今日のゲスト4人も大満足のようだ。稲岡さんがゲストとともに重そうにタケノコを運んでいる姿も頼もしかった。

   24日10時に上林さん宅に杉谷が伺うので、荒木さんご都合がよければ同行をよろしく。
26日16時から、秋の竹林コンサートについて市側との会議を市役所4階会議室(当会出席 高田、荒木、小椋、杉谷)で行う。各団体との調整は「乙訓の自然を守る会」の鳥居さんに依頼済み。また当日の司会役は天白真理子さんに交渉中。各方面からの推薦もあった。彼女はこの町での催しの司会をほとんどしている人であることを今回はじめて知った。

   例のごとく<尺八その3>。
尺八の稽古時間は会話がはずむことも多い。私より15歳は歳下の先生(伝統芸能では師匠というべきか)との談義である。先生は永年、学校教師をしていたそうで、視野が広く、考え方のバランスがいい。

   「去年、ロシア極東の少数民族―狩猟民族ウデヘ―とともに一週間暮らしたことがあります。日本のマタギと同じです。そこではアカシカの肉が好まれて、とても美味しい味でした。そのアカシカを狩猟のときは笛の音で呼び寄せます。樹皮でつくった笛あるいはラッパというような形のものです。形状から見て高い音がでるだろうと思っていましたが、低い音だったので意外で、その音が記憶に残りました。オスとメスが惹き合うときの鳴き声かもしれません。そのときは知りませんでしたが、こちらで尺八の名曲『鹿の遠音(とおね)』を初めて聴いたとき、同じ種類の音だなと思いました。奈良公園の鹿寄せの笛とは違う音です。」

    「奈良公園ではホルンでベートーベンの『田園』を吹くと鹿が寄ります。あれは条件反射です。西洋楽器は純な音、きれいな音が選び出され、それらが鍵盤や弦になります。そのたくさんの音を再構成するのが西洋音楽です。美しい音の集合体ですが自然のなかにある音ではありません。人間の普通の声は複雑音で美しい音ではありませんから、声楽は訓練によって美しくします。尺八も西洋的な美しさではなく、自然のいろんな音が混じっています。竹に風を当てているだけですから。多分、ロシア少数民族の鹿寄せの音は尺八の音と似ているでしょう。」

  「子どもの頃、山陰の片田舎で育ちました。70年前の冬は厳しかったです。木枯らしが吹くと物干し竿が悲鳴を上げていました。竿は古竹で、ひび割れしていたから、そこが烈風に鳴るのです。それを聴くと孤独感が満ちてきました。尺八にはその音がありますね。」

  「そうです。尺八の音は自然を写し取って、創造しています。自然の音には不思議なことがあります。私が鞍馬から比叡山に向かって歩きながら尺八を吹いていましたら、鶯が反応します。こちらが驚いてしまいました。」
その後、クリストファー遥盟『尺八オデッセイー天の音色の魅せられてー』を読んだ。アメリカ青年が東京芸大で尺八を習い、世界中を行脚する話である。彼は日本の音楽教育に民族音楽である邦楽(尺八も含めて)がないがしろにされている現状を嘆いて、日本の教育界が西洋崇拝に凝り固まっているのに驚いている。この本は第6回蓮如賞(ノンフィクション関係)に輝いた。遥盟は尺八の宗家からいただいた号。

    その中で彼は、アルゼンチンで、ジャングルの中の小学校で子どもたちに尺八を教えるために、まず分かりやすい導入をしようと、動物の鳴き声を吹いたら、森の中から猿がぞくぞくと顔を出したのには驚いたと書いている。

   これからの私が尺八の演奏ができるようになるとは思わないが、尺八の音には惹かれる。この尺八は楽器というよりは「法器」といわれた禅の道具であったそうだ。それだけに実に味わいがあり、奥深いものがある。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「時間」

 2007. 4. 14 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「時間」2007・04・14(土)晴れ

参加者 塚崎、杉谷、高田、熊谷、窪田、錦織、荒木、小椋。川路、尾崎、原。
 

 

 

    昨夜の雨がほんの少し残ったが、まずまずの天気。予定のゲストは雨のため人数が減って10名。
藤下さんが、市農政課には今年はタケノコが不作だという話が多く来ているという。そういわれればそんな感じもする。ただし歴史が浅いのではっきりした基準をもたないので、毎年の統計が待たれる。
  休憩時間の連絡事項。
5月は2日(水)は休みで、3日(木)が作業日になっている。市環境教育関係の入山のためである。ご注意を。
小椋さんから竹林コンサートの舞台製作について中間報告があった。

 

 


   タケノコのシーズンだからというわけではないが、先日、時間についての次ぎにような議論を聞いた。
すべてのことは循環している。春になれば毎年タケノコが採れ、秋には毎年稲が実る。生きものは生まれて成長しやがて死ぬ。そしてまた生まれて死ぬことを繰り返す。地球は太陽のまわりを廻っているから、循環は時間についての当然の原理である。

    ところがそんな中に人間だけはもうひとつ別の時間を創りだした。それは“進歩”ともいうべきもので、去年より今年は多く収穫しようとか、今年より来年は成績を上げたいとか、循環とは別の“進歩・発展の思想”である。
そのために人間だけはどんどん社会を変えてきて、ついに環境に害をもたらすことになったという。

    これを聞いて、なるほどと思わされたが、“進歩”が行き過ぎた面があるとは思うけれども、進歩の思想なくして今後人間が生きていけるだろうかと大いに疑問を覚えた。
循環だけでは収まりきれない現代、一体どうしたらいいだろうか?
                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「危ういまでの緊張感」

 2007. 4. 11 杉谷保憲

 

竹林日記「危ういまでの緊張感」2007・04・11(水)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、
野本、窪田熊谷、荒木、小椋。

  新聞によれば、朝掘りの“西山タケノコ”は昨日10日からせりが行われたとある。随分遅いと思うが、そういえば家の付近のタケノコ畑は一昨日から掘り始めた。市場に合わせて時間待ちしていたのか、タケノコが太るまで待っていたのか?

  今日のゲストは警察関係者。近畿各県の元部長や署長たちである。20年ぶりにお互いに会ったとかで、掘るよりおしゃべりに熱心であった。

  先日、尺八を習い始めた事情を記した。先生が虚無僧の曲「手向け」を奏してくれたのを聴いて感動したからであった。今日は−尺八についてその2―として書いておきたい。

  稽古の時間に先生にいろいろの曲を聴かせてもらえる。演奏者一人に聴衆一人という豪華さである。先生の音色はつややかで力強い。「産安」は日本の風景を描き出し、「息観」は自然の中で生きていることのそよぎのようなものを訴えているように思えた。

 尺八は竹に穴が5個、つまり表に4個と裏に1個の穴が開けてあるだけだ。シンプル極まりない楽器だ。この穴を指で閉じたり開けたりすることで音に変化をつけるが、唇の使い方でも表現に幅と強弱をつける。その上、喉を使うのには驚いた。

    前回の稽古時間には「鶴の巣篭もり」を演奏してもらった。この曲には鶴の鳴き声が含まれている。それは「巻き舌を発音する口の中の振動」とか、「うがいをするときに喉の奥でする振動」とかそういう種類の喉からの振動を尺八に吹き込む。すると鶴が鳴いている感じの音となる。このとき、人間の呼吸器官と尺八がつながって、人体と自然が一体となる。

  先生の尺八の演奏にはいつも“危ういまでの緊張”を感じる。これは音程がはずれそうになるという意味ではない。尺八の音は息(呼吸)が表現する極限なので、緊張感ではじけそうな音に身が張りつめてしまうのである。

  ところが私の尺八は3ヶ月経って辛うじて音がでるようになった。
                                                           杉谷 保憲

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「気品」

 2007. 4.  9 杉谷保憲

 

竹林日記「気品」2007・04・09(月)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、荒木、吉田。

   今日もタケノコの出は順調、小さいものは掘らないで残した。ようやく、掘るもの、掘らずに残しておくものを区別する呼吸が合ってきた。

    タケノコ掘りはいいのだが、一昨日のバーベキューの後始末はいただけない。器具を返却する手はずはどうなっていたのか?結局、他の人たちが事情を飲み込めないまま処理した。

   作業後、大阪で日本画の展覧会に出かけた。「横山大観と近代日本画の名品展」である。
足立美術館(島根県安来市)所蔵展である。この美術館は大観のものをたくさん所蔵していることで有名だが、ほかの日本画家の作品も数多い。庭園もまた秀作として名高い。

   私は日本画の大ファンである。日本画には気品があり、どの絵からもそれがそくそくと伝わってくる。そこが一番好きなところだが、なぜ日本画はそうなのか私には分からない。「国家の品格」の著者藤原先生にでも聞きたいところである。

   名だたる大家の作品を見て満足したが、思いがけず今尾景年の「孔雀図」に出合った。江戸時代の描き方のような絢爛豪華なものである。
今尾景年の家は長岡天満宮の境内の中にいまもある

