2008年(前半) 竹の学校 活動報告

 


       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 6.  28 「またしても恐れ入りました」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 6.  25 「へエ-!キヌガサタケの舞踏会」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 6.  21 「総会」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 6.  18 「夢が転がっている」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 6.  14 「若さとは」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・  2008. 6.  11 「温暖化対策?新説か珍説か」
        $$$竹林日記 $$ ・・・   2008. 6.  7   「梅雨の晴間」
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 6.  4   「初夏」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 5. 31   「新シロコ畑」
       
   $$$竹林日記 $$ ・・・   2008. 5. 28   「先止めは、すでに時期遅れか」

        杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 5. 23  「先とめ」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 5. 17  「月は東に日は西に」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 5. 14  「タケノコパン」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・  2008. 5.  3  「家族に感謝」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 5.  1  「シイタケ栽培」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 4. 30 「昭和は遠くなりにけり」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 4. 27 「西山ファーミリー探検隊」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 4. 25 「竹材の利活用」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 4. 23 「最後の10日間」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 4. 21 「朧月」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 4. 19 「竹林セラピー基地」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 4. 16 「伝統野菜」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 4. 14 「エコツーリストの男性と女性」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 4. 12 「安全よりまず安心を」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 4.  9  「タケノコ栽培の映像」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 4.  7  「黒人差別」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 4.  5  「がんばれイワタ」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 4.   2 「家族感謝デー」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・  2008. 3. 31 「キノコと竹林(3)」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 3. 29 「櫻サクラ」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 3. 26 「エコツァーと環境監」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 3. 22 「春の始まり」
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 3. 19 「偽善」
        杉爺の竹林日記 ・・・  2008. 3. 15 「平20、初ホリ
       
 杉爺の竹林日記 ・・・  2008. 3. 12 「生まれ変わり
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 3. 8   「ノコギリ入れ
        杉爺の竹林日記 ・・・  2008. 3.  5  「大車輪
       
 $$$竹林日記 $$ ・・・   2008. 3.  1  冬型気候
       
 $$$竹林日記 $$ ・・・  2008. 2. 27
       
 杉爺の竹林日記 ・・・  2008. 2. 23 「タケノコ汚染
       
 杉爺の竹林日記 ・・・  2008. 2. 20 「タケノコが待ち遠しい
       
 杉爺の竹林日記 ・・・  2008. 2.16  「いざ出動!竹林救援隊
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 2. 9   「この世のものとは
       
 杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 2. 6   「休日出勤
       
 杉爺の竹林日記 ・・・  2008. 2.  2  「竹林救援隊
        杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 1. 29 「ははたいせつ

       杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 1. 16 「竹人形

       杉爺の竹林日記 ・・・ 2008. 1.   9  「一休さん


 

 


 

 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・「またしても恐れ入りました」

 2008. 6.  28  杉谷保憲

 

竹林日記「またしても恐れ入りました」2008・06・28(土)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、熊谷、野本、窪田、錦織、小椋、稲岡、
            吉田。川路、尾崎、稲岡(喜)、原。

     前回の竹林日記(25日)に怪しい男として登場してもらった人は瀬野英二さんである。彼は長岡京市カメラ同好会のメンバーで、近隣竹林のキヌガサタケを撮りつづけて20年の人である。
一方、田中秀男さんには、先般ヒメホタル(ゲンジホタルと違い、ヒメホタルは小さく、一秒間に2回点滅する速さである。)の撮影をしてもらった。

   瀬 野さんに田中秀男さんを紹介して、いずれキヌガサタケをビデオで撮影する機会をつくりたいと、私は今朝、両者の出会いを図った。
一昨日から晴れが続いていたのでキヌガサタケは2,3日後の雨上がりに出るものと予想し、そのとき撮影をねらおうと考えていた。

   今朝も晴れていた。瀬野さん、田中さんは定刻に来た。瀬野さんは「ちょっと時間をください。」と竹林を下りていった。すぐに現れると「ありました。ありました。よその藪ですから少人数で。」と案内してくれた。
なんとキヌガサタケが7個、8個と開いており、これから開く状態のものが同じほどある。なかなか見つからないキヌガサタケが眼前に展開している風景には恐れ入った。瀬野さんの眼力には脱帽である。早速ビデオ撮影に入った。

   いつ実現できるかわからないキヌガサタケの撮影がいきなりできたので、つづいて放置竹林(B地区)間伐の撮影もしてもらった。西山の自然を撮影する計画はこうしてスタートした。

  今日は七夕用の竹を20本切り出した。それを商工会が運び帰ったのだが、余ったようである、その残りが隣の竹林に置かれたままだという。困ったことだ。

  報道によれば肥料が値上がりするという。2倍とはひどいもんだ。
野本さん、大急ぎで対策してほしい。
それにしてもこの諸物価の値上げでは我われ庶民の生活はどうなるんだ。政治に厳しい目を向けざるをえない。
                                                                                                                                      杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「へエ-!キヌガサタケの舞踏会」

 2008. 6.  25  杉谷保憲

 

竹林日記「へエ-!キヌガサタケの舞踏会」2008・06・25(水)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、西村、窪田、錦織。

   朝8時半、私と同じ速度、つまりゆっくりと竹林を歩く男がいる。彼はやがて私の後を追って竹林に入ってきた。 ――なぞの男。
私は腰掛けるように勧めて自己紹介をした。

  彼は「ああ、新聞にキヌガサタケのことを書いた人ですね。」と、私のことを知っている風である。
キヌガサタケは、一昨年は7月15日に出た。昨年は6月23日に出た。今年はもう出る頃だと心待ちにして、私は竹林の中を歩いた。今朝は湿度など条件がいいなあと思いながら・・・。しかし見つからない。

    なぞの男は名刺を差し出した。近隣の人である。 竹林を撮影して20年になるという。 今朝はキヌガサタケがたくさんでている・・・と撮影したばかりのカメラを巻戻して見せてくれる。
私は仰天した。ついさっき、同じ道を歩いていたのである。
彼は平然と写真を見せる。なんと、キヌガサタケが群生している。キノコの女王たちが舞踏会をしている。
この竹林一帯は驚くべきキヌガサタケの宝庫。(それに気づかないとは!)

  「きょうと府民だより」(京都府広報課)の取材があった。
4人がタケノコ畑で施肥をしている模様、ほかの2人が放置竹林で伐採している模様を写真にとっていた。8月号に掲載されるという。
取材陣はもう少し早く来たら、なぞの男がキヌガサタケを案内してくれたであろうに。
                                                                                                                                      杉谷 保憲

 


 杉爺の竹林日記 ・・・「総会」

 2008. 6.  21  杉谷保憲

 

竹林日記「総会」2008・06・21(土)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、熊谷、野本、窪田、錦織、小椋、世良田、島田。
            川路、尾崎、原、池田。(傍聴 上田。)

   昨日から大雨。今日は中休みのように降り止んだ。午前の作業は休んで、昼食から総会へと進んだ。
総会は冒頭から目を白黒させることになった。会則は会員の3分の2の出席を必要要件としている。開会を宣してみると、なんと・・・。5年間にはじめての事態に狼狽した。みんなの合意で成立したが、欠席された方は委任状を提出してほしい。(書式はお任せ。)
議事については書記(川路さん)の記録を待つことにしたい。

   議題以外で記憶に残ったのは、作業量に比して会員数が足りないという意見であった。その通りだと思う。
この会(ボランティア団体)は、会員を増やすことをはじめ何から何まで自分たちでやらなければならない。誰かやってくれる人がいるわけではない。

  作業量がオーバーするなら出来る範囲のことにすべきだろう。しかい作業に意義を感じたり、面白いと思うなら、会員各自が新会員をつくることしかない。

  まず自分を動かすことが大切。すべて手づくりであるところに人生の充実がる。

                                                                                                                               杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「夢が転がっている」

 2008. 6.  18  杉谷保憲

 

竹林日記「夢が転がっている」2008・06・18(水)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、熊谷、野本、世良田。稲岡(喜)。

 ユンボが来た。タケノコ畑作りと道路作りとである。

タケノコ畑は、土砂採取跡に竹を敷き肥料として、乙女の丘を崩した土をかぶせたものである。2~3年後にはシロコが採れる予定である。

 ほかは、身障者が車椅子で入山できるように、スロープを緩やかにしたり、東西に“大通り”を平坦に整備した。

  この大通りに面して、茶室が作られつつある。すると会員の中から夢が飛び出した。竹林コンサートの来客にここでお茶の接待をしようという。
どんなお茶がいいか、どこの娘さんに頼むか、有料か・・・いやはや。

  アマチュアカメラマンが入ってきた。竹林について説明をした。
天竜寺界隈の竹とタケノコ畑の竹との風景の違い ――すくすく伸びている竹と先とめされた竹――や6月、7月にはここにキヌガサタケが出るので心待ちにしていると話したら、カメラマン氏は「夢が転がっていますね。」といった。
                                                                                                                              杉谷 保憲


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「若さとは」

 2008. 6.  14  杉谷保憲

 

竹林日記「若さとは」2008.06.14(土)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、世良田、小椋、稲岡。
       川路、高橋、稲岡(喜)、原、池田。てくてく。
  今日は新入会員があった。世良田 芳弘さんである。早速、ノコギリ、ツルハシと蚊取り線香(三種の神器)を身につけて作業に入った。

   竹林では、茶室の建設、車椅子用道作り、肥料散布のための溝ほり、年号書きなどが続く。
 「森林ボランティア団体等円卓会議」(京都府モデルフォレスト推進課)の出席者が4名になった。山本、窪田、  世良田、杉谷である。

   山本さんが一枚の紙を差し出して、「女房がこれに感激して・・・」と。
サミュル・ウルマンの詩である。日本では「青春」と訳されて多くの人々に愛されているので有名である。ご存知であろうけれども、折角だから採録しておく。

   「若さとは人生のある時期のことではなく、心のある方のことだ。若くあるためには、強い意志力と、優れた構想力と、激しい情熱が必要であり、小心さを圧倒する勇気と、易(やす)きにつこうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。

  人は歳月を重ねたから老いるのではない。理想を失うときに老いるのである。歳月は皮膚に皺を刻むが、情熱の消滅は魂に皺を刻む。」

  原文は長い詩である。あまりにもてらいもなく歌われているので私はこの詩にいつも気恥ずかしい思いでいる。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「温暖化対策?新説か珍説か」

 2008. 6.  11 杉谷保憲

 

竹林日記「温暖化対策?新説か珍説か」2008.06.11(水)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、熊谷、野本、窪田、錦織。

  地球上に温室効果ガス(CO2)が増え、温暖化になっているといわれる。CO2を排出しなければよいが、人間は経済活動をするためにエネルギーを使うので、CO2排出はやむをえない。ただ限度を超すことが問題であり、洞爺湖サミットはその制限について討論されるはずだ。

  一方、CO2は植物によってある程度吸収される。林野庁はブナの天然林が吸収する力を100とすると、スギの人工林は170の力があると発表した。(だから間伐をして整備しなければならないと指導している。)

  では竹はどうか?森林面積に比べると竹林面積は小さいので、大きな影響はないとみているようである。(私がいつも言うように、森林に比べると竹林は少数派であり、研究も少ないし関心も薄い。)香川県に簡単なデータがあり、それによると竹はブナ程度とある。

   これが一般的な状勢であるが、私は異を唱えている。詳しくは明日(12日)の京都新聞洛西版の竹想譜を読んでほしいが、かいつまんで言うと以下のようである。

   全国的には竹林のCO2吸収力は弱いかもしれないが、乙訓のタケノコ畑としての竹林は植物の中で最高であろうと推察される。ここでは8年経ってタケノコを生まなくなった竹は伐採される。つまりタケノコ畑にはタケノコを生む1年から7年の竹だけがあり、それらは当然、光合成が最も盛んに行われている時期である。(竹は8年過ぎても10~20年は青々としている。この時期はタケノコを生まないから光合成も弱い。)
なおこれらの竹は竹炭にされたり、チップにされて飼料、肥料にされるなら、結局炭素を排出しない。
伐採竹を燃やしてしまうと炭素を出すからこれだけは避けるべきである。

  こうしてタケノコ畑は地球温暖化を防ぐ有力な手段であるといってよい。
なお排出権取引の点でいえば、経済界はタケノコ畑にお金を払う時代が来るかもしれないのである。
私の新説は数年後に認められるのか、珍説となってしまうのか?