                                                                                                                                杉谷 保憲

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「豊満」

 2007. 4.  7 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「豊満」2007・04・07(土)曇りのち小雨

参加者 長谷川、塚崎、杉谷、高田、早川、熊谷、窪田、錦織、荒木、小椋、安田。川路、尾崎、高橋、原、池田

    「一と百の会」の14名(?)が入山。これぐらいの人数が竹林に入ると人の気配を感じる。
安田さんはゲストに掘り方の指導し、皆さんも熱心に学習する。うまくできたとうれしそうに報告にくる人もいる。

   荒木さんが裏方になって支えたバーベキューも賑わった。川路さん、尾崎さん、原さんが大車輪の活躍、錦織さんは食料の仕入れや搬出におおわらわだった。そのお陰でみんな満足な時間が過ごせた。

 

 

 

 

 

  稲荷社の櫻は満開。それに隣接するこの限られた竹林空間は今ひたひたとなにかが満ちてきている。
タケノコを扱っていると「農」は太陽と土と気候で成り立っていることがよく分かる。この循環する自然がすべての生命を育んでいる。とりわけ、人は他の命を食べて生きている。動物や植物に依存して生きている。そのすべてが一斉にエネルギーを燃やしてきている。力強い。
サクラが散れば、新緑が全山を覆う。この地が一番華やぐときだ。満潮が押し寄せてきた。

     豊満がひそかに語りだす。今、「農」が危ないのだと。
農にも効率化を求めたり、挙句には自然循環を拒否し、工場で生産する体制にする試みがある。もっと危ないのは「農」が採算割れになり後継者がいなくなっている。農は3K扱いをされ、従事する人が少なくなっている。
こうしてわが国の食料自給率は40%をきっている。しかし国は対策を示さない。

    この竹林空間は3年前とくらべると見事に再生した。そして豊満の季節を迎えている。けれども何かが欠けているのを感じる。それは何か?

それは多分“未来”というものだろう。

                                                                                                                                 
杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「旬」

 2007. 4.  4 杉谷保憲

 

竹林日記「旬」2007・04・04(水)曇りのち小雨

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木。

 
  今日は気温が低い。花冷えというのか、折角咲いた桜も縮み上がっている。3月初旬へ逆戻りに気温である。
今日のゲストはメディア関係者4名である。  彼らにタケノコを掘ってもらったが、 収穫は寒いなかにもそこそこある。

    タケノコのまだ旬(しゅん)には早すぎる。
 野菜にはすべて旬がある。(近頃、市場には一年中野菜があり、季節感がなくなったが。)  旬というのは十日間のこと。一ヶ月を上旬・中旬・下旬と十日ずつに分け

 るように、十日間がそれぞれの野菜の旬である。タケノコの旬はこの地方では4月10日頃から20日頃までか、もう一週間遅い方であろう。春の暖かかさにつつまれるときが一番美味しい。

   では今は美味しくないのか?
いや、美味しくないわけではないが、当地では今の時期は“味より香り”という。(全国的な表現かどうかは知らない。)

   竹の旬を「筍」と書くのも味わいがある。この漢字からみると、タケノコは中国人に大変愛されたものであろう。

    窪田さんが親竹の旗を立て始めた。昨年、親竹として残した竹はいずれもヒョロヒョロして失敗であったので、今年は元気のいい時期のタケノコを残しておこうというわけである。
                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「黄砂」

 2007. 4.  2 杉谷保憲

 

 

竹林日記「黄砂」2007・04・02(月)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、熊谷、野本、窪田、荒木、吉田。稲岡(喜)。

     月曜の作業は久しぶり。今月は繁忙期シフトとなったが、今日は繁忙には少し早いようである。
気になるのは、まだ幼いタケノコを掘り出していることである。もう一日二日置いておけば、もっとふくよかになるものを、青田刈りしている。これは先輩が後輩にきちんと教えないからである。

     どうも近頃は言うべきことを言わない傾向が見られる。経験不足の者は分からないから、他人に嫌わることを恐れずに注意しなければならない。先輩が“よい子”になろうとするのはいけない。是非改めてもらいたい。

    早引きして12時に京都に行った。 櫻はいっせいに咲いた。 阪急電車から見る西山は櫻の色を隠すように霞んでいる。黄砂だ。帰りの15時もまだ白濁し、夕方は一層曇った。広い範囲で黄砂が流れている。普通、黄砂の流れは航空路のように一定の幅であり、それほど幅は広くない。しかし今日は広範囲であるから、大量の砂が運ばれているようだ。

    今から20年前ごろを思い出した。当時、中国に年に十回以上仕事で通った。春の北京・天津に黄砂が来ると視界が20メートル程度になるのを経験した。自転車(当時の乗り物の主流)に乗っている人たちはマスクをしているが、頭髪は黄色に染め上げられていた。

   タクラマカン沙漠は砂だけであるが、 その東の中国内陸部の砂漠は春には草が生える。 しかし過度の放牧で、草は食べつくされて、土地は砂漠状態になる。そんなところに、砂塵暴(嵐の中国語)が起こり、砂を巻き上げる。時には人も巻き上げる。

    去年、 私はここに植林をする団体ツアーには入ろうとして調べたことがある。  しかし日本から植林に行く  ツアー人数より、 一緒に植林に参加する中国人の人数が少ないという話を聞いて、 私は取りやめた。結局、ロシアの虎を救う会に参加したのであった。

   黄砂は春の風物詩という時代は過ぎた。いまや黄砂は人災、環境問題として対処しなければならない。
                                                                                                                                 杉谷 保憲

 

 

    完成した "竹の学校学習遊歩道”(荒木さん)

 

 

 

 

 

     竹の学校 入口正面

     駆け上がり 急斜面部1

 

 

 

 

 

 

 

     駆け上がり 急斜面部−2

     竹の学校(太陽の丘)中心部

 

 

 

 

 

 

 

 竹の学校(太陽の丘)最深部

ベンチとテーブル

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「年輪」

 2007. 3. 31 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「年輪」2007・03・31(土)晴れのち曇り

参加者     長谷川、山本、塚崎、杉谷、安田、野本、窪田、錦織、荒木、熊谷、稲岡、吉田。川路、尾崎、稲岡               (喜)、原。

     専門家の安田さんが助っ人に来た。彼は朝7時にわが家に現れた。朝掘りのつもりだったようだがこちら側がそんな早くには集れない。  安田さんの目は地中を見抜くようだ。もうタケノコはないと思える場所から次々と発見する。

   熊谷さんが友人を連れてきて、掘っている。俄か指導者の彼はなんとか面目を保っているようだ。
たくさん採れたので処理場は忙しい。タケノコの品質をチェックし、根を切り捨てる。手早く箱詰めにする。冗談もあまり出ないほどの活気だ。

   メンバーの中に、春休みで孫のお付き合いをする話が増えてきた。私も同様で、昨日は孫とともに、洛西の竹林公園や「竹の資料館」を見た。そこで初めて知ったことがあった。年輪のことである。

    木の年輪はよく知られている。今、竹林内にはスギやヒノキの丸太が転がっている。それらは年輪が明瞭である。竹には年輪がない。

    では竹の年齢はどうして判るのか?それを「竹の資料館」は教えてくれた。答えは「枝」。枝の分節部に一年一回ずつ芽がでる。したがって分節していく枝を数えればよいと展示されていた。

   このタケノコシーズンが終れば古い竹を伐採する。つまりタケノコ畑の竹は7年経つとタケノコを生まないから伐採しなければならない。年数を判断するのに、竹に年輪がない。今までは、竹の節の色や肌の色で判断していた。今年からは小枝を調べればよいと分かった。長年栽培している竹林であれば、竹に発生年次が記入されているから判断できる。しかし我われの“途上竹林”にとっては発生年が分からなかった。枝が年輪を語っている。この知識は今後どれを伐採すべきかを判断する有力な武器である。

   そう思って竹を仔細に見つめる。竹の肌とともに枝もまた多様な表情を見せている。
                                                                                                                                 杉谷 保憲

 

 

竹林日記「追伸」2007・03・31
    今日の報告事項を記載することを忘れていました。
1.  4月(収穫時)は月・水・土を作業日とします。4月2日からですが、天気予報はこの日は雨だそうです。朝       の状態にご注意を。

 2.  5月5日(土)に、わくわく自遊クラブ(代表 松尾 晃子)15名程度(子ども)の入山があります。入山希望       は本日3月31日をもって締め切ります。

3.   そろそろ親竹について考慮してください・

(阪神タイガースは初勝利。広島と1勝1敗。)
                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「神戸空港」

 2007. 3. 28 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「神戸空港」2007・03・28(水)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、窪田、錦織、荒木、小椋、熊谷。

 

 

  櫻の開花が取りざたされている。暖冬であったのにもかかわらず、当地はまだ咲かない。今朝は竹林で鶯を聴いた。これも少し遅いように思う。

    高田夫人が二人のお孫さんとタケノコにたわむれている。今年は不作の予想した人もいたが、今のところは順調で、品質もよい。

   企画力が上がってきた。 舞台製作のイメージができてきた(小椋さん)し、 国際交流のやり方が研究され  (山本さん)はじめたし、遊歩道の第一期工事が完了(荒木さん)した。

 

 


  午後、孫を迎えに神戸空港にでかけ、はじめて新空港を見た。
ロビーには旅行客より見学客が多い。その両方を合わせた数より、空港関係者の姿が多い。
4階から眺める。海には頻繁に往来する船がいる。手前の滑走路にも駐機場にも航空機の姿は少ない。対照的な風景である。

  これでは壮大な赤字を生むことだろう。一体、神戸市はなぜ海上空港をつくったのだろう?近くに伊丹空港があるにもかかわらず。
神戸市(兵庫県)はとかく大阪市(大阪府)に対抗心を抱く。いろんな場面でそれが顔を出すが、空港もその一つかもしれない。私は警察関連の仕事をしたことがある。そこでも対抗意識が燃えていた。

   今、サミット誘致で、京都と大阪は手を携えて活動をしているが、内実は同床異夢である。“関西はひとつ”と唱えるが実際は“関西はひとつづつ”である。

   神戸空港の赤字は結局、市民が尻拭いをすることになる。政治家も官僚もどこ吹く風である。せめて開港一年には、この空港を推進した責任者の弁明を聞きたいものだ。 
                                                          杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「竹一本」

 2007. 3. 24 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「竹一本」2007・03・24(土)曇りのち小雨

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、稲岡。川路、尾崎、稲岡(喜)、原。             長谷川―新会員。

   タケノコはまだ本格的な収穫量ではない。3〜4名が掘りに当たったが、ほとんどの人は遊歩道・階段工事をしている。これは4月から入山してくる客人たちに不便な思いをさせないように、気を配っている作業である。

   今日は新入会員があった。長谷川正昭さん(77)である。スコップを使っての土木工事は見事なものだ。
その姿に元気づけられたのか、ほかの高齢者たちが大声を張り上げだした。戦前の歌、「紀元節」である。2月11日は建国記念日と変わったが、昔懐かしい。小学校のころ覚えた歌は長いこと歌わなくても、忘れないものだ。
60歳代の人たちは70歳代を遠巻きにして眺めて入る。

    私は竹について何でも知りたいと、この数年書籍、水墨画、博物館など手当たり次第にあさっている。今度は、知り合いに奨められて尺八の取材である。尺八の知識だけを得ようと、先生を訪問した。何にも知らない私に、先生は「では短いものを聴いてください」と『手向け(たむけ)』を吹奏してくれた。

   聴いていて私には戦慄が走って、名状しがたい状態に陥った。
その場で尺八を習いたいと申し入れた。心の中には、73歳の手習いは無理なことと囁くものがあったが、感極まった者に逃げだす余裕はなかった。
虚無僧は尺八一本を持って廻る。僧であるがお経を上げることなく、この曲でレクエム(鎮魂曲)とするという。

    その後1ヶ月経ったが、 私の尺八から音が出ない。 竹一本に五つの穴を空けた簡単な楽器なのに自由にあやつれない。口惜しい。

   私の葬式にもお経はなくてもいいが、この『手向け』の演奏はしてほしい。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「越前竹人形」

 2007. 3. 21 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「越前竹人形」2007・03・21(水・春分の日)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、荒木、熊谷、吉田。

   今日やっと暖かくなった。この程度の温度ではタケノコはまだ少ない。
みんな思い思いの仕事をする。熊谷さんはホリの使い方を勉強している。

     私は先週の土曜日は休んだ。そして今日花壇を眺めると、スイセンとガクアジサイが植えられている。花壇は今後に期待がかかるが、タマスダレは弱々しい風情である。植えてからい一週間以上経っているのに。

   竹林のなかで野本さんがバッタを見つけた。成虫である。野本さんはバッタが冬眠したのだろうか?と言うが、まさかと首をかしげる。暖冬のせいでもう成長したのか?不思議である。

   竹にまつわる作品を読むように心がけている。
水上勉「越前竹人形」(保育社カラーブック)をめくってみた。 竹人形をつくる男が、 彼の父とねんごろであった花柳界の女と結婚する。男はその女のなかに母をみて、夫婦の交わりをしないで暮らす。女はある日、昔馴染みの男と結ばれ妊娠する。流産して、女は竹人形師のもとへ帰る。今度こそ男との暮らしを完全にしようと。
しかし流産のあと処置が悪く、女は死ぬ。竹人形師は彼女の死をみて、自分も後を追って死んでいく。

    水上氏は文楽と同じ設定で、エロスを伝統工芸の世界で展開する。今日でいえば、渡辺淳一「愛の流刑地」である。ここでは現代社会の人妻との恋が描かれて、エロスの極限は死であると作者・渡辺氏は主張する。

   JR福井駅売店でお土産品の竹の人形を見たことがある。直線的な竹材で人形をつくるという発想は並みのものではない。人形に託して愛を描くのは古典的の手法であるが、それも面白い。しかしエロスは生を主張するものないと、不条理であろうと私は思うが。
                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  $$$竹林日記$$ ・・・石垣島・西表島帰り

 2007. 3. 17 高田 豊

 

 

 

竹林日記「石垣島・西表島帰り」2007・03・17(土)晴れ

参加者 山部、山本、塚崎、高田、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、吉田、熊谷、稲岡、松嶋。川路、尾崎、原、          高橋、稲岡(夫人)、高田(夫人)

    14日まで石垣島、西表島を中心に八重山諸島を旅行していたが、連日最高22−24度の暖かさで、半袖一枚で過ごせたのに、今日の竹林はなんとも寒かった。そのため、タケノコの収量が危惧された。
 

 

 

      杉谷会長は葬儀出席で欠席にも拘わらず、本日の参加者は19人で、おそらくは過去最多の人員であった。花畑づくり、 遊歩道整備、 谷間を埋める土入れ、 古竹焼却、 ベンチづくりなどの諸作業とタケノコ掘りに分散したため、以外に、人が竹林内に散って閑散としている。
 
   さて、肝心のタケノコはなんとか5キロを堀上げ、経理担当の錦織さんもご満悦。
    以下、会長からメールで日記が届いた。

 

 

竹林日記「100%男」2007・03・17(土)晴れ

    会社勤め時代の先輩の葬儀があったので、今日は竹林作業を失礼した。
いささか私事であるがこの先輩Iさんについて記しておこう。

   葬儀で初めて知ったことであるが、かれは大正15年生まれ、享年80歳であった。
音楽学校から陸軍音楽隊へ。終戦後は高校の音楽教師、そして民放ラジオ局に入りやがて民放テレビ局に変わってきた。こう足跡をたどると戦中・戦後の若者の動きがみえる。

     仕事には振り返ってみると最盛期がある。Iさんの最盛期は「アベック歌合戦」「そっくりショウ」「全日本歌謡選手権」をプロデュースした頃だったかもしれない。「全日本歌謡選手権」は五木ひろし、八代亜紀、天童よしみなどが巣立って行った。それぞれ視聴率が高く、合計すると視聴率100%になると週刊誌がはやし立てた。

    番組プロデューサーの仕事は厄介なものだ。企画・予算・スタッフ・出演者がうまく運んで、その上で、同一時間(ウラ)の他社の番組との競合(視聴率)を戦い抜く。企業の仕事はすべてそうであるが、苛烈な生き様にならざるを得ない。同業他社もまた同様に布陣しているから、週刊誌的なオーバーな表現だけれども<3番組あわせて100%プロデユーサー>などということは普通ありえないことだ。

  Iさんはそんな稀有なことをつくった人であったが、やり手というスタイルの人ではなかった。当の本人は言語不明瞭で、意味もまた不明確なので、傍の者は困った。だから制作部門の最高責任者に任命されたときに、セカンドにはそれをカバーする人がつけられる始末であった。けれども彼には<押していく>なにかがあった。質問されて返答に困りながらも、自分の想いを降ろさなかった。

   またひとの世は生きもの。時代の風潮にマッチしたものでなければアタラない。理詰めで考えたからといって世にウケルものができるわけではない。なにか天啓的なものが存在する。それをこんなものと説明できない。そしていつでもあるものでもなく、いつ相まみえるのかもわからない。

    Iさんが亡くなって、彼の仕事振りを思い起こす。ひとの世は整然とした図面ではない。混然・混沌としていて、とても一言で分かるようなものではないといまさらながら痛感する。
                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「花壇幻想とコンサートの夢」

 2007. 3. 14 杉谷保憲

 

 

 

林日記「花壇幻想とコンサートの夢」2007・03・14(水)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、早川、錦織、荒木、小椋。稲岡(喜)。

     タケノコは昨日掘りつくしたせいか、まだ時期として早すぎるのか、今日は一本もなかった。

  今日はホワイトデーである。ヴァレンタインデーに女性からチョコレートをいただいた男性がお返しをする日。お菓子の業界の商魂には驚き感心するが、我が竹林友の会の男性はこんなことには一向に興味をもたない。