  昨夜は呑みすぎてしまい、今日の作業は身が入らなかった。
14日(土)は新会員が登場の予定。
18日(水)はユンボが来て、身障者用の路づくり作業をする予定。

                                                                                                                              杉谷 保憲

 


 

 $$$竹林日記 $$ ・・・「梅雨の晴間」

 2008. 6.  7  山本 律

 

竹林日記「梅雨の晴間」 2008・06・07(土) 晴

参加者 塚崎、高田、野本、窪田、錦織、小椋、吉田、高橋、安田、
     林、山本、てくてく(八木、職員2名)

 今日は杉谷さんが休みである。リーダーがいないから、というわけでもあるまいが、全員思い思いの仕事をしている。造りかけて、そのままになっている資材小屋(私は四畳半の茶室を連想する)の屋根葺をする人、散乱している竹皮を集めて運ぶ人、根株を掘り起して一輪車で運ぶ人、今年の若竹に生れ年(08)を書く人・・・。

  「さつき晴」というと五月のさわやかな青空を連想するが、もともとは五月雨(さみだれ)、つまり梅雨の晴れ間をいうらしい。それからすると今日の天気は、まさにさつき晴である。

   話のついでに、「眺める」は、長雨(ながあめ)からきている、という。毎日降り続く長雨に、鬱々とどこを見るでもなく、ぼんやりと戸外を見ている(眺めている)さまをいうらしい。英語で言う see と look の違いである。see は「眺める」、look は「見る」、もっと鋭く、細かくなるとwatch になる。景色を眺める、相手の顔を見る、バードウォッチング。

                                                                                                                                   
山本 律

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「初夏」

 2008. 6.  4 杉谷保憲

 

竹林日記「初夏」2008・06・04(水)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、西村、野本、窪田、錦織、小椋。

   半年ぶりだろうか 西村さんが参加した。働き者の彼がタケノコシーズンにいなかった。一抹の寂しさがあった。彼の復帰は涼風である。

  
今年竹 空を楽しみ はじめけり      大串 章

   今日は蚊取り線香を腰につけなければならない。倉庫にしまいこんだケースがなかなか見つからない。

  
蚊が一つ まっすぐ耳へ 来つつあり    篠原 梵

  今年、よく働いてくれたホリ6丁を農協に修理にだした。市内にホリを扱ってくれる鍛冶屋さんが消え、農協は京都市内の鍛冶屋さんに出すという。
来年のために、新しいホリ一本を予約しておいた。値段が4万円を越すという。

 予定

 友の会 総会    6月21日(土) 午前作業 その後昼食と会議
 NPO竹の学校    9月13日(土) 13時総会 その後講演会
                                                                                                                               杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「新シロコ畑」

 2008. 5. 31  杉谷保憲

 

竹林日記「新シロコ畑」2008・05・31(土)小雨のち曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、錦織、小椋、稲岡。てくてく。

  竹林に小雨が降ったが三々五々と集ってきた。9時半、雨が上がった。
今日は遊歩道を再設置した。タケノコの出るのを助けるために板の道をはずしていたが、シーズン終了なので学習用遊歩道の復活である。

  もうひとつの作業は新しいシロコの畑をつくることである。今年シロコが出たのは、かつての谷に竹を埋めワラを敷いたところである。惚れ惚れするようなタケノコだった。
その経験を生かして、もう一箇所シロコが出来る畑をつくろうというわけである。場所は乙女の丘の下である。今日は伐採竹(タケノコ)を埋める作業をした。
来年は美しいシロコが出ますように。

   6月21日(土)は午前が竹林作業。その後、駅前の「穂積」かどこか(山本さん、交渉を忘れないように。)で全員が昼食を共にして、午後は総会をする予定。
議案書づくりは山本さん錦織さんが担当する。

  8月末または9月の始めにはNPO法人竹の学校の開校式(設立総会)を予定している。この日程は登記を岸さんが行うので、それに合わせる。場所は島田さんのバンビオとなろう。
その日は土曜日が望ましく、記念講演を企画する。こまごまとした手続きが必要である。担当は稲岡さん。

  水資源補助金の正式通知がきた。竹林コンサートへの京都府の補助金もまもなくOKが来るだろう。国土交通省へのものはあまり自信が無い。

  キヌガサタケの撮影(6月、7月)、記念講演会(8月か9月)と夏の企画が続く。

  病院通いなどで私の手が廻らない。
皆さまよろしくお願いします。
                                                                                                                              杉谷 保憲

 


 

 $$$竹林日記 $$ ・・・「先止めは、すでに時期遅れか」

 2008. 5. 28  山本 律

 

竹林日記「先止めは、すでに時期遅れか」 2008.05.28(水) 晴
 
参加者 野本、塚崎、窪田、小椋、山本

  今日はチーフの杉谷さん、サブチーフの高田さんの二人が休みで、5人の参加。野本さんと山本、それにあとから加わった小椋さんの3人が、先週の金曜日に引き続いて「先止め」に取りかかる。

  だが、屈強の男3人が(ただし、このうちの一人は後期高齢者で、お世辞にも屈強とはいえないが)、全身の力をふり絞って竹をゆすっても、竹は大きな弧を描いていまにも手が先端に届きそうに揺れるだけで折れなかった。先週は後期高齢者が一人でゆすっただけで、あっけなく折れたのに。 この僅か5日間に、これほど竹が 硬くというか強靭になってしまったのだ。


  筍の時期といい先止めの時期といい、竹林の整備はまさに時間との競争である。時間との闘い、といってもよい。

  先止めを諦めて、あとは5人がてんでに、竹林に散乱している竹皮を集めたり、倒したままになっている竹を一ヵ所に集めたり、伸び放題に伸びた "さばえ" を刈り取ったりした。

 休憩のとき、竹のひこばえを、なんで "さばえ" というのか、という話になったが、誰もそのいわれがわからなかった。
  そのうちに、話題がだんだん広がって、大昔は、稲の育ち具合をつかさどる神を「さ」 と言った。さつき、さみだれ、さおとめ、さなえ、さくら、さかき、さけ、さづかる、ささげる、みな 「さ」に関係がある、という話になった 。しかし竹のひこばえを、なぜ"さばえ"というのかは、わからずじまいだった。五月蝿―‐さつきのころに発生する 蝿、うるさく飛び回るところから「うるさい」と読ませる。竹のひこばえも、うるさいほど生えるから「さばえ」なのか。これは山本のコジツケ。
                                                                                                                                  山本 律


   この間にあったこと。

5月18日(日)竹林コンサート出演 雅楽の下見と打ち合わせ 万葉文化館 松井さん、小椋、杉谷。
5月22日(木)嵐電 嵐山駅の竹装飾見学 加藤さん、杉谷。
5月24日(土)作業休日のところを出動して清掃 小椋、稲岡夫妻、てくてく。
5月27日(火)地域力再生(竹林コンサート)補助金のヒアリング 市役所 杉谷。
 

 

 

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・「先とめ」

 2008. 5. 23  杉谷保憲

 

 

竹林日記「先とめ」2008・05・23(金)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田。

   天気予報をみて野本さんから提案があった。
定例の土曜日は雨の予報である。作業は先止めの予定であるが、先止めは来週に延ばすと竹の成長からみて難しい。稈(幹)が硬くなるのだ。作業日を一日繰り上げて対応したら・・・との提案で、土曜を金曜に繰り上げた。

   二人一組になってひとりがロープを竹に結わえ、他のひとりがロープを引っ張っていく。すると竹の先端が折れて、落ちてくるというわけである。とりあえずこれを友の会方式と呼んでおこう。

  これには三つの効用が考えられる。

   1・先端が落ちると成長エネルギ-が地下にまわり、地下茎の竹の発芽に好影響をあたえる。

   2・先端部につく葉が無くなるので、地表に陽光が当るようになり、発芽によい影響を与える。

    3・強風のとき竹が揺れると地下茎に悪影響がでる。そのために短くする。

  私は夏の風邪をひいたらしい。作業を早退して医者に向かった。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 

 

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・「月は東に日は西に」

 2008. 5. 17  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「月は東に日は西に」2008・05・17(土)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、稲岡。
       高橋、稲岡(喜)。

  今日は小椋さんが新人を連れてきた。その人は「まだ会員になるとは言えない」と慎重なので、ここにも名前を記すのは遠慮する。

  鎌田さんが病癒えて復帰する話が聞こえてきた。これも本人からの話ではないので、まだここに記すのは尚早か。

   荒木さんが久しぶりに顔を見せた。彼は働き者であるが社長業が忙しくて姿を見せなかったが、今後はどうだろう?ほかの会員からは「会費をうんと払ってくれれば・・・」と言う声が続いた。
高田夫人が力仕事をしたくなったと言って出てきた。今日の作業は危ないのでお勧めできないが・・・。

  先とめの時期である。タケノコが成長して、今、10メートルぐらい伸びている。この時期に両手で幹を揺すると先端部分が折れて落ちる。

    こうしておくと、竹は上に伸びる力を地下に蓄え、タケノコの発生に効果があると言われる。もう一説には、先端部が無くなることによって葉陰が少なくなり地表に陽光があたり、タケノコの発生によいとの説もある。
尖った先端部が落ちるので危険な作業である。

  近隣の竹林では一斉に先とめ作業が夕陽を浴びて行われている。これは乙訓独特のやり方だ。
“月は東に、日は西に”なかなか暮れないようになった。

                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 

 

 

 


 

 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・「タケノコパン」

 2008. 5. 14  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「タケノコパン」2008・05・14(水)曇りのち晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、野本、窪田、錦織、小椋。稲岡(喜)、原。

   作業日に雨が降り、実に11日ぶりの竹林での邂逅となった。昨夜の深夜も激しい雷雨でどうなることかと思ったが、朝6時になると雨がやんだ。

   竹林では新しい竹が天を目指して皮を脱ぎながら立つ。その林立する風景は荒々しい。少しタケノコを掘った後、放置竹林に移動する。
そこへKBS-TVが撮影に入る。京都府の広報番組の制作である。

   放送予定 6月5日(木)午後9時50分~
   再放送  6月6日(金)午後5時55分~

   午後1時半からリレー講座「竹をどうする?」婦人教育会館 主催京都府

  八幡市のNPO法人「京・流れ橋食彩の会」からタケノコパン(アイデア食品)を提供され、20数名の出席者が味見した。このパンは好評であった。主催者はパンの代金を集めたが、余ったので寄付をしてくれた。

  竹林の見学と竹についての意見交換会。竹材の利用について意見が交わされたが、すぐ使えるものはなかなか見当たらない。出席者のなかには面白い人材が見られ、この種の会合を重ねていけばおそらくアイデアになるだろうと思われた。

  帰宅すると同じ時刻に妻も病院から帰り、手術は必要だが転移はないとの診断に、最悪の事態はまぬがれたことを知った。この2週間、ヘナヘナ状態であったが、辛うじて元気を取りもどした。

                                                                                                                             杉谷 保憲

 

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・「家族に感謝」

 2008. 5. 3  杉谷保憲

 

竹林日記「家族に感謝」2008・05・03(土)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、小椋、稲岡、吉田。
       川路、尾崎、稲岡(喜)、原、池田。

   世間はゴールデンウィークである。今日は今年初めての企画、「家族感謝デー」である。
旅行に出かけた人も多いようだが、一方今年最後のタケノコ掘りとあって名残り惜しくて汗を流した人たちもあり、休憩時の会話はいつもより活発だった。世間の旅行ラッシュを避けて、すでに海外旅行を済ませた人もいる。お土産話に華が咲いた。

   こんなに楽しく作業ができるのは家族のお陰である。来年は家族のみならず興味をもつ人たちにも開放したいものだ。

   巨大な奇形タケノコを野本さんが掘り出した。(写真はホームページで。)これを持ち帰ったのは塚崎さんだった。たくさん採れたのにみんなもうタケノコに食傷気味で、持ち帰ろうとしない。もったいないことだ。

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    私は目の前に「京たけのこ栽培こよみ」(乙訓都市農業振興協議会)を貼って眺めている。5年前に市農政課でもらったもの。
それによると一年のうちタケノコ栽培で一番農事が少ないのは5月である。この月は<親竹の先止め>だけである。これはタイミングの難しいものだが、5月初旬は竹がまだ伸びきらないから、少し余裕がある。

  一週間を休みとして英気を養いたい。
次回作業は5月10日(土)。

  その間は補助金申請に頭をひねることになる。一年の活動を支える基盤であるから私には大切な時間だ。

  今日は憲法記念日。世界の国が日本国憲法9条のようなものを持つ時代がくるといいのだが、それは見果てぬ夢なのか・・・。

  午後から少し風が出た。竹の葉が数枚ずつ散りはじめる。裏を見せたり表を見せたりして風に乗っている。
竹の秋だ。落葉に向かって、さようなら有難うと言いたい。
                                                                                                                              杉谷 保憲

 

 


 杉爺の竹林日記 ・・・「シイタケ栽培」

 2008. 5.  1  杉谷保憲

 

 竹林日記「シイタケ栽培」2008・05・01晴れ

参加者 塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、稲岡。

   早くも5月。そろそろ田植えが始まる頃かなあ。
竹林の催しは4月いっぱい続いたが、5月3日の家族感謝デーを残すのみとなった。これが連休の真っ只中になるので、家族も忙しい。来年は日を考え直した方がよい。
連休以降は再び農事と放置竹林の伐採になる。

  今日は誰もタケノコを話題にしない。
「暖かくならないうちに菌打ちして下さいよ」と言われていたが、忙しくてできなかった。ようやくその日を迎えたが、どうぞ菌が生きていてほしい。

 

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   コナラにドリルで穴を開ける人、菌を詰める人、ホダ木を組む人、屋根をつくる人。
平素は静かな竹林を発動機の音が揺るがせている。初めてのシイタケ栽培に8人が一心不乱に取り組む。

  村田喜代子という作家に「茸類」という短編がある。ちょっと引用しておく。
「ホダ場のランクは 一竹、二檜、三松とある・・・椎茸のための通風や湿気、日覆いの加減では竹林が最もよく、檜が次に適している。木の間隠れに陽のチラチラ射す程度がキノコには向いていて、全く日陰でも直日が当ってもまずいらしい。湿気はなくてはならないが、湿潤すぎて滞ると栽培に大敵の黴の菌が生じる。」

  この作家は小説のクライマックスに事件をもってくるが、それまでに当事者の生活の背景を丁寧に描き込むことに特徴がある。「茸類」では椎茸栽培の背景を詳しく描いた。
私はこれを思い出しながら、竹林の中で菌うちにのめりこんだ。
竹林ではタケノコばかりではない、シイタケも採れるんだ。そう思うと農には夢がある。

  連休の最中でスケジュール作りも窮屈だ。補助金申請の季節なので、午後は稲岡さんと市役所の中をうろつく。世間は休暇を楽しんでいるのに、ここではたくさんの人たちが出勤している。この補助金が私たちの1年の活動を保証してくれる。
                                                                                                                               杉谷 保憲

 


 杉爺の竹林日記 ・・・「昭和は遠くなりにけり」

 2008. 4. 30  杉谷保憲

 

竹林日記「昭和は遠くなりにけり」2008・04・30(水)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、早川、野本、錦織、稲岡。

  作業日を変更したら私自身が混乱した。野本さんに確かめて出動したが、全くどうかしている!
今日は非常にいいタケノコが採れた。2本も。開闢以来のことである。元は谷のところで、ジャンボが盛んに出る場所である。ここは水分が充分であるのと土壌が特に軟らかいせいであろう。2本をお持ち帰りになったのは山本さんの知人で心斎橋の女性喫茶店経営者である。

   昨日は、野本さんが二人の知人の協力が得られるので臨時に放置竹林(B地区)の伐採をやりたいというので、高田さんと私もでかけた。
確かに二人は強力な助っ人で、伐採が進み、竹林の中に光が入るスポットが点々と出来た。

   私はキツネの穴を見にでかけた。穴は横穴で人間の頭ほどの大きさ、やや奥行きがある。15センチぐらいの間隔で横に16個並んでいる。近くでキツネとおぼしき頭蓋骨が見つかった。子どものものであろう。
5月にはここでキツネが子を産み育るという。
撮影する方法はないかなあ。

  この放置竹林にはヤマザクラの木も数本ある。今は竹の勢いに押されて成長が悪く、花は咲かない。けれどもいずれ楽しみなことになるだろう。

   またここは古墳の址である。この古墳についての資料は長岡京市図書館には乏しく、古墳が3基あることしか分からなかった。まだ埋蔵文化財(研)には入っていないので詳しい情報はこれからであろう。

   中公新書「物語 京都の歴史」脇田 修 脇田晴子著(この夫婦は向日市在住)を要約すればこうである。
「京都盆地のなかで、もっとも早く古墳の築造が始まったのは、西南部の桂川右岸の乙訓地域である。この地域の古墳群は西京区グループと向日グループと長岡グループに大別される。

4世紀前・中葉期にかけて長法寺南原古墳(ちょうほうじみなみはら)がつくられる。注目されるのは、これらの古墳になかに、大和で通有であった前方後円墳ばかりではなく、初期に東海地方や近江地域で流行した前方後方墳が含まれていることである。」

  わが放置竹林は長法寺南原古墳である。なにか遺物はないかと古墳の上を歩いてみたが何も見つけられない。乱雑な竹の群れのなかでは、前方後円墳か前方後方墳かも分からない。5世紀中葉につくられた巨大さで有名な恵解山古墳(いげのやま)より古いことを知った。

   これからの放置竹林整備作業は1500年前を空想しながら進められる。楽しみである。

  昨日は「昭和の日」でもあった。この日は天長節→天皇誕生日→みどりの日→昭和の日と変わった。
昭和は私たちの人生に強烈なものを打ち込んだ。小鮒釣りし山川、戦争と敗戦、平和憲法、全共闘を経て、あの高度成長のときからモノは豊かになって心は貧しくなった。そして公害と偽装の時代、自殺と凶悪犯罪の日常化・・・。
語りたい。語らなければならない。次代に昭和を語り継いでおきたい。

  この日、随筆家の岡部伊都子さんが亡くなった。シャープな感性とやさしい性格の人だった。たおやかな反戦の士でもあった。
昭和は遠くなってしまったもんだ。
                                                                                                                             杉谷 保憲

 


 杉爺の竹林日記 ・・・「西山ファーミリー探検隊」

 2008. 4. 27  杉谷保憲

 

竹林日記「西山ファーミリー探検隊」2008・04・27(日)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、熊谷、野本、窪田、錦織、吉田。 高橋。

  8時30分メンバーの大部分が集った。今日の親子探検隊の入山に備えて、打ち合わせが必要と誰ともなく早くに出てくる。

  ファーミリー探検隊と支援する大学生とで計50余名。関係者を入れると60名を越す。竹林は色とりどりに花が咲いたような様である。
 

 

 
   タケノコ掘りの道具は足りないことはわかっていたが、主催者はそれを承知の上で引き連れてくる。藤下さんが見かねてホリを3丁も貸してくれたので、なんとか回転した。

  去年は藤下さんのホリを4本借りて凌いだ。貧乏な私たちは一年経っても道具がまだそろえられない。(ホリは今年は一本4万円に値上がりした。)

  また去年は焼きタケノコを楽しんだが、今年はカリキュラムに竹の伐採も加わったので時間が取れない。子どもたちは大忙しである。

  中国人女子留学生が二人(広東、寧波)見学に来た。中国から日本に渡ってきたモウソウ竹が、日本で美味なタケノコを生み、愛されている。中国ではこのようなタケノコの生産技術はないので、帰国前に見ておきたいと言う。

  古来、日本は中国から文化・文明を取り入れたが、それらは日本において独特なものには発展した。そして本家の中国ではその文化が消えてしまっている。
仏教はその最たるもので、雅楽などいろいろありそうだ。

  放置竹林(B地区)ではキツネの子育て穴が見つかっている。池田さん(乙訓の自然を守る会)はその調査をしたいと申し入れてきた。5月がキツネの子育て時期であるという。

   子どもの勉強にもまして、親が興味をもてるテーマもありそうだ。
                                                                                                                               杉谷 保憲


 杉爺の竹林日記 ・・・「竹材の利活用」

 2008. 4. 25  杉谷保憲

 

竹林日記「竹材の利活用」2008・04・25(金)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本。

  タケノコの収穫は大詰めを迎えた。あと一週間であろう。
週間天気予報を見ながら、なおかつ次の日曜日の市民参加の親子竹細工・タケノコ掘り行事を優先して、作業スケジュールを変更した。そのせいだろうか、今日の参加者は少なかった。私も予定が変更できず、10時半で早退した。
会員諸氏には迷惑に思われた方もあるだろうが、地域に奉仕するのは日曜日が最もよい日なので、ご了承を乞う。

  大詰めといえば「NPO法人 竹の学校」の申請も4月21日に受理された。およそ4ヵ月後に登記ができるはずである。

  NPOの事業(5条―5)の「竹林セラピー」については先週述べた。
要は竹林の中で、<深呼吸して(体操をして)・声を出して(歌を歌って)・歩くことによって(草花を育てて)>健康増進を図ろうということである。
そのために若干の施設を備えようという意図だから難しいことではない。

  今日は(5条―4)「竹資源の利活用」についての思いを述べておきたい。
これまでに新聞記事などを転載して竹の活用法について世の中の動きを追っている。(今日も文末に日経新聞の記事を付記しておく。)

   現在の竹材の利活用は伐採竹を如何に利用するかという研究が中心である。竹炭づくりをはじめ、竹の繊維を活用するもの、竹の空洞を利用するものである。この分野の研究が進み、伐採竹がうまく利用できれば、放置竹林の解消に役立つと期待される。

  もうひとつ、竹の別の特性も注目されてよいと思う。それは竹の成長の早さである。樹木は20~30年かかって成長を遂げるが、竹は3ヶ月である。この成長スピードを利用することはできないだろうか?

  たとえば温暖化防止になる<CO2を吸収>にはこの成長力は有効的ではないのか。もしそうであれば森林より竹林が役立つかも知れない。

  竹は先端部と各節とに成長点があるという。だから成長が早い。これを利用することを思いつけば面白い。

 伐採竹の利用のみならず、竹林そのものを利用することに研究が進むことを期待している。⑤間伐竹利用の「エコ魚礁」、カワノ工業が開発(日経中国) コンクリート製品メーカーのカワノ工業(山口県柳井市、河野通晴社長)は、間伐した竹を活用した魚礁を開発した。人工素材の魚礁に比べ、有機物である竹の集魚効果が高いことが特長だ。中国・九州地方は全国有数の竹林面積を持ち、竹の繁茂による森林荒廃に悩んでいる。放置竹林対策にも効果が見込めることを強調し、各地の自治体などへの納入を目指す。同社は、海草や藻の生育を促進する鉄イオンを含んだ魚礁の実証実験も進めており、磯焼け対策に有効な製品の開発も急ぐ。同社が開発し特許出願中の魚礁は、2メートル四方の間伐竹をコンクリートで固定したもの。価格は1基10万円。コンクリートの素材には、ゴミ燃焼後に残る灰を加熱した「溶融スラグ」を利用。「環境に優しい商品作りを極めることができた」(河野社長)という。離島漁業再生支援事業を進める山口県周南市が初めて購入し、3月末に同市の沖合約10キロの離島、大津島の沿岸に16基設置した。同市はサザエ、アワビなどの種苗放流も行っており、新たな沿岸漁場の造成を期待している。

                                                                                                                              杉谷 保憲

 


 杉爺の竹林日記 ・・・「最後の10日間」

 2008. 4. 23  杉谷保憲

 

竹林日記「最後の10日間」2008・04・23(水)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、小椋。

  エコツァー13名(高田6、杉谷6、窪田1)。竹林にかすかな風。気持ちのいい日だ。
タケノコの収穫は大詰めの10日間になった。週間天気予報もでたのでスケジュールを立てた。変更があるのでご注意を。

なおメール連絡ができない方には電話連絡網を使うようお願いする。


4月25日(金)作業日          4月26日(土)作業なし

4月27日(日)作業・親子探検      4月28日(月)作業なし

4月29日(火)探検予備日なし      

4月30日(水)作業日

5月1日 (木)特別作業・菌打ち

5月3日 (土)家族感謝デー(全て無料。今年度の収穫作業は終了の見込み)

                                                                                                                            杉谷 保憲

 


 杉爺の竹林日記 ・・・「朧月」

 2008. 4. 21  杉谷保憲

 

竹林日記「朧月」2008・04・21(月)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、小椋。稲岡(喜)。

   
春筍(しゅんじゅん)の 地下一尺にあらんとす     相生垣瓜人

  このところ採れるタケノコは一尺をはるかに超えているものがある。地下深くから出ているので、掘りにくいことおびただしい。春が深まってきた。

  そしてそんなジャンボタケノコがずらりと並べられると、入山者からは驚きの声があがる。 今日のエコツーリストは東福寺・静市市原から3名。そのジャンボをリュックに詰めた。

 しかし週3回も掘って、なお掘りきれない私たちにとってはもう驚きではなく、げんなりしてしまう。

  私は朝のうちに、3センチ~5センチほど伸びてしまったタケノコを50本ばかり切り倒した。もったいない。自然の恵みなのに・・・と思いつつ。
まだまだ残っている。オヤダケにするには多すぎる。
どうしようか?

 疲れた。
タケノコの発生状況と私たちの人数とにバランスがとれなく、気分が冴えない。
疲れて早く就寝してしまう。

  いまごろ朧月夜ではないのかと思うけれども、それを眺めに外に出ることもない。
小学唱歌の「朧月夜」も頭をかすめるが、おぼろである。

“月はおぼろに東山”もそうだ。
漢詩「春宵一刻値千金」(蘇軾)の終章は――夜沈沈――夜が重たげであると詠う。

                                                          杉谷 保憲

 


 杉爺の竹林日記 ・・・「竹林セラピー基地」

 2008. 4. 19  杉谷保憲

 

竹林日記「竹林セラピー基地」2008・04・19(土)曇り

参加者 塚崎、杉谷、高田、早川、熊谷、野本、窪田、錦織、小椋、稲岡。
            川路、高橋、安田(由)。てくてく。

   昨日は竹林コンサートなどの打ち合わせ(山本、熊谷)やNPO申請(岸)で京都府庁を訪問した。申請が受理された。

   島田さんが司令塔になり、岸さんが頑張って煩瑣な仕事をやり遂げた。心から感謝する。岸さんについては紹介が遅れたが、京都府行政書士会会員であり、京都軟式野球連盟事務局長である。シーズンが始まっているので土曜・日曜は毎日グラウンドに出ている。

   今日は、来週の親子探検隊をサポートする大学生に加えて、ホンダ12名が入山して、エコツァーが盛況である。
昨日の
京都新聞が報じたように、エコツーリストは今期200名になるだろう。  

 

 


しかしタケノコを掘る道具が足りないので、今期の人数は限界であり、今は申し込みを断っている。

  さて、申請した「NPO竹の学校」の定款には8項目の目的を掲げている。そのなかで最も時間がかかると思われるのが「竹林セラピー基地をつくること」である。
この竹林セラピーという名称のものは現在全国どこにも無い。普通は森林セラピー基地として知られている。

 去年の竹林日記に竹林セラピー構想を森林の名前を借りて記している。以下に引用してみる。

竹林日記「森林セラピー」2007・11・12(水)曇り

森林浴という言葉は定着した。樹木の発するフィトンチッドを体に浴びると、ヒトNK細胞を増やし、ガンへの抵抗力もつくという。森林浴にはそのほかにもたくさんの効用があり、日本でも林野庁ご推薦である。

独立行政法人 森林総合研究所の宮崎氏

「人類は進化の過程の99.99%は自然の中で過ごしてきた。ところが人工環境はリズムが違う。本人は快適な都市生活だと思っていても、肉体的には違和感がありストレスを発生させている・・・。」

森林浴が進化して森林セラピー(療法)が始められているそうだ。ドイツの例だ。ドイツの森林ではインストラクター(国家資格)がいたり宿泊施設があったり、休憩所(車椅子つき)やスポーツ施設もあるという。(環境についてドイツは先進的である。自転車専用道路は完備しているという。)

日本では東京農大の上原助教授が提唱者で、長野県では森の中に知的障害施設を置き劇的な効果をみせている。生活能力、感情安定度の向上、神経症、自閉症に効果が歴然としていると報告されている。(『森林からのニッポン再生』田中淳夫)

4年前、我々の竹林に引きこもりの男性二人がきて、タケノコを掘った。引率者は、二人がこんな晴れやかな表情をみせたのは初めてだと言ったことを思い出す。

竹林は森林よりも効果を挙げるような気がする。

我々グループでは金が無いから施設建設は無理だ。しかし回遊路程度はできないわけではなかろう。周遊散歩の途中であのコンサートのベンチで寝そべって空を仰ぐのは効果満点だろう。(蚊がいるからい大きな蚊帳がいるか。)近くの市立体育館も婦人教育会館も利用できるだろう。

(中略)

森林セラピーには都市住民が押し寄せてくるかもしれない。山村、里山の活性化ができるかもしれない。経済性を創出できるはずだ。

樹や竹に経済性がでてくるのはまだしばらく時間がかかる。一方で森林、竹林のセラピー利用を研究してみては・・・と思う。

(引用終わり)

   以上の夢を実現するには各方面の理解をえなければならない。それは容易なことではない。
これに限らず、NPO竹の学校の目的は面白いものが並んでいる。一つずつ解説していくつもりである。

  全国的に動きがあるようで、先日の毎日新聞に森林セラピー基地の概況があったので転載しておく。


⑭森林セラピー基地:奥多摩の5遊歩道、都内初 一般客募り来月モニターツアー /東京(毎日)★
 都心から2時間。「癒やしの森」へいらっしゃい--。
奥多摩町が都内で初めて、「森林セラピー基地」に認定された。
森林浴を通じて、町民や来訪者の心と体の健康増進を図る。
本格的な観光展開は来年度からだが、奥多摩町は来月、一般客を募りモニターツアーを実施する。


森林セラピー基地は、林野庁の外郭団体が進める事業。
森林浴のストレス解消効果、癒やし効果を科学的に検証しており、日本医科大との研究では
「ガンを抑制する免疫細胞が森林浴によって50%アップした」との結果が得られたという。
これまでに長野県飯山市など、全国で35カ所がセラピー基地として認定されている。


今回認定されたのは、「奥多摩湖いこいの路」「川苔谷・百尋ノ滝探勝路」など奥多摩町内の遊歩道5カ所。
町は「おくたま巨樹に癒される町」と命名し、車いすの人でも散策を楽しめるコースを整備するなど、
来年度からの本格実施に向け、準備を進めている。