   「一足お先に」と帰る塚崎さんに 、「今日は奥様にプレゼントを忘れてはいけないよ。」  という皆の呼びかけに、塚崎さんは「ヴァレンタインデーにもらってもいないのに、返せるわけはないだろう。」と啖呵をきって下山していった。
幻想はあったほうがいい。夢は見たほうがいい。

    ホワイトデーには花壇づくりが進行している。今日はサザンカが8本植えられた。白と赤が交互である。その前にタマスダレがたくさん植えられ、オニユリの球根も埋められている。早川さんと稲岡さんのスコップが踊っている。ここにアレ、あちらにはコレと夢を広げている。いずれ竹林の入り口を美しくしてくれるだろう。

     午後、市役所中村さんと「竹林コンサート」の協議をした。第1次案は杉谷がつくったが、それを土台にして中村さんが実務上のもろもろを第2次案としてまとめた。これを荒木さん、小椋さんとが加わって相談した。17日(土)に全員の意見を求めたい。どんなコンサートになるか、どきどきする。

    夢は見たほうがいい。それを温めているといずれ孵化する。どんな姿に生まれるかは夢の追いかけをどれだけ熱くするかにかかっている。
                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「間伐材エキストラ」

 2007. 3.  13 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「間伐材エキストラ」2007・03・13(火)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、野本、窪田、錦織、熊谷、荒木。

   今日は特別に出動した。火曜日に働いたのは初めてのことかもしれない。
ヒノキ、スギの間伐材が、山中ではあるが道路沿いにたくさんあり、自由に持ち帰ってもよいと市役所と話がついた。
今日はそれを貰い受けてに出かけたのである。

     加藤さんの軽トラを借りて、8人が柳谷観音近くから、間伐材40本ほどを竹林に運んだ。我われの竹林では、休憩場所とか舞台とかに役立つと思う。

   ヒノキ、スギとも直径20センチほどの丸太である。重い。丸太を急斜面の山から道に落とす。逆に谷間から丸太を紐で引きあげる。竹と違って引っ張っても滑らないから厄介だ。しかし野本さんや荒木さんはうまい。

  結局12時半までかかって竹林内に積み上げた。
タケノコも若干掘った。

  
間伐の跡に春日が戸惑うて 

                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「間伐材」

 2007. 3. 10 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「間伐材」2007・03・10(土)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、野本、窪田、錦織、荒木、熊谷、稲岡。尾崎、原、高橋、稲岡(喜)。

   やはり暖冬の影響であることは間違いない。  今日も5キロのタケノコが採れた。  それも特級品ばかりで、つまり春の最盛期並みのクラスである。l
   天気予報は寒さが戻ってくると報じているので、  その寒気が終ってからタケノコシーズンに入るものと思われる。異常な温暖気象だったのでタケノコも顔を出すかどうかと悩んでいることだろう。

   作業は引き続き、歩道づくり、切り株埋めや谷間の埋め立てなど。
西山森林整備の事業で、人工林の間伐が続いている。山には直径8センチぐらいのヒノキがたくさん寝かされて、腐るのを待っているという。

   我われはこの情報を得て 、早速、間伐材をもらうことにした。 運搬作業の希望者を募ったら、なんと8人が応募した。長岡京市竹林友の会の“やる気”が現れている。
13日(火)に加藤さんから軽トラックを借りて出かける予定である。
さてその間伐材をどう使うか?

   世間では間伐材の利用方法がなく、森林組合なども苦しんでいるが、われわれの竹林ではどんな利用法が開発されるだろうか。竹の間伐材より有効に使われるように思う。今から楽しみである。
                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「環境ボランティア」

 2007. 3.  7 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「環境ボランティア」2007・03・07曇り

参加者 山部、山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、荒木、熊谷。

 

 

    寒さが帰ってきた。日本海側には雪が降っている。
思わぬことに今日は初掘りとなった。太陽の丘に5〜6本、そのほかに5〜6本とタケノコがでた。

      あわてて錦織さん、熊谷さんが掘り鍬の使い方を習っている。 泥縄とはこのことだ。先生は当会切っての篤農青年(?)、山部さんと野本さんである。
初収穫は5キロ。

    今日はほかに谷間の埋めたての土木工事や遊歩道、ベンチ製作が進む。月末には完成か。

 

 

      光明寺や子守勝手神社の周りは私のお気に入りの散歩道。 そこではウラジロシジミ(蝶)を大切にするよう呼びかけた木札がぶらさがっている。「乙訓の自然を守る会」の仕事だ。彼ら会員はこの地方の動植物の生息に詳しく、まるで大事な秘密を抱く子どものように話す。
こんなに自然を愛して、大切にする人々に私は敬意を抱いている。同じ環境ボランティアではあるが、私にはまねのできないことだ。

   私が環境ボランティアとなったのは余り高尚な動機ではない。
竹林の景観に惚れてこの地に移住し、やがて名産のタケノコを自分でも作ってみたいと思ったのが事の始まりであった。

その作業が放置竹林の整備であり、それがすなわち竹の生態系に秩序を与えることであり、タケノコ栽培の伝統技術を保存・継承することであり、水資源の涵養を図ることであった。環境問題そのものであったのである。
そう思うと、 私の姿勢は“自然を守る会”とはどこかに違いがあるようだ。  環境ボランティアとしてなにが違うのか?

   先日そんな疑問が解けた。
『環境社会学』鳥越皓之(東京大学出版会)は次のように記している。
環境ボランティアのなかには「自然環境保全型」と「環境創造型」とがある。
「自然環境保全型」は自分たちが住んでいる地域からさほど遠くない地域の保全をはかる。ところがその趣旨に賛同して会員になる人は多いが、賛同するだけで実際の活動はしない人もたくさん含まれている。この組織には、数人の熱心な活動家がいて、その人望のもとに活動を継続している。この活動は自然をできるだけそのままにし、あまり手を入れることを好まない。

     「環境創造型」は当初は、自然環境や歴史的・文化的環境保護を目的とするが、 運動を通じてそれを保護するだけでなくて、その地域の活性化や環境それ自体のあたらしい形成すなわち創造に関心を移し、環境プランニングをしていく。
どこにも二つのタイプがあるという。「乙訓の自然を守る会」は前者、「長岡京市竹林友の会」は後者であることを教えられた。

    いままでそんな意識は少しも無かったが、私たちが遊歩道や花壇をつくったりしているのはそうした意味であることが分かった。いま暖めている「竹のがっこう」構想は創造の典型なのだ。
これを読んで、自分たちの立っている位置がよく分かった。
                                                                                                                                杉谷 保憲

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「ひな祭り」

 2007. 3.  3 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「ひな祭り」2007・03・03晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、熊谷、稲岡。高田(ヤ)。

      高田夫人が会員になったので、雛祭りらしくなってきた。 稲岡夫妻に続いて二組の夫婦会員である。夫婦会員はもっと増えてほしい。塚崎さんは二言目には“うちのヨメさんは”と奥様のことを言うくせにさっぱりその気がない。

    天気は良好で申し分ないが、雛祭りの頃はなにか落ち着かない。不安でもある。
ひとつは助成金の精算や報告書の作成に追われることである。今年は野本さんが当たっている。ご苦労様である。
新しい人たちもこの種のことを経験してほしい。

    不安な思いはもうひとつ、タケノコの生育状況である。
去年(2006年)は初ホリが3月25日、掘り収めが5月6日だ。ところが一昨年(2005年)は寒い春で不作だった。初ホリは4月9日で掘り収めが4月23日である。

この年には“引きこもり”の少年たちが来たがタケノコはさっぱり無かった。これではひきこもりの療法にもならないので辛い思いをした。

     さて今年は暖冬であったが、雨も少なかった。タケノコの成長はいかがなものだろうか?野本さんがほかの竹林で得た情報によると今年は小さいという。

    第一休憩時に市長さんが藤下さんたちを率いて竹林に現れた。突然のことで驚いたが、市長が市内を巡視するのはいいことである。
市長は持論の西山の森林整備について語り、当方は遊歩道計画、花壇計画について説明し、「竹のがっこう」や「西山竹林救援隊」の構想を陳開した。

     昨日は京都府林務事務所の小西さんがやってきたので、荒木さんと私が応対した。 これは助成金の支給が、諸々の手続きを終えた後になるので、相当遅れる。それではボランティアグループの懐具合は苦しいと判断し、手続きを簡素にするために自ら訪問してくれたのである。官僚社会のなかではめずらしいことだ。

あれやこれやでいい話が多い。雛祭りらしい一日だった。
では、ぼんぼりに甘酒で乾杯。
                                                                                                                                杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「軽自動車」

 2007. 2. 28 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「軽自動車」2007・02・28(水)雨

   今日は竹林作業の骨休めの日。雨が降ったので、散歩がてら竹林を見てきた。適度に濡れている。タケノコの芽にとっては今の時節に水分を供給してくれるわけだから、ありがたいことだろう。兵庫県警の知人からタケノコ掘りの希望が来た。今年は暖冬であったのでタケノコが早くでるという予想もあり、4月に集中するかもしれない。
ご希望の方はご連絡を乞う。