町観光産業課によると、05年度に町内を訪れた観光客は145万人。
レジャーの多様化もあり、00年度に比べ約25万人減少した。
地元の旅館業者や医療関係者とも連携し、基地認定を「町おこし」の起爆剤にしたい考えだ。

観光産業課の原島滋隆さんは「現状では、観光客の9割が日帰り。
森林セラピーと観光を連動させ、滞在型の観光を根付かせたい」と話す。
他県の基地と違い、都心から2時間で行かれる好立地も「観光客を呼び寄せる売り」になるという。

モニターツアーは来月28日から1泊2日。多摩川河畔の散策や旬の料理のもてなしに加え、
ストレスの度合いを測るイベントもあり、森林浴の効果を実感できる。
参加費用は1万9500円。先着20人で、20歳以上が対象。募集期間は今月15日から1カ月間。
問い合わせは町観光産業課(0428・83・2295)まで。【川崎桂吾】

                                                                                                                              
杉谷 保憲

 


 杉爺の竹林日記 ・・・「伝統野菜」

 2008. 4. 16  杉谷保憲

 

竹林日記「伝統野菜」2008・04・16(水)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、熊谷、野本、窪田。稲岡(喜)。

  熊谷さんが山登りの会の男性1名、女性5名を引率してきた。

   みんな腕の力も脚力もあるのに、ホリをあやつるのは難しいらしく、力の入れどころに苦しんだ。しかしそれも30分ばかりで要領を身につけると、うまいし早い。

   大量の収穫をした。
そしてリュックサックいっぱいに詰め込んで帰っていった。重い荷物を担いで歩く姿はさすがに山で鍛えた者たちである。

   作業が終って、松井さん(演出家)と都んぼさん(落語家)と10月19日の竹林コンサートの打ち合わせをした。今年は竹林の雰囲気を生かして洗練された舞台ができると思う。

   タケノコを掘りながら伝統野菜というものはどんなことかと気がかりになったので、インターネットや書籍で見た。伝統野菜は各地方にあるがタケノコについてはインターネットではハッキリしない。

  『京の旬』京都ふるさとセンター編によると、「京の伝統野菜」は京都府によって38品目指定されたが、2品目は絶滅したので36品目になっている。このなかには平安京以前からある野菜もあるが、大部分は江戸時代のもので、明治時代にすべて固定的に存在したものだとある。
その中で、ふるさと産品協会が「伝統野菜のブランド産品」として12品目を指定している。

   聖護院ダイコン みず菜 壬生菜 賀茂なす 鹿ヶ谷かぼちゃ えびいも
   伏見とうがらし くわい 堀川ゴボウ 九条ネギ 京タケノコ 京山科ナス

  私のような急造農民はこのうちの半分も知らない。情けないことだ。

   伝統野菜の解説はこう締めくくっている。
「京野菜はこれだという明確な定義はないが、京の伝統野菜を含んで、主に戦前までに京都で育成された品種、もしくは京都で生まれたものではないけれども京都で独特の技術をもって作っている品目といえる。

   独特の技術で生産されているものとしてはタケノコがある。モウソウ竹は鹿児島から入ったとか中国から直接入ったとかいわれるが、どちらにしてもワラを敷き、土を入れて肥料を施すという集約栽培は全国でも京都だけである。・・・」
少し肯けた。

  乙訓ではいつ頃からタケノコがつくられたか?
それは江戸時代から明治にかけてのことだという。今、長岡京市立図書館で当時の古文書を展示している。
                                                                                                                                杉谷 保憲

 


 杉爺の竹林日記 ・・・「エコツーリストの男性と女性」

 2008. 4. 14  杉谷保憲

 

竹林日記「エコツーリストの男性と女性」2008・04・14(月)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織。

  タケノコ掘りが4月いっぱいであるとすると、今日で丁度半分来たことになる。
今年はエコツァーと銘うって、環境問題を学びながら京都式軟化栽培法によってタケノコを掘ってもらう方式をとった。今日は全員男性(4人)であった。エコツァーについてできるだけ印象を聞きたいとグループの中に入っていった。

   入山してきた人たちに放置竹林を説明するが、 森林や竹林の手入れができず、荒廃している現状を知っている人は極めて少ない。マスメディアでこの問題が扱われることはとても少ないから、無理からぬことかもしれない。

   男性の環境問題意識は観念的にみえる。 それにくらべると女性は敏感である。環境問題というよりむしろ 食品問題として意識している。彼女たちは竹林にはいってタケノコを自分の手で掘りあげることを喜び、その新鮮さと保証された品質に価値を見出している。

    このエコツァーに高い評価を与えてもらっているが、この背景には明らかに食への不信と不満がある。
食の供給者側が毒入りギョウザを店頭においたり、賞味期限を改ざんしたり、産地を偽装したり、残留農薬がある野菜を置いたりすることへの深い不信である。

    食品に限らないが、生産者側が “儲け” に絶対的な価値を置いてきたために事件が続発した。 金銭第一主義の風潮のなかで、利益をより多くあげるために、安全への配慮を等閑視した結果である。

   これに対し消費者側は心の武装をはじめたけれども、個人では調べに限界があり、かつ毎日のことなので苛立っている。

   入山した人たちにタケノコの栽培法の説明をすると、予想以上に関心をもってくれる。私たちの農の倫理性を褒めてくれた人もいた。
また新鮮な素材は料理も楽しめる。女性の生活感覚は豊かである。
たかがタケノコと思っていた私は予想外の反応に驚いた。

   といっても私は満足しているわけではない。
エコツァーの目的は環境問題――放置竹林問題、水資源問題――の啓発である。

  入山者に会員がなにも語らなければ、それは観光農園と変わらない。一言でも環境について話しておけば、それがいつかどこかで芽をふくだろう。会員は語りかけなければならない。

   雨後のタケノコというが、昨日の雨のせいで今朝はひび割れが続出している。とても掘りきれない。
明日は臨時に出動することにした。作業にご参加をお願いする。
                                                                                                                                杉谷 保憲

 

 


 

 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・「安全よりまず安心を」

 2008. 4. 12  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「安全よりまず安心を」2008・04・12(土)曇りのち晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、熊谷、野本、窪田、錦織、稲岡、吉田、岸。川路、高橋、稲岡(喜)。            てくてく。

   千客万来、竹林は華やかである。しかし8名、6名、3名、2名、1名と5グループのツァーが入山してくると、心配したとおり道具類が足りなくなる。

 

 

 

 

 
   サポセンの加藤さんほか1名は来週の打ち合わせ。

   9日(水)の日記はパソコンの操作ミスをして、本文を電送できなかった。今日は竹林日記史上最長文になりそうだ。我慢して読み通してほしい。

  今日のエコツァーは堤塾の支援グループが入山した。この話をしたい。

それはひとりの男の生涯である。
奈良・法隆寺から300メートルほどの近くに堤塾(知的障害者施設)がある。  初代の堤 勝彦さん(故人)は 戦時中は数人の障害者を引き受けていながら、住まいに困って高槻市の工場の寮にいた。そして戦後、斑鳩町法隆寺に古い農家を購入して、やっと障害者施設をつくった。
堤勝彦さんの人生哲学は献身的と表現すべきか。それだけでは言い尽くせないものがある。

  障害者施設には公的なものと私的なものとがある。公的な施設には公的機関から補助金がある。
はじめ堤塾に対しても国、県から補助金を提供すると申し入れがあった。しかしそれらを堤さんは断る。

  補助金にはいろいろ条件がついている。いわく、障害者一人につき畳○○枚、トイレの仕様これこれ、部屋に置く机に角があってはならない・・・。たくさんの規定をクリアしなければならない。

   障害者施設に入居したら一生居ることになる。若い人を入居させるためには、長年居住している人を移したいが、引き受けてくれる施設は少ない。入居希望者が増えていくが、条件がいろいろあるので増設することは簡単にはいかない。

    一方、本来、引き取るべき実家でも尻込みする。変な表情で、ときに奇声を発する大きな人に、例え実の子であっても親は世間体を考えて遠ざけたくなる。

   公的な施設にするためには安全基準をクリアしなければならない。そんな施設をつくるには大変お金がかかり、結局その障害者の親(保護者)に負担がかかる。
補助金政策については堤さんの考え方とは基本が違う。

  堤さんは言う。
知的障害者には住むところがないというわけではないが、安心して暮らすところがないのだ。いま安全よりも先に安心がほしい。
安心を得るためには家族のぬくもりが一番である。

  堤塾では堤家の家族と一緒に暮らそう。
机には角があるけれども、それが普通なのだからそれに慣れていこう。せんべい布団でも家族と同じなら不平にはならないだろう。鰯一匹も半分ずつにして家族と分けよう。寝る部屋こそ別だが、あとは食事もTVを見るのも家族と一緒にしよう。それが知的障害者に安心をもたらすのである、と。

  世間では安全と安心を一緒にして使うが、追い詰められた人にとっては安全と安心とは同じではない。例えば落第、事業の失敗、離婚、子どもに先立たれる・・・そんな経験をすると家族のぬくもり=安心が不可欠であることを理解する。

   こうして堤塾は私的な施設として歴史を刻んだ。
私は初めて訪問したとき、正直なところ、知的障害者と握手しながら心が後ずさりした。居間は整頓もされない様子に日常の暮らしが思いやられた。しかし二度目からは、家族とはこんな姿が普通なのだと思え、なつかしい思いになった。

   堤勝彦さんは子どもを育てることにも意を注いだ。
農家の一部を剣道場に改造し近所の子どもを受け入れた。授業料はなし。剣道を習いたければ、道場を拭き掃除する雑巾を一枚自分で縫って、それを持参すること、それだけが条件である。

   親の面接はある。親が「剣道を通じて子どもに礼儀を身につけさせたいので・・・」というと堤さんはたしなめる。しつけは親がするべき最低のことで、それを人任せにする態度はいけない。そうでなければ道場だけで礼儀正しく、世間ではだらしのない人になってしまうと。

   この剣道場を以和貴(イワキ)道場という。言うまでもなく聖徳太子の言葉「和をもって貴しとなす」から採られている。
この道場で子どもたちに剣道を教えに通う大学生がいた。井上保敏さんであった。彼は堤さんの思想に共鳴し、その娘と結婚した。姓を変えて堤保敏さんとなった。

   その人が今日、竹林に現れた人であり、一緒の女性たちは堤さんに絵を習っている人たちである。(絵の話もあるがここでは触れない。)

  堤保敏さんと小林正義さん(私の友人)が勝彦さんの遺徳を偲んで「以和貴(イワキ)祭り」をつくった。
11月3日文化の日に堤さんの家で開かれる。私も毎年参加している。

   今年で26回目になるが、全国から堤スピリットを称えて人が集る。この以和貴祭りは素朴さを旨としている。
会費は2千円。食べ放題、呑み放題である。

  かつてこども剣士であった人やその親が寄り合って、近郊の畑のもので大和の料理をつくる。奈良の茶粥もある。
  吉野川で鮎を釣ってくる人、出雲から参加する人は地元のシジミを持参しシジミ汁を、長崎から参加する人は五島列島の五島うどんをつくる。
   法隆寺部落の人たちが茶店兼居酒屋をつくる。私はその客だ。催しも多彩だ。一流の芸能ショウもある。
小学生など剣道場の子どもたちも歌い踊る。知的障害者も踊りの輪に入る。

  そして堤保敏さんは障害者施設と剣道場と絵画教室と花屋を経営?している。一見、多角経営に見えるが、施設や道場を支える収入になりそうなものは見当たらない。
それでも、ひとりの男、堤勝彦さん(先代)の生き様が、後の時代にも生き生きと受け継がれて、ボランティア精神として広がって入る。

   11月3日に為和貴祭りに参加してみてほしい。
別れ際に私が女性たちに「次は11月3日にお会いしましょう。」と言ったら、
彼女たちの返事は「いや、10月18日の竹林コンサートにも来ますよ。来年のタケノコ掘りも予約しておきますよ。」と。

   ボランティアの連帯を言っているのだ。
                                                                                                                                 杉谷 保憲

 

 

 

 

 


 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・「タケノコ栽培の映像」

 2008. 4.  9  杉谷保憲

 

 竹林日記「タケノコ栽培の映像」2008・04・09(水)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、熊谷、野本、窪田、錦織、小椋。
      稲岡(喜)、原。

  竹林日記を表題でつくり、発信しようとしたところ文章を喪失した。
消えてしまったのか?
元に戻すことができるのか?

  私はパソコン操作技術がない。わからない。大混乱。
とりあえず参加者氏名だけを発信する。
                                                                                                                                 杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「黒人差別」

 2008. 4.  7  杉谷保憲

 

竹林日記「黒人差別」2008・04・07(月)曇りのち雨

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、稲岡。稲岡(喜)。安田。

   午後雨の予報に、朝8時過ぎには集った。タケノコ掘りのピーク時は水・土に加えて月曜も加わると、週3回 出動になるので労務提供過多になる心配をしていた。しかし会員外から安田さんも応援に来て大いに掘り、雨になったので10時に終了した。

  5年手入れをしなければ一人前のタケノコ畑にはならないと、地元農民に言われ続けてきた。市農政課が感嘆するほど“やった”。そして今年はその5年目である。

  今、われわれの竹林は自信を持っていい生産物の質と量である。(しかしよその畑が静かであるのにその違いはちょっと理由がわからない。)

  農産物というものは面白い。産物が画一的ではない。
工業製品は同じものを作るところに特徴があるが、農業は自然と人間の共同作業で、手入れの仕方によっても異なってくるので個別的でありかつ味わいがある。

  生産物はよくなったが、残念ながら農場管理に手落ちがでてきた。
昨日、日曜日に竹林に来て見ると、焚き火後から小さな煙が出ていた。そのうち消えるだろうと思っていたが、夜になって心配になり、家内とジョウロ2つに水を入れて登ってきた。暗い中に火の赤が見える。(闇夜に水道栓はわからない。)消えた筈であった。

  しかし今朝もまだ煙を出していた。つまり土曜日の作業終了後の後始末が手落ちであり、不十分であった。
私にはこれが3度目の事後処理である。
竹林で火災を起こしたら、どんな言い分けもできない犯罪である。注意力が落ちている。全員の奮起を乞う。

  アメリカ大統領選挙での民主党のオバマ候補は黒人だ。彼が当選すれば暗殺される危険があると噂される。この噂の裏には何かの意図が隠されているのだろうか?