   先週の土曜日の事を記す。
   私の乗用車が変な音を発するというので、10年も使っているからこの際手放すことにした。車そのものをやめるということも考えられるが、それでは買い物や医者にいくには不便だ。無職だから仕事に車を使うわけではないし、高齢になったから今後は高速道路に乗ることも長距離ドライブをすることも少ないだろう。それなら軽自動車にしようと結論を得た。私の乗用車歴は50年近い。大きな車からだんだん小さくしてきた。しかし「軽」の経験は無い。


    まず竹林友の会メンバーの稲岡さんに教えてもらうことにした。彼は軽自動車の設計をする人で、彼の説明は押さえるべき点がきちんとしている。「軽」についての基本が理解できた。さて次はカタログを見て車種選びである。小さい文字がぎっしり詰め込まれている冊子を並べて読み比べる。私は拡大鏡を離せない。車は機能を高度にあげれば価格も上がる。あれこれと備品がたくさん用意されて、便利さを選べば当然そのたびに価格に反映される。現代の私たちは欲望の虜になってしまっている。車は現代文明を体現しているから車種選びが巧妙に仕組まれ、馬力や居住性や性能の選択は大いに迷う。

    
次はセールスマンに会う。デザインも色も冊子で見るのと実見とでは違いがある。また販売上の事情も介在して、お勧め車種がまた増える。そんな数週間のうちに先日読んだ新聞の投書欄を思い出した。<地球環境はどんどん悪化している。天候が激しい変化―竜巻、旱魃、洪水、熱波、寒波―を起こしているから皆が気づいているにもかかわらず、日常的には電気の節約や排ガスを減らす努力を誰もしない。>省みて、私は環境問題を口にする癖に実は自分でなにも努めていない。なんという怠慢だろう。自動車は文明の利器だが、しかし排ガスという負の遺産ももつ。そうだ。低公害のランクで選ぼう!それは燃費の節約にもつながるのだから。選択基準を公害度に切り替えたら気分がすっきりした。

    
もう迷わなかった。その「軽」がわが家にやってきた。  少しばかり走ってみた。この車は高齢者にはとても いい。環境にもいいはずだ。「軽」こそは未来の車だとつくづく知ることになった。
                                                                                                                                
杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「春の対策会議」

 2007. 2. 24 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「春の対策会議」2007・02・24(土)晴れしかし寒い

参加者 山部、山本、塚崎、杉谷、川路、高田、尾崎、早川、野本、窪田、錦織、荒木、稲岡、吉田、熊谷、            稲岡(喜)、原。

   今日は通常の作業をやめて会議。府立婦人教育会館。提出済みの議題にそって議事がすすむ。錦織さんの会計報告、荒木さんの業務報告をうけて、春の対策と新しい方針提示があった。合意事項をメモとして以下に記録しておく。

  担務の一部変更

  会長     杉谷 (総括、企画、渉外)
  副会長    高田 (総務、文化、広報)
  業務     野本、荒木
  頒布     窪田、錦織、荒木、熊谷、山本
  美化     早川、荒木、塚崎、吉田、稲岡、稲岡(喜)
  導入路建設  山部、熊谷ほか
  会計     錦織
  会計監査   窪田

 竹のがっこう

  京都式軟化栽培 全員
  遊歩道     塚崎、早川、荒木、稲岡(竹の生態観察)
  教育資材          山本、早川、小椋、吉田、稲岡(竹の知識、地下茎の展示、発光実験、竹工芸、各種竹の   栽培、大阪成蹊大芸術学部との連携)
  クッキング   山本、川路、尾崎、原(タケノコ料理、流しそーめん、バーべキュー、餅つき)
  NPO     杉谷

 西山竹林救援隊
        野本、吉田ほか2年以上経験者(市農政課と他市の場合、頒布法)

 その他
  サポセン加入(杉谷、高田、錦織) 
  最盛期の掘り日(月、水、土)
  支援組織の研究
  入山予定の作成

2月28日(水)は休日
                                                                                                        以上
                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「ボランティアの哀しみ」

 2007. 2. 21 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「ボランティアの哀しみ」2007・02・21(水)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、吉田。

    竹林に入ると男たちが物置にとりついたり、床下を覗いたりしている。先の土曜日に完成したばかりの物置が地盤沈下によって沈んでいるという。
竹林は土盛りされているため沈下しやすい。わが家の近辺も竹林を造成した宅地なので、地盤沈下はよく話題になる。
ともあれ物置はお昼には修復され、ものが入れられた。

      午後、JR駅前の「長岡京市市民活動サポートセンター」に出かけた。古い友人と話していると、勢いボランティア活動について語ることになる。
近頃のボランティアは相手のボランティアに対して、  定年前はどんな組織でどんな地位にいたかと訊ねるそうだ。そして相手の品定めをするという。男性に限るけれども。
また子どもの遊びに親が一緒に参加して、<これだけ親として奉仕しているけれども、これは自分がビジネスをしているときなら○○万円に相当する労力だ>と言い、恩に着せようとするそうだ。

    私が自分の地区の自治会でのゴミ問題を話題にした。近所の教師夫妻は自治会に入らず、ゴミだしだけをする。それも決められた処置をしていないので、カラスに食い散らかされ、それをゴミ置き場の近くの人が清掃している。その夫妻に注意をすると、<自分は税金を払っている。そんなことは市役所の仕事だ>と反論するという。
あるいはこんな自治会もあるという。自分のうちの前にゴミを置かれるのがイヤで、ゴミ回収車が来るまで家庭ゴミが互いの妥協点、道路の中央に置かれているという。したがって一般の自動車は通行できない時間が生ずる。

    前者は地位・階層によって人間を見る風潮を示している。またお金の額で仕事の値打ちを判断し、その考え方が子どもにまで及んでいる。
後者はエゴイズムがまん延しているさまである。特にインテリと称されるタイプに多い。
ボランティア活動を通しての友人との会話は楽しかったが、時にお互いに暗い眼つきになってしまうのである。
                                                                                                                                杉谷 保憲

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「三つの倉庫と三つの提案」

 2007. 2. 17 杉谷保憲

 

竹林日記「三つの倉庫と三つの提案」2007・02・17(土)曇り

参加者 山部、山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、稲岡。高橋、稲岡(喜)。

    それぞれがそれぞれの仕事をしている。物置づくり、枯れ竹の焼却、土運び、遊歩道のルート作り、板塗り、伐採根の処理・・・。

   本日は新しい物置が姿を現した。三つ目のものである。竹林に物置はひとつが常識、しかし私たちの竹林では目的が単にタケノコ栽培のみではないので、三つ目の物置を設置した次第である。蔵(?)を三つもつとは!
3年が経過し、当初の目的(1および2)をほぼ順調にこなしてきている。

    1・ 放置竹林を整備し、竹の生態系を整え、かつ水資源の涵養に努める。


    2・ タケノコ栽培の伝統的技術を保存・継承していく。

 
   目的を遂行しながら、私たち「長岡京市竹林友の会」は次のステップにあがりたい。
次のステップとして以下の3項目を提案する。

  A・ この竹林は「竹のがっこう」と称し、一般市民の環境学習農園の役割を果たし、かつ竹の文化を創造する。      そのために遊歩道、花壇、植物実験、コンサートなどの設備を整える。


  B・ 新たに「西山竹林救援隊」を創設し、放置状態にある近郊の竹林の再生に寄与する。


  C・ タケノコ頒布に関する来場者を友の会の支援者としてとらえ直す。そのために今春から陣容を整え、竹林        の現状への理解など接遇に万全を期す。

   以上を議題として、  24日(土)9時〜京都府立婦人教育会館2階和室での会議を開催する。  欠席の方は予めご意見を用意 されたし。

                                                                                                   杉谷 保憲

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「合唱フェア」

 2007. 2. 14 杉谷保憲

 

竹林日記「合唱フェア」2007・02・14(水)雨 暖かい

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、錦織、荒木、吉田、稲岡(喜)。

    “愚公山を動かす”という漢語熟語がある。コツコツと手作業で土を運び、ついに山を動かしてしまったという教訓である。それほどではないが、竹林のなかの高台が削られ、その土が運ばれて谷間が埋められ、ほぼ二つの丘がつながった。山野という感じはなくなったが、畑らしくなった。

   枯れ竹の焼却が終った。
焚き火を担当した山本さん「“火遊び”が終ったら次なにをしましょう?」。
高田さんが答えている。「もうすぐタケノコ掘りが始まりますよ。」

   トラックが来た。荷物は物置である。
丁度そのとき雨足が強くなった。全員濡れそぼって、引き上げた。梱包のまま土曜日を待つ。

  10時半、作業を終えた。
高田さん「明日から70歳の仲間入りです。」    (高田注: 秋からです)
野本さん「今日の平均年齢も70近いでしょう。この雨の中よくやりますね。」
その通りだ。けれどもバレンタインデーの話題は誰からも出なかった。