  アメリカ社会には銃で自らの身を守るという仕組みがあるが、政治的な意図とは別にしても、これが不気味な背景である。

  マーチン・ルーサー・キング牧師が殺されてから4月4日で40年が経った。そこから計算すると、私がアトランタのキング氏宅に取材に行ったのは44年前のことである。

  あの頃はベトナム戦争の最中であったし、アメリカはまだ人種差別(日本人に対してもあったが、特に黒人差別)が激しかった。南部アトランタに入る前に、案内してくれたアメリカ政府の白人女性(公務員)はもろもろ黒人への注意点を非公式に教えてくれた。(この女性は親切に取材を助けてくれたが、ベトナム戦争を批判する私と意見が違い、それを本省に報告して、逆に本省から叱られていた。)

   キング夫人にインタヴューしている間に牧師が帰宅した。
そして私にこの歌を知っているかと聞いた。「ウィー シャール オーバーカム」―黒人開放の歌である。すでに日本でも知られていた曲であったが私は知らなかった。

   夫妻は熱心に歌を教えてくれた。夫人の声は美しかった。そして皮膚の色や性の違いで差別をしてはならない、日本人に伝えてくれと話した。
恐るおそる訪ねた街アトランタであったが、予備知識と違って、私には恐れを感じるものは何もなかった。

   黒人差別について、もうひとつ思い出す取材がある。
神奈川県の葉山にエリザベス・サンダースホームという名の施設があり、ここはアメリカ占領軍との間に生まれた混血児(黒人)をたくさん世話していた。院長は澤田美喜さんという著名な慈善活動家である。(ご主人は後に国連大使。)
美喜さんは言った。「黒人は生まれながらに暴力的ですよ、実際に世話をしていたら、隣の子をすぐ叩いたり、大人に反抗したり・・・」

   混血児の養育は誰にでもできることではない。その困難を乗り越えて実践している澤田さんが漏らす言葉には重いものがある。
しかしそれは混血児が持って生まれた性質なのか、私は否定的ではあるが、いまだに分からない。

   人間社会から差別意識を消し去ることは難しい。人種差別にしてもアメリカに限ったことではない。中国には満人、チベット人、トルキスタン人、客家・・・。ロシアでのユダヤ人。中東、アフリカには言わずもがな。

   オバマ候補がキング牧師暗殺の二の舞になることは避けなければならない。
そして彼が呼びかける「チェンジ」は差別にも戦争にもずしりと響くはずだ。
                                                                                                                                 杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「がんばれイワタ」

 2008. 4.  5  杉谷保憲

 

竹林日記「がんばれイワタ」2008・04・05晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、熊谷、野本、窪田、錦織、荒木、
           稲岡、吉田。川路、尾崎、稲岡(喜)、高橋、原、池田。てくてく。

   朝からニコニコ顔が並ぶ。言わずと知れたタイガース連勝持続のせいである。
とりわけ昨夜の巨人戦での勝利がみんなの気分に反映している。

   恒例のバーベキュー。 朝から準備のため各人が頑張った。 そこへ一と百の会11名と神足の上田夫妻が 入山した。



  大振りのタケノコがぞくぞくと採れる。バーベキューをはさんで2時過ぎまで掘る。多分採り切れていないだろう。他のタケノコ畑は音なしの構えであるが、わが竹林は大賑わい。

  月曜日は雨の予報だから、今日掘りきれなかったところはタケノコが伸びてしまうかもしれない。サクラも満開だが、月曜が雨となると、花は濡れ落ちて冷たそうにふるえる。あれを見ると明るくなった気持が萎えてしまうのだが、明後日はどうなるのだろう。この時期は天気の心配も絶えない。

  もう一度野球の話。
今夜の阪神の先発は岩田投手。彼は糖尿病なのでインシュリン注射を一日4回うっていると窪田さんに聞いた。プロに入ってまだ一勝の実績しかないが、もし今夜も勝利投手になれば、ハンデキャップをもつ人たちの星になることだろう。
がんばれ!イワタ!
                                                          杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「家族感謝デー」

 2008. 4.   2  杉谷保憲

 

竹林日記「家族感謝デー」2008・04・02晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、錦織。川路、池田。

   今日のエコツアーは大阪府下の留学生10名と付き添い人や八尾を美しくする会2名。留学生を相手に紙芝居式に名調子で竹の説明をする早川さんが生き生きしていた。

  それに加えて演出家松井氏、声楽家岡田さん、アナウンサー山口氏など多彩であった。こちらは竹林コンサートのメンバーが竹林のあり方の勉強である。

   このエコツァーは環境問題の学習とタケノコ掘りである。すでに今月は月・水・土と別紙の通り予約が満杯で好評である。最後は5月3日(祭)で、この日を打ち上げにし、会員のご家族の招待に当てたい。

   会員はボランティアとしてほぼ一年中竹林で働いているので、その成果をご家族にも見てもらいタケノコ掘りの経験をしてもらおうという企画である。会員は日頃のことをご家族に感謝してほしい。

エコツァー受け入れ一覧(4月2日現在)

3月29日(土)
               (大阪) ケナフの会 いい家をつくる会            杉谷
               (長崎) 長崎を美しくする会4人組               杉谷
               (大阪) ダイハツを美しくする会 4人組           稲岡

4月2日(水)
               (大阪) ロータリークラブ留学生会               杉谷
               (大阪) 八尾を美しくする会                    杉谷

4月5日(土)
               (大阪) 一と百の会    バーベキュー           川路

4月12日(土)
                (奈良) 堤塾                            杉谷
                (大阪) ホンダを美しくする会                 熊谷

4月14日(月)
                (大阪) ゴラク会                          杉谷

4月16日(水)
                (大阪) 山を美しくする会                    熊谷

4月19日(土)
               (長岡京)長岡を美しくする会   3人組            小椋
               (大阪) ホンダをやや美しくする会               熊谷
               (長岡京)大阪成蹊大 芸術学部の下見            早川

4月21日(月)
               (京都) 京都を美しくする会                  杉谷

4月23日(水)
              (長岡京) 三菱を美しくする会 6人               高田

4月26日(土)
                      ?
4月27日(日)
              (長岡京)ファーミリー探検隊                   早川

4月30日(祭)
                          ファーミリー探検隊 予備日

4月30日(水)
                      ?
5月3日(祭)うちあげ「家族感謝デー」家族で掘り                 全員 

なお以下に竹の情報を付しておく。 

*    *****************************
    国際戦略コラム    NO.2896          ???
             発行部数 4300部    ???
            
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/     ???
         2008.03.30        ???
******************************
         竹を素材とした製品に注目
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日本に多く生育されている竹を素材とする用途が拡大している。
                        Fより

  今後、石油が高騰して石油由来の材料が高騰することで、環境問題からも持続可能な自然の資源を利用することが日本としても急務になっている。しかし、非常に優れた資源が日本には沢山ある。今まで、その利用を放棄していただけである。この内、今回は竹を見よう。

  竹の特徴は、曲げ・圧縮強度に優れていること、長さに狂いがないこと、抗菌性、殺菌性、脱臭性に優れていること、成長が早いこと、持続的生産が可能なこと、真っ直ぐな木目がきれいなことなど。
素材としてだけではなくて、タケノコという食料にも成る。

  しかし、硬くて加工が難しいこと、繊維が真っ直ぐはしっているために繊維の方向に割れやすいこと、夏の竹は虫が付きやすいことが欠点である。

  竹の欠点で虫が付きやすいことに対しては、冬に竹を伐採して煮沸処理で栄養分を抜き、自然乾燥させ乾燥機に入れ数十時間乾燥した後、専用の窯で短時間、高温で炭化処理を行うことで対応できる。

  繊維の方向に割れやすいことについては、3積層のクロス集成材にすることによって割れ、反りなどの欠点を補う。この竹集成材ができたことで竹の用途が広がっている。また、加工の難しいことに対しては、ダイヤの刃を使うなどして克服しているという。

  このようなことをすると、老朽化しにくく、オイル塗装をすると使い込むほどに飴色に変化、光沢が出る真っ直ぐな木目の素材になる。

  また、別の側面から行くと、竹繊維の強度が高く、炭素繊維と同等な性質をあり、しかも安価なために、この竹繊維を柔軟性がありかつ強度を必要とする素材として利用する研究が行われている。

  また、竹繊維は抗菌性を持ち、それで編んだ竹布は綿の2倍もの優れた吸水性を持っている。このため下着として非常に快適である。
紙としての利用も始まっている。

  一般の木材の場合、伐採できるまで数十年かかる。このため、木を伐採すると、その修復が大変であるが、それに比べ竹は一年で成木になり、3~5年冬場の寒い時期、夏場の暖かい時期を耐えたものは
身が締まり材料として使用できるようになる。また竹は、木材と違い、地下茎というものを持っているため、植林する必要すらない。
このため、木の生育に比べて、人間サイドの手間が掛からない。
しかし、放置すると年6Mから8Mも侵食してくるほど生命力が強い。このように竹は、脱石油文明の持続可能な社会を形成する上で資源としての面からも非常に優れている。

  その上に、竹ははすべてを使いきることができる素材である。『熊笹』は傷に効き、『竹油』は火傷治療に効果があり、 二次利用の『竹炭』は除菌・抗菌・消臭・吸湿・通気・蓄熱などの面で優れ、  遠赤外線による温熱効果や、携帯電話やパソコンなどの電磁波防止効果を持つし、「竹酢液』は花粉症、水虫菌、アトピー性皮膚炎など人間の身体や健康回復にも効果があるという。

   この竹を利用しない手はない。日本は江戸時代、鎖国できた理由の多くは、日本にある素材で足りたのである。世界的な資源の奪い合いの時代が訪れようとしている。この時期に日本にある優れた竹資源を見直す必要があるように思うがどうであろうか??

                                                                                                                                
杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「キノコと竹林(3)」

 2008. 3. 31  杉谷保憲

 

竹林日記「キノコと竹林(3)」2008・03・31(月)朝小雨、午後晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、熊谷、野本、窪田、錦織、小椋。

    タケノコが豊作なので午後から臨時に出動して掘った。今年はどうしたことでであろうか、ぞくぞくと芽をのぞかせている。丸々としたタケノコである。昨秋、肥料を大量に散布したのが効いたのだろうか。

    去年は4月後半から月・水・土の体制をとったが、今年は早くも今日から週3出動体制である。

    秋の竹林コンサートの準備が始まった。これについてはもう少しまとまってから記すことにしよう。

    16時、高槻きのこ園から原木50本(東北産コナラ)が搬入された。私たちはシイタケ栽培に少しの経験はある。竹林がキノコにとって快適な環境であるように思えるので、これからシイタケを皮切りにキヌガサタケを含めてキノコにも挑戦してみたい。

 

    竹林には食用になるキノコが多いとされる。それでも毒キノコだけは覚えておきたい。竹林の毒キノコとして ドクササコ(またはヤブシメジ)がある。一名ヤケドキンとも言われるように、焼かれるような痛みが何日も続くといわれる。シビレタケも一時的に神経の異常を起こす。これを中毒という。

    話が横道にそれるが、漢字「中毒」の中は<当たる>の意であろう。的中、命中・・・の用法である。したがって造語のときに「中毒」は「毒中」とすべきではなかったか?中毒では猛毒、中毒、微毒と毒の程度に間違われる。

   キノコと私たちの暮らしは深いつながりがある。食卓には煮物、吸い物、てんぷらや鍋物に普通に使われている。日本人はキノコ好きといえるだろう。薬にもおもちゃにも登場する。市場に行けばマツタケ、シイタケ、ヒラタケ、エノキタケ、ナメコ、マイタケ・・・名前を知らないものもある。

    林業センター情報を読むと、長野県では疫学調査が行われて、キノコを食べるとガンになりにくいことが分かっているという。ほかにもコレステロール、血圧、痴呆、血糖値、肥満、肝臓病、活性酸素に好影響があるとされている。

    キノコ好きは日本人に限らない。スウェーデンでもドイツでもキノコ狩りの話を聞いた。私が実際に森に入ったのは、ロシアのエカテリングルグだった。ウラル山脈のなかで子どもたちに案内されて遊んだ。ロシアの子どもたちはキノコについての知識がきわめて豊富で、私たち日本人が収穫したのはほとんど食べられないキノコであった。

    そのロシア人女性のキノコの専門家が神戸王子にいることが分かった。彼女の経営するレストラン「きのこ」で今年3月に賞味した。料理法は多様である。

    さて我われの竹林で、まず手始めはシイタケの原木栽培である。
シイタケは近頃、菌床栽培ものが圧倒的である。これは栽培が計画的にできるから営業に乗りやすい。しかしデータによると菌床に組み込まれている肥料などに化学物質が含まれているので、注意が必要だという。

    私たちは昔ながらの原木栽培をしたい。手がかかるだろうけど価値は高い。原木は樹木の種類がクヌギ、コナラ・・・と決まっている。東北地方産の木が最高だと言う。美山町のシイタケ栽培もホダ木は群馬県産のものだ。

    身近には「環境の都づくり会議」の皆さんが西山の伐採木をホダ木にしている。しかし伐採は急勾配の山の中なので、その伐採木を持ち出せない。仕方が無いのでその場で菌打ちしているが、そんな場所なので滅多にシイタケ採取に入れないのだそうだ。

   春にタケノコ、初夏にキヌガサタケ、秋にコンサートそして冬にシイタケと楽しめたら竹林は極楽だ。
                                                                                                                                杉谷 保憲

 

 


 

 

 

 杉爺の竹林日記 ・・・「櫻サクラ」

 2008. 3. 29  杉谷保憲

 

 

 

竹林日記「櫻サクラ」2008・03・29(土)

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、窪田、錦織、荒木、稲岡。
      川路、尾崎、稲岡(喜)。「てくてく」3人。

   今日は各地からエコツーリズムの皆さんが入山した。大阪3組、長崎、長岡京市と賑やかである。なかにはビデオ撮影つきの組もある。ホリの使い方にはじめ苦戦していたが、すぐに上達する人もいて驚かされた。

 

 

 

 


   竹林には活気が満ちていた。しかもいままで見たことのない豊作である。31日(月)も13時から掘りることになった。同日15時からシイタケ原木の運び込みである。

   今年は櫻前線が早い。全国的に開花が伝えられている。しかし当地の八条池の堰堤の櫻木は今年はまだ 2分咲き程度でそんなに早いとはいえない。

  自然の櫻ではなく、人為的なサクラについて語ろう。
露店商で香具師が商売しているとよく見かけるが、客のふりをしてあるいは偽の客になりすまして、ほかの本当の客の購買意欲をかきたてる役割をする、あのサクラである。
なぜサクラと言うのだろうと思っていたが、「夢言葉839」によって語源を知った。

    江戸時代の芝居では、舞台の役者に客席から声をかけて小屋の雰囲気を盛り上げてくれる役のサクラを 入場させていた。その掛け声は派手であり、華やかでにぎやかな場をつくるので、櫻になぞらえていたという。

  櫻はそれほど人の心を惹きたてるのだろう。
昼をなお明るくする櫻花は華やかで浮き立っている。その余りにもウキウキする様がかえって白々しく思えてしまうのだろうか。過ぎたるは及ばざるがごとしである。舞台や露店のサクラはそのようなことが元の意味である。

   私は日が落ちる頃に、櫻が暮れなずむ空気を淡く紅に染める様が好きだ。このひと時は確かに千金に値する。

 
「花」
  錦おりなす    長堤に
  暮るれば昇る 朧月
  げに一刻も    千金の
  眺めをなにに たとうべき
                                                                                                                               
 杉谷 保憲

 

 

 

 

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「エコツァーと環境監」

 2008. 3. 26  杉谷保憲

 

竹林日記「エコツァーと環境監」2008・03・26(水)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、早川、熊谷、窪田、錦織、吉田。

  今日はあちこちの竹林でタケノコ掘りが見られる。ホリを片手に地面の目を落としながら、ゆっくり歩を進める姿  はこの地方独特の風景である。

    私も竹林のなかを歩いた。しかしまだタケノコは細いので、もう少し肉がつくのを待ちたくホリは使わず、タケノコ  の芽を探して標しを立てただけに終った。

    長岡京市も4月1日は人事異動である。 私たちボランティアのために骨を折ってくれた藤下さん (農業委員会  事務局長)が新設される環境監に昇進の内示があったと仄聞した。
 個人のことも喜ばしいことであるが、市が環境問題に取り組む姿勢を示したと思われるので、そのことを喜びた  い。(この名前のポストは京都府にある。)

    環境保全という課題は一見簡単に見えるが、現代では企業の論理や土地所有者の感情と摩擦を起しやすい。  摩擦を恐れていては環境問題は前進しないから、地方という現場にとっては辛いと思う。しかし全てに優先する  行政課題である。

    29日(土)からエコツァーの受け入れが始まる。これは「竹林友の会」の考え方の根幹のひとつである。
 運営資金を得るために生産物のタケノコを市場に出荷すれば、かなりの金額になるだろうが、私たちは市場に  は出さない。
  なぜなら私たちはボランティアであり、その立場で市場に出荷すれば、専業農家に迷惑をかけることもありうる。

   また私たちは環境問題(伝統産業問題)として竹林に取り組んできたので、生産物のタケノコは環境保全(衰退  する伝統産業の継承)に役立てたい。

     そのために各地からエコツァーを募りそして受け入れ、竹林で放置竹林問題や水資源問題をお話しながら、   ツァー客にタケノコを掘ってもらい、それを頒布することによって、運営資金を得たいのである。

  次回から、その意義を貫いてくれる作業であるよう各位に要請する。
                                                                                                                                  杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「春の始まり」

 2008. 3. 22  杉谷保憲

 

 竹林日記「春の始まり」2008・03・22(土)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、熊谷、野本、窪田、錦織、荒木、稲岡。
    川路、尾崎、稲岡(喜)、原、池田。てくてく(身障者施設)4名。



    20日に当竹林友の会は京都府から表彰された。
 これは「京都水宣言記念・京都水づくり賞」というもので、平成15年に開催された第3回世界水フォーラムにおい  て「京都水宣言」が発せられ、それを記念して水に関して優れた活動を行っている個人または団体を表彰するも  のとなっている。
 3月22日は国連水の日でもあるとのこと、まずはご同慶の至りである。

     平成20年度は計3つも表彰された。人から褒められることなど全く考えてもいなかったので、なにか面映いよ  うな、むずかゆいような・・・表彰してくれた人にタケノコでも贈呈したら・・・。

  穏やかな朝だ。
 B(放置)竹林で2台の電動ノコギリの音が響いた。これが頼もしく聞こえる。だんだん機械に頼りたくなるのは致  し方ない。
 それでもノコギリにこだわって8人が枯れ竹に挑んでいる。

    1時間経って、間伐が一段落したところでA(タケノコ畑)竹林に戻ってタケノコ掘りをする。すでに女性陣によっ  てタケノコが潜んでいるところに目印が立てられている。今年はじめて4本のホリがフルに使われた。正確な数字  を聞き漏らしたが、かなりの量が採れている。

   「てくてく」の皆さんと山本さんがコンビネーションよく竹を焼却している。“馬が合う”という言葉が適当だと思うが、  山本さんと青年たちの間に笑い声が絶えない。
 今年の春はタケノコも豊作のようだが、身障者たちとともに働く形ができつつある。
 春の幕開けがこころ豊かに思える。


                                                                                                                                    杉谷 保憲


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「偽善」

 2008. 3. 19  杉谷保憲

 

竹林日記「偽善」2008・03・19(水)曇りのち雨

参加者 山本、杉谷、高田、西村、野本、窪田、錦織。稲岡(喜)。

   曇り空がいつから雨に変わるかと予測された日なので気ぜわしい。
肥料(油粕)が入荷した。

   今日の京都新聞洛西版には私たちの活動(放置竹林の整備)が掲載されている。枯れ竹に囲まれて、伐採作業  をしている写真がある。それを眺めていて、ほんとに真面目な態度だなあと今更ながら思う。

   アメリカの元副大統領アル・ゴアさんは環境問題に熱心で、その功績が認められてノーベル賞をもらった。それ  に異を唱えるつもりはないが、彼は大豪邸に住んでいて、暖冷房完備の家で暮らしているそうだ。その家が使用  しているエネルギーは庶民の何十倍何百倍だという。
 政治家の発言は将来を見通したものが多い。それだけに重要である。

   しかし他人に対してはCO2の削減をするべきだと説得するが、私生活のあり方と無関係な(あるいは反対な)  言動であるときは「偽善」と言うべきである。

   今夏の洞爺湖サミットはポスト京都議定書の作成という重要会議である。エネルギーをふんだんに使いながら、  エネルギーの削減を協議するのである。

   こんなことは日常茶飯事で、いまさらあげつらっても仕方ない。程度の問題でもあるが、仲間が真面目に放置  竹林問題に取り組んでいる姿を眺めると、やるせない思いにとらわれる。

  肌寒い日が続く。タケノコはまだ少ない。各自が少しずつ分けあい、ニコニコ顔で雨の中を帰途についた。
                                                                                                                                    杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「平20、初ホリ

 2008. 3. 15  杉谷保憲

 

竹林日記「平20、初ホリ」2008・03・15(土)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、錦織、吉田、稲岡。
            川路、尾崎、高橋、稲岡(喜)。

  昨日は終日の雨。
木の芽雨(このめあめ)といわれるが冷たい感じがした。

    昨日はそれを窓外に眺めながら、長岡四中の卒業式に学校評議員として参列した。寒い日だった。臨席の人が「入学式は暖かいのに、いつも卒業式はねえ・・・」
と言いながら掌をこすっていた。

   今朝は雨こそなかったが、予報が告げるほど暖かくはない。だから竹林では枯れ竹の焼却作業やら、物置に農具整理棚をつくるやら、丸太を組み合わせて小屋を建築するやら、思い思いの動き方をしていた。

    10時半ごろ皆でタケノコを探そうということになって、40アールのタケノコ畑を歩いた。初ホリだ。広い竹林にやっと11本が見つかった。早退した早川さん、稲岡(喜)さんには配ることができなかったが、残り11人はひとり
1本ずつアタッた。
来週から本格的なシーズンになろう。

                                                            (稲岡さん撮影)


   私は来週がいそがしい。娘の結婚式があるので親族の大集合である。アルコール漬けになる恐れがあるので、そうなると先の仕事を片付けておかなければと思って、原稿(京都新聞洛西版)を作っておいた。予定稿である。タイトルは新聞社の方でつけたものである。


京都新聞竹想譜欄    「竹林の4年」→「司馬さんに叱られて」



  タケノコ掘りは最盛期を迎えている。豊作だと関係者は明るい。

  私たちボランティア団体「長岡京市竹林友の会」は放置竹林を整備してきた。地形や資金が許すところはタケノコ畑に再生させたが、そこはいまや活気に満ちた場所に変わった。また急峻な地に枯れ竹が林立するような放置竹林でも、間伐だけはしておこうと山仕事に取り組んでいる。

   荒廃していく竹林を見るに見かねて、私たちは間伐を始めたのだが、同時に長岡京市農政課も対策に乗り出した。それから4年、農政課によると市内の放置竹林の整備はようやく126アールに達したという。このうちわけは私たち竹林友の会が75アール、松下電器労組とOBが14アール、村田製作所OB会16アール、その他21アールとなっている。

    竹が密生し足の踏み場もない状態になった藪に私たちが分け入る様(さま)を新聞記者が取材に来た。そして感想を述べた。「放置竹林は増加する一方で、間伐整備するのはボランティアが少しずつ・・・むなしくなりませんか?」

   その問いに絶句したが、瞬時に35年ほど前の同じような会話を思い起こした。

  そのとき私はTVプロデューサーとして司馬遼太郎さんと二人でタクシーに乗っていた。その頃“関西復権”とか“大阪の地盤沈下対策”などが叫ばれて、司馬さんは新聞紙上でしばしば発言していた。私は「日本の中央集権の仕組みのなかで関西復権はできないでしょう。」と司馬さんに言った。司馬さんは口ごもってしまった。しばらくして口を開いた。「キミは分かっていない。ここに住むこととはそういうことなんだよ。」“そういうこと”とは住んでいる人が元気をだすことだという意味である。

  私個人は司馬さんから褒められることより叱られることが多かったが、そのなかでもこの会話は今も身に沁みている。
 
  たしかに関西復権どころか関西の経済力は上向きになる兆しはない。経済の効率至上主義がもたらした結果である。同様に放置竹林は増加する一方である。高齢化や竹材の経済性が減少したからである。

    私の35年前の発言も面前の記者の言葉も、経済原則の面からみれば間違いではないだろうけれども、司馬さんはその見方が浅薄だと考えていたのである。つまり経済性のみで見るのではなく、その地で暮す人間のありようとして見ているのである。その地で元気に暮らせることこそ大切で、その元気のもとは人のつながりと居住環境にあると考えている。僻地にいても住んでいる人はその地のよさを誇りにしているのはその例であろう。

   4年かけて放置竹林整備が少しずつ進んでいるが、これはわずかな面積に過ぎない。しかしかつて荒廃していた竹林からタケノコ掘りの喜びが伝わってくる。私は今になってやっと気付いたのだが、これは経済性でもなければ効率でもなく、むなしさとは関連しない別次元のことである。自然から恵みをうる喜びは、それがどんなにわずかなことであっても、生きることそのものであるから他のことと比較しようがない。


                                                                                                                                 杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「生まれ変わり

 2008. 3. 12  杉谷保憲

 

竹林日記「生まれ変わり」2008・03・12(水)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、西村、熊谷、野本、窪田、錦織、吉田。稲岡(喜)。

    昨日は暖かかった。今日も暖かい。きっと出ている・・・。きっと。
 しかし出ていない。朝、何人も探したが出ていない。タケノコのことである。
 稲岡さんが3本見つけたらしいが、小さいので土曜日まで待つことにしたそうだ。

  「今年は2月が寒かったので、タケノコが遅くなっているでしょう」と観測か慰めかを言う人がいて今日の初ホリは  諦めた。

   5人で放置竹林の枯れ竹の伐採をした。荒れ果ててかつ広い藪に5人ぐらいでは進捗度が目立たない。
 ノコギリを挽いていると汗が流れる。そこへ蚊がやってくる。
 竹林をきれいに整備すると蚊の発生は5月なのに、放置竹林にはこんな時期にもう蚊が棲息するのだろう。

   今日は恐る恐る「生まれ変わり」について書こうとしている。馬鹿なことを!と一笑に付されるのを解かりながら  ・・・。

    きっかけは数日前友人とおしゃべりをして、その友人の原稿を読ませてもらった。
 「私にはときどき亡父が現れて、原稿を書くように勧めます。そんなことが重なって出来上がっているのがこの原  稿です。」
 拝見すると、笑いがあり、機智があり、人生の深淵がある。うらやましい能力の持ち主である。

    こんな経験は無いが私は超常現象があることを認める。体験したことが無くても、あり得ることだと感じている。
 ただし恐山のイタコの口寄せにもケネディ大統領の霊を呼び出す人にもそれぞれ取材したが同意はできななか  った。

     ところが催眠による退行や死者が何かのシグナルを送ってくるとかについては判る。生まれ変わりもありうる  ことだと感じている。トランスパーソナル(超個)心理学として科学できると思っている。

    竹取物語を読み終わってすぐに、これは光りという存在の「生まれ変わり」を描いた話で、それは昔からある  ことなのだと思った。

   今日はここまでにするが、それぞれが持つ超常現象の経験を語り合ってみたい。
 こんな経験を一笑に付したり、非科学的だと断罪するような非科学的な態度にならないでほしい。お互いに共通  するところがたくさん持っているように思うのだが。
                                                                                                                                    杉谷 保憲

 


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「ノコギリ入れ

 2008. 3. 8  杉谷保憲

 

竹林日記「ノコギリ入れ」2008・03・08(土)晴れ

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、荒木、島田。
            てくてくの二人、(マスクの稲岡)。

  今日は新しく借りた放置竹林にノコギリを入れた。「鍬入れ」という言葉があるから「鋸入れ」という言葉をつくってみた。これから数年にわたって放置竹林の整備が続く。枯れ竹に取り組むメンバーが久しぶりにヘルメットに身を固めて作業する姿が頼もしい。