 11日(日)高田さんと行った「合唱フェア」(長岡京記念文化会館)についてもメモしておこう。秋の竹林コンサートのためである。
長岡京市、向日市、大山崎町にある合唱団24団体の発表会。人口15万人ぐらいのところにこんなにたくさんの合唱団があるのに驚いた。会場は活気にあふれている。お父さんお母さんが歌うのを聴こうという聴衆だ。
童謡もあればクラシックもあり、西洋民謡からゴスペルまで舞台は百花繚乱。入念な練習の成果を聞かせるチームもあれば、集って歌いましょうといったグループもある。
歌は魅力がある。歌の力はすごい。

  この日は晴れていたけれども肌寒かった。長岡公園の森を歩いて帰ると、
「早春賦」が思い出された。


 (一)春は名のみの風の寒さや
    谷の鶯 歌は思えど
      時にあらずと 声も立てず
      時にあらずと 声も立てず

(三)春と聞かねば 知らでありしを
      聞けば急かるる 胸の思いを
      いかにせよとの この頃か
      いかにせよとの この頃か

  大正2年の新作唱歌として発表された。美しい歌曲だからいまなお歌い継がれていること思う。いや、そんな歌は知らないと言う人が多いのだろうか?
同じように歩いて帰宅すると言っていた高田さんはカラオケ好きだから、もっと流行りのバタ臭い歌を口ずさんでいることだろう。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「花咲爺さん」

 2007. 2. 10 杉谷保憲

 

竹林日記「花咲爺さん」2007・02・10(土)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、稲岡夫妻。

   今日も暖かい。去年は切り株に溜まった水が凍っていたのに。
作業は土木工事に変わった。新設物置の土台づくり、竹の切り株処理、谷間を埋める工事、枯れ竹の焼却。
土入れという大仕事が終ったせいか気軽な会話が飛び交っている。

    当会は明日は地元合唱団の公演を聴き、2月24日(土)は朝から婦人教育会館で会議、今春のことを話し合う予定。

    丁度1年前、2006・02・04の竹林日記で、花壇づくりのための土壌改良について書いている。
およそこんな内容である。
日本の土のほとんどは酸性土壌であり、竹は強酸性を好む。しかし野菜や草花は中性か弱アルカリ性土壌で育つ。だから土壌改良をする必要がある・・・。

   先週の竹林日記も土壌改良の作業が進んだことに触れた。
花壇は二つある。通路の南部分が炭を入れたところで土が黒くなっている。北の部分が灰を入れたところで土が白くなっている。どちらも焚き火跡のものをつかっているので、石灰など改良剤は使用していない。

  奈良の堤さんから便りが届いた。
<爺さんが枯れ木に登って、灰を撒くというお伽噺は、弱った桜の木に灰を撒くということです。それは土壌改良になったので、その結果桜の花が一面に咲いたと思います。>と。
なるほど、花咲爺さんは土壌改良をしていたのか!

     長岡京市竹林友の会には竹取りの翁(おきな)や媼(おうな)はたくさんいる。これから花壇担当の人たちは花咲爺さん婆さんと称したら如何?

今年もすでに一ヶ月が過ぎた。爺さん婆さん、また忙しい一年ですぞ。
                                                                                                                              杉谷 保憲

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「美化作業」

 2007. 2. 7 杉谷保憲

 

竹林日記「美化作業」2007・02・07(水)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋。

   土入れが終わったので、今日は竹林の美化作業である。
一班(塚崎、窪田、錦織、荒木、小椋)は上牧のコーナンへ遊歩道用踏み板その他を買いにでかけた。
残りのメンバーは花壇の土壌改良(弱酸性をアルカリ性に変える)や古竹の焼却に精を出す。

  11時、板40枚とブロック多数がトラックでもちこまれた。全員でそれを山に運び込む。

  タケノコ畑には所有者しか入れない。普通「竹林に入らないでください」と表示してある。実際、素人が入り歩き回ると、土壌が荒らされてタケノコの生育に害がある。しかし私たちの環境学習農園は市民の入山も使命のひとつである。タケノコを痛めないで歩ける道――尾瀬沼の道がモデルである。
遊歩道づくり3年計画の初年分が今日からスタートする。

 

 

 

 整備が終わった花壇スペース

 

 

   一方、花壇の基本設計がまとまった。
最初は「西山の自然を守る会」から、西山一帯に自生する草花を集めたらどうか、という提案をいただき、ついでに調査してもらった。しかしここの環境では日照や水に難点があることが分かり、その案は断念した。
続いて高田さんのアジサイ図や早川さんの植生図が提出され、居残った人たちで検討した結果、アジサイを主とした早川プランで決まった。

   会員の皆さんが家から草花を持参するのも歓迎である。
花壇の完成も3年程度の時間が必要であろう。

    この冬の天候はどうしたことだろう。今日も14度以上あるようだ。晴天に温暖とくれば暮らし安いが、しかし地球の異変であるようだから心配だ。
                                                                                                                                 杉谷 保憲

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「朱色」

 2007. 2. 5 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「朱色」2007・02・05(月)晴れ

      今年は2月5日(月)が初午(ハツウマ)に当たった。新年の初めての午(ウマ)の日を初午といい、全国の稲荷社はお祭りをする。

     今日はよく晴れて、長法稲荷の鳥居の朱が普段より鮮やかであった。小さな祠には野菜(人参、キャベツ、大根)や果物(リンゴ、ミカン、)が三方に盛られている。油揚げがあるのは稲荷(狐)らしい。
竹林に囲まれての神事――神官の祝詞、拍手は自然崇拝そのものに見える。
稲荷社の鳥居は朱に塗られているのが特色である。ことに伏見稲荷には百本も林立する鳥居があり、朱色がかさなって華麗である。

   昭和30年代、8ミリ映画フィルムがお目見えした。16ミリフィルムは専門的であるが、8ミリは素人でも扱えるので人気が出ようとしていた。(結果はビデオの出現で伸びなかった。)8ミリ映像作家の沖中陽明氏(箕面市。故人)に「朱」という作品があり、伏見稲荷の鳥居の朱色をオーバーラップでかさねていて、鮮烈であった。当時はオーバーラップをフィルムの現像処理でするのはとても手間のかかることであった。今日のオーバーラップはビデオの電気的処理なので簡単至極である。

     私は長法稲荷の鳥居にそのことを思い出す。近頃の文化史学では朱色は太陽神を表し、太陽神は農業の神とされている。稲荷は今日では商売の神となっているが、元は農業の神であったという。
長法稲荷社は竹林のなかに鎮座していた。そこに阪急が光風台住宅を開発するまでは寂しい場所だったらしい。上林さんが「私の子どもの頃には狸の親子が棲んでいた。」と言っていた。その場所は私たちが今、花壇をつくる作業をしているところである。

    さて京都で絢爛たる朱色は平安神宮と伏見稲荷である。けれども京都にはそこだけではない。叡山電車の窓外には、山中に寺社の朱が点々と見えるから朱はあちこちに潜んで、何かを語っている。それは何か?

     西山での朱は長岡天満宮とここ長法稲荷である。 長岡天満宮は新造営され、 朱は緑の木立の中に一層鮮やかになった。天満宮を下るとタケノコ料理の錦水亭がある。ここには池に浮かぶ数軒のあずまやがあり、その壁はくすんだ朱である。これが水に映えるのでカメラマンの格好の対象になっている。

    ところが隣の八条池の水上橋回廊は木の生地を生かそうとしたのだろうが、これにはカメラマンの眼がむかない。この回廊は杭州西湖を模したとあるが、スケールが違いすぎるので西湖をイメージできない。八条池の水は静止しているので白木の欄干ではわびさびを表現しない。精彩がない。化粧も無く疲れ切った女性の表情にみえる。せめて水上橋の欄干だけでも朱に塗ってあれば・・・。

   話しは一周して最後に長法稲荷。
神事が終わるとおしるこがふるまわれた。もちろん神酒のお下がりもある。参詣する人とお世話する人との合計は200人ぐらいか。昔からの住民、すなわち奥海印寺村と長法寺村の地縁、血縁の人たちである。新住民は私一人のようだ。

   ここは住宅開発があった数十年前に一度は明るくなったものの、タケノコ生産者の高齢化のために放置竹林になり再び日が射さなくなった。
今、私たちの活動によりようやく明るさを取り戻している。参道に沿って花壇をつくる計画は好評である。

     そして比叡山の森の中に朱が点在するのと同様に、 長法稲荷も竹林のなかで「農」の大切さを民衆に語りかけている。語りを託しているものは「朱色」である。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「土入れを終えて」

 2007. 1.31 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「土入れを終えて」2007・01・31晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、吉田。

    やれやれ、「土入れ」がやっと終わった。長かった。日記をひもとくと2004年も同じ1月31日に終えている。毎年苦労していることが分かるが、もう一ヶ月早く終わらなければ一人前とはいえない。

    今、西山森林整備プロジェクトのみなさんと一献傾けて、 ホロ酔いを通り越してボロ酔い状態でパソコンに向かっている。荒木さんが同行してくれて、飲み代を貸してくれたので、なんとか帰宅できた。

   タケノコ栽培のために「土入れ」を発明したのはどういうきっかけがあったのだろうか?
土盛り、覆土、客土とも呼ばれる「土入れ」はその発生はつまびらかでない。しかし畑作の麦、野菜栽培、園芸などで土入れはよく行われるから、竹林でもそれらがヒントになって成立したのだろう。

    全国のタケノコ作りを見ても、「土入れ」「朝掘り」をする乙訓の栽培法―京都式軟化栽培―は特異である。
稲作でいえば棚田のような手のかけ方である。労力と智恵を働かせて、棚田は水がうまく廻るように計算されている。

    竹林の土入れは一見したところ前近代的な農法に映る。竹林の場合は竹の林立によって機械化が無理であるので、ほとんどが人力によらざるを得ない。

    竹林を自然に任せておけば、地下茎は縦横の延び、雨水は地表のそれら伝って流れ去ってしまう。 間伐と土入れをしておくことによって、雨水は土とワラとに含まれ、地下茎のタケノコの芽を潤し、やがて地下水になる。それは同時に柔らかいタケノコをつくる畑の役割を果たす。だから「土入れ」は貴重な技術、モウソウ竹林は手間ひまをかけなければいいタケノコはできないのだ。「タケノコばたけ」とこの地で呼ばれているゆえんである。

「土入れ」は大変な労力をそそいだ作業であったが、一方それは智恵のかたまりといっていい。

      それにしても気がかりなのはこの暖冬。土入れは本来、地下茎を寒さから保護する役目もあるはずだが、去年、今年の天候はいずれもそのお役目は不要であろう。

  またこんなことを思い出した。向日市では竹林の土入れ作業をしていたら、ハニワを地中から発見し、それがきっかけで古墳が発見された。有名な寺戸大塚古墳である。土入れも漫然と作業していてはいけないようだ。

  土が砂地であるか粘土質であるかによってタケノコの品質に違いが出る。上林さんは「上ではシラコが出ますよ」と言っていた。太陽の丘は今年が整備初年度であるのでタケノコは出ないかもしれない。

しかし、もし・・・ということもある。楽しみである。

   次回から花壇づくり、遊歩道づくりが始まる。「環境学習農園」への確かな一歩にしたい。
酔いも相当であるので読み返しもしない。その日のうちに発信することができたので一応の満足。
                                                                                                                            杉谷 保憲

 

 

 

 

西(トイレ側)←       土入れ後の竹林上段 (竹林最南端より撮影)     →東(稲荷神社側)

 

 

 

 

 

 

 

 北←             土入れが終わった竹林東側               南→

 

 

 

 

 

 土入れ後の竹林西側

    (新しい通路が出来た)

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「川柳」

 2007. 1.27 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「川柳」2007・01・27(土)曇り

参加者 山部、山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、吉田。川路、尾崎、原。熊谷。

    新人 熊谷さんが来た。タケノコの初物がでた。土入れは来週に完了する。

  『川柳 たけのこ』という本を見かけた。題名の横に長岡京川柳会とある。タケノコを詠ったものかと思って興味をもってページをめくったが、そうではなく高齢者たちの句集であった。

    川柳とは世相を批判したり、揶揄したりするものと思っていたが、これを読んで私の理解は浅薄であることに気がついた。
掲載されている女性の句は革新的である。以下に紹介する句は心に高揚感がある。高齢者という世間の通念を越えて、恋の句は時実新子、俵万智に迫ろうかという勢いだ。

  高橋 謡子   もう一人の 私が橋を 渡らない

             消去法で いけばあなたが 残ります

            夕焼けが 私の中で 燃えている


   森田 律子  あなた今 何をしていますか 風の旅

            運命線 だまって逢いに 行けと言う

           行かないで 思わず影を 踏んでいる


   山本 明美  ここで生まれ ここで愛して ここにいる

           飲み込んだ 本音が胸を こがしてる

          正解は わからないまま 生きていく


   吉川 幸   闇の中 ジキルとハイドの 目に出会う

          百までも おしゃれでいたい 赤い靴

          バランスを とって魔性は 伏せてある


  これらに比べると男性の句はおおむね保守的で体面を重んじている。男性が体制に安住している間に女性は様変わりしている。高齢男性は安閑としておれないではないか。 
                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「パジャマ」

 2007. 1.24 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「パジャマ」2007・01・24(水)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、吉田。

   今日はみな晴れやかな表情だ。笑い声が絶えない。土入れが後2〜3回で完成すると目途が立ったので気分がいいのだ。

     この春、竹林内の遊歩道に板を敷く。初年度予算は10万円。尾瀬を歩いている感じにしたい。

     個人所有の竹林(たけのこばたけ)には他人を入れない。それは素人が入り踏み荒らすと、竹の地下茎を痛めてしまうおそれがあるからである。しかし私たちの竹林はタケノコ掘りも竹林コンサートも含めて、環境学習の場にしたいから、子どもも入るのだ。だからそれに対応する策を立てたい。竹林美化プロジェクトの一つである。(担当 荒木さん)

    当選を果たした市長が放置竹林問題に対してなにか案がほしいと言っているそうだ。私たちは以前からこの問題を研究していて、 「竹林救援隊」をつくる構想・計画をもっていた。  ただし市役所の構想と違う点があるので、意見調整が必要である。(担当 野本さん)

     竹林コンサートは秋だが、舞台を作る土木工事、竹材を使った観客用ベンチの制作から始めなければならない。この日は市が婦人教育会館を借り、来場者のトイレ、休憩に備える。私たちも社務所(タレント控え室)と電源をかりる交渉にはいる。(担当 高田さん、小椋さん、荒木さん)

   ほかに「バックフォー用の道作り」「花壇づくり」「格納庫の購入」など次々と仕事が待ち受けている。

   先週「花壇造りPJ」と書いた竹林日記を、アメリカの知人に送ったら返事がきた。知人とはかつて私の英語の先生である。
「PJは前後の文意から察すると、プロジェクトのことのようだが、PJはこちらではパジャマのことです。」
和製英語はたくさんあり、PJは官庁でも民間でも使われているし新聞でも見かける。PJはプロジェクトより字数が短くて済むので便利だ。しかしPJはアメリカでは使われないとは!自分の不明を恥じた。

   PJ問題は頭から離れなかったが、しかし今日になって考え方が変わってきた。
日本語は奈良・平安時代に漢字を輸入する。中国の漢字を全部取り入れたわけではなく、取捨選択をしているようだ。  そして中国に無い漢字を日本でつくっている。 いわば和製漢字だ。よく知られている和製漢字「手紙」は、日本ではレターの意味だが、中国ではトイレットペーパーのことである。

   明治以降今日もに欧米の言葉が大量に流入してくるが、和製もまた多い。PJもその一例と思う。
それにしても驚いた。パジャマとはネエー。

   花壇ができあがったら、そこは花柄のパジャマのように魅惑的な風景にしてください。お願いします!担当の早川さん、荒木さん、稲岡さん、高橋さん。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「豊作か不作か」

 2007. 1.20 杉谷保憲

 

竹林日記「豊作か不作か」2007・01・20(土)晴れ

参加者 山部、山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、稲岡夫妻、吉田、高橋。

   暦では「大寒」であるが朝から晴れ上がった。風もないから寒くない。「この暖かさではタケノコが出るかもしれない。」と誰かれなく言い始めた。「いや、もう出ているよ。細くて食べられないけど・・・」という声も。

   まだ土入れが終わらないときにタケノコが出てきてはたまらない。 土をかぶせてから、 ゆっくり出てくるなら 柔らかい美味しいタケノコだが。
去年は3月の後半にはもうシーズンインになりあわてた。今年はもっと温暖である。さてどうなるか。

   今日の土入れはたくさんの参加があったので、 作業は相当はかどった。それでも2月中に終わるかどうか。その一方、一輪車など機材が不足する。まだフトコロが暖かくないから、機材を全員にいきわたるほどにはそろえられない。頭の痛いところだ。

   今年はタケノコが豊作かどうか?
作柄についての有力な説によると、地下茎の節にタケノコの芽がつく7月、8月に雨が多いと、翌年春には豊作が迎えられるという。私の日記から天候を調べると、去年7月には小雨が七日、雨が五日ある。8月には小雨が一日、雨が二日である。このデータが正しいとして、7月はよいとして8月の雨量はさびしい。

   実際、乙女の丘(下段)の地下茎にはすでにタケノコの芽がたくさんついている。しかし広い太陽の丘(上段)の地下茎には芽が少ないという。天候からみて不作になるかもしれないが、私たちは豊作を期待して、窪田さんを中心に、錦織さん、荒木さんという頒布前線の布陣を整えた。

   一方、花壇造りPJは早川さん、荒木さん、稲岡夫人、高橋さんという陣容で動き出した。

この春は期待と不安が交錯する。
                                                                                                                                杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・年賀状

 2007. 1.17 杉谷保憲

 