    京都新聞の記者も来たし、農政課の藤下さんもきた。お茶席用のタタミを運んできたついでに、「農政便り」のための写真も撮ったりした。
竹林はときならぬ賑わいを見せた。

   この新しい放置竹林はかつて天神山(稲荷山?)古墳と呼ばれていたらしい。教育委員会が手を付けたときには、既に竹林となっていてほとんど遺物はなかったようだ。いまでは標識もなく、長岡京市史の地図が掲載されているだけである。市史によると、私たちの活動している場所は古墳が連なっていて、古代の聖なる地であったようだ。
ここが再び“環境の聖なる地に”なることを願う。


山頂付近の狸穴


    焚き火に取り組む“てくてく”の人を見ると、とても身障者とは思えない。私たちよりうまいぐらいだ。彼らが喜んで作業をする姿はうれしい。どうか長続きしてほしい。

   NPO書類についてはメンバーから異存はでなかった。これで、来週から岸さんの申請のための府庁通いが始まるだろう。


  帰宅してみると京都府から表彰の詳報がきている。名称「平成19年度 京都水宣言記念・京都水づくり賞」である。誰かが期待していた副賞はない模様である。

   荒木さんがつくってくれた去年のデータを見ていると、去年の昨日はタケノコの初掘りをしている。しかし今年はまだ歓声があがらない。

来週のホワイトデーのころに望みをつないでおこう。
                                                                                                                                 杉谷 保憲

 


 杉爺の竹林日記 ・・・「大車輪

 2008. 3. 5  杉谷保憲

 

竹林日記「大車輪」2008・03・05(水)曇りときどき粉雪

参加者 山本、杉谷、高田、西村、熊谷、野本、窪田、小椋。

  3月。少しずつ暖かみが増してきたし、黄砂もやってきた。ところが今日は一転した。空は冴えていたが、北風が粉雪を吹きつけた。焚き火が炎の舌を横なぐりに延ばした。

  いつも年は周囲の竹林に、雛祭り用のタケノコ掘りの姿がちらちらするのだが、今年は見受けない。タケノコといっても一口の大きさであるが、それは見ているだけで楽しいのに。今年は春が遅いのだろうか。

  今日は京都府林務課によって遊歩道の完工検査(助成金がきちんと使われたかの調べ。)があった。遊歩道は小椋さんを先頭にした工作好きメンバーの汗の結晶である。 タケノコ シーズンを控えて完成したのは喜ばしい。 素人が 入山してきても土壌を痛めつけられる心配がなくなった。


山本さんの竹林日記(末尾に所載)にあるように、この間それぞれに忙しかった。

  もう一方で私はNPO書類の準備を終えた。 岸さん、島田さんには大変お手数をかけた  。私も風邪が抜けず とかく作業が遅れがちなので、  最後は加藤さん(サポートセンター)差し入れのドブロクをがぶ飲みして決着を つけた。書類はこの土曜日に会員の皆さまに手渡せるように整える。

  新しく契約した放置竹林(3反=30アール)は間伐作業に8日(土)から取りかかる。タケノコ畑にするには地形も利あらず資金もないので、間伐整備するにとどめ、生態系を整え、水資源の涵養を図ることにしたい。地形が急勾配で傾斜し道路に至るので危険がある。今日、野本さんが説明したように、危険防止対策を徹底させたい。

  一昨日、私が風邪の熱に浮かされていたとき、京都府環境部関係から竹林友の会を表彰すると電話があった。水資源涵養に対してである。お受けすることにした。

  そんなわけでタケノコ掘りが始まり(仮にA地区という)、放置竹林(仮にB地区という)の整備、NPO申請と今週から大車輪である。

   今日は啓蟄(けいちつ)である。 冬ごもりをしていた虫が目を覚まして動き始める。 私も10日間の風邪から やっと動き出してみた。 市役所に行って「地域力再生プロジェクト」の交付金申請書をもらってきた。そして竹林日記を書いている途中にエコツァーの申し込みが一件あった。

  やはり春はそこまで来ているらしい。
                                                           杉谷 保憲

                          遊歩道全景(小椋さん撮影)
               ____________________________________________________________________________________________________________

 竹林日記 1.NPO法人のための実務講座       (08.02.23/03.02)
           杉谷・原・山本 (杉谷会長は03.02午後から早退)

         2.地域力再生フォーラム 「コラボカフェ」 (08.03.03)
           山本


1.すでに活動している法人が対象の講座のため、これから活動を始めようとする「竹の学校」にはピンとこない     点や、重くのしかかってくる気分的な負担ばかりで実務講座というよりは準備講座の趣があった。


      しかし我々もいずれは必ず必要となる話ばかりなので、そのつもりで一生懸命聞いてきた。
  軌道に乗って繰り返し作業になればそれほどではないのだろうが、まだ経験して いないことだけに気が重い      ことも事実である。

   同行の原さんにも 「何でもかんでも全部自分が背負い込もうとせんと、わからんところは人に聞いたり手伝        ってもろたらええのやから気ぃ楽にしてよ」と、半分は自分に言い聞かせるつもりで話した次第である。
  それにしても二日目の、朝10時半から午後の3時半の長丁場はしんどかった。

2.テーマが「地域力再生活動を楽しもう」というだけあって、 ほとんど府下全域からさまざまのボランティア活動     に携わる人たちが、それぞれのテーマごとに8つのグループに分かれて気楽に話し合った。

   杉谷会長と山本が参加する予定だったが、杉谷さんの体調がもう一つ思わしくなくて、急遽山本ひとりの         参加になった。

   私が参加したグループのテーマは、ずばり『地域力で竹をどうする?』
  放置竹林の整備に直接携わっておられない人がほとんどで、具体的な話の進展はなかったが、舞鶴から      こられた方は、竹はものすごい火力があるので発電所の燃料にしたらという話がある、と言っておられた


     もちろん竹だけを燃料にするのではなく、重油や石炭の消費削減のための補助燃料にするということらし      いがカナダから木材チップを燃料として輸入している(発電所用ではなくほかの用途 らしいが) という話が別     の人 から出たりして、私には興味があった。

  このグループのテーマの一つに「雨水利用をもっと常識化するアイデア(知恵)を求める」というのがあり、     私も地下水の涸渇を話したが、「へぇ、そんなことがあるのか」という程度で進展をみなかった。

  少子化の折、放置竹林の整備作業のボランティア活動を教科の単位にする大学が出てきてもええな」 と     いうまじめな笑い話も出た。

  今回のフォーラムの主催者である京都府総務部自治振興課の課長補佐であり地域力再生プロジェクト      担当の長友弘子さんに、杉谷会長が 「私は出られないから山本というのに話をしてやってほしい」と頼んで     おいて下さったのだが、長友課長補佐は総合司会をするは他のグループの司会もするはで、ゆっくりお話を    伺えなかったのが残念だった。

 


 $$$竹林日記 $$ ・・・冬型気候

 2008. 3. 1  高田 豊

 

竹林日記「冬型気候」2008・03・01(土)晴れ時々雨

参加者 山本、島田、高田、熊谷、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、稲岡。高橋。

  朝、山本さんと小椋さんが太陽が丘を歩いている。降りてきて、山本さん曰く。二周目遊歩道の整備状況を見せて貰いました。今日は焼却を止めて、遊歩道整備に加わりますと。

  今日の作業は、二周目遊歩道の手すり作り、段差の昇り降り部分の拡幅、すべり止め板打ちに取り掛かる。それと、結局、始まった一箇所での古竹焼却。

  冬型の天候らしく、陽が射していると思えば、曇って雨が落ちてくる。雨宿りの間が、今日の休憩タイムである。

   野本さんから、次の水曜日から水曜も稼働日に加えようと提案があった。早い年にはもうタケノコが出始めているので、掘るための準備を始めねばとの理由。

   3月から水曜、土曜が稼働日になります。
                                                                             (高田記)


 $$$竹林日記 $$ ・・・

 2008. 2. 27  高田 豊

 

竹林日記「寂」2008・02・27(水)晴れ
参加者 高田、西村。

   
朝方は雪もぱらついたが、午前中は晴れ。しかし、風が強く寒い。  来慣れた竹林も、二人だけだと随分広く、物音が寂しく響く。

   
西村さんは、新しい稲荷山の竹林の古竹切りに行きたがったが、人数が少ないので断念して頂いた。
かわりに、このところの風雪で折れ曲がったり、上部が吹っ飛んだ竹が数本あり、西村さんは、これらを始末する。高田は、放置されていた竹の根を、車道の傾斜を緩めるため埋め込むぺく、一輪車で数杯運ぶ。
10時半には作業を終了。
                                        
                                                                                            高田記


 杉爺の竹林日記 ・・・「タケノコ汚染

 2008. 2. 23  高田 豊

 

竹林日記「タケノコ汚染」2008・02・23(土)曇り

参加者 竹林=塚崎、野本、熊谷、小椋、稲岡。
       京都=山本、杉谷。原。

   竹林では塚崎さんが板の塗装を完了し、他のメンバーで遊歩道の敷設をした。小椋さんは午後2時までひとりで頑張って、ついに完成写真(補助金報告用)にまでこぎつけたと言う。これで2年がかりの遊歩道作りは計画通りに出来上がったのだろう。来週、見るのが楽しみである。

   強風の中なので、今日は焚き火はしなかっただろうと、京都組の山本さんがしきりに気にしていた。

    京都ではNPOになったときに備えての勉強会である。年度末に提出しなければならない書類作成について学んだ。企業と同じほどの書類が要る。しかし我われには総務も経理のないから大変であるが、山本さんも原さんも涼しい顔である。2,3年経てば書類パターンが決まるからそれまでのことだと見通している。来週の日曜日には経理・税務の勉強会がある。

  毒入り中国製ギョウザの調査が手間取っている。タケノコにはこんな事件があった。まだ半年前、去年の7月のことである。

    湖北省武漢市当局はこのほど、市民からの通報に基づき、タケノコの加工工場への立ち入り検査を実施し、不衛生な環境下で違法に操業していたとして,タケノコ250箱、計5トンを押収した。27日付けで長江商報が伝えた。

   検査によって加工工場の少なくとも1箇所が営業許可を受けておらず、発がん性物質の亜硫酸ナトリウムを使ってタケノコを漂白していたことが判明。詳しく調べた結果、タケノコから残留物である二酸化硫黄が最高で安全基準の約50倍検出された。また消毒施設もなく、タケノコの切れ端が床に散乱しているなど不衛生な環境だったという。

  私はいつも思う。
タケノコは大気汚染には強い。酸性雨が降っても、タケノコは皮をかぶっているので直接に犯されることは少ない。

  しかしタケノコは水を必要とし吸い上げている。それは地下水や土壌中の水分である。これが汚染されているとタケノコも汚染される。 地下水や土壌を検査することは特別のことがない限り検査しない。 酸性雨に強いからといって安心はできない。

   一般的に河川の汚濁振りをみて想像するのだが、中国の現状は憂うべきものがある。日本で販売されている水煮のタケノコは中国産が99%である。これらについての汚染を肉眼では見えないから困ったものだ。
                                                                                                                                  杉谷 保憲


 杉爺の竹林日記 ・・・「タケノコが待ち遠しい

 2008. 2. 20  杉谷保憲

 

竹林日記「タケノコが待ち遠しい」2008・02・20(水)晴れ

参加者 山本、杉谷、西村。

  今冬は雪景色を見られた。たった二回であったが日本の景観のすばらしさを堪能した。欲をいうとツララも見たかったが、こんなことを言うと雪国の人には叱られそうだ。

  山本さんと私は別べつに伐採竹を焼却した。西村さんが藤下さんとの境界にある竹を運んできて燃やす。私は肉厚の竹は重すぎて運べない。それを伐りもせずに2本を抱える。西村さんはどこで鍛えたのか、力持ちだ。

  もう寒くはならないだろう。今日は晴天であった。これからは土中ではタケノコが日一日とふくらんでくるだろう。
そのタケノコのことだが上には上があること ――が今日の話題。
まず新聞記事を読んでほしい。

★黄金たけのこ初出荷 「認証」選別、関東へ/阿久根 (南日本新聞)★

   鹿児島県農林水産物認証制度の認証タケノコを栽培する阿久根市の「竹の子いちばん栽培グループ」は、色や形が特に優れているものを「黄金たけのこ」の銘柄で売り出すことにし7日、同市山下の上野食品から東京へ第一便を出荷した

  同グループのタケノコは2005年、県の認証を受けた。
会員は15人で、同市弓木野地区を中心に施肥や伐竹など細かい竹林管理を行う。
認証の中で最上級品を選別・銘柄化して、知名度アップと認証タケノコ全体の品質向上を図る。

   黄金たけのこは(1)掘り取り時期が2-3月
                        (2)曲がりが少ない
                        (3)先端や皮の先が黄色で全体的に黄白色-などを基準に選別する。

   08年は認証タケノコ21トンのうち5トンを黄金たけのことして主に関東へ出荷する計画。
従来の認証タケノコの市場価格より約1割高値で取引されると見込む。

 第1便の32キロは、東京の百貨店で販売される。同グループの餅越学さん(79)は
「いいものは高く売れるという認識を浸透させることで、品質向上への意欲がさらに高まれば」と話している。

           
――――――――――

   この記事は京都式軟化栽培法が鹿児島のグループに受け継がれていることを示している。 去年12月に北九州市の合馬(おうま)が同様であることを竹林日記に書いた。ともに黄金タケノコであり、我われのつくるものと同じだろう。

   九州では上記の2箇所がこうして高級品を生産できる。
しかし京タケノコにはもっと上のものがある。最高級タケノコとされるシロコである。(肉が白い。)
拙宅の隣の竹林は長岡京市きっての篤農家である。ここでは10本に1本の割合でシロコが採れる。これは成績のよい畑である。

  ところが泣く子も黙る“塚原のタケノコ”は高価なシロコが多い。京タケノコの中でも最高級である。そのなかでも島田農園はタケノコ畑の端では黄金タケノコであるが、面積のほとんどでシロコが採れるという。塚原は京都市西京区の9号線沿線である。
(島田農園のシロコは市場には出ていない。すべて特約扱いである。念のために。)

    この島田農園の経営者がわが竹林友の会の最新メンバー島田さんである。私は島田さんによって竹林友の会が一段と技術を向上させることを願っている。

   さて、いまや春を待つばかり・・・今年はどんなタケノコが出るのだろう。
                                                                                                                                  杉谷 保憲


 杉爺の竹林日記 ・・・「いざ出動!竹林救援隊

 2008. 2. 16  杉谷保憲

 

 竹林日記「いざ出動! 竹林救援隊」2008・02・16(土)曇り

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、野本、窪田、錦織、荒木、小椋、稲岡。高橋。
      てくてく=富島、八木、加納。