竹林日記「年賀状」2007・01・17(水)雨

参加者 山本、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、荒木。

  例によって早朝にしなければならない天候の判断が難しかった。雨はやまないので、グリーンハウスに移動し会議となった。その内容。

その一、竹林コンサートが1020日(土)午後、雨天の場合は翌日として確定し、西山森林整備推進協議会と共催。予算もほぼ確約。将来は市内ボランティアたちの祭典に育てる方向。

その二、各種補助金についての解説と京都府との書類手続き。

その三、竹林の将来構想と竹林救援隊構想。

  雨は10時に上がったが竹林は入れる状態ではなく土入れが遅れていることを気にしながら やむなく散会。今日は阪神・淡路大震災から12年経つ日。 6千人の死者がでた。涙の雨である。

      
尾崎紅葉『金色夜叉』の寛一が、裏切ったお宮に「来年の今月今夜のこの月をキット涙で曇らせて見せる」と言ったのは17日夜の月のこと。読売TVの放送は18日になるようだが、竹林友の会の映像はないと分かった。ムムム・・・

 
    
年賀状のお年玉抽選が一昨日あった。我が家の当選率は例年より悪い。

   
年賀状は一年に一度だけ、消息を伝えるものとしてそれなりの効用があるから、虚礼廃止を叫ばれた時代にも廃れなかった。今はパソコン時代なので、クリスマスカードはEメールが利用される。しかし年賀状は圧倒的に郵便である。なぜなのだろう?

     
賀状内容も変遷する。若い頃は子どもの写真を印刷して元気ぶりを伝えてくれるが、やがて社会・政治を憂いた文になったり、漢語熟語で心境を表したりする。今年の賀状に風変わりなものがあった。2通だけお眼にかけよう。
     
前者の主は若い頃、張り切りボーイで目覚しい働きぶりであったが、近頃体調が今ひとつである。この文面にはウーンと唸ってしまった。
後者は高名なイラストレーターのもの。15日に到着した。元旦配達に間に合わないとみてこんな企画にしたのだろうか、あるいは今年からの新趣向なのか?ここで「汗」と表現されているのは、竹林作業のことである。

 
 
賀状の写真と今日の会議の模様を添付する。しかし添付は私の技術ではなく、ほとんど高田さんの手になった。
                                                                                                                                 
杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「NHKの経営姿勢」

 2007. 1.13 杉谷保憲

 

竹林日記「NHKの経営姿勢」2007・10・13(土)晴れ

参加者 山部、山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、錦織、稲岡夫妻、小椋、川路、尾崎、原。

    新年の勢ぞろい。和気藹々の記念撮影。その最中、論客、塚崎さんがNHKの受信料問題について話し出したので、今日は私の見解を記しておく。

 
    今週はまず菅総務相が受信料を2割減額し、支払いを義務化する方針と言明し、それに対してNHK会長は減額については無理があると記者会見で話した。
受信料不払いの主たる原因は、NHK職員の不祥事が続発し、視聴者が怒ったためだといわれる。陳謝は繰り返されているが、その後も大麻所持や局長による万引き事件、果ては紅白歌合戦での女性ダンサーの衣装問題など後を絶たない。

  それらも問題であろうが、私が怒っているのは別のことである。簡単に言うと、NHKはTVだけでも地上波2つ、衛星波2つ、それにハイビジョンをもつ。二つの衛星チャンネルはほとんど視られていない番組ばかりである。 そこでは世界中から野球、サッカー、バスケットボールなど有名イヴェントをナマ放送している。べらぼうに高額の放送権利料を払って、こんなにたくさん放送する必要があろうか?日本選手が活躍しているからといっても、これではいくらカネがあっても足りない。唯一のメリットは衛星波に日本のニュースや大相撲があって、外国でそれが見られるので在外邦人が喜ぶことぐらい。
その上に、出版社やイヴェント会社やたくさんの子会社・・・。バブル的経営思考が続いている。

  肥大化した上に放漫経営である。JALの漫々デイ経営と似ている。NHK、JALはともに日本の代表という名目で、外国では豪勢な振る舞いをしている。
また受信料を義務化すれば税金と同じになる。これまでNHKは公共放送として、メディアとして信頼される番組を制作してきた。しかし義務化は国営放送化であり、中立・公平な番組作りは困難になる。この問題は重大である。

  NHKは前にも後ろにも動けない。総務省に言われればまた隠密に懐柔に走ることになる。ここは理事たちがしっかり判断すべきだ。
まずNHKはチャンネルを減らし、寄生虫的子会社を切り離し、海外スポーツ中継はスポーツニュース的に簡素化すべきである。もちろん経常費を削減しなければならない。すなわちもっと謙虚になってスリムな経営をすべきだ。それしかNHKが健全経営になる道はない。
                                                                                                                                  杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「初場所」

 2007. 1.10 杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「初場所」2007・01・10(水)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、吉田。

    今年の仕事始めは1月6日(土)の予定であったが雨のため中止した。その朝、私の中止判断が遅く、川路さんはすでに電車にのって当地へ向かった。ご迷惑をかけた。もう一つ。読売TVが一昨日(8日)のニュースで、竹林友の会の活動を紹介する予定であったが放送されなかった。成人の日のことで事情を調べられなく、昨日問い合わせたところ、18日または19日で再予定していると分かった。放送を待たれた皆さまの期待がはずされた。
新年早々、冒頭にこの二件についてお詫びします。

   今朝は初作業。みんな張り切っている。ご神酒の後に、なんとご神米と塩を四方に撒く神事が執り行われた。日本古来からのシキタリがここによみがえった。古代からの使者は野本、窪田、荒木さんたちである。
この神事を眺めていて、大相撲初場所を思い出した。上位陣に外国出身力士が多い。去年は日本のプロ野球が世界一に登りつめたし、外国生まれの競技で日本人が活躍しているのだから、国技といわれた相撲や柔道が外国人に席巻されても嘆くに当たらない。

 

 

 

 

 

   朝青龍一家はモンゴル社会主義時代の治安関係一族で、こわもての名門だという。それにしても彼の強さは感情的に持て余す。昨日、出島に敗れたとき溜飲が下る思いをしたのは私一人ではないだろう。
今の私はバルト(把瑠都―前頭3枚目)をひいきにしている。彼に未来のスーパーマンを待望している。彼の故郷エストニアが隣国旧ソ連に併合されて苦しんでいたので、判官びいきもある。昨日、怪我をしたようだが心配だ。

   実は私も初場所「糖尿病場所」に取り組んである。
HbA1c(ヘモグロビン エーワンシ−と読む)の数値が上がって、年末にお医者さんに叱られた。原因はアルコールが大量に体内に入ったからである。
もう少し人生を楽しみたいと、一念発起して元日から勝敗表をつけてみたアルコール量は、○がビール小瓶1本の範囲内、それ以上の日は●である。

元日○ 二日● 三日○ 四日● 五日○ 六日○ 七日● 八日● 九日○

昨日まで5勝4敗だが、この場所には千秋楽がなく、「年365日場所」であるから厄介だ。勝率5割は無理だろうな。

                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

 

 

 

 

 

  杉爺の竹林日記 ・・・「2007年のはじめに」

 2007. 1. 1 杉谷保憲

 

竹林日記「2007年のはじめに」

   あけましておめでとうございます。

      今、零時40分。長法稲荷で、氏子さんたちとお神酒をいただき、掘り鍬について談義し、除夜の鐘を聞きながら帰宅したところです。穏やかな天気です。
初午(はつうま・新年の稲荷社の祭り)は2月5日だと聞きました。

     年末に「野菜の時代」(NHK出版)を読みました。なぜかというと、剪定くずを肥料にして畑仕事をする人のことが書いてあったからです。去年から野本さんが竹葉を肥料にする試みをしていますが、それにつづいて剪定くずも利用できるのであれば、とっても助かりますね。この本をみなさんに回します。

   賀状に書きましたように、私たちの竹林は“タケノコばたけ”として完成させるにはまだまだ時間がかかりますが、その作業は毎年くりかえし積み上げていくことにして、今年は文化の種蒔きもしましょう。まずは遊歩道づくり、花壇作りそして竹林コンサートの開催です。竹林コンサートは全国的にはところどころで催しているようで、インターネットには例が見られます。

  竹林は一応の姿が見え、私たちの動きはたまたま先鞭をつけている格好であるものだから、京都府、長岡京市など公的機関とのつながり、連絡が増えてきました。会議も多くなりました。ほかの団体との交流事業も増えるでしょう。この面でも皆さんの活動が期待されます。

    去年はスウェーデン、ロシアからのお客さんがありましたが、あす1月2日にはアメリカから二人の見学客があります。4月には台湾の留学生数名が入山する話も進んでいます。台湾にはモウソウ竹がたくさんありますから、いろんな企画に発展するかもしれません。

   基本業務をしっかりこなしながら、旧習にとらわれることなく幅広く進めていきましょう。
2007年がいい年でありますように。そしてお互いが健康でありますように。

  元旦                                                                                                                      杉谷 保憲