   雪のため作業を休んだこともあり久しぶりにメンバーが揃った。その間、竹林以外ではこんなことがあった。

1・竹太筒の演奏会(竹の楽器で創作音楽をする大原野の会)が京都であり聴きに行ったら、会場で島田さん      (会員)一家にお会いした。

2・長法稲荷の初午(はつうま)祭に山本さんと参列したところ、稲荷社に隣接する我われの竹林から煙が上が        っていたのにはヒヤリとさせられた。10日(日)、11日(祭)に焚き火をした者がいて、その消火処理がいい       加減だったようだ。ときどき小雨が降っていたので大事には至らなかったが、風があれば危ないことになって       いたろう。

3・12日夜はNPO準備会を開いた。およそ検討は終ったが、成文化作業にまだ時間がかかるだろう。

そんなこんなではあったが、今日の報告は以下である。

   まず久々に参加してくれた「てくてく」のメンバーの話。富島さんによると、八木さんはみんなに褒められるので、竹林に行くとなると目が輝くと言う。お母さんが、息子の仕事をみなさんに認めてもらえるのでとてもうれしいと感謝しているという。八木さんは焚き火の管理もうまい。加納さんは一輪車が好きで、今日はコンクリートブロックを運んだ。富島さんの気遣いは大変である。


   遊歩道に板の防腐剤塗り、遊歩道づくり、伐採竹の処理と焼却。そのほかに
新しい放置竹林の契約をして現地見学会をした。

    長岡京市は放置竹林の整備を進めている。市は森林整備にはいくらか予算をつけているが、竹林整備にはお金がまわらずボランティア頼みである。

   京都新聞竹想譜「環境系ボランティア団体ガイド」(2月9日所載。
ホームページを参照)で私が書いたように、当市にもたくさんの環境団体があるけれども、放置竹林に取り組んでいるボランティア団体は松下電器労組、村田製作所と私たちである。両者とも巨大企業の従業員であるが、私たちは金も力もない小さなボランティア団体である。
その松下電器の竹林整備面積は1反半であり、村田製作所も1反半である。

   竹林友の会は今日新たに3反の放置竹林を契約した(所有者6名、3月1日付)。私たちはこれまで4反の竹林を整備してきたから、これを加えると計7反以上になる。
長岡京市が放置竹林整備に腰を入れ始めて4年半、規模はようやく1町歩を越した。その7割をわが竹林友の会が担っているのである。

  まことによくやっていると思う。ボランティアに依存せざるをえない市農政課の放置竹林対策ではあるが、しかしともども健闘を称えたい。

  当会の竹林救援隊(隊長野本さん)によってこれから間伐作業が始まる。いざ出動!

   なお旧聞ではあるが、西山森林整備協議会の徳地会長(京都大准教授)から以下のメールが来ていた。
「協議会も、整備も、本当にお世話になりました。
ボランティアの方の活動がなければ、協議会なんて何もできないのを痛感し、心から感謝しております。」

                                                                                                                                  杉谷 保憲


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「この世のものとは

 2008. 2. 9  杉谷保憲

 

竹林日記「この世のものとは」2008・02・09(土)雪

参加者 山本、塚崎、杉谷、高田、熊谷、野本、窪田、荒木、小椋。

  朝8時半から降りだした。雪が。
9時から作業。いつもはそれぞれ思い思いの作業にとりかかるのに、今朝はみんな枯れ竹の焼却に集る。一箇所で燃やし始めた。
竹があちこちから集められ、どんどん燃やされる。雪の中に炎はさほど高くは上がらない。

  竹の青に純白の雪がくっついては消え、またくっついていく。やがて節(ふし)にこんもりと積もる。すると節の黒が消え、竹は青と白だけの清楚。

  30メートルはあるモウソウ竹を仰ぎ見ると、梢は真っ白になっている。その上の空から限りない数の花びら。
目を水平に延ばすと、長法稲荷の鳥居の朱が雪の中に鮮やかに浮かぶ。

 間近には紅(くれない)の炎が舌なめずる焚き火。
その間の地上は青、そして全地球が白。

  誰も屋根の下に入ろうとはしない。焚き火から遠く離れようとしない。
帽子も白くなって、作業着の背は濡れている。
この景観は今年最高、この世の景色とは思えない。
自分もそのなかの点景となっていることに喜びがある。

  それぞれの思い入れに浸っている。浅学の私は俳句一つを思い出したが、でもこの情景にはとても及ばない。

  春の雪 降るふっくらと ゆっくりと    細見 綾子

追記
昨夜はNPO準備会(山本、杉谷、熊谷、錦織、荒木、稲岡、島田)、夜9時半までかかった。
来週土曜日は竹林救援隊の新規活動竹林の下見。
                                                                                                                                 杉谷 保憲


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「休日出勤

 2008. 2. 6  杉谷保憲

 

竹林日記「休日出勤」2008・02・06(水)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、西村、小椋。

  朝、顔を合わせるなり、
「お休みだということを忘れていました。」
「体が自動的に動いてしまいまして・・・」

  今日の竹林作業はお休みなのに、出かけてきた・・・そのことに照れ笑いが起こる。
先週、2月の水曜は作業を休むと決めたのだが、その最初の水曜日に5人が出てきた。

  私は休みであることを覚えていたのだが、西村さんが「水曜しか竹林に来られないから仕事をつくってください」と言うので、私も付き合うことにした。西村さんはひたむきに働く人なので、その思いにほだされたのである。
結局、西村、小椋さんは遊歩道用の板に防腐剤を塗る作業をした。ほかの3人は2箇所で竹の焼却をした。

  今年は雪が降らない。
竹林に雪――これはたまらないほど美しい景色だ。
大雪のときは雪持ちの竹となって、竹がしなり、たわむ。

  風の強いときは竹の片面だけに雪がくっついて、もう片面が竹の青を印象づける。
雪が少ないときは竹の葉だけが白くなって、敷き藁に暖かさがうまれ出る。
今年はこのいずれもが現れない。

  焚き火は大きな爆裂する音を起こす。
トンドさんで前年の習字を焼くときに、青竹が激しく燃え上がり大きな音とともに習字の紙が舞い上がる風景を思い起こす。
このボーンという破裂音が英語のバンブーという語源であるというのは本当だろうか?

                                                                                                                                杉谷 保憲


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「竹林救援隊

 2008. 2. 2  杉谷保憲

 

竹林日記「竹林救援隊」2008・02・02(土)曇り

参加者 山本、杉谷、高田、早川、野本、窪田、錦織、稲岡。高橋。
           てくてく=富島、八木、加納。

   勢いがよく炎が上がる。2箇所で焚き火だ。裂ぱくする竹の爆音が竹林を貫く。土入れが終って放置された竹の焼却、つまり竹林の清掃作業である。
この竹林は放置竹林の整備からはじまった。以後5年かかってタケノコ畑として完成の域に近づいた。

  心身障害者を引率してきた富島さんが言う。「うちの子たちは焚き火を喜んでいますよ。なかなかうまいでしょう。」彼女は褒めながら作業を督励している。
私「来週は竹林内の小石を拾う仕事があります。ご覧のように石ころの畑になっていますので。」

  それを聞いて八木さんが富島さんに「来週は○○さんをつれてきたら・・・・?」言う。仲間に石ころを拾ったりするのが上手な女の子がいるそうだ。
富島さん「そうしよう。そうしよう。」といいながら、そっとつぶやく。
「予定を立てて行動するというのが難しいのですよ。当日の朝になってみなければ・・・」
小石を拾い、軟らかい土壌になるとタケノコ畑の一応の完成である。

  タケノコ畑としての観点から言えば竹林作業は終了だが、環境問題を予想して当会で竹林救援隊(隊長野本)が結成されたのは半年も前のことである。

  増え続ける放置竹林(密生した竹と枯れ竹の林)に応急処置(間伐)をして、CO2の吸収に役立てながら、所有者あるいは行政によって根本策が打ち出されるのを待つのである。

  ところが野本さんが思わぬ怪我で長期の治療に入ったため、竹林救援活動は足踏みしていた。隊長の元気回復とときを合わせるように、放置竹林の整備依頼があった。
契約など手続きはこれからだが、チェンソウを唸らせ伐採し、枯れ竹焼却作業にとりくむことになろう。

   荒廃した竹林が美しくよみがえるのにまた5年かかるのだろうか。当会にとっては本来の目的、放置竹林の整備活動が再び始まろうとしている。

                                                                                                                                杉谷 保憲


 

 杉爺の竹林日記 ・・・「ははたいせつ

 2008. 1. 29  杉谷保憲

 

竹林日記「ははたいせつ」2008・01・29(土)曇り

参加者 午前=山本、塚崎、杉谷、高田、早川、熊谷、野本、窪田、錦織、
                     荒木、小椋、稲岡。川路、尾崎、原、池田。
       午後=上記のほかに島田、岸。高橋、稲岡(喜)。

  作業は土入れの大詰め。しかし板やブロックが持ち込まれたので、その作業の手をとられて、土入れはわずかに残った。枯れ竹の焼却も少し進んだ。
午後は婦人教育会館で「春季体制とNPO準備の会議」を13時~15時。荒ごなしで方向性を出した。
 


   体調不良の日々が続き準備ができない。そのため設立予定日はどんどん先送りになる。体力が衰えており、今日は疲れが激しい。こんなときには小咄を思い出して、疲労回復に役立たせたい。


  お母さんが娘の授業参観にいきました。教室には習字が貼りだされていて、娘の作品は
  「ははたいせつ」

   いつもわがままばかりを言って困らされる娘が、実はなんというやさしい心根の持ち主か!こんなに私のことを思っている。
今日はやかましく言わないようにしようと、娘の好物のお菓子を買って、帰宅を待った。

  娘は帰ってきたが、かばんを投げ出しブスッとしている。相変わらずだ。
「○○ちゃんありがとう。うれしいわ。さあ、このお菓子好きでしょう・・・」
「嫌い!私 甘いものは止めたの。歯は大切(ははたいせつ)だから。」
                                                                                   ――「ユーモアのレッスン」外山滋比古 著より

                                                                                                                                  杉谷 保憲


 杉爺の竹林日記 ・・・「竹人形

 2008. 1. 16  杉谷保憲

 

竹林日記「竹人形」2008・01・16(水)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、早川、西村、熊谷、野本、窪田、錦織。稲岡(喜)。

  8時40分にはユンボが来た。土が足りないのでまたユンボで掘り起こしてもらう。2箇所で土の山ができたが今度は多すぎると思う。
ユンボ道の傾斜をなだらかにして車椅子が楽に入れるようにしたかったが、これは望みどおりにはいかなかった。坂道の勾配が少しゆるくなった程度である。

   稲岡さんが婦人教育会館の予約にいった。女性が申し込むと部屋代が安くなると聞いていたが、それだけではなく会議の出席者の過半が女性でないと料金が安くならないという。逆差別ではないかと息巻く男性もあった。

   冬の日なのに、青空の下、汗をかきながらの作業。

    私は竹林の景観に惚れてこの町に住んだ。あれから10年経つ。以来、竹についての書籍、写真、絵画、竹の生活具に強い関心を抱いてきた。
昨夜、寺町のギャラリーテラで「若州(じゃくしゅう)人形座」の公演を観た。これは故 水上勉(作家)が設立した劇団で、本部は福井県の片田舎に置き、全国で竹人形文楽の上演を続けている。テラの舞台は狭いがよく工夫されている。客席は50人で満席、若い人たちが詰めかけていた。

  演目は「五番町夕霧楼」(原作 水上勉)。竹人形は文楽の頭(かしら)とくらべると精巧さは無いが、素朴で暖かい。人形遣いも派手なパフォーマンスはしないが心が通い合うしなやかさがある。
なによりも驚いたのは、女優 飛鳥井かがりが、語りはもちろん全ての登場人物の声を一人で演じて、ストーリーに引き込むことである。その技術の確かなこと、全くほころびが無い。

  大阪は文楽の中心であるので、よく観た。しかし竹人形はこれが始めてである。
竹は幽玄を巧みに表現する。
娼婦の悲しい定めにもらい泣きしながら、竹林の舞台でこんなことができればいいなあと思った。

                                                                                                                                  杉谷 保憲


  杉爺の竹林日記 ・・・「一休さん

 2008. 1. 9  杉谷保憲

 

竹林日記「一休さん」2008・01・09(水)晴れ

参加者 山本、杉谷、高田、早川、窪田、小椋。稲岡(喜)。

 初仕事。土入れとユンボ作業の準備の伐採。
正月休み明けで半月ぶりの顔合わせだ。みんなが竹林の周囲を見渡している。別に異常はないが、長法稲荷の参道が整備されて、柵が新しくなって入る。

 昨日、今日の暖かさは仕事には都合がいいが心配にもなる。昨朝は竹林に靄が立ち込めてまるで春の光景であった。TVは、東京湾の海底に珊瑚が発生していると報じる。温暖化対策は大丈夫なのか?各家庭排出のCO2が減らないのが気になる。

 今日、1月9日は1と9とで一休さんの日。 一休さんは今から500年前の人である。年末に書いた竹林日記の-正月は冥土の旅の一里塚―を詠んだのはこの人である。 この句に続いて―ご用心ご用心―と加えて唱え、京都の町を練り歩いたという。

 天皇の子に生まれたが追放されて禅寺に預けられた。晩年、高僧しかなれない大徳寺の住職になる。しかし、同僚の高僧が権力を争い、金銭に堕落するのを非難して自ら身を引く。京田辺市の貧乏寺一休寺で88歳(当時では異例の長寿)の生涯を閉じる。

 一休さんはとんち話で有名だが、権力に媚びなかったから当時も後代も民衆に愛されるのだろう。私が好きなのは「一休の遺言状」という話である。(以下digitake.comから引用)

 応仁の乱によって大徳寺は焼けた。一休がこの寺の和尚を命じられたには彼が81歳のときのこと。寺の再建を果たすとさっさと大徳寺を辞めたが、彼は一通の遺言状が残した。
一休は「この遺言状は、 将来、この寺に大きな問題が起こったときに開け。それまでは決して読むな」と言い残した。

  一休の遺言状を開いたのは死後100年を経たとき、 寺には問題があり僧たちはすがる思いで封を切った。そこにはこう書かれていた。
「なるようになる。心配するな。」

                                                           杉谷 保憲